web情報で、近江国と熊野のつながりについて調べていたら「三井寺」に突き当たり、
『古今和歌集目録』に「大伴黒主村主」、また『天台座主記』第一巻安慧和尚譜に「(滋賀郡)大領従八位上大友村主黒主」とあることから、出自は大友村主とされる。大友村主氏は諸蕃(渡来人の子孫)で、『続日本後紀』では「後漢献帝苗裔也」とある。
経歴には、
近江国滋賀郡大友郷の人。貞観年間、園城寺神祀別当となる。鴨長明『無名抄』に没後近江国志賀郡に祭られたとの記事がある。
歌人としては、大嘗祭に風俗歌、宇多法皇の石山寺参詣に歌を献上して賞されたとされる。『石山寺縁起絵巻』では、近江国司に代わって宇多天皇の行幸を迎える存在として描かれている。『古今和歌集』の4首をはじめとして、『後撰和歌集』『拾遺和歌集』等の勅撰和歌集に11首の和歌が収録されている[3]。なお六歌仙の中で唯一、『小倉百人一首』に撰ばれていない。『古今和歌集仮名序』に「大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し」と評される。
三井寺の歴史年表によると
弘文一年
672
七月
壬申の乱が起り、大友皇子(弘文天皇)崩御。大津京滅びる。この頃、大友村主家によって園城寺建立
朱鳥一年
686
この年
寺伝に、天武天皇より「園城寺」の勅願を賜い大友氏の氏寺となす、という
三井寺 ピックアップより(絵は一部だが、本当の絵には熊野社が描かれているそうだ。)
http://www.shiga-miidera.or.jp/pickup/2012/pickup01.html
佐々木季定(初名為俊)の母は、新羅三郎源義光女である。つまり、ココにも大友氏という紀州と近江をつなぐ氏がいたのである。
季定は私の持っている系図では行定の兄となっている。母は違う。行定・行実の母は、紀盛宗女である。
web情報 「大伴氏族概観」
○ 大伴氏族は、天押日命の後裔とされ、神武天皇より早い時期に紀伊に遷住してきた天神の一派で、山祇系の流れである。その系譜は、より具体的には神武創業の功臣、道臣命の後裔である。
道臣命は紀州名草郡片岡邑の人であり、その功により大倭国築坂邑(高市郡北部。現橿原市鳥屋町辺り)に宅地を賜ったという。その祖天押日命について、瓊々杵尊の天降り随行という伝承があるものの、この氏族の遠祖には紀州土着の色彩が相当強い。この氏族の紀州在住時代に紀国造氏族(紀伊氏族。天御食持命後裔)を分岐した、というより、むしろこの氏族の方が紀国造氏族の一支族と位置づけられよう。
こうした出自の影響か、大伴氏族の榎本連、丸子連、仲丸子連、宇治大伴連等が紀伊国で繁栄
名草郡は藤白鈴木との関係を感じる。そして紀三井寺がある。
『古今和歌集目録』に「大伴黒主村主」、また『天台座主記』第一巻安慧和尚譜に「(滋賀郡)大領従八位上大友村主黒主」とあることから、出自は大友村主とされる。大友村主氏は諸蕃(渡来人の子孫)で、『続日本後紀』では「後漢献帝苗裔也」とある。
経歴には、
近江国滋賀郡大友郷の人。貞観年間、園城寺神祀別当となる。鴨長明『無名抄』に没後近江国志賀郡に祭られたとの記事がある。
歌人としては、大嘗祭に風俗歌、宇多法皇の石山寺参詣に歌を献上して賞されたとされる。『石山寺縁起絵巻』では、近江国司に代わって宇多天皇の行幸を迎える存在として描かれている。『古今和歌集』の4首をはじめとして、『後撰和歌集』『拾遺和歌集』等の勅撰和歌集に11首の和歌が収録されている[3]。なお六歌仙の中で唯一、『小倉百人一首』に撰ばれていない。『古今和歌集仮名序』に「大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し」と評される。
三井寺の歴史年表によると
弘文一年
672
七月
壬申の乱が起り、大友皇子(弘文天皇)崩御。大津京滅びる。この頃、大友村主家によって園城寺建立
朱鳥一年
686
この年
寺伝に、天武天皇より「園城寺」の勅願を賜い大友氏の氏寺となす、という
三井寺 ピックアップより(絵は一部だが、本当の絵には熊野社が描かれているそうだ。)
http://www.shiga-miidera.or.jp/pickup/2012/pickup01.html
佐々木季定(初名為俊)の母は、新羅三郎源義光女である。つまり、ココにも大友氏という紀州と近江をつなぐ氏がいたのである。
季定は私の持っている系図では行定の兄となっている。母は違う。行定・行実の母は、紀盛宗女である。
web情報 「大伴氏族概観」
○ 大伴氏族は、天押日命の後裔とされ、神武天皇より早い時期に紀伊に遷住してきた天神の一派で、山祇系の流れである。その系譜は、より具体的には神武創業の功臣、道臣命の後裔である。
道臣命は紀州名草郡片岡邑の人であり、その功により大倭国築坂邑(高市郡北部。現橿原市鳥屋町辺り)に宅地を賜ったという。その祖天押日命について、瓊々杵尊の天降り随行という伝承があるものの、この氏族の遠祖には紀州土着の色彩が相当強い。この氏族の紀州在住時代に紀国造氏族(紀伊氏族。天御食持命後裔)を分岐した、というより、むしろこの氏族の方が紀国造氏族の一支族と位置づけられよう。
こうした出自の影響か、大伴氏族の榎本連、丸子連、仲丸子連、宇治大伴連等が紀伊国で繁栄
名草郡は藤白鈴木との関係を感じる。そして紀三井寺がある。
私も黒主さんってとっても気になっていました。で大伴か大友かでもルーツが違ってくるように思うので情報が欲しい方の一人です。
そんな中で三井寺に直結しているのにびっくりしております。というのも家族の縁で三井寺はいつか行かねばと思っておりますので。
大友となると天智天皇との関係も気になりますし、たまたま私の偶然では吉野や飛鳥にも関係出ないかとちょこっと思っている方です。でこの方が分からないと理解も進まないように思う方です。
いいヒントをありがとうございます。
個人的に太田氏もまた中原とか清原とか大江とか佐々木とかとても気になる一族の情報が満載でありがたく思います。
知識の目的は、自分の生まれてきたルーツを理解する事でなんとなく出会う一族を調べていると実生活にも役立つのではないか?との考えで情報を集めている次第です。
こちらの記事にコメントを入れてもしも嫌な場合は遠慮なく消して頂いて結構です。まずはきっかけと思い入れさせて頂きますね。
そう九里の件ですが伊賀上野の忍者さんの説明の中でどこからか9里の距離にあるとしてクリと暗号で使っていたなんて聞いた記憶あります。
私は栗が付く地が特に気になって色々探しては気になると言いながら地図みています。
今はその程度の九里に関しての知識ですが今後何か分かったらお知らせいたしますね。
今後も記事楽しみにしております。2637
コメント嬉しいです。ありがとうございます。
私は、ブログ記事をどんどん書いて、どんどん忘れているので、大伴氏と大友氏のこともすっかりと忘れていました。もう一度読み直してみます。
また、九里や栗・久里・九利・久利・九郷・久郷・久徳・九徳…なども、目につきましたら教えていただけますとうれしいです。
忍者の九里も関係があるのかもしれません。今も甲賀の方ですが、「九里さん」多いようです。
クリという音にしたら私も追ってますので情報共有宜しくお願いいたします。
うる覚えで申し訳ないのですが、伊勢から九里だとか言ってた気もします。けどそれがどこか?
色々な字に変換してくれてますね、ありがたいです。どうも漢字で惑わされてますけど、何かの芯は同じようにも思いますね。こちらは東京なので栗はあまりないですし、本来は二音ならば漢字も二文字だ妥当ですね。古い時代にある名前で考えるとクだと久が一番気になりますね。リは梨も気になります。私の追っている栗は、縄文時代の食のメインとして生命維持の知恵みたいな物を持っていた一族じゃないかと。栗山監督とか小栗上野介とか器が大きい人のイメージであります。
何か分かったらまたお知らせしますね。8916
こんなに小さなブログを見つけてくださり、ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします!
19代天皇の皇子だったようですよ。なんか関係してきそうなのでお伝えしておきます。
こちらは葛城氏の周りを調べていて出てきた方です。坂は境からきているならサカイで酒井も関係してきますのでカモさんも関係してきそうですよ。4462
この人物、全くノーマークだったのですが、
「第19代允恭天皇と、皇后の忍坂大中姫(忍坂之大中津比売命、稚野毛二派皇子の女)との間に生まれた5男4女のうち、3番目に生まれた皇子である。」
忍坂大中姫のことは調べていたのに、びっくりです。
サカイは、「橋」が「椅子」の「い」にも書かれたり、読まれたりしていたようで、「坂椅」と書いて、「さかはし」というのもありそうなのです。
つまりは「坂橋」と書いて「さかい」というのもありそうなのです。…いつの間にか、もう一つのブログになってますね。
令和(レイワ)って好きでないんですけどリョウワならまだいいんですけどね。漢音とワは呉音っぽい柔らかい音。両方がミックスがちょっと不思議です。和合出来るならそれにこしたことないんですけどね。
で梅もちょっと気になるんですけど。まあそこは掘らずまず万葉集が注目されるととってもいいですよね。そこから平安でどう変わってくるのか?見えてくるでしょう。
橘諸兄が上司で大伴家持に万葉集をまとめる指示がでたんですって!今高岡の万葉歴史館の館長坂本さんが言っていましたよ。橘氏も大伴氏も注目されてくるとはっきりと見えてくる事があるでしょうね。
そうそうさっきは明日香も万葉の博物館の方も出ていまいしたけど、あの辺りも結構気になる遺跡結構ありますよ。地名とかでも。豊かな和歌で生活していた時代が分かるんでしょうね。三角関係とかも。額田さんも出てくると中(ナカ)も一族も出てくるでしょうね。
あとその前のテレビと特集では太宰府は坂本八幡宮って旅人で注目されているようですけど、宮司さんは坂本さんだったかな?サカも合わせてきてますね!
それも巫覡資質もありますよね。
大伴旅人は好きで、家持はそんな調べていないんですけど高岡は超気になる場所で大仏もありますね。
奈良、富山、そして太宰府、いい拠点が見えてきましたよ。そこに堺部さんが絡んでくるんではないかな?
大津坂本も多分。
ただ大伴氏って闘い強いんで、大友は好きでその後しばらくは大伴好きなんですけどズレてくるんですよね、怖い大伴に。なので見極めが出来るとしたら外交官が出来る素質か?巫覡として神と付き合えるか?弱い者を助ける闘いが自己犠牲で出来るか?だと思います。
いい大伴さんほどやられちゃうし、誤解されてもいるはずです。
万葉仮名も出来てくるので文字文化ではなく、口承文化で歌ですよね。その前はアイヌっぽくもありそうですよね。言いたい事言い合って、またウィットにとんでいる。万葉リズムですって?5+7で文字数でリズム付けているようですよ。木綿のハンカチーフは父が好きだった歌で松本隆さんが作ったんですって。
リズム、音、踊?舞いもかな?
この辺りに大昔から関わっている民族が出てくるといいですね。神では猿田彦なんで結構明確ですよ。