九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

佐々木信綱の妻に千葉胤綱の娘! 

2020-04-30 | 佐々木氏


土岐光行の妻に東胤頼の娘  ……  片岡経春の海上荘は東胤頼の所領となる。
土岐七郎光家の妻に千葉成胤の娘 …… 千葉胤綱の妹である。
佐々木信綱の妻に千葉胤綱の娘 …… 佐々木氏が京極と六角に分かれる前の代である。
                  九里はもうすでに佐々木氏についていた。

隠岐太郎は「佐々木政義」と「土岐国時」がいる。  

佐々木政義は義清(佐々木秀義の六男と母は大庭景親娘)の長男
土岐国時は光定の(土岐光行と母は東胤頼娘)長男である。

===*===
以下は、私の未熟なままの想像である。まだ出来立てなので荒いが、忘れないようにmemo

千葉胤正の娘が中原経久の妻となり、(経久は片岡経久1173年生であった。)と仮定する。
その経久の父(経利)は橘荘(海上荘)を所領していたために橘次を称していたとする。代は経春に変わり、その経春のために所領を失ってしまうが、千葉胤正の案で、経久の妻に娘を預けることで、外見は千葉氏の所領だが、片岡氏に安堵されていたとする。

しかし、その経久が因幡国・丹後国の地頭となって土地を離れることとなり、東氏に所領を渡すこととなる。

もしかすると、東氏に嫁いだ経久の娘もいたかもしれない。

===*===

経春の子孫は備前へ、
弘経と経春は同じ年である。
双子か、または本当の弟ではないようであるが、まだよくはわからない。

そして経久の父は「経任」であり「つねとう」であるが、
片岡の方「経利」は「経俊」とも書き「つねとし」に当たるのではないかと思う。

この経任・経久の二代だけが、支援?のために入ったのではないだろうか?
もともとは片岡同族で鹿島神宮の神官であったため、大きな家族のように暮らしていたのではないかと思う。??

以上が今のところの私の頭の中である。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大中臣氏・片岡氏・宇都宮氏... | トップ | ゲーテのコトバ ドリアン助... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

佐々木氏」カテゴリの最新記事