中山道が整備される以前の東山道の宿場 赤坂
上石津の時の烏帽子岳(熊坂山、熊坂谷)の山中に隠れ住んでいたとする伝えもある。
さて能の「熊坂」は、長範が率いる大盗賊団が奥州に下る金売り吉次の一行を赤坂宿に襲ったところ、その一行にまだ16歳の牛若が居て返り討ちに会い、ついに長範は63歳で赤坂の土となる。
そして、長範の幽霊が争いの様子を語る…
彼の伝えには生き延びて仏門に入って終わったとする話もあり、義賊だったという話もある。
https://www.nisimino.com/nisimino/turedure/65_index_msg.shtml
さて、浅小井小源太清長の系図の註に、以下のように書かれている。
清長の註 ↓
治承ノ始メ伊勢、近江、美濃三ヶ国々堺三国岳ニ坂長範ノ残党が立テ籠モルニ依リ、清長之ヲ退治スルタメ、
伊勢員弁郡深尾谷ニ移リ住ス、此の時深尾ト改姓、…
↑ 中里ダムの左横に烏帽子岳
地図の中にも三国岳・烏帽子山が見えるが、件の山賊の闊歩していた山と同じであろうと思う。
はやり、時代的にも 熊坂長範かもしれないし、その名を語ったものが多々いた、ということかもしれない。
「能」にもなっていて、かなり名の知れた山賊であったのだろうと思う。
赤坂宿(中山道)とは、 美濃国不破郡赤坂村(現在の大垣市)で、確かに深尾氏のいた員弁郡の(現在・中里ダムの湖の中)場所に近い!!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9D%82%E5%AE%BF_%28%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E9%81%93%29
先日、柳瀬川の桜は、残っているかなあ?と訪れてみました所、川岸の土手は、遊歩道整備の為に進入禁止となっていました😰桜もほとんど散って🌸、寂しい限りでしたのでしょう
近日中にアップしますので、御覧頂ければ幸いです。
懐かしさが込み上げてきます。
ベビーカーを押しながら、良く散歩しました。
写真、楽しみにしております~散ってしまった後の様子でもOKです。笑