2つのweb情報をコピーし抜粋し、まとめると以下のようになる。
小野神社
小野神社(おのじんじゃ)
御祭神 天ノ下春命〔あめのしたはるのみこと〕
瀬織津姫命〔せおりつひめのみこと〕
稲倉魂大神〔いなくらたまのおおかみ〕
伊弉冉尊〔いざなみのみこと〕
素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
大己貴大神〔おおなむちのおおかみ〕
瓊々杵尊〔ににぎのみこと〕
彦火火出見尊〔ひこほほでみのみこと〕
東京都多摩市一ノ宮一丁目18-8
創建年代 安寧天皇18年(紀元前532)
宝亀三年(772)の太政官符には、「多磨郡□野社」の記述があり、これがおそらく多摩の小野神社の事で、史料としては初見であろう。
正史である「日本三代実録」には、元慶八年(884)に従五位上から正五位上に昇格との記載がある。
延長五年(927)に編纂された「延喜式神名帳」では、小社に列格する「武蔵国多磨郡 小野神社」と記載されており、これが当社とされている。
但し、当社の他に府中市にある「小野神社(小野宮)」も比定社(論社)となっている。
両社の関係は、かつては同じ神社であり、多摩川の氾濫に伴う水害によって遷座が行われた結果二社に分けられたとも、どちらかが本社でもう一方は分祠であるとも云われている。
個人的には、創建時は府中市の「小野神社(小野宮)」にあったものの、水害の影響もあり後に当地に遷座してきたものと推測している。
~~~*~~~
横山氏の系図を見ると、その始祖は【横山野大夫小野朝臣経兼】という人物であり、本貫地は【武蔵國多摩郡横山庄】とある。
小野朝臣経兼は、八幡太郎義家に従ひて功あり、武蔵國多摩郡横山庄並びに相模國下足柄郡を賜ふ。 而して武蔵國多摩郡横山庄に住して、氏を横山と称せり。
小野朝臣経兼=横山経兼が出てくるまでは、小野氏である。
小野氏をずっと遡っていくと、敏達天皇となる。
敏達天皇(538-585)の息が 難波皇子で、橘氏の祖となる。(後には楠木氏につながる)
もう一人の祖が春日皇子(560-615)(=小野氏祖)である。
「横山神社」(所在 東京都八王子市元横山2丁目15番27号)
また、もう一つ「小野神社」で気になったのが、神奈川県厚木市小野428 にある神社である。
そこの由緒に『阿羅波婆枳(あらはばき)神』という名前が載っており、気にかかるので、調べてみた。
http://omesh.sakura.ne.jp/jinja/kanagawa/atugi/37-02/01.htm
この中の「愛甲三郎」の本家は横山氏と出ていた。ますます関係がありそうである。
愛甲三郎とは、愛甲季隆のことのようである。
次回はアラハバキ神について、またまた古代へ戻ってしまうが、書いてみたいと思う。
小野神社
小野神社(おのじんじゃ)
御祭神 天ノ下春命〔あめのしたはるのみこと〕
瀬織津姫命〔せおりつひめのみこと〕
稲倉魂大神〔いなくらたまのおおかみ〕
伊弉冉尊〔いざなみのみこと〕
素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
大己貴大神〔おおなむちのおおかみ〕
瓊々杵尊〔ににぎのみこと〕
彦火火出見尊〔ひこほほでみのみこと〕
東京都多摩市一ノ宮一丁目18-8
創建年代 安寧天皇18年(紀元前532)
宝亀三年(772)の太政官符には、「多磨郡□野社」の記述があり、これがおそらく多摩の小野神社の事で、史料としては初見であろう。
正史である「日本三代実録」には、元慶八年(884)に従五位上から正五位上に昇格との記載がある。
延長五年(927)に編纂された「延喜式神名帳」では、小社に列格する「武蔵国多磨郡 小野神社」と記載されており、これが当社とされている。
但し、当社の他に府中市にある「小野神社(小野宮)」も比定社(論社)となっている。
両社の関係は、かつては同じ神社であり、多摩川の氾濫に伴う水害によって遷座が行われた結果二社に分けられたとも、どちらかが本社でもう一方は分祠であるとも云われている。
個人的には、創建時は府中市の「小野神社(小野宮)」にあったものの、水害の影響もあり後に当地に遷座してきたものと推測している。
~~~*~~~
横山氏の系図を見ると、その始祖は【横山野大夫小野朝臣経兼】という人物であり、本貫地は【武蔵國多摩郡横山庄】とある。
小野朝臣経兼は、八幡太郎義家に従ひて功あり、武蔵國多摩郡横山庄並びに相模國下足柄郡を賜ふ。 而して武蔵國多摩郡横山庄に住して、氏を横山と称せり。
小野朝臣経兼=横山経兼が出てくるまでは、小野氏である。
小野氏をずっと遡っていくと、敏達天皇となる。
敏達天皇(538-585)の息が 難波皇子で、橘氏の祖となる。(後には楠木氏につながる)
もう一人の祖が春日皇子(560-615)(=小野氏祖)である。
「横山神社」(所在 東京都八王子市元横山2丁目15番27号)
また、もう一つ「小野神社」で気になったのが、神奈川県厚木市小野428 にある神社である。
そこの由緒に『阿羅波婆枳(あらはばき)神』という名前が載っており、気にかかるので、調べてみた。
http://omesh.sakura.ne.jp/jinja/kanagawa/atugi/37-02/01.htm
この中の「愛甲三郎」の本家は横山氏と出ていた。ますます関係がありそうである。
愛甲三郎とは、愛甲季隆のことのようである。
次回はアラハバキ神について、またまた古代へ戻ってしまうが、書いてみたいと思う。