万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

東京都知事選挙-政治改革には‘独立系候補者’が必要では

2024年07月08日 12時41分08秒 | 日本政治
 昨日7月7日に実施された東京都知事選挙では、現職の小池百合子氏が当選し、小池都政は三期目を迎えることとなりました。しかしながら、過去最高とされる56人が立候補すると共に、当初よりライバル視されてきた蓮舫氏の舌戦や選挙後半戦で急速に支持を伸ばしてきた石丸伸二氏の激しい追い上げの中での辛勝であり、実際に、得票率は前回から74万票も減らしています。学歴詐称疑惑に加え、小池都政に対する批判も根強く、必ずしも都民の積極的な支持を受けての当選とは言えない状況にあります。そして、今般の東京都知事選は、むしろ、政治改革の必要性を露呈したようにも思えるのです。

 先ずもって東京都知事選に見られた最大の問題点とは、都民が積極的に投票したいと思えるような候補者がいない、という有権者の選択肢に関する制限です。民主主義国家の証と見なされる普通選挙制度にあっても、候補者が予め絞り込まれているのでは、事実上、被選挙権における‘制限選挙’と等しくなります。共産主義国家といった全体主義国家でも、しばしば民主主義を装う儀式としての選挙が行なわれているものの、非民主国家の諸国における選挙は、予め提示された候補者に国民が半ば強制的に投票するという形態をとるケースが少なくありません。選挙は、事後承認の意味しか持たないのです。

 一方、民主主義国家にあっては、各国の選挙の場を仕切っている世界権力によって、より巧妙な二頭作戦や多頭作戦がとられている節があります。このため、どの候補者に投票しても、有権者は、期待外れによる絶望を味わらせられます。時をほぼ同じくして、イギリスでは下院議員選挙が実施されましたが、労働党の大勝を受けて14年ぶりの政権交代に沸いたものの、スターマー新首相の政策方針を見る限り、国民の期待が失望に変わるのも時間の問題のようにも思えます(‘リセット’という言葉は、世界経済フォーラムが掲げる‘グレート・リセット’を想起させる・・・)。現政権に対する批判票が流れ込む先にも‘罠’が仕掛けられ可能性が極めて高く、選択肢が限定されている状態での選挙は、上述した全体主義国家のケースとは違った形での事後承認の場に過ぎなくなるのです。しかも、民主主義国家では建前ではあっても自由意思による投票とされていますので、有権者による自発的選択と見なさ、より積極的な承認を意味してしまうのです。

 立憲民主党が共産党とも手を組む形で擁立した蓮舫氏が失速したのも、おそらく、有権者の多くが二頭作戦の可能性を敏感に感じ取っていたからかも知れません。つまり、2011年に国政レベルで起きた政権交代がもたらした‘改悪’が東京都のレベルで再現され、かつ、都政の共産化リスクを回避したかったのでしょう。また、蓮舫氏を上回る得票数を獲得した石丸伸二氏についても、二頭作戦ならぬ三頭作戦が背後で画策されていた疑いもないわけではありません(田母神氏を合わせれば、四頭作戦あるいは多頭作戦・・・)。フランスにおいてロスチャイルド財閥をバックに登場したマクロン大統領のように、年齢が若く、かつ、無名であることがむしろフレッシュなイメージを与え、有権者の期待値を上げる効果があります。石丸政党が誕生すれば、いよいよもって‘マクロン路線’の可能性が高まるのですが、この疑いの真偽については、今後、同氏の組織的背景等の情報が伝わるにつれ、明らかとなってくることでしょう。‘AI百合子’を登場させた小池氏が当選しても、もとよりリベラル色の強い蓮舫氏が当選しても、そして、新自由主義色の強い石丸氏が当選しても、グローバリズムやデジタル社会への迎合という側面において、都政の基本方針が変わらないものと予測されるのです。

 もっとも、石丸氏の健闘にあって評価し得る点があるとすれば、それ程には知名度が高くなくとも、当選する可能性があることを示した点にあるのかも知れません。日本国で政治家になるためには、‘地盤’、‘看板’、‘鞄’の‘三バン’が必要条件とされてきましたが、石丸氏は、上述したように世界権力からの支援を受けている可能性はあるものの、これらの条件は欠いています。ネット空間が選挙活動の場ともなり得るインターネット時代の寵児とも言えるのですが、無名の候補者の活躍にはまだ希望があるのかもしれません。国民のための政治を実現するには、外部勢力の‘手下’であってはならず、このことは、自ずと真の改革者が出現するとすれば、その人物は無名であることを意味するからです。脱世界権力こそ、政治の重要課題なのですから。

 以上に、東京都知事選から伺える二頭あるいは多頭作戦の可能性について述べてきましたが、今般の選挙には59人もの人々が立候補していますので、世界権力によるコントロールを危惧するには及ばないとする反論もありましょう。しかしながら、立候補者の数が民主主義を保障するとは限りませんし、今般の選挙戦で見られた一部候補者達による眉をひそめるようなパフォーマンスは、民主的選挙に対する一種の破壊活動であるとする見方も出来ます。敢えて民主的選挙の品位を落とし、常識外れな行動をとる、あるいは、とらせることで、民主的選挙を愚弄して馬鹿馬鹿しい存在に貶める作戦です。この作戦が効果を発揮すれば、国民や住民のための政治を目指す真面目で誠実な政治家志望者は、立候補に気が引けてしまうことでしょう。

 何れにしましても、今般の東京都知事選挙は、民主的選挙が制度として欠陥に満ちていると共に、世界権力による政治支配、あるいは、世界権力が推進している‘グレート・リセット’に向けて悪用されている現状を知らしめているように思えます。東京都知事の任期は4年なのですが、次期選挙までの期間は、都民の声に添った政治を実現する‘独立系候補者’が立候補し得る環境造りに務めるべき重要な準備時間となりましょう。そして脱世界権力は、東京都民のみならず、日本国民並びに全人類に共通する課題であると思うのです。

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