父を亡くしてから本日で一月が経ちました。悲しみと疲労のあまりに体調を崩してしまい、本ブログの更新も一月のお休みをいただくこととなりました。大変申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。本日より、ブログ記事の掲載を再開したいと存じますが、本日は、亡き父を偲びまして、父が生前に執筆しました論文をご紹介いたしますことをお許しくださいませ。
研究者としての姉裕子並びに私の原点は、幼き日の父の書斎にございました。学校などでどんなに嫌なことがあっても、父の書斎に入り込みますと、そこには、時空を超えた別世界が広がっていたからです。お気に入りは『世界の七不思議』や世界歴史シリーズといった歴史ものであり、机に向かう父の背中の後ろで、ページをめくっては歴史のロマンに浸っていたものです。父の書斎は、幼き私ども姉妹にとりまして安心できるアサイレムであると共に、知的好奇心を掻き立て、見知らぬ世界への想像力をも育んだ揺り籠でもあったのかもしれません。
本日、ご紹介いたしますのは、平成21年9月1日に刊行された『学士會会報 第878号』(学士会、八四~八七頁)に掲載された父の論文です。父の専門は土木工学であり、長らく橋梁、特に橋構造の研究に携わってまいりました(東北大学名誉教授)。本州四国連絡橋や横浜のベイブリッジなど、大型の国家プロジェクトが相次いだ華やかなりし時代に生まれあわせましたのも、父にとりまして大変幸運なことであったと思います。本論文は、もとより歴史好きの父が構造工学の観点から世界の七不思議の一つであるピラミッド建設の謎、すなわち、200年かかるような巨大建造物を20年足らずで完成させた謎に迫ったものです。固定観念や先入観を排して真実を見出そうとする父の姿勢は、常に私どものお手本でもありました。
なお、4年前に二度の心肺停止から奇跡的に蘇生した父は、意識を取り戻しますと、病床にあって私ども姉妹に3人で同論文を基にして本を出版しようと提案いたしております。歴史家の姉の裕子が古代エジプト史全般を、私が古代国家の統治形態について担当することにしたのですが、私が『死者の書』の冗長な記述に辟易して遅々として筆が進まなかったこともありまして、結局、父との’ピラミッド出版プロジェクト’の約束を果たすことができませんでした。せめて本ブログにて父の論文を掲載いたしますことで、多くの方々に、私ども姉妹をも驚嘆させました興味深い父の説を知っていただけたらと願う次第でございます。
「ギザのピラミッドの構造の謎を推測する」 倉西 茂
Ⅰ ヘロドトスの『歴史』のピラミッド建造法
ギリシャの歴史家・ヘロドトス(四八四~四二五紀元前)は、「歴史の父、Father of History」とする賛辞を享受する一方で、「ほらの父、Father of Lies」の異名もとる。ヘロドトスに対するほら吹きとする批判の理由は、その名著の『歴史』において、荒唐無稽な話がしばしば出てくることにある。
こうしたヘロドトスの信憑性の低い記述のうちで、後世の考古学者や建築家たちを悩ませ続けてきた代表的記述が、エジプトのギザの台地の上に立つクフ王のピラミッドに関するものである。ヘロドトスは、『歴史』巻二の第124段と第125段で、以下のように述べる。
―ピラミッド自体の建造には二十年を要したという。ピラミッドは(基底が)方形を成し、各辺の長さは八プレトロン、高さもそれと同じで、磨いた石をピッチリと継ぎ合せて造ってあり、どの石も三十フィート以下のものはない。
さてこのピラミッド建造に用いられた方法は階段式の構築法で、この階段(アナバトモス)のことを、クロッサイ(「胸壁」)という人もあり、またボーミデス(「祭壇の階段」)の名で呼ぶ人もある。はじめにこのような「階段」を作ってから、寸の短い材木で作った起重装置で残りの石を揚げるのであるが、まず地上から階段の第一段に揚げる。石がここに揚がってくると、第一段に備えつけてある別の起重機に積んで第二段目に引き上げられる。階段の段の数だけ起重機が備えてあったと考えられるからであるが、あるいはしかし、起重機は移動し易いものが一機しかないものを、石をおろしては順々に上の段へ移していったのかも知れない。両様の方法が伝えられているので、われわれも伝承に従って二つながら記しておこうと思うのである―
(松平千秋訳・ヘロドトス『歴史』より)
ヘロドトスが記すように建築法でピラミッドを全部石で敷き詰めて建造した場合、ピラミッドが完成するまでには膨大な年月がかかるはずである。一日二五個ずつ積み上げても、二七四年の歳月を要するとの指摘もある。しかし述べたように、ヘロドトスは僅か二〇年でピラミッドは完成したというのである。巨大なピラミッドをどうやって二〇年で建造したのか。起重機が一基しかなかったならば、一日二五個も積み上げるのは不可能に近い。もちろん砂の斜路を利用したという説も現在は唱えられているが。これこそが、考古学者や建築家を悩ませてきたピラミッドの謎であり、クフ王のピラミッドが「世界の七不思議」に数えられている理由ともなっていると言えよう。
しかしヘロドトスの記述に基づく築造法によって算出される建設年数をめぐる諸仮説には盲点があるように思う。それは、《ピラミッドの全てが、石で積み上げて造られていたと仮定した場合の想定年数である》ということである。
Ⅱ ピラミッドは砂でできている
ピラミッドの建造に関する仮説は、どうも構造工学的に見て納得のいかないものが多い。そこで、ピラミッドの構造を次のように考えることはできまいか。まず、ピラミッドは全部石を積み上げて造られたものではない。外部に見えている石は石垣のようなもので、内部は砂である。
外壁の石積みを何段か造る。それと並行して、王の間、王妃の間、大回廊、重力軽減の間などの内部の石構造も、まずはその下部の方を建造する(言い換えれば、ピラミッドの外壁に囲まれた空間のなかに、もう一つビルディングを造るようなもの)。ある程度できたところで、外周の石積みと内部の石構造の間を砂で完全に埋める。この操作を繰り返し、段々と石積みを高くして完成させることができる。こうすれば使用する意思の量は全部で埋めるよりもはるかに少なくて済むし、石切り場から内部構造用に石の大きさを調整しながら切り出すという手間も省けることになり、よりスピーディーな建設が可能となる。
ピラミッドの斜面の角度も、砂を自然に盛り上げた時にできあがる角度を砂の安息角(あるいは内部摩擦角)というが、この安息角を考慮して、造られたと考える方が構造力学的には自然である。砂の安息角は大体四六度程度[i]と考えられる。斜面の角度がこの大きさなら砂を積み上げただけで大ピラミッドを形造ることはできるのである。また安息角より石積みの角度が急な場合は、安息角でできている円錐と石積みの間になる砂が石積みを押すことになる。石積みは内側にせり出し構造となっているので、内部に倒れ込む力が生じるが、この力をその間にある砂の圧力と砂の受動圧で抵抗するので、このバランスを考えて石積みの角度を決めれば、石積みは安定を保つことになる・
上昇斜路の逆さ階段になっていることについても、砂の圧力を受ける天井板を単に階段状に積み上げていったもので、我々はその下面を見ているだけのことになる。階段状に狭くなっている開口部の形状には別段、意味はなく、エジプト人はアーチを知らなかったことから、石をせり出して造ったとも考えられる(英語でcorbel archと言う)。こう考えると、ピラミッドの建設は、そう不思議なものではなく比較的簡単に造れるものなのである。
さらに、ピラミッドの内部に作業空間を作れるならば、エレベーターのかごの重さはロープで繋がれた錘でバランスが取られているように、積み石と空箱をロープで繋ぎ、空箱に砂を詰めてゆくことで、砂の重量を用いて、石を吊り上げることも可能となる[ii]。そうなれば、古代エジプト人の技術者は今まで人が考えていたようはるかに優秀であったことになろう。
こうした仮説は、以下の点から補うことができる。第一に、フランスの調査隊がピラミッドの内部壁面にドリルで穴を開けたところ、そこから砂が出てきたという。ピラミッドの内部が砂でできることを示す物的証拠と言えよう。第二に、階段ピラミッドの建設では、数メートルの竪穴の底にある玄室に王の棺を納めるために、初めに竪穴を砂で埋め、その上に王の棺を置き、砂を抜いてゆくことで徐々に竪穴の底に玄室を安置するという工法が採られたという。ピラミッドの建設に砂の特性を利用するということが、古代エジプト人の発想としてあったと考えられるのである。第三は、ヘロドトスが最初に階段状の胸壁が造られたと述べていることである。ヘロドトスはピラミッドのいわば“容器”の部分の建設のことを述べていることになるのである。
Ⅲ ピラミッドは二〇年で建設できる
このようにギザの大ピラミッドは砂山であるとする仮説を打ち出したが、今考えられてきたように、石を積み上げてできたという仮説に比べて、砂山であるとすると、どのくらい少ない労力と年数でできるか、簡単な計算をしてみよう。底辺の幅が二三〇メートル、高さを一四五メートルとすると、その体積は約二五六万立法メートルとなる。斜面の長さを一八五メートルとすると表面積は八・五万平方メートルとなる。石積みの厚さを平均一〇メートルとすれば、使用石材は三分の一となる。厚さが、平均で二・五メートルならば、使用石材は一二分の一以下となり、二〇年単位での完成は可能である。すると、外側の石ブロックの大きさは下部で一・五メートル、上部の方で〇・五メートル程度と考えると、平均で三列程度であると推測できる。
構造工学の視点からピラミッド建設の謎に迫ってみたが、ピラミッドとの建設には砂が利用されていると考えると、ヘロドトスの記述のなかにも整合性と信憑性を認めることができるのである。さらに、仮にピラミッドの大部分が砂であるならば、クフ王の玄室は、あるいは砂の海の中に浮いている可能性を指摘することができるかもしれない。玄室の周りが砂の海であるならば、盗掘者は盗掘抗を掘ることは難しい。最も安全であるということにもなろう。地中レーダー等による更なる科学的調査が待たれるところである。
クフ王のピラミッドには、その建設目的やその他の多くの謎が残されている。しかし、構造が明らかになることにより、今までの定説を見直す必要も生じるそれが謎解きの手掛かりとなれば、幸いである。
本稿を奏するに当たり倉西裕子の助けを得た。感謝の意を述べたい。
[i] 川上房義『土質力学』森北出版、1977. pp.93
[ii] この原理を使った登山電車(Nerobergbahn)がドイツのヴィースバーデンで、砂ではなく水の重量を用いているが、運行されている。
父には遠く及びませんでしたけれども、いつの日にか、’この父にしてこの子あり’と言われてみたいと心の中で秘かに願っております。