万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

レプリコン型ワクチンのメーカー免責問題

2024年05月31日 10時47分50秒 | 日本政治
 今秋にも接種開始が予定されているという、新しいタイプのレプリコン型ワクチン。自己増殖という性質からしますと、‘生ワクチン’に限りなく近いのですが、同ワクチンの安全性や効果については幾つもの重大な疑問があるように思えます。例えば、コロナウイルスは、インフルエンザウイルスと同様に頻繁に変異を繰り返す点を踏まえますと、レプリコン型ワクチンの長期効果は、短期間で分岐的に変異するウイルスには不向きとも考えられます。

 この点に注目しますと、レプリコン型ワクチンのメリットとして評価されている効果の持続性は、むしろ、デメリットとなりましょうし、既に流行の過ぎ去った変異株の抗原及び抗体が体内で生成され続けるとしますと、さらなる健康被害も予測されるのです。それとも、レプリコン型ワクチンとは、あらゆる変異株に対応するユニバーサル・ワクチン(万能ワクチン)なのでしょうか。現在使用され、定期接種の方針が示されている旧式のmRNAワクチンについても、変異株に対応して新たに設計し直されているのか、詳しい説明はほとんどありません(なお、大手製薬会社各社が、従来型ワクチンについてユニバーサル・ワクチンの開発に着手しているとの報道はある・・・)。仮に、レプリコン型ワクチンでも、変異株が出現する度に改めて対応型のワクチンを接種する必要があるとしますと、接種者の体内では、常に膨大な種類の複数の対コロナウイルス抗体が同時に生成されることになり、免疫老化を促進する可能性もあります。

 何れにしましても、レプリコン型ワクチンには健康被害が発生する可能性が否定できないのですが、mRNAワクチンに際しての政府と製薬会社との契約を思い出しますと、日本国民は、別の心配をしなければならなくなります。何故ならば、この時、日本国政府は、ワクチンの大量入手を最優先課題とみなし、ファイザー社やモデルナ社といった大手製薬会社との間に免責条項を設けた契約を締結しているからです。その契約とは、新型のワクチンであるmRNAワクチンの接種によって如何なる健康被害が生じたとしても、それを製造・販売したこれらの製薬会社は一切の賠償責任を負わない、とするものです。しかも、知的財産権の保護を根拠としてワクチンの成分を調べることも禁じられたのです。

 こうした免責条項付きの契約につきましては、法律的な見地からは、リスク情報の隠蔽などを根拠として無効や取り消しを主張することもできますし、各国政府とも、即刻、これに向けて方向転換すべきなのでしょうが、仮にレプリコン型のワクチンを原因とする健康被害が発生した場合、同ワクチンのメーカーが免責となるのか、否かは、定かではありません。この点、レプリコン型ワクチンは、国産であることが注目されます。前者とは異なり、政府が直接にアメリカの製薬会社と契約を結んで輸入するという形態ではなく、日本国内にあって、日本企業が製造・販売を担い、その購入者も国内の医療機関となりましょう。言い換えますと、国内メーカーは免責されることなく、健康被害に対しては、通常のワクチンと同様に賠償責任を負うものと想定されるのです。そして、仮に、上述したリスクが現実化すれば、その賠償額は天文学的となるかも知れません(シェディングが生じれば、非接種者も被害者に・・・)。しかも、レプリコンワクチンの接種者の殆ど100%が従来型のmRNAワクチンの接種者でしょうから、何れのワクチンでの健康被害なのか判別が付かない状態の中で、日本企業のみが責任を負わされてしまうと言う展開もあり得ることとなります。

 レプリコン型ワクチンにつきましては、2023年11月28日に既に「Meiji Seika ファルマ」が厚生労働省から承認を受けており、世界で最初の承認事例として報じられています。同社に留まらず、新興バイオ企業であるVLPセラピューティクス・ジャパンなども同市場への参入に名乗りを上げており、創薬大国を目標に掲げる日本国政府も、同動きを後押ししています。

 国産ワクチンは安全とするイメージがありますが、既にネット上で批判を浴びているように、mRNAワクチンと同様に十分な治験を経ているのか、怪しい限りです。短期開発、即、実用化の流れからしますと、‘日本人のモルモット化’という表現も強ち誤りではないように思えてきます。既に、米大手製薬会社も、日本国を治験の拠点とすべく、日本国政府との協力方針を表明しています。ワクチン被害が内外から報告されている今日、もしや日本企業のみが‘ババを引く’あるいは、引かされると共に、過去の失敗に学ばずに第二のワクチン禍を招き、多くの国民の健康が損なわれるのではないかと、危惧するのです。

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レプリコン型ワクチンは極めて危険なのでは?

2024年05月30日 09時51分20秒 | 日本政治
 政府もマスメディアも、申し合わせたかのように安全性を強調していた新型ワクチン、すなわち、mRNAワクチンが、甚大かつ広範な健康被害をもたらしたことが明るみとなり、今日では国民の政府に対する信頼はすっかり地に落ちてしましました。政府が主導したワクチン接種プロジェクトは、同調圧力に弱い国民性が悪用された事例でもあり、反省すべき点に満ちています。ワクチン禍として歴史上の汚点ともなりかねない事態に発展しつつあるのですが、日本国政府は、二度と同じ過ちを犯さないように誓うどころか、同様の誤りを繰り返そうとしているように見えます。

 今般、国民の多くが不安を抱いているのは、mRNAワクチンを改良したとされるレプリコン型のワクチンです。同ワクチンは、自己増殖型とも称されており、接種した人の体内で、投与された人工mRNAが自動的に増殖するという新しいタイプのワクチンです。従来のmRNAワクチンが時間の経過と共に抗体が減少してゆくのに対して、レプリコン型のワクチンは、少量の投与であっても自己増殖するので、継続的に抗体がつくられ、効果が長続きすると説明されています。

 しかしながら、この長期増殖性は、コロナワクチン接種プロジェクトが開始されるに際して、接種後、早期に体内の人工mRNAが分解されることをもって安全とした説明と矛盾しています。すなわち、人工mRNAが体内に残り、かつ、有害性が指摘されているスパイクタンパク質を産生し続けますと、当然にワクチン接種者にあって健康被害が生じるというリスクがありました。この懸念に対して、接種を薦める側は、DNAに逆転写されることも、長期的に体内に残留することはないので、心配するには及ばないと説明していたのです。

 mRNAワクチンの安全性に関する同説明からしますと、レプリコンワクチンの出現は、一般の人々にとりまして恐怖でしかありません。半永久的に人工mRNAが体内において自己増殖してゆくのですから。しかも、それが、身体全体の細胞内部にあってスパイクタンパク質を生成し続け、しかも、時間の経過と共に増殖してゆくとしますと、これは、殆ど、新型コロナウィルスの感染、あるいは、同ウイルスの潜伏状態と凡そ等しくなります。否、新型コロナウイルスには人工ウイルス説がありますが、同ウイルスが人工的に造られたものであれば、レプリコンワクチンとは、‘人工生ワクチン’に限りなく近いのかもしれません。

 そして、ネット上などで指摘されているように、レプリコンワクチンの接種によって接種者の体内で増殖されたmRNAが、何れの経路であれ体外に排出され、それが他者の体内に取り込まれるとすれば、被接種者へのシェディング(伝播)の問題が発生します。レプリコン型ワクチンが‘人工生ワクチン’であれば、一般の生ワクチンと同様に、症状の発現の有無に拘わらず、‘感染’と言うリスクが伴います。他者に対する影響については、レプリコン型ワクチンの接種を推進したい人々は、自動的に集団免疫が実現するとして歓迎するのでしょうが、一般の人々からしますと、本人の同意なくワクチンを接種させられることを意味します。これは、インフォームドコンセプトの原則にも反する‘沈黙の強制’ですし、レプリコン型ワクチンの有害性を知りながら同ワクチンの接種を進めますと、最悪の場合、無差別殺人ともなりかねないのです。

 mRNAワクチンについては、パンデミックを根拠として、十分な安全性に関する確認作業を経ぬままに緊急にその使用が許可されました。一方、レプリコン型ワクチンについては、感染状況が危機的状況にあるわけでもなく、承認を急ぐ必要性もなかったはずです。また、国民の多くがワクチン被害を認識するに至った今日、警戒こそされ、同ワクチンを自発的に接種しようとする人は少数に留まることでしょう(もっとも、シェディングが起きれば、たとえ接種者が少数であっても、時間の経過と共に全体に広がってしまう・・・)。今の時点であればまだ間に合いますので、上述したリスクを考慮し、レプリコン型ワクチンについてはコロナワクチンを教訓として、ここで立ち止まるべきではないかと思うのです。

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東京都知事選挙は女性対決による二頭作戦?

2024年05月29日 11時49分39秒 | 日本政治
 かつて、日本国の集団的自衛権をめぐり、‘権利はあるけれども行使できない’とした内閣法制局長の言葉が物議を醸しましたが、選択する権利が保障されていながら、その実、この権利は行使できない、という状態は、あり得ないようであり得ることです。権利があってもその権利を行使することができなければ、その権利は存在しないに等しく、たとえ権利が法律に明記され、厚く保障されていようとも、それは空文となってしまうのです。

 権利がありながらそれが失われるケースの代表的なケースは、実質的に選択肢がない状態となる場合です。例えば、リンゴを5つならべて、「自分の好きな‘果物’を選んでください」といっても、5つとも全てリンゴなのですからこの選択は無意味です。あるいは、三つの形や大きさや色の異なる箱を並べて、「自分の好きなお菓子の入っている箱を選んでください」と言われても、その中身がすべてキャンディーであれば、チョコレートを選びたい人にとりましては、好の箱は選べても、その中身を選ぶことは出来ません。前者よりも後者の方が巧妙なのですが、選択肢をなくしてしまうことは、権利を奪うことでもあるのです。二者択一の状態に追い込み、どちらを選んでも結果は変わらない、あるいは、より悪くなるという二頭作戦は、権利を奪う手法の一つです。

 同手法が政治に使われますと、国民は、参政権という国民の権利も失われかねない重大な事態に直面します。この方法が使われますと、民主主義の実体化でもある民主的選挙制度は、合法的に毀損されてしまうのです。こうした国民の選択肢消滅の問題は、二大政党制の諸国では既に顕在化しています。例えば、アメリカの政党政治は、基本的には共和党と民主党の二つの大政党の対立構図によって特徴付けられてきました。両者は、保守とリベラルという、相反する価値観をもって対立軸を構成してきたのですが、米ソ冷戦の終焉後の90年代当たりから両政党の政策上の違いが曖昧化するという現象が起きています。また、多党制でありながらも、左右の対立軸で二分されてきた日本国の政治を見ましても、今日では、与野党のどちらを選んでも、移民政策であれ、環境政策であれ、デジタル化政策であれ、少子化対策であれ、ほとんど違いが見られなくなっています。何れを選択しても、国民は、民意に添った政策の実現を期待することは難しいのです。

 こうした実質的に選択肢をなくしてしまうという手法を用いようとしますと、これを意図した者は、選択の場そのものをコントロールする必要があります。政治の世界にあっては、全ての政党の上部にあり、かつ、これらの政党に対して決定的な影響を与える、あるいは、命じることができる存在のみが、同手法を用いることができるのです。前出の喩えに当てはめれば、全ての果物をリンゴに決めたり、全てのお菓子をキャンディーを詰めることができる人のみが、選択者から権利を奪うことができるということになります。今日の政治にあっては、各政党に自らの指揮命令系統を浸透させ、選挙全体を上部から操作し得る唯一の存在は、巨大なマネー・パワー、並びに、先端的なテクノロジーを有するグローバリスト、即ち、世界権力というものなのでしょう。前回のアメリカ大統領選挙にあっては、候補者の選定のみならず、電子投票システムをめぐる不正投票疑惑も持ち上がっており、民主主義は危機の時代を迎えているのです。

 憲法が国民に保障する参政権を形骸化してしまう選択肢の実質的な消滅の試みは、今般の東京都知事選挙にも見られるように思えます。現職の小池百合子知事の最有力の対抗馬として、蓮舫氏が登場してきているからです。小池知事については、学歴詐称疑惑に加え、神宮外苑再開発事業で反対運動が起きるなど、目下、都民からの支持率も低下傾向にあります。再選が危ぶまれる中で蓮舫氏が出馬すれば、女性政治家同士の対立という、有権者の関心を引き寄せる格好の構図ができあがるのです。マスメディアの多くも、女性候補者による一対一の対立が都知事選の争点であるかの如くの報道ぶりです。

 二頭作戦、あるいは、選択肢の同一化による権利の消滅という手法が知られていなかった時代には、誰もが選挙に際しての対決構図に疑問を抱かなかったかも知れません。しかしながら、全世界において同手法が広がり、かつ、有権者には選択肢が殆ど無い状態が認識されてきますと、政治をみる国民の視線も自ずと変わってきます。選挙戦そのものが、世界権力が仕組む‘演出’であるかもしれないからです。民主主的選挙制度も、国民に権利があってもそれが行使することができなければ、共産主義国家における‘人民民主主義’と同様に、存在しないに等しくなります。東京都知事選挙に際しても、女性候補対決という二者択一を迫るような二頭作戦が仕掛けられている可能性は否定できませんので、有権者は、大いに警戒すべきではないかと思うのです。

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中国の台湾領有権主張は法廷で判断を

2024年05月28日 13時12分23秒 | 国際政治
 中国の習近平国家主席は、1949年10月10日の中華人民共和国建国以来、国是としてきた‘一つの中国’を実現すべく、台湾に対する武力併合を試みようとしています。同方針は、全加盟国に平和的解決を義務付けている国連憲章に違反することは明白です。他国からの攻撃に対する正当防衛のための武力行使でもありませんので、‘自衛’を根拠に正当化することも不可能です。現代にあっては、圧倒的に多数の人が国際法上の違法行為と見なすのですが、中国のみが、台湾の武力併合に対して犯罪の自覚も罪悪感もなく、自らを貶めるような不名誉な行為を実行に移そうとしているのです。

 中国という国家は、それが世界権力からの指令であれ、道徳心も倫理観も欠けている‘サイコパス国家’ということになるのですが、仮に、中国が、自らの台湾併合が正当な行為であると信じているとしますと、その唯一の拠り所は、‘過去にあって自国が領域とした時期があった’という点に尽きます。中国は、“大清国の時代に台湾が直轄領であった”ことを根拠に、台湾併合を‘取られたものを取り返す正当な行為’と見なしているのです。目的は手段を正当化せず、人民解放軍による台湾侵攻は、何れであれ国際法違反となるのですが、そもそも、中国の主張は、台湾併合の正当な根拠となり得るのでしょうか。台湾問題を平和的に解決するためには、先ずもって、中国の主張を、国際法に照らし、客観的な立場から厳正に吟味する必要がありましょう。

 同問題については、凡そ二つのアプローチがあります。第一のアプローチは、中国側の領有権の正当性を判断するものであり、第二のアプローチは、台湾側の独立的な国家としての地位を審査するというものです。これらの両アプローチは表裏一体なのですが、おそらく、何れのアプローチでも、国民国家の承認要件である国民、領域、主権の何れから検討しても、中国側の主張が否定されるものと推測されます(台湾の法的地位の確定については、本ブログ2022年12月26日の記事を参照・・・)。

 まず国民を見ますと、台湾の住民は、中国(現中国政府)の国籍を有する中国人ではありません。最初に同島に住むこととなった人々は、オーストロシア語系の諸部族の人々であり、‘華人’ではないのです。17世紀以降は、同島のオランダ支配を背景に現在の福建省当たりの南方系華人の人々が移住し、多数派となりましたが、これらの人々も‘中国籍’の人々、即ち中国(現中華人民共和国)の国民ではありません(因みに、大清国でさえ初めての近代国籍法である「大清国籍事例」を制定したのは、1909年3月28日に過ぎない・・・)。台湾国民の形成の過程からしますと、所謂‘新大陸’における諸国家の移民国家の形態に近く、‘中国人の国家’とは言えないのです。この側面は、第一のアプローチからしますと、中国が、台湾の国民をもって中国の国家とは言えない根拠となりますし、第二のアプローチからしますと、台湾が、台湾人という固有の国民、すなわち、民族(国民)自決の原則の下で、集団としての台湾人が、独立国家を有する政治的権利をもつ国であることとなります。

 次に領域から調べてみますと、台湾は、上述したようにオーストロシア語系の諸部族の居住地であった時期が長期に亘っています(1732年まで西南部には大肚王国が存在しており、日本国の史料には、‘高山国’の名もある・・・)。大航海時代以降は、植民地支配を合法行為と見なした未熟な近代国際法の下で、一部であれオランダやスペインが領有した時期もありました。その後は、鄭成功が反清復明の拠点として支配下に置いたことが呼び水となって、大清国の直轄地となるのです。大清国の直轄地となった台湾は、日清戦争の講和条約として締結された下関条約によって日本国に割譲されることとなりますが、少なくとも、清領であった時期は、1683年から1895年までの凡そ200年間に過ぎないのです。国民国家体系が成立している現代にあって。過去の‘帝国’の版図を根拠とした領有権主張が認められるはずもありません。このことは、第一のアプローチからしますと、中国には領有権を主張する根拠はなく、第二のアプローチからしますと、台湾国民にとりましては、‘固有の領土’を主張し得ることを意味します。

 それでは、主権はどうでしょうか。上述したように、大清国が台湾島を直轄地としたのは僅か200年足らずであり、また、今日、中華人民共和国の主権が及んでいないことは明白です。国共内戦に敗れた国民党の蒋介石相当が台湾島に中華民国の首都を移した行為も、同島に対する正当なる自国の主権主張の法的根拠ともなりません。何故ならば、たとえ台湾の中華民国を亡命政府と捉えたとしても、新国家(中華人民共和国)の主権は、亡命先の国民や領域には及ばないからです。主権に関しても、その歴史的並びに法的根拠を調べれば、中国側に分がないことは明白です(第一のアプローチ)。そして、第二のアプローからしますと、台湾の国家主権は既に確立していると言えましょう(詳しくは、本ブログ2022年12月26日付け記事を参照)。

 台湾問題を平和的に解決し、台湾有事を未然に防ぐためには、中国に対しては台湾に関する領有権主張は、国際司法裁判所(ICJ)に対して行なうべき旨を伝えると共に、台湾も、一刻も早く、自らの独立国家としての法的地位を確認すべく、いずれかの国際司法機関であれ、訴訟を起こす意向を内外に向けて表明すべきと言えましょう。台湾については、習近平国家主席が軍事力の行使を公言していますので、国際刑事裁判所(ICC)に対して‘犯罪未遂’で訴えるという選択肢もあります。台湾有事は日本国のみならず、全世界を第三次世界大戦に巻き込むリスクがあるのですから、具体的な未然防止策の実行に着手すべきであると思うのです。

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駐日中国大使の犯罪予告発言の問題

2024年05月27日 12時15分00秒 | 国際政治
 先日5月20日、在日中国大使である呉江浩氏の発言が、メディア各紙でセンセーショナルに報じられることとなりました。日本国民の多くを震撼させた発言とは、「日本の民衆が火のなかに連れ込まれることになる」というものです。同発言の意図は、習近平国家主席が武力併合を示唆している台湾有事に備え、目下、準備が進められている日米同盟強化の動きを牽制することにあるとする見方が有力です。‘台湾の独立や中国分裂に加担すれば’という条件を前置きしているのですから。

 もっとも、台湾侵攻については、第三次世界大戦の誘発を狙う世界権力による計画の一環である可能性は高く、純粋に‘中国の夢’の実現を目的としているとは限りません(世界験力の夢?)。昨今の台湾周辺海域における人民解放軍の活動の活発化も、ヘリコプター墜落事故を機としたイラン参戦のシナリオの雲行きが怪しくなってきたために、戦争拡大の第一連結点を台湾に変更したとも考えられます。仮にこの推測が正しければ、上述した呉駐日大使の発言は、アメリカ並びに日本国に対する威嚇というよりも、日本国民の対中感情をなお一層悪化させ、敵愾心を煽るための扇動、あるいは、挑発であったことになります。中国側による‘不都合な発言’については常々隠す傾向にあったマスメディアが喜々として報じたところからしますと、後者の可能性の方が高いと言えましょう。来るべき第三次世界大戦では、日中両国を、ミサイルを打ち合う‘相互破壊関係’に持ち込む予定なのでしょうから。

 何れにしましても、呉大使の発言は、日本国民が戦争に巻き込まれる事態が絵空事ではないことを示したのですが、見方を変えますと、中国、あるいは、世界権力は、同発言によって墓穴を掘ってしまった可能性も否定はできないように思えます。何故ならば、同発言の内容を現実に実行しようとすれは、明らかに戦争法違反の行為となるからです。つまり、中国は、‘これから犯罪行為を行ないます’と宣言しているに等しいのです。

 一方、今日の国際社会では、国際司法諸機関が、国際法上の違法行為に対して具体的な行動を起こしています。例えば、ICJ(国際司法裁判所)は、今年の1月26日に、イスラエルに対してパレスチナ自治区ガザ地区のパレスチナ人への集団殺害を防止するための暫定的な措置を、次いで今月5月24日には、ラファへの攻撃を即時停止するように命じています。その一方で、ICC(国際刑事裁判所)でも、ネタニヤフ首相を含むイスラエル並びにハマス両者の責任者に対して、主席検察官から逮捕状の発行が請求されています。イスラエルの後ろ盾であるアメリカ等の少数の国はこれらの動きに背を向けつつも、国際社会にあっては、圧倒的に多数の諸国が司法諸機関の措置を支持しているのです。法と理性に照らせば、司法機関の対応は当然のことと言えましょう。国連は安保理における常任理事国の拒否権の前に機能不全に陥るのを常としていますので、国際司法諸機関は、紛争の解決に対する重要性を、日々、増しているのです。

 法の支配を確立すべく司法機関の活動が活発化している現状にあって、呉大使が自らの発言が‘犯罪予告’になっていることに気がついていないとすれば、これは、大問題です(もっとも、チベット人やウイグル人に対しては既にジェノサイドを実行しており、犯罪国家となっている・・・)。仮に、中国が同発言通りに日本国を攻撃し、一般の民間人を‘火の中に連れ込め’ば、習近平国家主席も、ICCにおいて訴追されることが当然に予測されます(台湾国民に対しても虐殺すれば戦争犯罪・・・)。ICJも、国際法上の違法行為として中国の台湾侵攻に対処することでしょう。ロシアの軍事介入やイスラエルによるガザ地区攻撃以上に、武力による現状の一方的な変更を実行した中国側に非がある、すなわち、犯罪を構成する違法行為があることは明白であるからです。

 呉大使の発言を重く見た日本国政府は、林外相が外交ルートを通して中国に対して抗議したそうですが、遺憾の意の表明では手ぬるく、外交関係に関するウィーン条約の第9条に基づいて同大使を「好ましからざる人物(ペルソナ・ノン・グラータ)」として追放すべきとする意見もあります。しかしながら、ここは、在日中国大使個人や日中の二国間関係の問題に留めず、国際犯罪の問題として対応すべきように思えます。全世界の諸国が関わる国際法秩序全体の問題なのですから。そして、台湾の武力併合そのものが、平和的解決を求める国連憲章に明記された加盟国の義務に反するとしますと、国際社会は、台湾有事を未然に防ぐために、あらゆる手段を講じるべきではないかと思うのです(つづく)。

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ウクライナに見る民主制から独裁制への体制移行

2024年05月24日 09時44分38秒 | 統治制度論
 ロシアと交戦状態にあるウクライナでは、今月5月20日に任期満了を迎えたウォロディミル・ゼレンスキー大統領が続投を表明しています。大統領職の継続は、同国では大統領選挙が実施されず、同国が民主制から戦時独裁体制へと移行したことを意味します。民主制から独裁制への移行は、戦間期におけるドイツのヒトラー政権の誕生にも見られましたが、今般のウクライナでの出来事は、戦争が体制移行を伴うことを示す同時代的な事例と言えましょう。

 ゼレンスキー氏が大統領選挙に当選し、圧倒的な支持率をもって同職に就任したのは2019年5月20日のことです。同氏は、ひょんなことから大統領となった人物が持ち前の正義感からウクライナを腐敗政治から救うという筋立てのドラマ、『国民の僕』に出演し、ヒーロー役、即ち、大統領役を務めたコメディアンでした。ウクライナ国民が同氏を大統領として歓迎したのも同ドラマを抜きにしてはあり得ず、いわばマスメディアが生み出した大統領であったとも言えましょう(なお、同ドラマを作成したテレビ局のオーナーは、ユダヤ系オリガルヒのイーホル・ヴァレリヨヴィチ・コロモイスキー・・・)。

 5年前の大統領選挙では、国民の大多数がゼレンスキー大統領に期待したのは、ドラマで演じた大統領の如く、長らくウクライナの政界に染みこんでいた汚職体質の一掃であったはずです。現実とフィクションとの区別がつかないまま、国民は後者のイメージで前者を大統領に選んだのであり、ロシア相手の戦時の指導者となるとは想定外であったことでしょう。つまり、ウクライナの民主体制にあって国民の主たる投票の判断基準は汚職対策への期待であり、決して戦争指導者ではなかったはずなのです。

 そして、このウクライナの事例は、民主的選挙制度の弱点を示してもいます。それは、国民は、選挙時点での内外の状況、あるいは、その時点で予測できる範囲においてしか投票先を選ぶことができず、その後に起きる不測の事態や予想外の変化に対しては無力となってしまう問題です。この側面は、ロカルノ体制を打破するドイツの‘救世主’としてヒトラーを積極的に支持する国民が少なくなかったドイツの歴史的事例とは異なっています。今日のウクライナのゼレンスキー大統領続投は、選挙後に重大なる事情の変化がありながら、大統領が居座ってしまう事例なのです。

 民主的な選挙制度は、状況に合わせた為政者の交換がそのメリットの一つです。ところが、いざ戦時下ともなりますと、権力の空白が生じる、国民が安全に投票所に向かうことができない、あるいは、職務の継承における混乱や不安定化が懸念されるといった理由から、選挙の実施が難しくなるのです。また、敵国による選挙干渉もリスクの一つとして指摘されています。かくして戦争は、民主主義体制の国家であったとしても、独裁体制への移行に口実を与えてしまうのです。

 国民の側も、有事にあっては戦時独裁体制への移行も致し方ないとして受け入れてしまう警告にあります。そして、この受容的心理が、むしろ、独裁体制を常態化し、戦争を長引かせるという結果を招いているとする見方もできるのです。もっとも、この国民の独裁容認は、心理作戦がもたらした一種の思い込みであり、実際には、大統領選挙の実施は不可能なことではないのでしょう。ウクライナであれば、国民が戦争の継続を望むのであれば、ゼレンスキー大統領が当然に再選されるでしょうし、戦争の早期終結を公約に掲げた候補者が当選すれば、民意は、戦争継続にはないこととなりましょう。

 日本国内で憲法改正の論点ともなっている非常事態条項の新設が危惧されるのも、上述した民主主義の弱点に因ります。目下、岸田内閣の支持率は20%台という低迷状態にありますが、予期せぬ緊急事態が発生し、有事ともなりますと、岸田首相に権限が集中すると共に、日本国でも戦時独裁体制へと移行します。そしてその体制は、グローバルな戦争利権が絡むことにより、長期化することが予測されるのです。国民の信頼なき指導者の長期独裁化のリスクを考慮すれば、むしろ、戦時こそ選挙を実施すべきとも言えるのです。

 なお、ブラウン管から現実の政治に飛び出してきたゼレンスキー大統領の登場は(今日ではブラウン管ではなく液晶画面でしょうが・・・)、同大統領と同じくコメディアンであったチャールズ・チャップリンが監督・主演を務めた『独裁者』を思い起こさせます。銀幕の世界に留まる同作品では、自由で平和な時代の到来を予測させるハッピーエンドで幕を閉じるのですが、現実のウクライナは、逆に、国民は戦時独裁体制という檻の中に閉じ込められてしまいました。5年前の就任式にあっては高揚感に満ちて笑顔を振りまいていたゼレンスキー大統領は、今では、陰鬱で疲れた表情を浮かべながら大統領の執務席に座っているそうです。喜劇俳優から悲劇俳優に転じたかのように。そして、あるいはこの現実こそ、世界権力が配置した俳優達が入れ替わり立ち替わり自らの役を演じる、壮大なる劇であるのかもしれないとも思うのです。

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アメリカは法廷でネタニヤフ首相等の無罪を主張すべき

2024年05月23日 10時31分23秒 | 統治制度論
 先日の5月20日、国際社会からの批判に耳を貸そうともせず、イスラエルがガザ地区第二の都市ラファ攻囲を進める中、国際刑事裁判所(ICC)のカリム・カーン主任検察官は、イスラエル並びにハマスの両指導者に対する逮捕状を請求したことを明らかにしました。同主任検察官は、ロシア・ウクライナ戦争に際しては露骨なほどに後者寄りの姿勢を見せていましたので、このときは、ICCの中立性に疑問が持たれたのですが、イスラエル・ハマス戦争については、紛争の両当事者を公平に扱っているようです。10月7日以降の行為に限定されているとはいえ、両サイドともに等しく、戦争犯罪並びに人道上の罪が問われたからです。

 もっとも、イスラエルとハマスとの関係は必ずしも敵対関係にあるとは言えない側面があります。そもそも、ヨルダン川西岸地区とガザ地区との分断を目的として、イスラエルがハマスを背後から支援し、ガザ地区を実効支配するまでに育て上げたとされます。このため、戦争の発端となったイスラエルの音楽祭に対する残虐極まるテロ行為も、大イスラエル主義に基づくガザ地区併合を狙ったイスラエルとハマスとの合作、あるいは、正当防衛の根拠を得るためのイスラエル側の意図的な黙認の可能性も指摘されています。イスラエルとハマスが共にユダヤ系世界権力が自らの世界戦略を実行させるための‘駒’であるならば、ICCが訴追しようとしているのは、背後に控えている‘真犯人’、即ち、両者を操ってきた世界権力であるのかもしれません。

 同逮捕状の請求が意味するところについてはより深い考察を要するものの、敵味方の関係なく(戦争の勝敗に関係なく)、戦争当事者の犯した罪を等しく裁くことは、司法の原則に叶っています。否、司法の使命そのものでもあります。戦争犯罪も人道上の罪も、その行為自体が罪なのであり、この点、ICCのカーン主席検察官の行動は、国際社会における法の支配の確立に向けて一歩、歩を進めたことにもなりましょう。実際に逮捕状が発行されるか否かは、今後の予審裁判部の判断に委ねられるのですが、それでも逮捕状の請求は、国際司法制度の発展において意義があるのです。

 ところが、ICCに対する反応として失望させられたのは、アメリカの態度です。逮捕状が請求されたイスラエルとハマス双方の責任者達、すなわち、イスラエル側はネタニヤフ首相とガラント国防相、ハマス幹部側はシンワル氏、デイフ氏、ハニヤ氏が、容疑者とされたのですからICCを非難するのは理解に難くありません。その一方で、両者に増して激しく反発したのが、これまで法の支配の確立を訴えてきたアメリカなのです。連邦議会では既にICCに対する制裁案が提出されており、アントニー・ブリンケン国務長官も、連邦議会議員との協力の下でICCへの制裁を検討すると述べています。バイデン大統領も、言語道断とばかりに怒りを露わにし、イスラエル支持の立場を貫こうとしているのです。

 こうしたアメリカの激しい拒絶反応の背景には、同国がイスラエルに次いで世界大二位のユダヤ人人口を抱える国であると共に、そのマネー・パワーによって、同勢力が実質的に米国の‘支配権’を握っているという由々しき現状があります。アメリカは、国際社会にあって決して中立・公平な立場にある国ではなく、少なくとも連邦政府レベルでは、凡そイスラエルと一心同体なのです。

 しかしながら、仮にアメリカの実態が‘拡大イスラエル’であったとしても、また、アメリカが国連の常任理事国にして世界屈指の大国であったとしても、それがICCの活動に対して同国が介入する正当な根拠とならないことは、言うまでもありません。否、国内の司法制度がそうあるように、司法の独立性こそ護られなければならず、公的であれ私的であれ、あらゆる介入は許されないのです。ましてや、アメリカは、ICCの締約国でもありません。

 仮に、アメリカがICCによるイスラエルの指導者を無罪であると主張するならば、それは、横やりを入れるのではなく、正当なる司法手続きに従い、法廷において争うべきです。アメリカは、ハマスの幹部の居場所に関する秘密情報を握っていたと報じられるぐらいですから(同情報の提供をラファ侵攻中止の取引条件としたとも・・・)、当事国であるイスラエル以上にガザ地区の状況に関する情報を入手しているはずです。ICCの締約国ではないものの、同事件の関係国として、イスラエルの指導者達の無罪を立証するための証拠を提出したり、法廷にて証言することはできるはずです。

 適切かつ合法的な手段がありながら、それを採らないとしますと、ネタニヤフ首相並びにガラント国防相の有罪を確信しているからこそ、裁判を妨害していると見なされてしまいます。このため、ICCに対する締め付けを強めれば強めるほど、アメリカの国際社会における信頼性が低下することだけは疑いようもありません。“有罪者”の擁護者に成り下がってしまうのですから。如何なる事情があろうとも、何れの国であれ、国際社会にあって犯罪行為を許してはならないのです。世界に先駆けて三権分立を確立した国家でもあるアメリカは、自らの理性や倫理性が問われていることに気がついているのでしょうか。

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イランの墜落事故は第三次世界大戦を阻止した?

2024年05月22日 10時09分36秒 | 国際政治
 イランで発生した大統領並びに外相を載せたヘリコプターの墜落事故は、一先ずは偶発的な事故として処理される方向に向かっているように見えます。たとえ‘事件性’があったとしても・・・。この流れからしますと、同事件は、イスラエル・ハマス戦争がイスラエル・イラン戦争へと拡大し、第三次世界大戦への導火線となるのを防いだとする推測も成り立つように思えます。

 イランにおけるヘリコプター墜落事件の一報が報じられた際には、多くの人々が、イスラエルによるイラン大統領並びに外相の暗殺事件ではないか、と疑ったことでしょう。イスラエルはかのモサドを擁する国ですので、外国の要人暗殺は‘お手のもの’とするイメージもあります。世界各地でミサイルが飛び交う第三次世界大戦の凄惨で破壊的な光景まで脳裏に思い浮かんだ人も少なくないかも知れません。得てして戦争の発端には、激化へと向かう重大な分岐点となりながら真相不明な事件が起きるものであり、同墜落事件も、まさしく半ばパターン化されている戦争プロセスを辿っているようにも見えたからです。

 しかしながら、少なくとも現時点では、イスラエル側が自国による暗殺を否定すると共に、イラン側もイスラエル犯行説を強く主張してはいません。双方共に慎重な姿勢を見せており、同事故が、条件反射的に戦争を引き起こす可能性は然程には高くないようです。そして、この双方の抑制的な対応は、世界権力による第三次世界大戦計画の存在を仮定しますと、幾つかの別の推理をもたらします。

 第一の推理は、ライシ大統領もアブドラヒアン外相も、共に世界権力が密かに配置した‘手下’であったため、国軍を含むイラン内部の反世界権力勢力によって暗殺されたというものです。言い換えますと、両者を、世界権力からの指令を受けてイスラエルとの開戦に動いている国家の‘裏切り者’と見なした愛国主義者もしくは反体制派が、同計画を阻止するためにその‘キーパーソン’となる人物達を排除してしまったことになります。客観的に見ますと、ハマスあるいはアラブ支援を根拠とする対イスラエル戦争は、厳しい経済制裁下にあり、かつ、シーア派が主流となるイランにとりましては不合理な選択でもあります。イラン国民の多くも対イスラエル開戦を支持しないことでしょう。この推理が正しければ、墜落事故は、戦争促進ではなく抑止の方向に強く働いたこととなります。

 第二に推理されるのは、大統領と外相に仕掛けられた謎の墜落事故は、イランの最高指導者であるハメネイ師に対する一種の‘脅し’であった可能性です。ライシ大統領は、ハメネイ師の後継者として有力視されてきた人物であり、腹心の部下の立場にありました。1979年のイスラム革命そのものが、世界権力が裏から意図を引いていた可能性が高い点を考慮しますと、イラン政治への介入を常としてきた世界権力がハメネイ師に圧力をかけているとする見方もできます。第三次世界大戦を招来すべくイスラエルとの開戦を命じているにも拘わらず、同師自身、もしくはその‘指導’下にある大統領と外相が忠実に指令に従わずに躊躇していたかもしれないからです。この見立てですと、今後のハメネイ師の動向が注目されましょう。

 そして、第三の推理として挙げられるのは、イラン国内における‘もみ消し説’です。これは、墜落事故そのものは戦争拡大を目的として世界権力の指令に従って‘実行部隊’によって起こされたものの、同事故の意図を見抜いたハメネイ師、あるいは、イラン政権内の‘独立派’の勢力が、同事件を事故として処理したとするものです。この場合、ヘリコプターを墜落させた‘実行部隊’はイラン国内の工作組織とは限らず、CIA、MI6、人民解放軍、ロシア連邦保安庁をはじめ世界権力のコントロール下にあるあらゆる組織にその可能性があります。また、同墜落事故は、戦争誘発のための偽装であるかもしれず、ライシ大統領もアブドラヒアン外相もどこかで生存しているかもしれません。

 以上に幾つかの可能性を推理してきましたが、何れも過去の歴史を振り返りますと、必ずしも頭から否定できない側面があります。謀略によって歴史が動かされるケースは、枚挙に暇がないからです。そして、今般のイランの戦争回避の動きが、中国による台湾をめぐる強硬発言や対日威嚇、並びに、任期切れを迎えたゼレンスキー大統領の続投宣言などと関連しているとしますと、イラン路線を諦めた世界権力が、別の箇所で第三次世界大戦への導火線を敷いている可能性にも十分に留意すべきではないかと思うのです。

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イランの行動に注目を-第三次世界大戦への序曲としないために

2024年05月21日 11時55分45秒 | 国際政治
 1979年にイスラム教の宗教的指導者であったホメイニ師が中心となって起こしたイランのイスラム革命は、同国を厳格なイスラム教の教義に基づく宗教国家に変貌させてしまいました。そのイランにおいて、今般、ヘリコプターの墜落により、エブラヒム・ライシ大統領とホセイン・アブドラヒアン外相を同時に失うという前代未聞の事件が発生しました。

 イスラエル・ハマス戦争の最中にあって、イスラエルとイランは一触即発の緊張状態にあり、ヘリコプターの墜落事故には様々な憶測が飛っています。そして、イスラエルの背後には世界権力が控えているとなりますと、同事故は、戦争拡大か、戦争阻止かの何れであれ、イスラエル・イラン戦争の先にある第三次世界大戦計画との関係も推測されてきます。

 もちろん、核開発を契機とした対イラン制裁の影響により、イラン政府が保有する航空機の経年劣化や整備不足なども指摘されており、事件性のない偶発的な事故であった可能性も否定はできません。悪天候が影響したとの説もあります。しかしながら、そもそも大統領が搭乗していたヘリコプターが、パーレビ王朝時代にアメリカから輸入されたものともされ、どこか不自然が漂っています。イランのトップは宗教上の最高指導者であるハメネイ師であるとはいえ、大統領や外相と言った要職にある人物が、かくもリスクの高いヘリコプターを使用するとは常識的には考えられないからです(修理に際して部品を要する場合にはアメリカからの輸入が必要であり、かつ、機体の設計図がなければ十分な整備もできない・・・)。

 また、墜落現場の状況からしますと、ミサイル攻撃を受けた形跡は見当たらないとされつつも、今日の科学技術のレベルからすれば、小型ドローンを用いた遠隔操作も可能ですし、指向性エネルギー兵器によって宇宙空間から攻撃を受けた可能性もあります。あるいは、サイバー攻撃によって操縦システムを狂わせ、機能停止にすると言った方法もあるかも知れません。何れにしましても、時期が時期だけに、単なる事故と見なすには不審点が多すぎるのです。

 ヘリコプターの墜落にあって、最も怪しまれるのはイスラエルと言うことになるのですが、‘第一容疑国’となるイスラエルは、自らの関与を強く否定しています。イスラエルの否認からしますと、少なくともイスラエルによる‘仮想敵国の要人暗殺’、犯行声明の発表、それに続く対イラン戦争の開始という筋書きは、計画書あるいは‘シナリオ’にはなかったのでしょう。となりますと、仮に、同事件を契機としてイスラエルとイランの両国間の戦争が始まるとしますと、イラン側が、一方的にイスラエルの犯行であると決めつけ、報復を理由としてイスラエルに宣戦布告をするスタイルとなります。最も強い動機が推測される‘第一容疑国’はイスラエルですので、イラン国民を含めて多くの人々が同説明に納得するかも知れません。盧溝橋事件を始めとして、どの国あるいは誰の犯行であるのか、真相不明な出来事を機に大規模な戦争に発展した事例は決して珍しくはありません。情報化時代を迎えた現代にあっても、戦争の発端が藪の中のケースは少なくなく、むしろ、近現代の戦争とは国際社会を舞台とした壮大なる謀略と見た方が、より事実に近いかも知れません。

 これまでの展開と上記の推理からしますと、仮に、今後、今般の事件がイスラエル・イラン戦争の二国間戦争を引き起こし、それがさらにアメリカ等の介入により第三次世界大戦にまで発展する筋書きが存在するとしますと、同戦争は、イスラエル犯行説の下で行なわれることが予測されます。そこで、国際社会が同シナリオの‘前進’を阻止しようとするならば、先ずはイランに対して自制を求める必要がありましょう。何故ならば、対イスラエル宣戦布告がシナリオに書き込まれ、イランに対して同シナリオに沿った行動をとるよう指令が発せいられているならば、イランは、同シナリオの筋書き通りに行動することが予測されるからです。

 もっとも、国際社会に良心があれば、イランの動きを封じることは不可能なことではありません。具体的には、イランがイスラエル犯行説を主張した場合、国連憲章第六章の問題として扱うという対応です。同章の第34条では、安全保障理事会は調査を実施することができとしています。また、続く第35条は、紛争当事国に加え(2項)、何れの加盟国も如何なる紛争であれ(1項)、安保理や総会に注意を促すことができるとされます。後者の場合、第11条2項に従えば、安保理を介さなくとも紛争当事国に直接に勧告を行なうこともできるのです。現行の制度にあっても選択し得る手段はあるのですから、国際社会は、戦争の拡大の動きが察知された際には、全力でこれを阻止すべきではないかと思うのです(つづく)。

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南海トラフ巨大地震とガス田開発との関係は?

2024年05月20日 10時14分35秒 | 国際政治
 昨今、巨大津波を伴う南海トラフ地震の発生が近いとの憶測から、メディア等では国民に対して被災の覚悟や地震対策を促す記事や情報が頻繁に報じられるようになりました。南海トラフ地震に際しての被害予測は、東日本大震災をはるかに上回るとされ、政府でも、内閣府が同地震発生に際してのシミュレーションビデオを作成して公開しています。同動画では、家屋の倒壊、インフラ施設の崩壊や寸断、大火災の発生等のみならず、津波が到達する最短時間と最大津波高も予測されています。和歌山県で2分、20メートル、三重県で同4分、27メートル、高知県で同3分、34メートル、静岡県で2分、33メートルとされ、避難できる時間は僅か数分です。東海地方から四国にかけての太平洋沿岸地域に住む方々は、生きた心地がしない日々が続いているかも知れません。被災地の広範性に加え、日本経済に与えるダメージも計り知れず、同様に懸念されている首都直下型の地震が重なれば、日本壊滅も絵空事ではないように思えてきます。

 同地震の発生が絶対視されている中、今年に入って、北海道大学を中心とした研究グループによる論文が、俄に注目を集めています(2024年2月21日、国際学術誌 Communications Earth & Environment 誌オンラインで公開)。それは、南海トラフ地震の発生源地帯には、持続的にメタンと水素ガスが生成されているというものです。微生物による堆積有機物の熱分解並びに岩石と水の反応よるもので、メタンの埋蔵量は世界最大級、すなわち、日本の年間消費量の約10倍に当たる1.1 兆㎥と報告されています。

 南海トラフにおける天然ガスに関する研究が進んだ背景には、同地帯での大地震発生の予測があり、他の地域よりも採掘調査等による基礎データの蓄積があったとされています。この説明によりますと、南海トラフ大地震への備えが幸いにして日本国の海底ガス資源の存在を明らかにしたとも言えましょう。しかしながら、その一方で、大地震と地下資源との関係が逆である疑いも頭を過ります。

 実際に、北海道大学のpress releaseでは、同研究の概要に「メタン・水素生成帯は同プレートの地震破壊域と重複しており、地震発生に伴ってメタンや水素ガスが放出され天然ガス資源の形成に寄与していることが予想されます。」とする下りがあります。この説明からしますと、南海トラフ大地震の際には、これらの天然ガス大量に放出されることが既に予測されていることになります。となりますと、むしろ、天然ガスを大量に採掘した結果、地震が発生するという逆パターンもあり得ることになりましょう。シェールガス等の地下資源の採掘に際しても、周辺地域での地震の発生が報告されています。

 南海トラフ大地震につきましては、先日、政府がその発生確率を高めに想定しており、専門家から政府予測は科学的知見に反するとする批判が起きているとする記事も報じられました。仮に日本国政府が、南海トラフ大地震の発生確率を敢えて高く設定しているとしますと、そこには何らかの意図があったはずです。そして、この意図とは、同地区に埋蔵する天然ガス資源に関わるものなのではないかと推理するのです。

 南海トラフの震源地帯については、上述したように綿密な海底調査が行なわれており、「南海トラフ地震発生帯掘削計画」も国際共同研究なようです。国際的な関心事であるとしますと、その背後には、国際的、否、グローバルなエネルギー資源利権団体が蠢いる可能性も否定はできなくなります。昨今、グローバリストの走狗と化している日本国政府は、同利益団体のために、採掘に伴う南海トラフ大地震の発生を自然災害に見せかけようとしているとする推測も成り立つように思えるのです。政府にとりましては、南海巨大トラフ地震の発生は、既定路線なのです。その一方で、散々、南海トラフ巨大地震は自然現象であるとすり込まれてきた日本国民の多くは、同地域で実際に大地震が発生しても、政府の予測通りであったと納得することでしょう。

 何れにしましても、日本国の太平洋沿岸のトラフには、莫大なエネルギー資源が眠っていることが明らかとなったことから、南海トラフ大地震に対する国民の視線も自ずと変化してくることでしょう。計画的な人工地震の可能性を考慮しますと、急ぐべきは安全なガス採掘技術の開発であり、グローバルな巨大エネルギー利権団体のために国民を犠牲に供することは決してあってはならないと思うのです。

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対イスラエル制御問題―国連からの‘除名’という方法

2024年05月17日 10時21分14秒 | 国際政治
 イスラエルによるガザ地区住民に対するジェノサイド、並びに、ラファ侵攻を止める方法としては、先ずもって、全ての諸国がイスラエルに対する国家承認を取り消すという方法があります。同手段は、独立国家の主権に基づく対外政策として行なわれますので、各国の政府が独自に判断することができます。EU諸国のように、国家承認の要件として国際法の遵守を設定している国も少なくありませんので、既に承認済みの国家に対しては、国際法上の違法行為は承認取り消しの正当な根拠となりましょう。そして、もう一つ、目下、暴走状態にあるイスラエルを制御する手段として挙げられるのは、国連における同国の事実上の除名です。

 国連憲章の第6条には、同組織からの除名に関する条文が記されています。短いですので全文を載せますと「この憲章に掲げる原則に執拗に違反した国際連合加盟国は、総会が、安全保障理事会の勧告に基づいて、この機構から除名することができる」とあります。同条文は、発足当初から、国連が、平和的解決等を原則に違反する加盟国が出現することを想定していたことを示しています。

 ここで、国連からの除名が法的に可能であることを確認はしたのですが、同条文は、除名に至るまでの手続きを記したものでもあります。これによれば、安保理による勧告⇒総会での除名決議の採択という手順となります。同手続きにおいて高いハードルとなりそうなのは、最初のステップとして定められている安保理の勧告です。国連安保理では、常任理事国に事実上の拒否権を認めていますので、親イスラエルの立場にあるアメリカ、イギリス、フランスのみならず、ユダヤ系勢力の強い影響下にあるロシアや中国までも、拒否権を発動する可能性があるからです。

 それでは、イスラエル除名は不可能なことなのでしょうか。常任理事国による拒否権行使を逃れる方法は、ないわけではありません。ここで注目されるのが、国連憲章の第18条2です。同条項には、「重要問題に関スル総会の決定は、出席し且つ投票する構成国の三分の二の多数によって行なわれる。・・・」とあります。同条項が定める重要問題事項には‘加盟国の除名’も列挙されていますので、国連総会にあって出席し投票した国の3分の2の賛成を得ることができれば、イスラエルの除名は実現するのです。しかしながら、除名の場合、先述した第6条がありますので、総会のみでの決定できると解釈することは困難です。そこで参考となるのが、1971年10月25日に成立した「アルバニア決議」です。同決議の成立に際しては、安保理が全く関与しなかったからです。

 「アルバニア決議」の内容とは、中国に国連の代表権を与えるというものです。この議題が重要問題として扱われたのは、第18条2にあって、重要問題の一つとして‘加盟国としての権利及び特権の停止’が含まれているからなのでしょう。否、同決議は、アメリカ等の西側諸国の拒否権の行使が予測される安保理を迂回しつつ、中国の国連加盟を代表権の‘停止’ではなく‘付与’という形で実現したのですから、共産国家中国を国連に招き入れるために、東側諸国が、第18条2を強引に反対解釈したとも言えます。一方、今般のイスラエルの場合は‘権利の停止’ですので、同条項に関する解釈問題は生じません。この方法をとれば、たとえ第6条に基づくイスラエルの除名が叶わなくとも、総会への出席や投票権を含めてあらゆる国連関連の諸々の権利を停止させることはできます。この措置は、事実上の除名とも言えましょう。

 ディアスポラ以来、自らの国を失ってきたユダヤ人にとりまして、1947年5月14日の建国は、民族の悲願であったはずです。二千年余りの間、流浪の民であったユダヤ人であるからこそ、国家承認の取り消しや国連からの事実上の除名は、相当に堪えることでしょう。再び自らの国家を失う危機となりかねないのですから。今日、とかくに軍事的措置に傾く傾向がありますが、非人道的行為や違法行為を思いとどまらせるためには、知恵こそ絞るべきと思うのです。

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‘爪でも戦う’ネタヤフ首相を止める方法-イスラエルに対する国家承認の取り消し

2024年05月16日 11時33分15秒 | 国際政治
 イスラエルのネタニヤフ政権が進めているガザ地区のラファ侵攻作戦については、さしものアメリカも武器供与を停止することで、その実行を止めようとしています。ラファ侵攻に対する批判はアメリカに限ったことではなく、世界各地でイスラエルに対する抗議活動も起きています。ラファ侵攻反対がいわば国際世論と化しているのですが、こうした批判の嵐をものともせず、ネタニヤフ首相は、必要とあれば爪でも戦うと述べ、あくまでもラファを攻略する構えを崩してはいません。かつてスピノザが、戦争とは一方だけの意思で起こすことができると語ったように、戦う意思を貫こうとする人物を翻意させることは簡単なことではありません。

 一般社会にあっては、暴力を振るい続ける人が出現した場合、誰かが止めに入ったり、警察を呼ぶことで、その場を納めることが出来ます。暴力を振るわれていた人は助かり、一件落着するのですが、国際社会では、こうした暴力抑止の仕組みはあまりにも不十分です。暴力主義の国の行動を抑止するには、まずもってそれを圧倒的に上回る軍事力を要します。この点、コソボ紛争にあってはNATO軍が人道的介入を理由に域外派兵に踏み込んだのですが、今般のジェノサイドとも称されるガザ地区に対する攻撃に対しては、人道的介入の動きは見られません。NATOが見せる悪しきダブル・スタンダードの背景としては、イスラエルをサポートするユダヤ系勢力のマネー・パワーの存在を挙げることができます。そして、これは、世界第一位の軍事力を誇るアメリカを後ろ盾とすることを意味するのです。言い換えますと、今日の国際社会とは、国家レベルとは異なり、人道や正義といった善性に基づく価値が、力によってねじ伏せられてしまう世界なのです。

 しかも、国際レベルでの介入は、たとえ人道的な介入としての武力行使であっても、無辜の民間人も巻き添えとし、多くの人々の家財産や生活基盤のみならず、命をも失わせます。国際社会には、一筋縄ではいかない難しさがあるのですが、それでは、イスラエルの蛮行は放置すべきなのでしょうか。仮に、本気で世界各国の政府がイスラエルの行動を制止しようとするならば、全く方法がないわけではありません。各国の政府が独自に実行できる方法としては、イスラエルの国家承認、あるいは、ネタニヤフ政権に対する政府承認を取り消すという方法があります。国家には、その存在が認められるには、国際法上において国家承認という手続きを要するからです。

 この点に関しては、先日、イスラエルは、国連憲章の細断という過激なパフォーマンスをもって、ハマスによるテロ行為を根拠にパレスチナ国の国連加盟に反対を表明しています。その背景には、独立国家としてのパレスチナ国の存在を認めたくないネタニヤフ政権の本音があることは疑いようもないのですが、イスラエルが自らの行為を正当化する根拠としてテロを挙げたことは、イスラエル自身も、この論理を受け入れざるを得ないことを意味します。同ケースでは、未加盟国の国連の加盟問題でしたが、イスラエルに対しては、国家承認の要件として、その違法行為を問うのです(なお、もう一つの方法としては、イスラエルの国連追放決議もあり得るかもしれない・・・)。

 かつて、神聖ローマ帝国では帝国アハトという刑罰があり、この刑を受けますと、その人は、法律上の人格を失い、法による保護を一切受けることができなくなりました。つまり、実態としては存在していても、社会的には‘存在しない人’の扱いを受けたのです。イスラエルに対して軍事力をもってその暴力的な違法行為を止めることができないならば、各国政府は、停戦に応じず、ラファに侵攻した場合、独立国家としての独自の判断としてイスラエルに対する国家承認を取り消すべきと言えましょう。第二次世界大戦後に至り、ようやく自らの国家を持つことがユダヤの人々にとりましては、各国からの国家承認を失うことは相当なダメージとなるはずです。

 もっとも、イスラエルに対する‘現代版帝国アハト’については、野獣を野に放すようなもの、つまり、一切の法的義務や拘束から解放されて、より暴力化とする反論もありましょう。しかしながら、現状が既に野獣状態なのですから変わりはなく、国家承認の取り消しは、各国が人類の一員としての良心を示すことになりましょう。イスラエルの国家承認の取り消しは、日本国政府を含む全ての諸国に人道を護る決意を問うていると思うのです。


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イスラエルによる野獣の自己証明

2024年05月15日 11時55分17秒 | 国際政治
 国連憲章と言えば、今日の国際社会では、半ば‘憲法’のような立ち位置にあります。バチカンやコソボ等の極少数の諸国を除いて殆ど全ての諸国が国連の加盟国であり、同連合の憲章は、国際機関としての機構のみならず、国家の基本的な権利、義務並びに行動規範等をも定めているからです。もっとも、国連の主たる目的は平和の実現にありますので、扱う対象も国家間の紛争の解決が中心となります。第二次世界大戦を機として発足したという時代背景もあって、特に侵略への対応に主眼が置かれ、解決方法についても個別的自衛権、集団的自衛権、並びに、国連を枠組みとした強制排除の3レベルにおいて武力行使を認めつつも、同憲章は、平和的解決の実現を最優先事項としているのです。

 平和の実現を目的に設立された国連は、大戦中におけるナチス・ドイツによる迫害もあり、自らの国家を持たず、流浪の民と化していたユダヤ人の問題についても、平和的な解決を試みることとなります。この点、ユダヤ人と同じく国なき民族であったクルド人等と比較しますと、金融業等によってマネー・パワーを有するユダヤ人は、随分と優遇されたことにもなりましょう。国連が解決を急いだ理由は、テオドール・ヘルツル等による‘祖国帰還運動’、即ち、シオニズム運動、並びに、これを背景としたイギリスの二重舌外交で知られるバルフォア宣言もあり、パレスチナの地では、既にユダヤ人の移住が始まっていたからです。ユダヤ人の大量移住によって、その地に住んでいるアラブ人との間での紛争が激化することは容易に予測されたのです。否、ユダヤ人からしてみれば、パレスチナの地が国際連盟のお墨付きによってイギリスが委任統治しており、かつ、国連が発足した戦後の同時期こそ、ユダヤ人国家建設の千載一遇のチャンスと見たのでしょう。

 この流れの中で、1947年11月29日に国連総会決議(決議181号Ⅱ)が成立し、晴れてユダヤ人国家としてイスラエルが誕生します(因みに、イスラエル建国の日は、昨日の5月14日・・・)。しかしながら、同決議は、ユダヤ人のみにイスラエルという国家の建国を認めたわけではありません。同決議は、同時にアラブ人にも独立国家を建設することを約束しているのです。つまり、第二次世界大戦後における国連によるユダヤ人問題の解決策とは、ユダヤ人とアラブ人の両民族それぞれによる、二つの国家の平和的な併存であったのです。

 上述した経緯に照らせば‘国連なくして、イスラエルなし’とも言えるのですが、今般、イスラエルは、自らの法的根拠を破壊するような暴挙に及んでいます。今月5月10日に開かれた国連総会において、登壇したイスラエルのエルダン国連大使は、国連憲章を携帯用シュレッダーにかけて細断してしまったのです。同大使によれば、国連憲章を細断した理由は、「パレスチナの加盟を支持する決議案に反対する意思を示すため」であったそうです。因みに、同決議案は、賛成143カ国、反対9カ国で採択されています(もっとも、安全保障理事会での再検討を求めるとする内容であるため、安保理では同決議に反対したアメリカが‘拒否権’を行使するかも知れない・・・)。‘国連憲章に反するテロを行なったハマスに特権を与えるようなものだ’という理屈のようです。国連への加盟は、国際社会におけるパレスチナの事実上の国家承認を意味しますので、大イスラエル主義を目指すネタニヤフ政権としては、これを阻止したかったのでしょう。

 しかしながら、パレスチナ国家の建国は、同決議に含まれる経済同盟の行方については再検討を要するものの、上述したように、国連決議181(Ⅱ)が定めた決定事項です。中東戦争やパレスチナ紛争などによって延び延びになっただけであり、パレスチナ国家建国は、いわば、イスラエル建国とセットとなる平和的解決の条件であったはずなのです。しかも、ハマス=パレスチナでもなく、テロ行為そのものは、パレスチナ国家の国連加盟を否定する根拠とはなりません。否、仮に、テロ、すなわち、国際法違反の行為の有無が国連加盟の要件となるならば、イスラエルの加盟にも見直しを要しましょう。ガザ地区にあってジェノサイドを実行し、国際社会から批判を浴びながらラファへの侵攻も強行しようとしているのですから。さらに踏み込めば、今般のイスラエルの違法行為をもって、国連決議181(Ⅱ)の取り消しを主張することもできるかもしれません。

 今日のイスラエルは、国際法もなにもかもかなぐり捨てて、自らの野望のみに動かされている野獣の如きに見えます。シオニストの代表格とも言えるヘルツルは、「・・・世界は我々の自由によって解放され、我々の富によって豊かになり、我々の偉大さによって拡大されるだろう。そして、我々が自身の幸福のためにそこで達成しようとするものはすべて、善と人道のために力強く有益に作用するであろう。」と記していますが、シオニズム運動から1世紀以上を経た今日、現実は、この言葉とは真逆になりつつあります。自らの野獣性を自らの行動で証明しているイスラエルは、一体、何処に向かおうとしているのでしょうか。

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AI精神転送は降霊術に

2024年05月14日 11時50分50秒 | 社会
 AI技術を用いた死後における精神転送については、霊魂の在・不在の問題と切り離すことが出来ないという難問が立ちはだかっています。霊魂が存在すれば、魂は、天国もしくは地獄に向かうか、浮遊するか、あるいは、消滅してしまいますので、首尾良くAIに自らの意思を移行させられるとは限りません。また、魂が存在しないとすれば、たとえ精密に転送を希望する当人の脳の電子回路を再現させたとしても、同AI自体が自我を持ってしまう可能性もあるからです。そして、もう一つ、魂の存在に関連する問題として挙げられるのが、精神転送に成功したとしても、それは、必ずしもAIの技術に因るものではない可能性です。

 古来、日本国では、死者の魂の依り代という考え方がありました。神道にあっては白木で御霊璽を、仏教にあっては漆塗りの御位牌をつくるのも、この死生観に基づいています。例えば、神道では、人が亡くなりますとその魂は日の若宮にゆきますが、残された家族や子孫を見守るため、あるいは、時々、様子を見に現世に戻ってくると考えられています。その時、魂が宿る依り代となるのが、故人の神名を記した御霊璽とされるのです。また、依り代が人となる場合もあります。よく知られているのが、青森県の恐山のいたこの人々であり、高い霊能力を身につけたいたこの人々は、亡くなった人の霊を呼び寄せて、自らに憑依させることで、死せる人々が生ける人々と会話することができるのです。

 科学技術が発展した時代にあっては、魂や神などに関する伝統的な考え方は非合理的な迷信と見なされがちですが、近現代の科学者の中には、真剣に魂の存在と向き合った人も少なくありません。アイザック・ニュートンは、最期には神の存在証明に傾倒してきましたし、有人飛行の可能な飛行機を初めて設計し、脳の構造を解明し、さらにはニューロンの存在をも予測した知の巨人、エマヌエル・スウェーデンボルクも、天界に関する研究を行なっています。発明王と称されるトーマス・エジソンも、エネルギーとしての魂の永遠性を信じ、死者と交信し得る装置の発明に取り組んだとされます。今日、物理学の最先端ともされる量子論が魂の存在性の問題に急速に接近しているように、両者は真っ向から対立しているように見えながら、その実、科学とオカルトは紙一重であるとも言えましょう。

 さて、現代におけるAIによる精神転生は、デジタル時代の近未来技術としてその実現が待望されています。テクノロジーが、遂に不老不死という、秦の始皇帝をはじめ、古来、永遠の支配を欲する権力者が熱望してきた願望を実現するという文脈なのですが(今日では、大富豪・・・)、自己意識の移転や継続性は、霊魂の問題が絡まってきますので、見方によっては、エジソンの降霊装置の焼き直しとも言えます。それが木片であれ、精密な機械であれ、何であれ、死者の霊、あるいは、人の意識が宿るという現象においては変わりがないからです。

 このように考えますと、精神転送の開発に血眼となっている大富豪は、死後に恐山で呼び出してもらうか、能力が高いとされる霊媒者を高給を以て雇用しておいた方が、自らの意思を生きている人々に伝達できる可能性が高いと言えましょう。何故ならば、仮に魂が存在するならば、敢えて自らの脳内の電気回路を再現する必要はないからです。つまり、霊魂は、他者である霊媒師の電気回路、すなわち、口を借りることができるのですから。その時語られる大富豪の霊界における居場所は、果たして天国なのでしょうか、それとも、地獄なのでしょうか。あるいは、霊媒師は、必至になって降霊を試みた末に、この人の魂は既に消えている!と告げるのでしょうか。大変、興味深いところなのです。


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AIと魂存在論の問題-精神転送のハードル

2024年05月13日 10時14分26秒 | 社会
 ディープラーニングの登場により、マスメディアでは、近未来におけるAI時代の幕開けを予測するようになりました。AIが人間の知性を越えるシンギュラリティーの到来も現実味を帯びており、死後にAIに自らの意思を移行させるための精神転送の技術の開発も進んでいます。しかしながら、この試みには未解明の問題が横たわる故に、必ずしも成功するとは限らないように思えます。

 自らの意識をAIに移行させるというプロジェクトは、その目的を推察しますと、自己の永遠性を欲する富裕層の願望に応えたものなのでしょう。何故ならば、全ての人々が同技術を用いるとすれば、それは最早人類社会ではなく、事実上の人類の滅亡を意味するからです。地球上に、過去に生命体としての身体を有していた100億余りのAIが並んでいる光景は、あたかも荒涼とした墓場のようです。あるいは、地球の未来では、過去に生きた人々の意思を転送させたロボット達が自らを修理しながら永遠に動き続けているのでしょうか。全人類精神転送のヴィジョンあまりにも非現実的ですので、精神転送は、おそらく、自らの命令一つで永遠に‘生きている人間達’を支配したい、極めて少数の独裁願望を抱く人物の夢をかなえるための技術であると推測されるのです。この夢の技術を手にするためには、自らの全財産を擲っても悔いはないのかもしれません。

 富裕層がイニシエーターであれば、巨額の研究資金も提供されているのでしょう。実際に、全世界の研究者や研究機関が開発に取り組み、マスメディアでも一定の成果が報じられています。しかしながら、実のところ、この技術の前には、まずもって解明しなければならない別の難問が立ちはだかっているように思えます。それは、魂の実在に関する未解明の問題です。

 霊魂の存在については、科学的に証明できないために、近現代では一般的には否定される傾向にありました。とりわけ唯物論の影響が強い現代では、物質現象として科学的に実証できないものは存在しないものと見なされてきたのです。その一方で、古今東西を問わず、現代の科学のレベルでは説明できない不可思議な現象も、数多く観察されてきました。巷では幽霊を目撃しり、臨死体験をしたとするようなお話に溢れており、自らの経験によって霊魂を信じる人も少なくないのです。むしろ、科学の最前線を行く近年の量子論の発展は、霊魂否定論への流れを実在論の方向へ押し戻している観があります。何れにしましても、霊魂の存在については、誰もが納得する結論には達していないのが現状と言えましょう。

 生命科学と量子論との統合的なアプローチにより、近い将来において霊魂の存在論争に終止符が打たれる可能性もあるのですが、AIの研究は、脳の構造解明から始まっています。最先端の精神転送のアプローチの一つは、本人の脳と全く同様の電子回路をスーパーコンピューターを使って再現するというものなそうです(因みに、Blue Brainと称される研究が、IBMとスイス連邦工科大学ローザンヌ校との共同プロジェクトとして行なわれている・・・)。AIが人工的に造られた‘脳’となりますと、ここに、霊魂問題が立ち現れることとなります。霊魂が存在するにしても、しないにしても、何れにしても以下のような結末が予測されるからです。

 先ずは、霊魂が存在すると仮定してみることしましょう。この場合、霊魂は、死後に自らの意思あるいは心のAIへの転送を希望していた人物は、生物としての死を迎えた瞬間に身体を離れることとなります。利己的な支配欲から同技術の開発を急いだ人物が‘善人’とは思えませんので、その魂の行く先は‘地獄’であるかもしれません。あるいは、『死者の書』が記すように、魂の消滅ということもあり得ましょう(無神論者であるというよりも、自らが行なってきた悪行から魂の消滅を予測しているからこそ、死後も自らの魂を生き延びさせようと考えたとも・・・)。何れにしましても、霊魂が実在した場合、同人物の浮遊した魂は必ずしも移転先に予定されていたAIに無事に着地して宿るとは限らず、同AIは何らの反応をも示すこともなく止まったままである可能性の方が高いのです。

 次に、霊魂が存在しないと仮定してみます。こちらのケースでも、計画通りに自我(精神)が転送されるとは限りません。何故ならば、仮に脳というものが人工的に造られた電子回路によって再現できるのであれば、AI自身が自我を持つことがあり得るからです。この可能性については専門家でも意見が分かれるそうですが、唯物論に忠実に従えば、科学技術の発展はその可能性を肯定することでしょう。このことは、ある人物が、自らの意思の移住先として自らの脳構造をそっくりそのまま複製したAIを造らせたとしても、同AIは自分自身の自我を持ってしまいますので、行く先を失うのです。言い換えますと、ある人物の存命中にAIが完成し、試運転としてスイッチを押した瞬間に、ある人物とAIという思考パターンを同じくする二つの‘自我’が出現してしまうのです。すなわち、AIは、ある人物が、生きていようと死んでいようと、ある人物の思考パターンを“計算”して再現するマシーンでしか過ぎないのです。なお、唯物論者であれば、物質としての身体の消滅と共にその電気反応に過ぎない魂も消えるとするのが、‘正論’と言えましょう。

 近年、生成AIの出現にも見られるように、AIの技術的発展は目を見張るばかりです。しかしながら、人類は、自らについては何も知らないに等しいように思えます。生命の発生自体も解明されていないのですから。無知の知はソクラテスの説くところですが、魂や心というものの存在に関する探求や考察を欠いたテクノロジーの開発は、時間、労力、並びに費用の膨大なる無駄となるばかりか、人類を、常に悪用の危機に晒すのではないかと思うのです。

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