万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

沈黙が示す中国の怖さ-王毅外相のウイグル発言

2018年09月30日 14時10分08秒 | 国際政治
「ウイグル住民は政府を支持」中国外相、米で正当性主張
 中国によるウイグル人に対する大規模な弾圧行為に対し、目下、国際社会からの批判の声は高まる一方です。強まる対中批判に耐えかねたのか、中国は、国連総会をウイグル弾圧批判に対する弁明の場とし、王毅外相が壇上で熱弁をふるったそうです。

 中国の弁明戦略の基本方針は、問題の焦点をテロ対策に絞ることです。論理構成としては、(1)イスラム過激派はテロリストである(ウイグル人は、そのイスラム教徒である)、(2)住民の安全のためにテロリストを取り締まるのは政府の義務である、(3)この義務において全ての政府が同じことをする、そして、(4)(国家として当然のことをしているので)中国は悪くない、という結論に導いています。一読しますと、どこにも論理破綻がないように見えます。しかしながら、この王外相の演説は、肝心な部分については沈黙しています。それは、第一に、(3)にある‘同じこと’の内容であり、第二にウイグルには独立問題があるという事実です。

 報道によりますと、王外相は、中国が行っている具体的なテロ対策措置については、全く触れていなかったそうです。中国側は全世界の諸国に共通するテロ問題として扱いたいのでしょうが、中国に対する批判の焦点は、中国が誘導したい方向とは別のところにあります。国際社会は、中国が実行しているウイグル人に対する非人道的で残酷な‘ジェノサイド’に抗議しているのであり、テロ対策に反対しているのではないのです。おそらく、中国は、自国が具体的に‘していること’が問題視されていることを十分に自覚しているからこそ、沈黙戦略で論理構成意図的にから外し、‘ないこと’にしようとしたのでしょう。

 そして、何よりも、中国は、ウイグルには独立問題があることを頭から無視しています。中国の行政区の名称である新疆ウイグル自治区の‘新疆’とは、‘新たな土地’を意味しています。つまり、‘新疆’とは、18世紀に至り、清国が同地を征服した際に命名した名称であり、漢人の固有の地ではないのです。今日の国際社会にあっては、民族自決の権利が原則として認められておりますので、その大半がトルコ系ウイグル人であり、イスラム教徒でもあるウイグル人には独立国家を有する権利があります。ここでも、中国は、独立運動の存在が表面化すれば、もはやテロへの一点争点化の誘導は通用しなくなることを怖れて、独立問題をも‘ないこと’にしようとしたのでしょう。

これらの二つの沈黙を考慮しますと、王外相の演説は、聴衆を惑わす狡猾な詭弁と言わざるを得ません。中国は、国連演説において批判点をずらし、ウイグル問題の焦点を巧妙にすり替えたのですから。果たして、同演説は、会場から満場の拍手を以って支持されたのでしょうか。トランプ大統領の演説後の会場の反応には失笑もあったとされていますが、中国の王毅外相の演説に対しては、それが耳に聞こえる声にならず、心の内にとどまるものであったとしても、ブーイングの嵐だったのではないでしょうか。

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公明党による国土交通相ポストの独占は‘国土掌握’?

2018年09月29日 12時27分52秒 | 日本政治
公明幹事長に斉藤氏=石井国交相、留任へ
公明党とは、新興宗教団体である創価学会を支持母体として設立された政党です。政教分離を定める日本国憲法に照らしてみても違憲の疑いが濃く、多くの国民が、同政党に対しては懐疑的に留まらず、批判的ですらあります。

 ‘政党とは、公的団体なのか私的団体なのか’という問題については、これまでも学問的にも盛んに議論されてきましたが、特定の宗教団体との密接な繋がりを基準として判断しますと(日蓮宗から分離した仏教系でありながら、無欲を説く仏教は正反対の欲望を認める独特の教義を信奉している…)、少なくとも公明党は、広く一般国民に開かれた国民政党とは言い難く、私的団体と言わざるを得ません。同党の設立の目的は、政治権力を用いた‘創価学会の世界観’や‘創価学会の国教化’の実現であったのでしょうから(それ以外の目的は考えられない…)、日本国の国益一般や一般国民の利益よりも、党益、教団益、否、その独裁的体質からすれば‘教祖益’を優先する可能性は極めて高いのです。

しかも、同教団は、イエズス会、共産党、統一教会等と同系列となる全体主義を目指す何らかの国際組織の‘支部’とも推測され、その不透明性故に、一般国民の目には‘秘密結社’の如くに映ります。仮に、‘総体革命’、あるいは、隠れた‘総体革命’が起こされ、その目的が達成された暁には、人口の数%に過ぎない同教団の信者達が、共産党、ナチスの親衛隊、あるいは、イランの革命防衛隊等に類似する役割を果たし、一般国民を監視下に置くと共に、暴力や脅迫に訴えてでも‘体制維持’に全力で励むことでしょう。同教団では、北朝鮮の如く、信者達によるマスゲームを行われているとの噂もあります。

実際に、政治の動きを観察してみますと、創価学会の親中国、並びに、親朝鮮半島、並びに、インターナショナル志向は、日本国政府の政策にも反映されております。特に、ここ数年来、国土交通相のポストは公明党の独占状態にあります。海上保安庁や旧建設省等も包摂する同省は、戦前の内務省と比肩されるほどに管轄権限は広く、建設利権等も含めればその影響力は、官民の多方面に及びます。加えて、外務省や宮内庁をはじめ、他の行政機関にも創価学会員の組織網が張り巡らされていますので、内外両面における国権が、私的性格の強い同組織によって浸食されているのが日本国の現状なのです。いわば、一部私的集団による国権の私物化が公然と行われていると言っても過言ではありません。

今般の内閣改造にあっても、公明党は、安倍首相に対して国土交通相のポストの維持を求めているそうです。首相もこの要請を尊重する意向にあるとも報じられていますが、創価学会は、同ポストが、日本国の‘国土掌握’の重要な要となることを十分に理解しているがゆえにこそ、同ポストを何としても手放したくないのでしょう。一方、学会員ではない一般の国民にとりましては、公明党の国土交通省ポストの独占は、日本国の体制を全体主義に向けて転換させかねない脅威ともなります。日本国が自由で民主的、かつ、法の支配が行き渡り、国民一人一人の基本権や自由が尊重される国であり続けるためには、公明党による国土交通相ポストの独占には、終止符を打つべきではないかと思うのです。

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SNSサービス事業者が私的検閲機関になる?-EUの言論規制

2018年09月28日 11時03分27秒 | ヨーロッパ
報道に拠りますと、EUの欧州委員会は、フェイスブック、ツイッター、Youtube等のSNSサービス事業者との間で利用者の投稿内容をチェックし、不適切と判断された投稿を削除する方向で合意したそうです。規制導入の理由としては、移民・難民問題を背景としたヘイト・スピーチ、並びに、イスラム過激派等のテロリストによるSNS利用が挙げられています(移民受け入れ側と移民側の両者)。

 因みに日本国憲法でも、その第21条2項には、「検閲は、これをしてならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」とあり、検閲行為は固く禁じられています。習近平体制の下で情報統制が強引に推し進められている中国の状況を念頭に、検閲反対の声は、兎角に政府に向かいがちであり、政府が検閲に乗り出しようものならヒステリックなまでの拒絶反応が起きるのですが、民間企業による検閲については、民間企業=自由というイメージが隠れ蓑となって見逃されがちです。しかしながら、政府であれ、民間であれ、誰であれ、SNS上の投稿の事前削除が、一般人をも対象とした検閲行為であることには変わりはありません。この観点から今般のEUの規制を見てみますと、幾つかの疑問点があります。

 第一の疑問点は、SNSサービス事業者が民間による私的検閲機関と化すリスクです。今般の法規制では、投稿の削除作業はこれらの事業者に丸投げされています。乃ち、SNSサービス事業者は、自らの主観的な判断で投稿を削除することができるのであり、その作業は、企業の組織内部で秘密裏に行われます。SNSとは、オープンな言論空間を提供しているように見えながら、その実、私的検閲機関と化した事業者によって言論が裏からコントロールされていることとなります。SNSサービス事業者とは、典型的なグローバル企業であり、かつ、同分野は‘ユダヤ’色も強いという特徴がありますので、自己の基本スタンスに反する移民反対やイスラム教に対しては、とりわけ、厳しい‘検閲’を行うかもしれません(中国には優しいかもしれない…)。

 第二の疑問点は、EUの規制は、SNSサービス事業者の私的検閲機関化である同時に、その本質においては、公権力による間接的な検閲に当たるのではないか、という点です。近年の動向を見ますと、ヘイトやテロに関してだけは、公権力による検閲が許されております。しかしながら、この問題と結びつく移民・難民問題は、今や、欧米諸国を中心に最も関心の高い政治問題と化しています。日本国内でも在日外国人の急増、並びに、政府による事実上の移民政策への転換により、さらに国民の関心は高まることでしょう。今後とも、移民をめぐる議論が活発化することも予測されますが、EUが、今般、規制強化に踏み出したのも、EU自身が移民推進派であることと無縁ではないのでしょう。つまり、自己に都合の悪い言論に対しては、SNSサービス事業者に対して厳しい取り締まりを求める可能性があるのです。

 そして、第3点として挙げられるのが、ヘイト・スピーチやテロ扇動に反応する人々が、当局が恐れる程多いのか、という疑問です。仮に、特定の民族集団に対して虐殺や弾圧まで招くような事態が起きるとすれば、第二次世界大戦前夜のドイツ人のように、一般の人々が極限まで追い詰められるような時代状況を要します。統治制度も整い、事情の異なる今日においては、単なる移民反対の声であれば平和的手段、例えば、移民の送還などの立法措置で解決できるのであり、多くの人々がこのことを認識しているはず。イスラム過激派によるテロ扇動については、殺人の教唆の廉で刑法上の規制対象となるのでしょうが、少なくとも、一般の人々による移民反対の意見を事前検閲によって封鎖する行為は、言論の自由を侵害しかねないのです。この点に鑑みれば、ネオ・ナチ運動などは、敢えて過激な行動をデモンストレーションすることで規制を正当化する‘マッチポンプ’の疑いも拭い去れません。

 EUであれ、SNSサービス事業者であれ、政治的に中立な立場にあるわけではありません。そうであるからこそ、これらによる事前検閲は、一般の人々から言論の自由を奪い、言論空間に監視網をかける結果を招きかねないリスクがあります。移動の自由が認められても、言論の自由を失うのであれば、人の精神的な自由という人間存在の本質に照らせば、本末転倒であるように思えます。最低限、サービス事業者に対しての削除された理由の開示、ならびに、その理由が不適切であった場合の再掲載を求める権利は、投稿者に確保されるべきではないのでしょうか。

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中国による米選挙介入問題-日本国はさらに危ない

2018年09月27日 13時51分40秒 | アメリカ
「中国が米中間選挙への介入画策」、トランプ大統領が安保理で非難
 アメリカのトランプ大統領は、国連安保理の席上で、終に中国による米選挙への介入を批判するに至りました。取り上げられたのは11月の中間選挙における介入画策ですが、中国による他国に対する政治介入は、今に始まったことではありません。

 他国による政治介入については、マスメディアがロシア疑惑を大々的に報じたため、人々の批判の矛先はロシアに向かいがちです。しかしながら、政治介入のルートの数、米政界へのアクセスの容易さ、利用し得る世論操作の手段等に照らしてみますと、政治介入リスクは、中国の方がロシアを遥かに上回ります。トランプ大統領の対中批判は、むしろ遅すぎるくらいなのです。中国は、様々な政治介入の手段を用意しています。同国の道具箱を覘いてみますと、以下のような‘介入道具’が並んでいます。

 第1の‘道具’は、中国系アメリカ人です。サンフランシスコ市等には戦前から中華街があり、また、グローバル化の波に乗るかのように、80年代以降は中国から米国に移住するニューカマーの中国人も増加しました。米国内には、市民権の有無に拘わらず、多数の中国系米国人が居住しており、中には政治家、公務員、あるいは、ジャーナリストとして活躍している中国系アメリカ人も少なくありません。母国の共産党政権に反発して移住した中国人もいるのでしょうが、中国本土と親族等を介した何らかの華僑ネットワークを維持しているものと推測されます。

 第2の‘道具’は、中国共産党が築いてきた個人レベルでの対中協力者の人脈です。政治家としては共和党のヘンリー・キッシンジャー氏等が代表格となりますが、民主党内にも、親中派政治家は多数潜んでいます。ヒラリー・クリントン氏も然ることながら、バラク・オバマ前大統領も実弟の夫人が中国人ということもあり、中国にとりましてはアクセスしやすい位置にあります。政治家の他にも、フェイスブックのザッカーバーク氏など、夫人が中国人であることに加え習近平国家主席と人的に懇意にしている実業家も少なくありません。中国の親中派ネットワークは、社会的な影響力の強いアメリカ政界や財界等に深く根を張っているのです。

 第3の‘道具’として挙げられるのは、政党です。アメリカ民主党は、戦前より中国大陸における利権を介して中国国民党と密接な関係にありました。今日、国共内戦に勝利した共産党に権力が移りましたが、同党は、伝統的には親中派の立場にあります。今日の中国共産党にとりましても、民主党の親中シンパシーは利用価値があることでしょう。

 そして、特に中国がその対外政策上重要視しているのが、言わずもがな、米メディアです。ハリウッドの共産党の宣伝映画と見紛うほど作風の変化が既に問題視されているように、TVや新聞社をはじめ大量のチャイナ・マネーが流れ込んでいるのは周知の事実です。第4の‘道具’は親中メディアであり、これは、米国世論を誘導するための貴重な‘道具’です。

 加えて、中国国内における情報統制の強化に際し、技術面で協力関係にある情報通信大手も、中国にとりましては第5の‘道具’となり得ます。フェイスブック、ツイッター、グーグル等は、今や、私的な検閲権を有しているに等しいからです。これらの企業の協力を得ることができれば、米国内において中国に不都合な情報を隠蔽することも不可能ではありません。また、日本国の選挙集計で導入されている集計マシーンを遠隔操作する、といった高度なサイバー技術も開発しているかもしれません。

 以上に主要な中国の道具箱にある主要な品々を並べてみましたが、この他にも、この箱には、中国人留学生、提携教育機関・研究所、孔子学院、中国企業と取引のある米企業、さらには、米国内の中国企業等々、様々な‘道具’が詰まっています。これらの全てを総動員して駆使すれば、中国にとりまして他国の政治介入は容易いことです。そして、それは、アメリカのみが対象国ではありません。地理的に近く、近年、中国人移民が急増している日本国の方が、余程この危険性に晒されているとも言えます。現在、日本国には、自由民主党と公明党による連立政権が成立していますが、この二党の組み合わせは、中国発案とされる日本国の‘米中共同管理案’を思い起こさせ、不安が脳裏を過るのです。

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創価学会もイエズス会・共産党の系列では?

2018年09月26日 13時14分19秒 | 国際政治
本日の日経新聞朝刊4面の記事に依りますと、今月25日、中南海において中国の王岐山国家副主席と創価学会原田稔会長が会談の場を設けたそうです。この記事により、創価学会が訪中団を結成している事実が分かるのですが、会談の席で、同副主席は「日中関係は良い方向に転換する局面を迎えている。両国政府が通る道であり、理性の勝利だ」と述べたとされています。

この発言の件にある‘理性の勝利’という言葉には、唖然とさせられざるを得ません。創価学会は、フランスやベルギー等ではカルト教団に認定されておりますし、共産主義もまた、政治理論としては矛盾に満ちており、既に論理破綻を起こしていることは、一般的な理性があれば誰でも理解できるからです。そもそも、独裁者や教祖を絶対視する個人崇拝と物事を道理に従って理解する理性とは対極にあり、両団体とも、信者に理性を捨てさせる、利得の提供で理性を曲げる、あるいは、洗脳や薬物等で理性を麻痺させない限り成立しないのです。

そして、創価学会と中国との親密な関係は、今般、イエズス会出身のフランシスコ法王の下で関係改善に動いたカトリックをも想起させます。イエズス会と共産党との間の組織原則の共通性は既に指摘されていますが、創価学会もまた、同系列の団体である可能性も否定はできないのです。これらの団体における組織上の主要な共通点としては、(1)トップに対するメンバーの絶対服従、(2)閉鎖的な秘密主義、(3)団結力と排他性、(4)政治権力志向(政教一元主義)、(5)国際志向等が挙げられます。こうした特徴は、創価学会にも見出すことができるのです。

(1)については、創価学会において池田大作名誉会長が事実上の‘教祖’として君臨してきた経緯に如実に現れています。しかも、‘教祖’は清廉潔白で純真な聖人や善人とは言い難く、野望を抱く俗物でも構わないようです

(2)の面を見ても、全ての信者が情報を共有しているとは限らず、幹部層が情報をコントロールする秘密主義が見られます。加えて、一般の信者は、外部の情報への自由なアクセスが制限されているともされ、信者達は、教団内部の狭い世界に閉じ込められているのです。しかも、外部の人々には誰が学会員であるのか知る術もなく、一般の人々が疑心暗鬼に陥ることにもしばしばです。

こうした特徴は、(3)とも繋がってきます。同教団では、トップを中心に信者の結束が求められ、トップの指令一つで全員が活動を開始する軍隊的な組織が形成されています。 一方、創価学会員間の強固な団結心は、信者ではない一般の人々に対しては、強い排他性、あるいは、攻撃性として働きます。例えば、芸能界の世界は創価学会員による独占状態にあるとする噂がありますが、この噂は、非学会員に対する排斥、あるいは、迫害行為とも言うべき排他志向の強い同教団の性格を言い表しているのかもしれません。

そして何よりも問題となるのが(4)として指摘した政治権力志向です。政権与党でもある公明党は創価学会を母体として設立されていますが、日本国憲法において政教分離が定められているにも拘わらず、同教団は、公然と政治活動に従事してきました。憲法を遵守するならば、中国の王岐山副主席と日本国のカルト教団の政治部門のトップが会談することなど、あり得ないことです。最高裁判所による司法判断の不在は同教団の政治活動を野放しにしており、日本国の国権が侵食され続けているのです。同教団の権力志向、並びに、権威主義が皇室にも及んでいることは、そのメンバーや宮内庁職員等を見れば否めない事実でもあります。

(5)の国際志向もまた、国家を内部から切り崩すリスクを孕みます。今般予定されている安倍首相の国連演説の内容が、露骨なまでに中国の希望に沿っているのも、おそらく、連立相手である公明党への配慮であるのかもしれません。創価学会インターナショナルの存在は、同教団が、既に日本国の国益よりも、‘教団利益’と結びついた‘世界利益’、即ち、イエズス会や共産主義勢力をも包摂する何らかの国際組織の利益を重んじる立場にあることを示しています。近年の国連の動きを見ましても、同組織もまた、その系列に属しているのかもしれません。

以上に述べてきましたように、政治と宗教との結びつきは、今や、政治権力と結びついた宗教団体(創価学会、統一教会…)、並びに、宗教団体と結びついた政治権力(中国共産党)の登場により、一般の国民にとりましては危険水域に達しつつあります。両者は、表面的には水と油に見えて、実のところ、国際ネットワークを介して世界規模で全体主義的な独裁体制への道を敷くという同一のミッションを担っているように見えるのです。

果たして、人類は、この危機から脱することはできるのでしょうか。この問題を解決するには、先ずは、成り行きで入信してしまった一般信者の方々が目を覚ます必要がありましょうし(理性、あるいは、批判精神の回復…)、このような団体が秘密主義を以って勢力を伸張させたからこそ、この問題を、タブーを排してオープンに議論する必要があるのではないでしょうか。仮に、同教団の人々が、一般の人々の疑問に答えようとしない、あるいは、議論を拒絶するとしますと(もっとも、議論を意図的に混乱させるのが同教団の得意の戦法であった…)、これこそ、理性の欠如の自己証明となるのではないかと思うのです。


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中国のウイグル弾圧は国際犯罪-「ジェノサイド条約」違反

2018年09月25日 10時48分39秒 | 国際政治
ウイグル人大量拘束を認めよ、アムネスティが中国に説明要求
イスラム教徒でもあるウイグル人の居住地域は、新疆ウイグル自治区の名で中国の一部とされ、今日、同国の地方行政区が設置されています。しかしながら、この地に対する中国領有の根拠は希薄です。第二次世界大戦後の混乱期に、謎の航空機墜落事件が発生したのを機に、中国が詐術的に併合してしまったと言っても過言ではありません。

こうした経緯から同地域ではウイグル人による独立運動が展開されてきたのですが、習近平国家主席が独裁色を強める中、イスラム過激派、並びに、分離主義、即ち、ウイグル独立運動を抑え込む名目で、異民族であるウイグル人に対する弾圧と中国化が強まっていると報じられています。拘束されたウイグル人等の数は100万人にも上るとされ、その数にも驚かされますが、徹底した共産主義イデオロギーの洗脳、イスラム教の棄教、ウイグルの慣習放棄が強要されています。また、真偽は確認できないものの、抵抗するウイグル人は虐殺された上に臓器が摘出され、臓器売買市場に提供される、あるいは、ウイグル人女性が漢人男性と強制結婚させられる、といったおぞましい情報も伝わります。こうした行為は、明らかに国際法の「ジェノサイド条約」に違反しています。

「ジェノサイド条約」は、1948年12月に国連第3回総会にて採択された国際犯罪に関する条約であり、中国も、締約国の一国です。その第2条には、ジェノサイドの定義が明記されており、(a)集団の構成員の殺害(b)集団の構成員に対する肉体的、又は、精神的な危害(c)破壊的生活条件の強要(d)出生妨害(e)子供の強制分離が挙げられています。中国の弾圧は、これらの全ての要件を充たしており(一つでも該当すれば国際犯罪と認定…)、同条約違反であることは明白です。ジェノサイドが発生した場合の解決策として、同条約は、司法解決と警察的行動を予定しています。

同条約において司法解決の機関として期待されているのは、第6条の国際刑事裁判所(ICC)と第9条の国際司法裁判所(ICJ)の二つです。責任者個人を裁く前者については、中国はICC規程の当事国ではありませんので、スペインが北朝鮮の金正恩委員長を訴追したような形でしか習近平国家主席の罪を問うことができません。一方、国家間の紛争を対象とする後者の紛争の解決にも、その付託には、紛争当事国の要請を要件としています。ウイグルのように異民族の支配下にある民族が、ここで云う‘紛争当事国’として認められるか否かの判断はICJの判断に任されることとなりましょうから(ICJが中国の領有を不法と認定した場合には紛争当事国となり得る…)、この方法も確実ではありません。もっとも、ウイグル人保護のために、イスラム教国の一国が当事国として名乗り出るという方法もあり得るかもしれません(それとも、何れの締約国であれ、中国を条約履行違反の廉で提訴できる?)。

その一方で、警察的活動としてジェノサイドの予防行動に責任を負うのは国連です(第8条)。同条文には安保理とは明記されておらず、総会での決議を以って防止行動を採ることができます。この方法では、常任理事国による事実上の拒否権行使を回避することも可能なのです。もっとも、当事国である中国が妨害する可能性もあり、この手段にも不安が残ります。

中国の非人道的な蛮行に国際レベルで対処するには、「ジェノサイド条約」に活用が効果的なのですが、以上に述べてきたように、70年ほど前に作成されたためか、同条約の仕組みは完璧ではありません。しかしながら、ジェノサイドの罪を厳しく問うことは、国際レベルでの対中批判を強める効果はありますし、対中制裁の合法的な根拠ともなり得ます。中国の強大化した軍事力を考慮すれば、日本国を含む何れの諸国もウイグル人の過酷な運命は‘明日の我が身’ともなり得るのですから、中国に対する人道的な見地からの制裁を真剣に検討すべき時期に至っているのではないかと思うのです。

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AIは人類の知的進化を阻害する?

2018年09月24日 14時19分52秒 | 社会
今日、AIは、様々な分野での活用が期待されており、将来的には人の仕事を奪いのではないかとする懸念も広がっております。AIの登場は、人、あるいは、社会と云うものを、その根底から変えようとしているかのようです。

 AIとは、凡そ最適解を導き出すことを目的に設計されていますので、入力データが同じであれば、同一の解が示されるはずです。‘これしかない最適解’の提示、これこそが、AIが本領を発揮する場面です。仮に、AIごとに提示される解が異なれば、最早、人は、AIを信じなくなることでしょう。神の如く、人の知力では到底及びもしない判断能力がAIの‘売り’なのですから、どちらが正しいか分からない解が複数存在しては、この神話が崩壊してしまうのです。

AIの機種によって解が異なるとすれば、それは、プログラミングの優劣の結果となります。そして、AIに対する評価は、最適解が如何に現実において有用であるかによって決まりますので、AIが進歩すればするほど、最適解に到達する能力の低いAIは、その製品価値において低評価を受け、淘汰されることになりましょう。つまり、最高度の能力にまで達した時点において、AIは、はじめて唯一の解を提示し得るのです(知能におけるAIの極限までの進化…)。

一方、人の場合には、何らかの問題に直面すると、まずは、自らの知能を働かせて解決策を見出そうとします。解き難い問題の発生は、苦しいながらも人類が自らの知能を発展させるチャンスでもあるのです。加えて、一人では解決できない場合には、身の回りの誰かに相談したり、集会や会議を開いて議論を闘わせて有効な対策を練るのは、古今東西を問わず、人類社会の特性です。多様な人々が知恵を寄せ合って問題を解決する、あるいは、誰かの提案に対して他の人々が検討を加えて修正し、より善い解決策を導くと言った作業は、これまで言語能力を有する人のみが行ってきました。

ところが、人類が、AIに問題解決を託すようになれば、もはや、人々が知恵を出し合い、多様な意見を述べあう必要はなくなります。あらゆる人々の個人データを網羅して収集したビッグデータさえあれば、AIは、多様な意見が存在しなくとも、データの解析で解を出すことができるのですから。

AIに関するメディアの報道からしますと、少なくとも、その開発者やAI信奉者の人々は、その超越性においてAIを‘神’、あるいは、人工の‘超人’の出現とみなしたいようです(実際に、このレベルに達するか否かは不明…)。AIにあらゆる決定を委ねる社会が出現しますと、人は、問題解決のために思考能力を使う必要がなくなると共に、人間関係も希薄となり、多数の人々が参加する議論も意味を失います。言論の自由や闊達な議論に基礎を置く議会制民主主義も形骸化してゆくことでしょう。

かくして、知能面における人類の進化も望めなくなり、脳が退化する方向に向かうことにもなりかねないのです。それとも、過去のデータの独自解析のみで未来を決定しようとするAIに対して、人としての倫理観や価値判断の下で善き未来を築こうとする人々が反旗を翻すことで、AIによる人類支配は終焉を迎えるのでしょうか。

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中国・バチカン合意の背景に何があるのか?

2018年09月23日 14時01分50秒 | 国際政治
香港の枢機卿、危惧表明 中国バチカン合意で
共産主義を唯一絶対の国定イデオロギーとして報じる中国にあって、キリスト教とは、いわば‘異教’です。独裁色を強める習金平体制の下、日々、キリスト教徒に対する監視や抑圧は強まっているそうです。こうした中、その中国が、司祭の任命権問題に解決の見通しが付いたため、国交樹立に向けての合意が成立したとの報道が全世界を駆け巡っています。

 共産主義とキリスト教の双方の‘教義’を比較しますと、両者は水と油の如きです。前者は、資本家階級を‘敵’と見做してその打倒=虐殺を容認しますが、後者は、‘汝の敵を愛せ’と説き、寛容の精神を唱えます。また、前者は神の存在を否定し、宗教を麻薬と見なして蔑視する唯物主義の立場にありますが、後者は唯心主義にして神の存在を信仰の根源に置いています。両者の間の根本的な教義上の違いに注目すれば、中国がキリスト教を容認するとは思えないのですが、もう一歩、複雑に絡み合う歴史の深部を探求してみますと、両者を繋ぐ接点となる共通項がないわけではないようなのです。

 両者を繋ぐ共通項として推測されるのは、ユダヤの系譜です。現ローマ教皇であるフランシスコ法王は、ローマ教皇庁始まって以来のイエズス会出身の法王です。イエズス会とは、1543年にイグナティウス・ロヨラによって創設されたカトリック系男子修道会であり、日本布教で知られ、また、中国でも布教を試みたフランシスコ・ザビエルも創始者の一人でもあります。現法王のフランシスコの名は、聖人とされるアッシジのフランチェスコに因んでいるようですが、ザビエルにも肖っているのかもしれません(フランシス法王は、故国アルゼンチンにおいてユダヤ人とは極めて良好な関係を築いており、シナゴークを訪問した際には、「兄であるあなた方と共に」と述べたと伝わる…)。そして、ロヨラやザビエルの出身地がイベリア半島であったことから、同教団には一つの特徴が見受けられます。それは、その会員の多くが、改宗ユダヤ人であったことです。ユダヤ人は、世界大のネットワークを有していますので、イエズス会は、これを布教活動に利用したことはあり得ることです(中国の開封にもユダヤ人街があった…)。昨今、日本国内でも、長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺跡が世界文化遺産に登録されましたが、例えば、イエズス会宣教師のルイス・アルメイダも、ユダヤ系イエズス会士の一人とされています。

 一方、共産主義の特徴もまた、教祖であるカール・マルクスに留まらず、その党員の多数もユダヤ系であったことにあります。その由来は、当然に党の組織形態にも影響を与えており、‘細胞’と称された党組織のネットワークを全世界に張り巡らすことができたのも、離散したユダヤ人たちが保ってきた全世界レベルのユダヤ人ネットワークなくしてあり得なかったかもしれません。共産主義もまた、その‘布教’にユダヤ系ネットワークが一役買っているのです。

 ここに‘ユダヤ系’と云う両者の接点とも言うべき共通項を確認できるのですが、特に、注目すべきは、共産主義とイエズス会との間に見られる組織原則における共通性です(この点は、渡辺京三氏も指摘しているらしい…)。イエズス会は、しばしば軍隊組織に類似していると指摘されてきましたが、両組織とも、そのメンバーにはトップに対する絶対服従が課せられています。また、国際ネットワークのみならず、政治権力との結びつきを重視し、各国の統治組織にメンバーを浸潤させていった点も、両者の共通点です。イエズス会における上意下達の徹底は独裁体制との間にも親和性が高く、この特徴は、共産党の組織とも共通しているのです。共産主義もまた、平等を謳いながらも組織としてはピラミッド型であり、共産主義体制は常に独裁に帰結する傾向にあります。

 中国とバチカンとの握手は、フランシスコ法王がカトリックの本流ではなく、その偽善性において問題視され、しばしばバチカンから解散を命じられていた傍流であるイエズス会出身であったからこそ、実現したのかもしれません。仮に、この憶測が的を射ているとすれば、中国において許容される‘キリスト教’とは、その実、‘ユダヤ教’、あるいは、その亜流の‘仮の姿’であり、共産党と手を携えて自らの‘理想=全体主義的な人類支配’に邁進するのではないかと懸念するのです。

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ナチス政権誕生は‘普通の人’が悪魔化したからか?-復讐心の因果分析を-

2018年09月22日 15時02分42秒 | 国際政治
従来の定説によれば、ドイツにおけるナチス政権の誕生は、外部の状況によって、ごく‘普通の人’の心に潜む残忍性が表出したから、とも説明されています。人は誰でも心の内に悪しき闇を持っており、時にしてそれは社会全体を巻き込む渦となって、恐るべき怪物を生み出すと…。

 この説によれば、誰もが悪魔の一員になり得るのですが、こうした性悪説は、ナチス政権を支持する人々の心理を的確に分析しているのでしょうか。実のところ、人にも、生物に共通する生存本能がありますので、自らを護りたいとする心の働きを‘悪’と認定すれば、全ての人は悪人になり得ます。自己保存本能=悪の定式に従えば、確かに、性悪説も成り立つのですが、一般的には、宗教的な教理を除いては、自己本能をそのまま‘悪’と認めている社会は殆ど存在していません。人々が‘悪’と認定するのは、それが他害性を有する場合です。自らの利益のために他者を害する、つまり、利己的他害性の有無こそが、古今東西を問わず、凡そ人が‘悪’を認定する一般的な基準なのです。

 それでは、何故、人が人に対して残酷になる場合があるのでしょうか。共食いを行う生物種とは違い、人とは、日常的には他者の生命や身体等を害することがないよう(=悪人にならないよう…)、自己と他者との間の調和を計りながら生きています。ところが、しばしば、この自他のバランスが崩れる場合があります。それは、自らは何らの加害行為をも行っていないにも拘わらず、上述した意味での‘悪人’、即ち、自らの利益のために他者を害することを是とする人によって、許し難い被害を受けた場合です。人には、高い知性に裏打ちされた公平感覚が備わっていますので、この時、被害者は、加害者に対して自然の、そして、至極当然の反応として怒りの感情をいだきます。そして、加害者に対する怒りは、被害者をして自他のバランスを回復させるための復讐に駆り立てるのです。この被害者の復讐心こそ、人が人に対して見せる残虐性の根源の一つなのかもしれません。

 こうした加害と被害との間の因果関係の観点からナチス政権誕生における群集心理を読み解くとしますと、定説とは別の見方もあり得るように思えます。ヒトラーを独裁者の座に登らせた根本的な要因は、一般のドイツ人の復讐心にあったように思えるのです。第一次世界大戦後、否、近代以降のユダヤ人の利己的な振る舞いは、一般のドイツ人の復讐心を煽るに十分過ぎるほど十分でした。それが、ナチス政権幹部の大半がユダヤ系であったことが示すように、極めて巧妙に仕組まれた策略であったとしても…。この点に注目すれば、ナチス政権誕生が残した歴史的教訓とは、‘普通の人々を迫害者に変える心の闇に警戒せよ’はなく、‘一般の人々に復讐心を抱かせるような、利己的で無神経な他害的な行為を為してはならない’と云う行動規範なのではないでしょうか。結果ではなく、原因を除去する方がより効果的なのは言うまでもありません。

今日、日本国を含め、移民問題が各国において深刻化していますが、こうした異民族が関わる問題にあっても、この教訓は参考になります。移民、あるいは、移民斡旋事業者は、移住先の一般国民にとりましては、職が奪われる、賃金が低下する、治安が悪化する、そして、伝統や文化が侵食されるといった側面において、喩えその自覚がなくとも移住先の国民に対する‘加害者’となり得るからです。しかも、移民の側も、移住先の国で差別的な扱いを受ける、あるいは、社会的に不遇な立場となる場合には、自らの加害性に思い至ることもなく、不当に害されたとのみ思い込み、移住先の一般の人々を恨むことにもなりましょう。双方が相手方に対して復讐心に燃えるような事態になれば、その結果は、火を見るよりも明らかです。

このように考えますと、一般国民と移民との間の復讐心に起因する社会的な対立や摩擦を回避するためには、その原因となる移民政策こそ、避けるべきなのではないでしょうか。移住先の国民にのみに‘寛容’を求め、移民の増加に反発する一般国民を‘悪人’と決めつけるのは、因果関係も、歴史の教訓をも無視しているように思えるのです。

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日本産農林水産物1兆円輸出プロジェクトの問題点

2018年09月21日 11時01分52秒 | 日本政治
 貿易自由化の波は農業分野にも押し寄せ、国際競争力に乏しい日本国の農業は、常に守勢とならざるを得ない状況にありました。その一方で、日本産の農林水産物の品質は高く、また、日本米、日本酒、醤油、味噌など、和食ブームによる料理素材に対する海外需要は、近年、著しく伸びています。この側面からしますと、日本国政府が進めている農林水産物・食品輸出拡大方針は、自国の強みや特性を活かすのですから、政策の方向性としては間違ってはいないように思えます。しかしながら、問題点が全くないわけでもなさそうなのです。

 第1の問題点は、日本国の食糧自給率が極めて低い点です。日本政府が打ち出している輸出拡大政策には、明確な目標が設定されています。それは、2019年までに輸出総額1兆円を達成すると言うものです。2016年の輸出実績は、既に7502億円に達していますので、冒険的とも見える1兆円という数字も夢物語ではありません。その一方で、日本国の食糧自給率は2017年度のカロリーベースで38%であり、1961年度の78%から一貫して低下し続けています。余剰生産力を有する国が輸出に熱心となるのは当然ですが、日本国の場合、自国の食糧生産が十分ではないにも拘わらず、輸出を拡大させますと、食料自給率の低下に拍車をかけることとなります。

 第1の問題に関連して第2に挙げられる点は、日本国内の食料品価格の上昇リスクです。食糧が不足する状態で輸出を増やしますと、国内市場に出回る農林水産物の供給量が減少しますので、価格の決定要因の一つである需給バランスが崩れます。つまり、日本国内では品薄状態となり、国産品の価格が上がる可能性があるのです。物価の全般的な上昇は、その原因が何であれ日銀としては歓迎なのでしょうが、国民の家計を直撃します。

 第3の問題点は、第2の問題点の解決策として安価な外国産の輸入を増やした場合、第一の問題点が悪化すると同時に、‘安全で高品質な国内産は海外富裕層向けに、安全性が低く低品質な外国産は日本国民向けに’という、一種の‘国際分業’が成立してしまうことです。この状態に至りますと、土壌や大気がクリーンな日本国内の農村は、ブランド化された輸出向け農産物の生産地となる一方で、日本の一般家庭の食卓には、新鮮で安全な食材が上らなくなります。今日、健康ブームで国産品の需要が高まっている折、日本国で実る海や山の幸は、一般の国民にはさらに手の届かない高級品となりましょう。数年前のまぐろの初セリで、香港の事業者が法外な値で日本人事業者に競り勝ちましたが、資金力に優る海外勢力の手にかかれば、国産の農林水産物、否、日本の農業は、海外勢力に押さえられてしまうかもしれないのです。

 以上に主要な問題点を3点ほど指摘しましたが、政府が、目標数値の達成を最優先事項と見なし、さらなる輸出拡大策を推し進めますと、この政策は、家計のエンゲル係数を上昇させ、食の豊かさを失うという意味において望ましいとは思えません。この点を踏まえれば、まずは国内の食料供給、農業の高付加価値化、農地の有効利用等を第一とし、その上で、日本国民にマイナス影響を与えない範囲において輸出拡大政策を採るべきなのではないでしょうか。日本国中に輸出向けプランテーションが乱立する光景が、未来の日本国の姿であってはならないと思うのです。

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金正恩委員長訪韓のジレンマ―‘演出’が通用しない世界

2018年09月20日 14時03分29秒 | 国際政治
正恩氏、反対押し切り訪韓決断 文氏補佐官明かす
韓国の金在寅大統領の平壌訪問は、北朝鮮による国家挙げての‘熱烈歓迎’により、同大統領にとりましては、居心地の良い滞在であったかもしれません。平壌空港から市内に向かう途上でオープンカーに乗り換えた南北首相は、‘平壌市民’が両国国旗や統一旗、そして、造花の花束を振る中を共に満面の笑顔で通り抜けたのでした。

 この‘熱烈歓迎’のシーンは、北朝鮮‘お決まり’の演出によるものであり、‘演出’を常套手段とする全体主義国家の特徴でもあります。傍から見ますと、その意図が見え透いていますので、日本国内では冷ややかな反応が大半を占めているのですが、国家挙げての一大行事とされていますので、中には自己陶酔に陥っている北朝鮮国民も少なくないのかもしれません。動員された同国国民の内心を知ることができませんが、少なくとも、韓国大統領の歓迎は、国民の総動員なくしてはあり得ないのです。

 北朝鮮側の舞台である平壌では、南北の合作による‘演出’は一先ずは滞りなく成功裏に終わったのですが、この舞台を韓国のソウルに移した場合、どのような事態が起きるのでしょうか。金委員長は、年内にも、答礼として韓国の首都ソウルを訪問する意向を示しています。仮に、同委員長によるソウル訪問が実現するとしますと、南北両国における国家体制の違いが表面化し、両首脳とも、窮地に陥る可能性があります。

 上述したように、国民を総動員し、かつ、情報を統制できる全体主義国家では、完璧な政治ショーを演出することができます。国家全体が劇場であるからです。ところが、自由主義国の政府にとって、国民を動員したり、関連情報を統制することは前者とは比較にならない程困難な課題です。韓国には、政界との繋がりがある宗教団体も多いとされ、関連団体等の協力を得れば、大通りで信者やメンバーに旗を振らせることぐらいはできるかもしれませんが、文政権の見境のない対北融和政策に反対する政治団体も多数存在しています。同国が、事あるごとにデモや反対集会が開かれる国柄であることを考慮すれば、当然に、金委員長訪韓時をチャンスとみて、大々的な反北キャンペーンが張られる可能性もあります。

 文政権の支持率は低下傾向にあるそうですが、文政権と対峙する保守系野党、及び、文政権の親北宥和政策に反対する国民が結集すれば、たとえ文大統領が、綿密に政治ショーの演出を計画したとしても、両首脳は、行く先々で反対デモに遭遇し、‘独裁反対’といった罵声を浴びせられないとも限りません。そしてこの時、両首脳は、深刻なジレンマに陥ることとなります。平壌において熱烈大歓迎を受けた文大統領は、金委員長の面子を潰す、あるいは、韓国国民のブーイングに同委員長の怒りを買いかねない一方で、これを回避するために強権的な統制を行えば、韓国の民主的な自由主義国としての看板に傷が付くこととなります。一方の金委員長も、全体主義国では成功する政治ショーが民主主義国家では通用しない現実を思い知ると共に、たとえ将来的に北朝鮮主導で韓国と統合しても、一筋縄では行かないことも悟ることでしょう。韓国から自国に情報が自由に伝わるようになれば、金王朝とも揶揄される独裁体制も維持できなくなるかもしれないのですから、これもまた、深刻なジレンマとなります。

 以上の点からしますと、文大統領の訪朝よりも金委員長の訪韓のほうが、遥かに波乱含みです。両国共催による南北融和を演出した政治ショーは、金委員長の訪韓によって、あっさりと幕を閉じてしまうかもしれないのですから。

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米中貿易戦争は第三次世界大戦を誘発するのか?

2018年09月19日 14時38分59秒 | 国際政治
中国、米と同時に報復関税へ 新たな対抗手段も
トランプ政権による対中制裁関税の第三段が発動される運びとなり、当事国のみならず、日本国内でも警戒論が広がっております。とりわけ、列強を中心としたブロック経済化が第二次世界大戦を誘発した事例が前例として取り上げられ、危機感を煽る向きも少なくありません。米中貿易戦争は、戦争への道であると…。それでは、今般の米中貿易戦争は、現代という時代にあって第三次世界大戦を招くのでしょうか。

 政府による高い関税障壁の構築という側面だけを見ますと、米中貿易戦争は第二次世界大戦前夜と類似しています。アメリカは、1930年6月にスムート・ホーリー法を制定して、2万品目を越える輸入品の関税率を大幅に引き上げ、保護主義に向けて舵を切ります。加えて、1932年にカナダのオタワで開かれた大英帝国の帝国経済会議でも、イギリスは自由貿易主義を放棄し、保護主義的な帝国特恵関税制度の採用に踏み切りました。この動きは各国に及び、列強を中心とした通商・通貨ブロックが各地域に形成され、資源囲い込み競争も激化するのです。このプロセスのみに注目しますと、米中貿易戦争は、第三次世界大戦に至る道程の途中に位置しているようにも見えます。それでは、今日、歴史は再び繰り返すのでしょうか。この点を考えるに際して、以下の相違点に注目するのは有意義なように思えます。

 第一に、第二次世界大戦前夜にあって、自由貿易主義国が関税率の引き上げに転じた最大の理由は、1929年におけるニューヨーク株式市場での株価大暴落を機に全世界に連鎖的に拡大した大恐慌にありました。経済の急激な縮小はこの時に起きており、大量失業や企業活動の停滞等に対応するために、各国政府は、自国産業を保護する必要性に迫られたのです。一方、今日の米中貿易戦争の発端は、グローバル化による失業問題や中間層の破壊を伴うアメリカの国内産業の空洞化、すなわち、衰退にあります。

 第二の相違点は、ブロック経済化を最初に開始した国にあります。米中貿易戦争を仕掛けたのはアメリカであるとする論調が強く、メディア等もそのような印象を刷り込んでいます。しかしながら、国際経済におけるブロック経済化は、既に始まっておりました。乃ち、中国が打ち上げた「一帯一路構想」こそが、中国を中心としたブロック経済圏の形成に他ならないからです。そして、この視点からすれば、自由貿易主義の砦ともされるTPP、あるいは、TPP11でさえ、中国のブロック化に対する対抗的ブロック化とする見方もできます。実際に、日本国内でTPPが保守層からも支持を得られた理由は、中国が参加しないこの枠組みを、広域化を目指す中国経済に対する経済圏の形成と理解したからです。

 以上に、二点ほど主因の違いを挙げてみましたが、この違いから、一体、何が見えてくるのでしょうか。第1の相違点は、第三次世界大戦の発生要因を取り除くためには、行き過ぎたグローバリズムを是正する必要性を示しています。因果関係からしますと、原因がなくなれば、結果も起きないのですから。むしろ警戒すべきは、世界大恐慌に匹敵するような金融危機の再発であり、今後、リーマン・ショックレベルの危機に襲われた場合、各国の財政や中央銀行には救済余力が残されていないとする指摘もあります。

第2の相違点である中国によるブロック経済化に注目すれば、原因の有無や相違に関わらず、今般の米中貿易戦争は、既に大国による囲い込み競争、あるいは、大国間の覇権争いの段階に至っていることとなります。この相違点は国の違いに過ぎませんので、どの国が口火を切ろうとも、地球規模のブロック化を伴う経済的な対立が軍事的対立へと至る可能性は否定できないのです。しかも、中国が、自国の世界大での覇権を確立するためにグローバリズムの是正を許さないとするならば、第1と第2の二つの相違点は結びつき、さらに第三次世界大戦が発生する可能性は増幅されることでしょう。

このように考えますと、中国という国の危険性がより明確に浮かび上がってくるのではないでしょうか。第三次世界大戦を未然に防止するためには、若干の損失を覚悟してでも民間企業の協力を得つつ、対中抑止策に努めるべきではないかと思うのです。

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警戒すべきは保守層の国家社会主義への追い込み

2018年09月18日 15時37分17秒 | 国際政治
 イギリスの国民投票によるEU離脱の決定やアメリカのトランプ政権誕生の主要因の一つが、移民・難民問題の深刻化であったことは誰もが認めるところです。国境なき自由移動を是とするグローバリズムは、その本質において移民促進派であるため、知識人やメディア等では、これらの現象をグローバリズムにおける‘負け組’の感情的なルサンチマンとして理解する傾向があります。

 反移民感情は、移民や難民が異質な外国人であるために、ショーヴィニズムや排外主義を共通項として、しばしば、ナチス・ドイツの反ユダヤ主義と結びつけられてきました。実際に、各国共に国民一般の反移民感情の受け皿となってきたのは‘極右’とも称される政党であり、移民の制限のみならず、ベーシック・インカムの導入など、政治イデオロギーとしては国家社会主義に近い政策綱領を掲げる政党も少なくありません。しかしながら、政府が推進する移民政策に反対している一般国民の多くは、必ずしも思想としての国家社会主義や権威主義的な独裁体制の成立を支持しているわけではないはずです。

 戦前におけるナチス政権は、最も民主的であったワイマール体制から最も非民主的な独裁体制が誕生した側面に注目して、民主主義に内在する重大な欠陥、あるいは、衆愚の歴史的事例として見なされてきました。この歴史的前例を以って、政治を国民感情に任せるリスクが強調され、それ故に、多数派国民の感情に左右されかねない民主主義を否定する論拠としても用いられてきたのです。しかしながら、ここで考えるべきは、歴史の教訓として国民感情の高まりそれ自体を危険視するのではなく、戦間期に当たるワイマール体制下において、国民多数が国家社会主義へと追い込まれた因果関係を探ることではないかと思うのです。

 この視点からすれば、ナチス・ドイツの出現を準備した要因として、連合国側の過酷な対独賠償要求や第一次世界大戦後の社会民主党政権の国家運営の如何にまで踏み込む必要があるのでしょう。同大戦の終結は、キール軍港の水兵の反乱による‘ドイツ革命’を機にヴィルヘルム2世が退位するという事態を受けて、無条件降伏に近い形での停戦に至ったものであり、戦争自体は、フランス国内を戦場としたドイツ軍の優位に展開していました。戦時にあってドイツ領が連合国軍に占領された、あるいは、首都が陥落したわけでもないにも拘わらず、ヴェルサイユ条約の締結により、敗戦国として厳しい軍備制限や天文学的な賠償等を課されたドイツ国民の多くは、釈然としない感情を抱いたことは想像に難くありません。

 また、ドイツ革命を起こした主力がユダヤ人党員の多い共産主義者であったことは、その‘教祖’であるカール・マルクスやロシア革命の指導者であったレーニンがユダヤ人であったことと相まって、反ユダヤ主義の感情を呼び起こしていたのです。そして、戦争によって家族を失い、ハイパーインフレによって財産を失って失意のどん底にあったドイツ人を横目に、混乱を機にドイツ人の資産を安値で買い取り、富裕となったユダヤの人々の共感性の欠けた振る舞いは、一般のドイツ人の感情をさらに逆なでしたことでしょう。

 一般の人の公平感覚に照らしても不当と言わざるを得ないドイツに対する冷酷な措置がドイツ人一般の感情を害したのは理解に難くなく、こうした自然な感情的反発を利用したのが、ナチスであったとも言えます。そして、ドイツの悲劇は、ナチスのみが、この一般のドイツ人の不条理に対する怒りや不満を吸収し得た唯一の政党であったところにあるのかもしれません。第一次世界大戦によって齎された不当とも言える仕打ちに対して、仮に、ナチスの如くゲルマン民族優越主義や拡張主義に殊更に訴えることなく、より平和的、かつ、穏当な方法でその是正を図ることを基本方針とする健全な保守政党が存在していれば、あるいは、歴史は変わっていたかもしれないのです。

 目下、日本国民を含めて、祖国喪失のリスクを懸念し、移民政策に反対する一般国民は少なくありません。ナチス政権誕生が残した歴史の教訓が、一般国民の不満が行き場を失い、国民多数が国家社会主義といった全体主義政党への支持へと追い込まれたところにあるとするならば、今日なおも、歴史の繰り返しに警戒すべきと思うのです。

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南北首脳会談-悪しき南北トップの利害一致?

2018年09月17日 14時57分52秒 | 国際政治
南北会談2日目に合意内容発表も 18日から開催
本日の産経新聞朝刊の第一面の記事に拠りますと、文大統領は、今月18日から20日にかけて予定されている南北首脳会談に際し、財界のトップを含む200名を超える大訪朝団を結成して平壌に赴くそうです。国連の制裁決議違反とする指摘がありながら、何故、南北両国は、かくも融和を急ぐのでしょうか。

 訪朝団の規模としては、前回2007年の規模を100名ほど下回るものの、それでも、訪朝団リストには、サムスン、SK、LG、現代自動車、ポスコなど、韓国を代表する財閥系企業のトップが名を連ねています。その意味するところは、米朝首脳会談以来、先軍政治から‘先経政治’へと方向転換を図っている金正恩委員長の姿勢に同調し、韓国側にも経済協力の準備があることを示したかったのでしょう。両国が手を結べば、両国ともウィン・ウィンの関係になると…。

 しかしながら、南北の経済協力による‘勝者’は、何れも両国のトップ層に偏ることになりそうです。何故ならば、韓国財閥は、北朝鮮の安価な労働力と天然資源を利用して、グローバル市場での価格競争力を高める思惑があり、北朝鮮の独裁者である金委員長は、韓国の財閥系企業を自国に誘致することで、天然資源の売却益を得ると共に、韓国系企業に雇用された自国民に支払われる賃金から中間マージン(表向きは課税?)を採ることもできるからです。両者の思惑は見事に一致しており、韓国の財閥系企業が利益と市場シェアの拡大を期待する一方で、北朝鮮の独裁者とその取り巻きは、中国の改革開放時の共産党員と同様に、独占的な利権者として特権的利益を貪ると共に、韓国から体制保障を取り付けたに等しくなるのです。

 韓国財閥と北朝鮮の特権階級のみに注目すれば、確かに両者は共に‘勝者’となるのですが、この協力関係は、両国の国民にとりましては、期待外れとなるかもしれません。当初は南北融和ムードに両国とも歓迎一色となるのでしょうが、この熱狂は、長続きしそうもないのです。韓国の財閥系企業が北朝鮮に製造拠点を移せば、目下、失業率の高さに悩む韓国の雇用状況はさらに悪化するでしょうし、北朝鮮に対する経済支援の費用も、韓国国民の肩に重くのしかかります。北朝鮮側でも、韓国企業の席を切ったような進出は、韓国系企業に職を得た国民とそれ以外の一般国民との所得格差を実感させますし(韓国系企業に雇用された国民も、低賃金労働を搾取と見なすかもしれない…)、中国と同じ道を歩み、独裁体制下における特権階級の利権独占に対する不満も高まることでしょう。そして、日本企業を含む他国の企業にとりましても、韓国企業群による戦略的北朝鮮利用は、コスト競争力において脅威と映るはずです。

 韓国側は、南北経済協力が実現すれば、莫大な利益が転がり込む金委員長に対する、いわば、非核化への‘呼び水’として、訪朝団に財閥メンバーを加えているのかもしれません。そして、この基本方針が韓国経済トップと北朝鮮政治トップとの間だけの‘握手’であるならば、北朝鮮が非核化してもしなくとも、何れにしても両国の国民には将来に向けた明るい展望が描けないこととなります。このように考えますと、北朝鮮の独裁体制を残したまま南北を融和させようとする文政権の方針は、‘握手’ならぬ‘悪手’であって、何かが根本的に間違っているように思えるのです。

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多言語空間化する日本国の不条理

2018年09月16日 15時03分41秒 | 日本政治
 横浜駅の構内を歩いていると、スピーカーから長々と中国語による案内が響いてきます。プラットフォームでは、今流行のファッションに身を包み、スマートフォンを片手に日本語でしゃべっていた若い女性が、通話の相手を変えたのか、やおら中国語でまくしたてています。一体、ここは、何処なのでしょうか。

 横浜には戦前より中華街があるため、中華化現象は全国的ではないと信じつつも、中国からの観光客激増に応えるかのように、近年、駅での表示板や案内板では日本語に加えて中国語とハングルが並ぶようにもなりました。日本国でありながら異国のような空間の出現に、どこかで何かが違っていると漠然と感じる国民も少なくないはずです。国土交通大臣のポストが公明党議員によって占められていることも影響しているのでしょうが、事実上の移民政策を前にして、日本国政府は、外国人の受け入れ態勢の整備に動いていますので、日本語教育の充実を謳いながらも、今後、このような事例は増えてゆくかもしれません。

 それでは、一般の国民が抱く多言語空間化に対する違和感、あるいは、不条理感はどこから来るのでしょうか。この問題を考えるに当たって確認すべきは、時間と空間は有限であると言うことです。当たり前と言えば当たり前のことなのですが、殊、政治や社会の枠組について考える場合には、この有限性は重要な意味を持ちます。何故ならば、今日の国民国家体系の基本原則となる民族自決、並びに、一民族一国家の原則は、民族的纏まりに一つの国家を有する正当な権利を与えており、そして、言語こそ、民族の枠組を識別する最大の決定要因とされているからです。つまり、コミュニケーション手段である言語の共有こそ、その集団が長きにわたる歴史を経て一つの社会を形成していた証であり、独立した国家を有する政治的権利の根源とも言えるのです。言い換えますと、国民が自らの国家領域おいて自国の言語を誰憚ることなく使えるのは、今日の国際体系である国民国家体系が、有史来の人類の民族別分散定住を前提とし、多様化した民族集団の其々に自らの領域とそこで経過する時間に対する使用の排他的権利を与えているからに他ならないのです。

 このように考えますと、何故、多言語空間化に不快な感情を抱くのか、その理由も見えてきます。時間と空間の使用には国家領域に限定された有限性があり、その国の国民の正当な権利であるならば、他の言語の使用は、この権利の他民族への譲渡ともなりかねないからです。例えば、上記の駅の構内放送の場合、同一の内容を中国語で放送するには、日本語とおよそ同程度の時間を要します。つまり、一般の日本国民が圧倒的多数であったとしても、時間と空間の使用時間については日中同等となり、中国語が放送されている時間にあっては、放送が届く範囲内における言語空間が中国化してしまうのです。

 今後、外国人労働者や事実上の移民が増加するにつれ、中国語やハングルのみならず、他の言語についても、平等原則を徹底すれば同様の扱いをせざるを得なくなるかもしれません。先日も、外国人生徒の多い小学校では、運動会において多言語放送が実施されたことが、新たな試みとしてTVで好意的に紹介されておりましたものの、多言語放送ですと、一つの事を伝えるのに、言語の数だけ時間を費やさざるを得ません。国民国家とは、この意味においても、本来、最も効率の良い国家形態なのです。日本国政府は、外国人観光客や移民の受け入れについてプラス面ばかりを強調しておりますが、日本国民の空間が狭まり、異空間が広がるのでは、不満や不安ばかりが募るのではないでしょうか。

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