世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。
「慰安婦虐殺記録」を公表 ソウル市、中国南部か
昨日27日、ソウル市とソウル大人権センターとの共同調査の結果として、1944年6月から9月にかけて中国雲南省とビルマ(ミャンマー)で戦われた騰越の戦いにおいて、日本軍が朝鮮人慰安婦を虐殺したとされる映像と写真が、新たな“証拠”として公開されたそうです。しかしながらこの写真、本物である“証拠”はどこにもありません。
同写真の発見場所は、米国の国立公文書館とされています。ところが、2014年にクリントン・ブッシュ両政権下で実施された日独の戦争犯罪に関する再調査では、日本軍による朝鮮人慰安婦の“奴隷化”の証拠は見つかっておりません。“奴隷化はなく虐殺である”とする反論もありましょうが、同報告書は、戦争犯罪全般についての調査ですので、仮に、上記の“証拠”が存在したならば、この時点で問題視されたはずです。
また、1944年8月にビルマのミートキナ陥落の際に捕虜となった朝鮮人慰安婦20名に対する米国戦時情報局による聞き取り調査でも、これらの人々は、強制連行ではなく、プロの職業婦人であったとする証拠を残しています。日本国の裁判所で起こされた訴訟も、ビルマの慰安所で働いていた元朝鮮人慰安婦によるものですが、同訴訟は、戦後、軍事預金の引き出し停止や軍票の無効化による損害の賠償を求めるものでした。インフレ説はあるものの、この預金高は巨額であり、慰安婦たちが比較的リッチな生活を楽しむ余裕があったことは、先の米軍による調査、並びに、近年発見された慰安所で働いていいた元朝鮮人帳場人による『慰安所日記』の内容と凡そ一致しています。
加えて、米中連合軍による騰衝(騰越)での撮影は、9月13日の晩とされ、殺害された朝鮮人慰安婦の数は30名とされています。しかしながら、騰越の戦いでは、この日までに日本軍は戦力を消耗し、最後は、太田大尉以下70名の将兵が敵陣地に突入して玉砕しております。韓国側は、玉砕を拒否した朝鮮人慰安婦が虐殺されたと説明していますが、70名の将兵が、その約半数にものぼる30名の朝鮮人慰安婦と最後まで行動を共にしたとは考え難く、この説明は極めて不自然なストーリーとなります。
おそらく、韓国側としては、日本軍による強制連行と“奴隷化”については虚偽であることが明るみになりつつあるので、今度は、戦争末期の混乱時における慰安婦虐殺に論点を巧妙にすり替えようとしたのでしょう。しかしながら、この点に関しても、ネット上では、同映像に映る人物の動きが第二次世界大戦当時の撮影技術ではあり得ない程スムースである点など、捏造説が蔓延しています。歴史的事実に関しては慰安婦合意に含めれないとするならば、日本国政府も、この映像・写真については、徹底的に真偽を検証すべきではないでしょうか。もしかますと、韓国側が主張する“証拠”に対する反証こそ、日本国の名誉回復のチャンスとなるかもしれないのですから。
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米大統領「私なら丸腰でも突入」 高校銃乱射事件で警官の対応非難
南部フロリダ州の高校で発生した銃乱射事件では、警察官が4分間にも亘って校舎への突入を躊躇ったため、犠牲者を増やしたとする批判が湧いているそうです。当該警察官は辞職を余儀なくされましたが、この一件に関するトランプ大統領の発言が注目を集めています。
その発言とは、「私なら武器を持っていなくても現場に突入した」というものです。マスメディアの報道ぶりは必ずしも好意的ではないようなのですが、些か無茶にも聞こえるこの言葉にこそ、アメリカの有権者を惹きつけ、トランプ大統領を誕生せしめた鍵が隠されているように思えます。
丸腰で銃乱射の現場に飛び込む行為は、自らの命を落とすリスクと背中合わせです。否、確率からすれば、無防備な者を狙う卑怯な乱射犯に撃たれる可能性の方が高いかもしれません。誰もがしり込みし、自己犠牲を覚悟しなければならない行為には、他者の命を侵害者から護ろうとする人並み外れた勇気を要します。そして、古来、誰もがなし得ない故に、それを為した人は英雄とみなされ、人々から称賛と敬意を受けてきたのです。もっとも、今般のトランプ大統領の発言は今のところは言葉だけですので、実際にこうした場面に遭遇した時、自己犠牲的な行動を取るかは分かりませんが、たとえ言葉だけであっても、こうした発言に心を動かされる人は少なくないのです。
そして、トランプ政権のモットーである“アメリカ・ファースト”も、しばしば利己主義や自国第一主義と解されていますが、選挙戦においてアメリカ人雇用の確保やテロリストの排除が訴えられたように、その本質において、国民保護の文脈において語られています。現代という不安定な時代にあって、トランプ大統領は、サイレント・マジョリティーの深層に隠されてきた”国民が政府に求めるもの”を把握し、それを提供しようとしたのです。
その一方で、リベラル派は、斜め上からの視線で自己犠牲的行動を非合理的な愚かな行動とみなし、治安の維持や国民生活の安定よりも、犯罪者の人権を尊重し、国民に対しては痛みを伴う改革を押し付けようとしてきました。古来、国家の中心機能の一つであった保護機能は、あたかも時代遅れの如くに扱い、徹底した個人優先の思想を信奉し、破壊を伴う“変化”に絶対的な価値を与えてきたのです。
トランプ大統領に対しては、フェミニズムの立場からは男性優位主義とする批判もありますが、自己を犠牲にしてでも無辜の人々を護る精神までもが“男らしさ”と共に葬り去られてしまうのでは、女性や子供のみならず、無防備で善良な人々は誰からの助けを得られず、お互いが“見捨て合う”という殺伐とした社会が出現することでしょう。トランプ大統領の発言は、しばし忘れられてきた自己犠牲の精神、そして、真の勇気とは何か、という問題を改めて提起しており、それは、アメリカ一国の問題ではないように思えるのです。
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中国「終身制時代」へ性急な改革 共産党内の一部には重苦しい雰囲気
反腐敗運動を粛清の口実に利用しつつ、昨年10月に開催された共産党全国人民代表会議において独裁的地位を固めた習近平国家主席。その野望は遂に習体制の永続化に及び、国家主席の任期を連続2期までとする憲法上の制約を撤廃する方針なそうです。
同憲法改正案が成立すれば、3期どころか“終身国家主席”の可能性も視野に入ってくるのですが、この改革、どこか不吉な予感を漂わせています。何故ならば、歴史を振り返りますと、独裁体制の成立とは、第二次世界大戦に先立つドイツのヒトラー政権の誕生は言うまでもなく、戦争との結びつきが強いからです。ロシア革命以降、ソ連邦が狂暴化した背景には、一党独裁を個人独裁に転換したスターリンによる独裁体制の成立がありましたし、ソ連邦の復活を夢想し、軍事行動を厭わないプーチン大統領も、ロシア共和国憲法における任期規制の迂回ルートをあざとく見付け、大統領の座に返り咲いています。
こうした事例は枚挙に遑がないのですが、独裁体制と戦争との関連性は、その組織形態から説明することができます。何故ならば、開戦の決定権は言うに及ばす、軍隊ほど、集権的な指揮命令系統を必要とされる組織はないからです。目まぐるしく戦況が変化する戦場にあっては、リーダーその即決・即断、並びに、その命令を受けた軍隊の組織的、かつ、迅速な行動が勝利の行方を決してきました。平時においては、国民各層の利害を慮りながら合意を形成する調整型のリーダー等も必要とされますが、有事には、統率型のリーダーが適しているのです。しかも、有事にあっては、平時ほどにはリーダーの暴走をストップさせるブレーキ機能を要しません。戦場とは、兵士や兵器の対決によって勝敗が即決される場ですので、ブレーキをかける暇もなければ、その必要性も低いのです。
独裁のメリットとしても指摘されている上意下達の迅速性と効率性は、何れの国でも軍隊組織においてこそ発揮され、有事には有効に機能しますが、平時にこの体制を維持しますと、国民、並びに、周辺諸国が巻き添えとなります。同体制を維持したい独裁者は、国民に忠誠を求め、かつ、国民を厳格な統制化に置くために戦争を渇望すると共に、戦争が相手国を要する以上、周辺諸国は同国から侵略を受けるリスクが格段に高まるからです。
この側面に注目すれば、今般、中国が、人民解放軍の掌握を伴う長期独裁体制の方向に向かって歩を進めているとしますと、これは、国家の全面的な軍隊組織化、即ち、軍事独裁体制が成立する予兆なのかもしれません。国連の常任理事国であり、核保有国でもある中国において軍事独裁体制が敷かれるとしますと、その脅威は北朝鮮の比ではありません。同憲法改正案が成立する日、それは、国際社会が一段と対中警戒レベルを上げざるを得なくなる暗黒の日となるのではないでしょうか。
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「外国籍取得したら日本国籍喪失」は違憲 8人提訴へ
報道に拠りますと、外国籍を取得すると日本国籍を失うと定める国籍法の合憲性を争う訴訟が、東京地方裁判所に起こされるそうです。原告は、スイスやフランスに在住している8名の元日本国籍者とのことですが、この訴え、原告側が主張する憲法上の根拠を見ましても、かなり無理があるように思えます。
原告側は、第一に、国籍法第1条1項は、憲法第13条(幸福追求権)に反するとしています。しかしながら、第13条は、“公共の福祉に反しない限り”個人の幸福追求は“立法その他の国制上で”尊重されると述べるに留まり、その具体的な内容を詳述しているわけではありません。原告側は、現行の国籍法の規定は個人の幸福追求を害していると訴えていますが、裁判所においてこの言い分が認められれば、あらゆる法律が、違憲として判断されるリスクが生じます。何故ならば、法律とは、無限の自由(放縦)ではなく、規律ある自由を実現するために、個人の行動に一定の枠を与えるものであるからです。第13条が、一部の人々の個人的、かつ、主観的な幸福感の有無によって法律を改変する法的根拠となるならば、これは、拡張解釈による法の私物化としか言いようがありません。
原告側が第二に根拠としている憲法の条項は、第22条2項(国籍離脱の自由)です。この条項には、「何人も、外国に移住し、又は、国籍を離脱する自由を侵されない」とあります。同条文を文字通りに素直に読めば、原告の人々は、まさしくこの自由を謳歌したこととなります。何故ならば、外国に移住し、(外国国籍を取得することで)自らの自由意思で日本国籍を離脱したのですから。しかも、条文では、“外国国籍を取得する自由”ではなく、“国籍を離脱する自由”と明記しており、むしろ、無国籍者の発生を回避し、外国国籍の取得と日本国籍の離脱を一対として捉えている現行の国籍法第1条1項の規定と合致しているのです。
さらに、原告側は、上記の憲法の条文の他に、時代の変化を違憲の根拠として挙げています。重国籍の禁止は、明治憲法下の徴兵制(兵役の義務)を前提としたものであり、日本国を含め、多くの諸国において徴兵制が廃止され、グローバル化が進展した今日では時代遅れであると主張しているのです。しかしながら、重国籍と徴兵制の問題に関しては、国際法において調整のルールが設定されており(「二重国籍における軍事的義務に関する議定書」)、国際社会では、徴兵制の有無は二重国籍の容認とは直接には関係しません。また、蓮舫議員の二重国籍問題に関連して議論されたように、民主主義国家である限り、同問題は、政治や社会等の全般に亘って外国による内政干渉の問題を引き起こします。加えて、近年、スウェーデンやフランスにおいて徴兵制復活の動きがあることに加え、オーストラリアなどでも重国籍の国会議員が失職しており、徴兵制廃止や二重国籍容認は時代の流れとも言い難く、むしろ重国籍が問題視されているのが現状です。
このように考えますと、現行の国籍法を違憲とする原告側の言い分は、極めて“我儘”な要求に聞こえます(そもそも原告の人々は、権利は求めても、日本国に対する義務を負うつもりはあるのでしょうか…)。もっとも、原告側の主張を否認する判決が下されれば、重国籍を認めていない現行の国籍法の合憲性が確定することになり、これまでその曖昧さが問題視されてきた“外国人の日本国籍取得における重国籍”の禁止についても、法的解釈が明確化する一助となるかもしれないと思うのです。
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北朝鮮に対するアメリカの軍事制裁の可能性について、否定的な見解の一つに、北朝鮮の体制が崩壊して南北両国が統一国家となった場合、反日リスクが高まるとする説があります。この論者は、日本国の安全保障に鑑みれば、現状維持をよしとする立場にありますが、果たして、反日リスクの上昇は、日本国が北朝鮮の現体制維持を支持する根拠となるのでしょうか。
この説が説得力を有するためには、朝鮮半島が南北に分断している現状の方が統一コリアよりも反日リスクが低いことを示す必要があるのですが、現状を見ますと、必ずしもそうとばかりは言えないように思えます。確かに、韓国は、日本国の同盟国であるアメリカと米韓同盟を結んでおり、冷戦期にあっても西側陣営の一員でした。しかしながら、今日に至るまでの対日政策を概観しますと、初代大統領を李承晩とする1948年の建国以来、一貫して反日政策を国是として遂行してきました。この基本方針は大統領が交代しようとも変わらず、竹島の不法占領、日韓基本関係条約締結時の紛糾、慰安婦問題、徴用工問題等々、日韓間の紛争や摩擦は年を追うごとに増加する傾向にさえあるのです。現文在寅政権に至っては、2016年末に成立した日韓慰安婦合意に違反する行動を繰り返しており、日本国には、韓国の過激な反日政策に悩まされ、苦しめられてきた歴史があるのです。
こうした韓国の歴代政権の反日政策は、共にアメリカの同盟網にありながら、味方であるはずの日本国を後ろから叩き続けるようなものです。しかしながら、安全保障上の脅威としてのロシア(ソ連邦)、中国、そして北朝鮮の存在は、日本国政府が無碍に韓国に対して厳しい政策を採ることができない理由ともなりました。“日米韓の結束”は、枕詞のように対韓政策の頭に付けられてきましたし、実際に、日本国政府は、常に韓国を腫物に触るように扱い、同国に配慮した譲歩的な政策を選択してきたのです。言い換えますと、南北分断の現状とは、日本国が、北朝鮮は言うに及ばず、韓国からも背信的な攻撃を受けるという忌々しき状況に置かれることを意味したのです。
南北分断状況における反日リスクは決して低いものではなく、特に味方陣営の一員からの執拗な敵視や巧妙な侵害行為は、ストレートな対処が困難です。こうした点に鑑みれば、統一コリアがどのような形態で出現するにせよ、反日リスクが急激に上昇するとは思えません。統一コリアの反日政策を理由とした金一族独裁体制温存論はやはり説得力に乏しく、自由主義国家である日本国は、今日の危機の源にある非道な独裁体制を問題視すべきであり、北朝鮮の体制崩壊こそ後押しすべきではないかと思うのです。
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金与正氏を批判=「専制の中心」「邪悪な一族」―米副大統領
今月20日、米国務省のナウアート報道官は、今月9日の平昌オリンピック・パラリンピック開会式を機に計画されていたペンス米副大統領と北朝鮮高官代表団との間の米朝極秘会談が、北朝鮮側の直前の申し出によりキャンセルになった事実を公表しました。この一件、北朝鮮問題の対話解決の道が閉ざされたことを意味するかもしれません。
北朝鮮側がキャンセルした理由とは、ペンス副大統領が、会談に先立って脱北者と面会したり、対北追加制裁に言及したことが挙げられています。おそらく、アメリカ側のこうした行動から、北朝鮮は、たとえ会談の席に着き、アメリカとの直接対話に臨んでも、自らの要求をアメリカ側が呑むはずはない、と判断したのでしょう。否、逆に、アメリカから核・ミサイル開発の放棄を強硬に迫られる事態をも予測し、耳を塞ぐために対話路線から自ら逃げ出したようにも見えます。
突然にキャンセルされたアメリカも、北朝鮮には最早対話路線に戻る意思はない、とする確信を得たはずです。実際に、帰国したペンス副大統領の対北批判はエスカレートしており、金与正氏を含む金一族の独裁体制に対してその邪悪さを強調しています。一時は封印していた体制批判にまで及んだところを見ますと、アメリカが対北軍事制裁に踏み切った場合、“金王朝”の崩壊を目的に含める意思を示したのかもしれません。
以上のように考えますと、米朝間の一連の動きは、双方ともが対話路線を諦めるに至る決定的な局面であったとも解されます。もっとも、アメリカが実際に軍事制裁を実行に移すならば、北朝鮮を油断させるために逆に“友好”を装うはずであるとする意見もあります(ただし、この推測は、極秘会談キャンセル以前のものであり、日本国を置き去りとした米朝極秘会談警戒論の文脈から主張された…)。となりますと、アメリカが拳を振り上げている現状は、逆に、米軍の軍事行動が遠のいたサインとなりますが、果たして米朝は、対話路線に戻ることがあるのでしょうか。平昌オリンピックにあって、北朝鮮の“異様さ”が全世界に報じられ、ペンス副大統領も指摘したように、その倒錯した“邪悪さ”を人々が深く認識した時、米国世論、並びに、国際世論の支持を背景に、アメリカが軍事制裁を決断する日がむしろ近づいたのではないかと思うのです。
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アメリカは、その歴史において人種・民族の違いから生じる諸問題と格闘し、苦しんできた国です。この問題は、差別問題として扱われがちですが、常々不思議に思うことは、問題解決に際して、その発生原因にまで遡って語る人がほとんどいないことです。
社会の表面に現れた現象としては、主としてマジョリティーである白人によるアフリカ系、ヒスパニック系、及びアジア系といったマイノリティーに対する差別に焦点が当てられており、問題解決に際しても、メルティング・ポット(融合政策)方式やサラダ・ボール(併存政策)方式、あるいは、アファーマティブ・アクションといった社会政策が議論されてきました。何れにあっても、教育を介した差別意識の解消やマイノリティーに対する優遇措置などが政策的な解決策とされ、現状に対する対処法に留まっていたと言わざるを得ないのです。
しかしながら、冷静になってこの問題の発生原因を探りますと、そこには、移民問題という、現在、あらゆる諸国が抱えている問題との共通項が見えてきます。何故ならば、こうした問題は、歴史を経て形成されてきた自生的な集団から切り離され人々が、別の集団の内部に移入することによって生じるからです。
奴隷貿易は国際法でも国内法でも人道に反する行為として既に禁止されていますが、経済のグローバル化を背景に、国境を越えた人の移動は今日でも活発です。このことは、特に“新大陸”を人種の坩堝と化した奴隷貿易が消滅したとしても、人種・民族間の摩擦問題は、なおも起こり得ることを示しています。かつて、黒人の人々はアフリカ大陸から‘労働力’としてアメリカ大陸に売られてきましたが、今日の移民もまた、それが自発的であれ、経済効果が期待されている‘労働力’の利用という側面には変わりはありません。実際に、この問題は、アメリカのトランプ大統領の当選のみならず、イギリスのEU離脱にも決定的な影響を与えましたし、ヨーロッパ諸国で見られるポピュリスト政党とも称される反移民政党の躍進もこの問題に起因しています。
移民問題と人種・民族差別、あるいは、人種・民族間摩擦の原因が人の移動にあるならば、こうした問題を未然に防ぐ方法は、論理的、並びに、常識的に考えれば、国境における人の移動規制(国境管理の厳格化)をおいて他にはないはずです。にも拘らず、被害者であるはずのマイノリティーの人々も、移民政策に積極的に賛意を示しいるのですから、不可解この上ありません。また、こうした問題を引き起こした実行者も、何故か、批判を免れています。実のところ、奴隷貿易が奴隷商人の手で行われたように、今日でも、その多くが人材派遣業といった事業者のビジネスとして行われている現状を鑑みれば、国境を越えた人の移動で利益を上げる事業者に対する規制も強化されるべきです。
日本国では、短期間の間に外国人人口が247万にも急増したにも拘わらず、政府は、今後も外国人への労働市場開放を促進する方針を示しておりますが、この方針は、果たして正しいのでしょうか。人を“商品”、即ち、“もの”として扱った“つけ”は、社会的摩擦や対立、あるいは、差別問題として、本来、何らの責任もない一般の国民、並びに、移民の人々の双方に負わされることになるのですから、歴史の過ちを繰り返してはならず、移民政策には慎重であるべきなのではないかと思うのです。
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アメリカでは、無差別殺人を目的とした銃乱射事件が起きる度に、銃規制の問題が浮上しては現実主義者の反論を受けて下火となります。幾度となくこの状況が繰り返されてきたのですが、国際社会における核規制もまた、同様の問題を含んでいます。そしてこの共通性は、対北政策の優先順位を考える上でも重要な判断材料ともなるように思えます。
銃の保有や売買を完全に禁止しようとする規制派の人々は、“銃を保有する人々がこの世からいなくなれば、こうした凄惨な事件は起きなくなる”と単純に考える理想主義的な思想の持ち主です。いわば、性善説を信奉する人々なのですが、これらの第1の類型の人々には、“世の中には犯罪者となり得る悪人も存在する”という事実に関する認識の欠落があります。善人と悪人の混在は既に脳科学から証明されていますので、悪人の存在は、規制派の人々の理想を打ち砕いてしまうのです。国際社会においては、核兵器禁止条約を推進している人々こそ、まさにこの理想主義的規制論者の立場にあります。
しかしながら、現実を直視すれば悪人が存在していますので、仮に、規制派の人々の主張に従って銃の保持や売買を禁止するならば、銃を隠し持っている悪人による銃使用に即応し得る警察機能を備える必要があります。国家レベルでは、銃禁止法が制定され、かつ、警察が厳格な取り締まりを実施している諸国が同形態に分類されます。そして、国際社会に当て嵌めれば、核保有国に核不拡散の責任と義務を負わせ、いわば、“世界の警察官”の役割を期待するNPT体制の支持者がこの第2の類型となります。
そして、第3の類型となるのは、善人も悪人も併存する現実を受け入れ、かつ、警察機能の不完全性をも考慮した上で、悪人による銃使用に対する正当防衛のために、防御を目的とした善人の銃保有をも認めるとする立場です。正当防衛の必要性は、アメリカにおいて銃規制反対派の強力な論拠となっていますが、これは、警察機能の不備とセットとなる主張です(瞬時における殺傷能力を有する銃の使用者に対し、警察が駆けつけて即応することは現実的に不可能)。この類型は、国際社会にあっては、全ての諸国に核保有を許し、全世界的な核の多角均衡の実現による平和を唱える人々に該当します。
以上に三つの類型に分けて見たのですが、善人の安全確保を判断基準としてこれらを比較しますと、その安全の高さは、第2類型>第3類型>第1類型の順となるのではないでしょうか。第1類型が安全性において最低な理由は、仮に悪人が銃を使用した場合、善人には防御手段が一切存在しないところにあります。そして、第2類型が第3類型に優る理由は、銃の保有・使用の自由に付随する偶発的な事件が起きる可能性が低く、かつ、善人が正当防衛手段を有しながらも、確実に悪人の暴挙から逃れられるわけではないからです。
そして、今般の北朝鮮に対する政策の優先順位の視点から見ますと、この分類は示唆に富んでいます。上記の優先順位は、まさに、北朝鮮問題に対しても言い得るからです。つまり、仮に、国際社会が、アメリカを中心に北朝鮮に対して警察機能、即ち、軍事制裁を科すことができるならば(第2の類型)、それが最も望ましい解決策であると言うことです(第1の方法は、善良な国家にとって危険すぎる…)。そして、全ての諸国に核武装を認める政策(第3の類型)は、軍事制裁による解決が困難であると判断された後に選択されることとなりましょう(因みに、困難となる場合とは、悪しき国家の軍事力が上回る場合や”世界の警察官”が堕落した場合など…)。アメリカの銃規制論争は、まさに、問題意識において現下の国際社会とも共通しており、人類に対して、安全の実現に関する方法選択の問題を問いかけているように思えるのです。
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自民党では、本格的に改憲草案の作成作業が始まっており、論点となってきた教育の無償化については、第26条の3項に政府の努力義務として加える方針のようです。そう遠くない日に憲法改正を問う国民投票が実施されるのでしょうが、実施に先立って、重要な議論が抜けているように思えます。
それは、国民投票の実施に際しての国民の投票形式です。今般の改正項目としては、(1)第9条、(2)緊急事態条項、(3)参院選の合区解消、(4)教育無償化の4つに絞られています。しかしながら、この4項目、国民は、個別に選択することができるのでしょうか。
国民の中には、4項目全てには賛成できないけれども幾つかは承認したい、あるいは、何れかの一つだけは絶対に賛成しかねる、といった人々も存在しているはずです。仮に、一括選択方式が採用され、個別の項目について国民が一つ一つ丁寧に判断できないとなりますと、改正憲法が国民の選択を正確に反映したとは言い難い状況に至ることも予測されます。例えば、これらの4項目の中には、大多数の国民が反対するような改正項目が含まれているにも拘わらず、他の項目に対する賛意が牽引する形で改正が成立するかもしれません。また逆に、国際情勢等に鑑みて必要とされる改正が、他の項目に対する反対多数の影響で見送られてしまう可能性も否定はできないのです。ア・ラ・カルトで国民が個別に選択することができない一括選択方式では、いわば、“抱き合わせ販売”になりかねず、最悪の場合には、憲法改悪という予期せぬ結果を招くかもしれないのです。
憲法改正は、日本史上において初めての出来事であり、不安を抱く国民も少なくはありません。政府であれ、政党であれ、まずは、どのような形式で国民投票を実施するのか、国民に詳しく説明する必要があるのではないでしょうか。そして、憲法改正案の提案方式について議論するに際しては、一括方式に内在する上記の“牽引効果”及び“ブロック効果”の両面を十分に考慮し、是非とも、個別選択方式を検討していただきたいと思うのです。
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本日の日経新聞朝刊の一面には、“企業のドル債務 膨張”とする見出しで、世界の企業がドル建てでの債務を拡大させているとする記事が掲載されておりました。同記事は、ドル高が進めば新興国に打撃を与えかねないとして警戒を促しています。
ドル高が債務国に対してダメージを与える主たる理由は、自国通貨で換算すれば債務の返済額が拡大するところにあります。特に、“自転車操業的”で借り換えを行う場合、借入時よりも借り換え用のドル調達に際して相場が上がっていると、それだけで支払額が上昇するため、財政リスクが深刻化するそうです。また、ドル高に加えてFRBが利上げをすれば、金利の全般的な上昇や国内からの資金流出も予測され、ドル債務を抱える諸国は、ドルの動向に神経を尖らせざるを得なくなるのです。
こうした問題は、実のところ、“早すぎたグローバリズム”の問題をも浮き上がらせています。何故ならば、レッセフェール的なグローバリズムを信奉する人々は、関税障壁に留まらず、国境における全ての越境阻害の要因を取り除けば、予定調和的に相互利益が実現すると主張していますが、現実には、国際通貨体制一つを見ても、“グローバル市場”を支えるほどの対応力を備えていません。単一の“グローバル通貨”が存在するわけではなく、事実上の国際基軸通貨である米ドルも、上述したように、常に為替市場における相場の変動やFRBによる金融政策の影響を受けているからです。言い換えますと、グローバリズムが進展し、全ての諸国の経済が海外取引への依存度を高めれば高めるほど、貿易決済であれ、投資であれ、通貨の不安定・変動性に晒されるのです。
仮想通貨が抱える問題を過小評価したIMFの対応を見ましても、現在、国際社会が真剣に国際通貨体制の不備について問題意識を共有しているとは思えません。グローバル化の掛け声ばかりが先行し、その結果として発生する様々な問題については、まさしく、“レッセフェール(成るに任せよ)”であったとしか言いようがないのです。国家間、あるいは、企業間にあって歴然とした経済格差が存在する現状を鑑みれば、適度なグローバリズムと健全な国内経済が調和的に併存し得る経済体制を目指し、これを基礎とした上で安定した国際通貨体制の構築を試みるべきではないかと思うのです。
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近年に至り、中国による対外経済協力とは、実質的には植民地化政策ではないのか、とする疑いが急速に広がるようになりました。その理由は、中国の支援を受け入れた諸国が、“借金の形”に中国の要求を呑まざるを得ない状況に追い込まれる事例が頻発しているからです。
特に各国メディアが大きく報じ、注目を浴びたのは、昨年、スリランカが中国に対して南部ハンバントタ湾の運営権を貸出した一件です。インド洋に面したハンバントタ港は、海洋交通の要衝に位置しており、中国にとりましても、同港は“真珠の首飾り戦略”と称される海洋戦略を遂行する上での重要拠点となります。このため、2008年から開始された同港の整備事業は、その大半が中国からの借款によって賄われたのです。
こうして、スリランカ政府は、同プロジェクトを含むインフラ整備のために中国から80億ドルにも上る巨額の融資を高利(最高6.3%)で受けることとなったのですが、その返済が容易なはずはありません。返済に窮した同政府は、11億ドル余りで同港の運営権を中国に貸借する契約を結び(中国国有企業がスリランカ国営企業から同社の保有株の70%を取得…)、借金の返済に充てることで合意したのです。かくして、ハンバントタ港の港湾当局には中国の国旗がはためくこととなったのですが、この事件は、重大な問題を国際社会に問いかけております。それは、軍事力さえ行使しなければ、植民地化は許されるのか、という問題です。中国の行政権が及ぶ地域となったハンバントタ湾の事例は、まさしく、植民地時代における租借地と変わりはありません。
国際法では、定義等に関しては曖昧さが残されているものの、侵略等の行為は明確に国際犯罪とされております。その一方で、経済的手段を用いた他国に対する権利侵害については、国際社会の関心は必ずしも高くはありません。国際法としては、1907年に署名された「契約上ノ債務回収ノ為二スル兵力使用ノ制限二関スル条約」がありますが、この条約は、債務の返済を強制するために軍事力を使用してはならないと定めるのみであり、手段の禁止を定めているに過ぎません。しかしながら、第二次世界大戦後に至りますと、戦前の植民地支配に対する反省から、1974年12月には、国連総会において「国の経済的権利義務憲章」が採択され、その第16条において植民地主義は排除されています。今日においてなおも、植民地主義の終焉は、国際社会の基本的なコンセンサスであり、かつ、国家の行動規範であるはずなのです。
こうした国際社会の反植民地主義に照らしますと、たとえ武力の行使がなくとも、経済力に物を言わせ、他国から権益を奪取しながら一帯一路構想を前面に掲げ、中華経済圏の建設を目指す中国は、植民地主義の亡霊に他なりませんし、国際法上の違法行為の疑いもあります。そして、非軍事的な手段による他国支配の問題は、“高利貸し”に留まらず、他国に対する移民の大量送り出しやメディア支配といった手段にも及びます。中国の植民地主義への回帰が鮮明となる中、国際社会は、非軍事的な手段による他国支配に対して、真剣に対策を講じるべき時期に至っているように思えるのです。
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カーリング日本女子が快進撃。厄介なアイスに負けずメダルに突き進む
今月9日に平昌オリンピック・パラリンピックが開幕し、日本選手の活躍を期待して各種競技のテレビ中継にくぎ付けになっている方も多いかと思います。こうした中、ネット上では、NHKの放送が韓国贔屓に偏向しているとする批判が起きているようです。
特に問題とされたのは、カーリング女子の日韓対戦におけるNHKの報道姿勢です。同試合では、アナウンサーや解説者が韓国を応援しているかの如き報道ぶりであったそうなのですが、日本チームが韓国チームを逆転して勝利を確実にすると、まるで、スタジオは“お通夜”状態になったというのです。
NHK側の立場としては、報道の中立性を守るために、特定の国に肩入れはしない、即ち、日本チームを特別に応援することは控えている、と言うことのようなのですが、この言い分、公共放送の中立性を誤解しているか、あるいは、韓国贔屓を誤魔化すための欺瞞的口実としか思えません。何故ならば、公共放送の中立性とはあくまでも国内向けであり、国内の様々な利益団体や宗教・思想団体等からの中立性を意味しているからです。例えば、国の政府もまた、あらゆる国民に対して厳しく中立性を求められる公的機関ですが、対外的側面において、日本国の国益から離れよ、あるいは、日本国の国民を支援するな、と主張する人はいません。公共放送であるNHKも同様であり、日本国民から公権力によって受信料を徴収している限り、NHKには、日本国民のために活動する義務があるのです。
この点を考慮しますと、NHKにおいて外国人雇用が常態化し、報道の中立性の名の下で、むしろ、韓国のみならず、中国や北朝鮮の意向を反映した報道がなされている現状は、早急に改善を要する政治課題です。共産革命に際しては、真っ先に報道機関を掌握するのが“革命マニュアル”に記された手順なそうですが、現在、まさにこのプロセスが進行しているように見えるからです。NHKの画面を見ますと、赤色と黄色の組み合わせの中国カラーで文字が配色されている場合が多く、また、創価学会の三色旗を思わせる色使いも珍しくありません。また、アナウンサーの多くも、平均的な日本人の顔立ちとは言い難く、公共放送においては日本国が消滅の危機にあるのです(この現象は、イギリスのBBCにも見られる…)。こうした外国勢力による公共放送の乗っ取りも水面下において密かに進行しているとしますと、日本国、並びに、日本国民の将来は危ういと言うことにもなります。
ネットの発展により、今日では、マスメディアが隠蔽してきた様々な情報が国民に伝わる時代を迎えています。多くの国民がNHKに疑問を感じている以上、日本国政府もまた、国民の要望に応えるべく、NHK改革に早急に着手すべきなのではないでしょうか。
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高校乱射事件で追悼集会=米フロリダ
アメリカでは、銃乱射事件が相次いでおり、昨日も、フロリダ州パークランド高校で17名の生徒が亡くなるという痛ましい事件が発生しました。銃乱射事件が発生する度に、銃規制問題が浮上しますが、遅々として進まないのが現状なようです。
規制推進派からしますと、銃規制に消極的なトランプ政権にはもどかしさを感じていることでしょうが、銃乱射事件の現場が学校であるケースが多発している現実に注目しますと、銃の所有や携帯そのものを禁止する形態での銃規制が適切であるのか、疑問がないわけではありません。何故ならば、学校が“銃が規制された特別の場所”であるからこそ、無辜の人々の命を奪おうと目論む犯人から特に狙われている可能性があるからです。
昨年11月にテキサス州の教会で発生した銃乱射事件では、銃を手に駆け付けた住民が応戦したため、犯人は殺害されています。この事件でも、犠牲者の数は26名にも上りましたが、仮に勇気ある住民の反撃がなければ、より多くの人々が命を落としたものと推測されています。教会もまた、学校等同様に凶悪犯の侵入を想定していない無防備な場所ですので、銃乱射犯にとりましては、計画遂行にうってつけの場所であったのでしょう。同事件によって、少なくとも銃を保持する一般市民による応戦の効果が立証され、銃規制反対派の勢いが増したとされています。
これらの事件から分かることは、学校であれ、教会であれ、アメリカでは、無防備な場所ほど無差別銃乱射の現場となり易いということです。そして、一般市民に応戦するチャンスがあれば、被害の拡大を止めることができたという事実は、単純な銃の保持禁止という方法では、この問題の解決が難しいことを物語っています。全米が、学校や教会と同様に、“無防備な場所”に転じかねないからです(銃刀法が制定されている日本国でも、取締りは完璧ではなく、特に暴力団等が銃を隠し持っているケースが多い…)。
広大な国土を有するアメリカでは、銃乱射事件が発生しても、警察官が即座に駆け付けて対処することはできません。こうした国情を考慮しますと、銃規制に慎重な反対派の見解も理解に難くなく、むしろ、無防備な場所を如何に凶悪犯から守るのか、という方向性での対策を練る必要あるかもしれないと思うのです。
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先日、テレビの『ワイドショー』において、国際政治学者の三浦瑠璃氏が朝鮮半島情勢と関連して“スリーパーセル”と称される北朝鮮の工作員の存在に言及したことから、賛否両論の議論が起きているようです。同氏が‘特に大阪が危ない’と指摘したことから、在日朝鮮人差別を助長するとする批判がある一方で、安保関連の議論には工作員対策は不可欠とする擁護論も少なくありません。
三浦氏に対してはリベラル派からは極右化の指摘もありますが、同氏の発言の趣旨は、“スリーパーセル”の存在そのものではなかったのではないかと推測します。おそらく、‘アメリカが対北軍事オペレーションを実行した結果、仮に金正恩委員長がこの世から消え去っても、日本国内に潜伏してきた工作部隊が日本人を大量に虐殺する可能性が現実にあるので、こうした事態を避けるためには、アメリカは、軍事行動をとるべきではない’という反戦論にあったのではないでしょうか。米軍の対北軍事制裁に反対する立場においては、むしろリベラル派と歩調を揃えており(同氏は、番組内で、“アメリカには戦争をしてほしくない”と明確に述べている…)、その情報の真偽に拘わらず、“スリーパーセル論”の登場は、北朝鮮にとりましても、日米に対北軍事制裁を思い止まらせる牽制として必ずしも不都合ではなかったはずです(もっとも、同氏は、北の核保有に対抗する政策として日本国の核武装を唱えている…)。
これまでも、朝鮮総連等の活動から、在日朝鮮人の中に工作員が潜んでいる可能性は、各方面から指摘されておりました。また、中国では、『国防動員法』が制定され、有事に際して在日中国人は中国政府の命令に従う義務が課されていますが、中国以上に厳しい独裁体制下にある北朝鮮が、在日朝鮮人を本国の指揮命令系統から外すとは考えられません。いわば、有事に際しての決起は当然にあり得るシナリオにも拘わらず、何故、リベラル派の人々は、今般の同氏の発言に限ってかくも激しく反発したのでしょうか。しかも、その多くは、公安の報告書や公安関係者の証言等を取り上げて、“スリーパーセル”の存在の否定に躍起になっています(公安が極秘情報を公開するはずもなく、また、北朝鮮系団体の活動の全容を把握していれば、北朝鮮経由の麻薬密売等は根絶できているはず…)。リベラル派にとりましては、公安は“宿敵”であったにも拘わらず…。この不自然な態度については、幾つかの理由が想定されるのですが、批判者が北朝鮮出身者、あるいは、親北反日の思想の持ち主である可能性に加えて、もう一つ、推測され得る理由は、同氏の発言により、“スリーパーセル”の存在の実態が明らかになる恐れを抱いたからなのかもしれません。
批判者の何人かは、同氏が情報源として挙げた英タブロイド紙の『デイリー・ミラー』紙について、“フェイク”の常習紙として信用性を疑っております。上述した公安頼りの姿勢と並んで、リベラル派は、“スリーパーセル”の存在自体の信憑性を失わせることで切り崩そうとしているのです。しかしながら、タブロイド紙であれ、発信元がイギリスであることを考慮しますと、単なるフェイクとして切り捨てるのは慎重であるべきかもしれません。イギリスほど、その歴史において様々な陰謀が渦巻き、水面下における秘密裏の組織的活動のノウハウを知る国もないからです(セル(細胞)という表現にも秘密結社の一員というニュアンスがある…)。三浦氏の発言では、北朝鮮が潜伏させている“スリーパーセル”は、首領亡き後に活動を開始するとされていますが、仮に実在するならば、その組織は、北朝鮮からはなく、別系統によって出された指令によって動き出すのかもしれません。何故ならば、独裁体制にあってはトップの消滅は致命的ですし、しかも、海を隔てた日本国内において、本国から遮断された“スーパーセル”達のみで決起することは自殺行為に等しいからです。
このように考えますと、日本国が警戒すべきは、朝鮮総連といった北朝鮮系の組織に限らず、宗教法人やNPO、さらには、近年急増した在日中国人等をも含めた国際ネットワーク組織なのでないでしょうか。仮面の裏には、別の顔が隠れているかもしれないのですから。
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ICJの小和田裁判官、6月に退任=皇太子妃の父、来年の即位考慮
報道に拠りますと、今月6日、東宮の岳父に当たる小和田恆氏が、ICJ(国際司法裁判所)の判事を辞任したそうです。15年にもわたり同職を務めたわけですが、同氏の辞任には、日本国にとりましてプラスの効果もあるように思えます。
皇室の姻族が司法の分野であれ公職を務めたことは(司法も統治機能の一つである…)、天皇家と政治との距離の観点から問題が皆無なわけではありませんでした。そもそも、同職は、日本国政府の承認の下で一種の“名誉職”として小和田氏のために準備されたとも指摘されており、天皇家の私的利用に繋がりかねない危険性を孕んでいたからです。つまり、皇族と姻族となった民間人が政府から特別の便宜を受ける前例を開いたとも言えるのです(こうした問題は正田家にはなかった…)。
しかも、ICJの判事職は、如何なる国の国益からも離れ、中立・公平な立場を保つ義務が課されていますので、日本の国と国民の安寧を天神地祇に祈ることを専らの使命とする皇室にはそぐわない側面があります。同氏は、国家守護の文脈において理解される天皇家に連なりながら、その職務上、日本国の国益を守ってはならない、とする矛盾した立場に置かれてきたのです。
以上の諸点からしますと、小和田氏のICJ辞任はこうした問題を解消する機会ともなり得るのですが、もう一つ、プラスの効果があるとしますと、それは、竹島問題等、司法解決が望ましい日韓間の争いに対する作用です。何故ならば、司法の独立に関する観念が希薄な韓国では、同氏がICJの判事職にあることを以って、司法解決を回避する口実の一つとする論調が強かったからです。政治と司法が癒着し、政治裁判が日常茶飯事であるが故に、韓国は、ICJにおける同氏の存在を判決を歪める、即ち、日本国に有利な判決が下される要因と見なしたのでしょう(一方、日本国側でも、同氏が“日本国ハンディキャップ論”の主唱者とされていたため、日本に不利な判決が懸念されていた…)。
竹島問題については、IOCへの単独提訴の選択肢を温存させながらも、日本国政府は韓国を攻めあぐねており、目下、膠着状態が続いています。また、これ以外の問題でも、司法解決が望ましいケースが多々あります。小和田氏のICJ辞任により、韓国側の拒絶理由が一つ減ったわけですから、日韓間の紛争が司法解決される日が僅かなりとも近づいたことになるのではないでしょうか。
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