世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。
「いつか教科書に載る景色」 国会前デモ、なぜ広がった
昨日、国会議事堂前に、安保法案に反対するデモが押し寄せるという事態が発生しました。主催者側は、デモ参加者は12万人と公表しておりますが、警察発表では3万人程度であり、実際の人数は、はるかに少ない数であったようです。
デモ参加者は、口々に安保法案反対を叫び、今日の日本国は、立憲主義や民主主義の危機にあると訴えております。しかしながら、デモ参加者は、民主主義国家におけるデモとは何か、という基本的な問題を自らに問うたことがあるのでしょうか。デモ参加者の中には、”フランス革命に近いことが起ころうとしている”と語る著名人もおり、不穏な空気も漂っております。18世紀のフランスにあっては、未だ民主的制度が存在していない以上、暴力を手段とする革命を帰結しました。一方、今日の日本国では、既に民主主義が制度化されているのですから、仮に、デモ隊が”革命”を目指しているとしますと、暴力で国権を奪う行為、つまり、”内乱”を容認していると見なされても致し方がありません。第2に、デモ隊が国会を取り囲む行為も、一種の”脅迫”となります。デモは、言論の自由や表現の自由に支えられており、特に、政治的自由の重要な表現手段でもあります。街頭などで不特定多数の人々に自らの主張を訴えるというのであれば、然して問題はないのでしょう。しかしながら、拡声器やプラカードを手にしたデモ隊が押しかけ、法案の阻止を目的に国会に圧力をかける行為となりますと、これは、威嚇以外の何ものでもありません。彼らが提唱する”話し合い”の余地など、どこにもないのです。第3に、デモに参加した人々は、野党の党首が顔を揃えたたように、国民の一部でしかありません。SEALDsといった左派学生団体や労働組合、あるいは、左翼団体などがデモ隊の中心であり、”国民の代表”の看板には偽りがあります。しかも、指摘されているように、中国や韓国といった外国勢力が国内の自国民に動員をかけているとしますと、参政権を有する国民でもないのかもしれません。
国会前デモを、”政治に目覚めた日本国民”という見方で好意的に報じるマスコミもありますが、民主主義国家におけるデモは、時にして、民主主義の名の下で民主主義を破壊する恐れがあります。国会包囲という過激な行動は、民主主義ではなく、暴力主義にルーツがあるように思えるのです。
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中国、大気汚染の罰則強化へ…15年ぶり法改正
中国の首都北京は、深刻なPM2.5問題を抱えており、紫禁城の上空に青空が広がる日はめったにはないそうです。これ以上、大気汚染問題を放置すれば、国民の不満が政権批判に向いかねないとの危機感からか、遂に、中国当局も、規制強化のための法改正を行ったと報じられております。
WTO加盟以来、中国は急速な経済成長を遂げてきましたが、その原動力は、13億の人口を背景とした安価な労働力とされてきました。しかしながら、もう一つ、中国には、国際競争において有利な要因がありました。それは、緩い環境規制です。公害が深刻化した70年代頃から、先進各国は、大気、土壌、水質…の何れの分野においても、経済活動が国民に健康被害をもたらさないように、環境規制の強化に努めてきました。年々、汚染物質の排出量に関する規制基準は厳しさを増し、毒性の高い化学物質などの取扱いや保管についても厳格な管理が求められるようになったのです。今日では、地球温暖化対策として、二酸化炭素も排出規制の対象です。一方、一般に、社会・共産主義体制を経験した国では”科学的農法”の結果として農地汚染度は高く、中国もまた、改革開放路線を選択する以前から環境破壊が進行していました。そして、この改革開放の出発点における低レベルの環境規制は、高レベルの環境規制を敷く先進諸国から製造拠点の移転を誘う要因となったのです。通常、何事も、規制レベルが高いところから低いところへと流れるものですので、見る見るうちに中国は”世界の工場”と化しました。と同時に、”世界の汚染地”となったことは言うまでもありません。
ようやく中国も、環境対策に本格的に取り組む姿勢を見せておりますが、政府の公式の方針と現場の実態とが一致しないのが中国の常ですので、どこまで環境規制が徹底できるのか疑問なところです。少なくとも、中国は、経済発展の果実でもある巨額の予算を軍拡に投じるよりも、経済成長に比例して負担すべきであった環境コストにこそ、予算を割くべきと思うのです。
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尖閣資料公開に反発=中国
日本国の外務省が、尖閣諸島が日本領であることを証明する資料をホームページで公開したところ、中国外務省は、これを挑発行為と見なして反発を強めております。
中国外務省の華春瑩副報道局長は、日本国に対して「歴史を直視し、事実を尊重し、中国の領土主権を損なう一切の挑発的行動を停止するよう促す」と述べて資料公開の停止を求めておりますが、尖閣諸島が日本領となった経緯を証拠を以って示すことこそ、”歴史を直視し、事実を尊重”する行為となるはずです。歴史上の事実は、証拠を以ってしか確認することができないからです。ですから、中国の主張に納得する人もなく、誰にでも分かる論理破綻は、逆に、中国の目的が、尖閣諸島日本領の”証拠隠し”であることを強く印象付けています。仮に、中国が、なおも尖閣諸島が中国領であると主張するならば、威圧的な態度で”証拠隠し”を求めるのではなく、自らの外務省ホームページで、自国が保有している尖閣諸島関係の資料を外国語訳を付けて公開すべきです。それができないのであるならば、日本国のみならず、国際社会もまた、中国が、歴史的、並びに、法的根拠が存在していないにも拘わらず、尖閣諸島の領有を主張していると見なすことでしょう。つまり、中国の尖閣諸島領有の主張は、周辺海域の地下に埋蔵されている資源目当てに日本国から領有権を奪うために練られた謀略であったことが凡そ確定するのです。
一方、仮に、対抗措置として中国側が自国の尖閣史料を”証拠”としてホーム―ページ上に公開するとしますと、日中両国による”証拠の提出”となり、いわば、司法手続きに近づくことになります。あらゆる諸国が両国の提示した”証拠”にアクセスできる状態となれば、、国際社会も、第三者の立場から”証拠調べ”を行い、どちらの主張が正しいのか判断することもできます。外務省の資料公開合戦は、それが実現するとすれば、司法解決の”前哨戦”となるのではないかと思うのです。
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国連総長、抗日行事出席へ
9月3日に中国で開催が予定されている抗日戦勝70周年の記念行事に、国連の藩事務総長も出席するとの報道がありました。連合国の首脳さえ出席を控えている中だけに、驚きと共に懸念も広がっております。
第二次世界大戦における連合国の戦後構想に基づくとはいうものの、国連は、今では旧枢軸国も参加する普遍的な組織へと発展し、全ての諸国に対して中立・公平な存在であることを旨としております。国連が普遍的な組織である限り、その国連を代表する事務総長が特定の加盟国に肩入れすることは御法度なはずなのですが、藩事務総長は、敢えてこの国際社会における暗黙の禁を破り、中国に対して特別の配慮を見せています。国連に対する諸国の信頼性が、組織としての中立性の保持と表裏一体であるとしますと、藩事務総長の行為は、国連の存在意義を根底から揺さぶりかねません。一体、何を目的として、藩事務総長は、中国主催の戦勝記念行事への出席を決めたのでしょうが。以前より、藩事務総長の出身国贔屓の態度は、国際社会のみならず、国連職員からも批判の的となってきましたが、推測される動機は、残り僅かな任期を前にして、事務総長退任後の韓国大統領選への準備のために中国との接近を図ったとするものです。中国は、韓国国内において、マスコミ等を通した世論誘導等を試みていると推測されますので、藩事務総長は、中国の覚えが目出度ければ、中国を後ろ盾として選挙戦を戦うことができます。否、この出席は、”戦勝国”としての国際的な承認を得たい中国側と、大統領就任の事前承認を得たい藩事務総長側とのバーター取引である可能性さえあります。一方、近年、韓国世論自身も、中国の対韓工作の成果か、親中に傾いており、藩事務総長の行事出席は、韓国世論への迎合であるのかもしれません。
もっとも、出身国である韓国政府のの命による出席である可能性もありますが、それが事実であるとしますと、国連が事務総長の出身国に従属していることにもなり、中立性の問題はさらに深刻化します。真偽のほどは確かめようもありませんが、事務総長の行動が国連の中立性を侵害している現実は、予定されている時期国連事務総長の選出に際して、事務総長の資質や行動規範の問題を提起することになるのではないかと思うのです。
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現在、ヨーロッパ諸国は、中東やアフリカ等から押し寄せる移民・難民に悲鳴を上げております。ゲルマン民族の大移動で知られるように、人の移動は、時にして大帝国を滅亡に導くほどの破壊力となります。とは申しますものの、人道上の問題もありますし、また、EUでは、”人の自由移動”を原則に掲げている手前、なかなか移民制限に踏み切れないのが現状のようです。
ところで、マスコミ等では、移民推進はあたかも国際社会で合意された既定路線の如くに報じており、移民制限を主張しようものなら、差別主義者のレッテルを貼られそうです。また、移民を推進力として大国に発展したアメリカの歴史は、移民が経済に与える好影響を証明もしております。しかしながら、今日の移民、並びに、受け入れ国側には、20世紀とは異なる質的な変化を見出すことができます。第一に移民の側の変化を見ますと、必ずしも新天地を求めて故郷を後にした進取の精神に富んだ人々ではなく、受け入れ国側の手厚い社会保障制度を目的として移住を決めた人々が見られることです。この場合、移民は、経済発展に貢献することはなく、逆に、移民受け入れ国の財政負担を増加させるのみとなります。第二に、受け入れ国側の変化としては、低成長時代を迎えたことによる雇用の飽和状態があります。開拓時代、あるいは、高度成長期には、人手不足の状態ですので、無制限に移民を受け入れても雇用問題を引き起こすことはありません。しかしながら、雇用が飽和状態、もしくは、失業率が高レベルにあるにも拘わらず、移民政策を継続、あるいは、拡大しますと、当然に、国内で職をめぐる対立が引き起こされます。また、受け入れ国側の第二の変化としては、移民国家と雖も成熟期を迎えますと、社会全体が硬直化することです。かつては、移民に対しても、世の中で成功者となる公平なチャンスがありましたが、最近の様子を見ておりますと、どの国も社会的な流動性を失い、否、中間層に関しては没落さえ見られます。つまり、移民は、貧困層となる可能性が高くなっているのです。この状態で、移民政策を推進しますと、受け入れ国では、宗教・民族対立のみならず、雇用問題、社会的分裂、治安の悪化、財政問題、経済の停滞…が同時発生し、移民の側も、失業、生活不安、社会的不適合、低所得…の問題を抱えることになります。また、職のない移民、あるいは、移民に職を奪われた人々が、犯罪集団に取り込まれる可能性もあります。しかも、ISILに見られるように、政治活動を開始したのでは、目も当てられない状況となります。もちろん、政策的な措置を講じることでこれらの問題を緩和することはできますが、数十万単位の人数の移民を受け入れ続けますと、社会そのものの崩壊を招きかねません。
移民・難民問題は、ヨーロッパに限ったことではなく、受け入れ国であれ、送出し国であれ、全世界共通の問題です。”自由の最大化はリスクの最大化”であることを考慮しますと、自由化一辺倒の政策はあまりにも危険、かつ、無責任であり、現実を見据えた移民制限への大胆な方針転換こそ、人類社会を救う道であるかもしれないと思うのです。
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犯行時、銃弾270発所持=「聖戦動画」も閲覧―高速鉄道発砲事件
先日、アムステルダム発パリ行きの特急内で自動小銃で発砲しようとしたイスラム過激派の男を、米兵3人とイギリス人が取り押さえるという事件が発生しました。乗客の命を救った勇気ある行動として、フランス政府からはメダルが授与されたそうです。
報道によりますと、お手柄の3人の米兵は幼なじみであり、20代前半の青年たちです。当局によるその後の調べでは、犯人は、270発もの銃弾を所持しており、仮に、発砲前に取り押さえなければ、相当数の死傷者を数える凄惨なテロ事件となったはずです。小銃を前にしては抵抗する術もなく、無防備な乗客たちは、犯人が放つ無慈悲な銃弾に倒れたことでしょう。多くの乗客は、敢然として立ち向かった英雄たちに命を援けられたわけですが、彼等もまた、命の保障があったわけではありません。否、タイミングを誤れば、至近距離から撃たれるリスクがあったのです。リスクを恐れず、自らの命を省みない行動が、結果として多くの人々の命を救うことになったのですが、人々を救うために自発的に行動した青年たちを前に、同年代であるSEALDsの学生達は、何を思うのでしょうか。”犯人に対する抵抗は、暴力を振るうに等しい”として、青年たちの行動を暴力として批判するのでしょうか。それとも、”直接に攻撃されてもいないのに、先に攻撃するのは許されない”と叫び、犯人を制圧した青年たちの方を”犯人”と決め付けるのでしょうか。
結局、SEALDsが主張する通りに皆が行動しますと、テロリストの行動を容認し、多くの人々の命が暴力の犠牲となりかねません。テロを未然に防いだ米兵、並びに、イギリス人の行動は、危険性を的確に判断することの重要性と、この世には、自らの命を危険に晒してしか他者を救うことができない状況があることを教えております。そしてそれ故に、全世界の人々から、惜しみない称賛を受けているのではないでしょうか。
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首脳級の出席は30カ国=欧米は慎重姿勢―中国抗日戦勝70年式典
英語では”力は正義なり”という言葉があり、日本語でも”勝てば官軍”という言葉があります。力勝負で勝った側に正当性があるとする考え方ですが、これらの言葉、道徳や倫理に照らしてみますと大いに問題があります。
暴力集団や犯罪組織が勝負に勝って自らの正当性を主張した場合、一般の常識や良心を備えた人々は、即座に拒絶反応を示すことでしょう。ところが、第二次世界大戦の結果を見ますと、この忌々しき状態が実際に発生しております。それは、共産主義国が戦勝国となってしまったことです。良く知られているように、第二次世界大戦の直接の発端は、独ソ不可侵条約の締結に基づく独ソ両国によるポーランド分割です。ポーランド侵略と言う意味では独ソとも同罪にも拘わらず、ドイツが敗戦国となり、ソ連邦が戦勝国となったことで、ソ連の罪は不問に付されてしまいました。そして今日、共産党一党独裁国家である中国は、来月3日に”抗日戦勝70年式典”を開催しようとしています。戦争当時、連合国の一員に加わったのは蒋介石率いる国民党であったことを考慮しますと、共産党が式典を催すのも疑問なところですが、1949年10月の中華人民共和国建国以来、中国は、チベットや東トルキスタン等を侵略し、今日では、武力による”アジア・太平洋支配”、さらには、”世界征服”の野望さえ疑われています。連合国が1941年8月に大西洋憲章で示された戦後の国際秩序のあり方とは正反対の行動をとり、1942年1月の連合国宣言に云う”野蛮で獣的な軍隊”とは、まさに人民解放軍ではないかと思うのですが、厚かましくも”戦勝国”と称して恥じようともしません。明白な敗戦を以ってソ連邦が崩壊したわけではなく、冷戦の終焉時に共産主義に引導を渡せなかったことも、冷戦という隠れた”第3次世界大戦”が水面下で戦われていながら、中国が、その勝敗を無視する原因ともなりました。
第二次世界大戦後、何故、平和が訪れなかったのか。その最大の要因は、連合国のご都合主義的な合従連衡によって、暴力主義を容認する共産主義国家が戦勝国になってしまったことにあります。そしてその悲劇は未だに幕を下ろしておらず、凶暴性を帯びた脅威となって、共産主義国が人類の行く手に立ちはだかっていると思うのです。
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化学工場爆発で1人死亡=9人負傷、汚染検出否定―中国山東省
中国の天津で発生した大爆発は群を抜いているものの、最近、爆発・火災事件が相次いでいます。今月22日に起きた山東省での事件は化学工場での爆発ですが、日本国内で発生した二つの事件の発生場所は、何れも倉庫です。これは、単なる偶然なのでしょうか。
昨晩の相模原米軍基地での爆発は倉庫に保管してあった何らかの物質が爆発しており、日中の新日鉄住金の川崎製造所の事故も、火元は倉庫とされています。特に新日鉄住金は、名古屋製造所で火災が繰り返されるなど、何故か、不審な事故が多発している企業です。朝鮮半島では、南北両国の間で一触即発の状況が続いている一方で、中国では、習近平派と江沢民派が激しい権力闘争が繰り広げられており、内乱の危機さえ噂される状況にあります。しかも、中国であれ、朝鮮半島であれ、何れもアメリカ、そして、日本国を巻き込む可能性も否定できないのです。国際情勢が緊迫する中で倉庫の事故が続くわけですから、否が応でもテロの可能性が脳裏を横切ります(天津の爆発事件に着想を得た可能性も…)。在日米軍基地は、中国や北朝鮮の標的とされてきましたし、新日鉄住金も、日本国の防衛産業の一翼を担う企業であるからです。倉庫の爆発は、保管物質に関する情報さえ入手できれば、発火装置を仕掛けたり、保管物質と化学反応を起こす他の物質を混入させるなど、比較的人目につかずに実行できるテロの手法です。それ故に、内部犯行も疑われるのですが、何らかの勢力による威嚇目的でのテロである可能性もあります。日本国内の米軍基地、並びに、防衛関連の企業に対するテロは容易であると…。
中国の爆発事故と共に、日本国内の二つの爆発・火災事件の原因についても未だに判明しておらず、上記のテロ説は憶測に過ぎません。しかしながら、アジア情勢が緊迫化している以上、テロに対する警戒を怠ることは、致命的な結果をもたらす可能性もあります。偶然として片付けずに、テロの線での調査も必要なのではないかと思うのです。
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空自も参加 世界最大級の演習「レッドフラッグ・アラスカ」実施 その意味は
日本国憲法第9条の改正に反対する人々は、その根拠として、戦後70年間にわたって維持された日本国の平和を挙げています。言い換えますと、”日本国が戦争をしていない”という事実を以って、憲法第9条の戦争抑止効果を主張しているのです。しかしながら、この平和に関する分析、正しいのでしょうか。
仮に、憲法第9条が戦争を抑止しているとしますと、論理的には、”全ての戦争は、戦争当事国の憲法に同様の条文が存在していなかったから”という結論に達します。つまり、全ての戦争の原因は、第9条の如き条文の有無に帰せられるのです。現実に起きてしまった戦争について原因や要因を問われた時、”第9条がなかったから”と返答したとしますと、この回答は、おそらく質問者を唖然とさせることでしょう。そして、さらに戦争終結の方法を尋ねられた時、”憲法を改正して第9条を設ければよい”と答えたとしますと、質問者は、今度は言葉を失うかもしれません。憲法による拘束に焦点を絞った戦争観からは、国際社会を構成する諸国間の利害の衝突、あるいは、国際法を無視し、他国の権利を侵害してまで国益を追求する国の存在は見えてこないのです。戦争の真の原因が分析できないのでは、当然に、有効な解決策や予防策を見出すことも困難です。こうした態度は、国際情勢に対する客観的で精緻な分析の放棄を意味しますので、現状分析に基づく対応の策定という知的な作業を怠ることにもなりかねません。しかも、今日、中国の領土的野心が顕わな状況にあって、憲法第9条が今後とも平和を維持する保障はどこにもありません。否、憲法とは国内法ですので、国際法さえも遵守しない中国が、日本国の国内法によって拘束されるはずもないのです。仮に、中国が日本国に対して侵略戦争を仕掛けた場合、憲法第9条を擁護する人々は、”中国には憲法第9条がなかったから”と説明するのでしょうか。自らの主張に基づいて日本国と国際社会の安全を真剣に守ろうとするならば、憲法擁護論者の人々は、中国に対して憲法改正による”第9条”の加憲を訴えるはずなのですが、一向にその気配も感じられません。また、法の拘束力に期待するならば、国内法である日本国憲法に期待しても然して意味はなく、国際レベルにおける国際法や平和的な解決手段の整備にこそ力を入れるべきです。
通常、ある現象に対してその原因を分析する場合、常に一つの要因に絞られるわけではありません。また、戦争とは、武力の行使を伴うのですから、物理的な見地からしても、当然に、軍事的な抑止力の効果を無視することもできないはずです。現実に存在する対立の原因を的確に分析した上で、力、合意、法といった人、並びに、国の行動に対して拘束力を有する全ての論理から多面的にアプローチしない限り、人類は、戦争という行為に終止符を打つ、あるいは、侵略戦争を制止することはできないのではないかと思うのです。
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上海株終値は大幅続落4.3%安 主要市場で最大の下げ幅、いぜん世界の火薬庫に
21世紀を迎えた頃、アジアの時代が中国の台頭とともに始まると喧伝されたものです。中国国民のみならず、大中華帝国の栄華の再来を期待した人も少なくなかったことでしょう。
”次なる覇権国は中国である”とする見解も聞かれますが、21世紀の中国が、かつての”大中華帝国”と同程度の国際的な地位を獲得することができるのか、と申しますと、疑わしい限りです。その根拠の一つは、中国が、古来”絹の国”と呼ばれてきたことにあります。中国の呼称が”絹の国”であった理由は、その名が示すように、絹の独占的な生産国であったからです。厳密に言いますと、絹製品は日本国などでも生産されており、必ずしも中国が唯一の生産国ではないのですが、中国は、絹布を輸出品として生産し、西洋のヨーロッパにまで販路を広げていました。シルクロードを経て運ばれた中国産の絹布は、富裕層が買い求める高級品として高値で取引され、その絹を産する中国もまた、東洋に君臨する憧れの帝国であったのです。中国産の絹製品の輸送路は、インド航路の発見によって陸路から海路に代わったものの、中国の主要な輸出品であると共に、特産品であり続けました。しかしながら、近代化の波がアジアに押し寄せる頃になると、この独占的な地位は、絹の生産国の増加による独占体制の崩壊に加えて、繊維産業の機械化による競争力の低下に襲われます。清朝末期、清国が近代化を拒絶する一方で、明治期の日本国は、富岡製糸工場で知られるように、絹織物を主要な輸出産業として育成しているのです。そして、”絹の国”への決定的な打撃となったのが、人工繊維の登場であったことは言うまでもありません。このことは、同時に、2000年以上に亘って中国を大国ならしめていた経済的な条件が失われることをも意味したのです。
中国のもう一つの主要な輸出品であった茶葉も、絹と同様に生産地が拡散し、現代にあって小平氏して”中国にレアアースあり”と言わしめたレアアースも、代替品の開発や再利用の促進等により独占体制が崩壊しました。こうした側面からしますと、現在の中国には、とりたてて経済上有利となる生産物が見当たらないのです。中国の輸出を支えてきた労働コストの低さも、今では、他の諸国にお株を奪われております。無理を押して”中国の夢”を追うよりも、”邯鄲の夢”に学ぶ方が、中国にとりましては幸せなのではないかと思うのです。
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【北朝鮮砲撃】北朝鮮の金第1書記、前線地帯に「準戦時状態」宣言 軍人に「完全武装命令」
朝鮮半島では、北朝鮮からの砲撃を受けて、米韓相互援助条約に基づく合同作戦を開始したと韓国国内では報じられているそうです。北朝鮮による挑発や恫喝は日常茶飯事ですが、今回に限っては北朝鮮が臨戦態勢を命じているとされ、第二次朝鮮戦争の可能性も否定はできません。
ところで、仮に休戦協定が破られて朝鮮戦争が再開された場合、中国は、どのように動くのでしょうか。第一次朝戦争では人民解放軍が参戦し、人海戦術をもって38度線まで国連軍を押し戻したのですから、中国は、北朝鮮の盟友です。核・ミサイル開発で経済制裁を受けながら、未だに北朝鮮が体制を維持しているのも、中国の支援あってのことです(もっとも、ロシアへの最接近も見られる…)。最近の金正恩第一書記の出で立ちは毛沢東を模してるようにも見え、習近平主席にに阿っているとも推測されます。しかしながらその一方で、近年、中朝関係の冷却化も指摘されており、中国の対半島政策は北朝鮮支援一辺倒でもありません。否、韓国に対する接近を頓に強めており、9月3日に予定されている抗日戦勝記念の一連の行事には、朴大統領宛てに招待状を送ったとも伝わります(他の諸国には招待状は届いていないらしい…)。ここにきて、第二次朝鮮戦争の火ぶたが切って落とされるとしますと、中国は、韓国との密接な関係を維持しようとすれば、北朝鮮への軍事支援を見送らざるを得ず、北朝鮮との”血の友誼”に従えば、韓国との関係はご破算になるというジレンマに直面します。そして、前者を選択すれば、米軍の軍事的支援下での南北再統一を許すこととなり、後者を選択すれば、米中戦争に発展します。どちらを選択しても、中国は、苦境に追い込まれるのです。
もっとも、見方を変えれば、朝鮮半島における一連の緊張の高まりは、朴政権の親中傾斜に警戒感を抱く韓国軍部が米韓同盟強化のために演出しているのかもしれませんし、反対に、北朝鮮が、戦争回避をカードに中国から支援を引き出すために、韓国に挑発を仕掛けているのかもしれません。南北両国の対立は表面上に過ぎず、水面下では協力関係にあるとする指摘もあり、真相は深い霧に包まれていますが、朝鮮半島情勢に対する中国の対応は、東アジアの未来を左右しかねないと思うのです。
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朴大統領、訪中発表…パレード参加は「検討中」
第二次世界大戦の終結から70年を迎える今年、中国でも、9月3日に「対日戦争勝利記念」の記念行事が催されるそうです。中国と歴史認識を共有し、共闘関係にある韓国の朴大統領の参加が注目されてきましたが、記念行事には出席する予定と報じられております。
軍事パレードへの臨席については、朝鮮戦争に中国軍が参戦したことから韓国国内において反対意見もあるそうですが、韓国が、こうした”自己分裂”とでも言うべき状況に陥った原因は、韓国が、史実を無視し、中国と歴史認識を一致させたところにあります。戦時期にあって、史実としての韓国は、1910年の韓国併合条約により日本国の一部でした。朴大統領の父朴正煕元大統領が血書の提出を以って満州国軍官学校に志願したように、当時の韓国人の多くは、日本軍の一員として連合国諸国と戦っていたのです。ですから、朴大統領の戦勝記念行事への出席も、国家の代表としても、個人的にも本来は憚られるはずなのですが、敢えて参加を決定した背景には、韓国の戦勝国願望があるのかもしれません。この戦勝国化の試みは、サンフランシスコ講和会議におけるアメリカ政府の拒絶により挫折するものの、国内的には、憲法の前文にも明記されているように、自らを、1919年の3.1独立運動後に上海で設立された”大韓民国臨時政府”を継承する国家とみなしています。臨時政府は、連合国からも承認されておらず、国際法においては正当性が全く以って欠如していました。ところが、今回の式典出席の目的の一つに挙げられているのが、上海にあるこの臨時政府庁舎の再開館式への出席です。このことは、中国が、暗に韓国の歴史認識を承認する姿勢を見せていることを意味し、そうであるからこそ、韓国は、記念行事への出席に踏み切った可能性もあります。戦勝国になれば、永久に敗戦国に対して要求を突き付けることができると考えている国にとりましては、中国からの誘いは渡りに船なのでしょう。
しかしながら、韓国は、中国との歴史認識共有に、思わぬ誤算が潜んでいることに気が付いていないようです。それは、戦勝国を装うこと、即ち、過去の史実を塗り替えて”偽連合国”となることは、冷戦の歴史をも引き継ぐということです。言い換えますと、中国の承認によって”偽連合国”となることは、冷戦期における東側、即ち、中国側に与することを意味するのです。このため、朝鮮戦争との間で整合性が取れず、かつ、冷戦期に西側陣営にあった日米に対して袂を分かつ結果を招きかねないのです。今後、米中対立が深まるほど、韓国は、自らが造り出した虚像がもたらす自己分裂に苦しむことになるのではないでしょうか。
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天津爆発現場で神経ガス=空気中から高濃度検出―中国中央テレビ
密かに保管されていた化学物質が、何らかの人為的な行為によって大爆発を起こし、多数の死傷者を出すに留まらず、シアン化ナトリウムや神経ガスまで検出されるとなりますと、天津爆発事件の謎は深まるばかりです。
とは言うものの、情報隠蔽と統制にかけては鉄壁ともされる中国でも、こうした大事件が発生しますと、漏れ伝えられる情報から隠されてきた闇の一端が垣間見えることがあります。神経ガスの検出につきましても、その処理のために、軍の専門部隊が派遣されたそうです。このことは、中国が、化学兵器を使用する戦争を想定していることを示唆しています。しかしながら、1993年に成立した化学兵器禁止条約では、化学兵器の使用のみならず、開発、生産、貯蔵も禁じられており、中国も締約国の一国です。もちろん、神経ガスは、爆発による化学反応によって生成された可能性も高く、中国が化学兵器を保管していたとは断定できませんが、倉庫の保管されていた化学物質の中には化学兵器の原材料となる物質が含まれていた可能性もあります。また、化学兵器処理の専門部隊は、交戦相手国の使用に対する解毒といった防備を目的として設立されており、必ずしも使用を目的としている部隊でははいのかもしれません(おそらく、何処の国にも、化学兵器処理を専門とする部隊はあるのかもしれません…)。その一方で、国際法の順法精神の低い中国以外に条約で禁じられている化学兵器を使用しそうな国も見当たらず(内戦で化学兵器が使用されたシリアでも、現在は破棄へ…)、事故現場での神経ガス検出に加えて、軍の専門部隊の出動は、周辺諸国に不安を与えております。
ネット上では、事故調査委のトップに対する取り調べのみならず、江沢民派の関与を疑う情報も流されていますが、中国政界の権力闘争まで絡んでいるとなりますと、何ともきな臭くなります。危険物質の保管目的次第では、内乱に際しての使用も可能性としては否定できずません。歴史には、しばしばその後の行方を左右する転機となる謎の事件が発生することがありますが、天津爆発事件も、その一つに名を連ねることになるのではないかと思うのです。
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中国の戦勝行事不参加へ=歴史認識問題への利用警戒も―独首相
ドイツの戦後を語る時、しばしば引用されるのが、ワイツゼッカー大統領による「荒れ野の40年」と称される演説です。この演説において特に注目されたのが、「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」とする件です。
”悪しき過去の行為を直視しない者は、現在の悪しき行為をも見逃す者となろう”云う意味であり、過去の悪行を正直に認める勇気こそ、現在の悪を防ぐ力となると述べています。過去の悪行とは、ナチスの非人道的行為を指しており、”過去の悪”と”将来の善”とは、事実の自己認定を介して因果関係を構成しています。言い換えますと、過去の悪を認める行為の行く先には将来の善が待っているのです。一般論、あるいは、歴史の教訓として誰もが納得するところですが、中国や韓国にかかりますと、この格言とも言うべき件も、意味が逆になってしまうようなのです。中韓の両国が、”南京大虐殺30万人説”や”慰安婦強制連行20万人説”といった過大に脚色された説を持ち出しては、”事実として認めよ”と声高に対日要求を繰り返す背景には、戦後補償や賠償の他に、現在、自らが行っている悪しき行為を隠す意図があるのではないか、とする憶測があります。中国を見ますと、チベットや東トルキスタン等に対する侵略行為のみならず、近年では、覇権主義的な海洋戦略等が、周辺諸国と深刻な摩擦を引き起こしております。韓国もまた、竹島の不法占拠のみならず、日本国に対する侵害行為を重ねてきました。特に韓国では、対日批判に際して好んでこのフレーズが使われるそうですが、現在における両国の悪行を考慮しますと、両国とも、”現在の悪しき行為を見逃させるためには、過去に目を閉じさせた方が良い(真実の実証的追求をさせない…)”を実践しているように思われるのです。ワイツゼッカー大統領の演説は、あくまでもドイツ国民に向けられておりますが、両国は、日本国に対してそれを要求することで、意味を逆転させてしまっているのです。
ドイツのメルケル首相は、歴史認識問題に利用されることを警戒して、中国の戦勝行事への不参加を表明しているそうですが、同一の文章であるにも拘わらず、全く意味が逆になる国に対しては、細心の注意を払う必要があります。気が付いた時には、窮地に立たされているかもしれないのですから。中韓の要求に従いますと、結局は、現在の悪を容認することにもなりかねませんので、ワイツゼッカー演説は、元の意味に即して素直に理解すべきと思うのです。
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「沖縄を領土としてしか見てない」 知事、辺野古推進を批判 防衛相と会談
昨日、中谷元防衛相が沖縄を訪問し、翁長雄志沖縄県知事、並びに、稲峰名護市市長との会談の場を設けたと報じられております。この会談の席で、翁長知事は、日本国政府は沖縄を領土としてしか見ておらず、米軍も抑止力にはならないとして、終始、辺野古への基地移設に批判的な態度を崩さなかったそうです。
”沖縄領土視”の批判は、本土から見ると沖縄は単なる”日本領”に過ぎず、基地負担を負っている沖縄県民に対する配慮が足りないということなのでしょう。”日本領”の防衛であって、”沖縄の防衛”ではないと…。そして、米軍の抑止力否定論も、中国の弾道ミサイルの射程に入った時点で、むしろ、沖縄は中国のミサイル攻撃の標的になるというものです。この説には、根拠として米元政府高官や専門家の意見を示しており、中国による一斉ミサイル攻撃によって沖縄の全基地が破壊された場合を想定すれば、むしろ、沖縄への基地集中は、防衛体制としては脆弱ではないか、ということのようです。しかしながら、知事の批判は、沖縄防衛を中心に据えましても、説得力に乏しい思われます。第一の”領土視”については、沖縄県が日本領であるからこそ、日本国政府は、沖縄防衛に対して相当の予算を割いております。領土に過ぎないのではなく、日本国民でもある沖縄県民が生活する大切な領土であるからこそ、最大限の防衛努力を払っているのです。翁長知事は、中国の軍事的脅威を認めておりますが、それでは、沖縄県は、自力で防衛ができるのでしょうか。また、第二のミサイル攻撃についても、実のところ、沖縄から本土への基地分散論は、戦略的には本土防衛の観点から提起されたものと推測されます。しかも、基地と共に抑止力を否定された海兵隊も、尖閣諸島や沖縄本島等への中国軍による上陸作戦を想定しますと、抑止効果は十分に期待されます。否、グアムへの海兵隊移転計画に不安を覚えるほどです。翁長知事は、中国人民解放軍の武装部隊が沖縄県に上陸した場合、一体、どのように対応するつもりなのでしょうか。
沖縄防衛の視点からしましても、翁長知事の発言は、むしろ、沖縄の防衛力弱体化に向けての提言となります。一般的には、軍備を拡張する国が出現した場合、脅威に直面する国は防衛力を強化するものですが、沖縄県知事の反応は全く逆です。それ故に、翁長知事の本心は沖縄独立と中国への併合にあるとする指摘があるのでしょう。仮にこの指摘が事実であれば、沖縄のチベット化のリスクが高くなるわけですから、沖縄県民、並びに、日本国に対して背信行為を働いているのは、翁長知事と言うことになるのではないでしょうか。
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