近代合理主義の幕開けは、ルネ・デカルトが唱えた懐疑主義に始まるとされています。とりわけキリスト教が支配したヨーロッパにあっては、『旧約聖書』であれ、『新約聖書』であれ、聖書に記述されていることを疑いますと、最悪の場合には異端審問によって火あぶりの刑に処せられる程の罪でしたので、近代における懐疑主義は、人々が理性に照らして疑問を持つことに肯定的な意味を与え、思想の面からも近代科学の発展の基礎を築いたとも言えましょう。
学ぶことが、覚えるだけの単なる暗記であったり、テストの成績を競うのであれば、しばしばそれは苦行ともなりますが、‘何故だろう?’という疑問から始まる学びは、謎を解いてゆくプロセスの楽しさや無我夢中になれるものとの出会いに加え、その理由や仕組みが分かったときには喜びと幸福感に満たされるのです。その発見や発明が、多くの人々の役に立つのであるならばなおさらのことです。
本当のところは、近代に限らず、学問や技術とは、人々の懐疑心と、それに基づく真実を見出そうとする好奇心から生まれるのでしょうが(何時の時代や場所でも自由な空気が大事・・・)、グローバル時代とも称される時代の先端であるはずの今日の様子を見ますと、むしろ、時計の針が逆方向に回っているかのようです。何故ならば、そこかしこから‘疑うな!’という声が聞こえてくるからです。とりわけ、政治、社会、経済といった所謂文系の世界では、この傾向が顕著なように思えます。何れの国の政府も、国民に対して政府の政策を疑うな、と陰に陽に圧力をかけているように見えます。共産党一党独裁の国家である中国に至っては、国家主席の思想は「習近平思想」として絶対化され、国民が同思想に疑いを投げかければ、中世ヨーロッパの火あぶりと同様の運命が待っています。
共産主義国家である中国の事例は極端なのかと申しますと、そうでもなく、自由主義国家も似たり寄ったりの様相を呈しています。マスメディアなどを通して、地球温暖化二酸化炭素主因説は決して疑ってはならず、新型コロナウイルスにもコロナ・ワクチンにも疑問を差し挟んではならない、と言わんばかりの状況です。地球温暖化に関する科学的な異論や反論を無視しつつ、カーボンニュートラル政策に邁進し、ワクチンの詳細な成分や機序に関する情報を伏せる一方で、国民に対して摂取を半ば強制しているのですから、その非科学的な態度は前近代における異端審問と変わりはないのです。純粋に科学的な見地からの懐疑論であっても、政府の圧力やメディアの協力、並びに、巧妙に醸成された社会的な同調圧力によって封じ込められてしまう現代という時代は、何者かによって目隠しをされた‘暗黒の時代’とも言えましょう。
民主主義、自由、法の支配、個々人の基本的権利の尊重と言った価値観が普遍化されながらも、政治のシステムが一向に発展せず、様々な欠点や欠陥を抱えながら停滞しているのも、政治の世界では、為政者側の国民に対する基本姿勢が‘疑うな’であるからなのかもしれません。そして、政治の世界に深く浸透している新興宗教団体も、教祖や教義によって信者を洗脳し、その動員力によって同調圧力を造り出すという意味において懐疑抑圧の共犯者なのかもしれないのです。人々の健全なる知的な働きとしての懐疑を押さえ込むのですから、国家や社会の、そして国際社会の発展が阻害されてしまうのは言うまでもありません。権力サイドの包囲的な‘懐疑抑圧政策’によって、人類自体が劣化させられかねないのです。
今年最後の記事として新たなる年に期待するのは、人々が疑う自由を取り戻すこと、即ち、懐疑主義の復興であり、より善き未来に向けた再出発です。どうか、来る年が、その幕開けとなりますように。
*本年は、拙いながらも『万国時事周覧』の記事をお読みくださいましてありがとうございました。心より御礼申し上げます。本ブログの記事が、皆さま方にわずかなりとも考える機会や材料を提供しておりましたならば、大変、うれしく存じます。メディアの論調や定説とはいささか異なることから、訝しく感じられた方もおられるかと思いますが、懐疑心の大切さに免じて、どうぞご容赦くださいませ。また、私事ながら、今年の1月21日に父倉西茂が帰幽いたしました。つきましては、私どもは喪に服しており、新年のご挨拶をご遠慮申し上げます。
父を亡くしてから1年が経とうとしておりますが、なかなか悲しみが癒えず、去年の今頃を思い出してはあふれる涙を拭っております。一年中で最も寒さが厳しくなる大寒の頃であったのですが、お葬式の日は珍しく白い薄雲をなびかせた青い空が天高く広がり、斎場に向かう車の窓から悲しみを堪えつつずっと空を見つめておりました。
研究者としての今日の私どもがあるのは、父茂のおかげと言っても過言ではありません。父の研究領域は、構造力学、とくに橋構造を専門としており、インフラの公共性や構造物の強度、そして合理性がもたらす美観などに関する視点は、政治や統治機能の制度設計を考える上で大いに参考としております。人々が安心して通れる落ちない橋を設計するには複雑な計算を要するように、政治や社会制度等も、多方面から加わる様々な荷重に耐え、誰もが納得する合理性と公益性を備えるべきと考えるからです。因みに、生前、父は、くらも天狗のハンドルネームで政治ブログを書いており、今でも同サイトを開設したままにしております(https://blog.goo.ne.jp/kuranishis)。姉裕子の研究分野である歴史、古代史についても論文を数本書いておりますので、好奇心旺盛にして何でも知的興味を持つのは、父親譲りなのかもしれません。そうは申しましても、父は、机に縛り付けて私どもをスパルタ式に厳格に教育したわけではなく、その逆に、子供達の自発性や自由を尊重しておりました。分からないことがあって訊いても、‘自分で調べなさい’、‘自分で考えなさい’が父のいつもの返答であったのです。他者から教えてもらってもそれは一時的なものに過ぎず、自分自身の頭できちんと理解しなければその先に進むことはできない、と。
最近になり、若い頃よりカメラを趣味とした父が残した写真を整理しておりまして、父の写真には、きれいな空が配されている作品が多いことに気が付きました。空から日の光が透り、この世が輝くその一瞬を切り取り、永遠にとどめようとした写真が多いのです(一枚、本記事にアップしました)。お葬式の日の空を思い起こせば、あの冬の澄み切った美しい日が父に最も相応しい日ではなかったかと思っております。最後に、葬儀の日に空を眺めながら詠んだ歌を添えたいと思います。
果てしなく 遠くにつづく 空の道 み霊となりし 父の逝く道
*本ブログは、年が明けまして1月4日より始めたいと思います。来年も、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。