万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

人種優遇政策の問題点とは-論理的誤り

2023年06月30日 10時51分35秒 | 社会
 今月6月29日、アメリカの連邦最高裁判所は、大学の入学選考に際して特定の人種を優遇するアファーマティブ・アクション政策を違憲とする判断を下しています。本日の記事では、何故、同政策が違憲とされたのか、あるいは、同政策は真に‘正しい’のか、という問題について、SDGsでも使用されている‘平等と公平の違いを説明する図’を用いて考えてみることとします。

 昨今、アファーマティブ・アクション政策は、平等(Equality)と公平(Equity)との違いを以て肯定される傾向にありました。そして、これを説明するために、ある絵が使われてきました。様々なバージョンがあるのですが、概ね、背丈の違う三人の子供達がスタジアムを囲う塀の外からスポーツを観戦しようとしている図として描かれています。同図が説明すると平等とは、3人が同じ高さの踏み台に乗るケースであり、各自の背丈の違いとは無関係に三者は平等に扱われます。ところが、同じ高さの台では、塀から頭を出してスポーツを観戦できるのは、一番背の高い子供と二番目の子供の二人だけです。背丈の足りない三番目の子供だけは、スポーツ観戦を楽しむことができないのです。

 ここで、平等ではなく、公平が登場してくることとなります。各自の乗る台の高さを背丈に合わせて調整すれば、全ての子供達がスポーツ観戦ができるようになるからです。つまり、同じ高さの台では塀に視界を塞がれてしまっている三番目の子供に対して、頭が塀の高さを越えるようにより高い台を提供してあげれば良いのです。

 同図が説明する公平性に基づけば、三人が揃ってスポーツ観戦ができる状態となったのですから、三人とも幸せです。三人の内の誰もが不利益を受けるわけではありませんので、多くの人々がこの図による説明に納得することでしょう。小さな子供に高い踏み台を用意するのは、おもいやりのある正しい行為であると・・・。即ち、アファーマティブ・アクションを含めて不利な立場にある人を優遇する政策は、皆が共に幸せを享受することができる正しい政策であるとする結論に達するのです。

 同図は、メディアなどを介して多くの人々が目にしているため、異議や異論を唱えようものなら、差別主義者のレッテルを貼られそうです。しかしながら、この図、一つの重大な見落としがあるように思えるのです。それは、現実にアファーマティブ・アクションが行なわれている場所は、絵の中にあるような皆が気楽に楽しんでスポーツ観戦ができるスタジアムではないという点です。

 平等と公平を区別するための作成された図では、子供達の関係は横並びであり、お互いの間に競争や競合関係はありません。塀の高さまで背丈が達していない小さな子供を特別により高い台に載せたとしても、他の二人には何らの影響もないのです。ところが、入学や就学等で導入されているアファーマティブ・アクションのケースにおいては、三者の関係は競争的なライバル関係です。一つ、あるいは、少数の合格者枠や数少ないポストを競っているからです。こうしたケースでは、特定の人を対象に特別措置を設けますと、競争条件が‘平等’ではなくなりますので、特別待遇を受けた特定の人のみが合格、あるいは、採用されるという‘不公平’が生じるのです。

 3人の間の競争関係を考慮すれば、同図においては、スタジアム内の観戦席に座れる人を一人選び出すシチュエーションとして描くべきこととなります。そして、アファーマティブ・アクションでは、不利な立場が考慮された三番目の子供のみが、唯一スタジアム内でゲームを観戦することができるのです。この結果、他の二人は、塀の外に置かれたままスタジアムに入ることはできません。この結末では、優遇条件を持たない故に排除された他の二人は、同制度を平等とも公平とも見なさないことでしょう。

 なお、定員数に制限のない各種の資格試験にアファーマティブ・アクションが採用される場合にも、他者に不利益を与える場合があります。塀の高さが専門職に必要とされる知識や能力を意味するならば、これらが不足しているにも拘わらず優遇措置を受けて専門職の資格を得た人の顧客や取引先等に実害が及ぶかもしれないからです。また、優遇条件を備えていない他の受験者にとりましては、優遇制度は平等でも公平でもないのは言うまでもありません。

 以上に述べてきましたように、当事者間の関係性や物事の性質の違いを無視した一面的で一方的な‘正しさの主張’には、論理的な誤りがあるように思えます。当事者の間の関係が非競争的であり、かつ、対象が誰にでも開放性のある状況下と、当事者間の関係が競争的であり、かつ、選抜や選考を要する閉鎖的な状況とでは、明らかな違いがあるからです。両者を同一視することはできないにも拘わらず、リベラリ派の人々は、両者を巧妙に混同することで、自らの都合のよい方向に平等原則を外す口実としているようにも見えるのです(偽善的な詭弁なのでは・・・)。仮に過去の奴隷制度や奴隷貿易に起因して不利益を被っている人々に対して何らかの政策的な措置を要するならば、誰もが不利益を受けない別の方法を考えるべきではないかと思うのです。

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プリゴジンの乱を推理する

2023年06月29日 11時07分03秒 | 国際政治
 今月6月24日に発生したプリゴジンの反乱については、情報が錯綜していることに加え、識者の立場により千差万別です。ウクライナ寄りの報道では、ロシア連邦の崩壊に向けた‘終わりの始まり’とする主張が目立つ一方で、ロシア寄りの立場からは、むしろプーチン大統領が国内での足場を固めたとする見方も少なくありません。謎に包まれた事件となったのですが、事実の見極めには、時間的な近さよりも情報の正確さが重要であることを思い知らされる事件ともなりました。今この時にこの世界で起きている出来事でも、正確な情報が欠けていれば、人々は事実を知ることはできないからです。

 そこで、謎解きには、公開されている情報の断片から全体像を描き、発言者が偽情報を提供している可能性をも考慮しながら、慎重に推理するしかなくなるのですが、今般のプリゴジンの乱を観察しておりますと、ロシアによる‘茶番劇’、アメリカによる対ロ内部工、並びに、プリゴジン単独蜂起説もそれを支持するなりの根拠も説得力があるのですが、世界権力による黒幕説も捨てがたいように思えます。アメリカ、ウクライナのゼレンスキー大統領、並びにワグネルの創設者であるプリゴジン氏の三者には、ユダヤ人脈という共通点があります。また、血脈は別としても、ロシアのプーチン大統領も、世界経済フォーラムによってグローバル・ヤング・リーダーズの一人に選ばれたことがあります。ラドルフ外相がヒトラー・ユダヤ人説を唱えたときにも、真っ先にイスラエルに対して謝罪したのはプーチン大統領でした。表には見えにくいものの、プーチン大統領にも世界権力の息がかかっていると推測されるのです。

 因みに、ウィキペディア(英語版)の記事に依りますと、ベラルーシのルカシャンコ大統領につきましても、その父系の血脈は不明なそうです。母方の祖父の家で育っており、諸説があるもの、父親に関する最も有力な説は、移動民であるロマであったのではないか、というものです(ユダヤ人説もあるのかもしれない・・・)。ルカシェンコ氏につきましても、ベラルーシに対する愛国心には疑問がないわけではありません。プーチン大統領につきましても出自に関する疑惑があるのですが、世界権力には、出自不明者を取り立てるという特徴があるようにも思えます。

 それでは、プリゴジンの乱には、どのような目的があったのでしょうか。先ずもって推測されるのは、戦争と混乱の長期化です。5月より、NATOによる戦車の提供等を含む支援を背景にウクライナはロシアに対して大規模な反転攻勢を計画していたとされます。しかしながら、これまでのところ、ウクライナ軍が占領地の奪回に成功したといった華々しい成果は報じられておりません。戦闘の映像も殆ど報じられることなく、戦地の様子も不明なのです(今日では高度な映像技術があるのです、現実に戦闘が行なわれているかさえ怪しくなる・・・)。仮に、紛争地に目立った動きがないとしますと、加盟各国の政府やEUはウクライナ支援に前のめりであるものの、紛争のこれ以上の拡大を望まない加盟諸国の国民世論や良心的政治家による慎重論が抑止力として働いているのかもしれません。

 そこで、世界権力は、自らの‘駒’であった傭兵部隊のワグネルを動かすことで、戦闘地を内戦の形でロシア国内に拡大させるようとしたのかもしれません。ウクライナとロシアとの戦いであれ、ロシア国内の内戦であれ、戦地が拡大し、戦闘も長期化すれば、戦争利権を握る世界権力に採りましては、利益を得るチャンスとなるのです。ロシア軍内部にもプリゴジン側と通じていたとされる人物として、ウクライナにおけるロシアの軍事作戦副司令官のセルゲイ・スロビキン司令官の名も上がっています(ロシアの宇宙軍の司令官でもある?)。戦略のプロを称するプリゴジン氏が勝利を確信するほどの広範な反乱計画があったとしますと、同氏の個人的な人脈のみでは説明できないようにも思えます。

 もっとも、実際にはプリゴジン氏は道半ばで反旗を降ろしていますので、同撤退もシナリオに織り込み済みであれば、突発的な事件の発生による混乱の長期化を狙っていたとも考えられます。プリゴジン蜂起の報を受けて、市場ではエネルギー資源の価格上昇も報じられており、混乱の長期化は、エネルギー利権を有する勢力に採りましては、願ってもない展開なのです。

 以上にプリゴジンの反乱について推理を試みてみましたが、同反乱につきましては、主要人物達の誰もが真剣味に欠けており、どこかコントロールされているか、踊らされている感があります。とは申しましても、噴出する疑問を前につじつま合わせに苦心しているように見えるところからしますと、作者あるいは演出者の思惑通りにはシナリオは進展していないのかもしれません。余りにも出来過ぎてしまったために、むしろ、その作為性が自ずと現れ出でてしまっているように思えるのです。

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ベラルーシの動きに注目を

2023年06月28日 13時00分38秒 | 国際政治
 今般の‘プリゴジンの反乱’については、様々な情報や見解が錯綜しているため、その真相は未だにはっきりとはしません。その一方で、ここに来て注目されるのは、ベラルーシのルカシェンコ大統領です。同大統領は、反乱の行方を一変させるような重要な役割を果たしており、いわば、キーパーソンの一人として数えることができるからです。

 ベラルーシと言えば、先日、プーチン大統領と核配備を約束したばかりであり、ロシアにとりましては盟友、否、忠実な家臣の如き存在です。プリゴジンの反乱に際しても、同氏に対して進軍停止を説得したのはルカシェンコ大統領であったとされます。プーチン大統領のために仲介したとも推測されるのですが、ベラルーシの国営メディアが報じるところによりますと、ベラルーシ政府は、一時、行方不明とされたプリゴジン氏がベラーシに入国・滞在していることを認めたそうです。

 このことは、一体、何を意味するのでしょうか。報道が事実であれば、プーチン大統領は、既に反旗を翻したプリゴジン氏に対する殺害命令を発しており、追われる身のプリゴジン氏を匿ったとなれば、ロシア、ベラルーシ両国の大統領の関係は微妙となります。そして、ここに、二つの可能性が浮き上がるように思えます。

 第一の可能性は、ベラルーシは、あくまでもプーチン大統領に対する忠誠を貫き、今後とも、ロシアと共にウクライナに対して共闘するというものです。最近、ウクライナとの国境付近にあってベラルーシ軍の動きが活発化してきており、ウクライナ紛争に直接に加わる可能性も否定はできません。この場合、プーチン大統領が求めれば、プリゴジン氏の首を差し出すことでしょう(ただし、このように考えると、プリゴジン氏は、プーチン政権寄りのベラルーシに敢えて入国したことになり、その理由を説明できない・・・)。

もっとも、仮にプリゴジンの反乱がロシア、あるいは、世界権力が仕組んだ‘茶番’であるとすれば、反乱騒動と見せかけて、ワグネルの兵力をベラルーシに移されたこととなります。ロシアとベラルーシの両方面からの挟撃を受ければ、兵力を割かなければならなくなったウクライナ軍は窮地に陥ります。その一方で、当然にベラルーシも戦場となりますし、同国にはロシアの戦術核が配備されますので、仮にウクライナ紛争が核戦争に発展した場合、核のボタン、つまり、自立的な核の抑止力を持たないベラルーシが人類史上第三番目の被爆地となるかもしれません。

 第二に推測されるのは、ベラルーシが、プリゴジン氏と共にロシアに対して謀反を起こす可能性です。ルカシェンコ大統領は、就任以来、必ずしも親ロ派路線一辺倒というわけではありませんでした。むしろ、威圧的なプーチン大統領に屈してきた感もあり、上述した核配備にしても、ベラルーシにとりましてはリスク含みです。何度も煮え湯を飲まされてきたとも言えますので、プリゴジン氏の受け入れを機に、反ロ路線に転じる可能性もないわけではありません。

 第2の推測にあっても、裏ではNATO陣営、あるいは、世界権力が暗躍している可能性もあります。傭兵部隊であるワグネルは、潤沢な資金力さえあれば寝返らせることは難しくありません。また、プーチン大統領に対する不満が鬱積しているルカシェンコ大統領を自陣営に引き込むことも、然程にハードルの高いわけでもないのでしょう。歴史を振り返りますと、‘昨日の友は今日の敵’、あるいは、‘昨日の敵は今日の友’といった現象は珍しくはないのです。そして、この推測の先には、CSTO 並びにロシア連邦解体の未来も見えてくるのです(つづく)。

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プリゴジン反乱の謎

2023年06月27日 11時05分48秒 | 国際政治
 プリゴジンの反乱には、純粋にプーチン大統領に対する不満や批判からの行動にしては、幾つかの不自然な点があります。そもそも、プリゴジン氏は、反乱という自らの行動に勝算があったのでしょうか。

本日、6月27日には、プリゴジン氏のものとされる音声メッセージが、通信アプリ「テレグラム」に投稿されていました。同メッセージでは、ロシア国防相が7月1日をもってワグネルの事実上の解体を迫る中、ワグネルの隊員30名がロシア軍によるミサイル攻撃により殺害される事件も発生し、止むに止まれず、モスクワ進軍並びにロシア南部のロストフ州の占領という挙に及んだとし、武装蜂起に至る経緯がおよそ説明されています。そして、目的については、プーチン政権を転覆させる意図はなかったとしています。

もっとも、同メッセージが‘本物’である保証はありません。今日のIT技術を用いれば、プリゴジン氏の声をデジタル音声で再現できますし、音声のみで動画もないため、プリゴジン氏本人がしゃべる姿が確認できないからです。

音声メッセージの真偽の判断は今後の検証を待たなければならないのですが、政権転覆であれ、抗議行動であれ、反乱を起こすとなりますと、当然にロシア正規軍との戦いを覚悟しなければならなかったはずです。ウクライナ紛争では、数ではロシア軍がウクライナ軍を圧倒しているため、ワグネル規模でも一定の戦功を上げることはできますが、総兵力115万ともされるロシア軍相手となりますと、その結果は火を見るよりも明らかです。プリゴジン氏は、軍人としての専門教育を受けてきたわけではなく、飲食業から身を起こしてロシアのオリガルヒの一人となった人物です。ロシアの正規軍の作戦等を稚拙として批判しながら、自身も軍事の専門家ではありません。それ故に、無謀な反乱に及んだとも考えられるのですが、それでも、ロシア軍内部からのドミノ倒し的な‘寝返り’がない限り、ワグネルの行動は自殺行為に等しいのです。仮に、同氏が‘軍事のプロ’として進軍を是としたとしたならば、今日のロシア軍はワグネルの一師団の兵力だけで屈服させることができるほど弱体化していることとなりましょう。

また、プリゴジン氏が、プーチン大統領の性格や人柄を熟知していれば、同大統領がどのように対応するのかも、凡そ予測できたはずです。強権をもってロシアに君臨してきたプーチン大統領が、プリゴジン氏の要求にあっさりと応じるはずもなく、ロシア軍による鎮圧と厳格な処罰を命じるに決まっています。仮に、ワグネル軍の前に同大統領が膝を折るとすれば、それは、プーチン体制の終焉をも意味したことでしょう。

プリゴジン氏は、ワグネルの撤退については「ロシア兵の流血の事態を避けるためだった」とも語っています。この言葉からは、内戦に至り、ロシア人同士が戦って血を流す状況だけは回避したい、とする強い愛国心が感じ取れます。以前より、同氏はウクライナ紛争における度重なる戦略や戦術上の対立のみならず、プーチン政権並びにロシア軍の腐敗に対しても批判していました。今般、モスクワに向けて進軍するに際しても、「正義の進軍」と称してロシアを思っての愛国的な行動であることをアピールしていたのです。

 しかしながら、ワグネルは、あくまでもそのメンバーが必ずしもロシア人ではない傭兵部隊であり、囚人も雇用していたとされています。メンバーの来歴を見る限り、ロシアに対して強い愛国心を抱いているとは言い難い人々ばかりです。むしろ、ワグネルの傭兵達は、雇用契約上の義務を果たしているか、あるいは、プリゴジン氏個人に対して忠誠を誓っているのかもしれません。しかも、プリゴジン氏自身の出自はユダヤ系であり、ロシアに対する感情は複雑なはずです。19世紀から20世紀にかけては、ロシア各地で激しいポグロム(ユダヤ人集団殺戮)が起きているからです(この点、ユダヤ系であるウクライナのゼレンスキー大統領も同様の立場に・・・)。

 ロシアやアメリカの動きのみならず、以上に述べてきましたように、プリゴジン氏の行動や判断には、どこか不審な点があるのです(つづく)。

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不自然すぎる‘プリゴジンの反乱’

2023年06月26日 11時02分30秒 | 国際政治
 ロシアがウクライナ紛争に投入している主力部隊ワグネルは、言わずと知れたロシアのオルガルヒであるエフゲニー・プリゴジンが創設した傭兵部隊です。ところが、この傭兵部隊、事もあろうことか、ワグネルの雇用主にしてロシアの最高権力者プーチン大統領の座すモスクワに向けて進軍を開始したというのですから驚きです。結局、‘プリゴジンの乱’は、ワグネルが進路を引き返すことで急転直下収束へと向かい、思いもかけぬ反乱劇に全世界が唖然とさせられたのです。かつてマキャベリは、その著書『君主論』において傭兵よりも常備軍を備えるようにと進言したのですが、プーチン大統領は、迂闊にもマキャベリの教えに背いてしまったのでしょうか。

 直近の速報に依りますと、プリゴジン氏は、ロシア南部ロストフナドヌー を後にしたものの、その後の消息がつかめず、行方不明とされています。一連の反乱劇については様々な憶測や情報が飛び交っており、その真相は詳らかではありません。情報戦の様相も呈しており、事実に行き着くことは現状では難しいのですが、今般の反乱劇には、幾つかの不自然な点や疑問点が見受けられます。

 第一の点は、ワグネルのモスクワ進軍ならびにロシア南部の占領は、兵力2万5千規模ともされる同部隊のウクライナ紛争からの戦線離脱を意味するものとなったのではないか、とする疑問です。プリゴジン氏が首都モスクワの制圧を意図していたとしますと、ワグネル全軍を挙げての行動であったはずです。となりますと、ロシアの正規部隊が駐留しているとはいえ、ウクライナ側の反転攻勢の最中にあって、紛争地では力の空白あるいはパワー・バランスの崩れが生じたはずです。ところが、ウクライナ側がこのワグネル離脱をチャンスとみて大規模な攻撃を仕掛けたとの報道はありませんでした。

 ここから、何故、ウクライナ側はプリゴジンの反乱を利用しなかったのか、という疑問が沸いてきます。ワシントンポスト紙が報じるところに依れば、アメリカの情報当局がプリゴジン氏の計画を把握したのは今月中旬である一方で、お膝元のプーチン大統領が知ったのは僅か24時間前であったそうです。同情報が正しければ、ウクライナ側には戦局を一転させる千載一遇のチャンスが転がり込んできたことになりますし、作戦を練る十分な時間もあったはずです。それにも関わらず、ウクライナ側は静観を決め込んだのですから、どこか行動が不自然なのです。

 もっとも、ウクライナ側の冷静な対応にも、それ相応の理由があったのかもしれません。第1に推測されるのは、ロシア側が仕掛けた巧妙な‘罠’であることを警戒したというものです。ロシアの伝統的な戦術は、兵站が途切れるほどに敵軍隊を自国領域内におびき寄せ、包囲して殲滅してしまうというものです。ナポレオンのロシア遠征やナチスの対ソ戦も、同作戦によって失敗に終わっています。ロシア側が、敢えてプリゴジン反乱という‘偽情報’を流してアメリカ側に掴ませ、ウクライナ陣営を自らが優位に戦える地点に誘い込もうとしたのかもしれません。この推測に従えば、危険を事前に察知したウクライナ側は、プリゴジンの反乱に無反応で応じたことになります。

 ワグネルの撤退については、ベラルーシのルカシェンコ大統領が仲介に入り、プーチン大統領からも不問に付すとの言質を得たと報じられています。ロシア側も寛容な態度も、第1の推測を補強しているように思えます。もっとも、同報道については、ロシアの独立系メディア「バージニエ・イストーリー」は、プーチン大統領が不問に付すのは兵士のみでプリゴジン氏については殺害命令が下されていると報じています。

 第2に、傭兵派遣事業はサービス業の一種でもありますので、プリゴジン氏は、ウクライナ側と契約を結んだとも推測されます。ビジネスである以上、より高額の報酬を提示した側と雇用契約を結ぶことは大いにあり得ることです。資金力や財力においてはアメリカ側が優位にありますので、プリゴジン氏に対して‘ビジネス’として‘反乱’を持ちかけたとする憶測も成り立ちましょう。プリゴジン氏は、常々ロシアに対する熱烈な愛国心をアピールしていますが、「ワグネル」は、どの国、あるいは、どの勢力とも自由に契約し得る民間軍事会社なのです(マキャベリの呪い・・・)。

 第2のシナリオでは、上述したようにプリゴジンの反乱は、ウクライナ側の反転攻勢のチャンスとなるはずです。しかしながら、現実にはウクライナ側は動きませんでしたので、同シナリオの線は薄いかもしれません。もっとも、ウクライナ側が、同反乱を不利な戦局の打破の軍事的な転機とするのではなく、ロシア国内の内乱を狙ったとすれば、同シナリオの線も消せなくなります。第一次世界大戦にあっては、キール港の水兵達の反乱を機にウィルヘルム2世は退位に追い込まれ、ドイツ帝国が内部から瓦解すると共に敗戦に追い込まれています。今般のプリゴジンの反乱についても、米シンクタンク戦争研究所(ISW)は、ウクライナ側の関与の有無は別としても、プリゴジン氏はロシア軍からの造反を狙ったのではないか、とする見方を示しています。また、身内からのプーチン政権の弱体化の現れと見なす見解もあり、内部崩壊、すなわち、ロシアの戦争遂行能力の喪失が目的であったのかもしれません。

 以上に、ロシア側並びにアメリカ側の双方に見られる不審点について述べてきましたが、もう一つ、考慮すべき可能性があるように思えます(つづく)。(2023年6月27日修正)

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忘れられたタイタニック号沈没の教訓

2023年06月23日 10時43分56秒 | 国際政治
 1912年4月15日、世界最大級の豪華客船にして最先端の造船技術を以て不沈ともされたタイタニック号が、北大西洋上にあって巨大氷山群に衝突し、沈没するという忌まわしい事故が発生しました。同事故において乗員乗客2224名の内凡そ1500名の乗客がマイナス2℃ともされる冷たい海で命を落としています。犠牲となられた方々の遺体のうち200体ほどはカナダのハリファックスに埋葬されているもの、その他の多くの人々は海に沈み、タイタニック号が沈没した海底の現場は墓標なき海の墓場となったのです。

 タイタニック号の悲劇的な沈没事故は人々に強い衝撃を与え、二度にわたり映画化されたことに加え、1914年に「海上における人命の安全のための国際条約(SOLAS条約)」が締結される契機ともなりました。何故ならば、タイタニック号の沈没は、人為的な要因による人災という側面が強かったからです。言い換えますと、事前に安全性を正確に評価し、これに基づくリスク対策を施し、かつ、責任者が状況に対して的確に判断を下していれば防ぐことができた事故であったのです。

 同船体の沈没原因は複合的ではあるのですが、(1)最先端の造船技術に対する過信(隔壁4区画の浸水には耐えられるけれども、それを越えると沈没する・・・)、(2)船体のプレートを接合するリベットの寒冷時における応力低下、(3)全乗員乗客を収容できない救命ボートの搭載数、(4)スミス船長並びに無線オペレータまたは機器のトラブルによる氷山警告の無視または軽視、(5)見張りによる氷山群の見落とし、(6)スケジュール優先の高速航行、(7)氷山との衝突回避のための「左舷旋回」における減速・・・などが指摘されています。これらの中には立証が不十分な要因があるものの、何れもが人為的なものでした。それ故に世論は憤慨し、イギリスとアメリカでは、事故原因と責任を追及するための調査も実施されたのです。

 かくしてタイタニック号の沈没事件は、人災による悲劇的海難事故として人々の記憶に刻まれることとなったのですが、同事故の教訓は、今日にあっても十分に活かされてはいないように思えます。本日も、タイタニック号の沈没現場を見学するために潜水艦ツアーに参加した5名の方々の生存は絶望的、とするニュースが報じられております。今般の事故も、タイタニック号の誤りを繰り返してしまった感が拭い去れないのです。

 事故を起こした潜水艇‘タイタン’についても、以前から安全性に関する脆弱性が指摘されておりました。(1)ゲーム用コントローラーによる操縦、(2)窓枠の強度、(3)電気系統のトラブル、(4)不安定な通信状態(数度の行方不明事件あり・・・)、(5)安定化チューブのブラケット破損の前例、(6)96時間分の酸素供給量、(7)遭難時に固定位置情報の提供するビーコンの不搭載など、事前に把握されていた問題点を挙げれば切がありません。ドイツ紙ビルトが、ドイツ人冒険家アルトゥール・ロイブル氏の談として「あれは自殺行為だった」と報じるほどです。リスクが十分に認識されていながらも、ツアー料金3500万円というのですから、タイタンの運営会社のオーシャンゲート・エクスペディションズが、ビジネスによる利益を優先させた結果が、今回の事故を招いたとも言えましょう。タイタニック号についても、事故の遠因としては、国際海運商事や同号の所有者であったホワイト・スター・ラインの安全性を軽視した利益中心主義の姿勢が問われています(もっとも、上述した事故調査では、両者の過失は認められなかった・・・)。

 そして、ビジネス優先による悲劇は、タイタニック号やタイタン号の事故のみに留まらないように思えます。太陽光発電の普及にせよ、mRNA型ワクチンの接種推進にせよ、デジタル化やマイナンバーカードの利用拡大にせよ、安全性よりも利益が優先されるケースが後を絶たないからです。事前にリスクが指摘されながらも、先端的なテクノロジーの先進性を前面に掲げ、スピードアップこそすれ、決して立ち止まろうとはしないのです。およそ1世紀を隔てて起きた二つの海難事故は、同じ誤りを繰り返す人々への警告と見なすべきなのではないかと思うのです。

 なお、タイタニック号沈没に際して世論が激しく憤慨した背景には、富裕層である一等船客が優先的に救助されたという事情もありました。とは申しますものの、優遇されたとはいえ男性乗客の死亡率は67%であり、同号の惨事の凄まじさを物語っています(男性の二等船客の死亡率は実に92%に達し、三等船客では84%であった・・・)。今般のタイタン事故で亡くなったとされるのは、操縦士を務めたオーシャンゲート・エクスペディションズのCEOを含め、高額のツアー料金を支払ってでも海の底に横たわるタイタニック号の見学を楽しもうとした富裕層の人々なのですが、同海域が未だに救いを求める魂の彷徨う海の墓場であることも忘れていたのかもしれません。

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グローバリストの‘つまらない世界観’

2023年06月22日 12時57分23秒 | 国際経済
 最近、web記事において田中真紀子氏の発言に「人間には、敵か、家族か、使用人の三種類しかいない」とする言葉があることを知りました。政治家一族の立場からの人間観であるため、多くの人々が共感を寄せるとは思えないのですが、この言葉、今日の世界経済フォーラムに集うグローバリストの世界観を理解する上では大いに役立つように思えます。

 田中角栄氏が政界で活躍していた70年代頃にあっては、今日よりも政治家=支配者とする概念が強く残っていたことでしょう。民主主義という価値観が国民に広く浸透しながらも、真紀子氏にも、政治家は一般国民とは違う特別の存在であるとする意識が染みついていたとしても不思議ではありません。なお、同氏に代表される政治家の特権意識、あるいは、支配者意識は、日本国にあってなおも世襲議員の比率が高い要因の一つとも言えましょう。

 他者とは一線を画する立場として生まれた人々は、自ずとその育った特別の環境によって他者を見る目も違ってくる傾向にあります。同等の者は、地位や権力、あるいは、富を脅かすライバルであり、‘敵’として認識されます。その一方で、身内である家族は、自らの富や権力を私的に独占するための特別な存在です。そして、他の大多数の人々に対しては、常に一般社会から離れた一段上がったところから、自らのへの奉仕者として位置づけているのです。それ故に、田中氏の分類には、隣人や友達、仲間と言った対等で相互尊重的な関係を表す人間のカテゴリーが抜け落ちているのでしょう。他者とは、邪魔な存在として排除すべき敵か、特権の共有者として護るべき家族か、あるいは、自らの命に忠実に従うべき使用人の三種類しかいないのです(為政者にとりましては、国民は‘使用人’のカテゴリーに・・・)。

 これらの三つのカテゴリーには、徹底した自己中心主義という共通点を見出すことができます。否、政治家一族という極めて狭い世界に生きているために、他の類型の人間、即ち、対等な立場にある人々がいることすら、気が付いていないのかもしれません。実際に、自らの周囲にはこれらの三種類の人間しかいないのですから。

 こうした人間観は、古今東西を問わず、政治家や王侯貴族と言った主として為政者に見られる傾向でもあったのですが、今日ではマネー・パワーを牛耳る人々の精神性にも観察されるように思えます。グローバリズムに伴う格差問題としても指摘されているように、全世界の富と権力がごく一部の血族集団に集中し、各国の政治権力を裏から操っているからです。そして、家族以外の他者を‘敵’か‘使用人’とみなす人間観は、そのまま世界観にも投影されているのであり、世界経済フォーラムの方向性やそれに従う各国政府の動きも、これらの人々を除く大多数の人類が、‘敵’か‘使用人’と見なされている現実を見せつけているのです。

 例えば、日本国政府は、岸田首相の言動が示すように、グローバリストの‘使用人’に成り下がっています。また、健康被害を無視した情報統制を伴うワクチン接種の推進やジョブ型雇用の導入促進、あるいは、国民に対するデジタル管理の強化などをはじめ、日本国政府の政策を見ても、世界権力にとりまして、日本国民は、滅ぼすべき‘敵’、あるいは、敵認定をした上での支配や搾取の対象に過ぎないことが分かります(‘移民政策’でも、‘使用人’の帯同を想定した外国人の滞在に関する規制緩和が行なわれている・・・)。

 世界権力の支配力が各国に及びながらも、グローバリストの人間観も世界観も、彼らが身を置いている極めて少数のグループの間でしか通用しない特殊なものです。今日、地球上に生きる人類の大多数の人々は、民主主義、自由、法の支配、平等・公正並びに平和といった諸価値を認め、かつ、尊重しています。これらの諸価値は、個々の人格の間の対等性や自己決定権の尊重なくして実現しませんし、現代国家にあっては、統治の正当性をも支えてきました。一方、自らをヒエラルヒーの頂点に座す支配者であると一方的に主張する今日のグローバリストの世界観は、これらの諸価値とは真逆です。このため、他の大多数の人々は、世界権力の世界観によって、‘敵’として攻撃を受けるか、あるいは、‘使用人’として酷使にされてしまうリスクを内包する危険思想として認定せざるを得なくなるのです。世界支配を主張する人々は、常識を備えた一般の人々の目には根拠のない自己全能感に囚われた‘狂人’にしか映らないことでしょう。

 こうしたグローバリストの選民的な世界観が多くの人々から支持されるはずもなく、このため、自らの世界観を受け入れさるための誘導作戦として巨額のマネーをマスコミに投入されているのでしょう。例えば、テレビやアニメなどでは、一時期、執事やメイドを主人公とするストーリーが流行ったのですが、こうした奇妙な‘トレンド’も、‘使用人’という存在を受け入れさせるための策略であったのかもしれません。しかしながら、執事やメイド等は富裕層のみが家内で私的に雇用する限定的な職業ですので、否が応でも現実離れした違和感が漂ってしまうのです(双方が頭を下げる対等な日本式のお辞儀からコンスへの変化にも日本人使用人化の疑いが・・・)。

 世界権力が目指す世界とは、隣人も友達も仲間もいない‘つまらない世界’でもあります。因みに、アガサ・クリスティー原作のテレビ・ドラマ『名探偵ポアロ』は、脇役にもヘイスティング大尉やミス・レモンといった味のある人物が登場し、大時代的な雰囲気のある面白い作品であったのですが、新シリーズでは、執事のジョージにポアロの相棒役が移ってしまい、途端にどこか陰鬱でつまらない作品になってしまったのでした。

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権力分立が人類を救う?-バイデン大統領次男の訴追

2023年06月21日 10時03分23秒 | 統治制度論
 ジョー・バイデン米大統領の次男であるハンター・バイデン氏については、かねてより黒い噂が付きまとっておりました。その始まりは、同氏が修理に出していたノート型パソコンの受け取りを忘れた2019年4月のことなのですが、パソコンに保存されていたデータの内容が明らかになりますと、アメリカのみならず全人類を巻き込む大スキャンダルに発展しかねないとして、全世界が一時騒然となりました。何故ならば、流出したデータは、公職にあるアメリカの大物政治家が権力を私物化し、親族総出で海外にて利権を漁っていた姿を明るみにしたからです。しかも、疑惑の舞台がウクライナ並びに中国であったのですから事は重大です。

 もっとも、ハンター氏のウクライナ疑惑並びに中国疑惑につきましては、リベラル系大手メディアのみならずFacebookやTwitterといったSNSも火消しに奔走したために有耶無耶にされ、父バイデン氏も、不正選挙疑惑に起因する混乱の末に大統領に就任しています。いわば、火種が燻る状態が続いてきたのですが、今般、ハンター氏が自らの罪を認めたことで、少なくとも同氏が違法行為に関わっていたことだけは事実として確認されることとなりました。疑惑の段階から事実へと移行したことにより、バイデン政権時代にウクライナ紛争がロシアの軍事介入により激化し、中国による台湾有事のリスクが高まったのも、単なる偶然とは思えなくなってきます。

 それでは、ハンター氏のウクライナ疑惑とはどのようなものであったのでしょうか。同疑惑は、単なる政治家親族によるコネ就職や利権漁りに留まりません。ハンター氏は、2014年にウクライナの国営天然ガス会社ブリスマの取締役に就任し、コンサルタントとして年間100万ドルの報酬を得ていたとされます。ここまでは、国民の誰もが眉をひそめる政治家一般に見られる‘悪しき習性’です。ところが、同社に対して汚職の嫌疑で同国の検察の調査が及ぶと、父バイデン氏はアメリカ合衆国副大統領の地位を利用して外部から圧力をかけ、疑惑をもみ消すために同社の調査を担当していた検察官を辞任させてしまったというのです。

 ハンター氏がブリスマ社の幹部となった背景には、ウクライナのシェールガス開発計画があったとも指摘されています。ドイツをはじめEU諸国は、エネルギー資源の供給をロシアからの輸入に依存していたのですが、ウクライナにあってシェールガスの大量採掘に成功しますと対ロ依存の構図は一変します。ここに高いシェールガス採掘技術を有するアメリカとウクライナが結びつく理由が見出せるのです。そして、同開発計画に際して両国間の仲介に当たった両国の政治家の懐にも多額の利益が転がり込む仕組みが用意されていたことでしょう。有望なガス田は、目下、ロシア軍の占領下にある東南部地域にあるとされていますので、ウクライナ紛争には、エネルギー資源の争奪戦という側面が見えてくるのです。

 あるいは、世界権力がアメリカとロシアの両国を操っているとしますと、同権力は、どちら側が勝利しても同地のガス田に関して一定の利権を確保すると共に、自らの資金源となるエネルギー資源の価格をつり上げるために同紛争を利用しているのかもしれません。さらには、激しい戦闘やミサイル等による破壊を演出することで、兵器や復興資金を含めた巨額の支援を各国から引き出すと共に、第三次世界大戦へと紛争を拡大させることで(中国には、戦略物資となる石油等を経済制裁中のロシアから安価で入手させ、台湾侵攻を準備させる・・・)、有事体制、すなわち全世界の諸国における全体主義体制への転換による人類支配を目論んでいるとする推測も、あり得ないわけではありません。

 かくしてハンター氏の訴追は陰謀の実在性を証明し、人類支配の計画を頓挫させるチャンスとなるのですが、この展開を可能としたのは、アメリカ合衆国憲法に定められた権力分立体制であった点は注目されます。仮に、共産党一党独裁体制の中国であったならば、トップの座にある習近平国家主席の家族や親族が訴追されるという事態は到底あり得ないことでしょう。司法の独立性が保障される体制であればこそ、政治家による権力の濫用や私物化が阻止され、アメリカ国民のみならず、全人類が救われるかもしれないのですから。皮肉なことに、ウクライナにおいて権力分立の原則を破壊した行為が、バイデン大統領にブーメランの如くに返ってきているのかもしれません。

 もっとも、今般の訴追については、ハンター氏が司法取引に応じたためとされており、直接に有罪を認めたのは、故意の納税怠慢や薬物依存状態における違法な銃所持など、ウクライナ並びに中国疑惑との直接的な関連性は薄いとされています。この点については、共和党からも手ぬるいとする批判が上がっており、同氏に関連する疑惑の解明がどこまで進むのかは今後の展開を見てゆくしかありません。ロシア発とは言え、ハンター氏は、ウクライナにおける生物化学兵器開発の資金提供にも関わったとする情報もあり、ハンター氏の闇は底なしに深いようにも思えます。そして、政界の闇が深いからこそ、人類の危機を前にして、建国に際して世界に先駆けて権力分立の原則を導入したアメリカの統治制度の真価が問われているとも言えましょう。

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ベラルーシ核配備がウクライナ核武装を実現する?

2023年06月20日 12時32分18秒 | 国際政治
 今月の6月15日、ロシアとウクライナとの間で戦術核配備に関する協定書が調印されました。ベラルーシは、地理的にはロシアともウクライナとも国境を接してはいるものの、紛争当事国ではありません。ロシア側の言い分とは、NATO側が反転攻勢を狙ってウクライナへの軍事支援を強化している以上、自らの陣営も攻守両面において軍備増強を図らねばならず、NATOの最前線となるポーランドとも国境を接しているベラルーシへの核配備もその一環である、ということなのでしょう。言い換えますと、ロシアによる同盟国への核兵器配備の原因を造ったのはNATO側であり、最悪の場合、今後、紛争がエスカレーションして第三次世界大戦並びに核戦争にまで発展したとしても、その責任を負うべきはNATOであると主張しているのです。

 かくして、ウクライナ紛争は、遂に当事国の隣国への核兵器の配備という事態を迎え、紛争の地理的拡大のリスクが顕在化することとなったのですが、その一方で、今般のベラルーシへの核配備は、今後の紛争、否、人類の行方を左右する幾つかの重要な考察すべき諸点があるように思えます。

 第1に、ベラルーシへのロシアによる核配備は、「ブダベスト覚書」を完全に空文化してしまいます。同覚書は、ソ連邦の崩壊後にアメリカ、イギリス、ロシアが、ウクライナに対して核放棄=NPTへの加盟の見返りに同国の安全を保障した多国間の合意文書として知られていますが、同覚書の当事国はウクライナのみではなく、ベラルーシ並びにカザフスタンも含まれています。このことは、ロシアがベラルーシに対して核を配備するのであれば、アメリカやイギリスがウクライナに核配備を行なっても、ロシアは同行為を認めざるを得なくなくなることを意味します。

 第2に考えるべきは、ベラルーシの核配備の目的です。ロシアは、上述したようにロシアの西側国境の安全の強化をベラルーシへの核配備の口実としています。一先ずは、防衛面における必要性を強調しているのですが、ロシアの言い分が通用するならば、ウクライナも自国の防衛強化を根拠として、アメリカから核兵器の提供を受けることができるはずです。つまり、今般のベラルーシへの核配備は、ウクライナの核武装が実現するチャンスともなるのです。

 もっとも、ウクライナに対する核兵器の提供については、ベラルーシがロシアを中心として結成されている軍事同盟「集団安全保障条約機構(CSTO)の構成国であることから、NATO加盟国ではないウクライナとは条件が違うとする反論もあるかもしれません。しかしながら、国際法において軍事同盟国以外の国に対して‘核の傘’を提供してはならないとする明文の禁止規定はありませんし(逆に、NPTにあっても核兵器国が軍事同盟の相手国である非核兵器国に対して核を提供してもよいとする明文の規定はない・・・)、公然とNATOがウクライナに対して軍事支援を実施している以上、ウクライナに対する核の傘の提供を躊躇する理由はないはずです。否、さらに踏み込んで、真に同国の安全を護ろうとするならば、ウクライナのNPTからの脱退を認めるべき立場にあると言えましょう。

 その一方で、第3に注目すべきは、ベラルーシに配備されたのが、戦略兵器ではなく戦術核兵器であった点です。ロシアとしては、戦略核兵器を配備すればNATO陣営のみならず、全世界から批判を受ける事態を予測し、ロシアの対ウ軍事作戦に必要となる範囲においてウクライナ並びに周辺諸国に攻撃先を限定した形で核配備を進めたのかもしれません。このことは、ロシアによるベラルーシへの配備は、実のところ、実践での使用、すなわち、防衛目的ではなく攻撃兵器としての使用を意図していたとも推測されます。ロシアが真にベラルーシの安全を核の傘の提供によって護ろうとするならば、戦術核ではなく報復を目的とした戦略核を配備したことでしょう。

 そして、第4に指摘し得るのは、ベラルーシに配備された核兵器に関する権限は、すべてロシアに握られている点です。ロシアのジョイク国防相によると、「戦術核兵器はロシアが管理し、使用に関する決定はロシアが下す」とされており、この発言が事実であれば、ベラルーシに対する核の抑止力は著しく低下します。最悪の場合には、ロシアの身代わりとなって核の報復を受けるリスクもあるのですから、ベラルーシへの核配備は、同国にとりましては核抑止のメリットに乏しく、必ずしも国益に叶うわけではないのです。自国に不利なロシアとの協定締結には、独裁者とされるアレクサンドル・ルカシェンコ大統領が、プーチン大統領との密室での会談後に体調不良に見舞われた一件も関わっているのかもしれません。

 以上に幾つかの論点について述べてきましたが、これらの諸点は、ロシア側にせよ、NATO側にせよ、当事国並びに関係諸国の一貫性のなさというものを露呈しています。しかしながら、ウクライナ紛争に見られる‘ちぐはぐさ’は、同紛争が上部からコントロールされたものであるとしますと、理解の範疇に入ってくるように思えます。推測される世界権力によるコントロールの基本方針とは、NPT体制を崩さずして戦争を激化させ、かつ、実験的に戦術核兵器も使用するというものです。ロシアは、ベラルーシを犠牲に供しつつNPT終了の決定的な口実を与えようとしない一方で、NATO側も、同問題がウクライナの核保有問題に発展しないよう細心の注意を払っているのです。

仮に同推測が事実に迫っているならば、中小の非核兵器国は、今般のベラルーシへの核配備を機に、ウクライナの核武装を提起しつつ、独自保有に向けたNPT体制の見直しを求めるべきです。ウクライナの核武装は、核による相互抑止力の作用により、紛争のエスカレーションが抑制され、収束へと向かう可能性を高めるかもしれません。そして、ゼレンスキー大統領が真に自国と自国民を護ろうとする愛国者であるならば、自国の核武装を全力で試みるのではないかと思うのです。

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二頭作戦を無力化する方法

2023年06月19日 13時11分52秒 | 国際政治
 1999年に公開されたアメリカのSFアクション映画に『マトリックス』という作品があります。同映画にあって最も有名なシーンは、仮想現実の世界にそれとは知らずに生きてきた主人公であるトーマス・アンダーソンが、赤いカプセルと青いカプセルの二つの内から一つを選ぶように迫られる場面です。青いカプセルを選択すると、このまま仮想現実の中で生き続け、赤いカプセルを選択すると現実の世界で目覚めるというのです。結局、赤いカプセルを選ぶのですが、コンピュータに支配されている現実を目の当たりにしたトーマスは、同支配を打破する人類の救世主となるべく、コンピュータとの闘いに挑んでゆくのです。

 このストーリー、どこか現実とオーバラップしており、アメリカ政治の現状をSF仕立てに描いた現代の風刺映画であるのかもしれません。否、世界権力が推し進めている近未来ヴィジョンを見る限り、現実の方がSF化しているとも言えましょう。仮想現実と現実との融合は既に起きているのですが、共和党が赤いカプセルを、民主党が青いカプセルをそれぞれ象徴しているとしますと、『マトリックス』の世界は絵空事ではなくなります。共和党のトランプ前大統領はディープ・ステートの存在を暴露し、‘救世主’の役割が期待されている一方で、片やマスメディアをも支配するリベラルは、全世界に張り巡らしたマスメディアをも駆使して自らが演出している‘世界’を現実と置き換えようと必死なのですから。

 それでは、『マトリックス』のように、赤のカプセルを選択すれば、人類はコンピュータ支配から救われるのでしょうか。陰謀論がその大筋において事実であることが判明した今日、人類は、偽旗作戦に対しても警戒する必要があります。人類の救世主として出現した人物が、‘偽メシア’である可能性も頭に入れなければならないからです(ユダヤ人の歴史には、しばしば‘偽メシア’が出現している・・・)。赤と青との間の二者択一は、どちらを選択しても行く先が同じ場所、即ち、地獄であるというメビウスの輪的な巧妙や罠であるかもしれないのです。アメリカ、否、世界権力からの強い内政干渉に曝され、与野党共にそのコントロール下にある日本国内に政治状況も、アメリカと然して変わりはないのでしょう。

 もっとも、冷静に考えてみますと、二頭作戦からの脱出方法は、それ程には難しくはないのかもしれません。何故ならば、世界権力の手法とは、基本的には心理作戦であるからです。戦争、災害、革命、テロ、要人暗殺、恐慌等を利用したショックドクトリン、あるいは、マスメディアが人々に浴びせる‘洗脳シャワー’やプロパガンダ等もその一つなのでしょう。人々をパニック状態や陶酔状態に陥れ、健全な知性が働かず、思考停止状況に心理的に追い込むのです。そして、人々の選択肢を自らが仕掛けた二つに絞り込めれば、凡そ逃げ道は塞がれたに等しくなります。
 
 『マトリックス』におきましても、主人公は、青か赤のカプセルの内の一つしか選べません。スクリーンを見ている映画館の観客も、この二者択一のシーンを至極当然のこととして見入っているかもしれません。現実世界にあっても、各国の国民は、これに似た選択を迫られています。しかしながら、そもそも、何故、提示された二つの内の一つしか選べないのか、ということを考えてみることは、二頭作戦から脱出するための第一歩のように思えます。他者から与えられた選択肢から離れ、思考を自由に解き放てば、未来への道は無数に存在するからです。

 選ばせる方からすれば、選ぶという行為には自発性を伴いますので、たとえそれが二者択一に追い詰められた末であったとしても、選択した者の自由意志として言い逃れることができます。‘私たちが強制したのではなく、選んだのはあなた方である’と。如何なる結果を招いたとしても、あくまでも選んだ側の責任にされてしまうのです。こうしたケースでは、‘選択肢が二つしかない、ということはないはずです’、あるいは、‘何故、選択肢は二つのみなのですか’と尋ねてみますと、返答や回答に窮するかもしれません。『マトリックス』であれば、二つのカプセルの何れをも飲むのを拒否し、二頭作戦という相手方が準備した舞台から降りてしまうのです(無力化・・・)。

 そして、既に用意されたものを選ばされるのではなく、自ら新しいものを造るという発想こそ、二頭作戦から逃れる第二のステップともなりましょう。自発的に自らが生きる世界について考えてゆく思考力、構想力、開発力等の知力を磨き、建設的な代替案を具体的に提案すれば、人類支配の計画は大きく狂ってくるはずです。今日、生成AIやロボット等によって人々から職を奪おうとしたところ、人類が独創性に目覚め、二頭作戦から自らを救う道を見出すとすれば、世界権力にとりましては思わぬ‘どんでん返し’となるのかもしれません(メビウスの輪の逆転・・・)。

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テクノロジーの悪用を許す‘戦争’という名の口実

2023年06月16日 10時28分29秒 | 国際政治
 テクノロジーが人々の生活を豊かにしてきたことは紛れもない事実であり、多くの人々に未来への夢も与えてきました。機械の導入により今日では目を覆うばかりの過酷な重労働も殆ど目にしなくなり、医科学の発展も病に苦しむ多くの人々を死の恐怖から救ってきました。テクノロジーの人類への貢献を知れば、誰もがその発展に期待するのですが、テクノロジーを取り巻く今日の状況を見ますと、科学技術というもののリスク面が際立ってきているように思えます。

 生成AIの登場により、人々から職を奪う存在として人工知能の危険性が強く認識されている一方で、テクノロジーの重大リスクとして本日の記事で問題とするのは、ウイルス研究の分野です。何故ならば、ウイルス研究には、軍事大国による共謀、あるいは、世界権力による謀略の形跡が確認できるからです。

 新型コロナウイルスが登場した際に真っ先に出所として疑われたのが、中国の武漢ウイルス研究所でした。何故ならば、同研究所は、世界でも数えるほどしかないバイオセキュリティー・レベル4の最も有毒性の高いウイルスを扱う研究所であり、かつ、人民解放軍との関係も指摘されていたからです。生物化学兵器については、第二次世界大戦以前にあって既にその非人道性が問題視さており、1925年には「ジュネーブ議定書」にて使用が禁止されました。また、現在では、1975年に発効した「生物毒素兵器禁止条約」により、開発、生産、保有、取得の何れの行為も禁止されています。NPTとは異なり、一部の諸国に合法的な保有も許してはおらず、いわば、戦時といえども決して使ってはならない‘禁じ手’とされているのです。

 ところが、生物化学兵器の開発が国際法にあって禁止行為、即ち、国際社会における犯罪‘でありながら、現実には、軍事大国では密かに生物化学兵器の研究がなされてきたことは公然の秘密です。ソ連邦時代からロシアは密かに生物化学兵器を開発してきたとされていますし(アメリカの関与において問題視されているウクライナのウイルス研究所もソ連邦時代からの流れ・・・)、中国も、人民解放軍と武漢ウイルス研究所との関係が示すように、生物化学兵器の開発に着手していたと考えざるを得ません。生命体である敵国国民のみを’消滅‘させ、相手国を無傷のまま占領できるのですから、攻撃側にとりましては、都市やインフラ等の物理的な破壊を伴う通常兵器よりも遥かに’合理的‘な兵器なのでしょう。

 そして、ここで注目されるのは、武漢ウイルス研究所で行なわれていたとされるウイルスの機能獲得実験というものです。機能獲得実験とは、自然界のウイルスに人工的な遺伝子操作を施すことにより、異なる機能を持たせようとする実験です。同実験にあって問題となるのは、そもそも既存の有害ウイルスに対して機能改変の操作を加える必要性があるのか、という根本的な疑問です。もちろん、ウイルスの中には人々の健康を増進したり、進化ウイルス起源説があるように、ウイルスの遺伝子が感染者のDNAに逆転写されることで、人類が更なる進化を遂げる可能性も皆無なわけではありません。しかしながら、機能獲得実験が行なわれていたのは、とりわけ危険性の高いウイルスを扱うBSL4の研究所である以上、生物兵器として使用するために、感染率、重症化率、並びに、死亡率の高いウイルスを開発したとしか考えようがないのです。

 しかも、武漢ウイルス研究所には、アンソニー・ファウチ氏が所長であった国立アレルギー感染症研究所(NIAID)が業務委託した非営利団体「エコヘルス・アライアンス」を介して資金が提供されています。アメリカとしては、ウイルスの機能獲得実験は、生物化学兵器が使用された場合、その治療法や対策を予め準備するために必要である、と強弁するするかもしれません。しかしながら、この言い訳、共同研究の相手が‘仮想敵国’なのですから通用するとも思えません。否、大多数の人々が、軍事大国間の‘共謀’、もしくは世界権力の‘陰謀’を疑うことでしょう。

非人道的で残忍なテクノロジーの開発に口実を与えてしまうのも、戦争の悪しき一面なのです。そして、近現代の戦争が極一部の金融・経済勢力による私的利益の追求や世界支配を目的として仕組まれているのであるならば、人類は、先ずもってこの‘からくり’を冷静に解明すると共に、戦争回避の道を全力で探るべきではないかと思うのです。

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‘ファクトチェック’という名の暴露?

2023年06月15日 11時53分43秒 | 国際政治
ウクライナ紛争については、ロシアが‘特別軍事作戦’の名の下で軍事介入を行なったため、ロシア=侵略者のイメージが染みついています。日本国政府もマスメディアも凡そロシアを戦争犯罪国家と決めつけており、‘正義はウクライナにある’とする立場にあります。このため、同国のゼレンスキー大統領も、巨悪な侵略国家ロシアに果敢に立ち向かうウクライナの‘国民的な英雄’として描かれており、同大統領も、ラフな黒シャツを姿で英悠然とした演説動画を全世界に配信しています。その一方で、ウクライナの東南部にあって、ロシア系住民が迫害され、内戦状態に至っていたのも事実であり、アゾフ連隊と言ったネオナチ組織の存在がロシアに人道的介入の根拠を与えているのも事実なのです。

NATO陣営の諸国ではロシア侵略国家説に立脚しているため、後者の事実は、ほとんど‘なかったこと’にされています。どちらが正しいのかを正確に判断するには、両者の言い分を公平・中立的な立場から聞き、かつ、事実関係を調査する必要があるのですが、ウクライナ紛争に関しては、こうした検証作業が十分に行なわれているわけではないのです。世の中には、これまで知られていなかった一つの情報がもたらされることで、人々の評価や判断が180度変わることも稀ではありません。

かくして、自由主義国でも情報統制が行なわれることとなったのですが、ネットや非主流メディア等では、ウクライナを一方的な被害国、あるいは、絶対善とする偏重した見方に対する批判的な見解もないわけではありません。こうした批判的な見方には、ウクライナやゼレンスキー大統領に関する具体的なマイナス情報が根拠として示されているケースもあり、今日、国民世論にも一定の影響力を及ぼすに至っています。政府も大手メディアも、こうした情報をフェイクニューズやロシア側がばらまいている陰謀論として片付けようとしているのですが、ウクライナやゼレンスキー大統領に対する懐疑心の高まりは抑え切れていません。そこで、火消しのために日本ファクトチェックセンターが登場することとなったのです。

ファクトチェックセンターの基本役割とは、たとえ事実に基づく情報であったとしても自らに都合の悪い情報を否定することにあると理解されているのですが、今回に限っては、同センターによる検証は、むしろ事実の暴露となってしまったようです。何故ならば、検証プロセスにあって事実を記述しなければならなかったからです。

日本ファクトチェックセンターによってチェックされたのは凡そ10の言説です。結果だけを見ますと、そのうちの殆どが根拠不明として否定されています。しかしながら、否定の理由はあくまでも‘根拠不明’ですので、今後、新たな事実の判明によって覆される可能性が残されているものばかりです。むしろ、調査不十分の事例が目立つのですが、とりわけ興味深いのは、「ゼレンスキーはウクライナ人ではなくユダヤ人なのか」という問いに関する同センターの判定です。

結論としては、‘ゼレンスキー大統領はウクライナ人’ということなのですが、この結論に至るまでの論証過程にあって、日本ファクトチェックセンターは重大な事実を認めています。何故ならば、同結論は、国籍のみを基準として下されているからです。言い換えますと、同センターは、‘セレンスキー大統領は、国籍で判断すればウクライナ人であるが、民族からすればユダヤ人である’と述べているに等しいからです。

フランスのル・モンド紙によれば、ユダヤ人を両親としてクライナ東部ドニプロペトロウシク州のクリヴィーリフ市市に生まれたゼレンスキー大統領は、ウクライナに育ちながらも5年間はモンゴルに住んでいたそうです。同大統領の出生地であるクリヴィーリフ市、ウィキペディアの記事に依れば、ユダヤ系コミュニティーの中心地であり、19世紀に建設されたシナゴークは、同市において最も高い建物なそうです(しかも、ゼレンスキー大統領は、元々はロシア語系の住民であった・・・)。

また、日本ファクトチェックセンターは、「ゼレンスキー大統領は、イスラエルでのアウシュヴィッツ解放75周年記念式典で「ソビエト連邦の普通のユダヤ人家庭」で育ったと述べたとワシントンポストが伝えている。この式典では自身の家族について触れ、祖父が兄弟全員をホロコーストで亡くしていると語った。」としています。同発言からしますと、ゼレンスキー大統領は、ユダヤ人であることに自らのアイデンティティーをより強く意識していることとなります。

ゼレンスキー大統領が全世界に広がるユダヤ系コミュニティーの一員であることは、今般のウクライナ紛争を理解する上で重要な要素となります。何故ならば、仮に同大統領がユダヤ系でなければ、今般の紛争は起きなかった可能性が高いからです。世界大戦や革命、そして世界恐慌など、全世界を動乱に巻き込むような大事件の背景には、利益のみならず世界支配をも目論むユダヤ系の巨大な金融・経済組織が蠢いているものです。今般のファクトチェックは、図らずもウクライナ紛争の真相の一端を明らかにしてしまったのではないかと思うのです。

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‘資本主義対共産主義’という二頭作戦の罠―必要なのは新しい経済システム

2023年06月14日 12時21分04秒 | 国際経済
 第二次世界大戦後の国際社会では、アメリカを盟主とする自由主義陣営とソ連邦を中心とした社会・共産主義陣営が政治的に鋭く対峙する冷戦構造が成立しています。同対立の背景には、資本主義対共産主義のイデオロギー対立があったことは、否定のしようもありません。そして今日なおも、新冷戦という言葉が登場したように、共産党一党独裁体制を敷く中国がロシアをも凌ぐ軍事大国として台頭したため、資本主義対共産主義の対立構図が再生産されているのです。

 これまでの記事で述べてきたように、資本主義には企業の自由が保障されず、株主の権利が企業の主体性を侵害しています。主体性なき自由はないからです。また、経営と組織内に働く人々との間に分断があり、このため、利益配分においても後者は不利な立場に置かれます。19世紀や20世紀初頭にあっては、カール・マルクスが唱えた資本家による労働者の‘搾取’あるいは‘過酷な労働’も、誰もが目にする日常的な光景であったのでしょう。資本家が肥え太る一方で貧困に喘ぐ労働者という構図が、マジョリティーとなる労働者の間に共産主義者が広げたと言っても過言ではありません(プロレタリア文学等が資本家の無慈悲さを強調し、マイナス・イメージがさらに増幅・・・)。その一方で、共産主義の活動家の人々は、労働者を資本家から解放し、資本主義に替わるのは、唯一共産主義しかないとするイメージを吹き込んだのでしょう。かくして資本主義の貪欲な悪辣さを嫌悪し、義憤にかられた知識人や若者達の多くも、共産主義に惹きつけられていったのです。

 しかしながら、今になりまして冷静に両者の対立を見直してみますと、資本主義と共産主義は、世界権力による二頭作戦であった可能性は否定し得ないように思えます。何故ならば、両者とも、行き着く先は個人であれ、組織であれ、他者への‘隷従’であるからです。資本主義では、政治権力をもマネー・パワーで掌握し得る極一部の富裕者が個人や企業を支配する一方で、共産主義では、これもまた極一部の共産党幹部が権力も富も独占します。

後者の方が、プロレタリア独裁というイデオロギー上の根拠がありますので、強固な独占体制が成立しますが、資本主義にあっても、競争法が存在しながらも十分に機能しているわけではありません。株式取得による企業買収は、かろうじて自立性を保ってきた企業の数を徐々に減らしてゆきます。中小の商店の多くも大手の傘下となりチェーン店化し、全国どこでも町並に変わり映えがしなくなりました。また、近年では、IT大手による独占や寡占が情報並びにそれに基づく経済支配の問題として問題視されています。政財界共にイノヴェーションの担い手としてスタートアップを奨励していますが、その多くは時を経ずして大手に吸収されてしまうか、特定の‘株主’の収益源とされるのです(例えば、チャットGPTを開発したオープンAIの大株主はマイクロ・ソフト社・・・)。

 資本主義と共産主義双方の共通性に鑑みますと、一般の人々は、どちらを選択したとしても結局は地獄を見ることとなります。加えて、民主主義国家では、‘入れ子’の如く、国家の内部にあって保守対革新の対立構図が意図的に造られ、二項対立による国民の追い込みが図られていたとも推測されるのです。

 上述したように、近現代の経済構造が、世界権力による資本主義と共産主義の両者を操る挟み撃ち作戦であったとしますと、人類は、何れをも選択してはならず、新たな道を探るべきと言うことになりましょう。そして、新たなる経済システムでは、企業形態にも多様性が認められると共に、企業間の関係については、資本を介した支配・被支配の関係ではなく、自発的かつ並列的な協力関係を原則とし(契約の自由の徹底・・・)、世界権力による人類支配やデジタル全体主義に奉仕するような特定の分野を偏重するのではなく、様々な分野が調和的に発展しつつ、個々人や各企業の自立性が尊重される体制が望ましいこととなります。このために、例えば株主の権利を融資者としての利益に預かる程度に縮小したり、株式を社債化すといった方法などもありましょう。そして、各国の政府には、世界権力の‘使用人’となるのではなく、私的マネー・パワーの横暴を制御する役割を担わせるべきではないかと思うのです。今日、日本国民のみならず人類が必要としているのは‘新しい資本主義’でも’グレート・リセット’でもなく、‘新しい経済システム’なのではないでしょうか。

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株式会社の起源から考える資本主義の問題-例外の標準化

2023年06月13日 12時35分20秒 | 統治制度論
 今日、株式会社の形態は、企業の典型的なモデルとして全世界の諸国において採用されています。誰もが同形態に疑いを抱くこともなく、あたかも空気の如くの当然の存在と見なしていると言っても過言ではありません。しかしながら、よく考えてみますと、経済に採りまして、必ずしも株式会社が最適の形態であるとは言えないはずです。何故ならば、経済活動を行なう主体性としての権利が十分に保護されておらず、株主という存在によって完全なる所有とまでは行かないまでも、そのコントロール下に置かれてしまうからです。言い換えますと、株式会社とは、他者から拘束を受ける極めて不自由な境遇にあるのです。

 それでは、何故、このような不自由なモデルが誕生し、かつ、全世界に広がってしまったのでしょうか。株式会社の起源は、1602年に設立されたオランダ東インド会社にあるとされています。アジア地域での貿易を独占的に担う東インド会社とは、まさしく大航海時代の申し子であり、17世紀初頭より、オランダのみならず、イギリス、フランス、スウェーデンといった西欧諸国は、競うようにして東インド会社を設立しています。もっとも、国王から特許状を下付された勅許会社ではあっても、政府の直営ではなく、会社自体は富裕な商人達によって設立・運営されていました。当時のオランダには、異端審問から逃れるためにスペインやオランダからユダヤ人が多数移住してきており、東インド会社とは、その誕生の時からユダヤ金融との繋がりが認められるのです(1597年には、アムステルダムの市当局はシナゴークの建設を許可する・・・)。

 さて、大航海時代における貿易には、嵐で船が難破したり、海賊に襲われる可能性もあり、如何に富裕であったとしても、一人の商人や資産家が背負うにはリスクが高すぎました。そこで考案されたのが、貿易事業を小分けに債権化し、リスクを分散・分有するという方式です。ここに、事業が失敗した際には責任を負う一方で、株主が事業権を有すると共に、利益に預かる、すなわち、配当金を受け取る権利を有するとする、株式会社の原型を見出すことができます。

 しかしながら、株式会社の誕生の経緯を見ますと、現代という時代にあって、同形態が、果たして今日そして未来の経済活動組織のモデルに相応しいのか、あるいは、経済において最適の形態なのか、疑問も沸いてきます。何故ならば、東インド会社とは、極めて例外的な存在であったからです。

 第1に、海洋を航行して行なわれる遠隔貿易という事業は、出資者&経営者と実際に事業を行なう人々が分離しがちです。小規模の沿岸貿易であれば、船主が自己資金で回船業などを営み、自ら船に乗り込むこともあるのでしょうが、大海原を航行するには高い造船技術を以て建造されたガレオン船等の大型船舶を要するからです。また、船長を始め航海士、機関士、通信士といった船に乗り込む人々にも、高い専門的な知識や技術が求められます(ジョブ型雇用の起源・・・)。グローバルに事業を展開する貿易事業であるからこそ、出資者&経営者は、自らは働かず、具体的な事業計画を策定し、それを実行組織に対して指図する立場となるのです。

 第2に、出資の対象が高リスクの貿易事業であったことから、出資者は、単なる‘お金貸し’ではなくなります。他者にお金を貸す場合、債権者の側は、一般的には債務者から利息を受け取ります。しかしながら、高リスク事業、しかも、全世界を対象とした事業であったために、株主は、経営権にも介入し得る存在となったのです。資本主義を論じるに際しては、キリスト教やイスラム教にあって利息を取る行為が戒められているため、利息の是非が問題とされる傾向にありますが、資本主義の本質的な問題は、お金を貸す行為に配当を受ける権利のみならず、企業の所有権や経営権が付随してしまうことにあるように思えます。

 第3に、貿易事業のリスクの高さが債権の小口化、即ち、株式の発行という手法が誕生した背景にあるのですが、このことは、債権の譲渡や売買により、創業や起業とは全く関わらなかった人であっても株主の権利を行使し得ることを意味します。ここに、出資者と経営者の分離という二つ目の分離を見出すことができます。その一方で、後に証券市場が発展しますと、起業や事業拡大のための資金調達の手段であった株式の発行は、やがて配当金や売買益を追求する人々にとりましてはビジネスチャンスともなります。言い換えますと、企業に関わる諸権利が企業外にも広く分散し、新たな利害関係者(ステークホルダー)も出現する形で金融業も発展するのです。この結果、一人の私人がお金さえあれば国境を越えて複数の企業に対して権利を有し、かつ、ジョージ・ソロス氏のように財力を有する私人が通貨危機を仕組んだり、バブルや恐慌を引き起こすこともできるようになりました。

 以上に企業形態の視点から主要な問題点について述べてきましたが、株式会社をめぐっては、株主、経営者、そして、そこで働く社員という3つのグループの関係性に注目しますと、三者は凡そ分離しています。こうした分離は、世界大に貿易ネットワークの構築された大航海時代を背景に登場した東インド会社に起源を遡るからなのでしょう。そして、‘グローバル・スタンダード’と‘村落共同体’あるいは’村社会’とも揶揄されてきた日本型企業形態との間の摩擦も、この側面から理解されるのです(’村’は自治の場ではあっても売買の対象とはなり得ない・・・)。岸田首相は‘新しい資本主義’を提唱しておりますが、資本主義に内在する様々な問題が極めて例外的な組織形態を標準化させた結果であるとしますと、全人類にとりましてより善き企業形態、並びに、安定した経済を実現するためには、株主の権利の妥当性を含めた株式会社の形態の問題について原点に返った議論が必要なように思えるのです。

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資本主義は自由主義ではない-企業に‘物権’は設定できるのか?

2023年06月12日 12時11分18秒 | 統治制度論
 今日、多くの人々が、資本主義とは自由主義であると信じ切っていることでしょう。確かに、共産主義諸国に見られた統制経済や計画経済と見比べますと、資本主義には様々な自由が認められています。契約の自由、職業選択の自由、営業の自由など、その多くはフランス革命の成果ともされていますが、個人の経済活動の自由は広範囲に認められており、資本主義は自由主義とする印象を強めています。しかしながら、この図式、本当に正しいのでしょうか。

 昨日、6月11日付けの『日経新聞』朝刊2面の社説には、「企業の成長支える買収制度を整えよう」、とする記事が掲載されておりました。同社説を簡単に要約すれば、‘日本の経済規模や成熟度からすれば、日本企業は成長志向の企業買収を増し、政府も買収制度の整備を急ぐべきである’というものです。実際に、経済産業省も、今月8日に「企業買収における行動指針案」を公表し、パブリックコメントの募集を開始しているそうです。しかしながら、より根源的な問題として、企業買収という行為の正当性については、これまで真剣に議論されてきたことが殆どなかったように思えます。

 企業買収とは、企業が発行している株式の取得を手段とした企業の買取行為です。このことから、(1)企業は売買の対象となり得るのか、(2)株主は企業に対してどのような権利を持つのが妥当なのか、(3)買収が正当な行為であるならば、企業の合意なき買収は許されるのか、そして(4)株式会社という形態は人類社会にとって望ましいのか、といった基本的な諸問題が提起されてきます。これらの問題は、何れも資本主義の根幹に関わることであり、人類にとりましての望ましい経済システムのあり方を根底から問うとも言えましょう。そして、この問題は、今日、深刻さを増している世界経済フォーラムと言った‘巨大な株主達’による世界支配の行方とも関連しているのです。

 それでは最初に、(1)の企業は売買の対象となり得るのか、という問題について考えてみることとします。法の役割の一つに、各自の独立的な存在としての‘人格’を護るというものがあります。ここで言う法による保護の対象となる‘人格’には、人である‘自然人’に限られているわけではなく、国家や企業を含む‘法人’も含まれます。人格の尊重とは、自己決定権を有する主体性の尊重をも意味しますので、近現代にあっては、とりわけ倫理、道徳、人道等に照らしてその重要性が認識されています。

 例えば、個人レベルでは、他者から所有権を設定されて売買の対象ともなり、法的にも一個の独立した‘人格’としては認められない奴隷売買や人身売買などは、近代以降、撲滅すべき悪しき行為とされています。今日、基本的な自由と権利の保障が普遍的な価値とされているのも、過去の歴史にあって‘人格’を否定され、自由を奪われた奴隷的な境遇にあった人々が存在したからに他なりません。また、国家レベルで見ましても、現在の国民国家体系は、それを構成する各国の並立的な独立性を基礎としています。このため、国際法にあっては、各国は独立した法人格を有するとされ、国際社会において主権平等や内政不干渉といった国家の独立性を保障する原則が成立しているのです。近代以降の所謂“植民地支配”が厳しく批判されるに至ったのも、奴隷制と同様に、他国が主体性を奪いう行為を倫理、道徳、人道に照らして悪=利己的他害行為と見なしたからなのでしょう。この点は、村落と言った共同体でも同様であり、これらの様々な人々が活動の場とするコミュニティーや自治体には物権は成立しません。

 かくして、個人レベルであれ、国家レベルであれ、各々の‘人格’あるいは‘主体性’が法によって厚く保護されることとなったのですが、経済の世界だけは、全く逆の動きを見せているように思えます。何故ならば、企業は、法人格としては認められてはいても、実質的にはその独立性や自立性は、株主の存在によって常に脅かされているからです。‘企業は株主のもの’という概念は今日若干薄まってはいるものの、現実には、株券の発行は自らに所有権を設定するような行為となります。言い換えますと、個人レベルでの奴隷の立場と同様に、企業には、所有権が設定されてしまうのです。

 しかも、契約の自由は、株式の売買を介した買収には及びません。たとえ企業が買収に同意しなくとも、TOBであれ、何であれ、株式の一方的な取得による「敵対的買収」や「合意なき買収」が一先ずは可能なのです。言い換えますと、取得側の一方的な意思によって企業側は‘身売り’をしなければならなくなるのですから、株式会社とは、極論を言えば奴隷的な境遇にある、あるいは、物権が設定されている存在にあると言えましょう。そして、グローバルな金融財閥の配下と化した各国の政府とも、自国の企業の主体性を保護するよりも、今般の日本国政府と同様に、むしろ企業売買の活性化策を推進しているのです(つづく)。

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