世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。
トランプ氏、反旗の司法長官代理を解任 「裏切った」
トランプ米大統領は、就任するや否や、堰を切ったように選挙戦で掲げた公約を実行に移しています。イスラム教徒の入国禁止もその一つなのですが、本日は、中東・アフリカ7カ国からの入国を禁止する大統領令の執行を拒絶した司法長官代理を解任するという事態も発生しています。
解任されたサリー・イェイツ司法長官代理は、大統領令に対する不服従を表明するに際して、「私には、常に正義を追求し、正しいことを弁護するという我々の機関に与えられた厳粛な責務を果たし続ける責任がある」と述べています。言葉そのものは正当な主張のように聞こえるのですが、正義の議論をするには、まずは、何故、イスラム教徒が危険視されているのか、その教義にまで踏み入って判断する必要があるように思えます。
今般の入国禁止措置については、オバマ前大統領も、”宗教差別”として批判しております。しかしながら、『コーラン』を読みますと、他宗教に対する排他性という意味において、イスラム教ほど異教徒を”差別”している宗教はありません。この点、宗教差別批判は、宗教差別を奨励する宗教を擁護するという奇妙で矛盾した構図となるのです。また、イスラム過激派から狙撃を受けた過酷な経験を持ち、ノーベル平和賞受賞者でもあるパキスタン出身のマララさんも、トランプ大統領の措置を批判しておりますが、仮に、マララさんが居住しているイギリス国内に自由に入国してきたイスラム過激派の一味に再び命を狙われたらどうするのでしょうか。マララさんの批判も、”自らを暴力から保護しているものは何か”という視点が抜け落ちており、矛盾に満ちた擁護論となるのです。
イスラム教が異教徒虐殺容認を含む危険思想であるにも拘わらず、国民すべての安全に責任を負う政治家が激しく糾弾される現状は、どこか倒錯しているように思えます。否、リベラル派やその影響下にあるマスメディアは、イスラム教に内在する危険性を客観的、かつ、冷静に批判する勇気もなく、暴力に屈してイスラム側に回り、自らは安全な場所にあって、無責任にも国民の安全を優先する人々を批判しているように見えます。司法長官代理の私見による大統領令の拒否は統治機構の崩壊にも繋がりかねませんので、リスクに関する公平な判断を欠いた独善的、かつ、偽善的拒絶は禁物であったと思うのです。
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訪米したメイ首相にも二つの顔――中国CCTVで春節の挨拶
中国では、1月28日から”春節”が始まり、国内での祝賀行事や帰省ラッシュに留まらず、この時期には中国人海外旅国客も増加するそうです。春節とは旧暦の正月を意味しますが、この時期における近年の中国の動きを見ますと、中国の世界支配を狙った戦略が潜んでいるように思えます。
中国大陸では、清朝の滅亡後、グローバル・スタンダードに合わせてグレゴリウス暦が採用され、中華人民共和国の成立に際しても、グレゴリウス暦の1月1日を元旦とする一方で、旧暦の正月初一を春節と定めたとされています。新旧二つの正月が並ぶ状況となったのですが、両者を比較した場合、春節の方に重きを置いているのは国を挙げてのお祭り騒ぎからも見てとることができます。中国政府も、この日を特別の日として尊重し、今日では、各国政府から積極的に祝賀のメッセージを受け付けています。今年の春節には、グレーレス国連事務総長、イギリスのメイ首相、ユネスコのボコバ事務総長、エスピノサ国連気候変動枠組条約事務局長、陳馮富珍WHO事務局長、ラガルド・IMF専務理事、バッハIOC会長、シュワブ・世界経済フォーラム(ダボス会議)、オーストラリアのターンブル首相といった錚々たる顔ぶれが祝賀メッセージを送ったそうです(『ニューズウィーク』ネット版より)。何れも親中派としても知られますが、中国の春節に対する力の入れようは、尋常ではありません。
この点、明治時代に至ってグレゴリウス暦を採用した日本国の対応と比較しますと、中国の春節への拘りは、一層、際立ちます。日本国の場合には、地方や一部の催事などでは旧暦を残しつつも、新暦採用とほぼ同時に、旧暦の行事を新暦上のカレンダーの月日に移動させています。大晦日からはじまり、初詣も、正月の祝賀行事も、年賀状やお年玉の慣習も、およそ、グレゴリウス暦に沿って行われます。
それでは、何故、中国は、かくも春節に固執するのでしょうか。おそらく、その起源は、世界の支配者たる皇帝を頂点とする中華思想にあるのではないかと推測されます。即ち、古来、中国大陸では、暦を支配する者が世界を支配する者と考えられており、それ故に、”世界の支配者”であるべき中国の”皇帝(国家主席?)”が他者の暦に従うことはあってはならない、と考えているのではないでしょうか。そして、今日、経済力のみならず、軍事力を付けた中国は、全世界に対して中国の暦を押し付けようとしているように思えるのです。果たして将来、中国の春節が全世界の正月となる日は訪れるのでしょうか。
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カナダは難民歓迎=「多様性は強み」と首相
アメリカのトランプ大統領が難民・移民の入国制限措置を実施したことから、ベルリンの壁の悲劇を経験したベルリン市長をはじめ、排外主義として各国から批判の声が上がっています。カナダのトルドー首相に至っては、”多様性は強み”として、難民歓迎の意向を示しております。
しかしながら、”多様性”とは、理想的な言葉のようにも聞えますが、この考え方には、テロリスト、犯罪者、敵意や恨みを持った人々、さらには、居住先の道徳観や社会習慣を否定する非寛容な人々をも無条件に受け入れてしまう危うさがあります。これらのリスクに満ちた思想や行動様式も、”多様性”の一言で相対化され、善悪やリスクの判断を越えてしまうのです。こうした多様性が抱えるリスクは、多数化の側面を加えるとさらに危険度が増します。
今般のアメリカの措置は、凡そイスラム諸国に集中していますが、現時点での世界におけるイスラム教徒の人口数は凡そ16億人です。現状では、キリスト教徒の数を下回っていますが、高い出生率から予測しますと、2100年には、世界最大の宗教人口となるそうです。また、一国のみで13億の人口を抱える中国も、一人っ子政策の廃止によりその人口は今後とも増え続けることでしょう。仮に、イスラム諸国並びに中国以外の諸国が、難民・移民受け入れ政策を実施、あるいは、継続するとしますと、あらゆる国の人口構成は劇的に変化し、殆どの諸国においてこれらの人々が人口において一定の割合を占めることとなります。しかも、イスラム教は異教徒に対して極めて非寛容な宗教ですし、中華思想も他者を見下す自己優越主義です。将来において起きる事態は、冷静になって考えてみますと誰もが予測できることなのですが、日本国を含めて政治家の多くは、国民分裂、歴史・伝統の断絶、そしてその先の国家喪失のリスクを正直に語ろうとはしません。
将来、”多様性”の理想は、人口が物を言う”多数”の現実によって打ち砕かれ、結局は、全世界が、多数者(イスラム教徒・華人)が報じる思想に染められるか、少数派に転落した人々は逆に迫害を受けることでしょう。この種のリスクは事態が表面化してからでは遅く、未然に防ぐに越したことはありません。個人レベルで見れば、難民や移民の中にはもちろん善人もおりますし、保護を必要とする人々もいるのでしょうが、集団レベルでは、多数は紛れもないパワーです。合理的に未来を予測すればこそ、危機を察知した国民が、自らの国や社会を破滅リスクから守ろうとするのは当然のことですし、また、その正当な権利があると思うのです。
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日米首脳会談で2国間貿易交渉へ…米要求に対応
アメリカのトランプ大統領は、対日貿易赤字を問題視しており、”ジャパン・バッシング”の再来さえ懸念されております。TPPの発行が絶望的となった今、貿易交渉の場は、日米二国間へとシフトしましたが、アメリカ側は、日本国に対して米製品の輸入を強く働きかけるものと予想されています。
そもそも貿易にあっては、相互に足りない部分を補い合う相互補完的な取引こそが、貿易摩擦を起こさずにウィン・ウィン関係をもたらす理想的なパターンです。この観点から日米貿易を眺めますと、両国間の貿易摩擦を解消するには、黒字国である日本国が、自らに不足している製品をアメリカから輸入する必要があります。それでは、どのような製品分野が、アメリカからの輸入品として日本国にとって望ましいのかと申しますと、ハイテク兵器において圧倒的な軍事技術を保有しているアメリカの防衛装備ではないかと思うのです。
現在、中国の急激な軍事力の増強、並びに、覇権主義的な行動、そして、北朝鮮の核開発を前にして、日本国の自衛隊の装備は必ずしも十分とは言えない状況にあります。ミサイル防衛についても、アメリカから輸入したイージス艦や地体空ミサイル等への依存度も高く、国産化を目指して開発中とはいえ、様々な分野で不足しています。尖閣諸島や南シナ海における危機は差し迫っており、軍事費をGDPの1%以内に抑えるとする方針も、見直しを迫れております(因みにNATOでは、加盟国に対して2%の支出を求めている…)。日本企業も参加する形での共同開発等も視野に入れつつ、当面は、アメリカからの防衛装備の輸入を拡大させれば、解消とまではいかなくとも、日米間の貿易不均衡も相当に是正されることでしょう。
アメリカから防衛装備を輸入することで自国の防衛力が格段に高まるのですから、日本国民の多くも、この方針を支持するのではないでしょうか。アメリカ側からしましても、日本向け輸出によって軍需産業部門、ならびに、その関連部門での雇用が拡大し、衰退してきた製造業復活の足掛かりとなるかもしれません。日米二国間貿易交渉では、巧みな交渉によって、ウィン・ウィン関係を目指すべきと思うのです。
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トランプ政権の発足により、現在、アメリカとメキシコとの間に緊張が走っております。公約に掲げた密入国対策としての国境の壁建設に留まらず、NAFTAの再交渉を求めるなど、経済面における摩擦も深刻化しております。
市場の広域性の観点からしますと、MAFTAといった多国間の自由貿易協定には経済的メリットが多々あるように見えます。多国籍企業にとりましては、広域市場において格差を利用した拠点の最適配置が実現できるのですから、多国間協定による広域市場は”理想郷”なのです。エネルギー資源や原材料は最も価格の低い国から購入し、資金は最も金利の低い国から調達し、製造拠点は最も労働コストや環境規制の低い国に設置し、技術開発の人材は移民からも手広く採用し、最も割安な国の企業を買収でき、本社は最も法人税率の低い国に設け、そして、最も所得レベルの高い国を消費市場にできるのですから。
しかしながら、国の立場から見ますと、企業の合理的な最適配置の経営戦略は、死活的な問題をもたらす場合があります。広域市場の成立と共に、先の最適配置戦略に沿って様々な分野で一気に流動化が起きるからです。特に、先進国の被るマイナス面は甚大であり、製造拠点の移転と共に雇用が流出すると同時に、戦略上、消費市場として設定されているため、安価な外国製品の大量流入による企業倒産の深刻化も懸念されています。アメリカの場合には、基軸通貨としての米ドルの立場と金融大国の地位からして金融部門では依然優位にあっても、少なくとも大部分の国民は、所得の低下と失業の増加という”地獄”を見ることになるのです。しかも、広域市場における最適配置の戦略は、加盟国以外の企業にも利用可能であるため、全世界の企業が同様の行動を採りますと、先進国は、”草刈り場”になりかねません。NAFTAを梃としたメキシコ政府の積極的な外資誘致政策がアメリカの頭痛の種となったのにも、理由がないわけではないのです。メキシコにとりましては、いたく合理的で戦略的に当然の政策であっても、アメリカにとりましては、共にNAFTAの加盟国であり、友好国であるはずの隣国の政策によって不条理にも自国の雇用が破壊されてゆくのですから。
米墨間で見られる摩擦は、出発点においては加盟国全ての繁栄と友好の深化を信じて締結された自由貿易協定であっても、実際には、時間の経過と共に理想と現実との間の乖離が表面化し、加盟国間において深刻な摩擦が生じる可能性を示唆しています。あるいは、繁栄の条件が、自由貿易協定によって蝕まれてゆくといった状態が現実であると言えるのかもしれません。日本国政府は、RCEPなど、TPPに代わる地域的な自由貿易協定(経済連携協定)の締結を目指す方針を示していますが、理想とは逆に、自由貿易協定の締結が、国家(特に国民)と企業との間の摩擦のみならず、国家間の関係悪化をももたらす現実を見据えるべきなのではないかと思うのです。
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安倍首相、2国間交渉排除せず=日米同盟の利益、双方享受―衆院予算委
アメリカのトランプ政権がTPPから正式に離脱したことから、日米二国間交渉論が俄かに現実味を帯びてまいりました。80年代の日米交渉では、日本側が一方的に譲歩することで一先ずは収まりましたが、今般の第二次日米交渉も、前回と同様のプロセスを辿るのでしょうか。
中国の経済的台頭を受けて、国際経済における日本国のプレゼンスは相対的には低下しており、アメリカに対する発言力も80年代と比較して決して強まったとは言えない状況にあります。その一方で、対中警戒感と産業の空洞化等は両国共通の問題でもあり、第二次日米交渉は、この意味において両国が協力する分野も残されています。第一次日米交渉では、日本側が内需拡大に舵を切る契機となりましたが、第二次日米交渉では、アメリカの内需拡大策もテーマとなる可能性がないわけではありません。
例えば、農産物分野では、アメリカは、さらなる穀物や牛肉等の輸出を日本国側に求めてくると予測されます。しかしながら、案外、日本国の農業問題とは逆の意味で、アメリカも農業改革を必要としています。今日のアメリカの農業は、輸出競争力を維持する上でも大規模経営が主流となっています。しかしながら、”真の食の豊かさ”とは、食の安全、国民の食生活の質的向上、国民の健康の維持・増進…を意味するとしますと、現在の大量生産型の農地の使用方法では、この目的からは遠ざかるばかりです。今や、大量生産されたジャンク・フードやTVディナーが、アメリカの代表的な食事となっているのですから。そこで、農作物の不可価値を高め、多品種化や特産品の開発を図ると共に、農地の使用を農業に限定せず、医薬品、エネルギー、観光…といった分野にも広げ、多目的化を目指せば、幅広い分野での雇用拡大が見込めます。また将来的には、アメリカでは地下水の枯渇も懸念されており、アメリカ農業の高レベル化は、持続的農業の実現にも繋がります。この点、日本国には、小規模農家での収益性を確保できる”村おこし”の実績があり、アメリカにノウハウを提供することができます。
工業分野でも、安価な中国製品の流入が抑制されれば、日常品を生産していた中小企業も復活し、アメリカ産業の多様性はさらに増すことでしょう。保護主義に対する批判者は、輸入の減少に伴う国内生産への代替を考慮しておらず、内需拡大による雇用創出の側面をプラス効果として計算していません。価格上昇による消費者の不利益も指摘されていますが、消費者も就業者である限り、失業の方が、物価上昇以上に死活的なリスクなはずです。
トランプ政権では、共和党を中心として米国製品の輸出拡大を目指す方針が示されていますが、輸出拡大ばかりが繁栄の手段ではありなせん。第一次日米交渉が、通商摩擦を回避する方策として内需拡大策を残したとしますと、その知恵は、今日、アメリカにおいても生かすことができるはずです。第二次日米交渉が、両国が角を突き合わすのではなく、協調的な経済関係を構築することができれは、国際経済は、新たな展開を見せるかもしれないと期待するのです。
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車めぐり日米貿易摩擦が再燃 トランプ政策が「米自動車産業を衰退させるきっかけに」
トランプ政権の発足によって、輸出の低迷と国内シェアの減少によって燻ってきた米企業の不満が表面化し、批判の矛先は、専ら日本国を含む”不公正な貿易相手国”と認識された諸国に向けられております。今後、アメリカ政府からの一方的な要求が強まるシナリオも予測されますが、圧力による政治的な解決しか道はないのでしょうか。
仮に他に道があるとしますと、それは、ルール志向の解決です。現状の自由化一辺倒の行き過ぎたグローバリズムに基づくルールは、”悪法”と言えば”悪法”であり、その利益や恩恵は一部に集中してしまいます。トランプ政権の誕生は、旧来の原理主義的ルールを是正する必要性を痛感させたわけですが、トランプ政権が導入を試みようとしている新たな対抗税制については、一般的な国際ルールとして導入することも不可能な事ではありません。
現状に対するアメリカ側の不満の一つは、貿易相手国で採用されている一般消費税にあり、この不満には根拠がないわけではありません。これらの諸国の企業は、自国生産品の輸出に際して税が還付されています。しかし、米国には連邦レベルでの同様の間接税が存在しないため、アメリカ企業は、輸出に際しては、相手国に納税する義務が課せられているに等しいのです(仕向地主義)。アメリカから見ますと、相手国企業は、たとえ関税は支払う場合があったにせよ、無税で輸出した先のアメリカ国内でもさらに無税で販売できるのです(ただし、州レベルでは売上税が存在する場合がある…)。一方、アメリカ企業は、無税で輸出しても、相手国に消費税を納めなければならないため、企業間の競争条件は平等ではない、ということになるのです。因みに、日本国の消費税は8%ですが、中国では2016年5月1日から基本税率17%の増値税が全業界に適用対象を拡大させています。また、イギリスを含む欧州各国の不可価値税(VAT)では凡そ20%前後であり、メキシコの付加価値税(IVA)は16%です。
この制度を見ますと、アメリカ側の言い分にも一理ありますので、無碍にはトランプ政権の是正要求を批判はできません。そこで、仮に、何らかのルール変更を行うのであれば、その一案は、貿易当事国間の関税率差、並びに、一般消費税の税率差を基準として一定の範囲での課税を許すことです。例えば、日米間の自動車産業であれば、関税率差はアメリカの関税率が2.5%である一方で、日本国は0%であり、一般消費税では、アメリカが0%で日本国側は8%です(アメリカにおいて州レベルで売上税があれば加算)。トランプ大統領は、選挙期間中には38%の関税を課すと主張しておりましたが、単純に計算すれば、アメリカは、両項目の差引により、何れかの税において、従価税方式で5.5%まで税率を設定することができることになります(米中間ではアメリカ側は39.5%の課税が可能…)。もっとも、算定された税率はあくまでも上限であり、許容範囲内であれば、通商交渉によって双方が税率削減に合意することも可能です。
現実の経済は、理論の世界とは違い、国家間において様々な差異や格差が存在しています。貿易摩擦を回避し、貿易が内包する利点を広げてゆくには、自由化原理主義を強引に推し進めるよりも、より公平であり、かつ、現実に即したルール作りが必要なのではないでしょうか。
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天皇退位「一代限り」妥当=恒久制度化に課題列挙―有識者会議が論点整理公表
天皇退位(譲位)問題について、政府は、5月頃を目途に特例法の国会への提出を検討しているようです。皇室の安定を考慮しての措置とされつつも、東宮家の問題を考慮すれば、事態は逆の方向に向かいかねないと思うのです。
東宮家にまつわるスキャンダルや悪しき噂を挙げれば切がなく、既に民心が離れていると言っても過言ではありません。東宮一家の替え玉使用説も実しやかに囁かれており(最近の”愛子さん”は別人にしか見えない…)、たとえ今上天皇の退位によって東宮が即位しても、国民の側から退位要求が湧きあがらないとも限らない状況にあります。また、岳父である小和田恆氏が、皇室の隠し資産を横領しようとしたために、スイス当局に軟禁されたとする一件も、真偽不明ではありながら、相当に信憑性が高い情報とされています。
そもそも、退位の時期を一方的に平成30年と決め、東宮の即位を急ぐこと自体が不自然な行動なのですが、仮に、今般の動きと皇室財産が関わっているとしますと、そこに、説得力のある一つの可能性が浮上してまいります。今般の事件では、天皇による直筆の文書を偽造したためにスイスの銀行口座からの引き出しに失敗しましたが、仮に、東宮が天皇位に就きますと、もはや偽造する必要がなくなるからです。正真正銘の”(徳仁)天皇”の御名と御璽を以って堂々と預金を引き出すことができるのです。隠し資産は8兆円ともされていますが、引き出された後、それは、一体、どこにゆくのでしょうか。
仮に、スイスの資産が、皇室が隠し持つ私的財産として管理されていたとしますと、それは、公的な皇室財産外の”ポケット・マネー”となるのでしょうか(皇室の隠し財産は違法では…)。そうであれば、今後、東宮の姻族やその関係者の手に渡ることも十分に考えられます。真偽不明の情報に基づいて記事を書くことは憚れるのですが、将来のリスクを予測しますと、たとえ偽情報であっても、警鐘を鳴らしておくことは予防的リスク回避ともなります。情報の詳細についての確認が済み次第、日本国政府は、スイスに眠るとされる皇室財産については、国庫への移管を含め、次期天皇の即位に先立って、私的流用が起きないよう何らかの措置を採るべきではないでしょうか。今般の議論において、次期天皇の即位に伴うリスクが全く議論されていない現状は、危ういのではないかと思うのです。
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「米国抜き」も選択肢=TPP参加国と協議へ―豪貿易相
大統領就任式の当日において、トランプ大統領が正式にTPPからの脱退を表明したことで、TPPの発効は絶望的となりました。なおもオーストラリアのチオボー貿易・投資相は”アメリカ抜きのTPP”を模索しているそうですが、躓いた時には、一旦立ち止まって一から見直すことも、道を誤らないためには必要な態度のように思えます。
仮に、多国間による地域貿易協定が理論通りに全ての加盟国に恩恵をもたらすならば、トランプ大統領が選挙期間に掲げたNAFTA再交渉やTPPからの離脱の訴えが、有権者を惹きつけることはなかったことでしょう。それでは、地域貿易協定が批判を浴びた原因の一つは、それを背後から支えるグローバリズムが、植民地主義と紙一重となったからではないかと推測するのです。
植民地支配にも様々なタイプいがありますが、共通している点として、植民地とされた地域における政策権限の掌握があります。経済面を見ても、通商政策をはじめ、財政や金融などの権限も宗主国の手に移ったのです。今日では、アジア・アフリカの植民地は殆ど独立を果たしたため、同時に植民地主義も終焉したと見なされがちですが、今日のグローバリズムには、新自由主義と結びつくことで、相手国の内政に踏み込み、”改革”を要求、あるいは、強要する場面が見られます。
植民地時代のように露骨に内政に干渉するのではなく、相手国の国民の中から新自由主義の思想を広める”伝道士”を選び、政府、経済界、マスコミ、知識層等に入り込むことで、内部から改革させているのです。この結果、各国とも、非正規社員の割合が増加すると共に派遣形態も拡大する一方で、失業、産業の空洞化、賃金の低下、所得格差、移民の増加、果ては、国民の融解といった共通の問題に直面することになったとも言えます。かくして、表向きは多様性の尊重が謳われつつも、実際には、単一化を志向するグローバリズムが、国家内部の既存の秩序をも破壊しながら全世界的に猛威を振るうこととなりました。しかも、今般の’隠れた植民地主義’は、アジア・アフリカに地域を限定せず、欧米を含めた全世界的な規模で展開されているのです。
”行き過ぎたグローバリズム”とは、グローバリズムと新自由主義との結合としての’隠れた植民地主義’であるとしますと、その是正には、まずは、冷酷無慈悲な新自由主義を、経済政策から切り離す必要がありそうです。NAFTAの再交渉やTPPの離脱は時代の逆行ではなく、植民地主義へと至る道からの引き返しとする見方もあながち否定はできないと思うのです。
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与野党、保護主義を警戒=「米国第一」の政策注視
新たに発足したトランプ政権については、日本国を始め世界各国のメディアでは、“アメリカ・ファースト”の方針に対する批判的論調が目立ちます。大胆な転換を目指すトランプ大統領に対する警戒感の現れなのでしょうが、”アメリカ・ファースト”には、二つの方向性があるように思えます。
頭一つ抜きんでているアメリカが唱える“アメリカ・ファースト”に対して、周囲の諸国が身構えるのにも、それなりの理由があります。第二次世界大戦後、アメリカは国際秩序の擁護者として要となる役割を引き受けており、実際に、国連などの国際組織にあっても、その役割の重要性に見合った特権が認められています。安保理での”拒否権”に留まらず、NPTでも核保有国の特権を享受し、軍事技術面においても他の諸国の追随を許さない軍事大国となりました。そのアメリカが、国際法秩序よりも自国の利益を優先するとなりますと、戦後のレジームは一気に崩壊しかねません。“アメリカ・ファースト”が、国際社会において何らかの拘束からも“自由”であることを意味するならば、これは、“アメリカ超越主義”、あるいは、“アメリカ絶対主義”と表現することができます。“アメリカ・ファース”は、アメリカの国益の他の国々の国益に対する優先ではなく、国益の国際法秩序に対する超越、次元の違いを意味するのですから。
その一方で、“アメリカ・ファースト”が、“Our Country and People First”、即ち、自国・自国民優先主義を意味するならば、この方針は、主権国家の独立性を保障する国際法の原則とも一致しています。国際社会における主権平等、民族(国民)自決、内政不干渉…の原則は民主主義ともリンケージしており、これらの原則は、国連憲章をはじめ、様々な条約において具体的な条文として記されているからです。国際法は、平和や国際協調を求めても、自国や自国民を犠牲にしてまで諸外国の利益を図ることを義務付けてはおらず、自国優先主義が基本原則です。また、国内レベルを見ても、国家の政府とは、選挙を通して国民の信託を受け、国民から拠出される税を以って財源を確保し、その上で様々な公的な機能を提供しているのですから、外国人の利益を優先したのでは、国民に対する背任行為ともなります。“アメリカ・ファースト”の意味が自国・自国民優先主義であるならば、世界各国ともに、’お互い様’ですので、必ずしも、これを恐れる必要はないのです。
“アメリカ・ファースト”には二つの意味があるとしますと、今後のトランプ政権の政策運営においてどちらの面が現出してくるのかによって、日本国を含む各国の対応も違ってくることでしょう。近い将来、国際社会において“アメリカ超越主義”的な面が顕著となれば、やはり、アメリカに対して国際法の誠実な遵守、並びに、“規律ある自由”を求める場面が訪れるかもしれません。あるいは、アメリカが、仮に野蛮な弱肉強食をよしとする中ロに同調し、国際法秩序の擁護者としての役割を放棄するならば、法の支配の価値を共にする中小国が大国の横暴に抗するべく結束し、全ての諸国の権利と自由が法の下で擁護される新たな国際秩序の構築を試みる展開もある得ることでしょう。その一方で、トランプ政権の進む道が、第二の“アメリカ・ファースト”であるならば、特に経済分野においては行き過ぎたグローバリズムを是正し、相互的な自国保護を加味した新たな国際ルール造りが始まる契機となるかもしれません。果たしてトランプ政権は、人類史において、どのような軌跡を描いてゆくことになるのでしょうか。
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トランプ新政権発足 大きな政策転換図る姿勢打ち出す
昨日、1月20日、ドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ大統領に就任しました。選挙戦における”暴言”のみならず、大胆な政策転換を打ち出したことで、アメリカのみならず世界各国が戦々恐々となる中での就任式でしたが、その就任演説を聴いてみて、あまりに真っ当な内容に拍子抜けした人々も少なくなかったことでしょう。
トランプ氏の就任演説を貫く基調は、”国の支配者は国民”にあります。ワシントンの少数者による既得権層のための政治からアメリカ国民のための政治へと転換させることこそが、トランプ政権の使命と訴えているのです。この転換方針は、考えようによりましては、前任者のオバマ大統領以上に大胆な”チェンジ”となります。「本当に大事なことは、どの党が政権を握るかではなく、国民によって政府が支配されているかどうか」であると述べ、政党の垣根をも取り払った国民の政治をも目指しているのですから。当演説では、民主主義の基本原則とそれへの回帰を国民に分かりやすく語りかけており、リンカーン大統領を尊敬する氏の心情をも表しています。
トランプ氏に関しては不安要素も多く、就任後、民主主義、自由、法の支配といった諸価値を擁護するのか、国際社会が無秩序になるのではないか、あるいは、独裁者として君臨するのではないか、といった懸念の声も聞かれます。日本国を含め、マスコミ報道は至って冷ややかであり、就任演説に対しても、紙面に歓迎ムードの記事が並んでいるわけではありません。しかしながら、一種の焦りさえ感じさせるマスコミの報道ぶりは、案外、同演説が、”国家の支配者は国民”という、民主主義の名の下で世論の主導権を握りたいマスコミが最も恐れており、避けて通りたい”民主主義の本質”に言及しているからかもしれません。
トランプ政権については、果たして言行一致となるかは今後の政策運営を見なければ分からないのですが、少なくとも、就任演説に対しては、正当な評価があっても良いのではないかと思うのです。
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トランプ氏、ワシントン入り=「素晴らしい旅が始まる」―米大統領就任行事スタート
本日1月20日、アメリカ国内のみならず全世界が注目する中、激しい大統領選を制したドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領に就任します。トランプ氏の当選については、中間層の経済的な危機感も然ることながら、米国民の政治的なバランス感覚も一つの勝因ではなかったかと思うのです。
オバマ大統領の理想追求型のリベラルな政治スタイルは、相手国が掲げる理想に共鳴し、価値を共有する限りにおいては、最も望ましい結果を得ることができます。双方が共に理想に向かって、歩調を揃えて一歩を歩み出すのですから。先月の日米首脳による真珠湾訪問などは、その典型的な成功例であるかもしれません。一方、双方において理想や価値観、社会倫理の共有が欠如している場合には、結果は、全く逆となる場合が少なくありません。何故ならば、相手国は、逆方向に歩を進めるために、狡猾なテクニックを駆使して、アメリカの寛容さを利用しようとするからです。
オバマ大統領が、平和主義や核廃絶を前面に打ち出しながら、中国の軍事的拡張主義や北朝鮮が核・ミサイル開発に歯止めをかけることができなかったのも、両国間の理想や価値、倫理観の不一致に求めることができます。イランとの核合意も、今後、イラン側の”真意”が明らかになるにつれ、評価が定まることでしょう。そして、様々な苦難を乗り越えて米国史上初の黒人大統領となった忍耐力は、それが崇高な寛容の心の発揮であっても、”悪しき行為”の黙認にも繋がってしまった側面も否めません。訪中に際して中国側が仕組んだ様々な非礼や嫌がらせを受け流す姿は、米国民にとりましては、アメリカ衰退の危機感を募らす原因ともなったことでしょう。そして、”チャイナ(共産党)・ファースト”を強引に推し進める中国を前にしては、リベラルでソフトな対応では限界があると痛感したかもしれないのです。
”毒は毒を以って制す”という諺がありますが、国際社会の首脳達の顔ぶれを見た時、米国民が、傲慢で尊大な習主席に匹敵する強面を自らの大統領に選んだとしても不思議ではありません。トランプ政権は、本日、いよいよ発足しますが、米中強面対決は、人類を弱肉強食の時代に逆戻りさせるのか、アメリカ側の強面が奏を効して安定に向かうのか、それとも、人類がより良き世界に向うに際して越えなければならない試練となるのか、如何なる事態に至ろうとも、第一のシナリオではないことを願うばかりなのです。
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法務省では、外国人の高度人材を成長戦略に取り込むために、最短で1年で取得できるなど、永住許可の条件を大幅に緩和する予定なそうです。現在、法務省でパブリック・コメントを受付中なのですが、内容以前の問題として、省令やガイドラインによる改正は、権力濫用とでも称すべき暴挙なのではないかと思うのです。
永住権付与の条件緩和については既に報じられていましたが、国会における法律改正を経ての実施と思い込んでいました。立法措置を要するのであれば、国会での審議において国民世論を反映させることができますし、議論を進めれば、如何に危険な改正であるかも明らかとなるはずでした。ところが、この改正、出入国管理法そのものではなく、同法別表や永住許可のガイドラインの改正で済まそうとしているのです。
永住権とは、一般の日本国民と共に日本国内に住むことができる権利であり、居住権である限り、全日本国民の生活に直接に関係する問題です。外国人が”お隣さん”になるのですから、生活習慣が異なっていたり、社会常識でさえ隔たりがあることも稀ではありません。また、高度人材であれば、日本国にとって有益であるから問題はないとする意見もありましょうが、既に該当する外国人が凡そ6000人ほど控えており、規制緩和で外国人が日本国に殺到すれば、専門職において日本人の雇用機会が失われる可能性もあります。イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ次期大統領の当選が移民問題が軸となったおり、この問題は、国民投票レベルの手続きを要するほど、国民最大の関心事と化しつつあります。
また、ポイント制のため国籍の如何が問われておらず、”敵性”を有する外国人であっても永住許可が下りるという無防備さがあります。永住許可の凡そ3分の2は、中国の「国防動員法」の対象となる中国人となると予想されており、政治的に対立する国の国民を内部に抱え込むことは、EU内やNAFTA内での移民以上に安全保障上のリスクが付き纏います。ポイント制であるのならば、安全保障上や政治的に紛争を抱える国に対しては、ポイントで大幅にマイナス点を付けてもよいくらいです。
政府が考えている以上に、国民は移民問題に敏感であり、安易な法改正には反対なはずです。しかも、民主的手続きを飛ばし、省令やガイドラインの改正で移民政策を推進するというのでは、国民も納得しないことでしょう。施行予定が本年の3月中というのですから、はじめから国民に賛否を問うつもりはなかったのではないでしょうか。パブリック・コメントで反対多数となった場合、法務省は、民主主義の原則に鑑みて、当改正案を撤回していただきたいと思うのです。
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米への投資表明、続々と=トランプ氏にアピール、外資も
1980年代以降、経済成長の牽引役は、専らグローバリズムに託されてきました。グローバリズムの波に上手に乗ることが繁栄の条件とされ、各国政府とも、あらゆる分野においてグローバル経済を実現すべく自由化政策に邁進してきたのです。
ところが、ここに来て、イギリスのEU離脱に次いでアメリカでも”アメリカ・ファースト”と唱え、保護主義的政策を公約として掲げたトランプ氏が大統領選挙に当選し、快進撃を続けてきたグローバリズムにも翳りが見えるようになりました。中国の一人勝ちも予測される上に、移民の急激な増加や貧富の格差の拡大など、一般国民からの反発を受けるような問題を引き起こすに至ったからです。そこで、グローバリズムの先駆者でもあった米英から見直しが始まったわけですが、ここで注目すべきは、内需、即ち、国内経済が経済成長に果たす役割です。これまで、海外に対する”開国”こそが、経済成長をもたらすとする神話にも似た予定調和説が支配的でした。
しかしながら、その一方で、国内経済に対する評価は十分であったとは言い難いようです。むしろ、国内において競争力に乏しい部門は、それが、特定の産業であれ、人材であれ、何であれ、グローバル企業に市場を明け渡すことが良しとされ、全世界の市場が、原材料調達から消費地まで最も効率よく事業を分散させたグローバル企業の製品で埋め尽くされることが理想とされたのです。運良く生き残った国内企業も、買収によってグローバル企業の傘下に組み込まれ、下請け的な存在に甘んじるしかありません。その末に予測される光景とは、自由で活力あふれる市場とはほど遠いものであり、最先端技術の導入を以って進化や発展を称しつつ、既定路線としてグローバル企業から”与えられた社会”に過ぎないのです。経済発展にも理想的なモデルがあるならば、それは、先進国と新興国、並びに、途上国との間に雇用をめぐる深刻なゼロ・サムが発生せず、一般の人々の生活レベルの質的向上に資し、かつ、政治的な安全保障及び社会的な安定を脅かさないものであるはずです。
そして、行き過ぎたグローバリズムが批判の矢面に立つ今日にあってこそ、国内経済の発展方法に対する関心は高まって然るべきではないでしょうか。一定範囲での内需の保護と質的な拡大こそ、この問題を解くキーワードとなるからです。貿易における一定の規制は短期的には貿易量の減少を招きますが、内需が拡大すれば、やがては輸入の増加へと繋がり、長期的には、世界経済全体を好転させる効果も期待できます。また、相互に一定の保護的措置を認めるルールがあれば、国際レベル、並びに、国内レベルにおける格差の拡大を止めることもできます。個人からグローバル企業に至るまで、様々なレベルの経済主体が、それぞれの個性や特性を生かし、調和しながら発展を遂げる経済、言うなれば、”生態系的発展”を実現することは、今日に生きる人類に課せられた課題ではないかと思うのです。
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中国輸出、16年は7年ぶり落ち込み 米新政権の貿易政策に警戒も
先日、中国のオンラインマーケットの最大手を運営するアリババのトップ、ジャック・マー氏が、大統領就任を前にしたトランプ氏と会見し、アメリカ国内における100万人の雇用創出を約束したと報じられていました。果たしてこの目論見は、成功するのでしょうか。
報道によりますと、マー氏が提案した100万人の雇用創出の手法とは、中国国内の通販サイトを通じてメイド・イン・USAの日常品を手広く中国の消費者向けに販売するというものです。担い手はアメリカの中小企業を想定しており、この計画が実現すれば、トランプ氏の政策方針とも一致し、アメリカの輸出拡大、並びに、国内雇用創出の一石二鳥となります。しかしながら、この計画が実現するには、幾つかの高いハードルがあります。
第1のハードルは、中国向け輸出が伸びるには、中国国民の購買力が上昇する必要があることです。現実を見ますと、爆買いが一段落していることが示すように、株式市場のバブル崩壊や物価高が禍いして、中国国民の消費意欲には陰りが見られます(預貯金には熱心らしい…)。
第2のハードルは、中国の人民元安です。トランプ氏は、大統領選に際して中国を為替操作国に指名すると息巻いていましたが、今日の人民元安は一昔前とは違い、中国当局の見境のない金融・財政政策の結果です。膨大な額の外貨準備も既に減少に転じており、“為替操作”を止めた途端、暴落する恐れもあります。長期的にはこの傾向続くとも予想され、アメリカ製品が割高になる可能性が高いのです。
第3のハードルは、中国政府による外資の流出防止のための規制強化です。最近、中国の日本企業駐在員でさえ、自由に外貨を持ち出せなくなったとされていますが、中国当局が、外貨準備高の減少を食い止めるために躍起になっているとしますと、当然に、アメリカ製品の輸入を歓迎するはずもありません。
また、輸入する製品はアメリカの日用品とされていますが、現在、アメリカの消費市場は中国製品で溢れていますので、中国政府が、自国の対米輸出を減らす可能性のあるアリババの計画を後押しするとも思えないのです。果たして、アリババの“開けアメリカ”の呪文は、トランプ次期政権に通用するのでしょうか。
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