世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。
サイバー攻撃で初の閣僚対話=中国公安相が訪米
マイケル・ピルズベリー氏の『China 2049』は、中国経済が、かくも急激な経済成長を遂げ、かつ、国際経済に浸透していったのか、という謎に応えるものでもありました。そして、この著作から浮かび上がってくるのは、影の指南役としての世界銀行の存在です。
世界銀行は、第二次世界大戦末の1944年7月に締結されたブレトンウッズ協定に基づいて設立された国際機関です。当初は、戦後復興の支援を主たる目的としていましたが、今日では、幅広い分野で発展途上国の開発を財政面から支える役割を担っています。世銀は、ソ連邦が出資を拒否したこともあって、とりわけアメリカ色が強く、歴代の総裁はアメリカ出身者が務める慣例が今日まで踏襲されてきました(IMFは欧州諸国出身者…)。この側面からしますと、世銀の活動に関する一般的なイメージは、発展途上国の経済成長を促すと共に、自由主義経済を拡大することと理解されがちです。ところが、『China 2049』を読みますと、このイメージは見事なまでに打ち砕かれます。何故ならば、1980年代中頃から世銀のチームは中国の先進国化の検討を開始し、その後、経済アドヴァイザーとして北京に”最大の代表団”を派遣しているからです。中国側も、世銀のエコノミストの指南に忠実に従い、経済政策を実施したそうです。この事実は、中国の指導者達によって隠されてきたため、中国国民にも殆ど知られていません。さらに信じ難い事実は、世銀は、中国の国営企業の存続を認めた上で、「ナショナル・チャンピオン」システムを始動させたというのです。つまり、政策的な合併等を通して巨大な国営企業を育成し、市場を独占、あるいは、寡占化させることで、共産党支配下の中国企業を”グローバル企業”に育て上げたのです(2010年には、フォーチュン・グローバル企業500に50社を掲載させることに成功…)。政府系企業の株式を一部公開する政策を実施しつつも、世銀と中国がタッグを組んだ政策が、共産党に巨大な利権を集中させたことは否めません。そして、今日、政府系「ナショナル・チャンピオン」企業の採算性を度外視した量産がグローバル市場に価格破壊と貿易の不均衡をもたらし、凄まじい環境汚染が、中国大陸のみならず、地球規模で人類に脅威を与えていることを考慮しますと、この時の世銀の判断が正しかったのか、大いに疑問なところです。経済力は軍事力増強へと直結し、今日では、中国は、周辺諸国の安全を脅かすに留まらず、国際社会を暴力が支配する世界に引き戻そうとしています。
国際経済もまた、市場経済の基本原則の一つである”自由で公正な競争”を旨としていますが、国際機関である世銀が中国に特別待遇を与え、WTO等の貿易ルール違反に目を瞑るほどの肩入れをしたことは、他の諸国にとりましては承服しかねることです。現在、IMFでも人民元の国際基軸通貨化に加担する動きが見られ、AIIBに欧州諸国の多数が参加した背景にも、あるいは、世銀にも通じる何らかの”国際金融勢力”の思惑が蠢いているのかもしれません。『China 2049』は、中国の経済大国化の裏を明かしたことにおいも、近年稀にみるリーク本ではなかったかと思うのです。
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「遠海作戦能力を向上」=西太平洋訓練、日米けん制―中国
マイケル・ピルズベリー氏の著書『China 2049』は、これまで日本国内では知られていなかった米中関係の歴史や知識を得る上でも極めて貴重な本です。アマゾンのネット・サイトを覗いてみますと、硬派な内容にも拘わらず、総合20位に堂々ランキング・インしており、反響の高さが伺えます。
『China 2049』を読み進めると驚きの連続なのですが、本書から、深い霧で覆われていた天安門事件の真相をも読み取ることができます。1970年代、中国は、ソ連に”百年マラソン”、即ち、弱小国に見せかけて相手国から技術や資金を獲得し、優位に立ったところで、相手国を打ち負かす戦略を見抜かれたため、アメリカへの接近を図ります。つまり、中国は、ソ連に代わってこの戦略遂行に利用できる国を求めたのです。一方、冷戦期にあってソ連邦と鋭く対峙していたアメリカも、対ソ包囲網の重要パートナーとして中国との協力に踏み出します。両国の利害は一致し、自由主義国と共産主義国との間の奇妙な”準同盟関係”が成立するのです。ところが、この協力関係を維持し、アメリカから強国となるための支援を引き出すためには、中国は、アメリカを騙し続ける必要がありました。巧みな工作や情報操作で、中国は、”今はか弱い共産主義国であるけれども、将来的には体制を民主化し、自由な国を目指してる”とアメリカに思い込ませたのです。実際に、当時の中国の歩みは、表面上、小平の指導の下に政治経済の両面において民主化の道を歩んでいるようにも見えました。その一方で、この”偽装民主化”は、アメリカのみならず、自国民をも騙すこととなります。中国の学生の多くは、自国が自由で民主的な国家へと変わる時期が到来していると信じ、中国の将来をかけた民主化運動に身を投じるのです。そして、悲劇は、1989年6月4日に訪れます。
その後、中国は、自らの対米”偽装民主化”作戦を忘れたかのように、天安門事件の背後にはアメリカの体制転覆工作があったと批判し、仮面をかなぐり捨てて、共産党一党独裁体制の堅持へとひた走ります。そして、中国のもう一つの戦略上の工作である”偽装平和国家化”の仮面が剥がれた今、日米をはじめ、国際社会は、天安門の教訓に学び、中国の真の姿を直視しなければならない時が来ているのではないでしょうか。
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ベトナム輸送船を銃で威嚇=中国艦艇、今月中旬―南シナ海
日本国憲法第九条に関しては、これまで、政府をはじめ様々な解釈が示されてきました。先立っては、憲法学者の多くが、”憲法は集団的自衛権の行使を禁じている”とする解釈に基づいて安保関連法案を違憲と断じたため、反対論が勢いづき、法案の成立が遅れたことは記憶に新しいところです。
集団的自衛権行使違憲論は、ある特定の解釈に依拠するものであり、当然に、行使合憲論も存在しています。例えば、放棄の対象を侵略戦争に限定する解釈であり、第九条に関する日本国政府の基本的なスタンスでもあります。日本国内では、違憲論が幅を利かせておりますが、国際法に照らしますと、むしろ合憲論の方に説得力があります。日本国憲法の英語版では、”国権の発動たる戦争”は、”war as a sovereign right of the nation”と表現され、戦間期に成立した1928年の「不戦条約」の条文では、”(締約国)相互間における国家の政策手段としての戦争(as an instrument of national policy in their relations with one another)”に凡そ該当するとされます。つまり、放棄される戦争は、国益追求のための戦争となり、防衛戦争は含まれないと解されるのです。加えて、第九条の”国際紛争を解決する手段”は、英文では”means of settling international disputes”と表わされています。特に注目すべきは、”disuputes”であり、”紛争”を意味するこの表現は、1945年6月24日に署名された「国連憲章」の第6章にも見ることができます。第6章は、加盟国間の”紛争”の平和的解決を問題領域としています。その一方で、国際社会の”平和と安全”を脅かす行動については、第6章とは別に続く第7章で扱われており、この章には”disuputes”の表現は一切見られません。つまり、憲法第9条は、「不戦条約」並びに「国連憲章」等におけるこれらの表現や用語の使用例から、領土問題のような二国間における紛争を想定して記述されていると推測されるのです。そして、侵略等への対処を定めた第7章にこそ、個別的及び集団的自衛権を明記した第51条が記されていることは、日本国もまた、当然にこれらの権利を行使できることを意味しています。否、平和と安全を護る活動は、国際社会の”治安維持”でもありますので、国連安保理決議が成立する以前、あるいは、成立しない段階における自衛権の発動とは、複数の国家による集団的自衛権である公算が高いのです。
国際法違反もまた、国際の平和と安全を破壊する行為ですので、中国があくまでも人工島周辺の海域を自国の領海化する場合には、”公海に対する侵略”、即ち、国際社会全体の治安維持の問題として取り扱われます。この際、中国は常任理事国ですので安保理決議は成立しませんので、同盟国のアメリカ、並びに、国際社会の有志国と共に、日本国が集団的自衛権を発動することを憲法は許していると解すべきと思うのです。
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統合作戦指揮体制を確立=「戦区」へ改編、軍を大規模改革―南シナ海も念頭・中国
日本国内では、集団的自衛権の行使について、左翼を中心に未だに反対の声は少なくありません。耳を澄ますと”軍靴の音”が聞こえると…。その一方で、中国からは、耳を澄まさなくても”軍靴の音”が周辺諸国を威嚇するかのように響いてきます。
人民解放軍の改革方針については、1月3日の対日戦勝記念式典等で既に公表されていましたが、昨日、中国の習近平主席は、中央軍事委改革工作会議を主催し、2020年までの達成を目標に、”強軍戦略”として陸、海、空軍、並びに、ミサイル部門の指揮命令系統の統合を図ると共に、従来の”軍区”を”戦区”に改編する方針を公表したそうです。”統合作戦指揮体制”と呼ばれる指揮命令系統の統合目的は、おそらく、習主席に全軍の統帥権を集中させた軍事独裁体制を実現することなのでしょう。この体制転換は、毛沢東が唯一の独裁的指導者であった毛体制のみならず、ナチス・ドイツの体制やソ連邦のスターリン体制をも髣髴させます。”軍区”の名称の”戦区”への変更も、戦争こそが人民解放軍の主目的となったことを示しています。自国内に”戦区”を設けた背景には、中国が戦場になる可能性に加えて、自国内の反共産党勢力に対しても武力鎮圧で臨む方針が隠されているのかもしれません。そして、ミサイル部門の統合は、将来の戦争にける中国の主要攻撃兵器が、核兵器を搭載した大陸弾道弾ミサイルを含む各種ミサイル兵器であることを示唆しています。つまり、ミサイルの射程距離に入る範囲、即ち、アメリカを含む全世界が中国の攻撃対象となり得るのです。将来的には、宇宙部隊の新設も検討されていますので、国際社会における中国の脅威は増すばかりです。マスメディアなどは、軍の大規模改革を南シナ海や東シナ海での日米との摩擦を念頭とした”軍事衝突に打ち勝つ戦闘・防衛体制の構築が狙い”と淡々とした調子で説明していますが、その実態は、世界規模の実戦を想定した攻撃的な侵略体制、あるいは、国際法違反行為をあくまでも貫き通すための暴力体制の構築に他なりません。
戦争とは、戦う相手あっての行為ですので、当然に、”仮想敵”と見なされている諸国は、中国の戦争準備への対応を急ぐ必要があります。中国軍部の思考は、古代から引き継いだ兵法の戦略に支配されていますので、近代以降に整えられた国際法、とりわけ戦争法(人道法)を順守するとは思えず、中国の攻撃目標とされた諸国は、最悪の事態を想定せざるを得ません。兵法に見られる謀略や奸計も当然に実践されるわけですから(既に実戦されている…)、相手の戦法に合わせた防衛体制を敷くべきではないかと思うのです。
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南シナ海めぐる審理、ハーグの仲裁裁判所で始まる
南シナ海の領有権問題について、フィリピンの提訴を受理したハーグの常設仲裁裁判所は、今月24日から遂に審理を開始したと報じられております。中国の主張する「九段線」の主張は、審理を経て国際法違反と判断される公算は高く、中国の出方が注目されます。
国際法違反については、司法判決の不履行の場合には武力による強制執行、および、”現行犯”の場合には武力による即時的な制止や救済を要します。何れにしても、国際法違反の国は、自らの行為を理由として”犯罪国”とされるのです(これらの武力行使を戦争と呼ぶならば”戦犯”…)。国際社会において海洋法が整備された今日では中国の有罪は動かし難く、中国は、不名誉な立場に追い込まれます。面子を重んじる国としては痛手であり、犯罪国家の認定情報が中国国民に広く知れ渡るとなりますと、政権に対する不満も高まることでしょう。対中武力行使を回避するには、中国は、領土問題については常設仲裁裁判所で示された決定を誠実に受け入れるべきですし、人工島の埋め立てと領海化については、埋め立て作業と軍事基地化を即座に停止し、周辺海域を国内法である領海法の適用範囲から外す措置を取るべきです。これらの対応は、自国の名誉を守るための”名誉ある撤退”とも言え、今からでも遅くはありません。仮に、”名誉ある撤退”を渋るとしますと、中国は、仲裁裁判所が示した境界線を越える一切の”中国領”から武力で追い出され、人工島を破壊されても致し方ないこととなります。
現在の国際社会では、中国の兵法上の戦術の多くは、国際法が定める行動規範や原則に反しており、これらを実践しますと、不名誉な”犯罪国家”となりかねません。もっとも、「兵法三六計」の最後の計は”走為上(逃(走)ぐるを上と為す)”、即ち、勝ち目がない時には逃げるのが上策であり、この計については国際法上の違法行為とはならないようです。中国の兵法には”名誉ある撤退”が存在しなくとも、中国政府は、せめて”走為上”を選択すべきではないかと思うのです。
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南シナ海における中国の一方的な実力行使は、明らかに海洋法に違反しながら、中国は、頑としてこの違法行為を止めようとはしません。中国は、国際法の無視を決め込んでおりますが、仮に、将来において国際法の執行として武力行使が行われた場合、その責任は、違反者である中国にあることは言うまでもないことです。
今日の国際社会においては、国内レベルほどには司法制度が整備されていないものの、国際司法裁判所や国際刑事裁判所等の機関が設けられておりますし、国連憲章においても、国際の平和を損なう行為に対する安全保障理事会の役割が明記されています。これらの機関は、二国間の領土問題等に限らず、国際ルールとしての一般国際法上の問題をも扱うことができます。国内法で言えば、侵略等は公の秩序を侵害する刑事事件であり、中国の南シナ海での行為は、往来妨害罪、不動産侵奪罪、脅迫罪などに該当するからです。もっとも、国際司法裁判所における判決の履行については規約上に明文の規定がなく、国際刑事裁判所にあっても非締約国である中国の指導者を法廷に立たせることは困難です。また、国連安保理においては、中国もまた常任理事国の一国として、事実上の拒否権を有しています。不備を抱える国際レベルの制度では国際法の執行ができない、となりますと、国際法に違反する実力行使に対しては、国連憲章51条において全ての国家に対して認められている個別的、及び、集団的自衛権を以って対処するしかなくなります。
国際法違反行為に対する武力行使を”戦争”と呼ぶか、否かの問題は別に論じるとしても、南シナ海での武力行使を”南シナ海戦争”と名付けるとしますと、”南シナ海戦争”の戦犯は、当然に中国となります。たとえ戦後に至り、国際軍事法廷が開廷されたとしても、中国に対する有罪判決は、海洋法が既に存在している以上、揺るぎないと思うのです。
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南シナ海における中国による実力行使による一方的な現状の変更は、国際社会に対して極めて重要な問題をつきつけております。それは、国際法の執行問題です。
国際社会においては、国際機関を利用した司法解決は、平和的解決手段の一つに数えられています。しかしながら、平和的解決手段であるはずの司法解決にあっても、国際法の執行手段として、武力が使用される可能性については強く意識はされておりません。第一の可能性とは、違法行為が実際に実行されている場合、即ち、現行犯である場合です。南シナ海問題では、まさに、中国の人工島の領海化と軍事基地化は、この”現行犯”に当たります。第二の可能性は、司法解決で決着が付いたにも拘わらず、当事国が司法判決を無視する場合です。このケースを南シナ海に当て嵌めてみますと、仮に、南シナ海の問題について、フィリピンが既に提訴した仲裁裁判所の判決、あるいは、将来的に、何れかの国の訴えに基づいて国際司法機関が中国敗訴の判決を下すケースです。論理的には、中国が、南シナ海において航行の自由を妨害した時点で、妨害を受けた側の政府は、この問題に関する提訴権を持つことになります。これまでのところ、中国は、国際司法による解決を拒絶する意向を表明しており、たとえ判決が示されたとしても、素直に従うとは思えません。そして、仮に判決が全く法的効力をもたない、即ち、中国が、一方的に国際法違法行為を継続させるとしますと、それは、国際社会における重大な危機を意味します。
果たして、国際社会は、法秩序が侵害されている状態を黙認するのでしょうか。左派の人々は、如何なる理由であれ武力の行使を否定しますが、現行の違法行為の排除、あるいは、司法機関の判断に基づく国際法の執行としての武力行使さえ認めないのでしょうか。認めないとしますと、国際社会の無法地帯化を容認することになると思うのです。
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日豪2プラス2、南シナ海の中国に「強い懸念」
中国は、南シナ海の問題について、再三にわたり紛争の当事国間の問題として解決すべきと主張し、”航行の自由作戦”を実行したアメリカに対して、部外者は介入すべきでないと批判しています。この態度からしますと、どうやら中国は、根本的なところで国際法における区別を理解していないか、敢えて別次元の問題を行動させようとしているように思われます。
南シナ海のスプーラトリ諸島の領有権をめぐっては、中国は、確かに東南アジア諸国との間で領有権を争っています。否、争っているというよりも、法的、並びに、歴史的根拠を欠いているにも拘わらず、既成事実化を重ねることで実質的に支配下に置いているのが現状です。複数の国家間で領域を争うケースでは、紛争の解決は、当事国間での外交をはじめ平和的手段を以って解決されるべきであり、この点においては、当事者の合意は重要です。その一方で、航行の自由の問題は、一つの領域をめぐる特定の諸国間の領有権確定の争いではなく、「公海に関する条約」や「国連海洋法」といった国際ルール上(一般国際法)の問題です。全ての諸国に適用される国際ルール上の問題となりますと、当事国のみならず、全ての諸国に、違反国に対してルールの順守を求める権利が生じます。南シナ海問題について、全世界から中国批判の声が湧きあがっているのは、それが、法の支配に基づく国際秩序そのものに対する危険な”挑戦”であるからに他なりません。
中国は、あくまでも、南シナ海問題を専ら領有権問題として扱おうとしておりますが、国際社会は、中国が南シナ海に人工島を建設した上で領海を設定し、かつ、軍事基地化を図ろうとしている行為を問題視しています。つまり、これらの行為こそが、国際ルールを侵犯しているのです。中国は、航行の自由を阻害する行為が、国際社会から当然に介入されるべき違反行為であることを認識すべきと思うのです。
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南シナ海、米の「介入」非難=「航行の自由」は誇張―中国首相
マイケル・ピルズベリー氏の著書『China 2049』は、世界覇権を目指して張り巡らされてきた中国の”百年の計”を記した警告の書もあります。現在の中国は、今なおも戦国時代の戦略思考に支配されており、この時代錯誤の行動原則に中国の危険性の根源的原因があるようです。
ところで、ピルズベリー氏は、この書の中で、中国の古代史から引き出され、今日でも使われている興味深い教訓を紹介しております。それは、『春秋左氏伝』に掲載されている「鼎軽重 未可問也」です。周の時代、周王室には天命を受けた証として九鼎が大切に保管されてきましたが、周王朝に衰退の兆しが見え始めますと、周からの使者、王孫満を迎えた楚王は、ついうっかり九鼎の大きさと重さを尋ねてしまいます。つまり、九鼎の軽重を問うたことで、隠してきた天下を狙う野心を楚王は見抜かれてしまったのです。この故事は、権威への挑戦者は、迂闊な発言で自らの野心を相手に知られてはならない、とする教訓となりました。戦国思考に染まっている現代中国もまた、この教訓を実践しているはずなのですが、南シナ海をめぐる一連の態度を見ますと、中国は、タブーであるはずの”鼎を問うている”としか見えません。南シナ海での人工島の建設は建設当時から軍事基地化の疑惑があり、今日に至るまで、厳しい批判を受けてきました。遂に、アメリカが”航行の自由作戦”を遂行するに至ったのですが、中国の主張は、”部外者による不当な介入は許さない”の一点張りです。アメリカをはじめ、日本国を含む様々なルートから国際法違反に関する説明を受けたにもかかわらず、全く聞く耳を持とうとしないのです。ということは、中国は、法の支配に基礎を置く現行の国際秩序に挑戦する意思を明らかにしたとしか言いようがありません。つまり、アメリカ、そして、国際社会に対して鼎の軽重を問うてしまっているのです。
中国は、楚王のように、うっかりと本音を漏らしてしまったのでしょうか、それとも、遂に、従順な挑戦者の仮面を自ら剥がし、中国中心の華夷秩序構築に邁進する覚悟を表明したのでしょうか。古代から迷い出てきた中国の夢は、現代という時代ではもはや実現することはできず、消えゆく運命にあるように思えるのです。
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本日の日経新聞の朝刊では、慰安婦問題に関する記事が取り上げられており、朴大統領の手法を紹介しておりました。韓国もまた、かの『孫子』に倣い、”戦わずして勝つ”を上策としているそうです。
先日の日韓首脳会談において、両首脳間で”慰安婦問題に関する交渉を加速する”との合意が成立したことから、韓国側は、これを機に年内にも日本側から大幅な譲歩を引き出す形で決着をつける構えのようです。一方、日本国内の世論調査では、この問題での対韓支援には、人道支援の名目でさえ大多数の国民が反対しており、韓国側の思惑通りに事が進むとも思えません。それでは、韓国側には、膠着状態から抜け出す”戦わずして勝つ”方法があるのでしょうか。当記事によりますと、韓国側は、日本国政府に要求を飲ませるために、「日本側に変化がなければ交渉に見切りをつけ『日本が悪い』と世界中に広める」作戦を温めているようなのです。韓国には、VANKと呼ばれる民間国際プロパガンダ組織も国際的に活動しており、様々なルートを通して大々的に対日批判の”慰安婦キャンペーン”を張る、ということなのでしょう。しかしながら、この戦略、国内法の刑法で言えば、”脅迫の罪”に当たるのではないでしょうか。しかも、慰安婦問題に関しては、歴史的な事実を調査・確認することもせず、韓国側は、一方的な”歴史認識”を根拠に脅しているのですからより悪質です。韓国側のモラルなき脅迫的な交渉手法は、日本国側の姿勢を硬化させこそすれ、軟化させるとは思えないのです。また、朝日新聞社の記事撤回以降、国際社会においても韓国の主張に重大な疑いが生じており、反日プロパガンダ活動が、かつてほど絶大な効果を発揮する状況にもありません。
”戦わずして勝つ”ための戦略が、社会一般の掟に照らせば禁じ手である以上、国際社会において批判に晒されるのは韓国、ということになるのではないでしょうか。”戦わすして勝つ”の戦略は、結局は、”戦わずして負ける”結果に終わるのではないかと思うのです。
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「君たちに憎しみあげない」テロ遺族FB文章に共感の輪
パリの同時テロ事件で夫人を亡くされた仏人ジャーナリストのアントワーヌ・レスリ氏が、犯人のテロリストに宛ててFB上に認めた手紙が共感を呼んでいるそうです。「金曜の夜、最愛の人を奪われたが、君たちを憎むつもりはない」と。
文面を読みますと、レスリ氏は、”テロリストの目的とは、人の心に憎しみを抱かせる行為を敢えて実行することで、人類社会に憎しみの連鎖をもたらすことにある”と理解しているようです。そうであればこそ、”憎しみに対して憎しみを返さない”ことは、テロリストの目的達成の阻止、即ち、テロリストに対する勝利を意味するのです。しかしながら、憎悪の感情を抜きにしても、無差別殺人という罪には、それに相応する罰を与えなければなりませんし、心理的なテロへの無反応に繋がれば、被害者を増やしてしまいます。また、加害者に対して憎しみや怒りの感情を持つことは人間の本能的な心理ですので、レスリ氏の善意は、テロリストを憎む他の被害者遺族を苦しめるかもしれません。レスリ氏によれば、こうした人々は、”君たちと同じ無知に屈した”人々と見なされるのですから。こうした点を考慮しますと、安易な共感には疑問を感じるのですが、もう一つ、指摘すべき点を挙げるとしますと、レスリ氏は、言葉とは裏腹に、心の奥底ではテロリストを憎んでいると推察されることです。レスリ氏は、テロ以前の日常生活を続けることを以って”勝利”を宣言しておりますが、文面に散見されるテロリストに対する”勝ち”に拘る姿勢には、テロリストに対して”負け”を断じて認めない強固な意志が感じられます。おそらく、レスリ氏自身は自らの深層心理に無自覚であり、意図もしていないのでしょうが、テロリスト達は、このメッセージを挑戦状と受け取るかもしれないのです。
テロリストが、このメッセージから自らに対する”宗教的な高み”からの侮蔑を読み取るとしますと(”君たちは死んだ魂だ””君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国”…)、テロリストの反発を呼び起こし、レスリ氏の明示された意図とは逆に、憎しみの連鎖は続くことになるでしょう。テロリストに対して良心や道徳心を説いても改心を期待することは難しく、ややもすれば逆効果となる現状こそ、テロリスト問題の深刻さを表わしていると思うのです。
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日系人収容の過ち繰り返すな=米知事がシリア難民歓迎
先日、アメリカのオバマ大統領は、人道的な措置として1万人のシリア難民を受け入れる方針を表明しました。ところが、アメリカ合衆国を構成する50州の内、31州もの知事が、既に難民受け入れに反対していると報じられております。
シリア難民の受け入れをめぐる議論では、第二次世界大戦時の日系人収容所のケースが引き合いに出されているそうです。賛否両論から根拠とされており、受け入れ賛成派のインズリー州知事が、”歴史の過ちを繰り返してはならない”と主張する一方で、反対派のバウアーズ市長は、”『イスラム国』の脅威は、ちょうど当時の敵のように現実的で深刻のようだ”と述べ、脅威に直面した以上、安全確保のためは必要な措置である、とする見解を示しています。もっとも、当時の日系人は、既にアメリカに居住し、米国籍を有するアメリカ人であったわけですから、両者とも、シリア難民のケースとは事情が異なることには留意していないようです。しかしながら、仮に、戦時期の日系人の状況からシリア難民問題にも参考となる点があるとすれば、それは、出身国である日本国の日系人に対する対応ではなかったと思うのです。日米開戦を前にして、アメリカに渡った日系人は、日本国とアメリカとの板挟みに苦悶し、東条英機首相に日本人として取るべき態度を問う手紙を送っています。この手紙に対して、東条首相は、アメリカ国民としてアメリカに尽くすよう諭す返答の手紙を返しています。結局、戦時期にあって、日系人は収容所での生活を余儀なくされましたが、アメリカ軍の一員として勇敢に戦った日系人部隊こそあれ、テロ事件を起こしたり、アメリカ人を襲撃した日系人はほとんどおりませんでした。戦後、日米関係が比較的すんなりと回復された理由も、当時の日本側の判断と日系人の生き方にあったのかもしれません。
翻って、移民問題に起因するテロ事件の発生や社会的な摩擦の原因が、アイデンティティーを出身国に置いたまま、出身集団に忠誠を誓う移民の側にもあることを考慮しますと、移民や難民問題の解決には、権利面のみならず、義務面の強化も必要なように思われます。今日の国際法は、移民や難民の権利保護に重点が置かれていますが、テロ対策の一環として、国際レベルにおいて移民や難民のあるべき行動規範を議論し、策定するのも一つの案なのではないでしょうか。
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EU、初の集団的自衛権の行使表明…仏を支援
アメリカが攻撃された2011年9月11日の同時多発テロ西際して、NATOは、いち早く集団的自衛権の発動を決定し、アメリカと共にテロ組織と闘う決意を示しました。今月13日にフランスのパリ起きた同時多発テロでも、EU初の集団的自衛権の行使が表明されています。
EUの集団的自衛権は、1948年3月17日にベルギー、フランス、ルクセンブルク、オランダ、及び、イギリスの西欧五カ国によって締結されたブリュッセル条約に起源を求めることができます。当条約の第4条では(改正ブリュッセル条約では第5条)、何れかの締約国が攻撃を受けた場合、他の締約国は、個別的、または、集団的自衛権を明記する国連憲章第51条に従って軍事的、並びに、その他の支援を行うべきものと定めています。その後、当条約を基礎にブリュッセル条約機構(西欧同盟:WEU)も創設されますが、NATOに隠れて長らく陰が薄く、いわば、NATOと並行して併存する補完的な存在として存続してきました。このWEUが、2009年のリスボン条約の発効に伴ってEUに継承されたため、EUは、集団的自衛体制の枠組みをも兼ねることとなったのです。今日、国境を越えて広がるテロの脅威に対しては、一国で対応することは不可能であり、特に、イスラム過激派テロ組織がヨーロッパ大のネットワークを形成している以上、国際協力なくしてテロを取り締まることはできません。今般のテロ事件を計画して実行した犯行グループは、ベルギーを拠点としていたとも報じられております。それでは、仮に、日本国内で外国のテロ組織のメンバーが事件を起こした場合、どの程度の国際協力が可能なのでしょうか。集団的自衛権の行使に反対している左派の人々は、ISとの戦いへの自衛隊の参加にも、アメリカの戦争に巻き込まれ、日本人がテロの攻撃対象となるとして反対しております。しかしながら、反対派の人々は、テロとの戦いに集団的自衛権が行使されている現実を、どのように捉えているのでしょうか。国際的テロ集団はISに限られるわけではなく、現実には、日本国を標的に含める、あるいは、攻撃対象と定めている他の過激宗教・思想集団や同一のアイデンティティ-で繋がる暴力主義集団は多数存在しています。
今日のハイブリット型の戦争形態を考慮しますと、この分野における日米同盟、並びに、国際協力は手薄なように思えます。今般の集団的自衛権の行使に関する議論では、軍事行動や平和維持活動が中心となりましたが、今後は、ISを含む多様なテロ集団が存在することを想定した上で、国際的な協力体制を強化する必要があるのではないでしょうか。
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支配地域外で影響力拡大=一般市民に同調者か―「イスラム国」
今月13日にパリで発生した同時テロ事件は、人権派、保守派、そしてイスラム教徒を中心とする移民集団の間の三つ巴となる可能性があります。そして、一般市民を装うテロ支援者の存在は、この三つ巴の解消をさらに難しくしています。
ロシアのプーチン大統領がISILの支援国は実に40カ国に上ると発言したことで、国際社会における対テロの結束に綻びが生じている疑いが浮上しておりますが、さらに問題を複雑化しているのは、フランス国内の一般市民の中にもテロ支援者が紛れていることです。このことは、テロリストと一般市民との区別を付けることが極めて難しい状態に至っていることを示唆しています。三つ巴の解消が難しい理由は、常に、組合せを変えながら二対一の構図が繰り返されるところにあります。A、B、Cの三者とするならば、Cに対してAとBとが協力しても、CがAかBのどちらかに接近する状況が発生しますと、C・A対B、または、C・B対Aの対立へと移行します(もっとも、テロをめぐる三つ巴は、保守と移民集団の組合せはありませんので、人権派がどちらに寄るかによって組合せが替わる…)。テロ事件を受けて、フランス議会では、テロリストに対する左右の政治的立場の違いを越えた団結を示されましたが、一般市民の同調者の存在は、左派がテロリストに寛容となる要因となりかねません。自らの政治的信条に従って一般市民を擁護しようとすれば、テロリストをも庇う結果を招くからです。
仮に、移民集団の中にテロを支援する者が存在しなければ、三つ巴が悪化することなく、移民集団もまた対テロの結束に加わることができたかもしれません。テロの支援者は、自らこそ、問題解決を遠ざけている存在であることを自覚すべきではないかと思うのです。
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難民政策変更なし=テロリストと申請者は違う―欧州委員長
今月13日の晩、パリで発生した無差別テロ事件は、容疑者がシリア難民であることを示唆する旅券が発見されたことから、ヨーロッパを震撼させる事態に至っております。メルケル首相の発言を契機にヨーロッパ諸国は大量の難民を受け入れていますが、ISILは、既に難民に自らのメンバーを紛れ込ませたと宣言しているからです。
”テロ事件が頻発しやすい要因とは何か”という問題を設定してみますと、現在のヨーロッパを悲観せざるを得ません。何故ならば、現代のヨーロッパの状況を分析してみますと、テロが発生しやすい要因が揃っているとしか言いようがないからです。第一の要因は、テロリストの内部化です。フランスの人口の約1割が移民系住民と言われるように、ヨーロッパでは、長年にわたって継続してきた移民政策により、既に、多数の移民が居住しています。その全てがテロリストではないものの、居住国に反感を持つ、あるいは、敵視している国を出身国とする移民をも受け入れていますので、一定数のテロリストを抱え込んでいると推測されます。第二の要因は、テロリストの組織化です。移民が個人として入国し、一般市民として個人に徹して生活する限り、テロの脅威は大幅に低下します。しかしながら、集団で移民した場合や居住国内で組織が結成されている場合には、武器や資金の供給網が形成されると共に、組織的な活動が可能となりますので、今般の事件のように、計画的、かつ、大規模なテロ事件に繋がります。こうしたテロ組織が、本国のテロ集団に帰属している場合には、本部からの指令によって、移民の居住国がテロ攻撃を受ける危険性はさらに高まります。以上の二つの条件はテロリスト側に関するものですが、第3の要因は、受入側の居住国において、”世界市民”的な思想が一定の影響力を持っていることです。近代人権思想の危険性については、侵害者に対する脆弱性、並びに、敵味方関係の無視による無防備性として既に指摘しましたが、こうした弱点は、テロに対する抑止力の解除をも意味します。相互性の欠如した個人の基本的な権利と自由の尊重は、テロリストにも行動の自由を与えるのです。そして第4の要因とは、近代人権思想を信奉するの左派の人々が、移民政策に反対する人々を攻撃すべき”敵”と見なしていることです。右派のみならず、安全を求める一般国民の声も、左派の人々によって抑えられてしまいますので、テロリストにとりましては、左派勢力は間接的には擁護者となります。
以上にテロが頻発しやすい条件を挙げてみましたが、これらの要因は、現在のヨーロッパが解き難い三つ巴の様相を呈していることをも示しています。テロ対策の強化を求める右派勢力、近代人権思想の申し子でもある左派勢力、そして、内部の同族、並びに、外部の出身国とも繋がるテロ組織です。テロの撲滅には、テロリスト以外の三者が結束して当たるべきなのでしょうが、そうならないところに、ヨーロッパのテロと移民対策の難しさと昆明があるのではないかと思うのです。
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