世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。
溺れた赤ちゃん写真、地中海における難民の悲劇浮き彫りに
先日、EUとトルコとの間で難民対策合意が成立し、新たなメカニズムが動きはじめたものの、難民問題は一向に収まる気配がありません。先週だけでも、数百人の難民が地中海で命を落としたと報じられております。
地中海での溺死のリスクのみならず、人身売買のリスクにも直面しており、一万人ほどの未成年者が行方不明となっているそうです。また、受け入れ国側でも、難民に対する襲撃事件も多発しており、難民の行く手には、生命や身体をも損ないかねない深刻なリスクが待ち受けているのです。それでも、難民の多くが国外への脱出を望んでいるとしますと、その背景には、凡そ二つの原因が考えられます。
その一つは、紛争の激化により居住が不可能となるケースです。しかしながら、現状では、ISの支配地は縮小に転じており、もうしばらくの辛抱かもしれません。つまり、緊急避難的な措置として難民化する必要性が低いとしますと、もう一つの可能性の方が難民流出の主要原因と想定されます。それは、自発的な難民化、すなわち、自国の経済状況の悪化による事実上の経済難民化です。そして、この自発的難民化を陰で支えているのが、一般の住民に密航を斡旋する事業者なのです。密航事業者の悪辣ぶりは難民船を見れば一目瞭然であり、しばしば、意図的にボートを転覆させるとも報じられています。これらの事業者は、言葉巧みに難民を募り、多額の密航費を払わせた上に、難民達を死に至らせたり、子供達を売り飛ばしているのです。
”難民問題において誰が悪いのか”というシンプルな問いに対しては、仮に第一の居住地喪失が主因であれはアサド政権やISなどの紛争当事者でしょうし、第二の密航こそ真の原因であれば、紛争の悲劇から利益を得ようとする悪徳密航事業者ということになります。そして、今日の状況を観察する限り、やはり、後者の要因の方が強いように思えるのです。となりますと、難民問題解決の鍵とは、難民を犠牲にして儲けを企み、受け入れ国側にも混乱をまき散らしている密航事業者を根絶することなのではないでしょうか。人道支援といった水際作戦では難民数や被害は減少しませんが、難民の送出し事業を止めさせれば、確実に効果は上がるのではないかと思うのです。
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「大統領は真珠湾に触れたか」=トランプ氏、広島訪問で批判投稿―米
今月27日のオバマ大統領の広島への歴史的訪問は、未明の時刻にも拘わらず、アメリカでもライブで放映されたそうです。日本国内では、98%が当訪問を評価しているとの世論調査の結果が発表されていますが、アメリカ世論の反応は半々とも伝わります。
こうした中、トランプ氏は、当初は、謝罪抜きの訪問に容認姿勢を見せながら、真珠湾攻撃に言及することで態度を一変させた、と報じられています。トランプ氏の批判的な発言は、5月30日が戦没者追悼記念日に当たるからとの指摘もあります。退役軍人の方々からしますと、原爆投下に対する否定的な評価は、第二次世界大戦に対する批判にも聞こえ、自らの人生を否定されたかのように感じても不思議ではありません。第二次世界大戦において、アメリカの兵士たちは、正義の戦争であると固く信じて戦っております。トランプ氏は、こうしたアメリカのために死を賭して戦った国民の心情に配慮しているのでしょう。
その一方で、オバマ大統領は、全く別の角度から、原爆投下に関してアメリカの人々の心情に配慮しているように思えます。その配慮とは、原爆投下を”道徳の目覚め”の時となるよう願った点です。広島と長崎の上空で炸裂した原子爆弾は、人類史上はじめて実戦において使われた核兵器です。そして、この時、初めて人類は、核兵器の恐るべき破壊力を目の当たりにし、核兵器が、一瞬にして大量虐殺を可能とする非人道的な兵器であることを思い知らされました。戦時にあっては、憎しみと敵愾心に駆られ、残酷な行為に及ぶのはしばしば見られる人間の行動であり、それは、お互い様なところがあります。今般の広島演説では、広島と長崎への原爆投下を、核兵器の使用が道徳に反すると人類に自覚させた最初の瞬間とすることで、アメリカの原爆投下を責めるのではなく、将来における核兵器の攻撃的な使用に対して厳しく釘を刺しているのです(残酷性を知った上での投下と、知らない状態での投下では重みが違う…)。言い換えますと、広島と長崎を、最初で最後の核兵器の犠牲となるよう最大限の努力を払うことで、投下国であるアメリカもまた救われることとなるのです。
戦時期にあっては、日本国もまた核兵器の開発競争に加わっておりましたし、戦後もこの競争は続き、今日でも、NPTが存在しながら北朝鮮さえ核兵器保有に邁進しております。現実には、核の抑止力の効果も侮れず、また、小型の戦術核兵器が使用される可能性も否定はできません。現実を直視しますと、核なき世界は理想論ではありますが、オバマ大統領の広島での演説は、決してアメリカの過去を批判するものではなく、人類の道徳的目覚めを以って非人道的兵器の使用を抑制するという、未来に向けた新たなる抑止構造の提示だったのではないでしょうか。
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「問題は基地集中」 深夜外出禁止で翁長知事 一定評価も対応注視
沖縄県で起きた女性遺棄事件を機に、翁長沖縄県知事は、在日駐留米軍の綱紀粛正を求めると共に、基地撤退に言及しております。しかしながら、沖縄県にとりまして最も危険なのは、米軍基地ではなく、翁長沖縄県知事自身なのではないかと思うのです。
米軍関連の事件が発生する度に、沖縄では基地反対運動が勢いを増します。その一方で、沖縄県警が公表したデータを見ても、米軍関連の事件は減少傾向が続いており、今日では、米軍関係者の犯罪率は平均以下なそうです。否、米軍が駐留しているからこそ、むしろ、沖縄の治安が守られている可能性も否定はできません(仮に、米軍が駐留していなかったならば、蛇頭などの中国系暴力団が沖縄を拠点化していたかもしれない…)。左派系の人々は、政府がテロ対策や公安対策として活動家に対する監視を強化する方針を示そうものなら、”人権侵害”として断固反対を唱えながら、米軍関係者に対しては、治安を理由に徹底的な監視を求めているのですから、この著しいダブル・スタンダードには驚かされます。
そして、もう一つの矛盾は、基地反対の先頭に立っている翁長知事が、沖縄の安全保障、延いては、沖縄県民の安全にとりまして、最も危険な行動をとっていることです。翁長知事は、姻戚関係を通して中国と密接な関係にあります。県民代表のポーズを取ながら、知事の基地反対の姿勢は決して県民のためのものではなく、人民解放軍のために米軍を撤退させることが、中国側から託されている”裏の仕事”である疑いが濃厚なのです。翁長県知事にとりましては、人民解放軍は、”沖縄解放軍”なのでしょう。
仮に、如何なる手段であれ、沖縄が中国の支配圏に組み込まれるとしますと、沖縄は、中国共産党の一党独裁体制の下で、民主的制度は廃止され、言論も厳しい統制を受け、チベットやウイグルのケースと同じく、人民解放軍と共に人口支配のために大量の”漢人”が送り込まれることでしょう。そして、沖縄が日米と対峙する前線となるのですから、当然に、人民解放軍の基地が当地に集中することは目に見えています。この時になって、沖縄県民が自らが失ったものの価値に気が付いても、時すでに遅しとなりかねないのです。
沖縄県民は、県民を不幸に淵に突き落とす”真のリスクは何か”を、もう一度、自らに問いかけてみるべきです。翁長知事が誘導する方向に引き摺られますと、”基地反対”と訴える自由さえも失われるのですから。
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米メディア、淡々と報道 首相の言葉、ほとんど中継なし
事前の報道では、オバマ大統領の広島訪問の際のスピーチは、極めて短いものになるとのことでした。しかしながら実際には、長時間とは言わないまでも、歴史的訪問に相応しく、凡そ17分に及ぶ格調の高い演説に、日本国のみならず、アメリカの人々も聞き入ることとなったのです。
オバマ大統領の広島演説は、原爆投下の歴史的な意味を、人類の文明史を踏まえた壮大な構想の下で問いかける試みであったように思えます。演説の最後は、「未来の中で広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう」の一文で締めくくられています。オバマ大統領は、広島や長崎の人々に残酷な運命を強いた原爆投下が、人々に良心の痛みを感じさせ、その眠っていた道徳心を目覚めさせた時に、初めてその尊い犠牲が将来における平和の実現に資すると訴えたのです。日本では、無念の死が後に良き結末を迎えることを”魂が浮かばれる”と表現しますが、原爆の悲劇が人類平和の礎となった時、その犠牲は、決して無駄ではなかったこととなるのです。否、第二次世界大戦で払われた全ての犠牲は、決して無駄にはしない、とする誓いでもあるのでしょう。
そして、この広島演説における道徳の目覚めという言葉は、核の先制使用を是とする国、核を脅迫手段とする国、並びに、密かに核開発を進めている国にとりましては、耳痛いことでしょう。何故ならば、こうした行為を行う国は、残虐さを前にしても心が痛まず、人としての道徳心が欠けている、と暗に批判されているからです。実のところ、オバマ大統領の広島演説は、あたかも教師や聖職者の説教の如く、全世界に向って道徳を説いているのであり、核廃絶への道しるべを人類の精神性のあり方に求められたのです。
同演説では、核廃絶の具体的な道筋が提示されたわけではなく、核なき世界への取り組みは不十分との批判はあります。精神論に逃げたとの見方もあるのでしょうが、その一方で、人類の文明化、人類の進むべき方向として、その倫理的な発展という点を明確に指示したことには、意義があったのではないかと思うのです。暴力志向の諸国に、倫理的発展に背を向けた背徳者としての自覚、つまり、遅ればせながらの道徳の目覚めが生まれることを願わざるを得ないのです。
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中国海洋進出に懸念=「法の支配3原則」確認―北朝鮮核、ミサイルを非難・サミット
昨日、伊勢市で始まった伊勢志摩サミットでは、中国の海洋進出を念頭に、参加7カ国とEU首脳との間で「法の支配3原則」が確認されました。早々、中国の王毅外相は、時代の潮流はG20にあると主張し、G7での合意に反発を示しています。
中国側は、伊勢志摩サミットのメンバーの間では「法の支配3原則」が合意されても、新興国も参加するG20では、こうした原則は通用しないと言いたげなようです。G20には、法の支配の原則に否定的な態度を示してきたロシアや韓国等の諸国が加わるからです。しかしながら、この中国側の見通しは甘いのではないでしょうか。何故ならば、「法の支配3原則」こそ、国連憲章の根幹にかかわるエッセンスだからです。「法の支配3原則」とは、(1)国際法に基づく主張(2)力や威圧を用いない(3)司法手続きを含む平和的解決の三者から構成されます。これらの要素は、既に国連憲章の随所に織り込まれており、例えば、第1条には、「…平和を破壊する虞のある国際的紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。」とあります。司法解決を促進するために、国際司法裁判所も、当憲章に基づいて設立されています。仮に、G20において「法の支配の3原則」が否定されるとすれば、それは、即、国連憲章の否定をも意味するのです。法の支配とは、今日の国際秩序の根幹ともなる原則なのです。全ての国連加盟国には、当然に憲章順守義務がありますので、G20の参加メンバー諸国が、易々と中国の主張に靡くとも思えません。しかも、中国が暗に提唱する”法的根拠なき主張”、”力の威圧の行使”、”反平和的解決”に同調することは、国際法による保護から自ら抜け出した結果、自国が中国の餌食となる結末を招きかねないのですから。
次回のG20は、9月に中国の杭州市で開催される予定ですので、ホスト国の立場を最大限に利用して、中国は、南シナ海問題について、伊勢志摩サミットで確認された「法の支配3原則」を覆す方向で画策することでしょう。しかしながら、この時期には、既に仲裁裁判所での判断も示されていますので、G20を舞台に中国が法の支配の否定に躍起になればなるほど、中国は、国際社会から孤立することになるのではないでしょうか。
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【伊勢志摩サミット】「二拝二拍手一拝」は求めず、自由に拝礼…参加国首脳らが伊勢神宮を訪問
本日、三重県の伊勢市でG7主要国首脳会議-伊勢志摩サミット-が開催されました。伊勢市と申しますと、垂仁天皇の御世より天照大神を祭る伊勢神宮が鎮座しており、サミットに参加された首脳の方々も揃って参拝されたそうです。
日本国には、第二次世界大戦において枢軸国側として戦ったことから、軍国主義的傾向が強い国家という国際的イメージが付き纏いがちです。近年では、中国や韓国等の積極的なプロパガンダ活動により、残虐で非道な国としても喧伝されています。しかしながら、日本国の記紀神話を読み解いてみますと、日本の政治文化が国際的イメージとは必ずしも一致しないことが分かります。
伊勢神宮に祀られている天照大御神は、上手に神田を管理して人々に恵みをもたらし、自らも神御衣の布を織って働いています。天照大御神が自ら武装するのは、弟神の素戔嗚尊が高天原を簒奪しようと企んでいると疑った時のみです。さらに、天照大御神の巧みな国家運営を見て、嫉妬に駆られた素戔嗚尊が田を壊し、狼藉を働いたため、天照大御神は天の岩屋戸にお隠れになるのですが、最後には、天の安の河原に集まった八百神々たちが素戔嗚尊を罰し、高天原から追放します。こうして再び日の光が日本の国を照らすのですが、この神話のストーリーからは、神であろうと良く働き、罪があれば罰せられ、悪しき為政者であれば合議によって追放される…という日本の政治文化、あるいは、政治倫理の原点を見出すことができます。決して独裁でもなければ非民主的でもなく、良き統治のために、天照大御神のみならず、他の八百万の神々たちも善悪をきちんと判断して行動しているのです。
伊勢志摩サミットでは、参加された首脳の方々が、こうした古来から伝わる日本の政治文化の一端に触れる機会となることを願っております。そしてそれは、ややもすれば忘れられがちな良き統治のあり方を、現代の日本人にも改めて問うことになるのではないかと思うのです。
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昨日、衆議院において、罰則規定は設けられていないものの、ヘイトスピーチ法案が可決されました。主として在日韓国・朝鮮人団体からの要請を受ける形での法規制の導入ですが、一般の日本国民にとりましては、言論の自由が制限されかねないだけに、不安な側面を残しています。
ところで、韓国国内では、冷ややかな反応がある一方で、法規制の導入を歓迎する声もあるそうです。ここで不思議に感じるのは、自国におけるヘイトスピーチ規制に関する議論がないことです。韓国と言いますと、大統領自らが”一千年の恨み”を口にしており、国民の対日憎悪は日本国の比ではありません。もとをただせば、李承晩政権による失政の対日転嫁政策に始まりますが、教育課程にあっても、史実とはかけ離れた脚色された歴史が刷り込まれております。韓国の子供達は、1910年から1945年までの日本国による統治は極めて残酷で搾取的な植民地支配であったと習うのですから、好感を持てるはずもありません。敵対心や復讐心さえ垣間見られるのですが、この結果、韓国国内は、凄まじい対日ヘイトスピーチで溢れています。”日本死ね”という言葉も、韓国では、日常茶飯事に聞かれることでしょう。史実を知れば、対日憎悪の根拠が薄いことに気が付くはずなのですが、端から客観的な事実を直視することさえ拒否しているのです(逆に、日本国に対して”事実を直視せよ”と迫っているのですが、その韓国側の言う’事実’が虚偽なのですから困ったものです。客観的な事実を直視すれば、日本国による統治時代にはインフラ整備や義務教育の普及など近代化政策が実施され、財政も日本国側の持ち出しであったことがわかるはずなのですが…)。そして、さらに問題が深刻なのは、韓国政府が規制しているのはヘイトスピーチではなく、事実を語ること、言うなれば”truth speech”であることです。この”truth speech”こそ、対日憎悪を緩和する効果が期待できるのですが、規制されている以上、激しい対日ヘイトスピーチは一向に収まりそうもありません。
当法案の成立は、在日韓国・朝鮮人の要望に応えたものなのですから、韓国政府もまた自らの政策を見直し、自国民が日本国に要求した以上、自国内の反日ヘイトスピーチに対しても対策を講じるべきが筋です(他国に改善を要求しながら、自国は放置するでは筋が通らない…)。果たして韓国は、”外国人一般”の名目であれ、ヘイトスピーチ規制法を制定するのでしょうか。
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軍属逮捕で対象基準を厳格化へ…米国防総省
先日、沖縄県で起きた米軍関係者による女性遺体遺棄事件は、実のところ、構図において、70年以上も時間を遡る慰安婦問題との共通点が少なくないのです。この事件は、慰安婦問題をどのように扱うべきか、という問題に対しても、重要な示唆を与えているように思えるのです。
犯人の男は、米軍の軍属とされておりますが、サービス会社に勤務する「軍人でも文民の職員でもない民間の請負業者だった」そうです。一方、慰安婦問題は、と申しますと、これもまた、主たる加害者は軍から請け負って慰安所を経営した民間事業者であり、詐欺的募集や虐待といった”韓国人慰安婦被害”は、この民間事業者自身か、あるいは、事業者に雇われていた被雇用者による犯行です(占領地での事件は、軍人による軍規違反…。全ての慰安所が、違法行為を働いていたわけではなく、一般的には、慰安婦には、雇用契約の下で、高額の給与が支払われていたのです)。アメリカでは、今後は軍属の対象基準の厳格化を図るそうですが、慰安所の事業者は、軍属に準じて扱われはしましたが、正式には軍属の地位は付与されていなかったはずです。
さらなる共通点は、この事件に対しての謝罪問題です。オバマ大統領は、26日の安倍首相との会談において謝罪の言葉を伝えるそうです。アメリカ大統領は、民間請負業者が起こした事件であれ、軍の責任者として日本国政府に謝罪することとなります。慰安婦問題にあっても、既に歴代の日本国の首相も、韓国や韓国人慰安婦に謝罪の言葉を伝えており、この点も、今般のアメリカの対応と共通しています。日本国の場合には、自らの任期に起きた事件でもなく、かつ、当時の違法事業者の大半が朝鮮人(韓国人)経営であったにも拘わらずです。
朝鮮半島における日本軍による組織的な”慰安婦狩り”は、既に朝日新聞社の記事撤回により完全に否定されており、歴史上の事実としては、軍の仕事を請け負った民間事業者による犯罪です。沖縄の女性遺体遺棄事件の犯人も、民間の請負業者です。それでも日本国は、謝罪のみならず、アジア女性基金に加え、昨年末の日韓合意では10億円の追加支援まで約束しました。
以上の点に鑑みますと、中国や韓国の教科書のみならず、アメリカの教科書にさえ、”慰安婦問題”を日本軍による組織的な”20世紀における最大の人権侵害”としたり、”性奴隷”と記載するのは、その実像から著しくかけ離れております。慰安婦問題は、沖縄における女性遺体の遺棄事件と本質的に同質なのですから、不当に事実が歪められてはならないと思うのです。
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大統領広島訪問、元米兵同行へ=ホワイトハウスが招請
オバマ大統領の広島訪問を今月27日に控え、ホワイトハウスは、日本軍の捕虜となった元米兵の方を同行させると発表しました。ホワイトハウスの側から招請したと報じられておりますが、果たして、この決断の意図はどこにあるのでしょうか。
日本軍捕虜と申しますと、昨年封切られ、”中国からの支援による制作ではないか”とする噂が流れたアンジェリーナ・ジョリー監督の『アンブロークン』が思い起こされます。日本人としては、日本軍捕虜の同行は、反日運動の一つではないかとつい身構えてしまいます。因みに、連合国の捕虜問題については、サンフランシスコ講和条約の第16条において既に解決されております(アメリカは当権利を放棄し、元捕虜に対してアメリカ政府が補償金を支給…)。何れにしても、元捕虜同行の決定は、日本国や日本国民への好意的な配慮ではないことだけは確かであり、和解のはずが、逆に日米関係に波風を立てる可能性もないわけではありません。となりますと、今般の決定は、アメリカ世論か、あるいは、中国や韓国といった周辺諸国の世論や他の勢力への配慮という線が濃くなります。
米国政府によるアメリカの一般世論懐柔説については、既に、”大統領による謝罪はない”とする方針が示されたためか、大統領の広島訪問決定に対しては表立った反対はなかったそうです。ですから、とりわけ、世論対策として、急遽、元捕虜同行を決定する必要性は低く、むしろ、核兵器による被害者の慰霊を強調するならば、純粋に追悼に徹した方が政治性は薄まったはずです。ここに来て、核兵器による人類最初の犠牲者から第二次世界大戦における全ての犠牲者へと広島訪問の意義の比重が変化してきた背景には、やはり、日本国を”加害国”に留めておきたい中国や韓国、もしくは、近年、中国とも結びつきを強めているアメリカ国内のユダヤ人勢力の意向が強く働いたものと憶測せざるを得ないのです。仮に、”全ての戦争被害者”が強調されますと、米大統領による史上初の広島訪問の歴史的意義は薄れてしまいます。
とは申しますものの、オバマ大統領と共に元捕虜として広島を訪問する94歳を迎えるダニエル・グローリー氏は、被爆地広島にてどのような発言をなさるのか、注目されるところです。広島の目を覆うばかりの惨状は、同時期に、戦争捕虜としての苦しみを自ら体験した元捕虜の方に、何を訴えるのでしょうか。
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「言語道断」在沖米軍に抗議=中谷防衛相、再発防止を要求―女性遺棄事件
今般、沖縄県で発生した米軍軍属による女性遺棄事件は、早々、基地反対派の運動と結びつく形で批判が起きているようです。米軍が存在する限り、沖縄県民は常に米軍の犯罪リスクに晒されている、と…。
しかしながらこの主張、よく考えてみますと、理屈に合っていません。何故ならば、日本国内における外国人による凶悪犯罪事件数は、米軍の兵士や軍属によって起こされた事件はむしろ少なく、その大半は、別の国の外国人によって起こされているからです(警察庁の資料によれば、来日外国人の国別検挙件数では、中国、ベトナム、フィリピン、韓国、ブラジル…と続く)。米軍の撤退を主張する左翼の人々は、米軍関連の事件が起きる度に、日本国の治安悪化の原因と見なし、拳をあげて”米軍は出ていけ!”とシュプレヒコールを繰り返してきました。しかしながら、より犯罪率が高いにも拘わらず、決して他の外国人に対して”外国人犯罪者は出ていけ”とは叫ぼうとしないのです。
また、先日、ヘイトスピーチ法案が国会で成立しておりますが、”外国人犯罪者は出ていけ”と叫んでも、同法案で取り締まることはできないはずです。特定の民族に対する差別的な言動ではなく、人権侵害の最たる犯罪者の退去を求めているのですから。米軍事件もまた、仮に治安悪化を理由とするならば、左翼の人々は、犯罪者個人に絞って国外追放を求めるべきであり、米軍関連の事件を基地撤退運動に強引に結びつけ、反米方向に世論を誘導するのは筋違いです。
殺人事件の被害者の方々は、誰に殺害されたのであれ、等しくその死が悼まれるべき犠牲者です。とりわけ米軍関係の事件だけを取り上げて、痛ましい殺人事件を自らの政治運動に利用する態度は、批判されて然るべきと思うのです。
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米財務長官、通貨安競争の回避に言及 日米財務相会談
本日、G7財務相・中央銀行総裁会議の二日目の協議を前に、仙台市において日米財務相会談が開かれたそうです。この席で、アメリカのルー長官は、麻生財務相に対して、改めて通貨安競争の回避について念を押したと報じられております。
日本国政府による円売り介入への牽制と推測されますが、この背景には、今年2月にG20で合意された”上海合意”があったとする指摘があります。”上海合意”とは、G20の構成国がドル安を認める暗黙裡の合意であり、プラザ合意に匹敵するとも称されています。ただし、1985年のプラザ合意のターゲットは日本国の円でしたが、今般の”上海合意”の主要な狙いは、中国の人民元のようです。つまり、今後、大幅に元安に触れた場合、中国の輸出競争力が高まるため、その阻止が主要目的とされているのです。もっとも、貿易の不均衡や実体経済よりも、元相場下落による金融界の損失回避、あるいは、外貨準備の減少を止めるべく元高相場を維持したい中国側への協力が等が真の目的かもしれませんが…。何れにしましても、合意が成立したのはG20であり、そのメンバーには、中国や韓国が含まれていることは重要です。何故ならば、民主党政権時代の”超円高”は、円の独歩高であったからです。仮に、G20の全メンバー国の通貨が足並みを揃えて対ドル相場でドル安に動くならば、日本国だけが、中国や韓国に対して輸出競争上不利にはならないはずです。
仮に、ルー財務相が強調したように、G20メンバー間で通貨安競争が起きなければ、少なくとも輸出面では以前の円高よりは”怖くない”可能性はあります。そして、プラザ合意を機にバブルが発生した日本国とは違い、既にバブルが崩壊している中国における上海合意の影響は、プラザ合意とは違った様相を呈する予感がするのです。
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米フェイスブック、社内調査=共和党のニュース制限か
アメリカのフェイスブックが、保守系のニュースを制限した件について、同社は釈明に追われているようです。SNSについては、運営側による一種の”検閲”が日本国内でも以前から問題視されておりましたので、”やはり”という確認感の方が強いのですが、その対応については、中国やNHKよりはるかに”まし”なようにも思えます。
ザッカ―バーグ氏は、もとより民主党支持である上に、公私にわたって中国とも親密な関係にありました。中国の厳格な情報統制にも、フェイスブックのノウハウや技術が一役買っている可能性も否定はできません。おそらく、同社は、情報統制に対して心理的な抵抗感がない、あるいは、罪悪感が欠如しているのでしょうが、それでも、保守系ニュースを排除したとする批判は堪えたらしく、”フェースブックは政治的に中立”とする同社の体面を保つために、この疑惑の払拭に躍起になっているそうです。
ザッカ―バーグ氏は、保守系の有力者を本社に招くなど、保守層懐柔に熱心に取り組んでいると報じられています。もちろん、この豹変の背景には、ライバル会社に利用者を奪われまいとする経営上の判断が働いているのでしょう。フェースブックの利用者は、10代では激減しているとの報道もあります。そして、このライバル社に対する対抗意識が、これまでの姿勢を緩和する方向に働いたとしますと、情報を扱う産業分野において、競争が如何に重要であるかが再認識させられます。情報統制や偏向が明るみとなれば、嫌気がさした利用者はライバル会社に流出し、同社の収益にも打撃を与えるからです。このことは、同時に、競争が働かない環境では、情報統制は緩むことなく、偏向も是正されないことを示唆しています。実際に、一党独裁体制下にある中国はその最たる例ですし、公共放送として受信料を強制的に徴収している日本のNHKも、国民からの偏向批判を受けても”どこ吹く風”の態度なのです。
この側面は、NHKのみならず、横並び傾向の強いマスコミ全体にも言えるのかもしれません。日本国内では、大手マスコミが揃って報じない事件や出来事も少なくないのです。フェースブックの一件は、情報空間の自由と健全さを保つためには、如何にして競争を働かせるのか、という、ネットのみならず、マスコミをも含めた情報・通信分野のあり方をも問うているのかもしれません。
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インタビュー:トランプ氏、核阻止へ金正恩氏との会談に前向き
今月17日、共和党の指名候補の座を確実にしたトランプ氏は、ロイターのインタヴューに答える形で、北朝鮮の金正恩氏との会談に積極的な姿勢を見せたそうです。海外メディアでは、従来のアメリカの対北政策の大胆な方向k転換として報じておりますが、全世界の人々が最も聞きたいのは、トランプ氏の対中政策ではないでしょうか。
米朝二国間関係からすれば、北朝鮮の核・ミサイル開発疑惑が浮上して以来、アメリカは、北朝鮮との一対一の対話は拒絶してきました。しかしながら、現在は事実上閉会となっているものの、日米中ロ韓によって構成される多国間協議の枠組みである六か国協議では北朝鮮と接触しており、対話の場が皆無であったわけではありません。また、トランプ氏は、中国が北朝鮮に核放棄を迫る圧力をかけることに期待しておりますが、この手法も、オバマ政権の基本的な政策方針でもありました。ですから、今般のトランプ氏の対北政策は、北朝鮮の核・ミサイル開発や独裁体制の容認、朝鮮戦争の講和、南北再統一の後押しといった劇的な転換ではない限り、そこまで目新しいとは言えないように思えます。否、トランプ氏が、仮に、米中協議を通して、特に核・ミサイル開発やカルト的な独裁体制を容認したとしたら、アメリカの価値観の大転換(大転落?)ともなり、アメリカの有権者のみならず、全世界が驚愕するとともに、米国に対する失望が渦巻くことでしょう。そして、この発言に関連して懸念される点は、トランプ氏は、北朝鮮のリスクは認識していても、中国に対しては、それ程までに危険視はしていないように見受けられることです。実際には、南シナ海において軍事的な緊張が高まってるように、中国こそが、アメリカが主導して構築した第二次世界大戦後の法の支配に基づく国際秩序に対する挑戦者であるにも拘わらず…。
米中関係の行方は、人類の運命をも左右すると言っても過言ではありせん。トランプ氏が、中国による国際社会の無法化を許し、アジアにおける華夷秩序の再来を容認するとしますと、対北政策の転換以上に、破壊的な影響を全世界に及のすのではないかと思うのです。
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「ビットコイン・仮想通貨」のニュース
先日、考案者が名乗り出たことで、裏社会から表舞台に登場してきた感のあるビットコイン。一種の”偽造通貨”でもありますので、公認化には疑問のあるところですが、一つだけ言えることは、ビットコインの普及は、金本位制の”死亡診断書”となったのではないか、ということです。
アメリカ大統領選挙の共和党候補として最後までトランプ氏と争ったテッド・クルーズ氏は、キャンペーンにおいて金本位制の復活を主張していたと伝わります。70年代のドル・ショック以降、スミソニアン合意で一時的には固定相場制に復帰したものの、アメリカは米ドルの金兌換を停止し、今日、金本位制が過去のものとなって既に半世紀近くが経過しています。しかしながら、それでもなお、金本位制の復活を唱える政治家が存在するわけですから、金融・通貨制度の一つの選択肢として金本位制への復帰が残されていたことを示しています。ところが、ビットコインを見ますと、マインニング(金鉱堀)という名の難問解答を以ってビットコインは発効されており、その価値を裏付けるものは何もありません。にもかかわらず、それを保有する人々が、通貨としての”通用力”を信じることで、今や、”通貨”の座を狙う位置にまで迫っているのです。この現象は、最早、金本位制への復帰が無意味であることを示しています。
その一方で、”通用力”としての信頼性を失うと、ビットコインの通貨としての価値もゼロとなります。消滅する可能性のあるビットコインの危険性もまた、改めて、誰もが信頼し得る公正な”通貨制度”とは何か、という古くて新しい問題を提起していると思うのです。
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文革50年、「二度と過ちを繰り返すべきでない」=人民日報
近年、中国の習近平主席は、人民解放軍の組織改革を通してその掌握に努めるなど、中央集権化を目指してきました。汚職追放を口実に対抗勢力を粛清し、”赤い皇帝”の座も手の届くところまで上り詰めたにも拘わらず、文革再演を機に雲行きが怪しくなってきたようです。
従来、共産党の機関紙である人民日報が、党のトップでもある国家主席を公然と批判することは、異例中の異例です。特に習政権下では、国家主席に、胡錦濤政権時代よりも遥かに権力を集中させており、”独裁者”に近い立場にありました。したがいまして、人民日報の文革批判は、政権に反旗を翻したにも等しい行為となります。にも拘らず、人民日報が敢えて文革批判を展開したのは、勝算があってのことと推測されます。つまり、”習政権はもう長くは持たない”との確信があったと憶測されるのです。おそらく、習主席による文革再演も、『パナマ文書』によっても明らかとなった自らの汚職を隠蔽するために、徹底した情報統制と国民洗脳を行う必要性を感じたからなのでしょう。遅かれ、早かれ、国民に不都合な情報が伝われば、自らの地位も危うくなるとする焦りが、習主席をして文革の再演に駆り立てたと考えられるのです。しかしながら、中国国民、否、共産党にとりましては、文革は暗黒の記憶であり、文革の再演は、反習勢力の結集を招いてしまったのではないでしょうか。
習主席は、自らの野望を実現しようとして、迂闊にも文革という”虎の尾”を踏んでしまったのかもしれません。中国大陸からは、習政権の瓦解の足音が聞こえてくるようにも思えるのです。
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