香港の民主化運動を潰すべく、中国の全人代では香港国家安全法の導入が決定されました。強硬姿勢を強める中国に対して、アメリカは関税、投資、並びにビザの発給等に関して香港に認めてきた優遇措置の停止を示唆しており、米中対立は香港を舞台に激化の様相を呈しています。そしてそれは、民主化運動に対する中国の断固たる弾圧という意味において、天安門事件と共通しているのです。
香港返還時に際しての英中合意は反故にされ、「一国二制度」も風前の灯となったのですが、北京政府による香港に対する弾圧が民主主義の危機であることは言うまでもありません。かろうじて天安門事件のような流血の事態には至ってはいないものの、今般の香港国家安全法が施行されれば、今後、北京政府が同法律を根拠として人民解放軍の介入をも試みる可能性も否定はできなくなります。民主主義国は、今度ばかりは中国の暴挙を許してはならず、香港の天安門化を未然に防ぐための方策を何としても見出すべきと言えましょう。
天安門事件に際しては、自由主義国が強い懸念を寄せる間もなく、鄧小平主席をトップとする当時の中国共産党中枢部は軍事弾圧を即断し、天安門広場に集結していた民主派の若者たちを無慈悲に虐殺しています。いわば、奇襲的な手法で民主化運動を暴力で一掃してしまったのです。
そこで重要となるのは、過去の失敗に学ぶことのように思えます。中国は、‘風林火山’を未だに実践する国ではありますが、天安門事件当時と比較しますと、今日の中国に対する他の諸国の視線は遥かに厳しく、警戒心に満ちています。香港の場合、メディアが早い段階から香港情勢を全世界に向けて発信し、ネットやスマホの普及もあって国際世論も高い関心を示してきました。一方、今日、世界第二位の経済大国に成長した中国も、改革開放路線に舵を切ってから日の浅い当時よりは、国際世論の動向に気を使わざるを得ない立場にあります。現状にあって香港の天安門化が回避されているのも、中国が、全世界からウォッチされる状態にあるからなのでしょう。天安門事件での失敗が他国の無関心、あるいは、低い関心にあるとしますと、まずは、国際世論が香港に対して高い関心を払い続けると共に、各国政府も圧力をかけてゆく必要がありましょう。
また、天安門事件後に注目しますと、日本国には、外交上の失敗と称される出来事があります。それは、1992年10月の天皇訪中です。天安門事件を機に各国とも対中制裁に動いたのですが、日本国の天皇夫妻の訪中は中国包囲網を緩ませ、中国の国際経済への本格的進出を許すきっかけとなったからです。結局、中国の民主化のために天安門広場に流された血は無駄となり、その後、中国共産党は、強権的な手段で民主化運動を徹底的に取り締まるに至るのです。
今般の習近平国家主席の国賓待遇での訪日は、中国発の新型コロナウイルスのパンデミック化のみならず、香港国家安全法の制定が決定された今日、天安門事件後の天皇訪中と同様の意味合いを帯びてきています。仮に同訪中が実現すれば、中国は、対中包囲網の一角を崩したこととなり、国際社会復帰への切符を手にしたかのように振舞うことでしょう。それでは、日本国政府は、予定通りに習主席の訪日を進めるべきなのでしょうか。
日本国民の多くは、おそらく習主席の訪日には反対することでしょう。そして、幸いなことに、その決定権は日本国政府側にあります。1992年の天皇訪中は中国側からの招待でしたので、主導権を握っていたのは中国側でしたが(もちろん、日本国側も断ることはできたのでしょうが…)、今般の訪日では、日本国政府が習主席宛てに招待状を送っています(ただし、背後に中国側からの要請があった可能性も…)。つまり、香港国家安全法の制定を理由として、民主主義国である日本国政府は、習主席の招待を取り下げることができるのです。
国際社会において中国がウォッチされているように、日本国による習主席招待の行方も、同盟国であるアメリカをはじめ多くの諸国が固唾を飲んで見守っているのではないでしょうか(もっとも、日本国ではなく、今日にあって同様の役割は、EU、あるいは、ドイツが演じるかもしれない…)。国際社会を前にして、日本国政府は、習主席の訪日キャンセルという外交カードを自由と民主主義のために切るべきではないかと思うのです。天安門事件での失敗を繰り返さないために。