万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

米先物取引は先買いによる‘買い占め’?

2025年02月19日 10時07分58秒 | 日本政治
 今般の米価高騰については、様々な要因が指摘されながらも、同時期に大阪堂島商品取引所で再開された米先物取引の存在は無視できないように思えます。既に、米価は2倍にも跳ね上がっていますので、仮に、再開時に先行きの米価高騰を予測して「買いヘッジ」に資金を投入した‘投機家達’は、今月で6ヶ月の限月を迎える場合、投資額が2倍に増えたことになります。‘笑いが止まらない’という状況なのでしょうが、その他の大多数の一般国民は、上昇し続ける主食の価格に悲鳴を上げています。

 先物取引が米価に影響を与える仕組みについては、限月までの間に需給バランスを自らの利益となる方向に操作できる時間的な猶予から説明も説明されます(その他については、本ブログの12月18日付けの記事で説明・・・)。将来的な価格上昇に賭ける「買いヘッジ」の場合には、供給量を減らす動機となる一方で、将来的な価格下落に賭ける「売りヘッジ」の場合には、供給量を増やす動機が働くからです。今般、「買い占め」の実行者として異業種企業や外国人バイヤーの暗躍が指摘されている背景にも、供給不足を意図した需給操作が疑われるのです。

 また、先物市場における契約の成立自体が、「買い占め」効果をもたらしかねません。何故ならば、限月が到来するまでの期間は、先物市場にあって‘先買い’されたお米は、売約済みの‘塩漬け’状態となるからです。言い換えますと、先物市場において投機資金が集まれば集まるほどにお米の出荷が滞り、供給量を減少させてしまうのです。同供給不足は、さらなる‘米不足’を引き起こし、なお一層米価が高騰するという悪循環に陥ることでしょう(もっとも、「買いヘッジ」に賭けて投機家達からみれば‘好循環’・・・)。

 この懸念に対しては、先渡契約等を締結すれば、限月に至らない時点で現物を引き渡すことが出来るとする反論もありましょう。しかしながら、上述したように、お米の価格が上昇し続けている局面にあって、それを良心的に市中に放出する買い手はそれ程には多くないことでしょう。米価が上昇する程に利益も上がるのですから、たとえ現物で受渡されたとしても、直ぐには手放さず、倉庫に眠らせようとするはずです。お米の放出は、自己利益に反するからです。結局、お米の保管場所の移転に過ぎず、大多数の消費者の食卓にはお米は届かないか、不当に釣り上げられて高値のお米を買わされることになるのです。

 以上に、先物取引と「買い占め」について問題点を述べてきましたが、この懸念については、重大な情報が欠けていることは、認めざるを得ないところです。それは、先物取引に参加した生産者である農家が誰にお米を引き渡しているのか、これが謎なのです。証券会社を経由して先物取引に資金を投入している投機家達は、現物の受渡しには全く関与しません。先物市場が開設されている大阪堂島商品取引所も、決済所に過ぎないとされています。商品先物取引事業者のリストの殆どは証券会社なのですが、証券会社についても、法律によって異業の事業は規制を受けているはずです(もっとも、SBIホールディングスのような企業グループであれば、子会社や関連会社等を利用できるかも知れない・・・)。それでは、先物で買い取られて農家のお米は、一体、どこに行くのでしょうか。

 おそらく、仲介業を営むブローカー的な存在が想定されるのですが、この点が、どこか不明瞭なのです。先物取引が出現したことで、お米の流通過程がさらに複雑になるようでは、米価安定どころか、混乱要因でしかなくなります。少なくとも今般の米価高騰を見る限り、先物市場が農産物の価格安定に寄与するとする説は説得力を失いつつあります。

 先物取引がお米の価格形成に影響を与える以上、生産者から消費者までのお米の流れの全プロセスを含む先物取引の仕組みは、国民が知るべき情報と言えましょう(消えた21万トンのお米とも関連するかも知れない・・・)。日本国民の主食が投機の対象となるような決定を、政府の一存に任せるのは望ましいことではなく、国民も農家も共に考えるべき重大問題であり、米先物市場の開設を方針とする政党は、国政選挙にあって自らの公約に掲載すべきであったのではないかと思うのです(つづく)。

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農家の要望なき米先物取引の罪

2025年02月18日 12時00分27秒 | 日本政治
 農産物の先物取引については、一般的には‘天候等による価格変動のリスクをヘッジする’として、その必要性が説明されています。収入が安定するので、農家のためにこそ存在するとする説です。しかしながら、本ブログの2月7日付けの記事でも述べましたように、農家にとりましては極めて不利な制度です。

 そこで、昨年2024年8月から大阪堂島商品取引所での米先物取引再開の経緯を見ますと、やはり疑問ばかりが沸いてきます。先ずもって、取引復活に際しては、SBIホールディングスの強い要請があったことは疑いようもありません。同社は、大阪堂島商品取引所の株式公開時に凡そ3分の1を取得しており、市場の運営者がプレーヤーを兼ねる状態となります。中立・公平であるべき取引所が自社企業に有利になるように運営する懸念が高まるのですが、実際に、米先物取引の再開と同時に、SBI証券が米の先物取引市場に参入し、主要プレーヤーとなっています。SBI証券のビジネスとその利益のために米先物取引を再開させたことは、誰の目にも明らかと言えましょう。しかも、農林中金の巨額損失が明らかとなった、まさにその時期に。

 加えて日本国政府にも、民間の一企業、あるいは、投機筋への利益誘導政策として米の先物取引を再開に許可を与えた疑いが生じます。内外に市場を開放した形での先物取引は今般の米価高騰の一因とも推測されますので、これは、大問題となりましょう。第一に、先物市場の開設は、農家からの要望ではないのですから。冒頭の説明のように、仮に農家には農産物価格の変動リスクをヘッジする必要があるならば、農家の側から開設を求める強い要請があったはずです。しかしながら、農協は一貫して先物取引反対の立場にありましたし、一般の農家の人々が先物市場の開設を政府に求めた形跡もありません。農家としては、先物取引によって自らが生産した農産物を‘得体の知れない事業者’に売り渡すことには二の足を踏むことでしょう(因みに、堂島商品取引所のホームページでは、投資家に対して受渡しの必要はないとしつつ、契約が成立した際の農家、あるいは、集荷事業者や卸売り事業者の‘受渡し先’に関する説明がない・・・)。

 となりますと、先物市場農家必要説は崩れ、そこに現れるのは、投機マネーを集めて賭け事をするマネーゲームの場としての先物市場です。そして、この現実は、農産物の先物市場の実態はカジノと同じであり、一刻千金を夢見る者や富裕層の遊びの場でしかないことを示しています。しかも、一般の国民にとりましては、カジノより遥かに有害であり、実害も発生します。カジノでは、賭に負けても勝っても、それは、賭けた人の自己責任であり、その資産をもって決済されますが、先物市場では、市中の農産物価格にも影響を与えます(現物取引よりも時間的な余裕があるので、価格操作という‘魔’が入り込む余地もある)。言い換えますと、一般の消費者も、マネーゲームの巻き添えにされかねないのです(なお、農産物市場に限らず、一般の人々は、バブルとその崩壊など、常に、金融筋の投機的な行動の犠牲者となる・・・)。今日に至るまで、日本国にあって米先物取引市場が設けられてこなかった理由も、この点にあると言えましょう。マネー・パワーに迎合、あるいは屈して、先物取引のリスクを国民に負わせた政府の責任も重いということになります。

 そして、この問題をさらに突き詰めてゆきますと、農産物の生産者でもなく、また、集荷業者でも卸売業者でもない無関係な個人や事業者が、自らの私的利益のために農産物の売買を行なう正当なる自由や権利があるのか、という疑問に行き着きます。もちろん、証券会社は、農産物の売買を手がけているわけではありません。農家にリスクヘッジの機会を提供していると抗弁するのでしょうが、その必要性が乏しいことは先に述べたとおりです。否、農家に対するリスクヘッジの手段の提供と見せかけながら、その実、全体から見れば、先物市場は、一部の投機家たちの私的欲望のために一般の人々にその数万倍ものリスクをもたらすという、リスク増幅装置として作用しているように思えます。国民の生活を危険に晒すこのような装置こそ、誰も‘ヘッジ’できない最大のリスクなのではないでしょうか。

 真偽の程は分かりませんが、大阪堂島商品取引所では、政府による備蓄米放出の方針の発表にも拘わらず、米価下落の効果を願う国民の期待をあざ笑うかのように、先物の価格は今なお上がり続けているようです。岸田文雄前首相が提唱した‘新しい資本主義’とは、マネーゲームのさらなる解禁なのでしょうか。米価対策は備蓄米の放出が全てではなく、日本国政府は、米先物取引に許可を与えた責任をとり、速やかに同取引の許可を取り消し、合わせて「買い占め等防止法」のお米に対する適用を表明すべきではないかと思うのです。

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米先物取引には情報統制がかかっている?

2025年02月17日 09時44分17秒 | 日本政治
 今般の異常なまでの米価高騰の背景には、昨年の8月から大阪堂島商品取引所で再開されたお米の先物取引が関与している疑いは濃厚です(「コメ指数先物」)。しかも、この米先物市場に関しては、国民の関心を引かないように隠されているのではないか、とする説もあります。実際に、日経新聞の大阪堂島商品取引所の先物市場情報欄を見ましても、トウモロコシについては掲載されていても、何故か、お米については情報がないのです。もしかしますと、既に閉鎖されているか、あるいは、取引の頻度が低いとも考えられるのですが、お米の先物取引を取り上げる大手メディアや雑誌社も殆ど見当たりませんので、情報が規制されているとも推測されるのです。

 先物取引では、「買いヘッジ」であれば、決済時の限月に1円でも契約時の「現物コメ指数」よりも高値となれば利益が出ますので、投資家や投機筋には価格操作の動機が強く働きます。このため、仮に、米先物取引に対して情報統制が行なわれているとしますと、幾つかの理由が考えられましょう。先ずもって注目すべきは、同市場は、海外投資家等にも開放されている点です。

 米価高騰については、ネット上では、中国系の‘事業者’から生産農家に対して高値買取の問い合わせがあるとする情報も散見されます。日本国の米先物市場が中国人富裕層のターゲットになっているとしますと、こうした「買い占め」も、先物市場における投機的なチャイナ・マネーの流入と関連しているのかも知れません(現物取引を含めて、にわか集荷業や卸売業社を造る・・・)。仮にこの推測が正しければ、情報隠蔽の理由はまたしても‘悪しき中国配慮’ということになり、未だに日本国の大手マスメディアが、中国との間の報道協定に縛られているということにもなりましょう。あるいは、日本国政府が、かつての米騒動のような反中暴動とまでは行かないまでも、日本国民の対中感情の悪化を押さえるべく、今般の米価高騰の怒りの矛先が中国に向かわないように情報を隠蔽しているとも推測されます。もっとも、安易に中国系事業者に売り渡してしまった農家も、日本国民に対する手前、同情報は表沙汰にはしたくないのかもしれません・・・(農村では、深刻な‘お嫁さん不足’から中国から嫁いできている農家も多い・・・)。

 第二の推理は、グローバリストの日本攻略戦略の一環でとする見立てです。国民には見えないところで、先物、現物を問わず、お米市場には、チャイナ・マネーのみならずグローバル金融の潤沢なマネーも投入されているのかも知れません。しかも、世界大での‘最適分業’を目指すグローバル視点からしますと、日本国の分担は、‘おいしい日本米’の輸出国であったとしても、その消費国ではないのでしょう。むしろ、日本国は、アメリカ等で大量に生産されている小麦を中心とした安価な輸入穀物の消費国であるべきと考えているとすれば、今般、米価高騰の演出は、一石二鳥にも三鳥にもなるのです。全世界のメディアに対するグローバリストの甚大なる影響力を考えますと、日本国内のメディアに対する情報統制も難しいものではないはずです(もちろん、グローバリストの僕である日本国政府は黙認あるいは協力・・・)。

 そして、第三の推理は、SBIホールディングスの意向が強く働いているというものです。同社は、堂島商品取引所の株式の凡そ3分の1を保有すると共に、米先物取引の再開と同時に、SBI証券が同市場に参入しています。グループ全体としては金融のみならず、情報・通信をはじめ様々なインフラ事業をも手がけていますので(独禁法違反では・・・)、米価高騰に関与したともなりますと、‘ソフトバンク’という企業ブランドのイメージ悪化は避けられません。この事態を恐れて、政界にも繋がる人脈やマネー・パワーを駆使して、情報の拡散を押さえ込んでいる可能性もありましょう(あるいは、グローバリストの‘先兵’の役割・・・)。

 米価高騰に国民の多くが憤る中、政府は、備蓄米放出の方針を示してはいるものの、その原因を明確には説明してはいません。遠因を含めれば複合的な現象でもあるのでしょうが、米先物取引の再開が引き金となった可能性が高いにも拘わらず、意図的とも思える情報の乏しさが、むしろその信憑性を高めているとも言えましょう。先物取引が原因ではないならば、日本国政府、堂島商品取引所、及び、SBIホールディングスは、参加者の構成、成約数、取引量(3トン単位)、限月での現物の受渡しの実態等を公表し、‘あらぬ疑い’であれば、事実による証明をもってそれを晴らすべきではないかと思うのです。

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米先物取引は農家に不利では

2025年02月07日 12時40分29秒 | 日本政治
 昨年2023年8月において大阪堂島商品取引所で再開されたお米の先物取引は、米価高騰の時期と重なることから、値上がり原因の疑いがあります。先物取引再開には、堂島商品取引所のステークホルダーでもあるSBIホールディングスの強い働きかけがあったとされ、投機のチャンスを狙う金融筋の思惑が絡んでいるのは確かなことなのでしょう。

 農産物の先物取引については、投機マネーの流入が懸念されながらも、農産物価格の変動リスクをヘッジする役割を果たすとする肯定論があります。否、農家に対するリスクヘッジこそが、農産物の先物市場の存在意義とも言え、この役割なくしては、誰も同取引を正当化できないことでしょう。競馬や競輪などと同じく、単なる‘賭け事’となってしまうのですから。しかも、日本人の主食であるお米を賭け事の対象とするとなりますと、多くの国民からの反対の大合唱が起きることでしょう。それでは、この変動リスクヘッジ説は、先物取引を正当化できるほど、説得力があるのでしょうか。

 ‘農家のための先物取引’によれば、農家は、天候や作柄による価格の変動リスクから逃れられるとしています。しかしながら、天候が良く、作柄も良好であっても、‘豊作貧乏’という言葉があるように、大量供給による価格の低下により収入が減少することもあり得ます。また、天候が悪く、作柄も平年以下であっても、供給量の減少による価格上昇が、思わぬ利益をもたらす‘不作長者’という逆パターンもありましょう。その一方で、これらの価格変動も、他の地域の生産量や消費者の動向によって左右されるのであり、実際に‘豊作長者’や‘不作貧乏’となってしまうこともあり得るのです。つまり、農業には予測不可能なリスクが伴いますので、先物取引でのヘッジはリスク軽減にはならず、逆のリスクに掛けたに過ぎないこととなります。

 しかも、この予測不可能性は、他者よりも、より詳細でより豊富な情報を手にしていれば予測可能性に転じますので、半々の確率ではなく、より‘勝率の高い賭け’事となります。この点、今般の米価高騰の場合、農林中金の巨額損失等もあり、先行きの高値が予測されるに十分な状況がありました。つまり、米価が高騰する確率の方が飛躍的に高くなるのですから、情報を得ている側が高値予測で‘買いヘッジ’に投資するのは当然です。つまり、農家よりも金融情報を逸早くキャッチした金融筋や投資家側が極めて有利となるのです。

 それでは、農家の側はどうでしょうか。情報に乏しい場合には、先物取引市場での価格上昇につられて先物での売り渡し契約を結ぶかもしれません。しかしながら、2倍ともされる米価の急激な上昇からしますと、おそらく‘隠れ損’となった農家の方が多いのではないでしょうか(現物取引では1万円の状況下で、先物取引で13000円の価格で売却契約を結んだところ、実際には、20000万円まで上昇したようなケース・・・)。つまり、情報量が‘賭け事’の結果を左右するならば、情報収集能力において優位し(最先端の金融工学やAIをも利用しているかも知れない・・・)、日本国内のみならず世界全体の状況を把握し得る金融筋や投資家に、より多くの利潤がもたらされるのです。

 一方、農家が先物取引で純粋に恩恵を受けるのは、将来的に価格が下がった時のみに限られます。しかしながら、機を見て敏感な金融筋や投資家は、今度は、「売りヘッジ」に走ることでしょう。このケースでは、先安感から売り注文が殺到すれば現物市場でも暴落を引き起こしかねず、先物市場に不参加の農家も巻き添えとなって損失を被ってしまいます。

しかも、生産者側となる農家は常に現物の売り手側ですので、一端、売り渡した限り、買い手側となってそれを買い戻すことも不可能です。一方、差益を期待して先物取引に投資をする人々にとりましては、価格の上昇も下落も同価値のチャンスです。また、新たに発足した堂島のシステムでは、途中で「買いヘッジ」を解約して「売りヘッジ」に切り替えることも自由自在です。先物取引では、農家と投資家との立場は等しくはなく、前者の自由度の方が遥かに高いのです。

 加えて、先物取引が農家のリスクをヘッジするならば、全ての農家が同市場を利用するはずです。上述したように、天候等によるリスクは、全ての農家にとりまして不可避であるからです。しかしながら、全ての農家が先物取引に参加すれば、現行のお米の流通過程は崩壊することでしょう。もちろん、農協は集荷事業者としての役割を失い(農協は、先物市場の開設に一貫して反対・・・)、従来の卸売り事業者も、先物市場で調達せざるを得なくなるかも知れません。そして、米価がおよそ先物市場で決定されるとすれば、小売り事業者や消費者は、今日以上に投機的な価格の変動に見舞われることでしょう。先物取引が価格の安定に寄与するどころか、逆方向に作用知ることになるのです。しかも、今般、先物市場で購入されたお米が何処にいったのか、すなわち、誰が売り渡し農家から集荷し、それを流通ルートに乗せているのか、これもまた謎なのです(密かに輸出されている疑惑も・・・)。

 以上に幾つかの問題点を見てきましたが、農家のリスクヘッジに役立たず、一部の金融筋や投資家の投機の対象となり、しかも米価高騰を誘引しているのであれば、やはり、米の先物市場は閉鎖すべきなのではないでしょうか。存在意義がないのですから。そして、まさかとは思うのですが、政府の備蓄米の放出が遅れたのも、先物取引の「買いヘッジ」の限月を待ってのこともあったとも思えてきてしまうのです。

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米価高騰とグローバリズム

2025年02月06日 11時58分18秒 | 日本政治
 国産米価格の高騰が続く中、グローバリズムの時代なのだから、時代の変化として受け入れるべきとする擁護論も聞えてきます。お米市場が自由化された結果であり、この現状を受入れ、海外から安価なお米を輸入すればよい、というのです。おそらく、農政改革を訴えるグローバリストの政治家の多くも、この路線で改革を推進したいのでしょう。しかしながら、グローバリズムを帝国主義や植民地主義という言葉に置き換えてみますと、この擁護論が如何に危ういものであるかが容易に理解されます。

 古代ローマ帝国は、今日に至るまで様々な学ぶべき教訓を人類に与えています。現代に生きる人々が反面教師とすべき教訓の一つが、‘パンとサーカス’です。肥沃なナイルのデルタ地帯に広大な穀倉地帯が広がるエジプトを征服したことで、イタリア半島には大量の安価な穀物が流入します。この結果、質実剛健で知られ、自らの土地で自立的に農業を営んできた多くのローマ市民達は、安価な輸入穀物に耐えられず、農地を手放さざるを得なくなります。大量の浮浪者が出現して都市に流れ込んでくるのですが、これらの困窮民に対する“施し”の政策として歴代皇帝が実施したのが‘パンとサーカス’であったのです。つまり、無償でパンを配りつつ、持て余している時間を消費させるために、コロッセウム等で娯楽となる様々なショーを提供したのです。帝国側としては、これらの持たざる人々の現状に対する不満が爆発し、反乱が起きることを恐れていたのでしょう。また、古代ローマには奴隷制があり、当時、一人で1万人もの奴隷を抱える権勢家もいたとされますので、その著しい格差には驚かされます。債務奴隷もあり得ましたので、借金で市民権をも失った人々は、奴隷となるしかなかったのかもしれません。かくしてローマ帝国が征服した地にも、大勢の奴隷を使役する大規模なプランテーションが出現するようになるのです。

 古代ローマ帝国の事例は、安価に生産し得る地域がある場合、国境なき広域的な‘もの’、すなわち主食用穀物の自由移動がより規模の小さな自営農業を壊滅させてしまうメカニズムを端的に説明しています。古代ローマ帝国の場合には、軍事的な征服によって“国境”が消滅しましたが、今日では、規模の経済において優位性を有する勢力が推し進めているグローバリズムという経済的潮流が、無血開城の如くに国境を消し去ろうとしています。ローマ帝国と同様の事態が絶対に起きないと言い切れるのでしょうか。

 また、大航海時代以降にあっても、悪しき教訓を大英帝国が示しています。逸早く産業革命を成し遂げ、工場における機械生産によって圧倒的な輸出競争力を獲得したイギリスは、繊維をはじめ安価な消費財を大量に輸出するようになります。英東インド会社が植民地化した地域は、安価なイギリス製品の消費地ともなるのですが、この結果も、自由貿易主義が主張する互恵的なものではなかったことは言うまでもありません。インドでは、農村にあって手織物を生業としてきた人々が職を失い、至る所で白骨街道が出現したとも伝わります。インドのみならず、他のアジア・アフリカの各地でも、伝統的な農村社会が消滅する一方で、本国の事業家が様々な輸出用の商品作物を栽培経営し、現地の人々が半ば強制的に労働を強いられる大規模なプランテーションが建設されてゆくのです。もちろん、高級品は本国や海外の富裕層に向かい、現地の人々の食卓や生活を潤すことはなかったのです。

 これらの事例は、国際競争力において劣位する場合、国境の消滅は、その国の産業に対して破壊的な作用を及ぼすことを、歴史的な事実として示しています。歴史の鏡に照らして見ますと、相互互恵を描くリカードの比較優位説による自由貿易論は現実を説明してはいません。当時のイギリスの自由貿易政策を正当化し、負の側面から人々の目を逸らさせるために一部を切り取って美化した‘プロモーション理論’であったとも考えられましょう。しかも、グローバルな時代とされる今日においてさえ、‘国境なき世界市場’が全ての人々に恩恵をもたらすことを、論理的、かつ、万民が納得する説明力を有する理論が出現しておらず、未だにリカードの理論に頼っている現状を見れば、‘推して知るべし’なのです(なお、現代ではヘクシャー・オリーンモデル等はあるが、同様の批判を受けている・・・)。

 もっとも、グローバリズムを礼賛する人々は、なおも日本国から農業が消えても、農家以外の一般の国民は、割高な国産に代えて安価な輸入穀物を購入することができるのだから、何らの問題はないとする反論もありましょう。しかしながら、海外から輸入するとなりますと、外貨による決済、即ち、支払いが必要であることを考慮していないように思えます。外貨が国内で足りなければ無尽蔵に輸入ができるわけではないのです。そして、この貿易決済に要する決済通貨、並びに、異なる通貨間の価値評価の問題にこそ、リカードの説の欠落部分であったことは注目に価するのです。(つづく)。

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馬脚を現わす日本国の政治家-ガザ難民受入

2025年02月04日 09時41分08秒 | 日本政治
 去る1月25日、大統領に就任したばかりのドナルド・トランプ大統領は、ヨルダンのアブドラ国王との電話会談で、パレスチナのガザ地区の住民の受入を拡大するよう要請したと報じられています。翌26日には、エジプトのシーシー大統領に対しても同様の申し入れを行なったようです。アメリカでは、不法移民の強制退去が始まっているために、周辺諸国に対するガザ住民の受け入れ要求については、ダブル・スタンダードとしての批判があります。そして、昨日2月3日に、石破茂首相も、日本国におけるガザ住民の受入を検討すると発言したと報じられたことから、日本国内では反対の声が広がっています。

 仮に、アメリカの不法移民の強制退去が、出身国への強制送還であれば、ダブル・スタンダードの批判は免れたことでしょう。不法移民の強制送還は、何れの国でも実施されている合法的な措置です。一方のガザ地区住民の受入要請も、戦争と無縁であれば、アメリカによる中東地域への横柄な介入と見なされたことでしょう。ところが、戦時にあり、しかも、移住を強いられる人々がその国の古来の定住者である場合には、全く様相が違ってきます。明らかに国際法違反となるからです。イスラエルのガザ地区に対する民間人にも容赦のない無差別攻撃は、ジェノサイド、戦争犯罪、人道上の罪、そして、侵略にも該当する程に凄まじいものです。トランプ大統領の発言がイスラエルによる軍事作戦の一環としてのガザ住民追放政策に対する協力であることは明らかですので、アメリカは、国際犯罪の‘共犯国’になりかねないのです。

 国際法違反の観点からしますと、日本国政府がガザ住民を受け入れるとすれば、日本国も‘共犯国’の一国に名を連ねることになります。しかも、多くの人々が指摘しているように、ガザ住民が日本国内の居住者となるとすれば、受入側の日本国民の財政並びに社会的な負担も計り知れません。受け入れ国が出身国でもないという点では、明らかなるダブル・スタンダードにもなります。重税に苦しむ日本国民の反発を買うのは当然であり、むしろ、国民の否定的な反応を全く予測も考慮もしない日本国政府の態度には空恐ろしくなるのです。

 時系列的にみますと、日本国政府、否、石破首相が唐突にガザ住民の受入を検討しはじめたのは、トランプ大統領からの要請があったからなのでしょう。到底、同首相自らの発案であったとは考えられないからです。岩屋外相による中国人ビザ緩和に際しても、自民党内でさえ寝耳に水であったことが判明していますが、今般のガザ住民受け入れについても、トップ・ダウン形式での首相本人への直々の要請、あるいは、在日米大使館等を介して連絡があったのかも知れません。受入検討の表明の場は衆議院予算委員会なそうですので、自民党の党内でもメディアの報道で初めて同案を知って驚いたという議員も少なくないことでしょう。

 アメリカ政府からの要請を日本国政府が二つ返事で引き受けるケースは今回が初めてではないのですが、国際法違反行為への加担を要求され、日本国民の民意が完全に無視されるともなりますと、既に一線を越えてしまっている観があります。日米同盟の絆をもって許容されてきた対米協力も、あたかも属国のような扱いを受け、かつ、日本国民に負担のみが押しつけるようでは、忍耐も限界に達してしまうことでしょう。かくして、日本国の国益重視や伝統の尊重を掲げ、保守党を名乗ってきた自民党は、自国を属国化したことにおいて日本国民に対する背信者となると共に、‘傀儡’にして‘偽旗政党’という自らの正体を明かしてしまったことにもなります。

 もっとも、石破首相をはじめとした日本国の政治家の大半が、アメリカの‘傀儡’であると判断するのは早計かも知れません。何故ならば、トランプ大統領は、イスラエル、すなわち、ユダヤ人のためにアメリカの大統領権限を行使しているからです。つまり、トランプ大統領自身もまた‘傀儡’なのであり、全世界に張り巡らされている指揮命令系統のトップに座しているのは、世界権力とも称されるユダヤ系グローバリストである可能性が高いのです。おそらく、世界権力の得意技は二頭作戦ですので、アメリカの基本的なユダヤ・ファーストの外交政策は、民主党政権時代と大差はないでしょう。否、過激化しているようさえ見えます。今や、日本国民も、‘陰謀論’という世論誘導策に惑わされることなく、自国の政治家の傀儡化、並びに、自国の属国化の危機を現実として受け止め、この問題に正面から向き合うべきではないかと思うのです。

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米価高騰は農政改革と関連するのか?

2025年02月03日 12時21分14秒 | 日本政治
 多くの人々にとって、経済の仕組みが複雑に感じられ、分かりづらいのは、国民に公開されていない情報があまりにも多いからなのではないでしょうか。現実には、国民の目には見えないところで、教科書に記述されている範囲の知識や情報を遥かに超えた活動が幅広く行なわれているのですから。

 例えば、今般の米価高騰を見ましても、日本国民の多くは、何故、かくも米価が高騰するのか、その理由が分からない状態に置かれています。その理由は、お米に関する生産から小売りまでのあらゆる段階に加え、金融まで関わる不透明な部分、即ち、‘謎’が多いからです。例えば、日本農業協同組合(農協)や農林中央金庫(農林中金)の問題は今に始まったことではありませんが、外国債権の投資の失敗で生じた凡そ2兆円ともされる農林金庫の損失は、一体、どのような経緯で生じたのかも、謎の一つです。同金庫は、米国債を中心に外国債券を運営してきたと報じられていますが、大量の米国債を保有しているとの説が正しければ、円安によってむしろ含み益も生じているはずです。また、他の金融機関では米国債保有を理由とした巨額損失のお話は聞きませんので、農林金庫のみがかくも巨額の損失を被ったことに首を傾げざるを得ないのです。

 この件に関しては、同巨額損失を受けて、農林水産省の有識者検証会が、農林中金のリスク管理体制を問題視し、理事会への外部有識者の参加等を提言しています。同提言の内容は、巨額損失の再発防止策なのですが、ここで思い起こされますのは、小泉進次郎議員が農水相を勤めていた際に、農協の解体を主張していたことです。確かに、農協の存在にも多々問題があるものの、その一方で、この改革案、どこか、小泉純一郎首相が断交した「郵政民営化」に伴う郵政事業の解体を連想させるのです。農協とは、今般の巨額損失事件の発生現場となったように、貯金、融資、各種保険をも扱う金融部門を含む総合事業体です(農産物の集荷事業も、郵便物の集荷に類似している・・・)。総資産が100兆円を超える巨大なる機関投資家でもあるのです(貸出金残高約18兆円、預金残高約60兆円)。

 郵政民営化については、郵政事業の金融部門を海外の金融勢力に明け渡したとする批判もあり、小泉政権が、国民の利益を慮って行なったのかは疑わしいところです。今般の農水省の有識者検証会が、外部人材の登用に加え、安定よりも利潤重視の方向にポートフォリオの見直しを求めたのも、それが、さらなる‘日本国の金融市場の開放’を意味するからなのかも知れません。海外、つまり、金融勢力であるグローバリストの利益が絡みますと、何故か、政治・行政サイドの動きが素早くなるのです。問題視されているのは、米価高騰ではなく、農林中金の巨額損失なのですから。

 このように考えますと、先の自民党の総裁選挙にあって、背後から支援していた小泉進次郎氏が敗北したことから、グローバリストは、農林中金への内部への浸透、あるいは、別の方向からの‘農協解体’に作戦を変えたとする推測も成り立つように思えます。今後、今般の巨額損失や米価高騰の責任を問われる形で、農協の解体、あるいは、分割を求められるという展開もあり得ないわけではありません。そして、この改革の対象は金融部門に限られるわけではなく、その先には、小泉元農相の方針の如く、輸出可能な米作への転換という目的も含まれているとも推測されましょう(当初の目的は、米価引き下げによる輸出競争力の強化であったものの、今日では、国内の高価格を維持しつつ、別ルートで海外への輸出が拡大しているらしい・・・)。

 先ずもって、農林中金の巨額損失は、何故、発生したのか、その詳細を解明する必要がありましょう。そして、それは、単なる一金融機関の運営失敗に留まるものではないように思えるのです(つづく)。

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米価高騰は国会で調査を-国政調査権の行使

2025年01月31日 10時52分57秒 | 日本政治
 米価高騰は、川柳にも詠まれて話題になるほどの国民の関心事となっています。昨年秋の収穫時期を過ぎても価格が下がらないのですから、この先を案じる国民は少なくないはずです。高止まりどころか、さらなる値上がりを予測する声もあり、国民の不安は募るばかりです。しかも、米価高騰の原因やメカニズムにつきましては、政府からの国民に対する明確なる説明もないのです。

 このため、マスメディアであれ、ネットであれ、様々な憶測が飛び交うこととなりました。本ブログでも、先物取引原因説を唱えたのですが、詳細な情報も専門知識も欠ける上に、昨年春頃から始まる農林中央金庫の巨額損失、大阪堂島商品取引所での先物取引の復活、SBI証券の参入、買い占めの誘発など、関連性が強く疑われる一連の出来事からの推測に過ぎません。国民生活に直結する大問題でありながら、国民の誰もが、何故、お米の価格が上昇し続けているのか、その理由を知らないのです。

 政府は、食糧の安定供給について責務を負っていますので、主食である米価の高騰は、農政の問題、つまり、政治問題でもあります。ところが、現状を見る限り、日本国政府は、説明責任の無視に加え、何らの効果的な対策をも打たずに今日に至っています。米価高騰が始まってからかれこれ半年以上の月日が経っているにも拘わらず、どうしたことか、放置状態が続いているのです。昨今、ようやく政府備蓄米の放出を検討に至ってはいるものの、政府は、黙認状態を続けるのでしょうか。

 政府の不作為は、国民に対する統治責任の放棄であり、怠慢を理由とした行政訴訟が起きてもおかしくはないのですが、先ずもって問題となるのは、冒頭で述べたように米価高騰の原因が不明である点です。否、様々な説が飛び交い、原因が不確かである状況を利用して、政府が対策を怠っている節もあります。その一方で、この原因不明の状況は、別の解決手段に訴えるチャンスともなり得ます。それは、国会による対応です。

 国会と言いますと、憲法において立法機関と位置づけられているため、衆参何れの国会議員であれ、法律の制定や改正に専念しているというイメージがあります。それが、たとえ法案の採決に際して議場で一票を投じるだけであっても。しかしながら、議会には、一般的に国政調査権という権限があります(日本国憲法では第62条)。これは、議会が政府をチェック(制御)する権限であり、政府や行政機関に何らかの不正や違法行為等が疑われたり、国民の利益のために必要とされる場合、議会は、当該問題について厳正なる調査を実施することができます。諸外国では、より中立・公平性を確保し、客観的な立場から調査が実施されるように、専門家から構成されるオンブズマンを設けるケースもあり、重要な議会機能の一つに数えられています。

 国政調査権を行使するならば、最も標準的な方法は、衆参何れであれ、農林水産委員会が同調査を担うというものです。現在、衆議院の同委員会では40名の議員がメンバーとなっており、参議院では20名ほどです。これらの委員を務める議員が、率先して米価高騰の問題に対処すべきなのですが、現状にあって、政府の怠慢を追求することも、自ら対処しようとする姿勢を見せないところに、与党であれ野党であれ、今日の日本国の政治家の無責任さが伺えます。

 また、国会として米価高騰問題を扱う第三者委員会を設けるという方法もありましょう。これは、上述したオンブズマン形式に近いのですが、複数の専門家を委員として任命し、広範な調査権を与えるというものです(調査結果に基づき、具体的な対策についても提言権を与えることも・・・)。国会議員には内外からの圧力がかかりますし、利権も絡むことがありますので、中立公平な調査を実施するには、農林水産委員会よりも特別に調査委員会を設置する方が適していますし、国民も調査結果に対して信頼を置くことでしょう。

 今般の異常なまでの米価高騰は、複合要因説が唱えられるほど、不透明感が漂っています。国民の多くが不信感を抱いているのですから、政府のみならず、国会も、即、対応に乗り出すべきなのではないでしょうか。国会もまた沈黙を決め込んでいるとしますと、国民の政治不信も米価と同様に上がり続けるのではないかと思うのです。

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米価高騰の原因は投機?

2025年01月27日 12時08分12秒 | 日本政治
 昨年から続いてきた米価の高騰は、秋の新米の収穫時期を過ぎ、年が開けても収まる気配はなく、国民の家計を圧迫し続けています。お米は主食なだけに、とりわけ所得の低い世帯や子育て世代では、お米の購入を諦めるか、控えざるを得ない事態に直面しています。多くの国民が早期の正常化を期待してきたのですが、政府の動きは余りにも鈍く、国民の苦境を敢て黙認してきた観さえあります。

 ここに来てようやく江藤拓農林水産大臣も、買い戻しの条件付きながら政府備蓄米の放出を口にするようになりました。去年の夏には、坂本元大臣が‘新米が出荷になるので米価高騰は落ち着くので、備蓄米は放出しない’旨を説明していましたので、江藤大臣は、米価の高騰の主たる原因が、需給バランスにおける後者の不足にあるわけではないことには気がついたようです。

 実際に、お米の作柄については、昨年の2024年12月10日に、農水省が「024年産米の収穫量が前年比2.7%増の679万2000トン」と発表しています。そもそも、供給不足とされた去年でさえ、添付されていたグラフを見ますと、平年を著しく下回っているわけでもありません。本当のところは、かくも急激な価格上昇をもたらすほどの不作や凶作ではなかったにも拘わらず、米価格が高騰してしまったのが実情なのでしょう。

 収穫高に然程の変動がないにも拘わらず、米価高騰を招いた原因としては、インバウンドの回復、猛暑の影響、円安による輸入資材の値上がり、国際市場における肥料価格やエネルギー価格の上昇なども挙げられてきました。しかしながら、他の産物や製品分野と条件を比較しますと、何れも説得力に欠けています。複合要因説も唱えられているのですが、うるち米の価格だけが上昇するのは、如何にも不自然なのです。

 そこで、本ブログでは先物取引が原因ではないかと推理したのですが、それは、まさに米価高騰が始まった時期と大阪堂島商品取引所にて「コメ指数先物」が復活した時期と凡そ一致するからです。もちろん、‘偶然の一致’ということもありましょう。しかしながら、米価格の急激な上昇がマネー現象である限り、米市場への巨額の資金の流入、あるいは、投機的マネーの動きを想定せざるを得ないのです。

 投機的行動を主因とする見方については、日刊ゲンダイのデジタル版にあって、本日、「一般的なコメが5キロ5000円も…価格高騰で「コメ転がし」マネーゲーム化の動き」というタイトルの記事を発見しました。同記事では、先物取引ではなく、現物取引における投機的行動を問題視しているのですが、投機マネーが米市場に流れ込んでいるのは事実なのでしょう。

 同記事によれば、お米が最長で2年間は保存できるため、相場の値動きを意識して売却せずに「囲い込み」が行なわれているそうです。この「囲い込み」の主語が、卸売業者なのか、仲買人なのか、農家なのかは明記されておらず、あるいは、凡そ1.5兆円ともされる巨額の損失を抱え込んだ農林中央金庫(農林中金)なのかもしれません。また、堂島の先物取引にはSBI証券や内外の投資家が参加していますので、背後にあって「買いヘッジ」に賭けている人々による「囲い込み」誘導や供給阻害もあり得る推測です。

 何れにしましても、異常なまでの米価高騰は、国民の困窮をよそに、自らの利益を追求している一部の少数の人々の存在を示唆しています。そして、これが‘お米バブル’とも言えるマネー現象であるとしますと、政府の備蓄米放出には複雑な要素が絡んでくるとともに、国民のための軟着陸という課題も浮かんでくるのです(つづく)。

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‘政府の嘘’が最大の問題では-陰謀論作戦の背景

2025年01月24日 11時57分51秒 | 日本政治
 ドナルド・トランプ米大統領が近日中の解除を約したケネディ大統領暗殺事件に関する機密文書については、おそらくウォーレン委員会の最終報告とは違った内容を含むのでしょう。仮に同報告書と何らの矛盾も齟齬もない文書であれば、かくも厳重に機密扱いする必要がないからです。かくして人々の関心も自ずと高まるのですが、今般の一件は、‘政府の嘘’の問題をも提起しています。

  今日、メディアでは、‘陰謀論’を見出しに含む記事が定期的に流されています。何れも、‘陰謀論’に嵌まってしまった家族や知人、あるいは、陰謀論が流布する現状を嘆くものであり、これらの記事からは、暗に‘陰謀を信じる人々を一般社会から排除しよう’あるいは‘まともに取り合ってはならない’とするメッセージが伝わってきます。執拗なまでの頻繁な記事に、これこそ世論誘導のための陰謀なのではないか、と疑うレベルなのですが、これらの筆者の何れも、我こそは常識的な国民の代表’とばかりに懐疑論者の異常性をアピールしているのです。もっとも、極端な主張を繰り返すQアノンあたりになりますと、‘偽旗作戦’の可能性も高くなるのですが・・・。

かくして、陰謀の可能性の指摘を‘同調圧力’によって封じようとする動きが見られるのですが、これらの封印‘活動’には、一つの共通点があるように思えます。それは、何れも国家や政府が情報の発信者として関わっている点です。国民を思考停止に追い込むための陰謀論作戦の発端がケネディ大統領暗殺事件にあったとする指摘がありますように、政府の情報に対して国民から嫌疑がかけられる場合、陰謀論攻勢が激化するのです。

 アメリカ国民の大多数がオズワルド単独犯行説に疑いを抱いているように、日本国でも、政府の説明をそのまま信じることができないような事件は多々あります。今日、コロナワクチンに対する様々な陰謀説が飛び交っているのも、そもそもは、当時の河野太郎新型コロナワクチン接種推進担当を筆頭に、政府が、同型のワクチンの安全性を宣言したところにあります。ところが、実際には、国民の間で多数の健康被害が生じており、死亡者数も認定を受けた数だけで1000人に迫っています。超過死亡数も増加が指摘されており、政府の‘宣伝’に騙されたと感じる国民も少なくありません。そして、陰謀論論争の主戦場の一つが同ワクチンにあることは、誰もが知るところです。

 もう一つ、分かりやすい事例を挙げるとすれば、それは、安部元首相暗殺事件です。ケネディ大統領暗殺事件について調べますと、銃器による暗殺が如何に凄惨であったかを知ることが出来ます。文字にすることも憚れるのですが、銃弾の身体に対する破壊力には誰もが慄きます。ところが、安部元首相は、沿道のビルの一室から射撃されたとされるケネディ大統領よりも遥かに至近距離で被弾したにも拘わらず、著しい身体的な損傷を受けてはいません。銃社会であるアメリカにおいて倒れた元首相の様子や現場が放映されれば、政府が厳正なる調査の結果として公表したとしても、誰もが、山上容疑者による単独犯行とは信じないことでしょう。

 「陰謀論」が政府関連の事件に集中しているとしますと、‘政府は嘘を吐いており、何らかの情報を国民に隠している’と考える人が出現してもそれはおかしいことではありません。そして、悪意のないホワイトライというものがあることはあるものの、人が嘘を吐く場合とは、得てして自らに都合が悪い場合が圧倒的に多数を占めます。陰謀説が流れることは、国民からしますといたく自然の現象であり、レッテル張りに躍起になる「陰謀論」の方が余程不自然なのです。

 政府の嘘が、国民に対して何かやましいことがあり、巨額の利権をも絡む謀略や犯罪をも強く示唆しているとしますと、国民は、‘騙されたふり’をしてはならないように思えます。政府が国民を騙し仰せたと確信しますと、何度でも、事実を隠すためのカバーストーリーの作成や虚偽の説明を繰り返すからです。そして、国民は、政府は何を隠そうとしているのかを冷静に洞察し、正真正銘の陰謀や政治家の汚職が絡んでいる可能性を追求してみるべきなのではないでしょうか。近い将来、政府の発表や報道に疑問を呈する国民を「異常者」として排斥するような陰謀論作戦が発動した時こそ、国民が、陰謀の実在を確信する時となるのかもしれません。

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危険に満ちた中国人観光ビザ緩和

2025年01月21日 14時45分30秒 | 日本政治
 昨年2024年12月25日、日本国の岩屋毅外相は、訪問先の北京にて中国人向けの観光ビザを大幅に緩和する方針を示しました。日本国民にとりましては寝耳に水であり、国民的合意を欠いた政府の独断・独走であることは明白です。これでは、国境管理に関する措置ですので、住民から鍵と管理を預かる門番が、自分の利益のために勝手に門の扉を開けてしまったようなものです。さすがに日本国内の世論も同措置に反発し、岩屋外相、否、日本国政府に批判が集中することにもなったのですが、中には、経済効果を期待して、同措置を千載一遇のチャンスを掴んだとして評価する声も聞えます。日本国に多大なる利益をもたらすというのです。


 対中ビザ緩和策に対する日本国利益論の根拠となるのは、同緩和策の目玉となる富裕層を対象とした10年間の有効期間を持つ「観光マルチビザ」の新設です。有効期限内であれば、自由に日中間を往来できる「観光マルチビザ」には、これまでも有効期限が3年のものと5年のものがあったのですが、今般、日本国側は、新しく大幅に有効期限を長期化した10年のものを設けたのです。同ビザは、「取得するための年収や保有資産の条件を高く設定する」としており、発給対象者は富裕層に絞られているため、富裕層の来日数の増加がインバウンドによる経済効果も見込まれると言うことなのでしょう。しかしながら、同措置には、多大なるリスクが潜んでいるように思えます。


 先ずもって、同緩和措置にあっては、同時に65歳以上の中国人には在職証明書を求めない方向にも変更されています(3年ビザも5年ビザも含めて)。この緩和措置は、医療目的で入国する中国人高齢者の増加を予測させるに十分です。中国人高齢者が、予約した診察日に間に合うように入国し、先端的な医療設備を備えた日本国内の病院で治療を受け、その足で帰国することも容易になります。その一方で、近年、日本国の医療保険制度や高額療養費制度によって利用されるケースが増え、既に政治・社会問題化しています。もっとも、2020年から健康保険法等の一部改正に伴って、外国人の被扶養者については国内居住要件が追加されましたので、観光ビザ緩和に際しては悪用増加の心配は不要かも知れません



 また、同緩和措置を擁護する説としては、中国の共産党一党独裁体制の崩壊をも視野に入れた、中国人富裕層の日本国への逃避準備論もあります。擁護論者は、同憶測に基づいて、富裕者が日本国内にあって増えるのだから、日本国民は歓迎すべきこととしています。しかしながら、現崩壊の如何を問わず、この説も危険極まりありません。何故ならば、今日の政界の状況を見れば誰もが予測できるように、日本国の政治家の多くは、マネー・パワーによって易々と動かされる存在です。日本国を避難先とした富裕層は、金権体質の日本国の政治家に対して積極的に働きかけをすることは目に見えています。もちろん、在日中国人への手厚い保護や優遇措置のみならず、社会保険制度をはじめ様々な‘規制緩和’を求めてくることでしょう。もちろん、日本国の不動産や企業等の多くも、中国人所有や経営が激増するかも知れません。


 実際に、東南アジア諸国の多くは華僑系の人々に経済を握られていますし、アメリカやヨーロッパ諸国を見ましても、マネー・パワーにおいて他を圧倒する少数のユダヤ系の人々が、政治のみならず社会全体を牛耳っている感もあります。しかも、中国人の富裕層は、共産党員や党関係者が多数を占めることを考えますと、そのマネー・パワーは、日本国内への共産主義の浸透をも意味するかも知れません。あるいは、今般のビザ取得の緩和措置には、中国共産党とも利権を共有してきたグローバリストの思惑も絡んでいるとも推測されましょう。


 以上に述べてきましたように、岩屋外相によるビザの緩和措置は、「戦略的互恵関係」も基づくものと説明されながら、その実、どこにも互恵性が見られません。中国側は、コロナ感染防止対策として2020年~日本人向けに設けていた短期滞在ビザの免除措置を再開したに過ぎないのですから。しかも、中国では、目下、ヒトメタニューモウィルス感染症が拡大しているのですから、日本政府は、ビザの観光ビザの緩和ところが強化に努めるべき局面にあります。日本国政府は、一体、誰のために働いているのでしょうか。


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「日本の不動産に1兆円」-投資ファンドはグローバリストの先兵?

2025年01月20日 11時58分12秒 | 日本政治
 「日本の不動産に1兆円」とは、昨日1月19日付の日本経済新聞の一面に掲載されていた記事の見出しです。同記事の内容は、アジア系投資ファンドのPAG(Pacific Alliance Group)が、今後3年間において1兆円規模の日本国内の不動産投資を予定しているとするものです。

 PAGは、不動産や未公開株等を主たる投資先とする代替投資会社と称される投資ファンドの一種あり、プライベート・エクイティ・ファンドとも呼ばれるものです。プライベート・エクイティ・ファンドについては、債務不履行の窮地に陥った貧困国から同国が発行した公債を買取り、債務削減交渉を拒絶して容赦なく債務返済を迫る行為がこれまでの問題視されてきており、この側面だけを見ましても、全てではないにせよ、投資ファンドというものの植民地主義的な行動パターンが伺えます。

 さて、PAGの歩みをみますと、同社は、まさしくグローバリズムの発展と軌を一にしています。同グループは、2002年にイギリス人のクリス・グラデル氏等が設立したパシッフィック・アライアンスを前身としており、2010年に不動産部門の投資ファンドであり、ジョン・ポール・トッピーノ氏が代表取締役社長を務めてきたセキュアード・キャピタル・ジャパン(1997年設立)と合併し、同年、共同創設者となるウェイジャン・シャン(単偉建)氏もプライベート・エクイティ部門を設立し、PAGに加わっています。現在、クリス・グラデル氏、ジョン・ポール・トッピーノ氏、並びに、単偉建氏が共同創設者とされ、同グループの株式の過半数もこれら三者によって所有しているとされます。

 PAGは、香港に本社を置き、東京、上海、ソウル、シンガポールにも支店を設けていますので、紙面に見られる‘アジア系ファンド’という表現は、その地域的な投資ターゲットに起因します。今般の対日投資では、その説明に当たったのはトッピーノシ氏であったのですが、本社が香港ということもあり、中国との関係が極めて深いことも、同グループの特色です。共同創設者以外の幹部の顔ぶれを見ましても、姓名をから判断しますと、9人の内6人は中国系のようです。そして、ここで注目されるのは、同グループの代表取締役会長である単偉建氏です。

 香港に本社がありますので、多くの人々が、単偉建氏は香港系の中国であり、元より西欧の価値観に馴染んできた人あろうと想像することでしょう。ところが、経歴を調べてみますと、この人物像は音を立てて崩れてゆきます。同氏は1954年に北京市で生まれており、文化大革命の嵐が吹き荒れる時代に中国本土で育っているのです(同時期には、内モンゴルに下放されている・・・)。習近平国家主席とは、同世代となりましょう。1975年には北京に戻り、対外経済貿易大学で学ぶのですが、その後アメリカに留学し、サンフランシスコ大学を経て最終的にはカリフォルニア大学バークレー校でPhD.を取得しています。1987年からは、ヤング・プロフェッショナル・プログラムのメンバーとして世界銀行の投資部門に勤務し、ペンシルバニア大学で6年間教鞭を執った後、1993年から1998年までの期間はJ.P.モルガンに活動の場を得ています(マネージング・ディレクター兼中国担当責任者の職も兼任)。

 ここまでの経歴を見ますと、投資畑一筋で生きてきたようなイメージを受けるのですが、日本国内ではあまり知られていないものの、同氏は作家でもあります。2019年に出版した、自らの自叙伝とも言える『Out of the Gobi: My Story of China and America』をはじめ、『マネー・ゲーム』や『マネー・マシーン』といった多数の著作もあります。しかも、大英博物館の理事を務める文化人でもあり、どこか、‘グローバルな人脈’を覗わせるのです。加えて、同氏は、現在、香港証券取引所の国際諮問委員会の委員であると共に、アリババ・グループにあって社外取締役をも勤めてもいます。

 PAG、並びに、同氏の背景を探ってゆきますと、そこには、中国共産党、香港、イギリス、アメリカ、世界銀行、ユダヤ金融財閥、証券取引所、プロパガンダといった、東インド会社をも彷彿されるようなグローバリズムのキーワードが至る所にちりばめられていることに気付かされます。そして、PAGの日本国内での‘ミッション’が、データセンターの開発用地の確保や日本企業が保有する社員寮等の買取である点を考慮しますと、同社の投資によって、日本国内における‘デジタル支配’が強化されると共に、取得後の転売を含め、中国人をはじめとした外国人による日本国の土地所有が加速されることとなりましょう(地価高騰にも拍車をかけ、一般の日本国民には手がとどかないものに・・・)。

 投資ファンドの役割がグローバリストの先兵であるとしますと、グローバリズムの侵害性について議論を深めると共に、日本国政府は、こうしたファンドの活動に対しては法的規制を課すべきなのではないでしょうか。そして、この現実を目の当たりにしますと、政治家やメディアが煽る米中対立もどこかお芝居じみて見えてくるのです。

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中国人東大生12%の衝撃-グローバリズムの理不尽

2025年01月17日 11時30分23秒 | 日本政治
 報道に寄りますと、東京大学の中国人学生は、学部と大学院を合わせて3,396人に上るそうです。全在学生の数が凡そ27500人とされていますので、実に12%が中国人学生と言うことになりましょう。日本国政府は、長年に亘り、中国人留学生の受け入れ拡大を政策的に推し進め、今日では、多様性の尊重を旗印にグローバリズムの先鋒と化していますが、この数値は、グローバリズムが如何に一般の国民にとりましては不経済であり、かつ、リスクに満ちているかを実数で表しているように思えます。

 グローバリズムを金科玉条の如くに信奉している人々は、この数字をグローバリズムの成果として見なし、頬を緩ますかも知れません。また、大学の国際ランキングでは多様性は重要な評価基準ですので、中国人を筆頭とする外国人の在籍者数の増加は、ランキングアップに血眼になってきた大学側にとりましても、これまでの努力を示す誇らしい数字なのかも知れません。あるいは、リベラリストの視点からしますと、外国人差別がなくなった証とも映ることでしょう。また、より冷めた見方からは、中国人学生が公平・公正に実施された入学試験に合格した結果なのだから仕方がない、とする見解もありましょう(その大半は、留学生ではない・・・)。グローバリズムの時代には、もの、サービス、マネー等のみならず、人の移動も国境を越えて自由化されますので、これらの人々の頭の中では、この12%の数字は、理想に一歩近づいたことを意味するのです。

 しかしながら、その一方で、近年、グローバリズムに対する批判の声が高まってきており、今般のアメリカ大統領選挙にあってドナルド・トランプ前大統領が返り咲いた背景にも、反グローバリズムに傾斜したアメリカ国民の世論の後押しがありました。アメリカのみならず、各国とも、政府と一般の国民との間にはグローバリズムに対する評価が必ずしも一致せず、後者は、むしろ、反グローバリズムに傾く傾向にあるとも言えましょう。それもそのはず、一般の国民は、グローバリズム原理主義を押しつけられた結果、理不尽な事態にしばしば直面するからです。

 中国人東大生12%の現実も、この理不尽な事態の一つと言えましょう。何故ならば、先ずもって東京大学は国立の大学であり、昨今、独立採算制への動きがあるものの、施設の維持費であれ、研究費であれ、事務経費であれ、多額の国費が投入されているからです。言い換えますと、東京大学の運営を支えているのは、税を納めている日本国民であるにも拘わらず、少なくともその12%は(中国人以外の諸国の出身学生を合わせると%はさらに上がる・・・)、外国人の教育に投じられているのです。

 日本国内の人口比からしましても過剰な中国人学生数は、日本国民にとりましては、納得も合意もできない税負担となります。自らへのリターンはほとんどゼロであり、中国人のために税負担を強いられているに等しくなるからです。財政とは、受益と負担のバランスが崩れますと公平性や税徴収の正当性が失われ、一種の‘国民搾取’となりますので、負担者側、つまり国民の不満が高まるのは当然の反応なのです(日本国民には、フリーライダーとして認識される・・・)。中国人学生の増加は他の国公立大学でも見られますので、日本国民の負担は重くなる一方と言えましょう。

 しかも、スパイや工作員の潜入による安全保障上のリスクのみならず、今般の日本製鉄によるUSスチール買収計画とそのアメリカ側による禁止措置が、双方の国民感情を刺激したように、それは国民間の摩擦や対立要因ともなります。つまり、理想論が説くようにグローバリズムを進めれば進めるほど人類が一つの世界市民として融合し、人種、民族、宗教、国籍等の違いを越えて皆仲良くになるのではなく、現実に国家という政治的枠組みが存在している以上、逆に、双方の国民の相手国に対する感情を悪化させるケースも大いにあり得るのです。この現象も、グローバリズムのパラドックスの一つなのですが、中国の精華大学の在籍者数の12%が日本人学生や院生によって占められたとしますと、おそらく恐ろしいほどの反日運動や排日暴動に発展することでしょう。

 グローバリズムが是認する国境を越えた自由移動には、人類の普遍の倫理・道徳観に照らしますと、侵害性を伴うと言わざるを得ない側面があります。マネーやサービスの移動自由による経済的支配力の浸透のみならず、人の自由移動を介しても、他国の財政や教育・研究資産等を浸食するからです(外国人による日本国の健康保険の利用も問題に・・・)。この由々しき状況を是正するには、先ずは理詰めでグローバリズムの理不尽さを説明し、かつ、相互的に独立性や自尊心を尊重し、権利として保護することの重要性を理解してゆく必要があると思うのです。

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USスチールの買収は断念が賢明では?

2025年01月07日 10時22分40秒 | 日本政治
 アメリカのバイデン大統領が下した日本製鉄によるUSスチール買収禁止の決断は、目下のところ、日本国内において対米感情を悪化させているようです。当事者である日本製鉄も、日本国政府の後押しもあってか、アメリカ政府を相手取って訴訟を起こす方針を固めています。同件について日本国側の主要な批判点の一つは、日本企業に対して安全保障上のリスクが指摘されたことです。同盟国でありながら、アメリカの安全を脅かす存在として日本企業が認識されたからです。しかしながら、日本国側の批判には、日本国自身をも窮地に陥れるような幾つかの問題点を含んでいるように思えます。

 アメリカの制度には、海外企業による自国企業の買収について審査を行なう対米外国投資委員会(CFIUS)が設けられています。日本製鉄側は、同手続きの不備を問題視すると共に、買収禁止が大統領による恣意的な政治的判断であったとして、これを違法行為として咎めています。

 もっとも、日本製鉄側が発表したステートメントを読む限り、CFIUSが審査に際して関心を寄せていたのはアメリカ経済へのマイナス影響であり、このため、買収条件としてUSスチールの‘アメリカ色’の維持を約束しています(労働者の雇用の維持、アメリカ国籍のCEOの確保、アメリカ国内への投資・・・)。その一方で、同委員会は、ジェラルド・フォード大統領が1975年に大統領令をもって設立した機関であり、商務省のみならず、国防総省や国務省など16の省庁の代表から構成されています。政治的要素が排除されているわけではなく、仮に、今般のバイデン大統領の買収禁止命令が、日本製鉄側の主張とは異なり、法律に則ってCFIUSの審査を経ているとすれば、日本製鉄側に、同委員会がリスクと見なした要因があることとなりましょう。

 日本国側は、日本製鉄によるUSスチールの買収は、グローバル市場における中国企業のシェア拡大に対抗するための‘日米連合’と見なし、今般の買収措置はこのチャンスを逸したものとして憤慨しています。しかしながら、日本製鉄と中国との関係を見ますと、1972年に始まる日中国交正常化以来、両者の間には密接な協力関係が構築されてきました。昨年2024年7月に、日本製鉄は中国の宝山鋼鉄との合併事業を解消はしたものの、中国を世界最大の粗鋼生産国に育てたのは日本企業と言っても過言ではありません。日本製鉄側にも、中国との関係をリスクとして認定され得る過去がありますので、裁判の過程でアメリカ側から証拠として事実の指摘を受ける可能性もありましょう(宝山鋼鉄は、国有企業にして世界第一位の宝鋼集団の子会社であり、むしろ、中国の利益のために保有株式を‘譲渡’したとの見方もあり得る・・・)。

 第二の問題点は、アメリカの国民感情です。アメリカ側からの買収拒絶に対しては、日本国側の対米感情を悪化させたことは否めません。しかしながら、仮に、アメリカ政府が同買収を許可し、日本企業によるアメリカ企業の買収を認めたとしますと、逆にアメリカの対日感情の悪化は必至となりましょう。今を遡ること36年前の1989年10月に、日本企業の三菱地所がアメリカの象徴的建造物とも言えるロックフェラー・センターを買収した際には、アメリカ国民の強い反感を買うことにもなりました。同盟関係にあり、かつ、合法的な買収であったとしても、他国企業による自国の象徴的存在が海外企業に買い取られるともなりますと、その国の国民が心穏やかでいられるとは限りません。先のアメリカ大統領選挙にあって、共和民主両候補者ともに日本製鉄の買収阻止においては一致し、自らへの支持を訴えたのも、アメリカの愛国心とも言える国民感情に応えようとしたのでしょう。感情面に配慮しますと、アメリカ大統領の政治的判断とは、自国企業の保持を願う民意に応えたものであり、民主主義国家としての当然の対応とも言えなくもないのです。

 そして、世論に従って自国企業の保護を優先するアメリカ政府の対応は、日本政府の海外企業の日本企業買収に対する‘甘さ’を浮き立たたせます。これまで、日本国政府は、日本企業のお家芸ともされてきた製造業の分野のみならず、エネルギー分野を含めたあらゆる領域において、まさに安全保障上のリスクが懸念される中国企業による日本企業の買収を許してきました。その一方で、日米同盟の枠内にあっても、日本市場は、KKRやベインキャピタルといった海外投資ファンドの‘草刈場’のような様相を呈しています。今般の買収禁止に憤る保守主義者も多いのですが、安全保障上のリスクも、日本企業の独立性も全く考慮せず、海外企業による自国企業の買収を放任している日本国政府こそ、日本企業も日本国民も問題視すべきであるかも知れません。そして、今般の買収阻止を批判すれば、自らの企業が外国企業に買収されたときに、これを非難も阻止もできなくなりましょう。

 このように考えますと、長期的な視野からすれば、日本製鉄は、USスチールの買収を断念した方が賢明なようにも思えます。そして、この問題は、日本国政府も信奉、あるいは、洗脳されているグローバル原理主義と国民国家体系との相克の問題へと繋がってゆくのです(つづく)。

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選挙公約には‘必須項目’が必要では?

2024年12月31日 12時18分22秒 | 日本政治
 今日の日本国の政治の世界を見ますと、‘権力を握っていれば、何でもできる’とする傲慢さに満ちています。この態度は、与党も野党も変わりはなく、前者が特に‘あこぎ’に見えるのは、政権の座にあるからなのでしょう。選挙期間にあっては平身低頭で自らへの支持をお願いしながら、選挙が終わった途端、支配者然として振る舞うのですから、イギリス人は選挙の間のみが自由であって、選挙が終われば‘奴隷’であるとする、18世紀に生きたジャン・ジャック・ルソーが指摘した通りでもあります。ルソーの時代から250年余りが経過し、民主主義の価値が定着したとされる今日にあっても、民主主義国家の証とされる自由選挙は形ばかりに過ぎないようです。


 それでは、何故、民主主義の制度的な発展は停滞したままであり、国民は、‘奴隷’状態のままに置かれているのでしょうか。もちろん、奴隷という言い方は文字通りの法的身分としての奴隷ではなく、‘他人に自分自身に関する権利を握られている者’、‘他人の意思に従う者’、あるいは、‘一方的に支配される者’という意味合いでの誇張表現ではあります。国民自身も、自らを‘奴隷’とは見なしていないことでしょう。ところが、政治家の国民を見る目は、かつての専制君主や‘奴隷主’の視線と然して変わりはないように思えます。否、現代のテクノロジーからすれば、国民は‘デジタル管理の対象ということなのかもしれません。


 この問題の原因は、先ずもって‘人を選ぶ’という選挙制度の基本的な仕組みそのものに求めることができます。ルソーの言葉が示唆するように、‘奴隷’が‘奴隷主’を選ぶ選挙では、何時までたっても奴隷は奴隷のままなのです。そこで、‘奴隷’が奴隷状態から脱するためには、選挙後にあっても‘奴隷主’の行動を拘束する何らかの仕組みを要することとなります。この点に注目しますと、近年における公約を掲げての選挙は、奴隷状態からの脱出に向けての第一歩ともなりましょう。公約とは、立候補者と有権者との間の半ば一種の‘約束’や‘契約’を意味しますので、選ばれた側がその職にある限り、公約は拘束的に作用するからです。「契約は守られなければならない」はローマ法の格言ですが、人類普遍の人間社会の原則とも言えましょう。


 かくして、公約の作成とその明示は選挙に際して立候補者がすべき作業とも認識されるに至るのですが、公約の掲載のみをもって奴隷状態からの完全に脱却できるわけではありません。(1)極めて内容の乏しい公約(事実上の白紙委任化・・・)、(2)意図的な争点はずしや誘導、(3)公約の‘抱き合わせ販売’、(4)公約内容に関する政党間談合、そして、公約には法的な実行義務がありませんので、(5)公然たる公約違反もあり得ます。かくして、‘敵も然るもの’、公約付き選挙は様々な手法によって悪用・歪曲され、その拘束的な効果を十分に発揮できない状況が続いているのです。


 それでも、公約には、政治家に対する選挙後の長期的な拘束性という効果はあります。完全ではないにせよ、同制度を改善することで、政治家の奴隷主的な態度や意識を改めさせることは不可能ではありません。例えば、公約に‘必須項目’を設けるというのも一案かも知れません。日本国や社会、そして、国民に直接的な影響を与える重要な政策分野については、必須項目として公約への記載を義務付けるのです。例えば、(1)移民政策(国境管理)、(2)防衛・安全保障等の対外政策(3)税制・社会保険制度、(4)公衆衛生(ワクチン政策等・・・)、(5)グローバル化(デジタル化の是非・・・)、(6)憲法改正の対象条文といった、従来、政党や政治家が故意に避ける傾向にあった政策領域についても、立候補者は、自らの立場や主張を明確にしなければならなくなります。


 「オストロゴルスキーのパラドックス」が既に数学的に証明しているように、個別の政策の選択と政党の選択は必ずしも一致せず、この問題は、ゆくゆくは政策別選択を可能とする制度の構築を要するのですが、少なくとも、現状にあっては、公約における必須項目の設定は、公約にまつわる幾つかの問題を軽減させることでしょう。来る年が、真の意味、すなわち、自由なる日本国民による政治に向けての政治改革の元年となることを願いつつ、本年最後のブログ記事を締めくくりたいと思います。拙い記事ながら、お読みくださいましたこと、心より感謝申し上げます。


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