万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

危険に満ちた中国人観光ビザ緩和

2025年01月21日 14時45分30秒 | 日本政治
 昨年2024年12月25日、日本国の岩屋毅外相は、訪問先の北京にて中国人向けの観光ビザを大幅に緩和する方針を示しました。日本国民にとりましては寝耳に水であり、国民的合意を欠いた政府の独断・独走であることは明白です。これでは、国境管理に関する措置ですので、住民から鍵と管理を預かる門番が、自分の利益のために勝手に門の扉を開けてしまったようなものです。さすがに日本国内の世論も同措置に反発し、岩屋外相、否、日本国政府に批判が集中することにもなったのですが、中には、経済効果を期待して、同措置を千載一遇のチャンスを掴んだとして評価する声も聞えます。日本国に多大なる利益をもたらすというのです。


 対中ビザ緩和策に対する日本国利益論の根拠となるのは、同緩和策の目玉となる富裕層を対象とした10年間の有効期間を持つ「観光マルチビザ」の新設です。有効期限内であれば、自由に日中間を往来できる「観光マルチビザ」には、これまでも有効期限が3年のものと5年のものがあったのですが、今般、日本国側は、新しく大幅に有効期限を長期化した10年のものを設けたのです。同ビザは、「取得するための年収や保有資産の条件を高く設定する」としており、発給対象者は富裕層に絞られているため、富裕層の来日数の増加がインバウンドによる経済効果も見込まれると言うことなのでしょう。しかしながら、同措置には、多大なるリスクが潜んでいるように思えます。


 先ずもって、同緩和措置にあっては、同時に65歳以上の中国人には在職証明書を求めない方向にも変更されています。この緩和措置は、医療目的で入国する中国人高齢者の増加を予測させるに十分です。中国人高齢者が、予約した診察日に間に合うように入国し、先端的な医療設備を備えた日本国内の病院で治療を受け、その足で帰国することも容易になります。その一方で、近年、日本国の医療保険制度や高額療養費制度によって利用されるケースが増え、既に政治・社会問題化しています。その多くは、中国人が経営・管理ビザで入国し、会社を設立した上で同制度に加入してこれを利用するというパターンなのですが、今後は、日本国の社会保険にあって被扶養者の資格を持つ高齢の両親や親族が、続々と日本国内に入国するかもしれません。同措置は、個人ビザを対象としていますので、‘富裕要件’は課されず、3年ビザでも5年ビザでも適用になります。


 また、同緩和措置を擁護する説としては、中国の共産党一党独裁体制の崩壊をも視野に入れた、中国人富裕層の日本国への逃避準備論もあります。擁護論者は、同憶測に基づいて、富裕者が日本国内にあって増えるのだから、日本国民は歓迎すべきこととしています。しかしながら、現崩壊の如何を問わず、この説も危険極まりありません。何故ならば、今日の政界の状況を見れば誰もが予測できるように、日本国の政治家の多くは、マネー・パワーによって易々と動かされる存在です。日本国を避難先とした富裕層は、金権体質の日本国の政治家に対して積極的に働きかけをすることは目に見えています。もちろん、在日中国人への手厚い保護や優遇措置のみならず、社会保険制度をはじめ様々な‘規制緩和’を求めてくることでしょう。もちろん、日本国の不動産や企業等の多くも、中国人所有や経営が激増するかも知れません。


 実際に、東南アジア諸国の多くは華僑系の人々に経済を握られていますし、アメリカやヨーロッパ諸国を見ましても、マネー・パワーにおいて他を圧倒する少数のユダヤ系の人々が、政治のみならず社会全体を牛耳っている感もあります。しかも、中国人の富裕層は、共産党員や党関係者が多数を占めることを考えますと、そのマネー・パワーは、日本国内への共産主義の浸透をも意味するかも知れません。あるいは、今般のビザ取得の緩和措置には、中国共産党とも利権を共有してきたグローバリストの思惑も絡んでいるとも推測されましょう。


 以上に述べてきましたように、岩屋外相によるビザの緩和措置は、「戦略的互恵関係」も基づくものと説明されながら、その実、どこにも互恵性が見られません。中国側は、コロナ感染防止対策として2020年~日本人向けに設けていた短期滞在ビザの免除措置を再開したに過ぎないのですから。しかも、中国では、目下、ヒトメタニューモウィルス感染症が拡大しているのですから、日本政府は、ビザの観光ビザの緩和ところが強化に努めるべき局面にあります。日本国政府は、一体、誰のために働いているのでしょうか。


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「日本の不動産に1兆円」-投資ファンドはグローバリストの先兵?

2025年01月20日 11時58分12秒 | 日本政治
 「日本の不動産に1兆円」とは、昨日1月19日付の日本経済新聞の一面に掲載されていた記事の見出しです。同記事の内容は、アジア系投資ファンドのPAG(Pacific Alliance Group)が、今後3年間において1兆円規模の日本国内の不動産投資を予定しているとするものです。

 PAGは、不動産や未公開株等を主たる投資先とする代替投資会社と称される投資ファンドの一種あり、プライベート・エクイティ・ファンドとも呼ばれるものです。プライベート・エクイティ・ファンドについては、債務不履行の窮地に陥った貧困国から同国が発行した公債を買取り、債務削減交渉を拒絶して容赦なく債務返済を迫る行為がこれまでの問題視されてきており、この側面だけを見ましても、全てではないにせよ、投資ファンドというものの植民地主義的な行動パターンが伺えます。

 さて、PAGの歩みをみますと、同社は、まさしくグローバリズムの発展と軌を一にしています。同グループは、2002年にイギリス人のクリス・グラデル氏等が設立したパシッフィック・アライアンスを前身としており、2010年に不動産部門の投資ファンドであり、ジョン・ポール・トッピーノ氏が代表取締役社長を務めてきたセキュアード・キャピタル・ジャパン(1997年設立)と合併し、同年、共同創設者となるウェイジャン・シャン(単偉建)氏もプライベート・エクイティ部門を設立し、PAGに加わっています。現在、クリス・グラデル氏、ジョン・ポール・トッピーノ氏、並びに、単偉建氏が共同創設者とされ、同グループの株式の過半数もこれら三者によって所有しているとされます。

 PAGは、香港に本社を置き、東京、上海、ソウル、シンガポールにも支店を設けていますので、紙面に見られる‘アジア系ファンド’という表現は、その地域的な投資ターゲットに起因します。今般の対日投資では、その説明に当たったのはトッピーノシ氏であったのですが、本社が香港ということもあり、中国との関係が極めて深いことも、同グループの特色です。共同創設者以外の幹部の顔ぶれを見ましても、姓名をから判断しますと、9人の内6人は中国系のようです。そして、ここで注目されるのは、同グループの代表取締役会長である単偉建氏です。

 香港に本社がありますので、多くの人々が、単偉建氏は香港系の中国であり、元より西欧の価値観に馴染んできた人あろうと想像することでしょう。ところが、経歴を調べてみますと、この人物像は音を立てて崩れてゆきます。同氏は1954年に北京市で生まれており、文化大革命の嵐が吹き荒れる時代に中国本土で育っているのです(同時期には、内モンゴルに下放されている・・・)。習近平国家主席とは、同世代となりましょう。1975年には北京に戻り、対外経済貿易大学で学ぶのですが、その後アメリカに留学し、サンフランシスコ大学を経て最終的にはカリフォルニア大学バークレー校でPhD.を取得しています。1987年からは、ヤング・プロフェッショナル・プログラムのメンバーとして世界銀行の投資部門に勤務し、ペンシルバニア大学で6年間教鞭を執った後、1993年から1998年までの期間はJ.P.モルガンに活動の場を得ています(マネージング・ディレクター兼中国担当責任者の職も兼任)。

 ここまでの経歴を見ますと、投資畑一筋で生きてきたようなイメージを受けるのですが、日本国内ではあまり知られていないものの、同氏は作家でもあります。2019年に出版した、自らの自叙伝とも言える『Out of the Gobi: My Story of China and America』をはじめ、『マネー・ゲーム』や『マネー・マシーン』といった多数の著作もあります。しかも、大英博物館の理事を務める文化人でもあり、どこか、‘グローバルな人脈’を覗わせるのです。加えて、同氏は、現在、香港証券取引所の国際諮問委員会の委員であると共に、アリババ・グループにあって社外取締役をも勤めてもいます。

 PAG、並びに、同氏の背景を探ってゆきますと、そこには、中国共産党、香港、イギリス、アメリカ、世界銀行、ユダヤ金融財閥、証券取引所、プロパガンダといった、東インド会社をも彷彿されるようなグローバリズムのキーワードが至る所にちりばめられていることに気付かされます。そして、PAGの日本国内での‘ミッション’が、データセンターの開発用地の確保や日本企業が保有する社員寮等の買取である点を考慮しますと、同社の投資によって、日本国内における‘デジタル支配’が強化されると共に、取得後の転売を含め、中国人をはじめとした外国人による日本国の土地所有が加速されることとなりましょう(地価高騰にも拍車をかけ、一般の日本国民には手がとどかないものに・・・)。

 投資ファンドの役割がグローバリストの先兵であるとしますと、グローバリズムの侵害性について議論を深めると共に、日本国政府は、こうしたファンドの活動に対しては法的規制を課すべきなのではないでしょうか。そして、この現実を目の当たりにしますと、政治家やメディアが煽る米中対立もどこかお芝居じみて見えてくるのです。

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中国人東大生12%の衝撃-グローバリズムの理不尽

2025年01月17日 11時30分23秒 | 日本政治
 報道に寄りますと、東京大学の中国人学生は、学部と大学院を合わせて3,396人に上るそうです。全在学生の数が凡そ27500人とされていますので、実に12%が中国人学生と言うことになりましょう。日本国政府は、長年に亘り、中国人留学生の受け入れ拡大を政策的に推し進め、今日では、多様性の尊重を旗印にグローバリズムの先鋒と化していますが、この数値は、グローバリズムが如何に一般の国民にとりましては不経済であり、かつ、リスクに満ちているかを実数で表しているように思えます。

 グローバリズムを金科玉条の如くに信奉している人々は、この数字をグローバリズムの成果として見なし、頬を緩ますかも知れません。また、大学の国際ランキングでは多様性は重要な評価基準ですので、中国人を筆頭とする外国人の在籍者数の増加は、ランキングアップに血眼になってきた大学側にとりましても、これまでの努力を示す誇らしい数字なのかも知れません。あるいは、リベラリストの視点からしますと、外国人差別がなくなった証とも映ることでしょう。また、より冷めた見方からは、中国人学生が公平・公正に実施された入学試験に合格した結果なのだから仕方がない、とする見解もありましょう(その大半は、留学生ではない・・・)。グローバリズムの時代には、もの、サービス、マネー等のみならず、人の移動も国境を越えて自由化されますので、これらの人々の頭の中では、この12%の数字は、理想に一歩近づいたことを意味するのです。

 しかしながら、その一方で、近年、グローバリズムに対する批判の声が高まってきており、今般のアメリカ大統領選挙にあってドナルド・トランプ前大統領が返り咲いた背景にも、反グローバリズムに傾斜したアメリカ国民の世論の後押しがありました。アメリカのみならず、各国とも、政府と一般の国民との間にはグローバリズムに対する評価が必ずしも一致せず、後者は、むしろ、反グローバリズムに傾く傾向にあるとも言えましょう。それもそのはず、一般の国民は、グローバリズム原理主義を押しつけられた結果、理不尽な事態にしばしば直面するからです。

 中国人東大生12%の現実も、この理不尽な事態の一つと言えましょう。何故ならば、先ずもって東京大学は国立の大学であり、昨今、独立採算制への動きがあるものの、施設の維持費であれ、研究費であれ、事務経費であれ、多額の国費が投入されているからです。言い換えますと、東京大学の運営を支えているのは、税を納めている日本国民であるにも拘わらず、少なくともその12%は(中国人以外の諸国の出身学生を合わせると%はさらに上がる・・・)、外国人の教育に投じられているのです。

 日本国内の人口比からしましても過剰な中国人学生数は、日本国民にとりましては、納得も合意もできない税負担となります。自らへのリターンはほとんどゼロであり、中国人のために税負担を強いられているに等しくなるからです。財政とは、受益と負担のバランスが崩れますと公平性や税徴収の正当性が失われ、一種の‘国民搾取’となりますので、負担者側、つまり国民の不満が高まるのは当然の反応なのです(日本国民には、フリーライダーとして認識される・・・)。中国人学生の増加は他の国公立大学でも見られますので、日本国民の負担は重くなる一方と言えましょう。

 しかも、スパイや工作員の潜入による安全保障上のリスクのみならず、今般の日本製鉄によるUSスチール買収計画とそのアメリカ側による禁止措置が、双方の国民感情を刺激したように、それは国民間の摩擦や対立要因ともなります。つまり、理想論が説くようにグローバリズムを進めれば進めるほど人類が一つの世界市民として融合し、人種、民族、宗教、国籍等の違いを越えて皆仲良くになるのではなく、現実に国家という政治的枠組みが存在している以上、逆に、双方の国民の相手国に対する感情を悪化させるケースも大いにあり得るのです。この現象も、グローバリズムのパラドックスの一つなのですが、中国の精華大学の在籍者数の12%が日本人学生や院生によって占められたとしますと、おそらく恐ろしいほどの反日運動や排日暴動に発展することでしょう。

 グローバリズムが是認する国境を越えた自由移動には、人類の普遍の倫理・道徳観に照らしますと、侵害性を伴うと言わざるを得ない側面があります。マネーやサービスの移動自由による経済的支配力の浸透のみならず、人の自由移動を介しても、他国の財政や教育・研究資産等を浸食するからです(外国人による日本国の健康保険の利用も問題に・・・)。この由々しき状況を是正するには、先ずは理詰めでグローバリズムの理不尽さを説明し、かつ、相互的に独立性や自尊心を尊重し、権利として保護することの重要性を理解してゆく必要があると思うのです。

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USスチールの買収は断念が賢明では?

2025年01月07日 10時22分40秒 | 日本政治
 アメリカのバイデン大統領が下した日本製鉄によるUSスチール買収禁止の決断は、目下のところ、日本国内において対米感情を悪化させているようです。当事者である日本製鉄も、日本国政府の後押しもあってか、アメリカ政府を相手取って訴訟を起こす方針を固めています。同件について日本国側の主要な批判点の一つは、日本企業に対して安全保障上のリスクが指摘されたことです。同盟国でありながら、アメリカの安全を脅かす存在として日本企業が認識されたからです。しかしながら、日本国側の批判には、日本国自身をも窮地に陥れるような幾つかの問題点を含んでいるように思えます。

 アメリカの制度には、海外企業による自国企業の買収について審査を行なう対米外国投資委員会(CFIUS)が設けられています。日本製鉄側は、同手続きの不備を問題視すると共に、買収禁止が大統領による恣意的な政治的判断であったとして、これを違法行為として咎めています。

 もっとも、日本製鉄側が発表したステートメントを読む限り、CFIUSが審査に際して関心を寄せていたのはアメリカ経済へのマイナス影響であり、このため、買収条件としてUSスチールの‘アメリカ色’の維持を約束しています(労働者の雇用の維持、アメリカ国籍のCEOの確保、アメリカ国内への投資・・・)。その一方で、同委員会は、ジェラルド・フォード大統領が1975年に大統領令をもって設立した機関であり、商務省のみならず、国防総省や国務省など16の省庁の代表から構成されています。政治的要素が排除されているわけではなく、仮に、今般のバイデン大統領の買収禁止命令が、日本製鉄側の主張とは異なり、法律に則ってCFIUSの審査を経ているとすれば、日本製鉄側に、同委員会がリスクと見なした要因があることとなりましょう。

 日本国側は、日本製鉄によるUSスチールの買収は、グローバル市場における中国企業のシェア拡大に対抗するための‘日米連合’と見なし、今般の買収措置はこのチャンスを逸したものとして憤慨しています。しかしながら、日本製鉄と中国との関係を見ますと、1972年に始まる日中国交正常化以来、両者の間には密接な協力関係が構築されてきました。昨年2024年7月に、日本製鉄は中国の宝山鋼鉄との合併事業を解消はしたものの、中国を世界最大の粗鋼生産国に育てたのは日本企業と言っても過言ではありません。日本製鉄側にも、中国との関係をリスクとして認定され得る過去がありますので、裁判の過程でアメリカ側から証拠として事実の指摘を受ける可能性もありましょう(宝山鋼鉄は、国有企業にして世界第一位の宝鋼集団の子会社であり、むしろ、中国の利益のために保有株式を‘譲渡’したとの見方もあり得る・・・)。

 第二の問題点は、アメリカの国民感情です。アメリカ側からの買収拒絶に対しては、日本国側の対米感情を悪化させたことは否めません。しかしながら、仮に、アメリカ政府が同買収を許可し、日本企業によるアメリカ企業の買収を認めたとしますと、逆にアメリカの対日感情の悪化は必至となりましょう。今を遡ること36年前の1989年10月に、日本企業の三菱地所がアメリカの象徴的建造物とも言えるロックフェラー・センターを買収した際には、アメリカ国民の強い反感を買うことにもなりました。同盟関係にあり、かつ、合法的な買収であったとしても、他国企業による自国の象徴的存在が海外企業に買い取られるともなりますと、その国の国民が心穏やかでいられるとは限りません。先のアメリカ大統領選挙にあって、共和民主両候補者ともに日本製鉄の買収阻止においては一致し、自らへの支持を訴えたのも、アメリカの愛国心とも言える国民感情に応えようとしたのでしょう。感情面に配慮しますと、アメリカ大統領の政治的判断とは、自国企業の保持を願う民意に応えたものであり、民主主義国家としての当然の対応とも言えなくもないのです。

 そして、世論に従って自国企業の保護を優先するアメリカ政府の対応は、日本政府の海外企業の日本企業買収に対する‘甘さ’を浮き立たたせます。これまで、日本国政府は、日本企業のお家芸ともされてきた製造業の分野のみならず、エネルギー分野を含めたあらゆる領域において、まさに安全保障上のリスクが懸念される中国企業による日本企業の買収を許してきました。その一方で、日米同盟の枠内にあっても、日本市場は、KKRやベインキャピタルといった海外投資ファンドの‘草刈場’のような様相を呈しています。今般の買収禁止に憤る保守主義者も多いのですが、安全保障上のリスクも、日本企業の独立性も全く考慮せず、海外企業による自国企業の買収を放任している日本国政府こそ、日本企業も日本国民も問題視すべきであるかも知れません。そして、今般の買収阻止を批判すれば、自らの企業が外国企業に買収されたときに、これを非難も阻止もできなくなりましょう。

 このように考えますと、長期的な視野からすれば、日本製鉄は、USスチールの買収を断念した方が賢明なようにも思えます。そして、この問題は、日本国政府も信奉、あるいは、洗脳されているグローバル原理主義と国民国家体系との相克の問題へと繋がってゆくのです(つづく)。

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選挙公約には‘必須項目’が必要では?

2024年12月31日 12時18分22秒 | 日本政治
 今日の日本国の政治の世界を見ますと、‘権力を握っていれば、何でもできる’とする傲慢さに満ちています。この態度は、与党も野党も変わりはなく、前者が特に‘あこぎ’に見えるのは、政権の座にあるからなのでしょう。選挙期間にあっては平身低頭で自らへの支持をお願いしながら、選挙が終わった途端、支配者然として振る舞うのですから、イギリス人は選挙の間のみが自由であって、選挙が終われば‘奴隷’であるとする、18世紀に生きたジャン・ジャック・ルソーが指摘した通りでもあります。ルソーの時代から250年余りが経過し、民主主義の価値が定着したとされる今日にあっても、民主主義国家の証とされる自由選挙は形ばかりに過ぎないようです。


 それでは、何故、民主主義の制度的な発展は停滞したままであり、国民は、‘奴隷’状態のままに置かれているのでしょうか。もちろん、奴隷という言い方は文字通りの法的身分としての奴隷ではなく、‘他人に自分自身に関する権利を握られている者’、‘他人の意思に従う者’、あるいは、‘一方的に支配される者’という意味合いでの誇張表現ではあります。国民自身も、自らを‘奴隷’とは見なしていないことでしょう。ところが、政治家の国民を見る目は、かつての専制君主や‘奴隷主’の視線と然して変わりはないように思えます。否、現代のテクノロジーからすれば、国民は‘デジタル管理の対象ということなのかもしれません。


 この問題の原因は、先ずもって‘人を選ぶ’という選挙制度の基本的な仕組みそのものに求めることができます。ルソーの言葉が示唆するように、‘奴隷’が‘奴隷主’を選ぶ選挙では、何時までたっても奴隷は奴隷のままなのです。そこで、‘奴隷’が奴隷状態から脱するためには、選挙後にあっても‘奴隷主’の行動を拘束する何らかの仕組みを要することとなります。この点に注目しますと、近年における公約を掲げての選挙は、奴隷状態からの脱出に向けての第一歩ともなりましょう。公約とは、立候補者と有権者との間の半ば一種の‘約束’や‘契約’を意味しますので、選ばれた側がその職にある限り、公約は拘束的に作用するからです。「契約は守られなければならない」はローマ法の格言ですが、人類普遍の人間社会の原則とも言えましょう。


 かくして、公約の作成とその明示は選挙に際して立候補者がすべき作業とも認識されるに至るのですが、公約の掲載のみをもって奴隷状態からの完全に脱却できるわけではありません。(1)極めて内容の乏しい公約(事実上の白紙委任化・・・)、(2)意図的な争点はずしや誘導、(3)公約の‘抱き合わせ販売’、(4)公約内容に関する政党間談合、そして、公約には法的な実行義務がありませんので、(5)公然たる公約違反もあり得ます。かくして、‘敵も然るもの’、公約付き選挙は様々な手法によって悪用・歪曲され、その拘束的な効果を十分に発揮できない状況が続いているのです。


 それでも、公約には、政治家に対する選挙後の長期的な拘束性という効果はあります。完全ではないにせよ、同制度を改善することで、政治家の奴隷主的な態度や意識を改めさせることは不可能ではありません。例えば、公約に‘必須項目’を設けるというのも一案かも知れません。日本国や社会、そして、国民に直接的な影響を与える重要な政策分野については、必須項目として公約への記載を義務付けるのです。例えば、(1)移民政策(国境管理)、(2)防衛・安全保障等の対外政策(3)税制・社会保険制度、(4)公衆衛生(ワクチン政策等・・・)、(5)グローバル化(デジタル化の是非・・・)、(6)憲法改正の対象条文といった、従来、政党や政治家が故意に避ける傾向にあった政策領域についても、立候補者は、自らの立場や主張を明確にしなければならなくなります。


 「オストロゴルスキーのパラドックス」が既に数学的に証明しているように、個別の政策の選択と政党の選択は必ずしも一致せず、この問題は、ゆくゆくは政策別選択を可能とする制度の構築を要するのですが、少なくとも、現状にあっては、公約における必須項目の設定は、公約にまつわる幾つかの問題を軽減させることでしょう。来る年が、真の意味、すなわち、自由なる日本国民による政治に向けての政治改革の元年となることを願いつつ、本年最後のブログ記事を締めくくりたいと思います。拙い記事ながら、お読みくださいましたこと、心より感謝申し上げます。


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忘却されている国民の課税同意権

2024年12月30日 12時25分45秒 | 日本政治
 民主主義と言えば、とかくに選挙における参政権と凡そ同義に捉えられがちです。かのエイブラハム・リンカーン大統領による「人民の、人民による、人民のための政治」という‘定義’も、民主主義の価値とは、‘人民’が自ら政治を行なうことにある、とするイメージを強めてきました。この民主主義の一般的なイメージは、共和制の連邦国家として誕生したアメリカ合衆国が民主主義の先端的なモデルとなってきたことにもよるのでしょう。しかしながらその一方で、議会制民主主義の歴史的な発展過程を振り返りますと、国民が参政権を得るに至った‘プロセス’を知ることができます。アメリカのように最初から民主主義国家として建国された国は少数であり、大半の諸国は、君主制から民主制への移行プロセスを経て今日に至っているのです。

 議会制民主主義発祥の地は、イギリスとされています。もっとも、そもそも封建制度を経験した国や地域では、中世以来、身分制議会などが設けられたケースも多く、イギリスのみに議会が設置されていたわけではありません。中世の封建制度にあっては、封建契約を交わした主君と家臣の間で統治の諸権限が分散しているため、国王と雖も有力諸侯達のパワーは侮れなかったのです(このため、常々内乱や王朝交代が発生しやすい・・・)。イギリスにありまして議会が国政の中心機関となり得たのも(最も、イギリスの議会主権は、国王が臨席する議会を意味する・・・)、有力諸侯達が議会を国王に対する自らの抵抗の‘砦’としたところにあります。

 1215年に成立した『マグナ・カルタ』は、イギリスの民主主義の起源ともされる国政上の重要な文書ですが(不成典憲法の国であるイギリスでは、今日でも、憲法的な役割を維持している・・・)、同文書にあって特に注目されるのは、議会の課税同意見です。そもそも『マグナ・カルタ』とは、ジョン失地王による一方的な諸侯に対する軍役や課税に起因する諸侯層の反乱に際しての‘和平合意’として作成されたのですが、その第12条にあって、国王は、議会(common counsel)に対して楯金や援助金を課す権限を認めています(この他にも、車馬や材木の挑発にも本人の同意を要するとしている・・・)。以後、紆余曲折がありながらも、イギリスの議会は、財政に関する権限を獲得してゆくのです。

 同プロセスにあって重要な点は、課税、すなわち、為政者や政府が国民に負担を求める場合には、国民の合意を要するとする民主主義の価値の一面です。参政権をもって民主主義の実現とみる今日では、政治家自身が国民から選ばれた‘国民の代表’とするスタンスにあるため、むしろ、国民の課税同意見が忘却されがちです。実際に、先週の12月27日に、日本国政府は来年度の予算案を閣議決定していますが、過去最大の115兆円規模に膨れ上がっています。物価高の折、税収も3兆円の伸びを見せており、こちらの額も過去最高というのです。

 ところが、日本国政府には、減税という発想は皆無のようです。「103万円の壁」についても、国民民主党が求めた178万円からは大幅に引き下げられ、与党案通りに「123万円」止まりとなりました。減税策は、基礎控除枠の拡大に限ったわけではないのですが、仮に、先の衆議院議員選挙にあって与党側が少数与党に転落しなければ、国民にはさらなる増税が待ち受けていたかも知れません。何れにしましても、日本国は、民主主義国家でありながら、かくも政府は国民負担に対して無神経で冷淡なのです。‘生かさぬよう、殺さぬよう’という江戸時代の言葉が現代に蘇っているかのようなのです。

 先の衆議院議員選挙では、国民民主党の「103万円の壁」が一石を投じることとなり、政府も、与党の座を維持するために増税路線を軌道修正せざるを得なくなりました。この点、選挙が一定の効果を示した事例ともなるのですが、民主主義が普通選挙と同一視されている現状では、‘国民の代表(国会)の合意による予算案の成立’という建前の下で、政府による国民の合意なき一方的な課税という、強制徴収的な手法がむしろまかり通ってしまいます。そもそも、115兆円規模の予算が真に必要なのか、あるいは、負担者である国民に受益として還元されているのか、今一度、歳出について国民視点からの検証を加えるべきですし、政府による課税については、負担者である国民の事前合意を基本原則とすべきと言えましょう。
 
 国民の財政に関するコンセンサスの形成については、今後、国民投票制度の導入と言った制度的な工夫を要しましょうが、現状にありましても、衆参何れであれ、各政党や立候補者に対して、増税案を含む税制に関する政策を公約の必須項目として記載を義務付けるべきなのではないでしょうか。普通選挙の実施は民主主義の入り口に過ぎず、国民が課税同意権を実際に行使し得る制度の構築こそ、政府の‘国民搾取体質’を是正し、財政民主主義を実現する道なのではないかと思うのです。

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国会議員は国が承認したワクチンを疑ってはならない?

2024年12月27日 11時13分47秒 | 日本政治
 レプリコンワクチンを製造販売しているMeiji Seikaファルマ社が、損害賠償を求めて原口一博議員を訴えた件については、幾つかの考えるべき疑問点があるように思えます。その一つは、原口議員一人が被告とされたのは、国会議員の地位にあったからとする同社の説明です。

 体内で自己増殖を行なうレプリコンワクチンの危険性について、最初に指摘をしたのは原口議員ではありません。そもそも同議員は、従来型のワクチンが原因とみられる健康被害に苦しんだ自らの経験からmRNAワクチンそのものに対して危険性を訴えてきたのであって、新型のレプリコンワクチンについても、ワクチン被害者の立場から批判したに過ぎないのです。同社がネット上で12月25日に公開した「訴訟提起に関するお知らせ」を読みますと、同議員が「コスタイベ」について誤った知識を拡散させたことを重視しているようですが、仮に‘誤情報’が流布されたとすれば、その発信源は原口議員ではなく、研究者を含む内外の無数の有志の人々です。しかも、科学的には未検証の段階であったとしても、必ずしも‘誤った情報’とも言いきれず、危険性を多くの人々に伝えたいとする善意からの発信も少なくなかったのです(Meiji Seikaファルマ社は、逆に、ワクチン危険論が人々の命や身体を危険に晒しているとしているものの、実際には、ワクチン被害は相当数に上っている・・・)。

 ワクチン懐疑論者の数は膨大ですし、科学的に安全性を証明することが困難であることから、Meiji Seikaファルマ社は、‘誤った知識’という曖昧な表現をもって原口議員のみにターゲットを絞ったのでしょう。確かに、報道に依りますと、原口議員は、‘生物兵器まがい’という表現を用いたり、同社を「731部隊」にも擬えたしたとされます。しかしながら、その一方で、12月2日に公表されたアメリカの議会下院の特別委員会による最終報告書では、「新型コロナウイルスは中国・武漢の研究所にまつわる事故で出現した可能性が高い」とした上で、米国立衛生研究所(NIH)がウイルスの「機能獲得」に関する研究のために武漢ウイルス研究書に資金を提供していたことを事実として認めています。この遺伝子工学を応用した生物兵器開発の事実は、そもそも米中両国によるCovid19が生物兵器開発の産物であって、人工ウイルスであった可能性を強く示唆しています。生物兵器の開発に際しては、通常、自軍の防疫や解毒のためにワクチンや治療薬をセットで開発しますので、mRNAワクチンも、‘mRNA兵器’のカウンターとして開発された、あるいは、ワクチンであってもウイルスと同様にスパイクタンパク質を産生するため、人体に対して有害性(殺傷性)があるとする説は、強ち‘誤った知識’とは言い切れないのです(この点、原口議員が、Meiji Seikaファルマ社のみを批判したとすれば、こちらの方も奇妙・・・)。

 新型コロナウイルスの起源そのものが‘軍事的’である場合、原口議員の発言は、むしろ‘当たらずとも遠からず’となり、しかも、公共の利益にも関わりますので、刑法上の名誉毀損罪が成立するのかどうかも疑わしくなります。国民の多くがmRNAワクチンに対して不安を懐いており、国会議員の立場にあるからこそ、原口議員が国民を代表して疑義を呈したとすれば、この行為は、賞賛されこそすれ、批判されるべきことではないように思えます。否、仮に、裁判所がMeiji Seikaファルマ社の言い分を認め、国会議員は、政府が安全性を認めた限り、一切の疑問を呈してはならない、とする‘政府無誤謬’の見解を示したとすれば、それは、権力分立の危機ともなりましょう。議会は、政府に対する制御機能として行政監視の役割を有しているからです。つまり、政府に対する議会のチェック機能を解除してしまい、誰も政府の暴走を止めることができなくなるのです。

 もっとも、政府が国民の基本的な自由や権利を侵害している疑いがある場合、権力が分立している国家では、憲法訴訟や行政訴訟等も認められており、国民が政府を被告として訴えることが出来ます。今日の政府は、議会、並びに、裁判所によって二重にチェックされていると言えましょう。今日、コロナワクチンに関する健康被害についても、既に遺族等の被害者団体が国を相手取って損害賠償を求める訴訟に踏み切っています。この点に鑑みますと、原口議員には、同議員側からの提訴という選択肢もあり得るのかもしれません。原口議員のケースでは、ワクチンが原因とされる自らの発病、あるいは、政府による‘コスタイベの承認に係るプロセス’の不透明性や安全性の観点からの妥当性を争うというものです(この場合、Meiji Seikaファルマ社ではなく、政府が被告に・・・)。

 以上に述べてきましたように、Meiji Seikaファルマ社による訴訟の提起には、様々な問題性が含まれています。そしてこの問題は、‘そもそもCovid19とは何であったのか’という重大にして最大なる謎を解き明かさないことには、誰もが納得する結論には達しないのではないでしょうか。裁判の過程にあって真相が明らかになる可能性もありましょうし、アメリカ下院の特別委員会の最終報告書は、半ばこの謎を明かしてしまっているようにも思えるのです。

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Meiji Seikaファルマ社はスケープゴートなのか?

2024年12月26日 12時38分00秒 | 日本政治
 新型のレプリコンワクチンをもってワクチン事業に参入したMeiji Seikaファルマ社は、ワクチン被害の広がりを前にして逆風に晒されています。危機感を募らせる中、同社は、昨日の12月25日には、ワクチンの危険性を訴えてきた立憲民主党の原口一博衆議院議員に対して名誉毀損に基づく損害賠償を求める訴訟を東京地方裁判所に提訴するに至りました。この訴訟、考えてもみますと、首を傾げざるを得ない諸点が散見されます。

 先ずもってワクチンをめぐる損害賠償請求訴訟であるならば、ワクチンの開発・製造販売を手がけた製薬会社が健康被害を受けた側から訴えられるのが、一般的な構図のはずです。今般のケースでは、被告席ではなく原告席に製薬会社側が座っているところに、ワクチン訴訟としての奇妙さがあります。

 もちろん、‘攻撃は最大の防御’とも言われておりますように、Meiji Seikaファルマは、将来における薬害訴訟を予測して‘先手’を打っているとの見方もあり得るかもしれません。しかしながら、同社が提供するレプリコンワクチン(「コスタイベ」)にあって実際に健康被害が生じようものなら、「生物兵器」といった表現はどうであれ、原口議員によるリスクの指摘自体は正しいこととなります。しかも、ファイザー社やモデルナ社のように、日本国政府が、購入契約の際に損害賠償の肩代わりを約しているわけではないはずです。強気の姿勢が仇となって、今後、自らにブーメランとして返ってくるリスクもありましょう。原口議員につきましては、是非、国会、あるいは、裁判所においてMeiji Seikaファルマに対する免責条項が存在しているのか、政府並びに同社に対して問い質していただきたいところなのですが、ファイザー社やモデルナ社でさえ免責を求めたくらいですから、製薬会社であるならば、当然に、将来の薬害訴訟は考慮されるべきリスクとなりましょう。

 それでは、何故、Meiji Seikaファルマ社は、強気一辺倒で法的手続きに踏み込んだのでしょうか。最も単純で表面的な説明は、‘目先の利益のみで判断した’というものです。将来の訴訟リスクなど全く頭の片隅にもなく、投資額に見合った収益が上がれば事業計画は成功したものとする姿勢です。この見方からすれば、原口議員の言動は、誹謗中傷による信用の毀損による営業妨害ということなのでしょう。日本国政府の後ろ盾もあったことから、多少の警戒論があろうとも政府が押さえ込み、同社としては、一定の収益は確保できるものと判断したのかも知れません。ところが、国民の間に予想を越える拒絶反応があり、目論見が大きく外れて損失の発生が確実となったことから、訴訟に踏み切ったとも考えられましょう。

 しかしながら、その一方で、どこか、Meiji Seikaファルマは、巧妙にスケープゴートにされてしまった観もないわけではありません。仮に、mRNAワクチンのリスクに関する指摘が営業妨害にも当たる‘名誉毀損’となるならば、ファイーザー社やモデルナ社等のワクチンメーカーこそ、率先して訴訟を起こすべき立場にあるからです。この点、Meiji Seikaファルマ社は、「原口氏の主張の科学的根拠を問うものではない」と説明しており、既に逃げ腰です。科学的な根拠が争点ともなりますと、原口議員の主張に分があることを認識しての回避なのでしょう。同タイプのワクチンについては医科学的な見地からのリスクを指摘する学術論文等も存在しているからです。科学的な検証を避けつつ訴訟に勝つためには、名誉毀損で責めるしか方法がなかったからなのかもしれません。そして、この強引な訴訟は、国民の関心や批判の矛先を日本企業であるMeiji Seikaファルマ社に集中させようとする海外の製薬大手、並びに、その意向に従う日本国政府の思惑も、見え隠れしているように思えるのです(Meiji Seikaファルマ社は踊らされている?)。

 仮に、Meiji Seikaファルマ社がスケープゴートとして設定されているとすれば、今後、さらに拡大が予測されるmRNAワクチンの健康被害に対する賠償責任も、これらの免責特権のない日本企業に負わせる算段であったのかも知れません。そして、この点に注目しますと、日本国民のみならず、Meiji Seikaファルマ社を巨額賠償の‘罠’から救ったのは、実のところ、原口議員を初めとするリスク警告者であったという‘どんでん返し’もあり得るように思えます。健康被害を警戒して誰も「コスタイベ」を接種しなければ、賠償責任も生じないからです。事実は何処にあるのか、日本国民は、事の推移を慎重に見定めてゆく必要があるのではないかと思うのです。


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Meiji Seika ファルマの社員出版批判は藪蛇では?

2024年12月25日 11時59分32秒 | 日本政治
 2023年9月18日、コロナワクチンの危険性を訴える『私たちは売りたくない!危ないワクチン販売を命じられた製薬会社現役社員の慟哭』という書籍が発売されました。同書はAmazonの総合書籍ランキングで1位を獲得するほどの反響を呼んでおり、一般国民のワクチン問題への関心の高さも示しています。その一方で、同書は、名指しで批判されることとなった製薬会社Meiji Seikaファルマの怒りをも買うことにもなったのです。

 『私たちはうりたくない』は、製薬会社Meiji Seikaファルマに勤める現役の社員たちが書いたとするスタイルを採っています。執筆のきっかけとなったのは、全く健康に問題のなかった同社の若手社員がコロナワクチン接種により突然に死亡するという痛ましい出来事に遭遇したことにあります。このとき、Meiji Seikaファルマは、新たなタイプのコロナワクチンとしてレプリコンワクチンの製造開発に乗り出していたのですから、‘自らの社のビジネスは正しいのか?’という疑問を抱く社員が現れてもおかしくはありません。同書には、人の命を奪いかねないワクチンを販売することに対する良心の痛みがあったのです。同書がベストセラーとなったのも、組織の目的と個人の良心との間の葛藤に、多くの人々が惹きつけられたからかも知れません。そして、被害者の実在性も確認されている‘内部告発’に類するものであるからこそ、その内容にも説得力が備わっていたとも言えましょう。

 もっとも、同書の影響が広がるにつれて、デマ情報への警戒を訴える新聞広告を掲載するなど、Meiji Seikaファルマ側も対抗姿勢を鮮明にしてゆきます。そして、遂に、今月12月19日には、同書に関する社内調査の結果を公表するのです。その調査結果とは、「チームKは社内に実在しない」というものです。筆者は社員の一人に過ぎず、しかも、コロナワクチンの接種が原因で亡くなった社員とは面識もなかったというのです。Meiji Seikaファルマ側としては、同書の虚像を暴くことで、同社に対する批判本の信憑性を失わせたかったのでしょう。いわば、ネガティブ・キャンペーンの典型的な手法です。

 しかしながら、相手を‘下げる’ネガティブ・キャンペーンでは、自らに対する信頼性が高まるわけでありません。唯一、信頼性を獲得できるとすれば、それは、客観的かつ明確なデータを示して科学的に安全性を証明する他にありません。しかしながら、事態は逆の方向に急速に動いており、コロナワクチンの危険性を示すデータの方が増え続けているのです。たとえMeiji Seikaファルマ側が‘筆者’のパーソナルな部分における情報の虚偽性を暴いたとしても、レプリコン型を含むコロナワクチンに対する認識が改善されるとは思えないのです。

 しかも、Meiji Seikaファルマは、同報告書によって、それがチームではなく個人であれ、(1)筆者が社員であったこと、並びに、(2)ワクチンの犠牲となった社員が存在したことだけは、公式に認めたことにもなります。このことは、同社が、社員のワクチン死の事実を知りながら新型ワクチンビジネスに乗り出したことを意味しますので、企業倫理を厳しく問われかねません。否、Meiji Seikaファルマは、社員の犠牲に鑑みて、二度とワクチン死を起こさない安全な製品として、新たなタイプのワクチンを‘自ら開発’すべきであったと言えましょう(レプリコン型は、長期に亘りスパイクタンパク質を体内で造り続けるので、安全性を高めたとは言いがたい・・・)。

 Meiji Seikaファルマは、結局は、同書籍の出版は、純粋なる社員の良心の叫びではなく、お金儲けを目的とした悪質なビジネスとして結論づけたいのでしょう。同書の筆者の他にも、‘反ワク’なる活動グループも存在しており、これらの個人や組織も、人々のワクチン不安に便乗した‘利益団体’と見なされています(もっとも、陰謀論と同様に極端で過激な活動組織を敢て登場させることで、一般の人々をワクチン批判から遠ざけようとする作戦である可能性が高い・・・)。しかしながら、利潤優先の‘お金儲け’を批判するならば、ワクチンの危険性を知りつつ、これを強引に販売した製薬会社にこそ向けられるべきように思えます。健康な人々の尊い命や身体を犠牲にして、自らは巨万の富を手にしたのですから。Meiji Seikaファルマの社員出版批判は藪蛇になったのではないかと思うのです。

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「ミヤネ屋」放送の火災映像はフェイク?

2024年12月24日 12時20分50秒 | 日本政治
 先月11月27日に東京都文京区にて発生した猪口邦子参議院議員宅の火災に際し、日本テレビ系の情報番組「情報ライブミヤネ屋」が火災直後の様子を撮影したとされる映像を報じたことから、SNS等で批判を浴びることとなりました。BPO(放送倫理・番組向上機構)にも、12月19日までに250件の苦情が寄せられたと報じられております。

 同映像に関する批判の多くは、映像があまりにもショッキングであるため、ご遺族への配慮を欠いているというものです。同火災では、ご家族となるお二人の方が亡くなられたことが既に確認されており、動画に映されていた炎を前にしたベランダの女性もその内のお一人である可能性があるからです。逃げ遅れた方の様子を放送するのは無神経で残酷であり、放送倫理に反するということなのでしょう。確かに同主張には一理も二理もあるように思えるのですが、全く疑問がないわけではありません。何故ならば、これらの批判は、映像が‘本物’であることを前提としているからです。仮にこの前提が崩れますと、同火災事件は、全く別の様相を呈してくることとなりましょう。

 先ずもって、同動画には、加工が加わっている疑いがあります。火災の現場をリアルタイムで撮影したものであるならば、途中で画面やアングルの切り替えがあるはずもありません。ところが、同動画は少なくとも3つのパートから構成されており、しかもカメラの位置にも違いが見られるのです(その一つには木の枝が映っており、ベランダの内側から撮影したとしか思えない・・・)。また、ベランダの女性は轟々と燃えさかる炎を前にしているのですが、衣服には全く引火していない点にも不自然さがあります。仮に、あたかも中世の火あぶりのような悲惨な状況が映し出されていたとしますと、同番組に対する批判は、今日の程度では済まされなかったことでしょう。むしろ、動画の最後のパーツでは、女性は、画面右の方向に小走りで逃げており、同動画の見た人々の多くは、この女性は無事に避難したものと信じたかも知れません。 ‘ご遺族への配慮が欠けている’とする批判は、映像に映っていた女性が長女であるとする前提において、はじめて成り立つのです。

 これらの他にも、火災の被害状況に関する情報にも齟齬が見られます。玄関付近で倒れているところを発見され、病院に搬送されたとされる第三の女性の存在は、その後、何故か、消されてしまっています(初期の放送では、搬送されるシーンも報じていたらしい・・・)。こうした同火災に関する不審点をも考慮しますと、同番組に対する批判点は、放送倫理の欠如ではなく、動画の真偽を確認する作業を怠ったところにあるように思えます。今日は、生成AIの技術を用いればフェイク動画は素人での簡単に造れる時代でもあります。一般の視聴者提供とは言え、同動画もフェイクである可能性について十分に留意すべきであったと言えましょう。また、逆に本物であるのならば、ベランダ沿いに逃げていた女性が、なぜ、屋内に戻って台所でなくなったのか(映像の猛火では、屋内に入ることすら不可能では・・・)、搬出されたという女性は、いったい誰であるのか、などの多くの謎が残ることになります。

 そして、このことは、BPOの報告をもって同動画の問題が解決したわけではないことを意味しています。否、同動画を‘本物’と決めつけた上で、倫理問題に閉じ込める形で幕引きが意図されているとすれば、やはり、同火災には何らかの事件性があったものと推測せざるを得ないのです。しかも、火災の現場検証等に際して警察も同動画を入手しているはずですので、映像の真偽については、公的な鑑定に付されるべきものでもありましょう。事実を突き止めるには、すり込まれた最初の前提を疑ってみることこそ、大事なように思えます。マスメディアも、SNSにも、世論誘導のプロは潜んでいるものです。放送倫理を問う前に、先ずもって、映像の真偽を問うべきではないかと思うのです。

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お米の先物取引は即刻廃止すべき

2024年12月23日 11時36分01秒 | 日本政治
 秋の収穫期も過ぎ、年の瀬も押し迫っている今日、凡そ2倍に高騰したお米の価格は一向に下げる様子は見られません。収穫量も十分に確保されているはずなのに、お米の集荷業者間では‘争奪戦’が続いているというのです。この‘異常現象’も、あるいは、大阪堂島商品取引所で始まったお米の先物取引の影響であるのかもしれません。


 商品の先物取引一般には、通常、限月における現物の受渡しを伴います。このことは、先物取引への投資額が増えるほど、消費者とは無関係な次元でのお米の取引量が増加することをも意味します(「受渡決済」)。もっとも、大阪堂島商品取引所におけるお米の先物市場につきましては、現物の受渡しを伴わない形での決済も行なわれているようです。取引参加者の大半は、農家、農協、卸売業者等の当事者ではない「非当事者」即ち、証券会社や内外の投資家といった人々によって占められているからです。これらの「非当事者」が先物取引を行なう場合には、「差金決済」が行なわれています。例えば、SBI証券による顧客向けの説明では、同取引には現物の受渡は伴わず「差金決済」のみとしています。


 現物の受渡しを伴わないならば、お米の需給関係に対する影響は薄いようにも思えますが、これでは、何故、お米の先物取引の再開が許可されたのか、国民に対して合理的な説明を行なうことが難しくなります。現物の受渡を伴わない取引とは、「空売り」や「空買い」ともなりかねず、実体経済を離れた値動きによるバブルが生じかねないからです。証券等での空取引は法的規制の対象になっていますので、何故、政府が、お米の先物市場の開設に際してこれを許したのか、不思議でなりません。消費者や生産者にとりましての先物取引の唯一のメリットは価格や所得の安定化機能にあるのですから、これでは、内外の投資家に対して投機、あるいは、マネーゲームの場を提供したに等しくなります(海外投資家にも開放されている・・・)。農林中金の1兆を越える巨額損失は、先物市場に投機マネーを呼び込んだことでしょう。


 また、上述したように先物取引の契約には、最終決済日となる限月が定められているものですので、一般の顧客に対しては「差金決済」としつつも、実際には、証券会社等で一括管理している先物取引の契約書には、お米の受渡日が明記されているのかも知れません。となりますと、「買いヘッジ」を行なった証券会社や直接に取引を行なった内外の投資家には受渡請求権があり、この売り手側に対する権利の行使が、収穫シーズンを過ぎた時期においてもお米の買取争奪戦が収まらない原因であるとも考えられましょう。そして、それは、さらなる米価の上昇をもたらすとともに、「買いヘッジ」による利益をも一層押し上げていることにもなります。その一方で、先物価格が下落するとすれば、それは、投機マネーが、今度は米価の暴落を見込んで「売りヘッジ」に仕掛けている予兆として警戒すべきなのかも知れません。

 何れにしましても、大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引の再開は、今般の米価高騰と無関係であるとは思えません。先物取引については、変動リスクの回避による物価や所得の安定化をもってその存在意義が説明されていますが、お米の場合には、今日、国レベルでの備蓄米制度もあり、価格の安定は、流通量の調整によって実現することができます。先物取引に安定化機能を求めることが如何に国民に採りまして危険であるのかは、今般の一件によって示されたのですから、政府は、先ずもって、お米の先物取引市場を閉鎖すると共に、米価の正常化に努めるべきではないかと思うのです。


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日本国政府の米価高騰に対する奇妙な沈黙

2024年12月20日 09時28分42秒 | 日本政治
 昨今の米価高騰について、その原因として先物取引等の投機マネーの流入が推測される理由は、日本国政府の沈黙にあります。物価高につきましては、ガソリンや電力・ガス等に対する対策は一先ず練られていても、凡そ全ての国民のエンゲル係数を上げる米価高騰につきましては、対策らしい対策を採ろうとはしていないのです。マスメディアもまた、この件については沈黙を守っています。この現象は、如何にも不自然なのです。

 主食である米価が2倍にも跳ね上がれば、通常は、一揆が起きてもおかしくありません。もちろん、‘飽食の時代’とも称されておりますように、今日では、お米の価格が高くとも、小麦やトウモロコシなどの他の食品で代替できます。このため、過去の時代よりも深刻度は低いのでしょうが、それでも、食卓にご飯のお茶碗が添えられている家庭が圧倒的に多いはずです。食べ盛りのお子さんがいる家庭では、お米価格の高騰は家計を逼迫させていることでしょう。

 国民生活を第一に考える政府であれば、先ずもって、米価高騰の要因を詳細に分析するはずです。本ブログでも指摘しておりますように、インバウンド説、猛暑説、肥料価格高騰説、輸送コストアップ説などは何れも主因とは考え難く、5キロで6000円と言ったバブル的な値動きは、先物取引市場への投機マネーの流入を仮定せざるを得ないのです。それでは、何故、政府は、無策なのでしょうか。

 第一に推測されるのは、政治家自身がお米の先物取引から利益を得ているというものです。今年8月の大阪堂島商品取引所での先物取引再開が、SBIホールディングスのロビー活動の結果であったとすれば、政治家の懐には、相当のマネーが転がり込んでいるはずです。また、SBI証券をはじめ、幾つかの証券会社が一般顧客向けに先物への投資を募っていますので、政治家が直接に先物取引を行なっている可能性もありましょう。この事実が明らかになりますと、国民から強い反発を招くことになりますので、政治家の人々は、嵐が過ぎ去るのを首をすくめて待っていることとなりましょう。国民生活を犠牲にしつつ、自らは肥え太っていることになるのですから。

 第二の推測は、今夏における収穫前に備蓄米の放出を渋った責任を問われたくないとする政治家の意識です。しかも、秋の収穫期が過ぎれば米価は平年並に戻るとされながら、高値が続いています。本来であれば、去年の備蓄分も含めて放出すべきところなのですが、政府には、備蓄米を供給する動きが見られないのです。この推測についても、仮に、先物取引が主因であれば、政府は、敢て高値を維持するために備蓄米を放出せず、供給量を減らしているとする疑いも生じます。

 そして、第三の推測としては、政府は、減反政策の失敗を認めたくないのかもしれません。しかも管政権以来、日本国政府は、カーボンニュートラルの目標を掲げると共に、再生エネルギーの導入に積極的に取り組んでいます。この結果、農村の耕作放棄地に太陽光発電のパネルが並ぶ事態にも至ったのですが、政府は、国民の生活よりもグローバリストが推進している国際公約としての‘グリーン政策’を優先しているのかもしれないのです。日本国の農業の衰退は、食糧安全保障をも脆弱化しますし、海外依存も高まりますので、グローバリストにとりましては一石二鳥なのでしょう。そして、あるいは、お米の先物市場には、海外マネーも流入している可能性もありましょう。

 何れにしましても、説明責任の回避は疑いを強めますし、米価高騰に対する政府の沈黙は不気味ですらあります。‘あらぬ疑い’であれば晴らさなければなりませんので、政府は、米価高騰について国民に対して詳細を説明すべきなのではないでしょうか。また、政治とお金との問題を解決するためにも、授受に関する入り口の規制のみならず、内外のマネーの流れと政策との関係を調べる必要がありましょう。因みに、古代ローマにはセンソールという役職が設けられており、元老院議員といった政治家の綱紀粛正を行なう強力な権限が付与されていました。今日にありましても、独立的な立場から政治家に対して調査を行なことができる専門機関を設置する、あるいは、検察庁の特別捜査部の独立性を強化すべきではないかと思うのです。

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SBIホールディイングスが先物取引を再開させた理由

2024年12月19日 11時18分07秒 | 日本政治
 今年8月の大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引の再開につきましては、同取引所の凡そ3割の株を保有するSBIホールディングスの強い働きかけがあったと指摘されています。同取引所と民間の一企業との関係は、市場の運営者と事業者の癒着が生じますので、独占禁止法に抵触する可能性もありましょう。それでは、何故、SBIホールディングスは、お米の先物取引に手を出したのでしょうか。

 お米の先物取引については、既に2011年から試験的に実施されていたのですが、参加事業者が集まらないことを理由に農林水産省が許可を与えず、2023年には一端終了しています。お米の先物取引については、過去においても米価高騰の要因となり、国民生活を苦しめてきた歴史がありますので、農林水産省が二の足を踏むのも当然と言えば当然なことです。ところが、2024年に至って事態は急速に展開し、2024年6月21日には農林水産省は大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引に許可を与えるのです。強引とも言える再開ですので、おそらくその背後には相当の‘お金’が動いたことは容易に推測されます。もっとも、SBI証券は、自らの参加によって米の先物市場が復活したとして恩を着せようとすることでしょう。

 ‘政商’とも揶揄されてきた孫正義氏をトップに頂くSBIホールディングの経営戦略の特徴とは、再生エネ、情報通信あるいは半導体(産業の‘コメ’)といった経済の基幹的な分野への集中投資です。お米もまた、弥生時代より日本人の主食として広く栽培されてきましたので、先物取引を介して価格形成に関与することで、日本国民の食料基盤を押さえようとしたとも考えられます。実際に、昨日の記事で述べたように先物取引が今般の米価高騰を引き起こしているとしますと、お米価格の主導権は、一民間事業者であるソフトバンクに握られてしまったことにもなりましょう。

 さて、SBIの投資傾向が基盤掌握型であり、どこか植民地支配との共通性も伺えるのですが、もう一つ、推理するとすれば、それは、農林中央金庫(農林中金)の巨額損失問題との関連性です。農林中金とは、農業協同組合(JA)、漁業協同組合(JF)、森林組合(JForest)を統括する金融機関であり、純資産100兆円、運用資金の規模は凡そ50兆円ともされます。その農林中金が、今年の5月の決算会見において、外国債権の運用の失敗によって3月期の最終損益で凡そ5000億円の赤字が生じたことを公表しています。翌6月には、2025年3月期の最終赤字が1兆5000億円規模となる見通しを述べたのです。

 同巨額損失については、農協等からの出資による資本増強で対応するとしていますが、この情報が、お米の先物取引において莫大な利益をもたらすチャンスと認識された可能性があります。何故ならば、農林中金とリンケージする農協を中心にお米を高い価格で販売する動機が生まれるからです。農家の所得が増えれば預金額も増えますし、農協が平年よりも高い価格で卸売りをすれば(先物取引の指標となる「現物コメ指数」は相対取引の平均価格・・・)、その増収分を農林中金の増資に充てることもできます。米価上昇が見込まれる状況下にあって買いヘッジを仕掛ければ、相当の収益が期待できるのです。ここに、お米の先物取引市場の復活が急がれた理由があるように思えるのです。

 もちろん、以上に述べてきたことは推測に過ぎませんが、異常なまでの米価高騰は、金融機関や投資家等による投機的動きなくしてはあり得ないようにも思えます。日本国政府は、国民生活を護るためにも、お米の先物取引の問題に真摯に取り組むべきなのではないでしょうか。大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引の許可取り消しも選択肢の一つであると思うのです。

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お米の先物取引が米価を上げる理由

2024年12月18日 11時37分02秒 | 日本政治
 大阪堂島商品取引所で今年の8月から再開されたお米の先物取引は、米価高騰の一因となっているようです。それでは、何故、先物取引がお米の価格を押し上げるのでしょうか。

 この価格上昇のメカニズムは、‘人とは自らの利益を最大化するために行動する’と仮定しますと、容易に理解することができます。先物取引では、現在の取引価格よりも将来の限月における価格が上昇した場合、両者の差額による差益が生まれるのは‘買いヘッジ’です。このため、先物市場で高値が付いている場合には、同市場で取引に参加していない人々までも、大凡の将来における値動きを予測することができるのです。将来的な価格上昇が見込まれるからこそ、‘買いヘッジ’において高値が付くからです。先物市場での高値は、将来における値上がりの‘サイン’とも言えましょう。

 先物市場における価格は公開されていますので、先にも述べましたように、一般の人々も広く知るところとなります。こうした先物市場での価格情報は、売り手側にある人々に様々な反応を引き起こします。先ずもって、直接の生産者であるコメ農家の人々は、将来の値上がりに期待して、現時点で収穫したお米を売却するよりも、より価格が高くなった将来において売り渡そうとするかも知れません。つまり、‘売り渋り’が起きてしまうのです。この結果、お米の供給量が減少し、将来のお話でありながら現在の価格を押し上げる方向に作用します。

 加えて、卸売り業者の行動にも、変化が生じます。農業者の側の基本的な姿勢は‘売り渋り’ですので、お米を売ってもらおうとすれば、当然に、買い取り価格を上げざるを得なくなります。しかも、品薄状態ともなれば、需要と供給との間の均衡も崩れ、供給減少が価格上昇に拍車をかけます。1918年の大正時代の米騒動に際しては、米問屋等の卸売業者がお米の買い占めや売り渋りを理由に焼き討ちに遭うことにもなりました。取引の自由化は、供給量が需要を上回る場合には、価格引き下げ競争が起きますので消費者に恩恵がもたらされますが、需要が上回る場合には、逆に‘値上げ競争’となりますので、一概には消費者にメリットになるとは言えないのです。

 こうした生産者サイドにおける値上がり要因に加え、お米価格の上昇を口実とした便乗値上げも誘引されます。小売店側にとりましても、消費者の間に高いお米価格を当然視する風潮が広がりますと、自らの利益のために価格を上乗せするかも知れません。ましてやお米は日本人の主食ですので消費者は買わざるを得ず、足元を見られがちなのです。また、お米は様々な食品に加工されていますので、値上げラッシュはお米を原材料とする商品にも波及してゆくことでしょう。

 かくして先物取引における高値は、将来を先取りする形で現在のお米の価格にも反影され、消費者は、物価高に苦しむことにもなります。そして、価格上昇による差額の収益期待は、証券会社や商社等の先物市場における参加事業者達にも、高値維持あるいはさらなる価格上昇を望む強い動機ともなるのです。この点、本日Web記事として‘年上げ後にさらなる米価の値上げが予測されている’とする主旨の記事が掲載されていましたが(FBC福井放送)、こうした値上げ予測の記事や情報は、事実を伝えるというよりも、先物市場での値崩れを防ぐことを目的としている可能性もないわけではありません。言い換えますと、‘令和の米騒動’とは、お米市場におけるバブルとも言えるかも知れないのです。

 農業者であれ、卸売業者であれ、証券会社であれ、そして投資家であれ、お米のさらなる価格上昇は、何れに対しましても利益をもたらします。その一方で、負の部分が重くのしかかるのは、高いお米を買わされる一般の国民と言うことになりましょう。先物市場の解禁が人々の利己心をも解放してしまい、多くの人々が生活に苦しむ事態を招いているのが、今日の日本国の現状のようにも思えます。無制限な利己心、あるいは、欲望の追求が社会全体にマイナス影響を及ぼす場合、適切な規制を設けるべきなのですが、大阪堂島商品取引所の大株主となったSBIホールディングスの意向で先物取引が再開されたとなりますと、この問題は、今日、政治とお金との問題にも発展することにもなります。一体、どのような経路や働きかけによって、政府は、お米の先物取引に許可を与えたのでしょうか。米価高騰は、日本国を蝕む様々な問題が絡んでいるように思えるのです(つづく)。

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米価高騰を推理する-先物取引原因説

2024年12月17日 11時28分02秒 | 日本政治
 不思議なことに、主食であるお米の価格が2倍近くにも跳ね上がるという異常事態にありながら、マスメディアのみならずネット上では同問題に関する情報が圧倒的に不足しています。物価高が先の衆議院議員選挙における自公政権の敗因理由の一つでありながら、石破政権もまた、国民生活を護るために対策に乗り出す様子も見られません。‘令和の米騒動’と称されながら、政府は積極的な説明も対策も怠っており、この‘沈黙’には何らかの意図が隠されているようにも思えてきます。余りにも不自然なのです。昨日の記事で述べたように、インバウンド説、猛暑説、肥料価格高騰説、輸送コストアップ説の何れもが説得力に乏しいとしますと、真の原因は、別のところにあるのでしょう。そこで、情報不足の状況にありながら、幾つかの推理を試みてみたいと思います。

 第一の推理は、投機マネーの流入による価格高騰です。お米の先物取引については2011年から試験的な上場が始まり、一端は終了したものの、大阪堂島取引所において先物取引が「コメ指数先物」という名で復活したのは、まさに米価高騰中の今年の8月のことです。日本国には、米の先物取引については、江戸時代から堂島にあって帳合米取引が行なわれていた歴史があります。先物取引とは、長期的な価格安定に寄与する役割を果たす反面(変動リスクのヘッジ)、価格変動の結果としての差額が利益となるために投機の対象ともなり得るのです。

 先物取引にあって投機的な利益を上げる方法としては、買いヘッジと売りヘッジがあります。将来の決済日における価格上昇が予測される場合には先物で買いヘッジを行い、実際に価格が購入価格よりも上がった場合にその差額が収益となります。例えば、お米の先物取引ですと、先物で1俵17000円で購入したお米が、最終決済月である限月には20000万円の価格に上昇していたとしますと、3000円の差額が収益となります。このため、買いヘッジは、将来における値上がりが予測される場合に行なわれます。言い換えますと、将来的に価格が上がるほど、利益も増えてゆくのです。その一方で、価格低下が予測される際に予め高値で売っておく手法が、後者の売りヘッジです。

 こうした先物取引における投機性に注目しますと、堂島取引所の仕組みは、価格調整機能よりも投機的な取引に偏っているようにも見えます。何故ならば、先ずもって同市場への参加事業者は、商社のみならず、金融事業者、即ち、証券会社も参加しているからです(売りヘッジは、価格調整機能を必要とする生産者側にメリットがある・・・)。開始直後は三社程度でしたが、今日では、SBI証券も参加しています。堂島での先物復活にも、SBIホールディングスが暗躍したとされ、同取引所が会員組織から株式会社への衣替えする際に株式の取得により3割を越える議決権を握っているとされます。ここに、投機的なマネーがコメ先物市場に流入する要因を見出すことができましょう。因みに、同取引での米価は、全国の相対取引を平均化した「現物コメ指数」であり、農林水産省が作成して毎月公表されています(正確には公益社団法人米穀安定供給確保支援機構)。

 そして、先物取引と米価高騰との関係を探るに際しては、うるち米ともち米との値動きの違いにも注目すべきかもしれません。何故ならば、農林水産省が公表している東京穀物商品取引所に関する資料に依りますと(同取引所は、2013年に大阪堂島商品取引所と東京商品取引所に移管・・・)、2012年に策定された「米穀の合意基づく早受渡しの特例」における同特例の対象は「水稲うるち玄米」としているからです。また、現在、同省のホームページで公開されている相対取引価格の一覧表を見ましても、同表に掲載されているのはうるち米の銘柄みのようです。昨今の物価を見ますと、もち米の価格はうるち米ほどには値上がっておりません。スーパーでのお餅一袋の小売価格の全国平均は、去年2023年10月では729円でしたが、一年後の激しい米価高騰に見舞われていた今年2024年10月では743円に過ぎません。内外の要因がもたらす稲作に対する影響は同じなのですから、両者の値上がり幅の著しい違いは、全てではないにせよ、先物取引の影響を示しているように思えるのです(つづく)。

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