9月28日にNHKスペシャルとして放映された戦国期におけるイエズス会の動きと戦国武将達との関係を探った番組は、近年公開された海外史料に基づくだけに、歴史の知られざる一面を浮かび上がらせておりました。全ての謎が解かれたわけではないのですが、興味深いのは、秀吉とイエズス会との関係です。
アジアに進出したイエズス会の最終目的は絹や陶磁器等の一大生産国であり、金や銀といった資源にも富んだ明国の攻略であり、日本国への積極的な布教も、明国攻略の足掛かりを得ると共に、日本の軍事力を同事業のために利用することにありました。織田信長による天下統一事業も、武器弾薬の供給源であったイエズス会の支援なくしてはあり得ず、本能寺の変の前夜までは、両者の表面的な相互依存の関係は一先ずは保たれていたのでしょう(因みに、本能寺はバテレン寺に隣接している…)。しかしながら、信長は、あくまでも自らの天下布武のためにイエズス会を利用したに過ぎませんので、信長が自らを神格化し始める頃には、両者の関係は冷却化の方向に転じています。イエズス会が、信長に見切りをつけていた可能性は高く、次なる天下人の候補者として白羽の矢を立てたのが秀吉であったことは想像に難くありません。
1592年に始まる朝鮮出兵(文禄・慶長の役)については、秀吉自らが明国の征服を言い出したとしていますが、上述したように明国攻略はイエズス会の最終目的ですので、秀吉を同事業に向けて裏から言葉巧みに焚きつけたのはイエズス会であったのでしょう(信長も、同様の計画を懐に温めていたとも…)。この流れから見ますと、イエズス会が信長から秀吉へと‘天下人’を差し替えた様子が伺えるのですが、朝鮮出兵は、イエズス会の思惑通りには進まなかったようです。
同番組によれば、秀吉も、織田信長に仕えていた時代から既にイエズス会の真の狙いが日本征服にあると疑っており、主君である信長にも直言するなど、強い警戒心を示しております(このことは、今回公開されたイエズス会の資料に記されてありました。イエズス会は、このように早い段階から秀吉がイエズス会による日本国征服に気づき、警戒していることを知っていたはずなのですが、にもかかわらず、なぜ、イエズス会は、秀吉を支援して天下人となしたのか、この点は疑問)。あるいは、稀代の策略・策謀家でもあった秀吉は、イエズス会よりも一枚上手であり、イエズス会に取り入り、その計画を巧妙に利用しながら、キリシタン大名の軍を戦いの最前線に送り出し、これらの大名の軍事力を削いでしまったのかもしれません。
そもそも、天下が統一されますと、武器弾薬を積極的に入手するインセンティブも低下しますので、独占的供給源としてのイエズス会の立場は弱まります。また、同番組は、刀鍛冶によって鍛えられてきた高度な鍛錬技術の転用により、日本国内にあって銃器の品質改良が行われ、量産体制をも構築していたとも伝えています。日本製の銃がスペイン製の銃よりも性能において上回るとしますと、日本国は、16世紀末にあって世界第一の軍事大国に一気に躍り出ていたこととなります(ただし、徳川軍を有利に導いた大筒、即ち大砲に関しては、輸入に頼っていたのでは…)。
秀吉としては、イエズス会の指図通りに動く‘駒’の地位に甘んじるよりも、同会からの独立を志向してもおかしくはありません。秀吉は、スペインの植民地であったフィリピンや台湾まで征服する計画を抱いていたとされますが、誇大妄想ともされてきた秀吉の野望にも、当時にあって世界最高レベルに達した軍事技術の裏付けがあったのでしょう(もしかしますと、銃弾の原料である鉛の産地であったタイの征服をも構想していたかもしれない…)。秀吉は、朝鮮出兵にあってイエズス会の意向に従っているように装いながら、その実、禁教等も含めて同会を追い詰めつつ、独自路線を歩もうとしていたのです。
この事態は、国家に寄生して裏から操る手法を得意とするイエズス会には、飼い犬に手を噛まれるに等しく、全ての計画がご破算になりかねない危機と映ったことでしょう。そこで、イエズス会は、特定の国家を支援してその軍事力で自らの目的を達成させるという方針を見直し、別の路線に切り替えたように思えます。慶長の役の最中となる1598年には、イエズス会士であったマテオ・リッチが北京に赴いており、イエズス会の明国での布教活動は軌道に乗りつつありました(同年9月、フェリペ2世、並びに、秀吉が相次いで死去…)。即ち、‘平和的な手段’による明国攻略の可能性を見出したイエズス会もまた、日本国の軍事力を必要としなくなったとも言えましょう。1601年には、マテオ・リッチは、明国高官の紹介により、遂に明国第14第皇帝であった万歴帝の宮中への出入りを許されています。
1644年に明国は李自成の乱によって滅び、その後に清国が成立しますが、イエズス会は清国との関係も良好であったようです。アダム・シャール、フェルディナント・フェルビースト、ジョアシャン・ブーヴェ、ジャン・バティスト・レジス、ジュゼッペ・カスティリオーネなどは、何れも清国に仕えたイエズス会士達です。そして、中国国内には、教会組織を介したイエズス会の情報網も張り巡らされていたのかもしれません。現代に至り、中国は共産主義国家として中華人民共和国を建国し、‘宗教は麻薬’と決めつけてあらゆる宗教を弾圧するようになりますが、イエズス会と共産党には、その戦闘性や全体主義志向など、幾つかの共通点が見受けられます。今日、北京政府が「香港国家安全維持法」を制定し、「一国二制度」は危機に瀕していますが、こうした暴挙とも言うべき動きについても、国家の視点のみならず、水面下での国際組織の世界戦略をも視野に入れたグローバルな視点が必要なことは、昔も今も変わらないのではないかと思うのです。