万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

自衛隊が米軍による対北軍事制裁に参加するもう一つの意義

2017年11月30日 15時59分11秒 | 国際政治
小野寺防衛相、新型ICBMの見方=北朝鮮ミサイル「かなりの能力」―参院予算委
アメリカによる対北軍事制裁の可能性が高まる中、日本国の自衛隊についても、対米軍事協力が現実味を帯びてまいりました。昨今、安保法制の整備もあり、自衛隊の参加は、日米同盟の文脈において議論されがちです。しかしながら、自衛隊の軍事制裁への参加は、もう一つの意義があるように思えます。

 それは、日本国が‘世界の警察官’の一翼を担うという意義です。国連構想とは、第二次世界大戦において戦勝国となった連合国主要五か国に‘世界の警察官’の役割を担はしめることにより、国際社会の治安を維持するというものでした。国際法が未整備な段階にあっては、政治問題における‘調整役’をも兼ねざるを得ないものの、その基本的な役割は、国際法秩序に基づく平和の維持にあったのです。国連安保理の常任理事国という特権的地位の付与も、“世界の警察官”という重責あってのことであり、国連の枠組にあって、権利と義務とを一先ずはバランスさせたのです。

 ところが、発足時において既に米ソ対立という現実を前にして国連は構想通りには機能せず、ソ連邦は、国連常任理事国でありながら、国際法を順守することなく強大な軍事力を背景に周辺諸国を侵略、あるいは、属国化し、‘世界の警察官’どころか、さしずめ‘世界の無法者’の如くの様相を呈します。アルバニア決議によって常任理事国の席に座った中国も、その悪党ぶりはソ連に優るとも劣らず、南シナ海問題における仲裁判決を無視する態度は、‘世界の警察官’の崇高なる精神性とは真逆です。

 今日の国際社会の現状は、北朝鮮問題に対する中ロの擁護姿勢から明白なように、当初の国連構想とはかけ離れており、それは、国際社会の治安維持機能の著しい低下を意味しています。今日の国連の仕組みでは国際社会の平和は維持し得ず、その加盟国の多くも、悪しき国による国際犯罪の被害を蒙るリスクに晒され続けているのです。となりますと、今日において議論すべき課題は、国際社会における治安維持機能の向上であり、そのためには、国連等の制度改革も議論の俎上に載せるべきとなります。‘世界の無法者’に転じた‘世界の警察官’を解任すべきですし(アルバニア決議の逆パターンもあり得るのでは…)、あるいは、アメリカが過剰負担に耐えられないならば、より多くの諸国が警察官の役割と責任を分担する‘集団的警察機構’への改組も必要となりましょう。

 このように、将来に向けた国際社会の方向性や今後の国連の組織改革を展望しますと、今日、日本国がアメリカと共に‘世界の警察官’の役割を担うことは、日本国の安保理常任理事国入りの議論においても評価ポイントとなるかもしれません。常任理事国は、真に‘世界の警察官’の役割を理解している国が務めるべきあるからです。

 中国の習近平国家主席は‘中国の夢’を掲げ、自国を中心とした華夷秩序の再構築を目指しておりますが、位階秩序となる同構想よりも、法の支配、民族自決、主権平等の原則に基づく国民国家体系の方が遥かに優っております。中国は、北朝鮮問題を‘中国の夢’を実現するための踏み台にしようと目論んでいるのでしょうが、同問題は、中国の利己的構想には与せず、人類が、その倫理的進化に沿った道を選ぶ転換点ともなり得ます。日本国の自衛隊の参加は、この文脈においても重要な意義を持つのではないかと思うのです。

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北朝鮮の核・ミサイルによる脅迫効果の無効化を

2017年11月29日 16時11分33秒 | 国際政治
北朝鮮 重大報道で「『火星15型』の発射実験に成功」
 古来、戦争の勝敗は、優位兵器の保有によって左右されてきました。たとえ兵数や武器数で優ってはいても、相手方が自国よりも圧倒的に優位な武器を保有している場合には、あえなく敗北を喫する運命が待ち構えていたのです。

 優位な武器の保有は、有事に際しては勝因となると共に、平時あっても、相手国を脅迫・威嚇する手段として用いることができますし、敵国に軍事行動を思い止まらせる抑止力としても作用します。かくして、各国とも、僅かでも他国よりも性能の優れた武器を持とうとするインセンティブを有するのです。ところが、際限なく兵器開発競争が続けた結果、核兵器という、敵国どころか人類を絶滅しかねない兵器が開発されてしまいました。ここに至って、国際社会はようやく兵器開発競争に歯止めをかけるべく、一部に核保有国を残しながらも、国際条約を以って核兵器の開発・保有を制限するに至ったのです。NPT条約に加盟した諸国は、人類の生存と平和を願う善意から同条約に署名し、国際法秩序の下における共通の行動規範としたと言えるでしょう。

 さて、北朝鮮の核・ミサイル開発問題については、古来の優位兵器保有願望から説明することができます。しかしながら、北朝鮮の主たる核・ミサイル開発の目的は、有事における実践的な使用よりも、平時における利用、しかも、他国に対する脅迫や威嚇であると推測されます。何故ならば、第一に、実際に有事となり、米軍と真正面から戦えば敗北は必至であり、金正恩体制も消滅する可能性が高いからです(韓国側に逃走した北朝鮮兵士の健康状態を見れば、激しい地上戦に耐え得るとは思えない…)。“破れかぶれ”での核使用もあり得ますが、暴力団がそうあるように、脅迫手段こそ相手に要求を呑ませる重要な“商売道具”なのです。

 第二の理由は、NPT体制、あるいは、核兵器禁止条約によって他国の核保有が禁じられている状態は、核保有の脅迫効果が発揮される最適環境であるからです。人類の生存と平和を願う善意が、北朝鮮に脅迫に適した環境を与えるという皮肉な結果となっているのです。これも、平和な社会を脅かす暴力団の問題と類似しており、銃刀法によって一般の人々が対抗する武器を保有できないから状況こそ、暴力がその威力を振るうのと同じです。ICBMやSLBMを完成させれば、北朝鮮は、全人類を人質にとることもできるのです。

 北朝鮮の発想と思考が、悪の本質である利己的他害性を行動原則とする暴力団と等しいと考えれば、その行動を容易に理解することができるのですが、問題は、言わずもがな、この核兵器による脅迫を目論む暴力主義国家をどのように対応するのか、ということです。脅迫が北朝鮮の第一の目的であれば、まずは、脅迫効果を無効にすることが肝要となります。脅迫とは、脅迫を実行する舞台が必要となりますので、この場合、北朝鮮の核やミサイル保有を前提とした交渉による解決は、北朝鮮の“思う壺”となります。また、合意や話し合い解決が過去二度にわたって失敗―94年の米朝枠組み合意と六か国協議―した以上、たとえ核・ミサイル放棄を前提とした交渉であっても、騙される可能性が極めて高いと言わざるを得ません。しかも、犯罪行為に“飴”を与える行為となり、深刻なモラルハザードが生じます。

 となりますと、脅迫を常とする暴力国家への対処手段としては、積極的手段と消極的手段の二つに絞られてきます。積極的手段とは、武力による強制的な核・ミサイル排除であり、この手法を選択すると、それが米国民の安全を守るという“アメリカ・ファースト”の結果であれ、米軍が“世界の警察官”の役割に復帰したことを意味します。そして、アメリカが最も低リスクで軍事行動を実施できる期間は、北朝鮮がICBMを完成させるまでとなりますので、残された時間はごくわずかしかありません。

 もう一方の消極的手段とは、ミサイル防衛システムの強化を図りつつ、これまで以上に経済制裁を徹底することで、同国が核・ミサイルの放棄に応じるまで、あるいは、体制が崩壊するまで手を緩めることなく、北朝鮮を締め上げる手法です。もっとも、この手法には、制裁実施中に北朝鮮が核・ミサイル技術を完成させるリスクがあります。この場合には、北朝鮮側から宣言による脅迫、あるいは、核・ミサイル保有を前提とした交渉の開始が提案されるでしょうが、脅迫効果を無効とする所期の目的に従い、アメリカ側には、同政策を選択するに当たっては、決して脅迫には応じず、交渉提案も拒絶するとする固い覚悟が必要とされます。仮に、この手法でも北朝鮮が核・ミサイルの放棄が実現しない場合には、現行のNPT体制を解消し、全諸国の核保有を前提とした新たな国際的な核管理体制を構築する必要が生じることとなりましょう(あるいは、際限なき武器開発競争の再開か…)。

 武力行使と経済制裁とを比較しますと、後者には“制裁の抜け道”や協力国が背後に控えている可能性もありますので、リスクがゼロではないにせよ、前者の方が手段としては確実です。本日早朝に過去最長の射程距離とされるICBM―「火星15号」―の実験が実施され、北朝鮮問題が時間との戦いとなった今、トランプ米大統領、並びに、国際社会は、重大な決断を迫られていると思うのです。

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生活保護費の使途-パチンコは許されてパソコンは許されないのか?

2017年11月28日 15時09分31秒 | 日本政治
「PCは人から借りられる」生活保護費の返還命じる判決
報道に拠りますと、東京地方裁判所は、生活保護費の返還訴訟において、パソコン購入は「自立更正のための出費」には当たらないとして、原告側の主張を退けたそうです。この裁判、もとより生活保護費の不正に受け取った女性が全額返還を拒んで起こした訴訟ですので、原告側の違法行為については明白なのですが、生活保護費の使途の範囲を示すこの判決から間接的に浮かび上がるのは、生活保護者のパチンコ店通いに対する甘さです。

 生活保護者のパチンコについては、一時、兵庫県小野市などの地方自治体が禁止条例などを制定したものの、その後、この動きは全国的な広がりを見せずにトーンダウンし、現在に至っております。国レベルでの法律では禁止されていないとする理由から、謂わば“野放し状態”であり、左派を中心に、憲法まで持ち出した擁護者も少なくありません。パチンコでの遊戯は、憲法第25条に述べる“健康で文化的な最低限の生活を営む権利”に含まれると…。

 しかしながら、今般の東京地裁の判決基準からしますと、パソコンの購入よりもパチンコの方が遥かに無駄な保護費の使途です。パソコンの場合には、就職活動や情報収集のために必要という、もっともらしい“言い訳”、あるいは、“根拠”がありますが、パチンコ通いに至っては、むしろ、自立更正の阻害要因となっている可能性もあります。パチンコ店で遊びに興じる時間があれば、自活を実現すべく、就職活動に取り組むべきですし、あるいは、手に職を付けるために職業訓練所等に通うべきです。また、憲法第25条の条文も、拡大解釈すれば、如何なる遊びも権利化されてしまいますので、線引きが困難なことを悪用した詭弁としか言いようがありません。

 政府や地方自治体のパチンコに対する度を越した甘さは、その事業者の大半が在日北朝鮮人の人々であることに起因しているとされています。戦後直後には暴動を起こすなど実力行使が目立ちましたが、今日に至るまで、巨大産業と化したパチンコ・マネーを背景に、朝鮮総連といった在日北朝鮮人団体は、日本国内の政治にも隠然たる影響を及ぼしてきました。そして、今日では、パチンコ事業者による本国への送金が北朝鮮の核・ミサイル開発の資金と化しているとの指摘もあり、生活保護者のパチンコ通いは、事実上、公費による北朝鮮支援ともなりかねないリスクがあります。

 パチンコ問題は、生活保護の分野に限定さるわけではなく、安全保障問題とも直結しております。今般の判決を機として、生活保護費の使途の厳格化に努めると共に、願わくば、全国的、かつ、全面的なパチンコの禁止に踏み込むべきではないかと思うのです。

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秋田県が危ない-北朝鮮のテロに警戒を

2017年11月27日 14時53分41秒 | 国際政治
漂着の木造船から8人の遺体…秋田・男鹿の海岸
  ここ数日、秋田県に関するニュースが立て続けに報じられております。北朝鮮からの木造漁船による8人の漁民の漂着に次いで、今月26日には、秋田空港ターミナルビルで4時間に亘る停電が起きています。

 北朝鮮からの漂着者については、乗組員の供述に因りますと、脱北者ではなく、イカ漁の最中に故障により漂流したそうです。しかしながら、防波堤に係留していた木造漁船が翌日に行方不明になるというハプニングも生じています。強風により沖合に流された可能性が高いそうですが、秋田県警が船内の調査が予定されていただけに、どこか怪しさが漂います。秋田空港ターミナルの停電も、落雷が原因と説明されてはいるものの、空港が落雷に無防備なはずもなく、落雷説にも疑問が残ります。

 仮に、北朝鮮船舶の行方不明が、秋田県警による調査を回避するための何者かによる意図的な行為であるとしますと、誰が、何を目的として行ったのでしょうか。(1)北朝鮮側(朝鮮総連などの在日北朝鮮組織)による日本国のEEZ内での密猟の証拠隠滅、(2)同じく北朝鮮側による漂流原因を故障とする嘘の証拠隠滅(燃料不足、あるいは、脱北の意図…)、(3)そして、(2)に関連するもう一つの可能性として、漁船を装った工作船であることがばれることの阻止…等を挙げることができます。いずれにいたしましても、8人の北朝鮮人は拘留されているわけですから、これらの人々が漁船に近づくことは不可能です。となりますと、仮に意図的な証拠隠しであったとしますと、関連情報を外部、即ち、日本国内の北朝鮮組織に流した“協力者”が秋田県警内部に潜んでいることになり、事態はさらに深刻化します。

 北朝鮮の核・ミサイル開発問題について秋田県が無関係であれば、かくも、猜疑心に満ちた推理をする必要もなかったことでしょう。しかしながら、秋田県が、山口県と並んで弾道ミサイルの迎撃を目的とした対北ミサイル迎撃システム―「イージスショア」―の陸上配備地であることを考慮しますと、同県こそ、最も北朝鮮からテロ攻撃や工作活動を受ける可能性が高い地域の一つと言うことができます。

本日も、別の木造漁船が秋田県男鹿市の海岸で8人の遺体と共に発見されたと報じられております。今般の一連の出来事には事件性がなかったとしても、今後とも、漁船を装った工作員の運搬や潜入などはあり得ますので、日本海を隔てて北朝鮮の対岸となる秋田県につきましては、海上警備を強化すると共に、特にテロ警戒レベルを上げる必要があるのではないかと思うのです。

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危うい公明党・創価学会の“歴史認識”

2017年11月26日 16時07分17秒 | 日本政治
韓国大統領の訪日招請=北朝鮮対応で結束確認―公明代表が会談
 先日、韓国を訪問した公明党の山口那津男代表は、安倍首相の親書を懐に文在寅大統領との会談に臨んだものの、懸案となっております“慰安婦問題”につきましては、一言も触れず終いであったそうです。この姿勢から伺えるのは、公明党・創価学会の危うい“歴史認識”です。

 中国や韓国が関わる歴史認識問題には、事実に対する解釈の違いではなく、事実関係そのものが争われるという特徴があります。南京事件や慰安婦問題などが議論されるに際には、客観的事実を重んじる日本国対、主観的国家イデオロギー、あるいは、国民情緒を優先する中国・韓国という構図で説明されてきました。一般の日本国民からしますと、捏造された歴史を押し付けてくる中国や韓国の態度は前近代的であり、日本国の名誉を棄損する虚言や虚証は犯罪的ですらあります。当然に、中国や韓国に対しては批判的となるのですが、公明党の言動を見ておりますと、日本国内にも、問題が無いわけではないようです。小党とはいえ、公明党という政権与党の政党が、あろうことか、中韓と歴史認識を共有しているのですから。

 ネット情報等に因りますと、創価学会の名誉会長であり、教祖とも言える池田大作氏は、朝鮮半島を出自としており、このため、同地に対する思い入れが強いとされています。真偽のほどは不明ながら、創価学会の活動傾向を見る限り、この説の信憑性は高く、公明党の中国・韓国・北朝鮮に対する度を越した低姿勢は、同教団トップの個人的な意向の反映として理解されます。また、今日、同教団が、国内にあっては移民系の人々の間で信者を増やし、対外的にも布教の国際展開を目指すと共に、国連等の国際組織や他の世界宗教団体等との繋がりを強化する方向にあるのも、教祖の個人的な背景としての“国際性”が強く作用しているのでしょう。そして、同氏が語ったとされる“中国は日本の父であり、韓国は日本の兄である”とする“歴史認識”は(聖教新聞に掲載されたらしい…)、氏の出自を以ってしか説明できないのです。

 古来、日本国には、‘中国を父として尊び、韓国を兄として敬う’という考え方は存在していません。否、日本国は、聖徳太子(厩戸皇子、多唎思比孤)が隋の煬帝に送った上奏文にも記される通り、中国を中心とした冊封体制に入ることなく、国家としての独立を保ってきたことを誇りとしてきました。『隋書倭国伝』にあっても、その後、日本国との国交は途絶えたと記されており、両国間では上下関係は成立しなかったのです。一方、朝鮮半島には、清朝に至るまで属国として冊封体制に組み入れられた歴史があり、それ故に、中国は“父”の地位と認識されてきたのでしょう。韓国を“兄”と見なす認識も、華夷秩序の外にある国を‘中華帝国の高い文明に浴さない野蛮な国’と見なす伝統的な固定概念に由来し、日本人の発想には全くないものです。

 一般の日本国民と創価学会の歴史に対する姿勢の違いは、公明党が政権与党であるという現実により、極めて深刻な状況をもたらしています。創価学会は、政党レベルのみならず、外務省や皇室・宮内庁等にも多数の学会員を配して影響力を及ぼしているため、韓国と”歴史認識”を共有する一部の朝鮮半島系宗教集団による‘朝貢’の如き媚韓政策が、“日本国の政策”として具体化されてしまうのです。これでは、日本国政府内に‘小韓国’が存在しているようなものであり、一般の日本国民にとりましては、内政干渉、間接侵略、あるいは、国権の簒奪にも等しいこととなりましょう。慰安婦問題を始め、多くの人々が日本国の名誉回復のために努力している中、内側から足を引っ張る与党公明党に対して、日本国民の多くは、背信者と見なしているのではないでしょうか。

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立憲民主党:希望の党の失速は明日の我が身では?

2017年11月25日 16時10分23秒 | 日本政治
各紙の世論調査によりますと、現在、立憲民主党の支持率は自民党に次ぐ第二位を維持しており、野党陣営において筆頭の地位にあります。この勢いに乗じてか、北朝鮮情勢が緊迫する最中にあっても、集団的自衛権の行使を違憲とする立場を表明しております。

 立憲民主党という党名に既に安保法制違憲の主張が含意されており、この命名には、与党が合憲とする憲法解釈を真っ向から否定し、違憲とする自党の解釈こそ唯一絶対であるとする教条主義的な態度が透けて見えます。同党の違憲解釈は、数ある解釈の一つに過ぎないにも拘らず、憲法第9条の遵守=安保法制違憲の構図を国民に刷り込むべく、政党名を用いて印象操作を試みたのでしょう。

 その立憲民主党は、“希望の党から排除された政治家が自らの信条を貫いて新たな政党を結成した”というヒロイックな展開から、判官贔屓を好む国民性によって少なくない支持を集めることとなりました。この舞台においては、希望の党側が“悪役”に転じる一方で、立憲民主党は、枝野議員の巧妙な立ち回りにより“ヒーロー役”を掴んだのです。一瞬であれ、民主党政権時代の“悪役”のイメージを払拭したのですから、驚くべき政治手腕です。しかしながら、実のところ、配役は違っても、先の東京都知事選でも同様のストーリーが展開されております。この時は、今般、“悪役”となった小池東京都知事が健気な“ヒロイン”となり、“悪役”には舛添前知事とその継承勢力が据えられたのです。

 政界において繰り返される“悪役”と“ヒーロー”あるいは“ヒロイン”の交代劇は、如何に、支持率が当てにならないかを如実に表しています。必ずしも、有権者が政党の政治信条や政策に共鳴したわけではなく、政治劇における役回りを見て投票の判断をしているからです。このことは、立憲民主党の高い支持率も長くは続かないことを示唆しております。出発点が、民主党政権時代に演じた“悪役”なのですから、一時的な“ヒーロー効果”も、時が経つにつれて薄れてゆくことでしょう。

立憲民主党は、希望の党の失速に溜飲を下げるよりも、明日の我が身と心得た方がよいのではないでしょうか。そして、国民も、選挙戦を舞台とした政党や政治家の役回りに踊らされないよう、賢明な選択に努めるべきなのではないかと思うのです。

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国民に“二重思考”を強いる皇室問題の病理

2017年11月24日 10時50分27秒 | 日本政治

眞子さま、来年11月4日結婚式=納采の儀は3月4日
近年の皇室を見ておりますと、国民の多くが底知れない不安を感じさせる“何か”があります。それは、直感的に“何かが違う”と感じさせるものなのですが、今日の皇室問題を“二重思考”の観点から眺めますと、この違和感の本質に僅かなりとも迫れるように思えます。

 “二重思考”とは、ジョージ・オーウェルの『1984年』に登場する独裁国家で行われている思考訓練のことです。一党独裁国家であるオセアニア国では、科学的で高度な思考方法と銘打って、相矛盾する事柄を同時に信じさせる訓練がなされています。党のスローガンは、“戦争は平和なり”“自由は隷従なり”“無知は力なり”の三つであり、まさにこの“二重思考”の欺瞞を端的に表しています。

 “裸の王様”の寓話に語られるように、権威者や権力者による国民に対する思考の抑圧や事実の糊塗という行為自体は、昔も今も変わりはありません。そして、“正直の否定”や“理性的判断の否定”が国民に精神的な苦痛を与えることは、凡そ誰もが認めるところです。この問題は、普遍的に人類社会が直面してきたとも言えるのですが、“二重思考”は、より詐術的な手の込んだ思考歪曲を試みているように思えます。

 “二重思考”が極めて厄介なのは、理屈を捏ね繰り回したり、特異な解釈を施したり、迂回経路を設ければ、“尤もらしく”聞こえてしまうことです。例えば、部分的な真の強調、別系統の価値の移入、虚偽・捏造の混入は、人々にそれを信じる余地を与えます。一つの対象に対して二つの矛盾する要素が併存する場合、人々の頭は混乱し、心的な苦痛を覚えるのです。完全に否定はできないものの、完全に肯定もできないという曖昧な状況は、人々を不安に陥れ、健全な心を蝕みます。

 皇室の現在を見ますと・・・“高貴は下賤なり”“伝統は革新なり”“皇室は外国なり”といった言葉が思い浮かびます。何れもが相互に矛盾しながらも、現皇室に内在しているからです。そして、“菊のカーテン”という情報隠蔽の道具によって、国民は、真実に辿り着くことができず、何時までも宙に浮いた状態に耐えねばならないのです。しかも、マスメディアは、二重思考訓練機関の如く、皇室礼賛番組や報道を流し続けるのですから、国民の不快感、不信感、さらには反感までもが否が応でも高まります。

 皇室が全体主義体制に近づき、日本国支配の一機関に堕してしまうとしたら、それは、もはや、古来、日本国民から自然なる崇敬心を集めてきた皇室とは異質のものとなりましょう。皇室をめぐる“二重思考”の苦しみから如何に脱するか、日本国民は、今、まさに正念場に差し掛かっているように思えるのです。

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皇統断絶は日本国の滅亡か?

2017年11月23日 15時24分15秒 | 日本政治
 一連の不可解な動きにより皇室に対する不信が深まる中、日本国民は、天皇、並びに、皇室とは何か、という根本的な問題に直面しているように思えます。こうした中、評論家の三橋貴明氏が、自身のブログ「新世紀のビッグブラザーへ」において皇統断絶亡国論を展開しておりました。

 氏は、同ブログにて、日本国の亡国が永遠化する可能性として、(1)移民国家化と(2)皇統の断絶の二つ挙げております。イギリスのEU離脱の如く、国家主権は、手段を講じれば取り戻すことはできても、これらの二つが発生した場合には、永遠に日本国は亡びると言うのです。皇室の現状に対する憂慮から書かれた記事であることは十分に理解できるのですが、果たして、皇統断絶は、日本国の未来永劫にわたる亡国を意味するのでしょうか。以下の諸点からしますと、必ずしも、皇統断絶=日本国滅亡ではないように思えるのです。

 第1に、氏は、「皇統」を今上天皇の男系子孫と極めて狭く定義しております。しかしながら、「皇統」とは何か、と言った場合、その定義は、高天原より天下った瓊瓊杵尊を祖とする神武天皇から発する皇別氏族とその支族の全てを含むことになりますので、今日では、「皇統」は、男系に限ったとしても相当数の国民に広く薄く共有されております。むしろ、近現代の歴史的経緯によって現皇室の方が一般の日本国民よりも、むしろ皇統が薄い、もしくは、既に、皇統は断絶しているということもあり得るのです。従いまして、日本人がこの世に存在する限り、皇統は、脈々と日本人に受け継がれ、日本国の滅亡はあり得ないこととなります。

 第2に、氏の挙げた二つの可能性の一体化、あるいは、「皇統」は繋がってはいても外国人の血脈の方が濃くなる事態があり得ることです。たとえ男系を維持したとしても、皇室の内部において多民族化が起きてしまうケースです。実のところ、このケースは既に起こっている現実問題であり、ネット上では、様々な未確認情報が飛び交っております。東宮妃については、少なくともネット上にあっては、民間調査の結果として、朝鮮半島出身説がほぼ定説化している状態です(正田富美子さんにも中国人、朝鮮人、イギリス人等の混血説がある…)。秋篠宮家の眞子さんとの結婚が予定されている小室圭氏も出自不明であり、“菊のカーテン”が個人情報の完全隠蔽を意味するならば、今後とも、皇族の婚姻相手は出自不問となりましょう。

 その結果として、皇室を日本国の顔と見なす意識や皇室に対する崇敬の念は国民から消え失せることになりますが、皇統断絶=日本亡国説では、こうしたリスクは説明していません。また、先に触れたように、過去においては、室町時代、戦国時代、そして明治維新に際して皇統が途絶えた可能性が高く(外国や国際勢力の傀儡化?)、仮に、DNA検査等により万世一系が否定された場合、同説に従えば、既に日本国は滅びていることとなります。

 第3として挙げられる点は、法的な観点からすれば、国民主権を原則とする現行憲法では、天皇の地位は国民の総意に基づくとされています(国民>天皇の構図)。皇統の如何に拘わらず、日本国には日本国民が存続しますので、皇統断絶で日本国が亡びるという論は、国民軽視、あるいは、自虐的ですらあります。古来、天皇の役割は、主として国家・国民の安寧を祈る国家祭祀にあり、長きにわたる歴史において日本国を造り上げてきたのは日本国民です。日本国の今日の姿は、日本国民の努力と才知の結晶なのです。

 今日の国民国家体系では、民族を枠組みとして政治的な独立国家を有する集合的な権利を認めておりますので、移民の増加が亡国を意味することについては同意できます。しかしながら、皇統断絶が日本国の未来永劫にわたる亡国であるのか、と申しますと、これは、極論であるように思えます(王制から共和政に移行した諸国は既に滅んでいるのでしょうか…)。日本国を破壊したい勢力は、保守に向かったつもりが革新に至るという、八の字型の逆転戦略を好んで仕掛けますし、破壊者とは最も安全なところにその身を隠したがるものです(内部化)。現皇室の血筋への執着や絶対化は、むしろ、反日諸国に乗っ取り・破壊誘因を与えると共に、自ら、容易に達成可能な日本滅亡の条件を設定するようなものではないかと思うのです。

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5月1日改元案の怪

2017年11月22日 15時45分38秒 | 日本政治
退位日程の決定に向け 来月1日に皇室会議
本日の報道によりますと、官邸が予定していた年始改元案が断念され、5月1日、あるいは、4月1日改元案が浮上しているそうです。5月1日が第一候補のような書きぶりですが、この案、一体、誰が、どのような経緯で提案したのでしょうか。

 最有力とされた年始改元案が早々に断念されたのも腑に落ちません。何故ならば、昭和天皇は、その崩御に際し、国民に迷惑がかからぬよう年内にあってその日を伏せ、敢えて年明けの1月7日と発表し、年始改元に近くなるように計らったとされているからです。真偽のほどは別としても、昭和天皇の国民を慮るお気持ちが伝わり、国民の心に沁みる逸話となったのですが、年始改元案の見送りは、この逸話からしますと現在の皇室や宮内庁には徳がないとする印象を国民の多くに持たれることでしょう。その理由が、“年末年始には宮中行事が集中しているから”というものすが、今般の改元は、予め日程が決まっているのですから、昭和天皇崩御時よりも遥かに容易に準備ができるはずです。

 その一方で、5月1日改元案の主たる理由は、大型連休の時期に当たるため、国民の祝賀ムードも高まるであろう、という期待に過ぎません。ところが、創価学会との関係を含め、東宮家には様々な犯罪がらみの疑惑が渦巻いており、国民が心からその即位を祝する状態にはありません。マスコミは連日祝賀番組を報じ、国民こぞって新天皇の即位を祝っているとする演出を試みるでしょうが、むしろ、一般の国民の側は、“お通夜状態”にもなりかねないのです。しかも、5月1日における改元ともなりますと、年度については僅か一月余りで全ての表記を変更せねばならず、年度別表記も、平成30年度と新元号元年度を併記する必要が生じます。これでは国民の負担となりますし、混乱の要因ともなりましょう(昭和64年は僅か7日間しかない…)。また、祝賀ムードの醸成が理由であるならば、即位の礼をこの日に定めた方がよほど説得力があります。

 理由らしい理由がないどころかマイナス効果しか見当たらないのですから、5月1日改元案は、日本国民とは全く関係のないところで考案されたものと推察せざるを得ません。そしてそれは、日本国外の存在である可能性もあるのです。5月1日とは、社会・共産主義運動を記念するメーデーであり、この日の選定は、近年の皇室の左傾化傾向とも一致しています。皇后とヒラリー・クリントン氏との親交、東宮の習近平夫人との観劇、“愛子さん”の作文におけるオバマ前大統領の登場など、現皇室がアメリカ民主党や中国共産党とも近しい様子が見受けられ、その背後には、何らかの国際組織の存在が疑われるのです。

 改元の日程と同時に、皇室会議の開催日、並びに、秋篠宮家の眞子さんと小室氏との結納や結婚式の日取りも決められたようです。日に日に皇室への不信感が募るばかりなのですが、皇室問題の根源に行き着くには、定説から離れた客観的な視点からの日本国の近現代史、さらには、世界史の再検証が必要とされるかもしれません。そしてそれは、真の日本国独立という重大なる課題を背負う作業となるのではないでしょうか。

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国土交通相の公明党“独占”問題-悪しき少数者支配

2017年11月21日 16時01分06秒 | 日本政治
 自民党と公明党との連立政権には、一つの特徴が見受けられます。それは、公明党が国土交通大臣のポストに執着している点です。

 2004年9月の第二次小泉内閣の改造時に北側一雄氏が同ポストに抜擢され以来、公明党議員による国土交通大臣就任が目立っております。2012年12月に成立した第二次安倍内閣にあっては、太田昭宏氏、石井啓一氏と続き、およそ独占状態に至っているのです。同ポストのみならず、与党としての政策の方向性を見ますと、安倍内閣には公明色が強いという特色があります(第一次安倍内閣時は冬柴鐵三氏)。

 国土交通大臣とは、2001年の中央省庁再編に際し、運輸大臣、建設大臣、北海道開発庁長官、国土庁長官を統合して設置されたポストであり、極めて広範囲に及ぶ職権が付与されています。交通インフラ事業、建設業、不動産業のみならず、日本国の基幹産業である自動車産業に対しても規制監督権が及んでいるのは、先日の日産の無資格検査問題等で国民にも知られるところとなりました。海上保安庁や観光庁等も同省の外局ですので、海外諸国が関係する分野にも権限が及びます。

 いわば、陸水空において日本国の“守り手”なのですが、公明党が、必ずしも“日本国ファースト”、もしくは、‘保守政党’ではないことは、創価学会が母体であることからも明らかです。近年、創価学会は、創価学会インターナショナルを擁する国際宗教団体に変貌しており、その活動範囲を全世界に広げています。“教祖”の池田大作氏が朝鮮半島出身とする情報の信憑性が高いのも、教団としての反日、あるいは、“中国・朝鮮半島ファースト”の姿勢にありますが、皇室をも半ば掌握することで、内外、左右、並びに、上下からの挟み撃ちで日本国の切り崩しを狙っている可能性は相当に高いように思えます。

 そして、こうした創価学会の基本姿勢からしますと、国土交通大臣のポストに公明党議員が座り続けることは、日本国、並びに、国民が、重大な“売国リスク”に晒されることを意味します。実際に、同省の管轄下にある政策を見ますと、日本国軽視と中韓優遇が随所に見られ、危機感を覚えざるを得ません。

 例えば、ここ数年、中国や韓国からの観光客数が激増していますが、この現象も、不自然と言えば不自然です。創価学会は両国政府との間にも独自ルートがありますので、これらの政府とのタイアップの下で日本国に観光客を大量に招き入れているとも推測されます。中国人観光客の爆買い等は、日本の国内経済に恩恵をもたらすとされていますが、その実態は怪しい限りであり、むしろ、観光地等において日本国の風景が激変する切っ掛けともなりました。中韓観光客の増加を理由に鉄道各社が駅名等にハングル表記をも加えるようになったのも、日本国改造の意図が読み取れます。近年、注目を集めている民泊やライドシェア等の分野でも、日本国内の事業者を育成するよりも、中国企業を含む海外事業者の進出を促しているかのようです(中国系の”白タク”の取締強化には着手したものの、中国・滴滴出行が来春にも日本国内でサービス開始…)。航空分野にあっても、アメリカの航空各社は、韓国の仁川空港をアジアのハブ空港として選択したとも報じられていますが、国土交通省が、成田空港のハブ化に熱心に取り組んだ様子は見られません(韓国に譲るかのよう…)。さらには、尖閣諸島の周辺海域において、海上保安庁の活動が消極的なのも、公明党の意向を受けて中国に配慮しているからなのかもしれないのです。

 公明党が同ポストを手放したくない理由は、上述したように、数ある閣僚ポストの中でも、特に日本国の全般的なコントロールや“改造”に必要となる権限が集中しており、さらには巨大な利権をも確保できるからなのでしょう。一つのポストの掌握で巨大権力を手にできる権力集中の弊害を考慮しますと、中央省庁の再編は、結果的には方向性を誤ったようです。そして、こうした公明党大臣による創価学会の方針に従った行動は、学会員ではない一般の日本国民に取りましては、公権力の私物化に他ならず、危険なカルト教団に公権力を委ねることを意味するのです。“小を大が呑む”は、同教団の好む言葉のようですが、それは、民主主義の原則に反し、かつ、外国、あるいは、外国人支配にもなりかねない悪しき少数者支配となるのではないでしょうか。

 本記事は、11月24日に修正しました。

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EUと“一帯一路”の合わせ鏡に映る哀れなギリシャの姿

2017年11月20日 15時57分22秒 | 国際政治
経済界の合同訪中団きょう出発 習政権の政策見極め、過去最大250人

 現在、ギリシャでは、ピレウス港の中国国有企業による買収に留まらず、不動産分野では外国人購入者の4割を占めるほど中国人による購入が増加しているそうです。ソブリン危機に端を発するギリシャ問題を見ておりますと、同国はEUと中国の“一帯一路”との二つの歪んだ合わせ鏡に映った奇妙な像のように思えてきます。

 EUも一帯一路も、共に国境を越えた広域的な経済圏構想である点において共通しています。EUは、2年以内にイギリスが離脱するものの、東方に向かって拡大を続けてきた歴史があり、中国の一帯一路は、終着地のイギリスを目指して西方へと延びつつあります。そして、ギリシャとは、まさしく東西が交差する両者の狭間に位置します。

EUでは、加盟国間の経済格差を是正するための政策を実施しており、一種の“財政移転”のメカニズムを内蔵しています。今日、EUで議論されている財政統合とは、この機能の強化に他ならず、欧州市場で実現した“もの、サービス、資本、人の自由移動化”が、必ずしも、全ての加盟国にプラス効果は及ぶわけではないことを示しています。言い換えますと、産業競争力の劣る国の市場は優位国の産品に席巻されると共に、優秀な人材は、国境を越えて移動可能ですので、より雇用条件の良い他の加盟国に流出してしまうのです。市場統合は、共存共栄の理想とは逆に加盟国間格差を広げかねないリスクがあります。また、ギリシャの場合、ユーロ導入により金融政策の権限も手放したため、財政危機に対して打つ手が限られてしまいました。

その一方で、同じく広域経済圏プロジェクトではあっても、中国の一帯一路構想には、EUのような統治機構は存在せず、共通財源も共通通貨もありません。域内諸国に対する財政支援的なシステムはAIIBによるインフラ融資ぐらいであり、共通通貨についても、域内貿易決済通貨としての人民元の普及を梃子とした“人民元圏”の自然的な形成を狙うという、別の手法が採られています。一帯一路構想に含まれる諸国では、既に、安価な中国製品が大量に流入し始めているそうですが、このことは、一帯一路構想においてギリシャの如く財政危機を抱える国が出現した場合(EUのような支援の枠組みがないので、ギリシャよりも悲惨に…)、中国マネーによってあらゆる資産が根こそぎ買い取られてしまう可能性を示しています。それは、インフラ施設や不動産等に留まらず、重要な輸出品である天然資源の採掘権や公営事業のコンセッションであったり、あるいは、徴税権といった政策権限であるかもしれません。このプロセスにあって、中国は、相手国に対する恫喝や脅迫手段として、強大な軍事力をも用いることでしょう。

現在と未来の二つの広域経済圏を合わせ鏡として見ると、そこには、両者の狭間に翻弄される今日のギリシャの姿が映っているように思えます。そしてそれは、少なくない数に上るであろう、将来の一帯一路域内諸国の姿でもあるのかもしれません。自国中心の広域経済圏の誕生は、巨大市場を背景に産業競争力を備えた中国にとりましては待ち焦がれていた“中国の夢”の実現なのでしょうが、中国経済に飲み込まれるリスクを抱えた諸国は、合わせ鏡に映された、西欧文明の発祥の地の一つに数えられるギリシャの今日の哀れな姿を、しかと見据えるべきではないかと思うのです。

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中国は対話解決がベストなら何故軍拡するのか?-素朴な疑問

2017年11月19日 16時47分57秒 | 国際政治
日米防衛相が1月に会談 小野寺五典氏が訪米し対北圧力協議 イージス・アショア視察も
あくまでも核・ミサイル開発の放棄に応じようとしない北朝鮮問題に対して、アメリカは、軍事的圧力を強めると共に、武力行使をも辞さない構えを崩しておりません。その一方で、中国は、話し合い解決を主張しております。

 交渉による解決は、国連憲章も推奨する平和的解決手段の一つであるために、各国の左派勢力をはじめ、一定の賛同者を得ています。軍事力=悪と捉える絶対的な平和主義者の耳には、中国の主張の方がよほど心地よく響くのです。それでは、中国は、平和主義国家なのでしょうか。

 建国以来、中国は、自国を平和主義国家と見なしてきました。中華人民共和国憲法にも、平和五原則―主権と領土保全の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存―が掲げられています。この原則は、1954年6月に周恩来首相とインドのネルー首相との間でも合意され、翌55年4月にはアジア=アフリカ会議において平和十原則へと発展し、非同盟運動の柱ともなりました。しかしながら、中国が、現実の国際社会においてこの原則通りに行動したのかと申しますと、御世辞にも模範的であったとは言えません。

そもそも、上記の平和五原則も、中印合意の2か月前に「中華人民共和国とインド共和国の中国チベット地方とインド間の通商・交通に関する協定」の前文に記されたものであり、1951年に発生した「一七条協定」の調印強要とその後の人民解放軍によるチベット占領によって、インドと国境を接するに至ったために締結されたものです。チベット侵略という軍事行動を起こしながら平和五原則を唱えたのですから、厚顔無恥としか言いようがなく、中国の平和主義は、その始まりからして欺瞞に満ちているのです。この一例を見ても、中国が語る美しい言葉を迂闊に信用してはならないことは明白です。

過去においては、弱小の国に対しては常に軍事力を以って“解決”してきた中国は、今日でも、習近平国家主席は“中国の夢”の実現を唱え、人民解放軍を戦える軍隊に改組した上で、世界一の軍隊に育て上げることを“人民”に誓っています。その一方で、北朝鮮問題に対しては、話し合い路線が既に行き詰りを見せているにも拘らず、平和主義的な立場からアメリカの武力行使に反対しているのです。ここで、北朝鮮問題に拘わらず、中国があらゆる問題において本心から対話を金科玉条とするならば、将来に向けて軍事力を増強する必要はないのではないか、とする素朴な疑問が湧いてきます。そして、この矛盾にこそ、平和と云う美名に隠れて自らの利益拡大を狙う中国の強かな狡猾なる善性悪用戦略が見え隠れするのです。

 中国の行動パターンからしますと、中国の平和主義は、現時点でアメリカが北朝鮮に対して武力行使した場合、北朝鮮、並びに、自国には勝ち目がないという判断に基づく打算に過ぎないのでしょう。おそらく、中国は、当問題については、“勝てない戦争はしない”、もしくは、“可能な限り阻止する”、あるいは、“一時的に和解して味方に回り、協力の対価を得る”といった戦略で臨んでいると推測されるのです。仮に、トランプ米大統領の訪中時に米中合意が成立したとすれば、一時的和解の路線であり、最終手段としてアメリカの対北武力制裁を認めつつも、戦後処理や台湾問題など、その他の分野で“漁夫の利”を得ようとしているのかもしれません。言葉と行動が一致しない国は信用ならず、ゆめゆめ中国を平和主義国家と見なしてはならないと思うのです。

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皇室・王室の“生前譲位ラッシュ”は偶然なのか?

2017年11月18日 15時24分20秒 | 国際政治
サウジ汚職取り締まり、拘束や銀行口座凍結がさらに拡大
サウジアラビアでは、現在、ムハンマド皇太子による汚職摘発を名目とした粛清の嵐が吹き荒れています。同皇太子への権力集中が顕著となる中、サルマン国王も、“生前譲位”の意向を示していると報じられています。

 この“生前譲位”という言葉、昨年の8月8日から、日本国でも注目を集めることとなりました。マスメディアの多くは譲位という歴史的用語を避けて“生前退位”と表現していますが、日本国の天皇も、この日に、生前における譲位を国民へのメッセージとして表明したからです。古来の王位継承法では、国王の崩御を以って代替わりとする慣習が多数を占めていますが、近年、ヨーロッパの王室を見ても、“生前退位ラッシュ”が起きています。サウジアラビアの憲法を見ますと、前国王の死と同時に王位継承者が権力を引き継ぐと解されますので(第5条(e))、生前退位を実現するためには、憲法の改正が必要となるはずです。日本国では、天皇による“お気持ち表明”は違憲、あるいは、違法であるか否かが議論されましたが、両国とも、およそ同時期に憲法に抵触する“生前譲位”問題が皇室や王室の側から提起されたのは、単なる偶然なのでしょうか。

 しかも両国の共通性は、“生前譲位”に留まりません。サウジアラビア憲法では、皇太子は、建国の父であるアブドゥルアズィーズ・イブン・サウードの男子子孫の中から最も清廉潔白な人物を、国王が選出する世襲後継者指名制度が定められており、その際、聖典コーランに定められた諸原則と予言者マホメットの伝統に従って忠誠を授かるとされています。言い換えますと、宗教国家であるサウジアラビアの国王は、スララムの教えをこの世に実現する役割を担っているのです。ところが、ムハンマド皇太子の国家改革の方針は、「世界に開かれたイスラム」を掲げつつも、“脱イスラム”のようにも見えます。女性や若者からの支持が高いのも自由化を伴う世俗化政策にあり、それ自体は批判すべきことではないにせよ、憲法の定める伝統的な役割からは逸脱しているのです。

 そして、この“上からの改革(リベラル化?)”は、日本国の皇室とも共通しております。日本国の天皇家の場合、憲法には明文の規定はないものの、国民の多くは、古代から継承されてきた国家祭祀、並びに、朝廷文化の継承者と見なしてきました。しかしながら、今日の皇室は、国民が驚愕するほど個人の自由を謳歌するのみならず、慣習的義務や伝統文化の拒絶、さらには、反日活動を展開してきた勢力等への接近といった政治的行動も散見されるのです。また、金融志向のムハンマド皇太子と同様に、皇室にも金融関連の噂が囁かれています。

 世界の皇室や王室を眺めますと、皆が揃ってある一定の方向に歩調を揃えているように見えるのは、穿ち過ぎなのでしょうか。もしかしますと、汚職摘発を粛清の根拠とする辺りは、中国の習近平国家主席の手法さえも髣髴させます(日本国の皇太子とも親しい?)。今般のサウジアラビアの政変は、図らずも、皇室・王室の背後に潜む国際ネットワークの存在を浮き上がらせているように思えるのです。

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トランプ米大統領アジア歴訪の吉凶

2017年11月17日 11時31分33秒 | 国際政治
中国の北朝鮮特使「大きな動き」 トランプ氏がツイート
 トランプ米大統領のアジア歴訪において、北朝鮮問題解決への布石が打たれたことは確かなようです。真っ先に動きを見せたのは中国であり、北朝鮮に特使を派遣すると発表しています(もっとも、特使派遣は、社会・共産主義国の慣例らしい…)。”北朝鮮特使”については、同大統領も素早く反応して期待感を示しており、訪中に際して何らかの米中合意があったものと推測されます。

 ビジネス界出身のトランプ大統領の基本的な問題解決のスタイルが交渉型であることは、大統領選挙戦に名乗りを上げた時から、再三にわたって指摘されてきました。この取引重視の姿勢は、国際法秩序を軽視する点において重大なリスクがあるのですが(二国間関係への矮小化…)、中国の習近平国家主席の思惑とは一致します。この点に関しては望ましくはないにせよ、米中が何らかの合意に達した可能性は極めて高いと言わざるを得ないのです。それでは、どのような合意が成立したのでしょうか。

 交渉とは、冷徹な損得勘定に基づく両者の利害の一致が前提となりますので、両国の国益、あるいは、両政権を支える主要勢力の目的や利益が調整されたと推測されます。交渉の裏には、為政者や政府のみならず、国内や国際社会の様々な利益団体の利害が複雑に絡んでいますので、表面だけでは合意内容を正確に推測することは困難ですが、公表されている限られた情報から判断すれば、以下のような合意が想定されます。主要なアジェンダである(1)北朝鮮による核・ICBMの保有、(2)北朝鮮の体制、(3)韓国のTHAAD配備問題、(4)米中経済関係、(5)アジアの将来像について見てみると、米中両国には、以下のような立場の違いがあります。

 北朝鮮問題をめぐる中国のスタンスは、(1)北朝鮮の核保有は認めないが、アメリカの武力行使は阻止したい(2)中国における共産党一党独裁を維持するために、北朝鮮の民主化・自由化は避けたい(金正恩体制には拘らない?)(3)韓国からTHAAD(米軍?)を撤退させたい(現段階では追加配備と日米間同盟の阻止に留まる…)、(4)現段階では、外貨や先端技術獲得等の手段となるアメリカとの経済関係は損ないたくない、(5)日本国をも含むアジア全域を中国の勢力圏としたい(南シナ海の軍事拠点化と途上段階としての米中二分割論)…というものです。そしてこれらは全て、全世界に君臨する大中華帝国(その影には中国を支える国際組織あり?)を中心とした華夷秩序の構築への一段階として位置付けられるのです。

 一方、“アメリカ・ファースト”を掲げるトランプ政権における同問題に対する対中交渉のスタンスは、(1)北朝鮮の核、並びに、ICBMの保有は認めず、武力行使も辞さない、(2)北朝鮮の体制移行は望ましいが、(1)の目的のためには譲歩の余地はある、(3)対韓不審や財政負担を考慮すれば、韓国からの米軍撤退の用意がないわけではない、(4)中国が米製品の輸入や対米投資を拡大して貿易不均衡を是正するならば、米中経済関係は維持したい、(5)アジア重視を打ち出してはいるものの、アメリカの利益となれば主要パートナーに中国を選ぶという選択肢を持つ(特に中国に莫大な利権を有する米企業等の影響力がトランプ政権において増す場合…)、となります。今日のアメリカには、かつての“パックス・アメリカーナ”の機運に乏しく、世界戦略を着々と進める中国と比較しますと、アメリカの方に譲歩項目が多いように思えます。

 以上の二国の基本的な立場をすり合わせ、双方が受け入れ可能な妥協点を探りますと、まずは、両者が、北朝鮮の非核化では完全に一致している点が注目されます。仮に、(1)だけに問題を絞るならば、アメリカが武力行使をするか、中国が石油禁輸を含めた経済制裁を徹底するかの、何れかで済むこととなります。となりますと、昨今の米中合意の主要な柱は、‘特使の派遣し、石油禁輸等の経済制裁の強化を伝達したにも拘わらず(中国による核の傘の提供もあり得る…)、北朝鮮が核・ミサイル開発の放棄を拒否した場合には、中国は、アメリカの武力行使を容認する、’といった内容となっているのではないか、と推測されるのです。

 しかしながら、北朝鮮問題とは、“ポスト金正恩体制”、あるいは、“戦後処理”をも含む包括的な問題であるとしますと、(2)から(5)までの項目が取引材料として交渉のテーブルに上ったはずです。そして、これらの項目における米中両国の取引こそが、日本国を含む他のアジア諸国や国際社会に取りまして重大な意味を持つのです。特に“中国の夢”を目標に掲げる中国に取りましては、今般の米中交渉は、この夢の実現に近づく千載一遇のチャンスとなるからです。

 仮に、トランプ政権が、国際法秩序や他のアジア諸国の安全よりも、中国との経済関係という実利を最優先としたディーリングを中国と行ったとしますと、事実上、米中間の“新しい大国関係”という名における中国の覇権主義がアジア全域を覆う事態になりかねません。(3)の韓国の場合は、既に文政権の下で中国の配下に入っており、かつ、韓国に業を煮やしたアメリカも米軍撤退に応じる下地がありますが、(5)におけるアメリカの譲歩により梯子を外された日本国は、米中両国の結託により、窮地に立たされる可能性があります。アジア歴訪の旅が、米中による“新たな大国関係”の相互承認、しかも、誕生したばかりの習近平独裁体制の承認であるとしますと、その吉凶は、日本国のみならず人類にとりましても、後者の方に大きく傾くように思えるのです。

 *本記事は、11月18日に加筆しました。

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座間市事件の闇-怪しい単独快楽犯説

2017年11月16日 15時35分42秒 | 日本政治
ロープ買い足し殺害か=計10本、未使用も―アパート9遺体・警視庁
9人にもの若い男女が、アパートの一室で無残な姿で発見された座間市事件。殺害方法の猟奇性故に日本社会を震撼させた大事件であり、マスメディアも、連日トップニュースとして報じてきました。ところが、一昨日あたりから報道ぶりが突然にトーンダウンし、スクープを競う週刊誌での扱いも地味なものとなっています。

 マスメディアの報道姿勢の転換は、ネット上において組織犯説が有力となってきた時期と凡そ一致しています。3人の男たちがクーラーボックスを運ぶ姿が目撃されており、当初から、組織犯説が囁かれていました。一方、白石隆浩容疑者の供述も一転二転しており、金銭目当てと述べたかと思えば、快楽目的とも話しており、事実が何処にあるのかわからない状況です。供述調書への署名も拒否しているところをみますと、容疑者の供述が信頼に足りないことは確かなようです。

 この事件の問題は、実のところ、組織犯罪である疑いが濃厚でありながら、事実に辿り着かない内に蓋をしたい勢力の影が見え隠れするところにあります。組織犯罪である可能性は、クーラーボックス証言のみならず、他に幾つかの指摘があります。例えば、快楽殺人であれば、遺体を内蔵に至るまで細かに解体する必要性が低いこと(通常のバラバラ殺人事件ではここまではしない…)、容疑者は諸外国の組織とも関係する風俗業関連のグループの一員であり、詐術的スカウトで逮捕歴があること、アパートの住民に全く気付かれることなく、物音を立てずに9人もの男女を殺害して解体するのは困難なこと…などなど。

 こうした諸点に加えて、注目すべきは、被害者の経歴における共通点です。報道に因りますと、女性8名の内の2名の高校生は、学校も違い居住地も離れているものの、共に演劇部に属していたそうです。仮に、この情報が正しければ、容疑者は、何らかの方法で既に被害者の情報を事前に収集していた、あるいは、演劇部の女生徒を狙って犯行に及んだ可能性が高くなります。何故ならば、上述したように、容疑者の仕事が風俗業のスカウトであり、これらの女生徒に対してオーディションへの参加や芸能プロダクションへの紹介などの甘言を以って誘い出したとする推測も成り立つのです(仲介や紹介料として金銭を要求した可能性もある…)。供述では、自殺願望のサイトへの書き込みに応じた人々を殺害したと述べているようですが、これは、自殺幇助に見せかけることで死刑を回避するための工作であったのかもしれません。そして、ここに、一つの謎が浮かび上がります。容疑者は、どのようにして、一人で関東一円の高校演劇部の情報を入手できたのでしょうか。

 また、金銭目当てから快楽殺人へと供述を翻したのも、被害者の多くが高校生や大学生といった女性であり、金銭目当てという動機では怪しまれると考えたのかもしれません。仮に、ネット上で疑われているような組織的な臓器売買や人身売買が目的であれは、被害者一人につき多額の報酬をうけとることができますので、最初の供述と一致します。頭部だけをクーラーボックスで保管した理由も発覚を怖れたためとされていますが、他のバラバラ殺人ではこうした奇妙な行動をとった犯人はいません。ここに、組織的な臓器売買や人身売買に加えて、カニバリズムや人身供養を秘かに行っている何らかのカルト的な宗教組織が関与している疑いも浮上してくるのです(悪魔崇拝か?)。スマホでの撮影も、組織上部への報告やメンバーへの映像配信を目的としているのかもしれないのです。

 座間市事件については、マスメディアを挙げて単独快楽犯説の線で報道していますが、国民の大半は、闇の組織犯罪を疑っております。菅官房長官が敢えて同事件に言及したのも気になるところですが、警察やマスメディアにまで圧力をかけられるほどの勢力がバックにあるとなりますと、治安に対する国民の不安も高まります。再発を防止するためにも、今般の事件については、背後の闇の解明に踏み込むことで、国民の不安を払拭すべきではないかと思うのです。

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