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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

世界記憶遺産「上野三碑」の登録-歴史を歪める“渡来系史観”の脅威

2017年10月31日 15時46分51秒 | 国際政治
上野三碑と朝鮮通信使記録、世界記憶遺産に
今年もユネスコでは世界記憶遺産登録の審査が行われましたが、内外の注目を集めてきた慰安婦資料については、登録判断は見送りとなったそうです。偽りの歴史の既成事実化が懸念されていただけに、一先ずは胸をなでおろす結果となったのですが、登録が決定された日本国の遺産について詳しい説明を読みますと、一難去ってまた一難であり、日本国は、新たなる歴史改竄の危機に直面しているように思えます。

 群馬県に所在する「上野三碑」については、同時に申請された“日本のシンドラー”とも称された杉原千畝氏の史料や朝鮮通信使よりも知名度が低く、登録が決定されてから関心を持った国民も少なくなかったかもしれません。このため、その内容が国民に知られることなく登録されてしまったのですが、高崎市が開設している「上野三碑」の紹介サイトの説明文を読みますと、その“渡来系史観”のあまりの強さに愕然とさせられます。ここで云う“渡来系史観”とは、日本の古代は、統治機構から様々な分野での技術や文化まで、殆ど全てを先進文化圏にあった渡来人が教えた、あるいは、直接に関わったとする史観であり、中国や韓国において一般的な日本史の見方ですし、日本国内のマスメディアの大半も同史観に染まっています。

 碑文を読みますと、何れの人名も日本姓であり(系図付もある…)、渡来系を示す文章も見られません。しかしながら、古代にあって、日本国には渡来人を受け入れてきた歴史があることから、強引とも言える解釈によって同遺跡を“東アジアの文化交流をしめすもの”と決めつけております。特に酷いのが、和銅4年の多胡郡の設置を記した多胡碑です。碑文には、

「弁官符上野国片岡郡緑野群甘良群并三群内三百戸群成給羊成多胡郡和銅四年三月九日宣左中弁正五位下多治比真人太政官二品穂積親王左大臣正二位石上尊右大臣正二位藤原尊」

とあります。ここで問題となるのが“給羊”の解釈であり、同サイトでは、“羊”を渡来系の人物名と解し、同碑の建立者であると共に、共に初代長官に就任したのではないかと推測しているのです。

 漢姓には、“馬”姓と同様に動物姓として“羊”姓があり、同サイトの解釈が正しければ、中国からの渡来人が多胡郡を朝廷から与えられたこととなりますが、少なくとも『続日本書紀』の和銅4年の条には多胡郡の創設の記事はあっても“羊”についての記録はありません。公文書でありながら“羊”には官職名も位も氏姓の何れも付されておらず、無官の一中国系渡来人のために、朝廷は、敢えて多胡郡を設置したことになるのです。

 しかしながら、素直に“給羊”を読みますと、文字通り“羊を給付した”とも解されます。乃ち、この碑分は、“既存の三つの群の一部を割いて多胡郡を設置し、300戸の住民を住まわせ、羊を給付して飼育地とした”と読めるのです。このように解釈しますと、当時にあって貴重品であった毛織物を納めさせるために、朝廷が地形や気候条件が羊の生育に適した場所を選び、羊牧場を多胡郡として設置したこととなります。先んじて世界記憶遺産に登録された富岡製紙工場も近くにあり、同地が、古来、繊維産業で栄えてきたことを想起しますと(近郊の遺跡には機織りに関する遺物も発掘されているらしい…)、羊飼育説の方が自然なように思えます(遺跡の国際性を問うならば、この解釈では、羊毛、並びに、毛織物の国産化という西域の文化の伝来を意味する…)。

 仮に、ユネスコの世界記憶遺産の審査において、日本国側が“羊”を渡来人として説明していたとしますと、日本国自らが、誤った歴史を世界に向けて発信しかねない事態となります(朝鮮通信使資料に関する説明にも不安がある…)。と同時に、ユネスコに影響力を持つ中国や韓国がこの登録に反対しなかった理由も分かるような気がします。あるいは、慰安婦資料の見送りとして、政治的裏取引があったのかもしれません。先日、天皇皇后の高麗神社参拝という出来事がありましたが、“渡来系史観”のアピールは、こうした動きとも連動しているようにも思えるのです。

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幼児教育無償化政策-ただより怖いものはない?

2017年10月30日 15時38分05秒 | 日本政治
今般の衆議院議員選挙での与党陣営の勝利は、北朝鮮問題が追い風になったとも指摘されておりますが、保守系の政党であるはずの自民党までもが幼児教育の無償化を選挙公約として掲げたため、この政策の実施も現実味を帯びてまいりました。

 同政策については、財政再建置き去りの問題に加えて高額所得者のみが恩恵を受けるとする指摘もあり、国内世論も必ずしも賛成一色ではありません。そして、もう一つ問題点を挙げるとすれば、幼児教育のサービスレベルのばらつきに起因する不公平感とその対応がもたらすリスクです。

幼児教育は義務教育ではありませんので、保育園や幼稚園に預けることなく家庭での子育てを選択する親もいれば、一部の有名幼稚園等への入園を目指して“お受験”とも称される激しい受験競争に子供を駆り立てる親もおります。幼児教育は国民の自由な選択の下にありますので、この時期の親の教育方針には相当の幅があります。一方、幼児教育を事業として実施している側も、教育方針のみならず、運営方針も一様ではありません。このため、教育のカリキュラム、使用する教材、提供するサービスの内容、スタッフの採用方針、施設の設備、立地条件、自然環境、開催する行事、指定制服の有無…等に違いがあり、それに伴って保育料の額にも差があります。現状では、公立と私立とでは凡そ2倍の費用差があるそうですが、私立園間ではさらに‘ばらつき’があることでしょう。

 この状態で幼児教育を無償化するとしますと、どの施設、すなわちどのレベルの施設に子供達を入園させたのかによって、親の間で不公平感が生じます。施設レベルや教育の質には関係なく、一律無償となるからです。となりますと、当然に、全て面おいて同一レベルの教育サービスの提供を求める要求が幼児養育世帯から上がってくることが予測されます。この要求に政府が応えようとすれば、義務教育と同様に政府が幼児教育全般に関与し、カリキュラムから施設設備に至るまで一定の基準を設定したり、さらには教材検定制度などの導入も検討するかもしれません。また、幼児教育は、現在既に無償化されている高等学校教育、あるいは、大学のように適性、将来の職業に繋がる専門性、学力等は、入園施設の選択とは殆ど関係なく、人格形成の基礎期に当たりますので、画一化の弊害はさらに大きくなります。多様性の尊重の掛け声とは逆方向に向かうのですから、ここでも、目的地と到着地の真逆現象が起きそうです。

 かくして、無償化政策を機に日本国の幼児教育は一気に画一化され、政府の介入も強まることが予測されるのですが、果たしてこの状態が日本国民にとりまして望ましいのかどうか、疑問なところです。かつて、日教組の槙枝委員長は“教育は北朝鮮のように”と述べておりますが、教育無償化の行く先には、幼児期より子供達を親元から引き離し、洗脳のために集団生活を強いる北朝鮮の教育制度の姿がおぼろげながら浮かんでまいります。教育の無償化はマルクスが『共産党宣言』で掲げたマニフェストの一つでもありますが、“ただより怖いものはなく”、新たなる全体主義の足音が聞こえているようにも思えるのです。

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朝鮮半島有事-日本国政府は対馬対策を

2017年10月29日 16時05分34秒 | 国際政治
本日の産経新聞の一面には、長崎県の対馬における韓国問題の深刻化を報じておりました。“家も土地も…「もはや韓国領」”と題して。

 竹島問題の影に隠れて忘れられがちですが、韓国の李承晩大統領は、戦後の混乱期に、対馬の領有宣言を行ったとされております。近年の韓国政府は、公式には対馬に対する領有権を主張してはおりませんが、同記事によりますと、昨年は、前年比で12.1%増の26万人にも達する韓国人観光が押し寄せており、しかも、観光業関係者の話として、“韓国人ガイドが、対馬に到着した韓国人観光客に対して、「対馬はもともと韓国領。いずれきっちり韓国の領土になる」と説明している”と伝えております。対馬は、『魏志倭人伝』のみならず、『記・紀』にも日本領として記載されており、韓国には、領有を主張する法的根拠も、歴史的根拠もありません。それにも拘わらず、少なくとも民間レベルでは、この“韓国領”というフィクションが流布されているのです。

 そして問題は、韓国人観光客に対する対馬を韓国領とする誤った意識の刷り込みに留まりません。対馬の土地や建物といった不動産の多くも韓国資本に買い取られており、島全体の“韓国化”が加速していることです。その背景には、朝鮮半島有事に際して避難場所として対馬を“利用”しようとする思惑も推測され、北朝鮮情勢が緊迫化する中、仮に、この状態で有事となれば、対馬には、大量の韓国人難民が流入する事態も予測されるのです。

 おそらく対馬は“自国領”とする意識を持つ韓国人難民で溢れかえり、そのまま放置すれば島全体が“韓国人居住区”と化す可能性もあります。北朝鮮問題が解決した後にも韓国人難民が帰国を拒むとしますと、朝鮮半島有事の混乱に乗じる形で、韓国人住民による対馬の“乗っ取り”が試みられるかもしれません。現在、外国人の地方参政権は認められておりませんが、日本国への帰化要件は大幅に緩和されておりますので(同島における韓国資本の拡大により、長期に亘る韓国人の雇用や居住は容易になっている…)、合法的に日本国籍を取得した上で、独立宣言や韓国への対馬併合を主張しないとも限らないのです(カタルーニャのケースは、定住民による独立運動ですが、移民による分離運動は間接侵略の一種となる…)。

 朝鮮半島有事に際しては、日本国を避難先とする難民は、韓国からの渡航者が多数を占めると予測されますので、日本国政府は、予め対馬への韓国人難民に対する対策を講じておくべきではないでしょうか。無秩序な難民の流入は、ドイツのシリア難民受け入れにおいて問題化したように、深刻な社会不安を齎しますし、領有権問題や安全保障の問題が生じるリスクは高く、将来に紛争の種を播くようなものです。また、対馬を訪れる韓国人観光客、並びに、韓国の観光事業者に対しては、韓国を対馬領とする説明の停止を求めると共に(他国に来てその地を自国領と主張すれば、侵略の意図ありと認定される…)、玄関口となる対馬の港湾等には、対馬が紛れもなく日本領であるとする説明文を掲示、あるいは、パンフレットにして配布すべきではないかと思うのです。対馬において表面化した難民・移民問題は、将来におきましては、日本列島全域においても生じる可能性があるだけに、対馬問題に対する日本国政府の対応の不徹底と怠慢は許されない状況にあるのではないでしょうか。

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国連人権委の要求先は韓国では-”慰安婦問題”実行者の処罰要求

2017年10月28日 17時09分50秒 | 国際政治
毎年、国連人権委では各国の人権状況を審査し、当該政府に対して対処を促す勧告を伝えています。報道に因りますと、今年も、この作業の基礎となるリポートが作成され、日本国政府に対しても、慰安婦問題を中心に幾つかの措置を要求しているそうです。

 同リポートでは、慰安婦を“性的奴隷の慣行”とも表現しておりますが、歴史的に見ますと、日本国には、中世以来、奴隷制度は存在せず、慰安所も、1937年以降に至り、(1)占領地の女性保護、(2)軍の疾病予防、(3)スパイ活動の防止を主たる目的に設置されたものです。日本国の“慣行”という程ではなく、中国の妓女(営妓は軍隊が管轄)や朝鮮半島の妓生(身分)のほうが、歴史に根付いてきたという点において、余程、この表現に相応しいように思えます。こうした歴史に関する事実誤認に加えて、国連人権委は、日本国政府に対して“法的責任を認め、実行者の訴追及び処罰し、被害者に対しては救済と保障を与えよ”と要求しているそうです。それでは、この処罰すべき“実行者”とは、一体、誰のことなのでしょうか。

仮に同委員会が、韓国側の主張に従い、当時の日本国による軍事命令の下で大規模な慰安婦の強制連行が行われたとする国家犯罪説の立場にあるならば、訴追並びに処罰の対象は、命令の裁可を含め、軍の統帥権を有した天皇となるはずです。つまり、国連人権委は、日本国政府に対して最高責任者であった天皇を訴追して処罰せよ、と要求していることとなるのです。しかしながら、昭和天皇は既にこの世にはなく、被疑者死亡は原則として不起訴となりますので、同委員会は、天皇を“実行者”として認識してはいません。つまり、“実行者”は特定されておらず(高齢であっても生存の可能性はある…)、今後、日本国政府が捜査を行い、犯人を突き止めよ、と暗に述べているのです。

 “実行者”が天皇ではないならば、それは、戦前の日本国政府、あるいは、統治機関なのでしょうか。この線で当たっても、当時の行政機関である日本国政府、並びに、朝鮮総督府が強制連行の命令を下したとする事実はありません。また、立法府である帝国議会が、朝鮮半島における女性達の強制連行を定める法律を制定したという事実もないのです。戦時下にあって、朝鮮半島の朝鮮人女性のみを対象に、かくも過酷な非人道的な連行を実施すれば民心の離反や反乱を招き、日本軍のみならず、大日本帝国も崩壊の危機に瀕するは、当時の日本国政府も十分に理解していたはずです。

 この問題で、仮に、日本人が“実行者”であるとすれば、軍の組織の一員が、軍紀に違反して個人的に命令を下した場合です。軍の本部や上官に許可を求めることなく、現地の将兵が独断で行ったケースであり、こうした軍人による犯罪や権力乱用のケースは、占領地ではあり得ます(スマラン事件がこのケースに当たる…)。しかしながら、日本国の一部であった朝鮮半島には朝鮮総督府が設置されており、日本軍と雖も、将兵がうら若い朝鮮人女性達を大量に強制連行するといった大規模、かつ、組織的な軍紀違反を自由に行える状況にはありませんでした。しかも、たとえ一部の日本軍将兵に軍紀違反があったとしても、韓国の主張する国家犯罪は構成しませんし、日本国政府に法的責任も生じないのです。

 慰安婦被害の実態とは、当時、慰安所を経営していた民間事業者によるものであり、朝鮮半島で募集を行った事業者の大半は、朝鮮(韓国)人が大半を占めていました。実際に、韓国人元慰安婦の証言にあっても、“日本人の軍服を着た人物”等が協力者として登場してはきますが、元慰安婦たちを過酷な境遇に置いて働かせたのは慰安所の経営者である朝鮮(韓国)人事業者に他ならないのです。“実行者”を処罰するならば、朝鮮(韓国)人事業者こそ犯罪者として裁かれるべきなのではないでしょうか。

 慰安婦問題については、国連人権委員会は、事実の客観的な検証を以って判断すべきですし、同委員会は韓国政府に対してこそ“実行者”の厳しい訴追と処罰を求めるべきではないかと思うのです。

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北朝鮮の対日攻撃に集団的自衛権違憲論者はどのように対応するのか

2017年10月27日 09時26分53秒 | 日本政治
朝鮮半島情勢の緊迫化を受けて、自暴自棄に陥った北朝鮮が、日本国に対して直接にミサイル攻撃を加えるのではないか、とする憶測も強ち否定はできない状況となりました。こうしたシナリオもあり得る中、集団的自衛権を違憲とする解釈を支持する人々は、どのように対応すべきと考えているのでしょうか。

 集団的自衛権を憲法違反とする人々の多くは、一先ずは個別的自衛権は認めておりますので、自衛隊のみで対処せよと、主張するかもしれません。しかしながら、この説に従えば、日本国は、北朝鮮を相手として防衛戦争を戦うこととなります。ところが、北朝鮮の主たる攻撃手段は核弾頭を搭載したミサイルですので、自衛隊が敵地攻撃能力を保持しない限り、日本列島は、一方的な核攻撃に晒されます。果たして、違憲論者は、この状況を良しとするのでしょうか。

個別的自衛権のみを容認する立場からの論理的帰結は、敵地軍事施設を破壊し得るほどの自衛隊の軍備増強しかあり得ません。そして、この帰結は、中国やロシアといった諸国との間の戦争についても適用せざるを得ません。何故ならば、特に中国は日本国の主要都市に照準を合わせた核ミサイルを既に配備しているとされています。さらに、中ロが軍事同盟を組む場合には、日本国の自衛隊は、中ロ両国の軍事力に匹敵するほどの武力を一国で備えなければならないのです。となりますと、日本国は、膨大な予算を軍事費につぎ込む必要が生じてきます。

 あるいは、もう一つの方法として考えられるのが、政府による憲法の規定を越える超法規的な措置を認めることです。そしてこの超法規的措置とは、違憲論者の云う“憲法に禁じられている集団的自衛権”を行使する、即ち、日米同盟の発動のために採られることとなるのです。

 集団的自衛権違憲論は数ある憲法解釈の一つに過ぎないのですが、違憲を唱える人々は、北朝鮮問題について国民に対して具体的な対応を詳細に語るべきなのではないでしょうか。今日、日本国が防衛、並びに、安全保障上の危機を迎えている中、なおも沈黙を続けているとしたら、本心においては日本国を見殺すつもりだったのではないかと疑われても、致し方ないのではないかと思うのです。

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世界を腐敗させる中国-反腐敗運動の内外ダブルスタンダード

2017年10月26日 16時12分04秒 | 国際政治
党機関紙、「習氏1強」アピール=1面4分の1を埋める顔写真―中国
 中国では、共産党全国代表大会を経て習近平国家主席を筆頭とする新たな“チャイナ・セブン”の顔ぶれが揃ったそうです。習独裁体制の強化には、ここ数年来展開してきた反腐敗運動が梃子となったようですが、自らが国際社会を腐敗させている元凶であるとする意識は薄いようです。

 中国の急激な経済成長に伴って、全世界には、“チャイナ・マネー”と呼ばれる巨額の資金がばら撒かれることとなりました。経済分野での純粋な投資のみならず、この資金は、各国の国内政治、並びに、国際政治を裏から動かす“介入資金”としても投入されたのです。習主席は、“一帯一路構想”の下で周辺諸国との間でインフラ事業を推進してきましたし、中国企業による各国のインフラ事業への参入も相次いでいます。しかしながら、その多くは、相手国の有力政治家や政府高官に対する“賄賂攻勢”の結果であり、中国は、いわば、“腐敗体質”をも輸出してきたのです。フィリピンのドゥテルテ大統領が南シナ海問題で譲歩を繰り返し、危機的な状況にある北朝鮮問題でも中国に寄り添って北朝鮮を擁護するのも、マネー・パワーの為せる技かもしれません。また、国際社会を見ますと、IMFにおける人民元の早すぎるSDR採用、AIIBの加盟国拡大、ユネスコでの制度悪用など、背後に“チャイナ・マネー”の動きが疑われる不自然な事件が頻発しています。

 中国による積極的な腐敗の輸出により、国際社会は贈収賄に溢れ、途上国のみならず、先進国の政界にあっても、中国に対して秘かに国を売り、私腹を肥やす政治家や公人も現れるようになりました。習主席は、反腐敗運動を以って国民からの人気を集めようとしているようですが、対外活動において政治腐敗を意味する“賄賂戦略”を国策として続けている限り、国際社会からの支持は望むべくもありません。否、中国こそ、国際社会における反腐敗運動において、最も手厳しい糾弾を受ける国となるのではないでしょうか。あるいは、国内での反腐敗運動も、王岐山書記の退任に象徴されるように、権力を掌握するまでの体の良い“政治的粛清手段”に過ぎなかったのかもしれません。

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新自由主義勢力による政党再編戦略とは

2017年10月25日 16時28分33秒 | 国際政治
立憲・枝野氏、早急な野党結集を否定=参院民進は存続へ【17衆院選】
衆議院選挙が終わり、いざ蓋を開けてみますと、日本国の政界は、与党自民党の一強に対して野党側が小党に分裂する結果となりました。一党優位体制という点においては解散前とは変わりはないのですが、今般の野党側における政界再編の混乱は、新自由主義勢力による新たなる二大政党制に向けての“仕掛け”の結果であった可能性も否定はできないように思えます。

 本日のダイヤモンド・オンライでは、橘玲氏の「日々刻々」に「立憲民主党が「左派ポピュリズム」ではなく「愛国リベラル」となれば自民党は消滅する!」とするタイトルの記事が配信されておりました。同記事では、希望の党がネオリベラル右派を形成する一方で、立憲民主党が自民党の政策綱領から“女性が活躍できる社会”、“一億総活躍”、“人造り革命”といった政策を‘左からコピー’し、愛国リベラル政党に変身すれば、やがて自民党は消滅し、日本国の政治は、希望の党と立憲民主党との二大政党に移行するのではないか、と予測しております。実際に、立憲民主党の枝野代表は、このシナリオ通りに行動しているように見えますので(ただし、他の議員や党員が枝野代表に追従するかどうかは不明…)、既に、その方向に向けての路線が敷かれているとも推測されます。

 今般の野党再編の騒動は、小池東京都知事の個人的な野望によって引き起こされたとする見解が主流ですが、政界全体の流れを見ますと、その背後には、大局的な再編構想があったのではないでしょうか。その構想とは、まずは保守とリベラルの境界線を曖昧にし、その上で、国民の大半を占める中間層を二つの新たなリベラル政党に吸収する形で、二大政党制へと移行させようというものなのかもしれません(最初の構想では、自民と希望の党による二大政党化であったのかもしれない…)。上述したように、枝野代表は、自らを保守主義者と称し、‘愛国’を強調しております。もっとも、保守系の自民党からコピーした諸政策は、自民党がリベラル化した部分であり、政策の共通性を以って保守化=愛国化したとは言えないのですが、少なくとも、本来の左派色を懸命に隠し、中道路線を打ち出しているのです。

 そこで考えられるのは、フランス政界とも共通しているのですが、新党による中道路線は、マスメディアは“ポピュリズム”として批判的に報じているものの、“行き過ぎたグローバリズム”に刺激されて各国で高まりつつある国民の保守的意識を抑え込み、合わせて中間層を新自由主義勢力に引き込むための、新たな戦略ではないか、ということです。従来の保守対革新の左右対立構図における二大政党制では、新自由主義の立ち位置は不安定であり、居場所を失う可能性さえありました。何故ならば、政治や社会面では国民国家体系の消滅を望む左派に近い立場にありながら(もとより国家への帰属意識は希薄なので、防衛や安全保障については経済利益優先…)、経済面においては、弱肉強食型の自由主義を標榜する点において右派に与しているからです。このまま従来の対立構図が続けば、保守派が左派を圧倒する展開も予測されますし、しかも、これまで共闘関係にあった経済分野においても、保守派が新自由主義とは一線を画する可能性もあります。となりますと、新自由主義勢力が、自らに有利となる政策を各国において実施させるためには、新たな政党政治の枠組みの構築を計画したとしてもおかしくはないのです。

 今日の一般的な国家は、日本国を含めて国民に選択権がある民主主義・国民主権国家です。民主主義国家において外部勢力が政治に介入しようとすれば、特定の政党を自らのコントロール下に置くか、あるいは、凡そ全ての政党を操れる体制を構築する必要があります。仮に、新自由主義勢力が現状に危機感を抱いているとしますと、中間層の取り込みを目指す中道新党の相次ぐ結党は、新たなる二大政党制に向けた下地作りとしても理解されるのです。国民がどちらの政党を選んでも、新自由主義政策が実行される結果となるように…。果たして、この憶測は正しいのか、今後の各党の動きに注目してゆく必要がありそうです。

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“全世代型社会保障”とは社会・共産主義化のことでは?

2017年10月24日 15時27分18秒 | 日本政治
「政権信任」「野党に助けられた」=与党勝利で閣僚発言【17衆院選】
 今般の衆議院選挙では、少子高齢化対策として、各政党とも揃って老齢世代に重点が置かれていた予算配分を若年層に厚くする政策を打ち出していました。政府もまた、全ての世代に対する社会保障を充実させる方針のようですが、“全世代型社会保障”とは、社会・共産主義化のことではないでしょうか。

 老齢世代に社会保障が偏る主たる理由は、高齢化が、誰もが避けて通れない“リスク”であるからです。退職後にあっては、給与所得という安定的な収入源を失いますので、公的年金制度は国民の生涯を支える重要な所得リスクの管理制度と言えます。また、健康保険制度が高齢者に手厚く設計されている理由も、収入の減少に加えて身体機能が衰える高齢者ほど疾病に罹りやすい傾向にあり、健康リスクに応える必要があるからです。介護保険制度も同様ですが、社会保障制度の基本設計は、国民のリスク管理にあります。この観点からすれば、高齢者に社会保障の配分が偏るのも(もっとも、公的年金制度では保険料は国民負担…)、合理的な根拠がないわけではないのです。

 社会保障制度の基本的な目的がリスク管理にあるとしますと、若年層や中年層に対する制度については、高齢者ほどには包括的、かつ、一律の制度を要するのか、疑問の余地があります。何故ならば、働き盛りの現役世代であるために所得リスクや健康リスクが殆どないか、極めて低く、リスク管理の必要性が比較的低いからです。社会保障の基本設計がリスク管理であるとしますと、リスクのない、あるいは、リスクの低い世代に対しては、所得リスクや健康リスク等に直面している人々に対象を絞ってセーフティーネットを提供する手法の方が、自由主義国における保守系政権では、むしろ一般的であったとも言えます。

 その一方で、誕生から死に至るまでの国民の生涯を全面的に保障しようとする考え方は、ナショナル・ミニマムとも呼ばれ、社会・共産主義国において制度化されてきた歴史があります。社会・共産主義の社会保障制度にあってはリスク管理の意味合いは薄く、統制経済に組み込まれた配分システムとして機能してきたのです。その公的配分が、たとえ貧困レベルであったとしても。また、“揺り籠から墓場まで”と称されたように、イギリスなどの自由主義国でも、左派政権が誕生すると、同様の全世帯型の政策が実施されました。しかしながら、財政悪化、深刻なスタグフレーション、勤労意欲の低下、貧困の罠など、様々な経済的病理が観察されたため、80年代以降は、是正が試みられたのです。

 こうした社会保障制度の基本的な考え方の違いを考慮した上で、全世代型社会保障を見ますと、統制経済との関連性はありませんし、政策目的も名目上は少子高齢化対策ですが、その発想や基本設計は、リスク管理よりも国民の全面的生涯保障に大きく傾いています(社会・共産主義と新自由主義の融合?)。この現象と並行するかのように、保守とリベラルとの境の曖昧化が議論されているように、今日の政治状況を見ますと、むしろ、政治全般における社会・共産主義化、あるいは、新種の全体主義化が、国民には見えない水面下において秘かに進行しているのではないかと疑うのです。

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希望の党の敗因は“孫子の兵法”にあり?

2017年10月23日 13時54分06秒 | 日本政治
自民19県独占=希望、東京は1勝のみ―開票状況【17衆院選】
一時は政権政党の座まで狙う勢いにありながら、衆議院選挙の結果を見れば、野党第二党に終わった希望の党。その敗北要因の一つは、“孫子の兵法”にあったのではないかと思うのです。

 希望の党の代表を務める小池百合子都知事も“孫子の兵法”の信奉者の一人であり、産経新聞の紙面でも、「女子の兵法」というタイトルでコラムを執筆しておられます。東京都知事選の手腕を見ますと、“孫子の兵法”の申し子とも言えるほど巧妙な戦術を駆使して勝利を手にしており、同兵法が氏の指南書であったことは想像に難くありません。しかしながら、今般の選挙の敗因として既に“策に溺れた”とする指摘があるように、“孫子の兵法”は、現代という時代においては、敗北を招く公算の方が高いように思えます。

 中国大陸において『孫子』が執筆された時代とは、諸説があるものの、春秋戦国時代と推定されており、まさに打ち続く戦いの連続の時代でした。こうした乱世にあっては、“勝つためには手段を選ばす”が行動原則となり、『孫子』もまた、謀略、裏切り、逃亡さえも許容しています。否、武力という手段よりも、こうした非軍事的な手段を“戦わずして勝つ”を上策とする立場から高く評価していたのです。しかしながら、現代の民主主義国家において“孫子の兵法”をその教え通りに実践しますと、一般の人々からは、“危ない人”、“信用の置けない人”あるいは、“警戒すべき人”と見なされがちです。何故ならば、その全ての言葉は、“勝つため”の方便に過ぎず、その全ての行動も、“勝つため”の打算に過ぎないからです。

 民主主義国家において求められる政治家像とは、国民のために働く誠実なる公僕であり、勝負師でも、権力闘争に興じる支配者でもないはずです。希望の党は、既成政党への抵抗勢力として自らを未来型の政党に位置づけながら、その実、権謀術数を常とする前近代的な手法を以って裏から政界を操ろうとしたのですから、一般の有権者からは、やはり“危ない政党”、“信用の置けない政党”、あるいは、“警戒すべき政党”と見なされてしまったのではないでしょうか。見えない内には効果はあっても、策略とは、それが衆人に見えた途端、その効果は吹き飛んでしまうものなのですから。

 そして、“孫子の兵法”を以って敗北した希望の党の事例は、古代兵法と現代とのミスマッチをも現しています。既成政治に対抗するのであるならば、その思想や手法も現代という時代に相応しいものであるべきでした。誠実さや正直に優るものはありませんので、これを機に、現代の政治家は、政治不信の元凶ともなりかねない古代兵法とは決別すべきなのかもしれません。

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“戦略的棄権”もあり得るのでは?

2017年10月22日 14時10分03秒 | 日本政治
自身の一票を生かすために ゲーム理論の専門家に聞く
 参政権とは、国民の政治に参加する権利であり、選挙とは、国民がこの権利を行使する数少ない機会です。このため、投票所にて一票を投じる行為は、規範的な意味を込めて当然視されてきました。しかしながら、近年の政治状況を見ますと、“戦略的棄権”もあり得るのではないかと思うのです。

 近年、若年層を中心とした投票率の低さが問題視され、政治への無関心の薄さが民主主義の危機とされてきました。政治的無関心=低い投票率であるならば、確かに、投票率を挙げるために投票を訴えることには意義がありますし、民主主義を守るためにも望ましいことです。しかしながら、どの政党の公約を見ましても、支持し得る政策と全く以って合意できない政策との“抱き合わせ販売”となっており、迂闊に一票を投じますと、‘公約の誠実なる実現’を口実に、合意できない後者の政策まで押し付けられる可能性があります。また、選挙区によっては、政党間の選挙協力や配慮により、支持政党が候補者を立候補させていないケースも少なくありません。こうした場合、有権者は、選択のしようがなく路頭に迷うこととなるのです。

 その一方で、‘迷える有権者’に向けてか、ネット上のニューズなどでは、自らが投じる一票の死票化を避けるための“戦略的投票”などが紹介されています。支持する候補者の落選が確実な場合には、次善の策として勝ちそうな第二候補者に投じる、あるいは、落選させたい候補者の対抗馬に投じる、といった手法も、自らの一票を政治に活かす有効な手段の一つと言えましょう。しかしながら、次善策であれ、消極法であれ、マスメディアの基本的なスタンスが、“国民は、先ずは投票すべし”一辺倒であることに、まずもって、疑問を感じざるを得ないのです。

 支持すべき候補者や全幅の信頼を置く政党が存在しない場合、投票の強要は“酷”ですらあります。悪徳事業者から不当な契約書へのサインを迫られているようにも感じられながらも、悪徳商法には定められているクーリングオフといった保護制度もないのです。すなわち、悪徳政党による詐欺的選挙で、既に投票してしまった有権者に対して、‘有権者保護’の制度がないのです。特に今般の選挙では自民党の圧勝が予測されており、政権選択という意味では、既に趨勢が凡そ決せられているとされております。となりますと、選挙後にあって、自民党の公約に記された望ましくない政策の実現を阻止するためには、棄権者の多さ、即ち、投票率の低さは、国民が自民党の公約を丸呑みに支持しているわけではない根拠ともなります。

 今日の日本国の民主主義の危機は、与野党にかかわらず、日本国の政界全体に対する国民の不信と不審にあります。政治への無関心からではなく、こうした政界の現状に対する不満、不信任、そして統治制度の改革の要求等を表す国民の手段としての、“戦略的棄権”、あるいは、“積極的棄権”も、参政権の意義において、あって然るべきではないかと思うのです。

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立憲民主党とは何者なのか?-不自然な現象

2017年10月21日 16時26分40秒 | 日本政治
枝野代表、無所属・岡田氏と選挙後に協力の考え
 マスメディアの報道によりますと、立憲民主党は、希望の党を凌ぐ勢いを見せており、野党第一党を窺う位置にあるそうです。特に、中道層の支持集めているとも報じられておりますが、この現象、どのように考えても不自然なのです。

 民進党左派に踏み絵を踏ませようとした希望の党とは袂を分かち、新党結成を以って活路を開いた議員等の行動は、“判官贔屓”の気質がある日本国では、一定の評価を得た可能性はあります。また、立憲○○党という党名も、戦前の帝国議会における立憲政友会や立憲民政党を髣髴させ、どこか、古風な響きさえあります。しかしながら、立憲民主党の代表は、民主党政権時代にあって官房長官を務めた、かの枝野幸男氏です。氏の登場に、東日本大震災時の対応や経済の6重苦とも称された厳しい景気状況を思い出し、悪夢が脳裏に蘇る国民も少なくないことでしょう。名称に“立憲”が付されてはいても、かつての民主党そのものに他ならないのです。

 加えて、さらに奇妙な点に、立憲民主党は、中道政党を装っていることです。立憲民主党の選挙時のキャッチフレーズは“右でも左でもなく、前へ”であり、旧民主党内の左派が結集した極左政党のはずが、いつの間にか、中道政党を主張しているのです。しかも、立憲民主党はSNSを積極的に活用すると共に、枝野氏がいかにも若者層に受けているかのようなイメージ戦略を試みています(女子高生が“エダノン”と叫んで応援する?)。恰も、突如として政界に登場したフレッシュな政治家のように。

 そして、ここで“はた”と思い至るのは、フランスのエマニュエル・マクロン大統領との類似性です。マクロン大統領が創設した中道政党の名称は、“共和国前進”でした。上述した立憲民主党のキャッチフレーズは“右でも左でもなく、前へ”であり、「前」という極めて似通った表現を用いているのです。また、上述したイメージ刷新の演出も、同大統領の登場時を髣髴とさせます。こうした共通点は、単なる偶然なのでしょうか。

 立憲民主党がフランスの大統領選におけるマクロン大統領の戦略を真似たのかもしれませんが、これらの類似性から推測されるのは、同大統領を支える国際勢力が、立憲民主党をも蔭から支援している可能性です。恐らく、当初は、小池氏に日本国におけるマクロン氏の役割を期待し、希望の党の結党を後押ししたのでしょう。しかしながら、希望の党の“戦法”が裏目に出て失速したと見るや、急遽、シナリオを変更し、枝野氏に乗り換えたのかもしれません。憶測の域は出ないものの、立憲民主党が呼び掛けに応じて“前に進む”と、一体、そこには、何が待ち受けているのでしょうか。

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米朝トップ会談による解決は困難では-平壌宣言という悪しき前例

2017年10月20日 15時01分47秒 | 国際政治
“米本土到達の核ミサイル 北朝鮮が数か月後にも獲得か”
 北朝鮮問題については、マスメディア等でも一縷の望みを託すかのように米朝トップ会談による解決が囁かれてきました。トランプ大統領が平壌を電撃訪問し、金正恩委員長との間で歴史的な和解を成し遂げる、というシナリオです。

 米朝トップ解決が実現するならばまさしく“サプライズ外交”となり、全世界が驚愕すると共に、平和の到来に安堵するかもしれません。しかしながら、2002年9月における小泉純一郎首相による突然の平壌訪問、並びに、これを機とした両国トップによる平壌宣言の公表は、このシナリオに暗い影を落としています。

 小泉首相の訪問は、一部ではあれ、拉致被害者の帰国を実現したという側面において、一定の評価を得てきました。しかしながら、このトップ会談による合意が、北朝鮮をめぐる諸問題に根本的な解決をもたらしたのか、というとNOと言わざるを得ないのです。否、当時よりも今日の方が北朝鮮問題は悪化しており、むしろ、“日朝和解”の演出による北朝鮮に対する警戒感の低下が、核・ミサイル開発に拍車をかけたとも言えます(水面下では北朝鮮に対して事実上の“身代金”が支払われたとする指摘もある…)。

 平壌宣言では、国交正常化に伴い、日本国側から北朝鮮に対して無償資金協力、低金利長期借款、国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力など、官民に亘って大規模な経済支援が提供される旨が明記されていました(1兆円規模?)。ただし、同宣言には、「双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。…」とあり、経済支援の前提として核・ミサイル問題の解決を挙げているのです。言い換えますと、経済支援付の日朝国交正常化と核・ミサイル問題の解決は、バーター取引の関係として理解されます。

 ところが、北朝鮮は、翌2003年にNPTからの脱退を表明し、2005年には核保有を宣言し、そして2006年には、遂に最初の地下核実験に踏み切きります。ここで平壌宣言の前提は脆くも崩れ、同宣言が定めたシナリオも消滅するのですが、平壌宣言後の北朝鮮の行動は、同国にとって合意というものが、如何に軽いものであるのかを示しております。と同時に、たとえ巨額の支援金を見返りとして積まれても、核・ミサイル開発だけは決して放棄しないとする北朝鮮トップの固い意志が窺われるのです。

 このケースを前例として今後の米朝トップ解決の行方を占ってみますと、派手な演出付きで一時的な合意が成立したとしても、北朝鮮に合意の誠実なる遵守を期待することは困難です。この点は、94年の米朝枠組み合意において、既にアメリカも認識しているはずです。仮に米朝トップ解決の可能性があるとすれば、それは、アメリカの軍事的圧力に屈する形での、トランプ大統領を前にした金正恩委員長による事実上の“降伏文書”への調印となるのではないでしょうか。

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アメリカの対北関連資産凍結は国際法違反か?

2017年10月19日 14時55分20秒 | アメリカ
【北朝鮮情勢】新型の弾道ミサイル潜水艦を建造中か 最大級、排水量約2000トン 米誌など分析
 トランプ米大統領が9月22日に署名した対北朝鮮取引企業の資産凍結に関する大統領令ついて、この措置は国際法違反ではないか、とする意見があります。最大の懸念材料として、台湾併合を目論む中国が、同じ手法で台湾と取引する第三国企業の資産を凍結するリスクを挙げていますが、果たして、今般の大統領令は国際法に違反しているのでしょうか。

 国際法違反説の最大の根拠は、同大統領令が域外適用となる点にあります。国際法では、国家主権の下で制定、あるいは、発令された法の効果は、原則としては、その国の政府の管轄下にある法域≑領域にしか及ばないからです。しかしながら、刑法や競争法等の域外適用をはじめ、国際社会では、随所にその例外が認められています。また、国際人権法の分野でさえ、国家の安全や治安を脅かす場合には、国家が独自の措置をとる権限を有することを認めています。しかも、今般の北朝鮮問題は、いわば、平和の破壊行為、即ち、“国際刑法”の問題ですので、むしろ、域外適用の要件を満たしているとも言えるのです。この他にも、国際法違反説が見落としている点が、幾つかあります。

 第1の点は、北朝鮮が、国連安保理決議において既に制裁対象国と認定されていることです。仮に、中国が台湾併合策として資産凍結という“経済制裁手段”を用いようとしても、台湾は国際法に違反する行為を行っていませんので、逆に、中国の行為こそが、国際法違反として糾弾されることでしょう。国際法違反説は、北朝鮮が制裁対象国認定済みであるとする事実を無視しているのです。

 第2の点は、たとえ第1点で述べた制裁対象国を判別する国際認定の有無を抜きにしたとしても、米朝関係は、既に戦争状態にあることです。休戦協定が締結されたとはいえ、それは、北朝鮮の度重なる協定破棄宣言や対米攻撃予告などにより、もはや空文化しております。無法国家化した北朝鮮が国際法を順守するとは思えませんが、少なくとも、適用されるべきは、平時の国際法ではなく、戦時国際法となります。

 第3に、アメリカは、国連安保理の常任理事国の一国ですので、一先ずは、“世界の警察官”の役割を担っています。第1点で述べたように北朝鮮は“犯罪国家”の認定を受けていますので、同国の行為を制止するには、国際社会における広域的な取締り(域外適用)を要します。乃ち、北朝鮮が犯罪国家であると知りながら同国と取引をした第三国の企業もまた、犯罪幇助の罪として取締りの対象に含まれるのは、刑法の論理からすれば当然の帰結ともなるのです。

 以上に法律論としての側面から反論を試みて見ましたが、むしろ、何故、このような国際法違反論が提起されたのか、その方が、余程、謎です。この説の提唱者は、北朝鮮のスポークスマンであるか、または、その最大の関心事が、北朝鮮の核・ICBMの放棄、即ち、国際社会の安全ではなく、北朝鮮との取引の露見、あるいは、それに基づく資産凍結にあるのではないかと疑わざるを得ないのです。

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“習近平思想”の実像-思想ではなく“意思の支配”では?

2017年10月18日 15時49分26秒 | 国際政治
【中国共産党大会】習近平総書記「富強の社会主義強国に」 30年の長期目標 南シナ海の人工島造成を正当化 
本日10月18日、中国の北京では、24日までの7日間の日程で5年に一度の中国共産党全国代表大会が開催されています。今年の第19回党大会は、とりわけ、習近平独裁体制が成立するか否かに関心が集まっており、その試金石となるのは個人名を冠する“習近平思想”の行方です。

 報道によりますと、その表現はどうであれ、“習近平思想”が党規約の改正に際して新たに書き込まれるのは確定的なそうです。それでは、習近平思想とは、どのようなものなのでしょうか。

 習近平思想の登場は、中国にあって、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論と並んで、習近平氏個人に対して特別な権威が付与されたことを意味します。だだし、習近平氏個人が政治思想史に残るような新たな思想を編み出したと言うわけではなく、あくまでもマルクス・レーニン主義の枠内でのお話であり、しかも、識者の解説によれば、習氏に対する評価は、先人達の思想と将来における“中華民族の復興”や“中国の夢”と結びつけたところにあるそうです。言い換えますと、思想そのものではなく、過去の思想の実現に向けた実践面での貢献こそが、習氏をして、“習近平思想”の主としての地位を与えているのです。

 そしてこの実践面の強調は、今般の党大会の様子からも窺えます。例えば、習政権第一期の実績として、国際社会から違法行為として厳しい批判を浴びている南シナ海の軍事基地化や一帯一路構想の推進が挙げられたそうです。これらの積極的な対外活動は、過去の共産主義思想とは無関係ですので、むしろ、“中国の夢”が前面に押し出されていると言うことができます。その一方で、将来的な目的としては、中国共産党創立から100周年に当たる2021年までに、国民が余裕のある生活を送ることができる小康社会を、中華人民講和国の建国から100周年に当たる2049年には富強、民主、文明、調和を実現した社会主義を実現するとし、中国が国際社会において主導的な地位に上り詰めるシナリオを描いているのです。これらの内外における長期的目標は極めて抽象的であり、かつ、陳腐ですらありますが、習氏にとって最も重要なことは、その実践者が習氏その人である、ということなのでしょう。

 こうした”実行者”の側面の強調に注目しますと、今後、中国では、 “習近平思想”という名の下で、個人独裁が開始される可能性は相当に高いように思えます。そして、ここで言う“思想”とは、統治や統合の在り方に関する考察から導き出された思想という一般的な意味ではなく、習近平氏個人の“意思”なのではないでしょうか。政治権力を掌握した特定の個人の“意思による支配”、それは、独裁に他ならないと思うのです。

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イラン核合意問題-合意維持がイランの核保有を加速させる矛盾

2017年10月17日 16時05分42秒 | 国際政治
イラン核合意破棄「現実味ある」=前向きな可能性も指摘―米大統領
 オバマ政権時代にイランとの間で核放棄をめぐり合意されたイラン核合意は、トランプ米大統領が破棄の意向を示したことから、その行方が危ぶまれております。日本国政府やEU諸国等は核合意の維持を主張していますが、この合意、誠実なる合意の遵守が必ずしもイランの核放棄を意味しないところに最大の問題点があるのではないかと思うのです。

 マスメディアの大方の論調も、国際社会の核不拡散への努力を水泡に帰する行為として、合意破棄を訴えるトランプ大統領に対して批判的です。長く困難な交渉を経てようやく漕ぎ着けた合意を破棄するとは、平和に対する罪と言わんばかりの報道ぶりです。また、緊迫化する北朝鮮問題とも関連付け、この時期に核合意を破棄すれば、北朝鮮は、アメリカを約束を守らない国と見做すこととなり、核放棄のための交渉のテーブルも遠のくと訴えています。何れにしても、“イラン核合意を維持せよ”の大合唱なのです。

 この批判、同核合意が確実なるイランの核放棄を約束するならば、理解に難くはありません。しかしながら、合意内容に“欠陥”がある場合には、必ずしも合意破棄は批判には当たらないのではないでしょうか。何故ならば、欠陥を抱えたままでの合意順守は、結局、目的とは反対の結果をもたらしかねないからです。その悪しき前例となったのは、かの1994年の米朝枠組み合意であり、合意内容に幾つもの抜け道が残されていたために、結局、北朝鮮は、核兵器を保有するに至りました。合意破棄は北朝鮮への悪しきメッセージとなるとする上記の指摘は、再度、アメリカに1994年の誤りを繰り返すよう勧めるようなものであり、全く以って説得力がありません。否、核開発にあっては、イランと北朝鮮は協力関係にありますので、如何に核合意によって定められた網の目を掻い潜るのか、北朝鮮がイランに指南しているかもしれないのです。

 それでは、イラン核合意は、イランの完璧なる核放棄を約束しているのでしょうか。合意内容を見ますと、ウラン濃縮に使用される遠心分離器の基数を3分の1に削減され、その濃縮度も平和利用に制限されているものの、前者は10年、後者は15年の期限付きです。また、核実験が疑われているパルチンの軍事施設への立ち入りは認められず、ミサイルについても合意の枠外となっています。仮に、イランが“善性悪用戦略”を以って同合意を悪用するとすれば、制裁解除の恩恵によって経済力を付けつつ、核やミサイル開発に必要となる軍事技術や情報を自由に取得・収集することでしょう。そして、合意が定めた期限が切れる10年後、あるいは、15年後には、即、核兵器の製造に取りかかり、核保有国として立ち現われるかもしれません。イラン核合意は、最悪の場合、イランに最長で15年間の開発期間を与えているに過ぎないのです。

 イラン核合意については、徒に批判するよりも、まずは、同合意枠組の核放棄に対する有効性こそ再検討すべきです。トランプ大統領は、イラン側の合意違反に焦点を当てて同合意の破棄に言及しているようですが、違反のみならず、合意内容自体に含まれる悪用可能な欠陥こそ、深刻なリスクとして認識されるべきではないかと思うのです。

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