万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

世界経済フォーラムの世界戦略-ヤング・グローバル・リーダーズ

2023年03月31日 13時06分39秒 | 社会

 今日ほど、陰謀の存在を、愚か者の荒唐無稽な妄想として‘せせら笑う’ことでその存在を否定しようとする‘陰謀論’が批判に晒されている時代はないかもしれません。誰から見ても不自然な現象が続発する中、‘陰謀論’は世論操作のための心理操作の手段であるとする疑いが日に日に濃くなっています。とりわけ、地球温暖化問題のみならず、各国政府によるコロナ・ワクチン並びに昆虫食の推進が疑惑を深めるきっかけとなったのですが、陰謀を企む勢力―世界権力―のフロント組織として、常々、名を挙げられてきたのが世界経済フォーラム(ダボス会議)です。

 世界経済フォーラムは、1971年にドイツに生まれスイスで育った経済学者にしてエコノミストのクラウス・シュワブ氏によって設立されています(設立当初の名称はヨーロッパ・マネージメント・フォーラム(the European Management Forum))。同氏は、留学先の米ハーバード大学ケネディ・スクールにおいてかのヘンリー・キッシンジャー博士の教えを受けています。同留学は1960年後半のことですので、帰国から程ないダボス会議の設立に際しても、ユダヤ系にしてロックフェラー家とも知古のあるキッシンジャー博士の影響や指南を受けたことは容易に推測できます(キッシンジャー博士自身は1973年にニクソン政権において国務長官として政界入り・・・)。因みに、同氏の父親は、ナチスの原子爆弾開発に協力したとされるエッシャーウイス社に勤めていたそうです。

 かくして世界経済フォーラムには、その設立時からして、どこか不自然さがあります。何故ならば、世界規模の組織を一から創設するには、資金も人脈をも要しますので、当事無名であったクラウス・シュワブ氏一人の力では凡そ不可能であるからです。欧州委員会や欧州産業協会の後援があったとされるものの、ヨーロッパを越えてグローバル企業を束ねるには、金融・経済財閥勢力の後押しがあったとするのは合理的推測です(この点は、革命や戦争といった他の大規模な事件とも共通している・・・)。言い換えますと、同フォーラムの設立自体が、その背後にある‘本体’を隠しているという点において陰謀であったとも言えましょう。

 世界経済フォーラムは、しばらくの間に全世界のグローバル企業の親睦会といったイメージで捉えられてきました。実際に、今日に至るまで、同組織の運営を財政面から支えているのは、同フォーラムの選考委員会の審査を通過した1000社以上の会員企業からの寄付金です。ところが、同フォーラムの活動の範囲は経済に留まらず、やがて積極的に政治といった他の分野にも進出するようになります。その手段の一つが、同フォーラムの主催する年次総会に各国の政治家や国際機関のトップを招くというものでした。最盛期の年次総会は、各国の大統領や首相、中央銀行総裁、国連総長、NATOの事務総長などなど、これらの人物を全てコントロールすれば、全世界を支配できる思えるほどの顔ぶれとなったのです。

 そして、もう一つ、世界経済フォーラムは、全世界に自らの影響力を浸透させるための仕組みを設けています。それは、毎年一〇〇名ほどのヤング・グローバル・リーダーズを認定するというものです。これまでの認定者には、政治家ではウラジミール・プーチン大統領をはじめ、アンジェラ・メルケル元首相、カナダのトルドー首相、フィンランドのサナ・マリン首相などの名が見られます。

今年2023年には、高齢者集団自決発言で批判を浴びた成田悠輔氏も選ばれています。同氏の選定で日本国内でもヤング・グローバル・リーダーズの存在が注目されることとなったのですが、選ばれた人々を見ますと、同フォーラムの傾向が読み取れます。将来性を見込んだ政治家(同フォーラムにとっては利用価値・・・)のみならず、王族、投資家、ジャーナリスト、研究者、マスコミ人、アーティストなど、目標年となる2030年に向けて‘世界を変える’ための人材が選ばれています。中国人やアフリカ諸国の人々が多数含まれているのも、世界全体をコントロールするための戦略なのでしょう。

 なお、成田氏の選出は、炎上した発言が非人道的な内容であっただけに、日本国内では意外性をもって受け止められたのですが、「海上都市国家構想」の紹介にも見られた富裕層に忖度する同氏の日頃の主張からしますと、当然と言えば当然と言えるかもしれません。否、同氏こそ、マスコミにおける宣伝や番組への登用など、世界権力によって大事に育てられてきた世論誘導要員のインフルエンサーであったとも推測されます。

 以上から、世界経済フォーラムが、先ずもって自らの手足となって働きそうな政治家や有力者達を、比較的年齢が若い時から取り込んでいる様子が窺えます。新自由主義者かつ歴代政権のアドバイザーとして知られる竹中平蔵氏も同フォーラムの理事であり、日本国民よりも同フォーラムの目的達成を優先しているのでしょう。もっとも、世界経済フォーラムの手法は、自らの権威をもって有力者を年次総会に招待したり、青田刈りのように特別のポジションを与えて育てるといった権威主義的なものですので、人々の信頼を失った途端、その計画も狂わざるを得なくなるかもしれません。そして、同フォーラムによって選ばれた人々については、その発言の真の目的を見抜かなければならないように思うのです。

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コオロギ食は文化・文明の否定では?

2023年03月30日 10時19分26秒 | 社会
 昨今、地球温暖化やSDGsの流れもあって、コオロギ食をはじめとした昆虫食が全世界レベルで推進されるようになりました。日本国も例外ではなく、近未来の新食材として宣伝され、コオロギを原材料とした様々な商品も登場してきたのですが、昆虫食に対する国民の拒否反応は、推進側の予想を遥かに超えていたかもしれません。生理的な拒絶反応と言ってもよいくらいなのですが、安全性が保障されているわけでも、昆虫を食する習慣があるわけでもなかったからです。そして、もう一つ、国民の多くが昆虫食を不快に感じる理由として挙げられるのは、それが、食文化というものを完全に否定しているからではないかと思うのです。

 今日に至るまで、世界各地では、気候条件やその土地で採れる食材を生かした固有の食文化が発展してきていました。肥沃な農地に恵まれ農業大国であったフランスは美食の国として知られていますし、今日では、全世界の街角においてフランス料理店を見出すことができます。日本国でも、茶道から生まれた繊細な懐石料理から日常の素朴な家庭料理に至るまで、幅広い料理があります。各国・地域ともに、伝統に根ざした料理は人々の空腹を満たすのみならず、人生に楽しみをも与えてきたのです。しかも、しばしばお皿に端正に盛り付けられた料理は芸術の域にまで達しています。職人技がさえる食器、ダイニングの家具や調度品、マナーや作法、会話術なども合わせますと、食文化は、総合芸術と言っても過言ではないかもしれません。

 人類史を振り返れば、食文化は文明の証でもあります。農業の始まりは文明の始まりでもありました。各地の遺跡からは、必ずと言ってもよいほどに土器や陶器が発掘されています。特に古代文明の地では、食物を保存する壺や調理された食事を盛る器も、専門の職人の手によって大量に造られていた形跡が見られます。そして、それが生活必需品であった故に、農業と共に他の多種多様な産業も発展をみたのです。例えば、窯業が盛んになるにつれ、人々は、自らの好みに合った食器を選んで購入することができるようになったのです(室内の装飾品として購入することも・・・)。食に関連する産業の裾野は極めて広く、第一次産業である農業のみならず、第二次産業に属する窯業や金属加工業、その他食料品販売や飲食業等の各種サービス業も合わせますと、経済全体に占める食関連の産業の比率は決して小さくはありません。

 しかも、食とは、人類の物質的な豊かさのみならず、心の発展とも関連しています。キリスト教の教えでは、「人はパンのみに生きるにあらず」とされますが(この言葉は、他者に対する慈しみや道徳心を軽んじて、自己の物欲のみに従って生きる人を戒めるための垂訓であったのでは・・・)、最後の晩餐が示すように、人々が食事を共にすることには、精神的な意味が込められていることもありました。今日でも、記念行事や冠婚葬祭などに際して、お料理やお酒が振る舞われるのも、同じ空間と時間を食事をしながら共に過ごすことが、人々の間の絆や繋がりを深める媒介の役割を果たすからなのでしょう。豊かな生活とはその文化的な側面を含めた食の充実でもあり、食とは、生活水準や文化水準のバロメーターでもあるとも言えましょう。

 一方、目下、近未来の食材として注目されている昆虫食は、主として(1)二酸化炭素を排出する牛、豚、鶏といったタンパク質源に代わる新たな食材、並びに、(2)地球温暖化の影響により飢饉が発生した際のエネルギー源として期待されています。(1)のように昆虫が新たなタンパク質源となりますと、これまで親しんできたあらゆるお肉料理の品々が食卓から消えて、お皿の上には調理された昆虫が載せられることとなりましょう(コオロギのフライ、天ぷら、唐揚げ、煮物・・・の何れであっても、お箸が進むとは思えない・・・)。粉末状で供されるならば、スープ皿に盛られた流動食の状態かもしれません。それとも、スナックやパンをお皿からつまむ形となるのでしょうか。お料理の素材が昆虫のみとなりますと、殆どの飲食店はお店をたたまなければならなくなるかもしれません(もちろん、畜産業も壊滅してしまう・・・)。これまで各地で育まれてきた食文化は消え去り、食事の楽しみも失われてしまうのです。

 また、(2)の飢饉対策としての昆虫食の未来にも、悲惨な状況が予測されます。食事とは、まさしく生命を維持するためにのみ存在することとなるからです。今日、昆虫食は、家畜の飼料や養殖魚の餌としても利用されています。言い換えますと、人類は、‘食事’ではなく‘餌’を与えられる家畜のような存在に貶められてしまうのです。毎日毎食、昆虫を餌として食べさせられるのでは、誰もが木の実や果物に手を伸ばし、自然の恵みに預かることができた原始時代の方が、まだ‘まし’であるかもしれません。

 以上に述べてきましたように、昆虫食の普及には、多様で多彩な食文化の消滅のみならず、文明をも破壊しかねないリスクが潜んでいるように思えます。また、昆虫食は新たなビジネスを生み出すとして期待する向きもありますが、失われる産業やビジネスの方が遥かに多いのではないでしょうか(経済の急速な縮小・・・)。ダボス会議に象徴される世界権力の指令に従う義務はどこにもないのですから、日本国政府を含め、各国政府は、昆虫食を推進するよりも、より人類に相応しい豊かで安全な食を目指すべきではないかと思うのです。

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ナチスとは偽旗作戦であった?-極右の真実とは

2023年03月29日 13時49分34秒 | 国際政治
 第二次世界大戦を引き起こしたアドルフ・ヒトラーが、ゲルマン民族優越主義を掲げて登場してきたことは、よく知られております。ところが、ヒトラー自身は、ゲルマン民族の特徴とされる金髪碧眼ではなく、本当のところはユダヤ系とする噂も絶えませんでした(ヒトラー自身が家系の調査を禁じたために余計に怪しまれたし、親族のDNA検査では中東系の配列も見られたとも・・・)。実際に、ナチス政権の高官には、ユダヤ系の人物が顔を揃えており、実に70%がユダヤ系であったともされています。

さらに、ヒトラーが率いた政党、ナチスの正式名称が、「国民社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)」と邦訳されています。‘National’については解釈によって訳にも違いが生じますが、同党名には‘社会主義’や‘労働者’といった表現が含まれています。このため、一般的な理解では、ナチスは、共産主義と鋭く対峙する民族主義の右派政党なのですが、むしろナチスはその本質において共産党と同類ではないか、との疑問も呈されてきました(極右も極左も全体主義においては共通している・・・)。

これらの奇妙なちぐはぐさは、一体、何に由来しているのでしょうか。ここで、極右とは、極左と共に、世界支配を目的とした世界戦略の一環としての、国民動員のための偽旗作戦であったとする仮説を置いてみることとしましょう。そもそも、ナチスの前身とされるドイツ労働者党は、トゥーレ協会という秘密結社の会員であったジャーナリストのカール・ハラーを中心に設立されています。ヨーロッパ諸国では、政党というものが、カルト的な秘密結社を母体とし、しかも、複雑に枝分かれしているケースが見受けられます。例えば、トゥーレ協会はゲルマン騎士団の非公式のバイエルン支部であり、そのゲルマン騎士団には姉妹組織としてハンマー同盟があり、その背後には、新テンプル騎士団やリスト協会がある、といったように。フリーメイソンやイルミナティ等の暗躍により一般の‘民衆’をも革命に動員することに成功したフランス革命は、秘密結社式革命の成功体験となったのでしょう。

議会制民主主義の発展と軌を一にしたイギリスの政党政治に政党の典型を見てきた日本国では、政党とは基本的な政策方針を共にする合理的な政治団体と見なしがちであり、カルト的な側面については関心が払われてきませんでした。それ故に、今般、安部元首相暗殺事件を機に自民党と元統一教会(世界平和統一家庭連合)との関係が明らかとなった際に、国民の多くは、‘あり得ない’、あるいは、‘あってはならない’こととして驚愕すると共に、強い嫌悪感を抱いたのでしょう。しかしながら、現実を直視しますと、日本国のみならず、アメリカやヨーロッパ諸国を含め政治の世界には秘密結社が蠢いており、そしてそれらは、一つの目的に向かって動いているようにも見えるのです。

その目的とは、先に仮説として示した世界支配、人類の徹底監視と非文明化を伴う全体主義体制の確立というものなのなでしょう(世界政府の形態であれ、分割統治の形態であれ・・・)。そして、この目的は、人々に知られることなく、密かに達成する必要があったはずです。真の目的を隠すという点においては、極右も極左も変わりはなく、何れもが、民衆には大多数の人々が願うような理想的なヴィジョンを先に掲げることで、自らの組織のために行動するように仕向けようとするのです(戦争への熱狂的な動員に導くという意味では、戦争恍惚師の役割・・・)。極左であれば、‘資本家による搾取なき平等社会’であり、極右であれば、‘優越民族による支配’を打ち出し、人々の心の奥に潜む自尊心をくすぐるといった手法です。何はともあれ、人々が自らの命を投げ出しても惜しくはないような目的を、自らの組織への支持を広げるための‘偽りの目的’として掲げるのです(自発性を引き出せれば大成功・・・)。

もっとも、‘真の目的’と‘偽りの目的’とは真逆の関係にありますので(メビウスの輪作戦)、自ずとあちらこちらから綻びが生じます。冒頭で述べたように、ナチスの場合には、明らかに非ゲルマン系の容貌であったヒトラーがゲルマン民族優越主義を唱えたという矛盾がありした。また、国民社会主義労働者党という名称も、数において多数となる労働者層の支持を得るための便宜上の命名であったかもしれません。民心を掴むことが重要であったのですから(ヒトラーは演説の訓練を受けていた・・・)。

そして、ナチスの思想的源流の一つがオーストリアにあるように、ゲルマン民族優越主義とは容易に国境を越える超国家的な性質を備えていました(ヒトラーは、大ドイツ主義を唱えてオーストリアを併合・・・)。さらには、ゲルマン民族のみならず、‘アーリア民族’という表現も用いられた点を考えますと、ドイツ、あるいは、ドイツ系国家という国家の枠組みを超える思想的根拠をも準備していたのかもしれません。最終的には、人種間闘争に持ち込めますし、侵略を正当化する理論としても利用することができるからです。

今日の世界を見ますと、新興宗教団体などの組織も大衆扇動装置として‘秘密結社’の役割を担っているように思えます。朝鮮半島を本拠地とする元統一教会はその最たる事例であり、こうした組織の多くは、おそらく、欧米の秘密結社と同様に世界権力の下部組織としてネットワークで繋がっているのでしょう(イエズス会や各国の極右、あるいは、政党なども含まれる・・・)。二度と同じ轍を踏まないためにも、世界支配の構造を理解した上で、持ち上げられるだけ持ち上げておきながら、結局はドイツ人を絶望の淵に突き落としたナチスの事例は、第三次世界大戦、あるいは、世界レベルでの全体主義体制の成立を未然に防ぐためにも、歴史の教訓とすべきではないかと思うのです。

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三次元戦争から読み解く日米関係の揺らぎ

2023年03月28日 12時15分51秒 | 国際政治
 つい数年前までは日米同盟は盤石とされ、日本国民の多くも、アメリカは対外的脅威から日本国を守る頼りになる同盟国と信じてきました。日本国が、戦後半世紀以上にわたってソ連や中国から侵略を受けずに平和を維持できたのも、平和憲法と謳われた日本国憲法第9条ではなく、日米同盟のお陰であると。しかしながら、コロナ禍が始まった2021年頃から、日本国民のアメリカに対する信頼感が揺らいできているように思えます。

 アメリカに対する不信感からか、中国の習近平国家主席が目標とする台湾併合をめぐって米中対立が先鋭化し、かつ、日本国民の対中評価が凡そ90%の反中率で高止まりしつつも、日本国内では、どこか冷めた空気が漂っています。アメリカのバイデン政権の方針に追従している岸田政権とも温度差があり、政府と国民との間にも著しい隔たりがあるように見えます(国内の保守層も、自民党と元統一教会との関係もあり、対中強行姿勢を軸に岸田政権支持で纏まっているわけではない・・・)。おそらく、アメリカ国民の多くも、バイデン政権の対ロ並びに対中政策を冷ややかな目で見ているのかもしれません。

 日米両国とも国民の政治不信は深刻なレベルに達しているのですが、この流れを追いますと、一つの重大な転機があったように思えます。それは、コロナ・ワクチンの接種推進です。とりわけ日本国政府は、自国の感染者数が比較的少ない状況にありながら、アメリカの製薬会社との間に賠償責任の肩代わりという極めて不利な条件で契約を結び、ワクチンの大量提供を受けることとしました。ところが、製薬会社による当初の説明とは異なり、同ワクチンの効果には疑問がもたれると共に、甚大な健康被害が報告されています。ワクチン接種開始後、報告されただけでも凡そ2000人の人々が亡くなり、日本国の超過死亡者数も戦後最大数が記録されました。かくして誰もが、頑なにワクチンを接種させようとする政府の姿勢を疑うようになったのです。しかも、あまりの被害の多さに、意図的な人口削減説まで囁かれるようになったのですから、ワクチン接種を推進してきた日本国政府、並びに、アメリカに対する不信が募るのも理解に難くありません。

 ところで、ヨーロッパと同様に武士の時代とされる鎌倉時代から江戸時代まで封建制を経験してきた日本国では、忠誠心というものが尊ばれてきた歴史があります。ヨーロッパと同様に、封建制における主君に対する家臣の忠誠心とは、主君による領地の保障(本領安堵)と引き換えという側面があり、この相互的な義務・権利の関係性に関する感覚は、民主主義国家となった今日にあっても日本人に染みついていたのかもしれません。日米同盟にあっても、アメリカが日本国を外敵から守る限り、日本国も、アメリカに対して自らの守護者として忠誠を誓っていたとも言えましょう。中国の軍事的台頭を目の当たりにして、同じくアメリカの同盟国であった韓国が中国に靡く中、日本国が日米同盟を不動のものとして位置づけたのも、こうした感覚が働いていたからなのかもしれません。

 ところが、今般のコロナ・ワクチンの接種によってもたらされたワクチン禍は、日本国民のアメリカに対する認識を大きく変えてしまった可能性があります。‘アメリカが日本国を護る’という日米同盟の大前提を、大きく揺さぶってしまったからです。否、アメリカという国家に対する信頼の揺らぎと言うよりも、‘世界の支配構造’に関する認識に目覚めたと言った方が適切であるかもしれません。ダボス会議に象徴される超国家的なグローバリストによる支配、すなわち、‘世界の支配構造’を仮定する、即ち、全体を三次元の構図で捉えれば、日米の二国間関係のみでは説明できない不可解な現象の意味が自ずと分かってくるからです。

 真にロシアや中国が日米をはじめとした民主主義国家にとって脅威であるならば、アメリカが日本国に対して、国民の命を危険にさらし、人口が減少するような非情な政策を押しつけるはずはありません。また、米軍の対中戦略において、日本国を捨て石にするような作戦を立案するはずもないことでしょう。ところが、現実には、日本国の同盟国であり、‘核の傘’をも提供する擁護者であるはずのアメリカは、中国の脅威を前にして同盟国を厚遇し、信頼関係を深めるどころか、その逆方向の政策を遂行しているのです。言い換えますと、日本国は、目下、同盟国から被害を受けるという通常の軍事同盟ではあり得ない事態に直面しているとも言えましょう。

 アメリカによる日本国に対する国民犠牲の要求や密かなる背信的な攻撃が現実であるならば、その理由は、アメリカの歴代政権もまた、世界権力の‘駒’でしかないかない点に求めることができるかもしれません。特に民主党政権は、不正選挙問題で取り沙汰されたように世界権力と凡そ一体化しており、アメリカ国民や国家としての国益よりも、世界権力の意向に従って国家を運営している疑いがあります(もちろん、共和党も自民党と同様に世界権力の‘駒’である政治家が多い・・・)。

 この視点から一連の出来事を眺めてみますと、世界権力は、自らの傘下にある各国の政府に対して第三次世界大戦に向けた国内改革を急ぐように指示する一方で(日本国の場合、憲法改正による非常事態条項の追加など・・・)、有事体制、並びに、戦後における世界支配体制の確立を準備しているとも推測されます。つまり、戦争という非常事態の発生を準備させつつ、同時に、戦中戦後に出現すべき‘新しい世界’に向けた独裁的な体制作りを進めているかもしれないのです。人口削減は、自らが完全に管理し得る数まで人類の数を減らすために実行されているのであり、デジタル化の推進も、人類監視・管理システムの構築ということになりましょう(中国モデル・・・)。そして、地球温暖化問題も、人類を最低限の生存条件で生きることに慣れさせるための操縦装置であるのかもしれません。

 果たして、以上に述べてきた仮説は現実を説明しているのでしょうか。杞憂であることを祈るばかりなのですが、今日の日本国をとりまく世界情勢を見ておりますと、当たらずとも遠からずのように思えるのです。

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メビウスの輪作戦から読み解く岸田首相のウクライナ支援

2023年03月27日 10時32分51秒 | 国際政治
 岸田首相によるウクライナへの電撃訪問を受けてか、ロシアのプーチン大統領は、ロシア国営テレビのインタビューにて米欧を第二次境大戦時の枢軸国に喩えたと報じられています。全体主義体制という観点から見れば、ロシアや中国の方が余程ナチス色が強いのですが、今日の世界は、まさしく真偽が逆さまとなる二重思考に染まっているように思えます。日本国もその例外ではないのかもしれません。

 二重思考を人々に強いるための具体的な手法とは、オーウェルの『1984年』におけるゴールドスタイン説明によれば、価値の先取りと言うことになります。この手法は、同作品が世に出る以前から、政治の世界では、国民を誘導したり、騙したりする方法として使われていたのかもしれません。例えば、マルクス主義も、平等や搾取なき社会の実現を掲げつつ、結局は、その真逆の世界にたどり着いてしまっています。二重思考は、出発点とは逆の地点に導こうとするメビウスの輪作戦とも言えるのですが、上述したプーチン大統領の枢軸国発言も、最初にロシア=正義の連合国?・欧米=悪の枢軸国という等式を打ち出すことで、正義という価値を先取りしたいのでしょう。

 それでは、日本国はどうでしょうか。日本国もまた、メビウスの輪作戦に絡め取られているように思えます。例えば、岸田文雄首相は、ウクライナへの電撃訪問を終えて帰国した際に、「ロシアの侵略は暴挙だと痛感し、法の支配に基づく国際秩序を堅持しなければならないとの思いを新たにした」と述べています。同発言から同首相の認識、否、国民に対する説明としての論理を読み取りますと、(1)現在、国際社会では、法の支配に基づく国際秩序が成立している、ところが、(2)ロシアが違法行為である侵略を働いている、(3)国際社会は、法の支配が崩壊する危機にある、(4)日本国は同秩序を維持するためにウクライナを支援しなければならない、ということになりましょう。

 理路整然としているようには聞こえるのですが、一つ、重大な事実に関する誤りがあります。それは、現実の国際社会にあっては、法の支配に基づく国際秩序は、未だに形成途上にあるという点です(ロシア有罪も確定しているわけでもない・・・)。このことは、侵略軍を上回る物理的強制力を備えた‘国際警察軍’が存在していない現状にあって、首相が述べるたように同秩序を護ろうとすれば、当然に、国際法違反行為を咎める有志国が被害国のために軍事力を行使する必要があることを意味します。すなわち、岸田首相の誤った‘現状認識’に基づく論理に従えば、ウクライナ紛争は日本国も参戦すべき正義のための戦いとなり、即、第三次世界大戦に至らざるを得ないのです。

 ところが、第三次世界大戦を想定した米軍のシミュレーションは、‘日本国捨て石作戦’ですので、たとえ同大戦に勝利しても、日本国はロ中等からのミサイル攻撃により壊滅的な破壊を受けます(中ロをバックとした北朝鮮からのミサイル、さらには核攻撃も想定される・・・)。また、侵略国陣営の軍事力が有志国のそれを上回る場合には、前者が戦争に勝利し、国際法秩序そのものが破壊されることでしょう。

 果たして、岸田首相は、日本国民に対して、国際法秩序を護るため、否、ウクライナを護るために第三次世界大戦、並びに、それに伴う日本国の犠牲と破壊を受け入れるよう、国民を説得することができるのでしょうか。岸田首相の論理的帰結は戦争への協力並びに参加であり、日本国民に‘正義’に殉じる覚悟を求めているに等しいのです。法の支配に基づく国際秩序が確立していない現実を直視すれば、少なくとも日本国にとりましては、岸田首相の論理は、価値を先取りした二重思考、あるいは、メビウスの輪と言うことになりましょう。その行く先には、自国の滅亡、並びに、国際法秩序の完全消滅が待っているかもしれないのですから。

 そして、ここで問題となるのは、国際法秩序を擁護する方法は、戦争以外にあり得ないのか、という別の選択肢や他の取り得る手段の問題です。例えば、中国が提案した和平案については内容が曖昧であり、双方が合意に達するのは困難とする見方が大半を占めます。そこで、何れの国のものであれ、交渉の席に着く以前に当事国から拒否されるリスクの高い和平案の提示という形ではなく、紛争の平和的解決に関する新たな制度構築の文脈からのアプローチもありましょう。和平条件等については白紙の状態とした上で、国際機関等において紛争当事国が直接に交渉を行なえる場を設ける、あるいは、義務づけるといった案です(交渉期間中は停戦とする・・・)。既に起きてしまった紛争を如何にして平和的に解決するのか、平和解決に方針を定めた上での努力こそが、二重思考やメビウスの輪作戦から抜け出す道のように思えます。

 なお、双方の‘陣営’共に同様の詐術的な作戦を遂行している点を考慮しますと、両者共に、戦争利権をも有する世界権力によって操られ、全体の状況は上部からコントロールされているものと推測されます。岸田首相の電撃訪問と中ロ首脳会談の時期の一致は単なる偶然なのでしょうか。日頃は、中ロを刺激しないよう慎重姿勢に徹してきながら、今般に限っては、積極的に対立を煽っているようにも見えます(その一方で、ロシアに対してはウクライナ報訪問を事前に伝えている・・・)。人類滅亡へと繋がるような三度目の失敗は許されず、今度こそは三次元戦争の構図を見抜き、世界大戦を防ぐべく、人類は知恵を絞るべきではないかと思うのです。

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岸田首相のウクライナへの肩入れが日本を危うくする

2023年03月24日 12時11分42秒 | 国際政治
 昨日、3月23日、訪問先のウクライナから帰国した岸田文雄首相は、極秘で敢行した電撃訪問の意義について、国会にて事後報告を行ないました。同報告において、首相は、G7広島サミットにおける議長国としての、ウクライナ支援と対ロ制裁の強化に向けた意気込みを語っています。リーダーシップを発揮すると共に、中小の中立国にも協力を働きかけると述べていますので、対ロ陣営がための場としたいのでしょう。折も折、中国の習近平国家主席はロシアを訪問し、プーチン大統領と会談の場を設けております。同会談の内容は詳らかではありませんが、ロシアが中国に対して支援を求めたのではないか、とする憶測もあります。

 岸田首相の電撃訪問については、中国による台湾侵攻が現実味を帯びている中、国益の側面からの根強い擁護論があります。台湾有事となれば、アメリカのみならずNATOからも強力な支援を期待できるというものです。しかしながら、この擁護論、国民の多くを納得させるだけの説得力を備えているのでしょうか。CSISの報告書などからも垣間見られる米軍が温めている対中作戦計画等の情報からしますと、ウクライナへの肩入れは、期待とは裏腹に日本国の安全を脅かすリスクの方が高いように思えます。

 第一に、台湾有事は、ウクライナ紛争が終結した後に起きるとは限りません。否、今般の岸田首相、あるいは、その背後で同首相に圧力をかけたアメリカあるいは世界権力は、上述したように全世界の諸国を二大陣営間の対立に持ち込むことを基本方針としています。また、中国は、台湾侵攻に際して、NATO軍がウクライナ紛争への対応で釘付けになっている時期を狙うことでしょう。このことは、東西において同時に戦闘が起きる可能性を示唆しており、この時、NATOは、対ロ戦争のみで手一杯の状況となりましょう。ウクライナ一国での戦闘のみで、同盟関係にはない域外の日本国にも支援を求めるぐらいなのですから。つまり、第三次世界大戦へと戦禍が拡大した場合、日本国は、NATOからの支援は期待できないのです。

 第二に、岸田首相自身は、電撃訪問の意義について台湾有事に際してのNATOとの協力ついて触れていません。ロシアを侵略国と認定した上で、国際法秩序の維持を前面に打ち出しているのです。このことは、今般の日本国によるウクライナ、並びに、ポーランド支援と、将来におけるNATO側から極東有事における対日支援とは切り離されていることを示唆しています。なお、国際法秩序の維持を根拠とした警察的な軍事行動が第三次世界大戦を引き起こすリスクがある場合、並びに、仮に戦争犯罪国が勝利した場合には、国際法秩序そのものが破壊される結末が予測される場合には、軍事的制裁行動には慎重になるべきことは、再三、本ブログ記事で指摘したところです。

 第三に、台湾有事については、アメリカの情報機関の報告に依れば、2027年を目標としてアメリカの軍事介入を阻止するための軍備増強を中国側は進めるそうです。台湾有事とは、5年以内に起こりえる事態であることを考慮しますと、日本国には、ウクライナへの支援に国費を割いている余裕はないはずです。日本国による対ウクライナ支援費の額は積み上がる一方ですが、それは、日本国の防衛力と反比例の関係となるのです。中国としましては、台湾有事に先立って、外貨準備を含めて日本国並びにアメリカの資金力=戦争遂行能力をできる限り低下させたいところでしょう。

 第4として指摘し得るのは、岸田首相の陣営固めの方針が、第三次世界大戦への道に繋がるとしますと(*3月25日追記:ロ中会談では、和平案が提案されつつも、実質的には中ロ陣営の形成も進んでおり、世界権力の二頭作戦路線も疑われる・・・)、たとえNATOの協力を得られたとしても、日本国は、壊滅的な被害を受ける可能性が高い点です。何故ならば、今後予測される対中戦争とは、双方がミサイルを撃ち合うミサイルの応酬戦となることが予測されているからです。

 ロシアと地続きとなるウクライナと異なり、台湾も日本国も中国とは海を隔てています。台湾を完全に軍事占領しようとすれば、中国は、空母の派遣や陸上部隊の投入に先立って、台湾の制海権と制空権を完全に掌握する必要がありましょう。このためには、台湾にある対中ミサイル基地を攻撃用ミサイルによって全て破壊しなければならないのです。また、アメリカの介入を排除するためには、中国は、日本国内に設置されている米軍基地を破壊しようとするはずです(サイバー攻撃等による基地機能の破壊を含めて・・・)。今般、反撃力を備えるとして日本国内にミサイル基地が建設されるとしますと、中国は、米軍基地のみならず、同基地を狙ってミサイル攻撃を仕掛けてくることでしょう(この点、反撃用のミサイルは、移動可能なイギリスが採用している潜水艦発射式の方が望ましいのでは・・・)。

 以上の諸点を踏まえれば、日本国は、間接的なウクライナ支援に国費をつぎ込むよりも、直接的に自国の安全を高める方向に舵を切り替えるべきと言えましょう。そして、最大の安全策は、第三次世界大戦を意味しかねない台湾有事を未然に抑止をおいて他にありません。未然防止にプライオリティーに設定すれば、ウクライナ紛争をめぐっては、二大陣営の形成を促進するよりも早期和平を実現すべきであり、岸田首相は、広島サミットをG7諸国に対して和平の重要性を説明し、方向転換を促すことにこそリーダーシップを発揮すべきなのではないでしょうか。これと同時に、万が一に備え、核武装をも視野に入れた対中ミサイル防衛にこそ、国家予算を投じる方が余程日本国の安全を高めますし、日本国民の命を救うとともに、国土の壊滅を防ぐことにもなるのではないかと思うのです。

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電撃訪問は‘国民封じ’のため?-民主主義の危機

2023年03月23日 10時44分58秒 | 国際政治
 古来、平和とは、人類の願いとされてきました。多くの思想家や理論家も、平和の実現のために思考をめぐらし、知恵を絞ってきたのですが、戦争が一向になくならないのが嘆かわしい現状です。しかしながら、これらの書物には、現実が抱えている問題点を深く認識し、改善してゆくためのヒントが隠されていることも確かなことです。

例えば、エマニュエル・カントは、『永遠平和のために』という書物の中で、国際社会において確立すべき行動規範や条件等について具体的な提言を試みております。同書において興味深いのは、‘永遠平和のための第一確定条項’です。第一確定条項とは、「各国家における市民的体制は、共和的でなければならない」というものです。共和制が平和に貢献する理由として、カントは、以下のように述べています。

「―すなわち、戦争をすべきかどうかを決定するために、国民の賛同が必要となる場合に、国民は戦争のあらゆる苦難・・・を自分自身に背負い込む覚悟しなければならないから、こうした割に合わない賭け事をはじめることにきわめて慎重になるのは、あまりにも当然のことなのである」

そして、国民の苦難の細かな内容としては、(1)兵役、(2)戦費の拠出、(3)廃墟からの復興、(4)完済不可能な負債の引き受けなどを挙げています。戦争に際して生じる国民の負担は今も昔も変わりはなく、戦争とは、国民にとりましては、何としても避けたい事柄なのです。民主主義体制が全世界の諸国において実現することこそ、永遠平和のための第一条件とするカントの提言は、国民が決定権を有する体制の論理的、かつ、人類の自然な感情に基づく当然の帰結と言えましょう。

 全ての諸国が民主化されていない状況下にあって起こり得る侵略戦争に対する防衛戦争や国際法違反行為に対する制裁戦争等については別に論じるとしても、カントの指摘を待つまでもなく、民主主義体制が内包している戦争抑止効果は、誰もが認めるところです。しかも、飛び道具であるミサイルや核兵器が実戦用に配備されている今日では、‘国民の苦難’は、カントの時代を遥かに凌駕します。民主主義国家であれば、大多数の国民は、戦争によって自らが被る甚大な被害や損失を予測し、戦争に賛同することを躊躇することとなりましょう。

ところが、今日の国際社会を見ておりますと、民主主義国家であっても、戦争抑止力が著しく低下してきているように思えます。もちろん、全諸国の民主化が達成されていないという現状もあるのですが、戦争回避や和平の促進といった他の選択肢がありながら、敢えてその道を封じてしまう民主主義国家も少なくないのです。

 今般のウクライナ紛争にあっても、G7諸国の首脳は、揃ってウクライナを極秘で訪問しています。電撃訪問とも呼ばれるこの手法は、首脳による隠密行動を意味しており、外部に対して情報の一切が遮断されます。このため、訪問先が戦争の最前線であっても、自国の首脳による紛争当事国訪問の是非について、議会等で議論を尽くす機会が失われてしまうのです。同訪問が、たとえ自国を戦争への道に導くとしても・・・。

しかも、日本国の岸田首相の電撃訪問では、当事国のウクライナのみならずポーランドに対しても巨額の財政支援を約束しています。これらの諸国からは謝意が示されているようですが、日本国民からしますと、首相の対外的な財政支出の約束が、自らへの税負担として返ってきます。帰国後に国会に報告するそうですが、既成事実化した後では、外国に対する同約束を反故にすることは簡単でありません。あるいは、同首相は、公式の書面による協定等も結ばずに支援を申し出たのであって、後から前言を翻すことができる口約束に過ぎないのでしょうか。特に予算を要する事柄については、財政民主主義の原則に照らしても、国民の同意なき支出はあってはならないはずです。

何れにしましても、首脳への‘全権委任’ともなりかねない電撃訪問という形態は、国民の賛同を得ることなく、政治家が重大な決定を行なうことができますので、カントが述べているような民主主義の戦争抑止力を台無しにしてしまいます(もっとも、民主主義国家にあっても国民の賛同を不可欠の条件とするためには、国会の事前承認では不十分であり、国民投票制度を導入する必要がある・・・)そして、国民にはありとあらゆる苦難ばかりが押しつけられるのです。アメリカのバイデン大統領もウクライナのゼレンスキー大統領も、ロシアとの戦いは民主主義を護るための戦いでもあると高らかに宣言していますが、その民主主義体制を自ら危うくしている現実にこそ、日本国を含むG7諸国の国民は警戒すべきではないかと思うのです。

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岸田首相のウクライナ電撃訪問への疑問

2023年03月22日 10時40分23秒 | 国際政治
昨日3月21日に、日本国の岸田文雄首相がウクライナを‘電撃訪問’したとするニュースが速報として報じられました。G7の構成国にあって日本国の首脳のみが唯一、ウクライナを訪問していなかったため、政府としては、前々から機会を窺っていたようです。その一方で、ウクライナ紛争への深入りを警戒する国内世論もあり、実現は困難との見方もありました。結局、岸田首相は、隠密行動により‘電撃訪問’を実現したのですが、この訪問については、幾つかの問題があるように思えます。

第一に、情報を遮断した上での電撃訪問という形態では、国民世論は、完全に無視されます。ウクライナ紛争は、第三次世界大戦へと拡大するリスクを抱えた紛争ですので、今般の岸田首相の訪問は、後世にあって歴史を振り返ったときに、日本国の運命を決定づける転換点となる可能性があります。日本国民の多くも、同リスクに既に気がついております(ネット上の世論調査では、評価しないが過半数を上回っている・・・)。かくも重要な決定を、首相の一存で決定したとなりますと、日本国の民主主義は殆ど機能していないこととなりましょう。せめて、国会による事前承認を要したのではないでしょうか。

同国会による事前承認については、これまで、首相が外国を訪問する際の慣例となっていたそうです。2月下旬の時点では、野党の立憲民主党の泉健太代表もその必要性を主張しておりました。事前承認を要するとなれば、少なくとも国会を舞台として、ウクライナ支援の必要性やその是非などが国民の前で議論される機会となったことでしょう。しかしながら、同じく野党である国民民主党の玉木雄一郎代表は、平時のルールで首相の行動を制約するのは国益に反する、とする見解を示し、電撃訪問を容認しています。しかしながら、そもそも、有事を根拠として首相にフリーハンドを与えることは、国益に叶うのでしょうか。同見解が正しいとなりますと、有事に際しては、戦前のドイツのように授権法を成立されて、一人の‘指導者’に全権力を委ねるのが‘正しい’ということになります。国家の命運並びに国民の生死を左右する有事であるからこそ、国民的なコンセンサスと多くの人々の意見を取り入れた上での慎重な判断が必要という見方もあるはずです。

‘電撃訪問’、否、有事における権力集中は、首相による事実上の独裁を意味しかねず、かつ、不可逆的な既成事実が造られてしまいます(改憲の課題とされる非常事態条項にも関連する・・・)。同方法が、民主主義国家に相応しいのか、と申しますと、そうとは言えず、たとえ他のG7諸国の首脳が同様の方法を選択したとしても、NATO加盟国でもない日本国は、これに倣うべきではかったように思えます。

第二に問われるのは、首相によるウクライナ訪問は、秘密裏に敢行する必要があったのか、という疑問です。先述したように立憲民主党と国民民主党の代表間での応酬に際しては、前者に対して紛争地帯への訪問に伴うリスクを考慮すべきとする多数の批判が寄せられたそうです。しかしながら、首相の命に拘わるほどに危険であるならば、紛争地帯に首相が出向くこと自体が間違った判断となりましょう。また、ロシアが、日本国との決定的な決裂を覚悟してまで、岸田首相の暗殺を企てるとも思えません。否、同訪問が、ロシア側に対日開戦の‘チャンス’を与える事態ともなれば、今般の電撃訪問が日本国の国益を著しく損なうことは明らかです。マスメディアの多くは、事前の情報漏れを問題視していますが、議論の焦点が誘導的にずらされているように思えます。

第三に挙げるべき点は、自民党の茂木敏充幹事長の説明です。同幹事長は、「G7広島サミットで、ウクライナ情勢・ウクライナ支援が大きなテーマとなるなかで、岸田総理がキーウを訪問しゼレンスキー大統領と会談し、直接現地情勢を確認することは、大きな意義があると考えている」と述べています。‘現地情勢’とは、本人が直接に訪問しなければ、知ることができないのでしょうか。リアルタイムで戦場の様子を全世界に発信し得る時代にあって(何故か、戦場の動画は発信されていない・・・)、敢えて本人が現地を訪れる必要性は著しく低下しています。しかも、ゼレンスキー大統領自身が、国際会議等にリモートで参加したり、ビデオも積極的に活用しています(相手国の首脳に対して自国への直接訪問を求めたとしますと、リスクを一方的に負わせるのですから、この態度はあまりにも傲慢・・・)。また、現地に足を踏み入れたとしても、ウクライナ側が無制限に視察を許しているわけではありません(北朝鮮のように外国人向けの‘劇場’を造ることもできる・・・)。

以上に主要な疑問点について述べてきましたが、何れも、合理的な説明の付かないことばかりです。真の目的は隠されているように思えるのですが、仮に、G7の結束を示すために岸田首相がウクライナを電撃訪問したのであるならば、それは同首相の独自の判断ではなく、アメリカ、あるいは、グローバル・エリートを自認する世界権力の指示に従っているだけなのかもしれません(第三次世界大戦への誘導?)。そして、外国の紛争であっても、日本国も有事化し、かつ、それが慣例の変更であれ、国内の統治機構に変化が生じるとしますと、これもまた大問題です。今般の電撃訪問を機に、有事における首相の権限について改めて見直し、民主主義国家に相応しい国民のコンセンサスを基礎とした有事における政策決定のあり方を考案すべきではないかと思うのです。

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第三次世界大戦になれば人類の敗北

2023年03月21日 11時23分00秒 | 国際政治
 第一次世界大戦並びに第二次世界大戦の両大戦は、世界の諸国が二つの二大陣営に分かれて戦う構図となったために、教科書の記述ではそれぞれ協商国陣営並びに連合国陣営の勝利に終わっています。二項対立として描くことができるのですが、この世には、二頭作戦という世界支配を究極の目的とするヘーゲル流の‘止揚作戦’が存在している点を踏まえますと、世界大戦を二次元の平面上の対立構図としてのみ捉えることには、それなりのリスクがありましょう。何故ならば、対立構図が三次元であるならば、戦争に敗北した側のみならず勝利した側も、立体的な全体構図からすれば、負けている、あるいは、踏み台にされているかもしれないからです。

 今般のウクライナ紛争にあっても、三回目の世界大戦への発展が懸念されております。ドイツによる主力戦車レオパルト2の供与決定の情報が終末時計の針を進めるほどの衝撃をもって伝えられたように、親ウクライナの立場にあるNATOの関与が深まるにつれ、第三次世界大戦への拡大リスクは上昇する一方です。しかも、今般の紛争では、ロシアを追い詰めれば追い詰めるほど、核兵器が使用される可能性も高く、囁かれている人類の‘人口削減’の噂も真実味を帯びてきます。仮に第三次世界大戦に発展した場合、相互破壊及び相互殺戮により、戦勝国であれ、敗戦国であれ、何れの陣営も壊滅的な損害を受けます。戦争の結果に高笑いするのは、数度にわたる世界大戦を介して世界支配を進めてきた‘世界権力’のみなのかもしれません。

 しかも、事態をより難しくしている背景には、国際法秩序の発展があります。第一次世界大戦時にあっても、ドイツによる中立国であったベルギー侵犯が問題視されましたが、「害敵手段等の制限等に関する戦争法」の成立のみならず、同戦争後の1929年には「不戦条約」が発効したこともあり、領土侵犯行為は、国際法上の合法性を本格的に問われる時代を迎えました。このため、第二次世界大戦では、ドイツによるポーランド侵攻が侵略行為として見なされ、連合国側は、違法な侵略国との戦いという正義を掲げることともなったのです。かくして、戦後、枢軸国諸国に対してはニュルンベルグ並びに東京において国際軍事裁判が儲けられ、戦争責任者が戦争犯罪人として有罪判決をうけたのです。

 確かに、国際法秩序の形成は、全ての国家と全人類に恩恵をもたらすことは否定のしようもありません。司法制度が整うことにより、個々人の基本的な権利や自由が護られることは、国内の司法制度を見れば明らかです。無法とは、野蛮と殆ど同義となりましょう。ところが、司法システムには、国際レベルと国内レベルとでは強制執行力において雲泥の差があります。国内の制度では、警察力、検察力、並びに、裁判所の判決の執行力は、違反者個人が備えている物理的な抵抗力を大きく上回ります。その何れにあっても、公的機関は、違反者の行為を強制的に停止させたり、身柄を拘束したり、家宅捜査をしたり、あるいは、判決に従って刑罰を執行することができるのです。

一方、国際社会においては、そもそも国連には深刻な制度的欠陥があり警察機能が働きませんし、司法の仕組みも不完全です。判決が下されても刑罰の執行能力を欠くため、南シナ海問題で明らかとなったように、敗訴した国によって判決文は簡単に破り捨てられてしまいます。国際法に違反する行為を行なった国が、他の諸国に優る軍事力を保有する場合、国際法秩序を維持することは極めて困難となるのです。国家レベルでも、メキシコでは、マフィアが警察力を上回る暴力を備えたためにメキシコ麻薬戦争が起きています。

この由々しき側面は、法の正義を貫こうとすると、世界大戦を引き起こしてしまうジレンマを意味します。例えば、今般、ICC(国際刑事裁判所)は、プーチン大統領に逮捕状を発行しましたが、令状通りに同大統領を逮捕するためにモスクワまで有志諸国の軍隊を進めますと、当然に、同大統領は全面戦争に訴え、世界大戦が引き起こされましょう。違反者を捕縛しようとした結果、人類が世界権力の罠にかかり、敗北を喫してしまう展開は十分に予測されるのです。法を誠実に執行し、違反者を罰しようとする姿勢は正しくとも、結果が人類の敗北であれば、それは、本当に人類にとりまして正しい判断なのか、という疑問が、ここに呈されるのです。別の見方からすれば、国際法上の違反行為こそ、第三次世界大戦に引き込むための最も効果的な‘挑発’であるかもしれないのですから。

このように考えますと、たとえ国際法に違反することが確定したとしても(もっとも、政治問題でもあるウクライナ紛争の場合には、ロシアにも弁明のチャンスを与えると共に、中立公平なる機関による厳正なる調査も必要・・・)、それが、第三次世界大戦を帰結する可能性がある場合、これを根拠として、迂闊に武力行使に訴えるには慎重になるべきと言えましょう。司法制度が未熟な状況下では、人類の敗北を意味しかねないからです。今般のウクライナ紛争についても、世界権力の存在は妄想であるとする‘陰謀論’という名の心理作戦に惑わされることなく、三次元構造の視点から第三次世界大戦を回避しつつ、事態の早期収束を目指すべきではないでしょうか。そして、同問題の最終的な解決は、ウクライナが自国領としつつもロシアが併合した東南部地域の住民の、内外からの如何なる政治介入や圧力をも排した自由意志による決定に委ねるべきではないかと思うのです。

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何かがおかしいICCのプーチン大統領への逮捕状発行

2023年03月20日 10時51分26秒 | 国際政治
 今月3月17日、オランダのハーグに設置されているICC(国際刑事裁判所)は、ロシアのプーチン大統領に対して逮捕状を発行しました。同ニュースは、瞬く間に全世界に向けて配信されたのですが、合理的に考えてみますと、どこか、おかしな点があるのです。

 プーチン大統領に対する逮捕状発行のニュースを初めて耳にしたとき、同大統領に対する罪状は、ブチャで起きたとされる住民虐殺事件や戦場でのロシア軍によるウクライナ兵に対する残虐行為等がすぐに頭に浮かびました。これらの戦争法違反の行為は、再三、マスメディアが報じてきましたし、ウクライナ紛争にあって衝撃的なインパクトを与えた事件でもあったからです。ところが、報道の内容を詳しく読みますと、どうも、この最初の直感は外れていたようなのです。何故ならば、ICCが最大の関心を払っているのは、‘子供連れ去り行為’であったからです。

 2021年6月からICCで主任検察官を努め、予備裁判部(予審2部)に逮捕状を請求したカリム・カーン氏(イギリス出身)の説明に依れば、数百人のウクライナ人の子供達がロシア兵によって児童養護施設から連れ去られ、ロシアで養子にされているそうです。もっとも、ウクライナ政府は、連れ去れた子供達の数は、身元が分かっているだけでも1万6千人にも上ると主張しており、両者数には大きな隔たりがあります。現状では、どちらの数が正しいのかは判断できないのですが、両者の説明には、幾つかの食い違いがあります。

 第一に、カーン主任検察官は、「何百人もの子どもたちがウクライナの児童養護施設から連れ去られ、その多くがロシアで養子にされていることを確認した」と述べています。この発言が事実であれば、連れ去られた子供達は、一般家庭ではなく、児童養護施設において養育されていた子供達と言うことになります。一方、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ICCによる逮捕状発行について、「子どもを家族から引き離す行為は、ロシアという侵略者の国策だ」と述べて、プーチン大統領を批判しています。同大統領の発言からは、親などの親族から強制的に引き離したような印象を受けますが、実際には、ロシア軍の占領下にある地域における児童養護施設の子供達と言うことになりましょう。

 第二に、連れ去られた子供達が、児童養護施設に収容されていた身寄りのない子供達であったとすれば、必ずしもロシア側を非難できなくなります。ウクライナ紛争にあって多くの子供達が親や家族を失い、児童養護施設で保護されていたとしますと、プーチン大統領は、子供達を保護するための措置であったと主張するかもしれません。カーン主任検察官は、プーチン大統領が発令したロシア国籍の付与を前倒しにする法案を問題視していますが、同法案に基づく養子の斡旋については、ロシア側から孤児に対する人道的措置として反論される可能性がありましょう。ウクライナにはアゾフ連隊によるロシア系住民に対する弾圧疑惑もあり、かつ、戦時下にあって子供達を大量虐殺したという事件ではありませんので、人道的な理由も成り立つ余地があるのです。

 第3に、ICCは、プーチン大統領と共に、児童権利保護の大統領全権代表マリア・リボワベロワ氏にも逮捕状を発行していますが、同氏の任務は、東部ドンバス地域における‘ロシア系の子供の保護’であったそうです。この説明において重要な点は、ロシアに連れ去られた子供達は、ロシア系であったのか、ウクライナ系であったのか、という民族性やアイデンティティー問題です。ウクライナ系の子供達であったならば、民族的消滅を意図する行為としてジェノサイドに該当するかもしれません(英ボーンマス大のメラニー・クリンクナー教授が指摘・・・)。その一方で、同族であるロシア系住民の子供達である場合には、ジェノサイドに当たるかどうかは微妙となりましょう。

 そして第4に、ICCとウクライナの両者が示した数の著しい相違に戻りますと、ここにも、重要な問題が隠れているように思えます。仮に、ゼレンスキー大統領が述べているように、ロシアで養子にされた数百人を除く凡そ1万5千人前後の子供達が‘消えている’としますと、この夥しい数の子供たちは、一体、どこにいってしまったのでしょうか(上述したように身元も分かっている・・・)。

 古今東西を問わず、戦争による混乱は、強制連行や人身売買等の犯罪の温床ともなってきました。女性や子供達は戦利品と見なす時代や地域もあり、現代においても、こうした野蛮な意識は完全には消えていないのでしょう。実際に、カーン主任検察官も、「子どもたちを戦利品にしてはならない」と述べています。そして、戦争によって孤児や家族と生き別れとなった子供たちを拉致、誘拐、連れ去る行為は、政府や軍隊のみに限ったことではありませんでした。人身売買をビジネスとする悪しき人々や組織も存在してきたのです。ウクライナ側が主張するように、1万5千人程の子供たちが行方不明となっているとしますと、むしろ、世界権力の関与をも含め、非国家主体による国境を越えた組織的な人身売買を疑うべきかもしれません。

 ICCによる逮捕状の発行は、それが矛盾点や説明の付かない疑問点を含む故に、ウクライナにおける戦争犯罪問題が一筋縄ではゆかない現状を表しています。事実は何処にあるのか、行間をよく読みつつ、あらゆる可能性を考慮した上での多方面からの事実解明が必要なように思えるのです。

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東京都火葬場の中国系企業独占問題は公正取引委員会に申告を

2023年03月17日 13時05分10秒 | 日本政治
 目下、東京都の火葬場は、民営化により中国系企業によって凡そ独占されている状態が続いております。しかも、同企業は、火葬事業のみならず葬儀事業までも手掛けるようになり、葬儀と火葬の一体化が進んでいるそうです。この結果、日本の葬儀事業者の方々は締め出される危機に直面しておられます。火葬費用が凡そ10倍以上に跳ね上がった上に、中国系企業による葬儀のスタイルは極めてビジネスライクで粗雑というのですから、これは看過できない問題です。

 亡くなられた方々を遺族により沿って共に悼み、丁寧に弔おうとする日本古来の葬送のあり方や遺族の気持への配慮など、微塵も見受けられないのです。このままの手をこまねいておりますと、早晩日本の葬儀社の方々の事業が行き詰り、倒産が相次ぐ事態も予測され、東京都民の全てが、選択の余地無く中国系の葬儀社の手を経て乱雑に埋葬されてしまうという事態になりかねません。お葬式という儀礼に込められてきた日本人の死生観や精神文化も消えてしまうかもしれないのです。それでは、何か、有効な対策はあるのでしょうか。

 今般の中国系企業による私的独占につきましては、独占禁止法における違反行為である疑いが濃く、公正取引委員会が扱うべき案件のように思えます。先ずは、公正取引委員会に動いていただく必要があるのですが、同委員会が調査を開始するきっかけの一つに、‘違反行為があると考えた人からの報告’というものがあります。

 そこで、公正取引委員会のホームページにアクセスしますと、「相談・申告・情報提供・手続等窓口」というコーナーがあります。この中に、「独占禁止法違反被疑事件に関する申告」が設けられており、同欄には、申告手続き等に関する詳細な説明が記載されています。申告者は誰であっても構わないそうなのですが、実際に被害を受けておられる葬儀事業者の方々は情報量も多く、被害状況を正確に伝えることができますので、葬儀事業者の方々が直接に申告した方がスムースに手続きが進むように思えます。郵便や電話のみならず、オンライン申告もできます。なお、申告に先立って事前に本件について相談しますと、安心かつ確実かもしれません。

 その後、公正取引委員会が調査を開始し、十分に審査した結果、違反行為であると判断された場合には、行政処分として排除措置命令が下されます(課徴金が科されたり、犯則事件として刑罰が科されることも…)。排除措置命令の内容につきましては、私的独占と判断された場合には(排除型と支配型の両方の判断があり得る・・・)、(1)火葬場を不可欠施設とみなす一方で、葬儀は同施設を用いた一般事業と見なす、(2)火葬も葬儀も別々の事業分野と見なす、という二つの立場があり得るかもしれません。何れにしましても、一部火葬場の他事業者への売却(各地の火葬場はそれぞれ単独で運営できるのでは・・・)、火葬事業と葬儀事業との分離、葬儀事業からの撤退、あるいは、葬儀部門の分割・譲渡などが予測されます。また、火葬場の所有に基づく優越的地位の濫用と判断された場合には、自社優遇措置の停止等が命じられることとなりましょう。なお、行政処分を待っていたのでは損害が拡大し、回復が不可能となる場合には、公正取引委員会は、裁判所に対して問題行為の停止を命じるように申し立てを行うこともできます。

 ゆくゆくは東京都の火葬場も基礎的な社会的インフラとして公営化すべきなのでしょうが、中国系企業による独占問題の解決に向けた最初の一歩は、公正取引委員会の窓口への相談及び申告となりそうです。全ての人がやがて死を迎えるのですから、遺族の悲しみが癒され、亡き人々の魂も安らぐようなお葬式が今後とも営まれますよう、日本の葬儀事業者の方々には何としても頑張っていただきたいと思うのです。

*本記事は、CAECのe-論壇「百家争鳴」において今年3月3日付けの記事として掲載されております。
 

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ガーシー元参議院議員除名が示す‘ふざけた政治’の問題

2023年03月16日 12時02分47秒 | 日本政治
 先日、参議院院は、国会の欠席並びに陳謝の拒否を理由として、ガーシー氏から議員資格を剥奪する除名処分としました。同氏は、立花孝志氏が設立したNHK党(現在は政治家女子48党)から立候補し、前回の参議院選挙の比例区で当選を果たしています。得票数287714票、全体で10位となる票を集めただけに、同除名に対しては、NHK党の後身となる政治家女子48党などからも‘ふざけるな’とする反発が起きていますが、今般の一件は、劣化が止まらない日本国の政治の現状を象徴するような出来事です。

 そもそも、‘ガーシー’という議員名は戸籍上の本名ではなく、東谷義和が同氏の正式の氏名なそうです。国会議員が本名を名乗らない慣習は、国会議員が公職である以上、即座に改めるべきなのですが、通名の使用については、同氏の申請を受けて参議院が許可したというのですから驚かされます。議員職を軽く見ている点については、東谷氏も参議院も‘ふざけている’と言わざるを得ません。

 さて、懲罰についてなのですが、国会法の第122条では、四つの懲罰の一つとして除名を定めています(その他の懲罰は戒告、陳謝、登院停止)。また、同法の第124条には、不当欠席議員の懲罰に関する規定が置かれています。この条文では、正当な理由なく招集日から七日以内に召集に応じない議員は、懲罰委員会に付するとされます。政党女子48党の黒川敦彦幹事長は、国民の殆どが国会法を知らないにも拘わらず、東谷氏の欠席について後から『国会に来ないのはおかしい』として、騒ぎ立てるマスコミを批判しておりますが、それでは、東谷氏は、欠席が懲罰の対象となることを知りながら登院を拒んできたのでしょうか。仮に、国会議員である同氏自身が国会法を知らなかったとなりますと、これこそ、‘おかしい’ということになりましょう。また、逆に知っていたとすれば、当然に、国会に姿を現わしていたはずです。

 もっとも、欠席を理由とした除名処分につきましては、凡そ30万人の有権者が同氏に一票を投じているだけに、いささか慎重になる必要はありましょう。支持者を含めて誰もが納得するような除名の基準を明確にしませんと、懲罰権が濫用される怖れもあります。この点、国会では眠っている議員も目撃されており、東谷氏と実質的には変わらない議員も少なくありません。東谷氏には厳しく、自らには甘いとなりますと、国民に対しても示しが付きませんので、参議院は、国民に対して東谷氏の欠席の不当性を具体的な理由を付して説明すべきですし、今後は、国会議員の職務内容を明確にしてゆく必要もありましょう。

多くの国民は、政治家とは、議員席に座っていれば多額の歳費が転がり込む職業であると見なしています。この状態で東谷氏を罰しても、政治家に対する不信感が払拭されるわけではなく、むしろ、除名処分には、何らかの政治的意図が背景にあるのではないか、とする疑いも生じてきます。同氏は、YouTuberとして芸能界の暴露によって知名度を挙げてきたとされ、それ故に、将来的な政界の暴露をおそれての処分とする見方もあり得るのです。ウィキペディアを読みますと、NHK党(現政治家女子48)の立花氏が元NHK職員であったように、東谷氏も芸能界で働いていたからこそ、表にできない芸能人やタレント等の秘密の内部情報を収集ことができたようです。今後、同氏が政界で活動するとなりますと、国会議員である以上、政府、官庁、並びに政治家個人等の様々な情報をも入手し得る立場となります。政治的除名の疑いを払拭するためにも、参議院は、国民に対して十分な説明責任を果たすべきと言えましょう。

それにいたしましても、現在ドバイに滞在中とされる東谷氏の欠席理由は、自らの詐欺容疑からの逮捕並びに暴露への恨みからの暗殺を恐れてとのことですが、この言い分、正当な欠席理由となるのでしょうか。詐欺の容疑者であるならば、日本国の司法手続きに誠実に従うべきですし(内閣による逮捕許諾があり、同議員が所属する議院がこれを許諾すれば、国会議員でも逮捕される・・・)、暗殺のリスクがあるならば、警察に保護を求めることもできるはずです。東谷氏を擁護する立場から、除名は憲法違反であるとする主張も見受けられますが、除名を不服とするならば、憲法訴訟を起こすことも可能です。不満があれば、正々堂々と法廷で争うべきと言えましょう。

以上に述べてきましたように、日本国の政治の現状は、国民がため息をつくことばかりです。国会に向かって‘ふざけるな!’と叫ぶ政党女子48党も、その党名が政党女子48なのですから、明らかにふざけております。政治とは、人々の生活のみならず、時には国民の生命や財産などの基本権にも関わるのですから、国民に対して誠実かつ真面目であるべきではないかと思うのです。

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謎多き安部元首相暗殺事件-奇妙な裁判に?

2023年03月15日 12時17分24秒 | 日本政治
 昨年7月8日、奈良市の近鉄大和西大寺駅前での応援演説中に安部晋三元首相が凶弾に斃れた事件は、元統一教会(世界平和統一家庭連合)に恨みを抱く山上徹也容疑者による犯行とされてきました。同容疑者本人も自らの罪を認めており、今年の2月3日には殺人罪等で起訴されています。しかしながら、二度に亘り週刊文春が山上犯人説に疑義を呈する記事を掲載しております。

 事件発生当初から、山上容疑者犯人説についてこれを疑う指摘がありました。その理由は、物理的に不可能ではないか、という疑問があったからです。3Dプリンターを用いた手造りとはいえ、一度に6発もの銃弾を発射できる銃によって至近距離から狙撃されれば、安部元首相は、画像で報じられたような姿ではなかったはずです(銃創はかなり酷い損傷らしい・・・)。また、元首相の傍に居た大勢の人々も、聴衆を含めてかすり傷一つ負っていません。こうした数々の不審点から、西大寺駅前にあるサンワシティ西大寺ビルの屋上からスナイパーによって暗殺されたのではないか、とする説が囁かれることとなったのです。しかも、安部元首相の命を奪った銃弾は極めて極小であり、体内で消える特殊な素材で造られていたともされます(殆ど出血がなかった点についても合理的な説明が付く・・・)。

 こうした科学的見地からの疑問のみならず、同事件に関する周囲の動きにも不自然さが目立っていました。狙撃されたにも拘わらず、人工マッサージが試みられたり、奈良県立医科大学附属病院への搬送にドクター・ヘリが使われ、必要以上の時間を要したり、病院と警察との間で銃創と銃弾の数等について食い違いがあったり、あるいは、狙撃現場のクライシス・シアターの存在も指摘されるなど、どこか、辻褄の合わない事ばかりが続いていました。しかも、犯人とされた山上容疑者は、襲撃の動機は元統一教会への復讐であったと述べており、新興宗教がらみの様相も呈してきたのです。

 おそらく、国民の多くも、背景となる真犯人の存在に薄々気がついており、それ故に、週刊誌の報道にもそれ程意外には感じなかったかもしれません。‘やはり・・・’という感の方が強かったのではないでしょうか。当時は、上述したスナイパー説も、‘陰謀論’としてかき消されてしまいましたが、コロナ・ワクチンを含め、今日では、陰謀論として否定されてきた事柄の多くが、事実であったことが判明してきており、安部元首相の一件も、振り出しに戻ってしまったのです。

 それでは、一体、真犯人は誰なのでしょうか。少なくとも、山上容疑者は、たとえ騙されていたとしても、共犯者であるがゆえの何らかの情報を持っているはずです。山上容疑者を7月8日に事件現場に向かわせ、手製の銃による襲撃の‘演出’に駆り立てた、あるいは、狙撃の‘演出’を命じた存在がいなければ、同事件は成り立たないからです。また、真の実行犯は、高度な狙撃技術を有するスナイパーとなりますので、組織的な背景の存在も凡そ確定します。言い換えますと、まずもって事件解明の鍵を握っているのは、山上容疑者となりましょう。可能性としては、(1)元統一教会と対立する教団等から計画を持ちかけられた、(2)敵対関係を装いつつ、元統一教会とは共犯関係にあった、(3)安部元首相の存在を障害と見なす内外の政治勢力から協力の依頼を受けた・・・などが考えられます。政治家の暗殺となれば(3)の可能性が高いように思えますが、近年の報道からしますと、安部元首相、自民党、並びにその支持団体である元統一教会は、保守とは言い難く、偽旗作戦を遂行していた節があります。このため、同元首相を悲劇の愛国者と見なすことにも無理があり(逆に、山上容疑者を英雄視する人々も・・・)、暗殺の動機となる政治的背景については、慎重に見極める必要もありましょう。

 事件現場では奈良県警はあっさりと現場検証を終えてしまいましたし、奈良地検も山上容疑者の自白内容を全面的に認めて起訴しています。日本国政府も含め、公的機関は、山上容疑者犯人説のシナリオに従って手続きを粛々と進めてゆくことでしょう。このままでは、真相は闇に葬られる可能性も高いのですが、一つ、事件解明のチャンスがあるとしますと、それは、裁判員裁判です。報道に依りますと、山上容疑者の裁判は、国民の中から抽選で選ばれた裁判員が裁判に参加する裁判員裁判に付されるそうなのです。

 裁判での論点は、山上容疑者の刑事責任能力ではないかとする報道もありますが、犯人山上説が揺らいでいるとしますと、そもそも山上容疑者は殺人の罪を犯したのか、という事実認定において根本的な疑いが生じます。裁判員の多くも山上容疑者の供述に不審な点や矛盾点を見出すかもしれませんし、検察による尋問にも物足りなさを感じるかもしれません。となりますと、同裁判員裁判は、有罪判決を勝ちとって事件を山上犯人説で決着させたい被告・検察側と、事件の真相究明を求める裁判員側(国民)が対峙するという、奇妙な構図となることも予測されます(なお、裁判官も裁判員と同様の疑問を抱くかもしれない・・・)。

ケネディ大統領暗殺事件では、犯人とされたオズワルドもまた殺害されたため、法廷の被告席に座ることはありませんでしたが、山上容疑者は、同事件のキーパーソンです。安部元首相暗殺事件を陰謀論の世界から引き出し、国民が事実を知る上でも、同事件の裁判員裁判は、極めて重要な役割を担うこととなりましょう。そして、同裁判は、今日の日本国における司法の独立性を示す意味においても重要であると思うのです。

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‘コオロギ食’擁護論批判への反論は論点を‘ずら’している?

2023年03月13日 13時43分40秒 | 国際政治
 2023年3月6日付けてJBpressのウェブ記事として掲載された青柳陽一郎氏の「「コオロギ食」への差別行為が横行、嫌なら食べなきゃいいだけなのになぜ」と題する記事が、読者からの批判を浴びて炎上する事態に至ったそうです。同記事に対する批判の大半は、コオロギ食推進を擁護する姿勢に向けられているのですが、自らの記事へのバッシングには青柳氏も黙っていなかったようです。本日は、「私の「コオロギ食」記事を炎上させた人に問う「本当に記事を読んでいるか?」」という記事で反撃を開始しています。

 本日の反論記事を読みますと、名誉毀損罪に訴える構えを見せており、怒り心頭に発している同氏の様子が伺えます。‘いい加減に私の記事を斜め読みし、事実も確認せずに批判するのは許せない。私の評価と名誉を傷つけている!’と・・・。確かに、同記事に寄せられた批判の中には、暴言や誹謗中傷の類もあるのでしょう。いなごを食する長野が出身でもある同氏が抱く不快感は理解できないわけではないのですが、この反論、どこか論点が‘づれ’ており、火に油となりかねないようにも思えます。

 まずもって同氏は、自らの批判の多くは、虚偽やでっち上げの情報に基づいているとして、その誤りを指摘しております。例えば、コオロギ食に6兆円もの公的資金が投入されており、昆虫食ビジネスに補助金が支給されているとする情報については、農林水産省への問い合わせによって否定しております。対応した担当部署の「新事業・食品産業部 フードテック官民協議会事務局担当」の返答は、「昆虫食に限った補助金は特にない」であったそうです(補助金が存在しないなら、牛乳廃棄問題とも関係はないとする論法・・・)。しかしながら、この表現では、昆虫食も補助金の対象に含まれていることを暗示しています。担当者の返答は、「昆虫食は補助金の対象ではない」ではないからです。しかも、今年度から、飼料用の昆虫飼育事業に補助金が支給されているのは事実なそうですので、批判の根拠とされた同情報は、‘当たらずとも遠からず’ということになりましょう。

 また、青柳氏の問い合わせ先が農林水産省、しかも、一つの部署のみであったことにも、反論の根拠としての‘緩さ’があります。何故ならば、昆虫食ビジネスについては農水省が主たる管轄官庁なのでしょうが、大学や研究機関が昆虫食について研究する場合には、文部科学省の管轄となるからです。このため、昆虫食研究に対して科研費が支給されている可能性もあります。文科省の他にも経産省等も関わっているかもしれず、関連が推測される全ての省庁、並びに、地方自治体に問い合わせを行なわなければ、同情報の真偽を判断することはできないのです。

 加えて、同氏は、徳島県におけるコオロギ食の給食提供情報についても、事実とは異なるとして憤慨しています。給食としてコオロギ食が全員に供されたのではなく、同氏が説明するように、実際には希望者のみの試食であったのでしょう。この点は、同氏の指摘を認めるべきなのでしょうが、コオロギ食に反対する人々が、何故、給食に強く拒否反応を示したのか、この点については、理解すべきであったかもしれません。コオロギといった昆虫が食材として認められますと、給食の食材としても使われ、およそ強制的に食さざるを得なくなるからです。‘昆虫食先進地域’であるEUでは、2021年5月3日に、新規食品として乾燥イエロー・ミールワーム(チャイロコメノゴミムシダマシの幼虫)の販売を許可しています(日本語名にすると余計に気持ち悪さが増してしまう・・・)。今後、日本国内でもコオロギであれ、何であれ、食材として昆虫が承認されれば、SDGsの美名の元で、積極的に学校給食に採用されるものと予測されます。今般の給食騒ぎは、未来を先取りした批判であったとも言えましょう。給食ともなりますと、‘嫌なら食べなきゃいいだけ’とも言えなくなってきます(食糧難や飢餓状態も同様・・・)。

 日本国政府がムーショット計画の一環として『地球規模の食料問題の解決と人類の宇宙進出に向けた昆虫が支える循環型食料生産システムの開発』を進めていることは青柳氏も認める事実ですし、河野太郎デジタル相がコオロギを試食して昆虫食の宣伝塔となったことも事実です。こうした政治サイドからの不自然な‘昆虫食推し’は、ダボス会議にも象徴される世界権力の意向を抜きにしての説明は困難です。そして、青柳氏が名誉毀損を声高に訴える時、そこには、コオロギ食批判を自身への個人的な批判、すなわち、個人の問題に矮小化させてしまおうとする意図も読み取れるのです。真剣に議論すべきは、昆虫食の是非にあるにも拘わらず・・・。

 かつて、フランス革命にあって断頭台の露と消えたフランス王妃マリー・アントワネットは、「パンがなければお菓子を食べれば良い」と述べたことから、民衆の怒りを買ったとされますが(史実は別の人物の発言であったらしい・・・)、今般の昆虫食は、高みからまるで「パンがなければ虫を食べれば良い」と言われているようにも聞こえます。前者は閉じられた狭い世界に生きていたがゆえの無神経さからの発言かもしれませんが、昆虫食の普及を推進している勢力には、善意を装った悪意があるように思えます。善意からであれば、パンがなければ、現代の先端的なテクノロジーを駆使してでも、より安全でおいしいものを食べられるように提言したはずなのではないかと思うのです。

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韓国の‘元徴用工問題の解決方法’が標準モデル化すると?

2023年03月13日 13時38分51秒 | 国際政治
 先日、韓国政府が公表した「元徴用工問題」の解決策については、対中政策の一環として日韓関係の改善を急ぐアメリカの思惑があったとする指摘があります。この説を裏付けるかのように、同解決策が公表された直後に、バイデン大統領も歓迎の意を示しています。しかしながら、この解決策、仮に、‘植民地支配’に関する賠償請求問題を解決する標準モデルとされた場合、アメリカ自身にも返ってくるのではないでしょうか。何故ならば、同解決策には、日本国による朝鮮半島の統治を‘植民地支配’とする大前提があるからです。

 法的な側面からしますと、日本国による朝鮮半島の統治は、1910年8月22日に締結された韓国併合条約を根拠としています。日本国は、清国やロシア帝国とは戦いましたが、李氏朝鮮(大韓帝国)と戦争に至った歴史はなく、武力による併合ではないことだけは明白です。列強が勢力圏争いを繰り広げた当時の時代状況を背景に、対露政策の必要性から保護国から併合へと歩を進めたのであり、その手法も、たとえ当時の朝鮮半島の人々の意には沿わないものであったとしても、一先ずは‘平和的’であったと言えましょう。しかも、李氏朝鮮の莫大な債務を肩代わりした上に、朝鮮統治のおよそ全期間において財政移転も行い、莫大な投資を実施してきたのですから、日本国は一方的な利得者でも搾取者でもありませんでした(併合で得をしたのは、韓国のデフォルトによる損失を免れた国際金融・財閥勢力であったのでは・・・)。この側面は、仮に、将来において朝鮮半島の南北両国が統一された場合の、韓国側の財政負担額を推計してみますと、よく理解できます。低開発状態にある地域を発展させるためには、官民あげての莫大な投資や支援を要するのですから。

 条約の存在のみならず、その実態についても当時の行政文書等でも確認し得る歴史的な事実があるからこそ、日本国による朝鮮統治は搾取的な植民地支配とは言いがたく、国際法にあっても合法性を主張し得たのでしょう。実際に、1965年6月22日に署名され、今日に至るまで日韓関係の基礎とされてきた「日韓基本関係条約」にあっても、その第2条には、韓国併合条約について「もはや無効であることが確認される」とあります。あくまでも‘かつて有効であったものが今や無効となった’とする立場の表現であり、日本国政府のみならず、当事の韓国政府も併合条約の効力については認めており、‘違法’とは見なしていないのです。韓国のケースは、第二次世界大戦並びに朝鮮戦争を引き起こした冷戦構造にあって、好条件で日本国との間に基本条約及び請求権協定を締結し得た例外的な事例です。逆に旧宗主国に対してインフラ等の譲渡料を支払った国も少なくないのですから。

 このように、日本国の朝鮮半島統治は、比較的穏やかではあったのですが(同君連合でもあったオーストリアとハンガリーとの関係に近い・・・)、イギリス、フランス、オランダ、そしてアメリカの植民地支配が過酷であったことは、様々な史料により明らかです。植民地化の手法も、王族の取り込み、内部工作、内乱への介入のみならず、直接的な武力行使、あるいは、武力による威嚇もありました(もっとも、その実態は、国家による植民地支配と言うよりは、東インド会社や金融・経済勢力による過酷な支配・・・)。そして、天然資源を独占すると共に、現地の住民に対しても支配者として苛斂誅求の権を思うがままにしています。韓国が‘過酷な植民地支配’と言う時、それは、これらの事例を念頭に置いているのでしょうから、西欧列強による搾取型の支配が‘植民地支配’の一般的な形態なのです。

 例外的に有利な条件で独立した韓国が、仮に植民地支配を前提として‘強制労働’に対する対価を未払い賃金として請求できるのであれば、より搾取的な支配を受けたアジアやアフリカにおける旧植民地諸国も、自国国内の裁判所の判決により、同様の要求を旧宗主国にし得るはずです。韓国のケースは、たとえ、独立に際して両国間で条約や協定が正式に締結されていたとしても、国内裁判所の条文の解釈によって個人の賠償請求を認める前例となります。しかも、今般の韓国における賠償請求訴訟をみますと、原告団には「元徴用工」の子孫も含まれています。本人のみならず子孫にまで同権利の継承を認めるとなりますと、その請求額は天文学的な数字となるかもしれません。

 このように考えますと、アメリカによる同解決の後押しは、自陣営にとりましてはマイナス方向に作用する可能性は否定はできません。自由主義陣営を構成する国の大半が、全世界に広大な海外領土を保有していた列強国であるからです。イギリス、フランス、オランダのみならず、アメリカもフィリピン等を領有していた歴史があります。アメリカは、フィリピンから国内裁判所の判決を根拠とする韓国式の解決を求められた場合、一体、どのように対応するのでしょうか。

今後、国際社会において韓国式の解決方法が標準化しますと、国際社会は、大混乱に陥るかもしれません。そして、海外領土の獲得に際して中心的な役割を果たしていたのが東インド会社やイエズス会といった非国家組織であった点を考慮しますと、真の賠償責任は何処にあるのか、という問題をも問うていると思うのです。

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