世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。
猫さん五輪に賛否…「選手に失礼」「懸け橋に」(読売新聞) - goo ニュース
お笑い芸人である猫ひろし氏が、カンボジア代表としてオリンピックに出場することが決まったそうです。この代表選出、スポーツマンらしからぬ、アンフェアな行為なのではないかと思うのです。
そもそも、カンボジアの出場枠は、途上国であってもオリンピックに参加できるように、特別な配慮を以って設けられた枠とのことです。全世界の選手達が集うスポーツの祭典として、五輪への出場基準を下回った選手でも、途上国の選手であれば、特例として、参加の道が開かれているのです。この制度にあっては、”参加することに意義がある”のモットーは、恵まれない環境に負けずに頑張っている途上国の選手のための言葉です。ところが、カンボジア国籍を取得したとはいえ(異例の短期間で…)、先進国の出身者であり、かつ、アスリートでもない人物が、この特別枠を獲得してしまいました。この行為は、果たして、許されるのでしょうか(法的に許されるとしても、道義的には?)。途上国枠の利用は、制度の趣旨にも反していますし、背後に、何らかの買収まがいの行為があれば、なおさらのことです(創価学会の関与を疑う声も…)。国際オリンピック委員会が問題視しても、おかしくはないケースなのです。カンボジアとの友好を深める機会になることを期待する声もあるそうですが、逆に、日本国による途上国枠の横暴な”横取り”として、カンボジア国民の対日感情を損ねることになるかもしれません(カンボジアの方々には、大変、申し訳なく思う…)。
スポーツでは、試合の開始前に、フェアプレーに徹することを誓うものです。猫氏は、出場以前の段階において、既にこの精神に反してしまったのではないでしょうか。
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死刑執行、EU「非常に遺憾」 アムネスティも批判(朝日新聞) - goo ニュース
昨日、日本国において死刑の執行が行われたことに対して、EUは、”非常に遺憾”との声明を発表したと報じられています。一方、日本国内では、死刑制度の継続を望む国民が圧倒的な多数を占めており、両者の溝は、一向に埋まる気配はありません。
EU側からしますと、死刑は、非人道的で残虐であり、人間の尊厳を損ねる刑罰ということになります。人道上の理由の他にも、死刑には、冤罪、政治的な抹殺、見せしめや見世物としての処刑…といった暗黒の歴史がありますし、キリスト教徒の心情としては、犯人の更生の道を断ち切ることに対する抵抗感もあるのでしょう。方や日本の歴史を振り返ってみますと、自己の罪に対しては、死を以って詫びる、という人生の処し方がありました。”ハラキリ”という日本語が外国でも通用するように、責任者は、自己の生命を償いとして、潔く差し出したのです。もっとも、”切腹”は、特別に許される名誉ある死であり、刑罰としての死刑は”打ち首”として区別されていましたが、損ねられたものを尊ぶからこそ、その代償は、自らの命であったわけです。
”汝、殺すなかれ”の戒めは、他者を殺した人、つまり、戒めを破った人にまで適用すべきかについては、議論の余地がありますし、非人道的で残虐な方法で他者の命を奪った人物を、人道の名で擁護することにも、疑問があります。EUが犯人の生命尊重であるとしますと、日本国は、被害者の生命を重く見ているのです。この死生観の違いは、無理をしてまで埋めるべきものではないように思えるのです。
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「電気、一方的停止ダメ」 東電に経産省が行政指導へ(朝日新聞) - goo ニュース
今日の経済の現状を見てみますと、日本企業が、グローバル市場で敗退するシーンの方が目立つ状況にあります。それもそのはず、日本企業は、自国において、生産拠点としての条件を、尽く失いかけているのですから。
グローバル市場では、常に激しい競争が展開されており、短期間に状況が一変します。一瞬の判断ミスが企業の経営を傾けたり、突然に不利な条件が出現することで、大企業であっても、あっという間に市場の敗者となることがあるのです。政府は、超円高を放任しましたが、この間、どれほどの企業が体力を奪われたか知れません。そして、経済の兵站である電力供給についても、政府は、牛歩戦術を自国の経済に対して掛けているのです。原発再稼働の遅れ、電力料金の値上げ、燃料価格の高騰、再生エネ法の施行など、どれを取りましても、生産拠点としての条件が悪化するものばかりです。その一方で、グローバルな競争は、有無も言わさず内外から押し寄せてきます。しかも、全ての国において競争条件が等しいわけでもなく、政府が、自国の産業のために有利な条件を整えませんと、製造拠点も人材も海外に流出する一方で、安価な商品だけは大量に流入してくるのです。グローバル化した時代であるからこそ、どの国の政府も、自国の競争条件を改善するための政策的な取り組みに余念がありません。
方や、日本国政府の対応は、戦時にあって自国の兵站を自ら細らせ、充分な装備の補給もなく自軍を前線に放置するようなものです。政府やマスコミは、東電批判に終始していますが(原発の停止も、政府による一方的な供給停止では…)、その間にも、”経済敗戦”という名の衰退は、刻一刻と近づいていると思うのです。
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ゆとり教育への反省から、来春から使用される高等学校の教科書の厚みが増すそうです。今になって考えてみますと、大幅な学力低下が予測されながら、ゆとり教育に邁進したことは、あまりに無謀であったと思うのです。
”社会実験”と言えばそれまでですが、この方法は、実験の対象となった世代だけに、リスクが集中します。実験に成功すれば、対象世代は恩恵を受けるのですが、失敗しますと、負の遺産を全て背負い込むことになります。教える内容を減らし、かつ、単純化するのですから、失敗する確率の方が高いことは、この政策を実施する以前から充分に予測はできたはずです。もし、どうしても実施したいのであるならば、何らかのバック・アップ機能を準備し(副教科書や発展コースの設置など…)、学力低下が起きないように配慮すべきでした。失敗しても実害がない研究室での実験ではないのですから、具体的な犠牲が生じる”社会実験”の手法には問題があります。
ゆとり教育の結果、ある世代だけが、前後の世代よりも評価が低くなるのでは、ゆとり世代は、無謀な政策の犠牲者と言わざるを得ません。あらゆる政策には、プラス・マイナスの両面があるのですから、マイナスが予測される政策を実施する際には、必ずフォロー策を用意すべきと思うのです。
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伊方3号機の審査書提出=「妥当」判断、耐性評価2例目―安全委の扱い未定・保安院(時事通信) - goo ニュース
電力危機が一向に収まらない中、原発再稼働の行方も不透明です。その原因の一つは、手続きを含めて、エネルギー問題をめぐる混乱を整理できていないことにあるのではないかと思うのです。
第1の混乱は、原発再稼働という電力危機への対処と、エネルギー政策という長期的な政策決定とを混合していることです。電力危機は、現下の問題ですので、長期的な政策の決定を待っていては、事態は、さらに悪化します。
第2の混乱は、現行の手続きと”あるべき”手続きとを混同していることです。現在の法律上の手続きでは、原発の再稼働は、電力会社との地元との間に原子力安全協定が結ばれているものの、政府の許可によって可能です。現在、政府は、地元の合意を強調しているのですが、原発再稼働に際して、地元の合意を条件としますと、首長、議会、住民の全ての合意なのか(全てが一致するとは限らないし、拒否権となることにも問題が…)、県と市町村の両者の合意が必要なのか、といった様々な論点を詰めてゆかなくてはなりません。また、今後とも、各原子炉の原発再稼働の度に、このような手続きを踏まなければならないとしますと、これもまた、大変な労力を要することになります(また、供給を受ける側である産業界や消費者の要望も政策過程に反映されるべきでは…)。
第3の混乱は、政府が、電力事業の制度改革と原発再稼働問題を結び付けていることです。原発が再稼働されない場合には、電力会社は赤字経営に陥りますので、自力で原発の賠償を行うことはできない状況となります。つまり、原発の稼働停止は、政府が、原子力損害賠償支援機構の出資を通して東電の経営権を握るための有効な手段となるのです。ですから、政府は、改革の梃を失う再稼働には後ろ向きであり、その分、電力危機への対応を疎かにしていると考えられます。
第4の混乱は、電力会社の株式を保有する地方自治体が、反・脱原発の立場から、迂回的にエネルギー政策に関与しようとしていることです。地方自治体の株主権行使の問題も、本来、国政レベルで妥当性を決めるべきことです。
第5に、住民投票や国民投票を求める意見もありますが(国民投票は、憲法改正が必要…)、安全保障や産業政策とも関連しますので、どのレベルの決定を優先すべきか、あるいは、意見対立があった場合、どのように解決するのか、といった問題は、これから決めてゆくべき課題でもあります。
これらの他にも、再生エネルギー推進派が政策決定過程に圧力をかけていますので、混乱には、さらなる拍車がかかっています。まずは、問題点と手続きをきちんと整理し、中・長期的な議論を要する問題は、後回しにすべきなのではないかと思うのです。
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東電、全原発停止 稼働あと1、列島ピンチ(産経新聞) - goo ニュース
新潟県柏崎市の刈羽原発の第6号機も、ついに運転停止状態となり、日本国で稼働している原発は、残り一基となりました。反・脱原発派の人々にとりましては朗報なのでしょうが、そのマイナス影響を考えますと、頭を抱え込んでしまう人も少なくないはずです。
今年の夏季の電力不足の懸念は、多数の原発が稼働していた昨年の比ではなく、最悪の場合には、突然の停電に見舞われる怖れがあります。停電ともなれば、工場などでは、大量の不良品が発生し、経済的な損失は計り知れませんし、医療機関では、医療機器を付けている患者さんの命にも関わります。こうした懸念に対して、枝野経産相は、昨年のような節電令は発動しない方針を示しつつも、節電協力は求めると述べています。電力供給不足の解決の切り札は、節電であると…。しかしながら、家庭での節電とは違い、企業の製造部門での節電は、品質の低下を招くという深刻な問題があります。使用電力量をぎりぎりまで落として製造機械を動かすと、従来通りの高い精度の製品を造れなくなるそうなのです。国内において、日本製品の信頼の源となってきた高品質の製品が造れないとなりますと、企業は、取引先を失うか、工場を海外移転せざるを得なくなります(国民にとりましては、失業と貧困の危機…)。
日本製品の品質低下をもたらし、国際競争力の喪失を促すのですから、節電を解決策の柱とすることには、大いに疑問があります。ここはやはり、政府は、原発再稼働に踏み切るべきではないかと思うのです(安全対策は、稼働しながらでも可能では…)。
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「兄弟殺された」と銃撃犯=犯行記録の動画見つかる―仏(時事通信) - goo ニュース
先日、フランスのツゥールーズで発生した連続銃撃事件は、フランスという国の複雑さを凝縮したような事件でもありました。
イギリスのインディペンデント紙は、この事件が大統領選挙にも影響すると予測し、極右のルペン候補に有利に働くと分析しているそうです。フランス国内で発生した事件でありながら、犠牲者となったのはユダヤ人の人々であり、銃撃犯は、アルカイダ系のイスラム教徒でした。この事件だけを取り上げますと、事件の対立構図は、イスラム系移民の増加による中東紛争の内部化としてを理解することができます。つまり、この事件は、一般のフランス人とは関係のないところで起きていることになるのですが、フランスにおけるユダヤ人の立場を考えますと、二項対立の構図では済まされなくなります。保守系の候補者であり、現役の大統領であるサルコジ氏は、ハンガリー系のユダヤ人であり、中東の対立から全く無縁ではないからです。サルコジ大統領は、これまで、移民規制を強化してきましたし、事件後も、過激な思想の取り締まりをいち早く打ち出しました。インディペンデント紙の論評では、サルコジ氏の支持率低下は、外国人排斥と自由の規制に対して有権者が批判的になるため、と読んでいるようですが、フランスにおけるサルコジ大統領の立ち位置を、フランスの一般の有権者は、どのように捉えているのでしょうか(左派候補のオルランド氏の支持率低下は、社会党の移民推進政策の責任を問われてか…)。この事件から見えてくるフランス人、ユダヤ人、イスラム教徒の三つ巴は(もっとも、その他に出自をもつ人々も多数居住…)、大統領選挙の行方をも左右するのかもしれないのです。
フランスのみならず、移民の増加に伴って、国際紛争が内部化され、国内問題となる事例は少なくありません。そして、この事件は、普遍主義の国と称されるフランスさえ、民族や宗教対立の問題に直面していることを示しているのです。
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金正恩氏が軍高官を公開銃殺(産経新聞) - goo ニュース
若年ながら、北朝鮮のトップの座に君臨する金正恩氏。報道によりますと、就任早々、何かと理由を付けては、公開処刑という極めて残酷な方法で、軍高官を粛正しているそうです。
北朝鮮の一代目と二代目は、ロシアや中国との結びつきが強く、全体主義体制の中で教育を受けた人物達です。その一方で、三代目の正恩氏は、長期にわたるスイス留学の経験があり、自由で民主的な体制の中で青少年期を過ごしています。この前任者達にはない経歴からしますと、西欧的な価値観に理解があり、自国の独裁体制に疑問を抱くのではないかと、期待する向きもあったのですが、公開処刑や”ミサイル発射”強行の報道からしますと、この期待は、脆くも崩れ去ったようです。リビアでも、カダフィの息子達は西欧諸国で育ったものの、次男のセイフイスラム氏を始め、結局は独裁体制の擁護に回りました。
価値観の取得や人格の形成には、育った環境が影響すると言われてきましたが、これらの例を見る限りでは、留学体験には、民主化や自由化の効果はないようです。あるいは、北朝鮮の真の決定者は他に存在しており、正恩氏は、飾り物にすぎないのでしょうか。
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橋下市長「面白いアイデア」泉佐野の市名売却案(読売新聞) - goo ニュース
財政難に苦しむ大阪府の泉佐野市は、終に、”泉佐野”という名を捨てて、内外の企業に命名権を売る予定と報じられています。この案、”面白い”どころか、”ふざけている”と思うのです。
地方自治法の第3条1項には、「地方公共団体の名称は、従来の名称による」とあり、歴史的な名称の尊重を原則として掲げています。続く3項以下において、都道府県以外の地方自治体が、名称を変更する時には、事前に都道府県知事と協議したうえで、条例を制定しなければならない、としています。たとえ、地方自治体に名称に関する権限があるとしても、この条文が、売却権まで認めているとは思えません。市議会が、命名権を売却できるとする条例を成立させれば、法律上において問題はないとする意見もあるかもしれませんが、市の名称を売却の対象とすることができるのか、という問題は、条例成立に先だって、国レベルでクリアにしておくべきことです(地方自治体の公的権限の売却に当たる…)。もし、可能であるとすれば、これはもう、地方レベルから、日本という国が崩れゆくことを容認したに等しくなります。市長は、”内外の企業に売却できる”と明言していますので、これが先例となれば、泉佐野市のみならず、財政難に陥った地方自治体が、相次いで市の命名権を売り渡すことになるでしょう。企業城下町とは違い、売却元の地方自治体とは無縁の企業も、最高値を付ければ落札することができます。購入企業は、日本企業とは限らず、全国各地に、アップル市、マイクロソフト市、ダイムラー市、ロイヤル・ダッチ・シェル市、ノキア町、レノボ町、ハイアール村、サムスン村…などが乱立するかもしれません。日本国中に、多国籍企業が名を連ね、契約期間が切れるごとに、名称が変更されのです(ここは、一体、どこの国?)。
世の中には、売ってよいものと、悪いものがあります。人身売買は犯罪なのですが、その土地固有の”地格”ともいうべき市名の売却にも、基本権の侵害と共通する反倫理性が感じられるのです。たとえ、酷い財政難にあっても、そこに暮らす人々が愛着を感じている市の名称は、売ってはいけないものの一つなのではないでしょうか。”時代の流れ”と市長は説明していますが、時代を越えて、売って良いものと悪いものの区別はあると思うのです。
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東京・世田谷区、契約期間中の値上げ拒否 東電に伝える(朝日新聞) - goo ニュース
エネルギー問題に関する議論は、発送電の分離や小売自由化に及んでいるようです。こうした改革が進めば、競争が生まれ、おのずと原子力発電を廃棄しても問題はなくなると…。しかしながら、現実は、この楽観的な見通し通りには進まないかもしれません。
そもそも、電力供給事業は、費用低減効果が強く、自然独占が発生しやすい分野と見なされてきました。それ故に、民間企業でありながら、電力会社は、公益事業として地域独占型の経営形態が認められてきたわけですが、再度、自由化を進めたとしても、この電力事業の特質が消えるわけではありません。小売市場が自由化されたとしても、発電効率の高い先端的な発電設備を導入するには多額の初期投資を必要ですので、雨後の筍のように、多数の事業者が我先にと参入できる分野でもないのです。しかも、原発が再稼働されれば、既存の電力事業者の競争力は、一気に高まります。その一方で、参入者の増加が見込まれているのは、再生エネの分野であり、これは、再生エネ法の下での高値買い取りを前提としています。この制度は、競争の存在しない価格統制型ですので、電力料金を上げる効果こそあれ、下げる効果はありません(パリティ・グリッドが実現するのは20年先ごろの見通し…)。また、価格は、需要と供給のバランスで形成されていますので、原発が停止されている状況下では、需要に対する供給の減少が、価格を吊り上げることにもなります(実際に、PPSの価格も上昇中…)。
以上の諸点を考えてみますと、電力の自由化によって競争が活発化し、結果として電力価格が下がると期待することは、早計なのではないかと思うのです。電力自由化という言葉は、危うい幻想をふりまいているかもしれないのです。
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「イクジイ宣言」、野田首相(読売新聞) - goo ニュース
昨日、野田首相が、育児休暇を取得した地方自治体の首長達と会見し、「イクジイ宣言」を打ち上げたことが、話題として取り上げられていました。会談の写真を見ますと、子どもたちも同席しており、微笑ましい光景なのですが、政治を預かる公人であることを考えますと、厳しい言い方かもしれませんが、イクメン首長は、公私混同ではないかと思うのです。
政治家の育児休暇の取得については、イギリスのブレア元首相も経験者であり、日本国ばかりの制度ではありません。諸外国をモデルとして、民主党政権が、”追いつけ”とばかりに導入を急いでいるのが実情なようです。男性の子育て支援を、政治家自らが実践することで、この制度を普及させようとしているのでしょうが、政治家を選出した有権者にとりましては、必ずしも歓迎することではありません(民間では、取得したくても、現実にはできない場合が多い…)。何故ならば、公権力は、人々の生活に関わるものであり、首長の私的な都合で仕事を休まれては、地方レベルであるとはいえ、権力の空白が生じるからです。もし、任期中に子育てを休暇を取得する予定であるならば、有権者に正直にその情報を提供すべきですし、むしろ、立候補を控える方が、有権者に対しては良心的な態度でもあります。仮に、育児休暇中に、突然に自然災害に見舞われたり、重大な失政の原因を造ってしまったとしましたら、どのように責任を取ると言うのでしょうか。
子育ては、基本的には私的な領域なのですが、子ども手当に邁進したように、民主党にとりましては、”子育ては、社会でするもの”、つまり、頭の中では、公私の区別が消えているのかもしれません。公私をきっぱりと分けることは、日本国では伝統的な道徳規範なのですが、民主党政権は、イクメン首長を持ち上げることで、この美徳をも壊してしまいたいようです。そのうち、自分の家族のために、公務を捨てるとか、政治権力を行使するような政治家までもが出現しそうです(台風による被害でご家族を失いながら、公務に徹した自治体の長もおられる…)。公私の混同は、あらゆる政治腐敗の元凶になるのですから、政治家は、あくまでも公務を優先すべきなのではないかと思うのです。
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原子炉「二度と稼働させるな」=書籍展で大江氏講演―パリ(時事通信) - goo ニュース
大江健三郎氏は、進歩的文化人として知られ、ノーベル文学賞を受賞した作家でもあります。社会的な影響力も強いのですが、氏の主張には、どこかに自己欺瞞があるように思えるのです。
フランスで開催されている書籍展において、大江氏は、原発の再稼働に反対する講演を行ったそうです。かなり厳しい口調の話しぶりであったらしく、「二度と稼働させないようあらゆる手段を尽くすことが、私たちが破滅を免れ、生きていくための唯一の手段だ」と訴えたそうです。しかしながら、よく考えてみますと、今後、再び福島第一原発のような原発事故が再発する確率と、北朝鮮から核攻撃を受ける確率では、後者の方がはるかに高いのではないかと思うのです。原爆は兵器ですが、原発は、ライフラインである電力供給を担い、産業や国民生活を支えております。しかも、原子力発電を継続しても、必ずしも100%、”私たち”が破滅するわけでもなく、原子力のリスクは、人類の努力、すなわち、技術開発によって乗り越えることもできるのです。にも拘らず、原子力の危険性を人類滅亡への道として、高みから全否定する一方で、大江氏は、隣国の危うい核開発については逃げ腰なのです。
折も折、北朝鮮は、来月、長距離の核攻撃を可能とするミサイル実験を敢行すると宣言しています(衛星発射の名の下で…)。大江氏のみならず、”命の大切さ”をスローガンに反・脱原発運動を唱えるならば、北朝鮮に対しこそ、強く抗議すべきです。そして、書籍展で北朝鮮、イラン、シリアといった核開発を止めない諸国に対して、正面から批判できなかったところに、左翼知識人としての大江氏の限界を見るのです。
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大阪市、関電の原発全廃「速やかに」株主提案へ(読売新聞) - goo ニュース
かねてより反原発を主張していた橋下大阪市長は、関西電力の株主総会で、原発全廃を提案すると報じられています。しかしながら、エネルギー政策は、国の権限ではないかと思うのです。
大阪市では、独自に”エネルギー戦略会議”なる機関を設け、今回の原発全廃の方針を決定したそうです。その一方で、国レベルでは、経済産業省の総合資源エネルギー調査会において(基本問題委員会)、今年の夏を目途に、エネルギー基本計画が策定し直される予定です。エネルギー源の割合については、およそこの基本計画によって示されることになるのですが、仮に、電力会社の株式を保有する地方自治体が、独自に電力会社に働きかけて、エネルギー源を決定できるとしますと、国のエネルギー基本計画は、無意味ということになります。しかも、国レベルでは、国家戦略室にエネルギー環境会議も設けられており(内閣府には原子力大綱策定会議もある…)、国レベルでさえ権限が分散されている上に、地方自治体も勝手に行動するとなりますと、エネルギー政策をめぐる状況は、混戦状態となります。
関西電力の管轄権は、大阪市以外の関西一円に及び、大阪市や株式を保有する自治体だけの問題でもありません。エネルギー政策の権限の所在を議論することなく、大阪市が、既成事実としてエネルギー政策に踏み込むとしますと、それは、越権行為となるのではないでしょうか。
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世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」 治安維持費が軍事費を上回る中国社会 海外メディアの報道に反駁も、その実態は(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース
中国の予算では、増加傾向にある軍事費よりも、さらに”公共安全費”の総額が上回っているそうです。この異常な予算は、中国という国の行き詰まりをも現わしていると思うのです。
中国政府は、巨額の”公共安全費”について、司法、消費者保護、食品安全などのための費用も含まれていると弁明しています。たとえこの説明が事実であるとしても、それは、中国では犯罪が蔓延し、商品や食品の危険性が高いことを認めることになるのですが、この”公共安全費”なるもの、他の諸国から見ますと、明らかに”治安維持”の名における国民の抗議行動などの弾圧費と考えられます。近年、政府腐敗や”社会矛盾”に対する集団抗議運動は後を絶たず、チベットや東ウイグルでも分離・独立運動が活発になっているからです。中国政府は、こうした運動を力で抑え込もうとしており、実際に、公表された”公共安全費”の内訳では、武装警察と公安のための予算が大半を占めています。
弾圧という方法ではなく、国民の声を聴くために民主的な手法を取り入れたり、国民に対して自由の範囲を広げたり、社会保障費を増やしたりするれば、国民の不満も下がるかもしれません。また、”公共安全費”の使い道も、国民の弾圧ではなく、腐敗や汚職の温床となっている党や政府の取り締まりに費やせば、国民の不満の原因を取り除くこともできます。にもかかわらず、中国政府は、こうした対応を採ろうとはしていません。共産主義の暴力革命は、理論とは裏腹に”社会矛盾”を解消することはできませんでしたが、共産党が今なお率いる中国は、この問題を、一体、どのような方法で”解決しようとしているのでしょうか(共産党が共産革命を訴えると、第二の文化大革命になるが、それでも、”社会矛盾”は解決しない…)。
実のところ、現代の中国は、”社会矛盾”を解決するためには共産主義を放棄しなければならないという―自己否定―、デッドロック状態にあるのではないかと思うのです(民主化や自由化でも、完全には”社会矛盾”を解決はしないけれども、緩和することができる…)。己を捨てて万民を活かすことが、現代の中国共産党にはできるのでしょうか。
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北、食糧獲得へ賭け 凍結直後にミサイル発射予告(産経新聞) - goo ニュース
北朝鮮に対しては、外交交渉という手段は全く無意味であり、政府間の合意は、難癖を付けられたり、合意内容の盲点を突かれて、結局、反故にされてしまいます。ようやく米朝合意に漕ぎ着けた途端、今度は、衛星用ロケットの打ち上げと称した”弾道ミサイル”の実験を行う模様です。
この動きに対して、アメリカをはじめ各国は、北朝鮮に対して自制を求めています。外交交渉を通して実験を止めさせる、という選択もあるのですが、その一方で、これを機に、一般の国家を対象とした外交政策からアウトロー対策へと政策を転換させてはどうかと思うのです。具体的には、もし、北朝鮮が、発射の強行を選択すれば、各国は、より厳しい制裁を課すことを表明するという方法もあります。アメリカには、食糧支援の停止という手段がありますし、日本国も、在日朝鮮人が北朝鮮と繋がっていますので、制裁手段にはまだ余地があります(送金の完全禁止や送還…)。さらに、国交を結んでいる国には、外交関係の断絶という方法も考えられます。北朝鮮にとっても、発射実験を行えば、その性能が徹底的に分析されますので、軍事情報の提供にもなります。各国が協力して、核やそれを搭載するミサイルの開発は、NPTにも反し、罰に値する行為であることを、高い代償を以って示さなければ、北朝鮮の横暴な恐喝が止まるとは思えないのです。
徒にミサイル発射を怖れて北朝鮮への譲歩を繰り返しては、北朝鮮の”思うつぼ”となります。常識的な外交手段では、北朝鮮を増長させるに過ぎなくなりますので、各国とも、北朝鮮は、国際社会のアウトローと見なし、アウトロー対策としての方策を立案すべきではないかと思うのです。
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