万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

韓国の政治文化は民主主義に馴染まない-前政権バッシング問題

2019年01月31日 13時29分13秒 | 国際政治
 先日、韓国では、所謂‘徴用工訴訟’をめぐり、二人の元最高裁判事が逮捕されました。前政権期にあって、対日配慮から同訴訟の判決を故意に遅らせたとして。この逮捕劇の裏側には、対日強硬姿勢を貫いている文政権の意向が働いているともされ、三権分立の原則を以って最高裁判所の反日判決を擁護したにも拘わらず、政治による司法介入が疑われることとなったのです。

 現政権による前政権バッシングは、文政権に限ったことではなく、韓国においては、幾度となく繰り返されてきました。韓国では、安楽な余生を送ることができた大統領は殆どおらず、たとえ権力の頂点を極めたとしても、その退任後には人生の転落が待っています。朴槿恵第18代大統領は実刑判決を受けて刑務所に収監され、第17代大統領の李明博大統領も横領・収賄の罪で起訴されています。第16代大統領に至っては、‘政治はするな。得られることに比べて失うことの方が遥かに大きいから’という後悔の言葉を残し、検察による事情聴取を受けてから一か月後に飛び降り自殺を図ったのです。

本日も、文在寅大統領の長女の家族が東南アジアに移住していたとのニュースが報じられています。移住の理由は不明なのですが、あるいは、何れは大統領の座を離れる時が来ることを見越して、次期政権によるバッシングを逃れる準備を進めていたのかもしれません。もっとも、こうした未来予測に基づく行動が、文政権に対する国民の不信感を招くと共に野党に攻撃材料を与え、それが支持率の一層の低下をもたらしているとしますと、文一族の‘事前対策’には誤算があったとも言えましょう。

それでは、何故、韓国では、世界に類を見ない前政権バッシングが起きるのでしょうか。その理由としてしばしば指摘されているのが、韓国の伝統的な政治文化です。長らく中華文明の影響下にあった朝鮮半島では、王朝交替に際して新王朝が旧王朝を徹底的に叩くという中国風の流儀が根付いてきました。これらの諸国の歴史改竄問題の遠因もここにあり、権力を握った者は、自らの権力を正当化するためには、たとえ事実とは正反対であっても、旧権力者の悪行をこれでもかと並べ立てることが許されていたのです。否、如何に盛大にその悪逆無道ぶりを捏造し、筆を以って誇張できるかが、史書を綴る史家達の腕の見せ所であったのかもしれません。

韓国における激しい前政権バッシングが、伝統的な政治文化の現れであるとしますと、この慣習は、民主主義の時代には政治混乱の要因となります。何故ならば、民主体制にあっては大統領には任期が定められており、王朝のような長期に亘る権力の独占はあり得ないからです。韓国の憲法によれば、大統領の再選は許されませんので、一つの政権の期間は最長で5年です。つまり、民主化されている韓国では、5年に一度のターンで‘王朝交替’が頻発するわけですので、その度に、天地がひっくり返るほどの逆転と激烈なバッシングが発生するのです。北朝鮮の金一族があらゆる手段に訴えてでも体制維持に固執するのも、一旦、権力を失えば、ルーマニアのチャウチェスク夫妻を越える惨劇が自らの身に降りかかることを自覚しているからなのかもしれません。

そして、日本国にとりましても、こうした韓国の前近代的な政治文化は無視できません。何故ならば、戦前に朝鮮半島を統治した日本国とは、巨視的に見れば徹底的に叩かれるべき‘前王朝’に他ならないからです。権力を握った‘現王朝’には、‘前王朝’を悪の権化に仕立て上げる動機が強く働くのであり、それ故に、史実の歪曲や捏造に対しても何らの罪の意識も感じていないのでしょう。一般の日本国民、並びに、非中華圏諸国の大半では到底受け入れられない文化なのですが、朝鮮半島ではこれこそが‘常識’なのであり、それが、近代的な個人的な権利尊重や人道主義の衣を纏うことで、過激な反日プロパガンダを伴う賠償や補償請求として現れていると考えられるのです。

韓国は、国家体制としては民主化を果たしましたが、伝統的な政治文化との間に生じた時代的なギャップが、今日の同国の混乱を特徴づけているように思えます。しかも、この伝統に由来する韓国や北朝鮮の独特の政治感覚は、朝鮮半島に留まらずに国際社会の舞台においても発揮されており、とりわけ隣国である日本国や同盟国であるアメリカに困惑と反感をもたらしているのではないでしょうか。文化の相互理解とは必ずしも文化の相互寛容を意味するものではなく、伝統とはその良し悪しを賢く峻別すべきものであり、韓国こそ、民主主義の時代に適応すべく、前近代から引き継いだ悪しき政治文化を改めるための努力を払うべきではないかと思うのです。

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移民問題は‘サイレント・キラー’か?-移民増加は国際秩序崩壊の危機でもある

2019年01月30日 15時14分13秒 | 国際政治
昨年末、入国管理法改正案が国会で可決成立され、日本国内でも、生活空間における外国人の増加が身近な問題となりつつあります。審議時間も十分ではなく、国民的な合意形成なきままの‘見切り発車’となったこともあり、一般国民の間には漠然とした不安感が拡がっております。

 日本政府もマスメディアも、声を揃えるかのように国民に対して一方的に‘多様性の尊重’や‘受け入れ態勢の整備’を求めているのですが、移民の増加による変化は国内秩序に留まるわけではありません。国際秩序をみれば、今日の国民国家体系の崩壊を招きかねないリスクをも孕んでいます。

 地球儀を一回転させてみますと、その表面には、国境という領域を画する線が無数に引かれています。地表を画する線は時代によって変化しており、1000年前のそれとは大きく違っています。それでは、これらの曲線がどのような基準で引かれているのかと申しますと、それは、現代の国際社会において、各民族に一つの国を持つことを認める原則が成立しているからに他なりません。今日の国境線は、ナショナリズムの賜物なのです。

19世紀から今日に至るまで、ヨーロッパでは、同原則の比較的厳密な適用により各民族がオーストリア・ハンガリー帝国やトルコ帝国から独立しましたし、植民地独立が相次いだ第二次世界大戦後にあっては、国家なき民であったユダヤ人を含めてアジア・アフリカ諸国も同原則の恩恵を受けています。もっとも、一民族一国家の原則の例外も多く、(1)植民地時代に西欧列強が人工的に線引きされたアフリカの諸国、(2)‘新大陸’と見なされて多数の民族が移り住んだ移民国家、(3)周辺民族の征服によって多民族を包摂するに至ったロシアや中国などの帝国型国家、(4)遊牧民族の定住化によって多民族混住となった中央アジア諸国、(5)インドとバングラデシュなどの宗教の違いなどがあります。例外も少なくはないものの、これらの諸国にあって独立運動が起きる時には、民族的なまとまりが独立を主張する正当な根拠ともなるのです。

グローバリズムの急速な拡大によって無視されがちな一民族一国家の原則が確立した理由は、民族自決の原則と結びつくことで、国家の独立性を一層強化する方向に働くからです。これらの原則が存在しない時代こそ、軍事大国による征服や侵略が許され、異民族支配や植民地化が横行した時代であったとは歴史的な事実もあります。そして、民主主義もまた、民族の枠組が消滅したのでは自治権という意味での意義を失うことになりましょう。言い換えますと、強く意識はされていないものの、今日の国際秩序も国内秩序も、その多くを民族という集団的な枠組みに依拠しているのです。

こうした事実に思い至りますと、移民増加が、経済的な要因としての人手不足解消や、リベラル派が主張するような外国人の人権保護や多様性の尊重といった問題に単純には矮小化できないことが分かります。移民の増加によって国内の人口構成が変化すれば、今日の人類社会の秩序を内外から支えてきた大前提が崩れるからです。この視点からしますと、移民問題は、国家や国民国家体系に対するいわば‘サイレント・キラー’なのです。

移民推進派の政府やメディアは、受け入れ側の国民に対して変化の受容を求めますが、その変化こそ、国内外の秩序の崩壊であった場合、素直に首を縦に振ることはできないはずです。最悪の場合には、国際レベルでは企業を主体とした植民地主義の犠牲となるか、あるいは、国境の消滅に乗じた現代の帝国、即ち、軍事大国によって侵略されるかもしれないのですから。また、国内にあっても、民族間の軋轢や対立による社会的分裂や治安の悪化に苦しむかもしれません。移民問題を過小評価してはならず、真に直視すべきは、同問題が引き起こす、各民族に集団的な国家に関する諸権利を認めた国民国家体系そのものの崩壊危機ではないかと思うのです。

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日産の‘植民地化’を公然と要求するマクロン仏大統領

2019年01月29日 13時45分23秒 | 国際政治
 新党‘前進’を結成して颯爽と登場したエマニュエル・マクロン氏は、混迷を極めたフランス政治を救う時代の寵児として持て囃され、大統領選挙を制した際には、マスメディアから‘ナポレオンの再来’として礼賛されていました(‘ナポレオンの再来’がほめ言葉であるのかは今となっては疑問…)。しかしながら、‘マクロン・フィーバー’も今や見る影もなく、反マクロンを訴える‘黄色いベスト運動’が全国的な広がりを見せています。

 ‘黄色いベスト運動’も特定のカラーを象徴とする反政府運動の影にはそれを背後から支援する国際組織が潜んでいるのが常ですので、マクロン政権をよしとしないまでも同運動に対しても懐疑的フランス国民も多いのでしょう。しかしながら、少なくとも、マクロン大統領が一般国民からも支持を失っていることだけは確かなようです。そして、国民がマクロン大統領に対して反感を覚える気持ちも、ここ日本国に居ても分からないではないのです。何故ならば、日本国の日産に対する同大統領の要求こそ、マクロン政治の本質を現しているように思えるからです。

 マクロン大統領の対日要求とは、カルロス・ゴーン容疑者の保釈に加え(日本国の司法の独立を脅かす政治介入では?)、仏ルノーと日産を共同持ち株会社方式により完全に経営統合してほしい、というものです。両社の統合案はゴーン容疑者逮捕以前から燻っており、同氏が自らの地位保障と引き換えにフランス政府の要請を呑んだことが、独立性を強めたい日産側が告訴を急いだ背景としても指摘されています。つまり、一旦、ゴーン容疑者逮捕で暗礁に乗り上げた統合案を、今度は、日本国政府に圧力をかけることで実現しようとしているのです。

 統合案に対する日産側の強い反発は、同案が日産側にとりまして著しく不利であった証でもあります。株式の持ち合い関係にある現状でさえ、仏ルノー側が議決権付きの日産株の43%余を保有しているため、正当なる株式配当であれ、前者による後者の搾取と評されるほどに後者の利益が前者に移転されています。ルノー株の凡そ20%を保有する筆頭株主はフランス政府ですので、間接的には、日産がフランスの財政にも貢献している構図ともなります。

提案通りにルノーの共同持ち株会社を設立したとしても、フランス側の政府・ルノー連合は、ルノー主導の現状の変更には消極的なそうです。このため、共同持ち株会社の株保有率が双方フィフティ・フィフティになるとも限らず、本社所在地がフランス国内、あるいは、オランダのアムステルダムともなれば、日本国の税収も減少するそうです。同案が実現すれば、日仏間の不平等関係の下で日本国側が著しい不利益を被るものと予測せざるを得ないのです。

 日本側からしますと、公然とマクロン大統領から日産の‘植民地化’を要請されていることとなるのですが、同大統領が、日本国側がこの案を受託するは当然と考えているとしますと、その発想は、戦前の植民地主義と何らの変わりもないこととなります。マクロン大統領の基本的なスタンスはリベラルであり、言葉では、フラン革命由来の‘自由、平等、博愛’を謳っておりますが、その真の姿は、自らが強者の立場であれば搾取や不平等を容認する‘帝国主義者’なのかもしれません。そして、日本国政府に対して日産に圧力をかける役割を期待しているとしますと、同大統領から見れば、日本国政府は植民地において育成した‘代官’なのでしょう(日本国民からすれば‘悪代官’?)。

今般のフランス政府の動きに対して同問題が政治レベルに移行したとする評もあるのですが、マクロン大統領の手法とは、政治権力を経済目的に利用するところにあるように思えます(同大統領は、ロスチャイルド銀行出身…)。先日、韓国公正取引委員会が日産に対して競争法違反で検察に告発すると共に課徴金を課しましたが、時期が時期だけに、その背景にもフランス政府、あるいは、ルノーサムソン自動車を介した政治的な司法介入も疑われます(もっとも、前日には韓国公取委はトヨタ自動車に対しても課徴金を課している…)。

このように考えますと、マクロン大統領と同氏の推進する新自由主義的政策の犠牲者となった一般フランス国民との関係は、同大統領と日産との関係に極めて類似しているように思えます。それ故に、一般のフランス国民の同大統領に対する反発に、日本国民の多くも共感を覚えると共に、その強引な‘革命志向’の政策手法が日本国でも発揮されることには十分な警戒が必要なのではないでしょうか。そして、日本国政府が、マクロン大統領の‘悪代官’となるのか、それとも、国益と日本企業を守る盾となるのか、日本国民も固唾を呑んで今後の展開を見つめているのではないかと思うのです。

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‘空飛ぶ時代’の盲点-安全と景観は大丈夫?

2019年01月28日 16時48分43秒 | 社会
 SF小説などでは必ずと言ってよい程に、読者に未来を感じさせる道具として‘空飛ぶ自動車’が登場してきます。未来人たちは、空飛ぶ自動車を自由に操って、大空を駆け巡っているのです(身体にプロペラを装着させる形態もありますが…)。‘空飛ぶ時代’はもはや夢物語ではなく、ドローンの配送ビジネスへの活用や自動車各社の開発によって既にその時代は目の前に迫っております。こうした近未来テクノロジーに関するニュースは人々を‘わくわく’させる一方で、現実に‘空飛ぶ時代’が訪れるとすれば困ったことも起こりそうなのです。

 陸上の交通では、交通インフラとして道路や線路等が敷設され、交通ルールも法規として定められておりますので、自動車や電車等がどこでも自由に走っているわけではありません。このため、交通量のキャパシティーに限界があるためにしばしば渋滞も発生し、目的地に到着するまで相当の時間を要する場合もあります。‘空飛ぶ自動車’やドローンの開発が熱心に進められてきた理由の一つも、陸上交通の限界を越えて、人々により快適な移動手段を提供することあるのですが、陸から空へと移動空間が変化したとしても、交通に伴う問題が解決されるとも思えないのです。

 既存の航空輸送にあっても、管制システムの下で厳格な運用が行われており、操縦桿を握るパイロットが飛行機を自由に操っているわけではありません。今日では、むしろ航空機自体に自動操縦装置が組み込まれており、パイロットが自ら操縦する場面は限られています。‘空飛ぶ自動車’が登場したとすれば、それは、‘自動車’なのか、‘航空機’なのか、という分類の問題がまず発生します。前者であれば、陸上の交通法規に従わなければならないのですが、道路を走っているわけではありませんのでこれは非現実的です。一方、後者に分類すれば、今度は航空法に基づいて飛行する義務が生じ、運転者の自由度は著しく低下します。道路がいわば滑走路となって離陸する陸空兼用の車体であれば、移動空間の違いによって法規を切り替えることともなりましょう。何れにしましても、現行の法体系では‘空飛ぶ自動車’に対応できないことは確かなようです。

 また、交通法規は、事故防止の役割を果たしています。この点に鑑みますと、‘空飛ぶ自動車’であれ、ドローンであれ、空飛ぶ時代にも何らかの安全対策を要します。仮に、空飛ぶ物体同士が空中衝突を起こしたり、航空機や鳥と接触するような事態が発生した場合、その被害は陸上交通よりも甚大、かつ、広範囲に及ぶかもしれないからです。空から突如として降ってきた搭乗者や物体が陸上を歩く人や建物を直撃すれば、死亡、負傷、火災、家屋の破損といった被害や損害が生じます。さらには、送電線を切断したり、公共施設を破損すれば、経済や社会全体の活動が麻痺してしまう怖れもあるのです。常に頭上から何かが落ちてくるリスクがある状態では、人々は、のんびりと街を歩くことも難しくなりましょう。それとも、陸上であれ、空中であれ、全ての移動手段は完全に自動運転化され、単一の交通管制システムに統合されるのでしょうか。

 加えて、多くの人々が‘空飛ぶ自動車’で移動し、配送手段として大量のドローンが飛び交う時代に生きる人々は、必ずしも心地よい景観の中で暮らす住民になれるとは限りません。窓を開ければ、自然界の鳥や虫よりも大型の自動車やドローンが高速で目の前を通過してゆき、雲霞の如く群をなして飛ぶ物体で視界が遮られてしまうからです。透けるような青い空に白い帯を描きながら消えゆく飛行機雲を懐かしむ人は、もはや、この時代にはいなくなっているかもしれません(あるいは、航空機と同程度の高度を飛行すれば視界を確保できますが、それでも離発着の際には視界に入る…)。果たして、人類は、劣悪となった景観に耐えうるのでしょうか。

 ‘空飛ぶテクノロジー’は人々に夢を与えますし、それ自体は、人類が到達した先端的な技術レベルとして評価することができます。その一方で、それが一般に普及する前に、社会や人々に与え得るリスクを正確に把握し、法整備を含めた安全や景観等に対する十分な対策を講じておく必要があるように思えます。企業等も同分野の研究開発に多額の投資を行っていますが、それが人類により快適な空間をもたらさず、人々から危険視されてしまう場合には、たとえ人類の‘夢’を叶えるための巨額投資であっても無駄になってしまう可能性も無きにしもあらずではないかと思うのです。

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対日開戦の準備を進める韓国の脅威

2019年01月27日 15時08分04秒 | 国際政治
「日本の威嚇飛行は容認できない行為」 韓国国防相
日本海の大和堆の上空で発生した韓国海軍駆逐艦による自衛隊哨戒機に対するレーダー照射事件は、韓国側が論点を自衛隊機の威嚇低空飛行にすり替えたことで、混迷を深めてります。防衛当局間での協議の打ち切りは、日本国側の‘韓国をこれ以上追い詰めてはならない’とする配慮であったそうですが、同事件を穏便に済ませたいとする日本国側の期待は、韓国側がまたしても自衛隊機の低空威嚇飛行を持ち出してきたことで、無残にも裏切られてしまったようです。

 日韓間で起きてきたトラブルは、日本側が、非のある韓国の面子を慮って一歩引くと、三歩踏み込まれてしまうパターンの繰り返しであり、今般も、事なかれ主義が事態の悪化を招いた事例となりました。日本国は失敗に学ぶことを知らないかのようで不安な限りなのですが、事件発生以来、主張を二転三転させてきた韓国側としては、何としても、全ての責任を日本国に押し付け、自らの行為を正当化することで、100%‘全面勝利’を得たいのでしょう。韓国の思考パターンでは、日本国を犠牲にしても自らが助かればそれでよいのであり、事実など無関係なのです。

 こうした韓国の思考回路からしますと、韓国、そして同思考回路を共有する中国や北朝鮮等の諸国ほど脅威となる存在はありません。北朝鮮では主体思想が国家イデオロギーとして長らく信奉されてきましたが、この思考回路こそ、まさしく‘自己中心主義’の権化であるからです。つまり、自己の利益や都合、そして、自己正当化のためには手段を選ばす、他者を侵害するあらゆる悪事もなし得ることを意味しているのですから。

 今般の事件もその経緯を振り返りますと、韓国側に非があることは明白です。そもそも、国旗を掲げることもなく、国籍不明の駆逐艦が日本国のEEZ内で活動を行っていれば、自衛隊哨戒機が近辺で警戒飛行を行うのは当然のことです。しかも、韓国船籍タンカーが国連安保理決議に違反して北朝鮮船舶に対して‘瀬取’を行っていたことが既に判明しており、監視対象国でもあります。日本国の自衛隊の監視活動は、自国の防衛を主たる目的としつつも、国連加盟国としての海上パトロール活動でもあるのです。

韓国がかくも躍起になって論点をずらそうとしている理由は、日本国内では、自衛隊による自国に対する瀬取行為の監視を追い払いたい一心ではないかと推測されています。言い換えますと、韓国が主観的に‘感じている’脅威とは、日本国の自衛隊によって瀬取の現場を押さえられ、国際社会において韓国の国連安保理違反が白日の下に晒される事態への怖れであり、これは、犯罪者の心理に通じています。この以外に、日本国側が敢えて韓国軍の動きに対して警戒行動をとる理由がないからです(少なくとも日本国政府は、防衛省を含めて常に日韓友好を最優先にしている…)。

二回目の自衛隊機による低空飛行は、東シナ海の蘇岩礁付近とされており、現場こそ日本国のEEZ内ではありませんが(仮に自衛隊機が同海域を飛行していたとしたら、それは、上述した理由による海上パトロールでは…)、証拠として公開された写真には、低空飛行を示す水平線も映っておらず、かつ、高度等を示す計器の数字にも改竄の痕跡があるとの指摘もあります。決定的な証拠とはなり得ないのですが、韓国側は、「機械は嘘を吐かない」と述べて、あくまでも自らの主張を貫く構えなのです。武力による対応まで示唆するのですから、逆切れして日本国を武力で威嚇しているとも言えます(こうした行為も国際法違反…)。

低空威嚇飛行が問題となっている最中に、自衛隊機が韓国海軍の駆逐艦に低空飛行で接近するとは考えられず、韓国側が嘘を吐いているとしか考えられません。「機械は嘘を吐かない」とはいえ、人間は嘘を吐くのですから(計測データも改竄可能…)。そして、こうした韓国側の極端な自己中心主義は、今後、韓国側が、一方的に日本国に対して戦争を仕掛ける可能性が高いことを示唆しています。かつて、モンゴル帝国が諸周辺諸国を堂々と侵略したように、開戦の理由は、如何なる嘘を並べ立ても構わないのでしょう。日本国政府は、韓国側の思考回路こそ警戒し、万が一に備えるべきではないかと思うのです。

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不正確な政府統計に見えるデジタル時代の怪-データの自動集計は可能では?

2019年01月26日 12時52分42秒 | 日本政治
デジタル社会の到来が告げられ、AIやロボットの実用化も本格化する中、その基盤ともなり得るビックデータの活用は、一般の民間企業にとりましてもビジネス・チャンスとされています。ところが、今般明らかとなりました官公庁のデータ収集のお粗末さは、デジタル社会における現実と理想とのギャップを浮き上がらせているように思えます。

 金融工学の急速な発展によって、今では金融取引の大半は、人ではなくAIによって瞬時に判断されているとも囁かれています。もはや人の出る幕はなく、利益の有無は、全てのデータを高速で収拾し解析し得るAIの能力によって左右されるのです。こうした現状は、コンピューター上で行われた作業を記録・保存したデータであれば、その収集や入力が自動化し得る今日の技術レベルを示しているのです。AIやロボットの普及が、近い将来において人々から職を奪うとする説は、煩雑な事務的な作業の自動化を想定しているからでもあります。

 IT技術が既にデータ収集や入力の自動化を可能とするレベルにまで達しているとしますと、政府統計の不正確さは、不可解でさえあります。例えば、毎月勤労統計であれば、今日、あらゆる事業所の事務作業は、既にコンピューター上で行われているはずです。おそらく、官民何れでだっても、事務所の机の上には、パソコンが置かれていることでしょう。今では、パソコンを使用しないでデータを管理していない組織は皆無に近いはずです。となりますと、毎月の勤労統計は、既に保存されているデータを集計するに過ぎないのですから、スパコンといった特別なパソコンではなくとも、それが全国津々浦々の事業者を対象としたとしても、瞬時に正確な数字を出せるはずなのです。

 ところが、政府は、統計の数字が不正確となった理由は‘人員不足’としています。かつては全企業を対象に調査が実施されていたのですが、近年、東京都では抽出方式に変更したそうなのです。しかしながら、この説明、今日のテクノロジーのレベルからしますと、100年も前のお話のように聞こえます。デジタル時代の‘売り’とは、正確、膨大、かつ、高速なるデータの収集・解析・利用による人類社会の高度化への貢献であったはずなのですから。

 今日、GAFA等のIT大手が、そのデータ収集能力の高さ故にプライバシーの保護にも関わる重大問題とされる一方で、政府の情報収集能力がコンピューターの発明以前の100年前から何らの進歩もないとしますと、誰もが首を傾げることでしょう。仮に、‘人員不足’であれば、全国規模の自動集計システムを導入すれば解決するのですから(単純な加算であれば高額なシステムも要しない…)、この言い訳、やはり怪しいと言わざるを得ないのです。

 デジタル社会における政府の統計ミスとは、一体、何を意味するのでしょうか。今般の事件で明らかとなった理想と現実とのギャップは、あるいは、たとえ高度に発展した先端的テクノロジーであっても、それを使う立場にある人の意思によって、その結果の良し悪しが左右されてしまうというシビアな現実を人々に突き付けているのかもしれません。

*1月26日の記事では、抽出方式の対象を職安とする等の錯誤があり、内容に間違いがありました。本日、本旨が通る程度に修正を施しております。誤った記事を掲載いたしましたこと、深くお詫び申し上げます。

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不正確な統計問題-入管法改正時の‘人手不足’も怪しいのでは?

2019年01月25日 12時48分42秒 | 国際政治
高まる統計不信=相次ぐ不適切事例、背景に「人員不足」
政府が集計した統計とは、政策立案の基礎となりますので、決して誤りがあってはならないはずです。仮に、数字が不正確であれば、同数字に基づいて実施されたあらゆる政策がその合理的な根拠を失うからです。統計とは正確さこそが‘命’ですので、不適切な統計の扱いが厚生労働省に限らず多くの省庁において蔓延していることは、日本国政府の信頼を揺るがしかねない重大な問題です。

 今般の事件は、日本国政府の統計が不正確である実態を明らかにしたのですが、昨年末に行われた入国管理法改正においても、政府が提示した数字については疑って然るべきなのではないでしょうか。何故ならば、政府が公表している数字を並べますと、辻褄が合わないからです。

例えば、生活保護の給付を受けている世帯の総数は、2018年4月の時点で163万5280世帯であり、内、65歳以上の高齢者を除きますと母子家庭8万7464世帯、その他、24万9717万世帯なそうです。この数字から資産を有さないものの、33万7181人は、就業可能な状態にあると推定されます。加えて、失業手当を受給している人の数は、同問題の発端となった毎月勤労統計の不正調査問題に際して、追加給付の対象が凡そ80万人と報じられていますので、現在でも80万人ほどが失業状態にあるのでしょう。若年層になりますと、ハローワークに登録することなく、スマホのアプリ等を使って就職活動を行う傾向にあるそうですので、統計外の失業者数が加算されれば、80万の数字を越えるはずです。

仮に、真に人手不足であれは、生活保護や失業保険から給付を受ける人の数は限りなくゼロに近づくはずですので、これらの高い数字は、‘人手不足説’とは噛みあいません。しかも、これらの受給者の中には、年々増加傾向にあるとされる外国人受給者も含まれているでしょうから、海外から外国人労働者を招き入れながら国内の外国人に手厚い給付政策を行うという、極めて‘ちぐはぐな状況’になりかねないのです。政府は、失業状態にある多くの国民を見捨てて、雇用と社会保障の両面において外国人を特別に優遇するのでしょうか。

月ごとに調査される毎月勤労統計は、いわば、ルーティーン化された作業であり、特別に実施されるわけでもないにもかかわらず、重大な誤りがあったのですから、‘人手不足’に関する調査が厳正、かつ、網羅的に実施されたとも思えません。同法案は、菅官房長官が中心になって取り纏められたと報じられておりますが、政治家レベルの立案であれば、地元の後援者の要望、一部事業者による陳情、及び、ロビー活動の声を拾ったに過ぎないのかもしれません。あるいは、今般の毎月勤労統計と同様に、一部の事業者を抽出して集計した可能性もあります。

政府は、‘人手不足’の深刻さを懸命にアピールし、今後5年間で最大34万人もの外国人労働者を受け入れるとしておりますが、同数字の基礎となるデータが不正確あるとしますと、立法の基礎も揺らぎます。統計問題が浮上した以上、‘人手不足’に関する政府提出のデータについても、再調査すべきなのではないでしょうか(仮に、数字に誤りがあれば、違憲・違法立法として訴訟となる可能性も…)。なお、今般の不正事件の主たる原因が‘人員不足’、すなわち省庁内部の‘人手不足’とされていることは、何とも皮肉なお話ではないかと思うのです。

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第2回米朝首脳会談と日韓決裂はリンケージしている?

2019年01月24日 12時48分03秒 | 国際政治
正恩氏、米朝会談準備を指示 トランプ氏親書に「満足」
昨年の6月12日、シンガポールで開催された第一回米朝首脳会談は、北朝鮮の非核化に関して肝心な点を曖昧にしたまま一先ずはお開きとなりました。このため、積み残した問題を詰めるためには更なる首脳会談開催の必要性が指摘されてきたのですが、延び延びとなってきた第2回米朝首脳会談の日程が凡そ固まってきたようです。

 アメリカ側のトランプ大統領から送られた親書に応える形で北朝鮮の金正恩委員長も2月下旬の開催に前向きな姿勢を示しており、開催地の候補として挙がっているのがベトナムです。非核化を実現するための具体的な措置を含めた合意の成立が期待されておりますが、両国を取り巻く情勢を見ておりますと、楽観視は禁物であるかもしれません。

 先日の報道に拠りますと、北朝鮮は、既に核施設の分散を終えているそうです。たとえ今後の首脳会談で‘具体的な措置’、即ち、特定の核施設の名を挙げてその廃棄に両首脳が合意したとしても他の施設は温存されますので、‘完全、検証可能かつ不可逆的な核廃棄(CVID)’からはほど遠い状態となります。また、核施設分散には、仮に米軍から空爆を受ける事態に陥っても、一瞬で全ての各施設が壊滅する事態を避けようとしたのかもしれません。何れにしましも、北朝鮮は、核施設分散のための時間稼ぎに成功したのであり、この点に注目しますと、同国に時間を与える結果となった第1回米朝首脳会談は失敗であったと言わざるを得ないのです。金委員長が余裕を見せているのも、既に北朝鮮側の‘準備’が完了しているからなのかもしれません。

 そして、対米交渉に臨むに当たっての北朝鮮の‘準備’には、自国に有利なアジア情勢の演出、あるいは、醸成が含まれていることは想像に難くありません。否、北朝鮮というよりも、それは、米中対立を背景とした中国の世界戦略であり、この点、北朝鮮は、中国の‘駒’の一つに過ぎないのかもしれないのです。この観点からアジア情勢を眺めますと、韓国の常軌を逸した反日行動も説明が付くかもしれません。可能な限り対米交渉を有利に運ぶためには、親中陣営の拡大が望ましいからです。

 従来、日韓の緊密な協力関係は中国の脅威に対抗するためには必要不可欠であり、両国は、米国との同盟関係を介して間接的ながらも‘準同盟国’とも評されてきました。しかしながらこの構図は今や崩壊しており、‘徴用工判決’に留まらず、自衛隊哨戒機に対する韓国海軍駆逐艦によるレーダー照射事件では、韓国側は、動かぬ証拠を突きつけられても、決して自らの非を認めようとはしせん。日韓関係を改善させる意思は微塵も感じられないのです。自国の信頼性が低下するリスクをも顧みない韓国側の強硬な態度は、対中包囲網の一角であった日韓関係が破綻したことを内外に示しております。そして、この日韓関係の破綻こそ、中国、並びに、北朝鮮が描く対米戦略に合致しているのではないでしょうか。乃ち、激しさを増す日韓対立は、アメリカに対する‘韓国は中国陣営の一員である’とする中国側からのメッセージであるかもしれないのです。

 このように考えますと、第2回米中首脳会談には、第二次世界大戦前夜に開催されたミュンヘン会談に匹敵するほどの危うい空気が漂っております。たとえ両首脳間で合意が形成されても、それは妥協の産物であって北朝鮮が非核化されるとは限らず、また、決裂した場合には、どちらの側からの軍事的なオプションもあり得るからです。日本国政府は、第2回米中首脳会談の開催に安堵するのではなく、既に韓国が中国側にある現実を直視し、会談後の危機に対する備えを急ぐべきではないかと思うのです。

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デジタル投資拡大は日本経済を救うのか?-予測される不安要因

2019年01月23日 13時20分50秒 | 国際政治
本日の日経新聞朝刊の第1面には、アメリカ企業が知識集約型産業への転換を図った結果、全世界企業の純利益の4割をも占めるに至った現状を報じる記事が掲載されておりました。論調としては、アメリカに倣って日本経済も製造・販売を中心としたモノ中心の従来型から‘知識集約型への転換を急ぐべし’なのですが、この転換には不安がないわけではありません。

 第1に指摘すべき点は、米企業の順調な業績は、必ずしも貿易収支の改善を意味しない点です。米国内での巨額なデジタル投資は、知的財産権による莫大な収益を生み出しましたが、その反面、モノづくり軽視の姿勢は製造拠点の海外移転を促し、一般のアメリカ国民は、日用品や家電等の消費財の大半を輸入に頼ることとなりました。輸入依存率上昇の結果、アメリカの貿易赤字の拡大に歯止めがかからず、トランプ政権の誕生とそれに続く米中貿易戦争の一因ともなったのです。米ドルは今なおも国際基軸通貨であるため、巨額の貿易赤字を計上しても米経済は耐えられますが、日本国の円はハードカレンシーではあっても国際決済通貨としての実力は米ドルには遥かに及びません。従いまして、製造業の放棄によって貿易収支が大幅な赤字に転じれば、日本経済はやがて深刻な外貨不足に陥るかもしれません(しかも、エネルギー資源の輸入も不可欠…)。つまり、知識集約型への転換が同時に輸入依存型への産業構造の転換を意味するならば、日本経済は、やがて‘輸入したくてもできない’という袋小路に入ってしまうかもしれないのです。

 第2の不安点は、日本企業が米企業レベルの資本効率に達するためには、世界トップレベルの先端技術を育成する必要がある点です。アメリカには先端技術の開発拠点としてシリコンバレーが存在しており、中国の深センも同様の機能を果たしています。IT、AI、ロボットといた近未来型の産業に関する基礎技術が両国企業に押さえられつつある中、日本企業が収益増に繋がる成果を得うる領域は狭められています。また、仮に、日本企業が、研究・開発の場で画期的なイノヴェーションを成し遂げたとしても、‘ガラパゴス化’を怖れて実用化には二の足を踏むかも知れませんし(米中企業から潰される可能性も…)、端から基礎研究そのものを放棄してしまうかもしれません。同分野での研究・開発に巨額の資本投下、即ち、デジタル投資が必要であるならばなおさらのことです。

 第3に指摘しうるのは、IT分野は、他の分野と比較して専門性が極めて高く、必要人材が少数に限定されている点です。周囲を見回しましても、同分野で世界の第一線で活躍できる人材は殆ど見当たらないはずです。このことは、デジタル投資の拡大と比例して、国民、並びに、国家間で‘デジタル格差’が拡大することを意味します。中間層の崩壊や所得格差の拡大、さらには、上述した米企業への利益集中もこの点から説明できるのであり、アメリカの真似をすれば、日本国もまた‘デジタル格差’の問題に直面せざるを得なくなります。日本国の場合、アメリカよりも社会保障制度が行き届いていますので、貧困層の増加による財政悪化が同時進行することでしょう。

 そして、日本国のみならず世界経済全体として懸念すべき点は、アメリカの製造業軽視が中国の製造業重視と組み合わさった場合、全世界の経済は、両大国間で成立した‘二国間国際分業’によって凡そ独占されてしまうリスクがあることです。もっとも、経済分野での‘米中新時代’のシナリオは、中国が「中国製造2025」を発表して知財産業も製造業も独り占めしようとしたため、アメリカの反発を買って頓挫寸前にあります。何れにしましても、日本国は、徒に米中の後追いをするのではなく、グローバル化がもたらす変化を見据えつつ、そのマイナス影響を被る国、企業、個人のために制御面での役割を果たすと共に、中規模国家として独自の路線を見出すべきなのではないでしょうか。

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自由貿易主義が依拠する比較優位説こそ時代遅れでは?

2019年01月22日 13時37分10秒 | 国際政治
昨年の2018年は、アメリカのトランプ大統領が本格的に対中通商政策を転換させた年として記憶されることでしょう。TPPからの永久離脱やNAFTAの再交渉に続いて、アメリカの貿易赤字の最大要因とされる中国からの輸入品に対しては高額の関税が課せられたのですから。自由貿易主義を理想視し、その堅持を訴える立場からしますと、トランプ大統領の保護主義への傾斜は時代の流れに逆行する愚かしい行為のように見えるかもしれません。しかしながら、保護貿易主義を批判する自由貿易主義の理論が前者よりも先端的理論であるのかと申しますと、そうでもないように思えます。

 そもそも、自由貿易主義が依拠する比較優位説は、今日のグローバル化の時代にあっては説明力を失っております。何故ならば、モノのみならず、サービス(製造拠点を含む…)、資本、労働力、そして知的財産までもが自由に国境を越える時代には、如何なる国であっても、比較優位を保つことは難しくなるからです。例えば、グローバリズムの拡大と共に移民が増加し、かつ、先進国にあって失業者も増えた理由は、製造拠点や労働力の国境を越えた移動を自由化したためであり、労働コストにおいて劣位にある側は、低賃金で外国人労働者を雇用する、あるいは、安価な労働力が豊富な国に製造拠点を移すことができます。つまり、要素移動によって相手国の優位性を帳消しにすることで、自らの劣位要因を容易に克服することができるのです。

資本コストも同様であり、資本の調達力において劣位する国は、積極的な外資導入によって自らの劣位を挽回することができます。高度先端技術などの知的財産権も、それが産業スパイといった不正な手段であれ、企業の国境を越えた買収・合併等や特許料の支払い、あるいは、専門知識を有する高度人材の採用等の合法的な手段であれ、如何なる国でも自由に入手できるのです。グローバルな時代には、これらの要素はもはや国際競争上の優劣を決する要因とはならないのです。仮に、グローバリズムを徹底した場合、地球上に優劣を決する要因が残るとすれば、それは、特産品の生産に関わる地理的条件や気候など、自然的な要因となるかもしれません。

すなわち、モノのみを取引対象としていた時代において唱えられた比較優位説は、サービス、資本、労働力、知的財産等が国境を越えて自由に移動するグローバルな時代には、逆に、時間の経過とともに国家間に存在してきた各要素の優劣を消滅させ、格差を収斂させ、世界レベルで平準化させる方向に強力に働きます。端的に述べれば、自由貿易主義の相互利益を説く比較優位説を過去の遺物としてしまったのは、グローバリズムに他ならないのです。グローバリズムの理想を貫き、あらゆる要素の自由移動を認めれば、比較優位説はもはや成立しなくなる、あるいは、狭い分野でしか成立しないのです。となりますと、自由貿易主義とグローバリズムを凡そ同義として扱い、後者を正当化するために前者の正当化理論である比較優位説を持ち出すことはできないはずです。

もっとも、全ての移動を自由化して単一のグローバル市場を出現させるというグローバリズムの理想は現実の壁にぶつかり、上記の如くには全世界を平準化せず、政治分野では国家戦略も渦巻く国民国家体系が存続している現実世界において、‘グローバリズムはどのような結果を人類にもたらすのか’という問題については、別途考察を加える必要がありましょう(もっとも、グローバリズムは、格差が存在している間はイノヴェーションや質的な発展がなくとも利益を上げることができる…)。しかしながら、比較優位説が正当化してきた自由貿易主義がグローバリズムによってその理論上の基盤が切り崩されているとしますと、グローバリズムが齎す諸問題に対しては、両者を明確に区別した上での対応が必要なように思えるのです。

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アリババは中国の‘人民元圏構想’の尖兵か-国際送金サービスの脅威

2019年01月21日 13時03分44秒 | 国際政治
中国の巨大企業、アリババグループの会長ジャック・マー氏は、昨年、自らが共産党員であることをカミングアウトしています。遂に正体が明かされた感があるのですが、同社が開始したブロックチェーン技術を用いた国際送金サービスは、新たなチャイナ・リスクとして立ち現われるかもしれません。

 昨年6月25日、アリババの金融関連会社アント・ファイナンシャルが、香港とフィリピンとの間に構築されたブロックチェーン上において国際送金に成功したと報じられました。煩雑な外国為替取引の手続きを要する既存の銀行間送金システムを介さないため、送金時間は僅か3秒であり、手数料も手ごろとなるそうです。NHKスペシャルとして今月19日に放映された「アメリカvs.中国」でも同送金システムは扱われており、香港に居住する母親がフィリピンの農村に残した男の子にスマホを介して送金する様子の一部始終が、香港とフィリピンの双方を同時中継する形で報じられていました。イノベーションを通して「世界に平等なチャンスをもたらす」が同社のモットーとされており、送金時間も大幅に短縮され、かつ、低価格でサービスを受けられるのですから、一見、多くの人々に恩恵を与える画期的なサービスのような印象を受けます。しかしながら、このサービス、手放しで歓迎できるのでしょうか。

 不思議なことに、送金成功を伝えるニュース記事にも、NHKの番組でも、同システムにおける使用通貨については触れていません。通常の香港・フィリピン間の国際送金であれば、銀行間の決済システムを介して送り手が香港ドルで送った通貨はフィリピンペソで受け取られることとなるのですが、ブロックチェーン方式では、一体、何処の国の通貨が使われ、また、両替作業はどのようになされたのでしょうか。既存の国際送金システムを通さないとなりますと、外国為替市場とも国家の中央銀行とも無関係で送金がなされたこととなり(もっとも、両替に際しての為替相場としては使用されているかもしれない…)、何らかの‘単一通貨’を想定しないことには、‘3秒送金’は説明できないようにも思えます。

あるいは、受け取り側が香港ドルで受け取り、その後、銀行に出向いてフィリピンペソに両替するのかもしれませんが、使用通貨が不明な理由は、そこに中国の野望が隠されているからかもしれません。同システムは世界展開をも視野に入れて開発されており、香港・フィリピン間の国際送金は、先行的な実験に過ぎません。アリババグループは、既に中国本土でアリペイを運営しており、そのモバイル決済網を全世界に広げています。訪日中国人観光客向けとされながらも、日本国内でもアリペイを使用することができるのです。将来的には、アリペイが築いた世界大のモバイル決済網もアントフィナンシャルのシステムと融合し、ブロックチェーン上での決済が行われることでしょう。

こうしたアリババグループ、否、その背後で世界支配を目指す中国の戦略からしますと、新たな国際送金システムにおける使用通貨は、やがては中国人民元となるのではないでしょうか(もしかしますと、前記の香港・フィリピン間での送金でも人民元が使われたかもしれない…)。乃ち、既存の国際通貨システムにおいてはその信頼性の低さから米ドルの後塵を拝してきた人民元の起死回生のチャンスとして、中国は、自国中心のブロックチェーン技術を用いた国際送金システムを全世界に張り巡らし、将来的には‘人民元圏’という‘仮想単一通貨圏’を構築しようとしているのではないかと推測するのです。

この結果、アリババグループの構築したモバイル金融システムの広がりと連動して、各国ともに自国内に‘人民元通貨圏’が拡がり、既存の金融システムとの二重構造が生じます。日本国内にも、訪日客を除いても日本国籍取得者を合わせれば既に100万人に迫る中国人が居住しており、中国系企業や中国人同士では、既に人民元でのキャッシュレス取引が行われていることでしょう。さらには、日本企業や日本人であっても、取引相手が中国系、あるいは、非中国系でも人民元を保有する法人や個人である場合には、人民元の使用が求められるかもしれません。

‘人民元圏’が成立すれば、そこでは先に触れたように中央銀行も外国為替市場も無力となり、同通貨圏の金融のセンターは中国人民銀行となります。このことは、中国共産党によるコントロールが諸外国にまで及ぶことを意味しており、個人情報も含めて金融取引に関する様々な情報もビックデータとして中国において管理されることでしょう。日本国政府をはじめ各国は、中国の金融支配こそ警戒すべきであり、移民、あるいは、外国人労働者の受け入れ問題についても(中国は送り出し9ヶ国の内の一国…)、この側面からの議論を要するのではないかと思うのです。

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中国の情報・通信支配は世界支配の道具-『1984年』よりも恐ろしい現実

2019年01月20日 13時57分57秒 | 国際政治
アメリカのトランプ政権は、‘スパイ容疑’で中国系情報・通信機器メーカー大手のファウエイ製品の政府調達からの締め出しを決定しました。ファウエイ排除の動きは同盟国の日本国やファイブ・アイズ諸国をはじめ世界規模での広がりを見せており、中国との間で経済的な結びつきが強く、親中派と目されてきたドイツでさえG5関連のインフラ整備から同社製品の排除を検討していると報じられています。

 カナダ当局によるファウエイ副会長兼CEOの孟晩舟氏の逮捕容疑がイラン関連であったことは、‘火のない処に煙は立たぬ’の諺通り、水面下では同社が習近平政権の世界戦略の一翼を担っている実態を炙り出しています。一向に収まる気配のない中国製品に対する警戒感の高まりに危機感を覚えたのか、ファウエイ側も疑惑を払拭すべく防戦に躍起になっております。‘無実’を訴える新聞広告を掲載したり、同社CEO等のインタヴューに応じて進出先国の法令順守を強調したりと、メディアを駆使した‘潔白キャンペーン’を積極的に展開しているのです。しかしながら、こうした‘正面突破’の作戦に打って出たにも拘わらず、この作戦が成功する見込みは薄そうです。

 その理由は、第一に、ファウエイ側が弁明すればするほど、疑惑が深まっているからです。例えば、1月19日付の日経新聞朝刊の記事によれば、インタヴューに応じた同社の創業者の任正非氏は、中国当局への情報提供義務を定めた「国家情報法」に関連して、中国政府や共産党からの情報提供の要請に対してそれを拒絶する旨の発言をしております。「顧客企業の不利益になるような形でデータを提出するよう求められたとしても拒絶する」と。しかしながら、この発言の裏を読みますと、‘弊社は、既に政府や共産党が入手したい顧客企業の情報を得ている’ことを意味しますし、‘不利益にならない形にすれば提供もあり得る’ことを暗に示しています。そして何よりも、‘顧客企業以外の公的機関、並びに、個人の情報であれば当局に提供する’と述べているに等しいのです。この弁明を以って、ファウエイに対する警戒感を解く人は皆無なことでしょう。

 そして、この懸念は、同日に放送されたNHKスペシャル「アメリカvs.中国」によって疑いから確信へと変わります。同番組では中国の情報・通信分野における世界支配の野望を比較的客観的に描いていましたが、その中で、中国のスマホ配車アプリサービス、滴滴出行によるサービス事業の実態が紹介されていました。その舞台は、あろうことか日本国の大阪です。同社はソフトバンクとの合弁で「DiDi モビリティジャパン」を設立し、2018年9月からタクシー配車の営業を開始しています。そして、同事業において収集されたあらゆる情報が北京のデータセンターに送られており、逐次、大画面においてチェックされているのです。タクシーの位置情報に留まらず、利用者の顔情報から車内での会話まで、様々な情報が収集されていることでしょう。

 配車アプリといったプラットフォーム型のビジネスと情報収集が一体化している現実を目の当たりにすれば、誰もが中国製の情報通信機器の携帯や中国企業のサービスの利用に二の足を踏むはずです。そして、オーウェルの『1984年』よりもさらに発展した監視テクノロジーを駆使して国民を完璧に統制する国家が既に実在している恐ろしさを思い知らされるのです。隣国の魔の手が日本国にも及んでいるのですから、日本国への上陸を許した国土交通省をはじめ、中国系情報・通信サービス事業者、並びに、メーカーに対しては、安全保障や個人情報の保護といった公的観点から日本国内での事業許可を見直すべきではないかと思うのです。

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韓国最高裁による‘植民地支配の慰謝料’請求は無理筋

2019年01月19日 15時48分31秒 | 国際政治
賠償の議論「できない」 徴用工問題で新日鉄住金社長
 韓国最高裁判所が下した‘徴用工判決’は、新日鉄住金に対して原告一人当たり凡そ1000万円の賠償を命じたことで、日本国内では落胆と怒りの感情が拡がっています。1965年に難航を極めた交渉の末に日本側の大幅譲歩によって決着を見た日韓請求権協定が、事実上、一方的に反故にされたのですから。

 同判決において、原告一人あたりの賠償額が実際の給与未払い分を越えて凡そ1000万円と算出された理由は、‘違法な植民地支配の慰謝料’が含まれているからなそうです。たとえ戦争末期に日本企業で働いていた朝鮮半島出身者に対する賃金の未払いが発生していたとしても、それは、命じられた賠償額に比べれば微々たるものであったことでしょう。しかしながら、韓国の最高裁判所は、本来の債権債務関係を越えた‘慰謝料’という概念を持ち込み、日韓請求権協定の枠外に‘慰謝料’という別枠の個人請求権を創設したいようです。果たして、この主張に正当性は認められるのでしょうか。

 第一に問題とすべきは、日韓請求権協定の本来の目的が、韓国独立に際しての相互清算である点です。日韓交渉を義務付けたサンフランシスコ講和条約の第4条は、両国における国、並びに、国民間の財産及び請求権の相互清算を定めています。相互清算は、第一次世界大戦後のオーストリア・ハンガリー二重帝国からの東欧諸国の独立に際しての規定を踏襲しており、戦勝国による敗戦国に対する賠償請求を意味していません。あくまでも、独立に際して発生する両国間の財産や請求権に関する問題を解決するための一作業であって、そこには‘慰謝料’という意味合いは含まれていないのです。また、サンフランシスコ講和条約において日本国が残した残置財産の処分権を認めたのは連合国の一員とされた中国のみですので、韓国には、在韓日本財産に対する処分権もありませんでした(もっとも、合衆国軍政府による処分権は認めている…)。なお、韓国の慰謝料要求が通用すれば、アジア・アフリカ諸国を植民地化した西欧諸国は、様々な名目で永遠に旧植民地から‘逆搾取’を受け続けることになるかもしれません。

 第二に指摘すべき点は、財産及び請求権を越えた‘慰謝料’要求は、既に、実質的に日韓請求権協定の経済支援に含まれている点です。日韓請求権協定という簡略化した名称からは、契約等の法的な根拠を有する権利(実体的権利)に関する合意のようなイメージを受けますが、同協定の正式名称は「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」です。同協定は、経済協力を定める第1条と財産・請求権に関する第2条とによる二本立ての構成なのです。その理由は、同協定をめぐる交渉において、李相伴政権時に韓国側が‘植民地支配’を根拠として日本国政府に対して莫大な額の支払いを要求したことによります。この時、日本国政府は韓国側の要求を拒絶したものの、その後、朝鮮戦争をバックとしたアメリカの仲介もあり、結局、多額の経済協力を供与することで妥結します。つまり、この時、既に日本国政府は、‘植民地支配’は認めないものの、アメリカの後押しの下で韓国側に譲歩し、実体的権利を遥かに越えた額を支払っているのです(法的根拠に基づく韓国側の請求額は最大限に見積もっても7000万ドルであったが、経済協力の名目で5億ドルが供与された…)。こうした経緯を踏まえますと、今般の韓国最高裁判所の判決は日本国側に二重払いを要求しているに等しく、今後、この問題が国際司法の法廷で争われることとなれば、両国間の交渉過程や合意事項は議事録等にも記録されていますので、韓国側の主張は否定されることになりましょう。

 第3に、韓国最高裁判所は、2012年5月の判決以来、「違法な植民地支配に基づく強制動員については、日韓請求権協定によっても徴用工個人の請求権は消滅しておらず、大韓民国の外交的保護権も放棄されていない」とする立場を示しています。この問題は日本国の朝鮮半島統治の実態に関わりますが、韓国併合は条約に基づくものであって、同君連合の形態に近い合法的な合邦でした。企業合併にも、経営難に陥った企業を救う形での吸収合併の形態が存在し、また、しばしば国家レベルでも、政府が、財政基盤が盤石な自治体による脆弱な自治体の合併を奨励することがあります。当時の韓国の財政状況を考えますと、日本国による韓国併合は搾取型の植民地支配ではなく、財政移転や投資の方向性や収支を基準として判断すれば、救済型の合併として理解され得ます。

 第3点に関連して第4に指摘すべきは、日韓請求権協定の議事録では、‘全ての’請求権が対象となる点において両国間で合意が成立していることです(議事録2(a))。2018年の判決における原告は、国家総動員法に基づく徴用工でもないそうですが、徴用の事実の有無にかかわらず、同合意に基づけば、その請求権は解決済みとなるはずです(植民地支配が根拠であるならば、日本国の民間企業に‘慰謝料’を求めるのも筋違い…)。また、韓国の外交的保護権も放棄されていないのであれば、韓国政府こそ、この問題の矢面に立つべきです。言い換えますと、韓国最高裁判所の立場に従えば、韓国政府は、日本国政府に対して植民地支配の慰謝料を求めて日韓請求権協定の破棄と再交渉を申し出るのが筋と言うことになりましょう。その際には、日本国に対し、過去に受け取った経済協力の供与金を全額返済する必要があります。

 そして、第5点として挙げられるのは、韓国側は、日本国側にも財産及び請求権が存在している事実を無視している点です。日韓請求権協定の付属する第二議定書では、ひと先ずは、1961年4月22日の交換文書で合意された日本国側の債権について、韓国側の日本国への支払いが定められていますが(債権の総額は凡そ4600万ドルですが、インフラ等の投資残高が含まれるのか、そして、実際に返済、あるいは、経済協力費から差し引かれたのかは不明…)、仮に韓国最高裁判所の論理が通用するのであれば、日本国側も、協定外の個人請求として莫大な対韓請求が可能となります。何故ならば、韓国国民の違法行為から生じた日本国民の損害が甚大であるからです。特に朝鮮半島からの引き上げ時にあって、日本国民の多くが犯罪被害者となる一方で、日本国内でも、朝鮮半島出身者による駅前一等地の不法占拠や日本人虐殺などの事件が頻発しました。人道問題や違法性を以って協定枠外の請求権を正当化できるならば、日本国側もまた、同様の論理を以って韓国に対抗することができます。

 細かな点を含めればこれらの他にも問題点はあるのですが、韓国側の対日姿勢は、もはや協定どころか理性の枠までをも超えているかのようです。韓国政府並びに最高裁判所の支離滅裂な論理が韓国固有の自己中心性に基づくとしますと、日本国政府は、公平・中立な第三者(国際司法機関等…)による判断に委ねる方法での解決に努めるべきではないかと思うのです。

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AIが人類を二極化する?-’AI新人類’と’AI旧人類’の問題

2019年01月18日 14時58分01秒 | 社会
 AIの目覚ましい‘進化’によって、AI技術が人類に‘進化’への新たな道を開く可能性が指摘されるようになりました。実際に、人類の進化とリンケージしたテクノロジーの研究開発はなされており、AIを搭載した補助器具を装備することで、人の特定の能力が向上するそうです。AIの行く先には、AIの助けを借りて‘進化’した‘AI新人類’とAIに知的作業を全面的に依存することで退化してしまった‘AI旧人類’へと二極化することも予測されるのですが、果たして、‘AI新人類’の誕生は許されるのでしょうか。

 正直に述べれば、先端技術を用いるならば、AIを利用するよりも、人為的に遺伝子操作を施す方が余程‘進化’への早道なはずです。しかしながら、人に対する遺伝子操作は倫理上の問題があるとして、如何なる国でも原則としてこの種の研究は禁止されています。人をも物質に過ぎないとする唯物主義の国である中国でさえ、遺伝子改変技術によってHIVウィルスへの感染率を低めた双子の女児を出生させた研究者が当局から軟禁されたそうです。言い換えますと、人の生命に関わる技術については、倫理に反するとして厳しい制限が課せられているのです。

 遺伝子操作を基準としますと、AIによる‘進化’もまた、人為的に人の能力を改変するわけですから倫理上の問題も提起されるはずです。そしてそれは、人種差別や民族差別といった従来の差別ではなく、テクノロジーへのアクセス可能性による新たな差別を生み出しかねないのです。何故ならば、AIによって‘進化’し得るのは、同技術を使用し得る少数の人々に限られており、全人類ではないからです。

しばしば、憲法は、人種、民族、宗教、門地等の関する差別は原則として禁止しながら、能力における差別は許容していると言われています。確かに、世の中には様々な職業がありますので、能力における個人間の差、あるいは、適性の違いを認めないことには、人類社会は即座に崩壊してしまいます。その一方で、こうした能力差がAIによって人為的にもたらされ、それが、知的能力において人類の間に越えがたい優劣の一線を画してしまうならば、それは、今日の民主主義体制をも脅かす脅威となるかもしれません。AIによって超人化した‘AI新人類’が、劣った存在である‘AI旧人類’を支配しかねないからです。つまり、国民間の平等を前提として設計された現行の民主主義体制は‘AI新人類’による少数者支配への移行し、その他大勢となった‘AI旧人類’は、愚民の群れの如くに扱われかねないのです。

これまで、人類社会の歴史は、平等に基礎を置く民主主義の具現化を以ってその進化のプロセスとして理解されてきました。ところが、AIの登場は、この人類社会の進化のプロセスを反転させ、少数者支配を是認しかねないのです。たとえAIが人類の一部を‘進化’させたとしても、これを人類社会全体の進化と見なしてもよいのでしょうか。AIによって人類が‘AI新人類’と‘AI旧人類’に二極化し、それが人類の多数を絶望へと突き落とし、‘少数者が多数を支配する体制’を帰結するのであるならば、こうした研究についても、遺伝子操作ベビーの問題以上に倫理的な議論があって然るべきではないかと思うのです。

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韓国の‘道徳観’は逆さま?-利己=‘善’の思考では?

2019年01月17日 16時57分05秒 | 国際政治
半数近く「強い対応」要求=対日姿勢で韓国世論調査
 韓国海軍の軍艦「広開土大王」による自衛隊哨戒機に対するレーダー照射事件は、日韓関係に決定的な決裂をもたらす結果となったようです。早期解決を目指して設置された両国防衛当局による協議の内容を、非公開の申し合わせを破って韓国側が一方的に公表したのですから。しかも、協議の内容の一部を捻じ曲げてまでして。

 嘘に嘘を重ね、しかも、罪や責任を相手方に擦り付けようとする韓国の態度は、誰から見ても道徳に反する悪しき行為なはずです。ところが、最近、こうした韓国の悪行に対して奇妙な擁護論があることに気が付きました。それは、韓国人は、国民気質として善悪の区別に厳しく、‘道徳的な正しさ’に強く拘る故に日本国を徹底的に叩いている、というものです。この説、韓国人の反道徳的行為を韓国人の道徳心を以って正当化しているようにも聞こえますので、極めて矛盾に満ちた擁護論です。

 韓国では、国民の多くが自らを道徳心の高い民族とみなしており、それを誇りにしているとも言われています(仮にその通りであれば、ライダイハン問題などは起きないはずでは…)。韓国の悪行の数々を見せつけられてきた一般の日本国民からしますと、この自己認識、噴飯ものであるかもしれません。そこで、ここでまず考えるべきは、‘朝鮮半島の人々にとっての道徳とは何か’と言う問題です。

韓国の人々の頭の中では、‘日本国は、戦前に朝鮮半島を統治した際に韓国人に酷いことをした。だから、日本国は絶対悪であり、悪者に対しては何をしても良い’という構図が出来上がっているそうです。実際に、現存する客観的な資料が日本国からの財政移転や民間投資によって朝鮮半島が近代化した面があることを示すにも拘わらず、韓国人は事実の受け入れを拒み、日本国絶対悪論を振りかざして日本国を断罪し続けています。虚偽に基づく断罪自体が誣告という罪なのですが、先ずもって、韓国の人々には、誣告が反道徳的な行為であるとする認識が欠如しているようです。かのハンムラビ法典の第一条にも誣告の罪が設けられ、『モーゼの十戒』でも誣告が禁止されておりますように、誣告は、古来、社会的に罰すべき罪とされてきました。無実の他者を罪人に仕立てる行為の罪深さに思い至らないとしますと、韓国の人々が高い道徳心を備えているとは決して言えないはずです。

また、仮に罪があったとしても、過去の罪を根拠として、その行為者やその子孫に対して裁判も通さずに無制限に危害や損害を加えることも道徳に反しています。レーダー照射事件と日本国による朝鮮半島統治は全く別次元の問題ですが、韓国の人々は、自らを被害国の立場に固定化する日本国絶対悪論に寄りかかり、嘘八百を並べてでも日本国=悪の構図を造りだそうとしているのです。韓国の人々は、被害国は永遠なる絶対善と信じ、絶対悪とみなした国に対する如何なる反道徳的な行為も、全てこの論法で正当化できると考えているかのようなのです。しかしながら、こうした考え方は、人の普遍的な理性にも、近代刑法の原則にも反しており、他者に一方的に害を与えるという意味において悪としか言いようがないのです。

以上から、韓国の人々の道徳観が一般的なそれとは違っている可能性が見えてきたのですが、それでは、韓国人の道徳に関する思考様式は、どのように理解されるべきなのでしょうか。もしかしますと、‘善’とは自らにとって都合がよい、あるいは、利益になることを意味し、‘悪’とは、その反対に、自らにとって都合が悪い、あるいは、不利益になることを意味するに過ぎないのかもしれません。言い換えますと、韓国の人々の善悪の区別とは、自他の区別とほぼ同義であり、主観的な利己心こそ、最も重要な善悪の区別の基準となっているらしいのです。

このように考えますと、韓国は、‘道徳’ではなく、‘利己心’に照らして日本国を糾弾しているのであって、‘道徳心’の高さを根拠とする韓国擁護論を鵜呑みにする前に、韓国にとっての‘道徳’とは何か、をきちんと理解する必要があるようです(この点は、北朝鮮も同様…)。道徳とは、本来、利己心とは対極にあり、全ての人々の権利や利益を考慮するところから始まりますので、主観的で一方的な‘道徳観’は、一般的な用語として道徳と矛盾します。先に指摘した道徳心を以って反道徳的行為を説明する擁護論の矛盾とは、まさに、この矛盾と一致し、両者の違いを認識すればこの矛盾も氷解するのです。

グローバル時代の到来とともに、相互理解の重要性が叫ばれることとなりましたが、社会一般の人間関係がそうあるように、相手を理解することは、必ずしも友好が深まる結果をもたらすわけではありません。日本国政府は、両国の違いを十分に理解した上で対韓政策を練り直しませんと、‘泥沼’どころか‘底なし沼’となり、日本国は‘道徳’の名の下で永遠に韓国から危害や損害を加えられる立場に陥りかねないと懸念するのです。

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