万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アメリカの不正選挙問題と地球温暖化問題の共通点

2020年12月31日 11時34分46秒 | 国際政治

 今般のアメリカ大統領選挙は、遂に不正選挙問題が明るみにされた点において、歴史の転換点ともなり得る程のインパクトがあります。実のところ、過去にも不正選挙がなかったわけではないそうなのですが、今回の選挙では、中国、並びに、‘ディープ・ステート’と称されてきた陰謀組織の存在までが不正シンジケートとして取沙汰されています。そして、おそらく二千年を越えて歴史の裏舞台で暗躍してきた裏組織が、陰謀論の域を越えて表舞台に浮かび上がってきたからこそ、今日、人類は、歴史の転換点に直面しているとも言えましょう。

 

 そして、この裏組織が操ってきたのは、アメリカの大統領選挙のみではないのでしょう。不正手段として指摘されているドミニオン社やスマートマティック社等の電子投票・開票機器は、アメリカの州のみならず、他の諸国でも採用されています(フランスでも採用されているとの指摘もあり、日本国でも確認すべきでは…)。また、こうした電子機器はサイバー攻撃に対して脆弱であり、外部勢力によって得票数が改竄される可能性があります。自由主義国家と雖も、それが誇る民主的制度は既に外部勢力によって侵食されており、一般の国民は参政権を簒奪された状態にあるのかもしれないのです。国民主権の原則に照らしますと、それは、主権の喪失さえ意味しかねない重大な危機なのです。

 

 加えて、今般の不正選挙問題において多くの人々が認識するに至ったのは、裏組織の存在のみではありません。同組織がこれまで多用してきた手法もまた、全世界に知れ渡ることとなりました。それは、凡そ全てのマスメディアを動員した形での特定方向に向けたキャンペーンと既成事実化です。この手法の中には、世論の支持を演出したり、同調圧力を醸し出すための世論調査の捏造、そして、世論を誘導するためのフェイクニューズも含まれています。今般のアメリカ大統領選挙にあって、CNN等の大手メディアがあまりにも露骨に同手法を用いたために、これまでメディアが発信する情報を鵜呑みにしてきた視聴者の多くも、それが、詐術的な手法であることに気が付いてしまったのです。

 

 そして、第三として挙げるべき明らかとなった点は、同組織の目的です。米民主党の目指すのは、全ての人種、民族、宗教等がミックスされ、境界性を失った雑多で混沌とした世界であり、犯罪やドラッグなどにも寛容な、いわば世界全体の‘スラム化’なのでしょう。そして、自立心や自尊心を喪失した大半の人類は、先端的なITやAIによって管理される家畜的な存在でしかなく、その頭上には、同組織のトップ、あるいは、財閥の当主達が君臨しているのでしょう(現在の中国共産党政権下の中国が、同組織の実験場なのかもしれない…)。

 

同組織によって建国された多くの共産・社会主義国が辿ったような悲惨な社会の実現を密かに目的としている同組織は、双頭作戦の下で右翼側も操っており、偽旗作戦によって、多くの保守系の政党も、同組織の強い影響下にあるようです(日本国の自民党やドイツのCDU?)。すなわち、左側からであれ、右側からであれ、目指す目的は、全世界の支配と人類の家畜化なのかもしれないのです。それ故に、中間層は、同組織にとりましては破壊すべき‘邪魔者’、‘目の敵’なのでしょう。

 

以上に述べましたように、アメリカ大統領選挙は、裏組織の悪事を暴くこととなったのですが、この事態を受けて人々が考えるべきは、同計画に対する対処法です。相手の存在、手段、並びに目的が分かったのですから、先ずは、安易に騙されないことが肝要となりましょう。そして、地球温暖化問題もまた、これらの諸点からしますと大いに警戒すべきはないかと思うのです。何故ならば、同政策を推進している組織こそ、まさに不正問題の渦中にある裏組織のフロントですし、マスメディが既定路線化を図りつつも、その行き着く先は、既存の経済や社会の混乱や破壊でしかないかもしれないからです。

 

世の中には、決して見過ごしてはならない不正というものはあるものです。人々から自由や権利が失われ、将来にわたって悪が蔓延り、かつ、救いのない体制の中で生きなければならなくなるかもしれないのですから。たとえそれが権威をも纏った巨悪であっても、あらゆる不正に果敢に立ち向かってこそ、善き未来が訪れるのではないかと思うのです。

 

本年は、拙き記事を書き連ねたブログでありながら、『万国時事周覧』にご訪問くださりまして、誠にありがとうございました。皆さまがたが良いお年を健やかにお迎えなされますよう、心よりお祈り申し上げます。


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菅政権のNHK改革の真の目的は?

2020年12月30日 13時13分11秒 | 日本政治

 菅政権発足当初、携帯料金の値下げと並んで国民受けの良い政策として打ち出したのが、NHK改革でした。しかしながら、同政策については、携帯料金の値下げほどにの熱意は見られず、どこか、有耶無耶にされそうな気配が漂っています。

 

 NHKは、公共放送として特別の地位が与えられ、広告料に頼る他の民放各社とは異なり、受信料強制徴収システムによって運営されています。ところが、この受信料、今年10月にわずかに値下げされたといえ、年間地上契約で凡そ14000円、衛生契約で24000円ほどのままです。一律料金であるため、所得が低いほどに家計の負担が重くなります。それでも、NHKの放送が国民の生活に必要不可欠であり、しかも、無駄なく運営されているのであれば、国民も納得するのでしょう。しかしながら、現実は、野放図な事業拡大、政治的偏向、フェイクニュースの報道、芸能プロダクション並びに特定の利益団体との癒着も目立ち、NHKに対する国民の不満が鬱積することとなったのです。

 

 「NHKから国民を守る党」が登場しても然程まで違和感がなかったのも、こうした国民の不満が広がっていたからであり、ネット上では、事あるごとにNHKは批判の対象となってきました。そうであるからこそ、発足間もない菅首相がNHK改革を掲げたのも、自らの内閣に対する支持率をアップさせるための‘アメ’であると理解されたのです。しかしながら、最近に至り、菅内閣の真の目的は別のところにあるようにも思えてきました。

 

 このような疑いが湧いたのは、先日、NHKが菅首相の動向を報じたニュースを見た時のことです。正午のニュースの時間であったと記憶していますが、NHKは、菅首相が都内のデパートで開催されていた報道写真展を訪問したとするニュースを報じていました。そして、同ニュースのアナウンサーの口調が、あたかも中国の習近平国家主席、あるいは、北朝鮮の金正恩委員長の動静を伝える国営放送を思い起こさせるほど、どこか‘首相よいしょ’なのです。もちろん、訪問先が報道写真展ですので、メディアの一社としてNHKも関心を寄せたのかもしれませんが、NHKが懸命に菅首相に媚びているようにも見えたのです。

 

 この頃から、NHK改革に対する菅政権の姿勢が後退しはじめたようにも思えます。もしかしますと、菅首相が掲げたNHK改革とは、国民の不満に応えるためのものではなく、NHKを懐柔するための政治的脅迫手段であったのかもしれません。‘同政権に好意的な報道に徹し、菅首相のイメージアップに協力しなければ、NHKは解体するぞ’という…。

 

仮に真の狙いが政府によるNHKのコントロールであるならば、民意が無視されるばかりか、政府による情報統制が強化され、また一歩、全体主義体制に近づくこととなりましょう。もっとも、その目指す方向性は、中国や北朝鮮のような‘自民族礼賛型’ではなく、その逆のリベラル・グローバリズム型なのかもしれません。因みに、イギリスのBBCは、大英帝国の歴史を背負っているためか、すっかり‘リベラル・グローバル放送局化’しています。イギリスの公共放送とはいえ、アナウンサーの大多数がアジアやアフリカ系、あるいは、コーカサイド系であっても移民系であり、伝統的な‘イギリスらしさ’は殆ど失われているのです。

 

菅政権も、そのバックには共産主義勢力をも包摂するリベラル・グローバリズム勢力の影が見え隠れしておりますので、NHK改革の最終目標は、同局の‘中国電視台化’かもしれませんし、あるいは、‘BBC化’なのかもしれません。近未来のディストピアを描いた『1984年』の著者であるジョージ・オーウェルが、イギリス人であったことも気になるところです。何れにしましても、国民は、菅政権によるNHK改革の本気度、そして、その方向性(真の目的)について、注意深くウォッチしてゆくべきではないかと思うのです。


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現代に蘇るチンギス・ハーンの恐怖

2020年12月29日 11時58分54秒 | 国際政治

 本日のネット上のニュースで目を引いたのは、‘バラク・オバマ「私はドナルド・トランプよりチンギス・ハーンに敬意を抱いている」’というタイトルの記事です。何故ならば、中国の軍事大国としての台頭、並びに、グローバル金融財閥組織の暗躍を前にして、現代という時代にあって‘チンギス・ハーン’が蘇る兆候が散見されるからです。

 

 同記事は、日本国内ではCourrier Japonが報じていますが、元となる記事はアメリカの「アトランティック」誌がインタヴュー記事として掲載したもののようです。何れにしましても、オバマ氏の世界観や価値観が語られているのですが、同氏がチンギス・ハーンに敬意を抱いているとしますと、それは、先述した‘モンゴル帝国復活’の兆しを裏付けるように感じたからです。

 

 同記事の冒頭には、「与えられた選択肢は二つでした。『いま門を開くなら、男たちはすぐに殺すが、女子供の命は助けてやる。ただし女は連れ去り、子供は奴隷にする。一方、抵抗するなら、お前たちは油でじっくり釜茹でにされ、皮を剥がされることになる』」という、チンギス・カーンの戦法を紹介しています。征服の対象とした諸国に対して選択の自由を認めてはいても、どちらを選択しても最悪という、最も残酷極まりない戦法です。男性はどちらを選択しても命を奪われますし、女性や子供も、命はあっても奴隷としての一生が待っています。元寇に関しては、日本国内では、平和的な通商を求めてきた元からの使者を問答無用で切った‘時の鎌倉幕府の対応が悪い’とする説もありますが、モンゴル式の二者択一の手法を見る限り、たとえモンゴルの要求に応じたとしても、やがては日本国もモンゴルの支配下に置かれたことでしょう。こうした相手に選ばせて残虐行為の口実を得る二者択一の悪しき手法、日本国の与野党の選択のように、今日においてもしばしば散見されます。

 

もっとも、オバマ氏は、モンゴルの手法自体は残虐で非人道的と見なしているようですが、一般的な感覚からすれば、この言葉を聞いただけで、チンギス・ハーンという人物に嫌悪感を抱くことでしょう。それでもなおも同氏がチンギス・ハーンに敬意を抱くのは、モンゴル帝国が、人種、民族、宗教を包摂した大帝国であった点にあるようです。しかしながら、この点に関しましても、同氏の認識には全く以って賛同しかねます。そもそも武力を以って異民族を征服する限り多民族国家とならざるを得ないのは当然のことですし、モンゴル帝国では、必ずしも全ての人々が平等ではありませんでした。厳格な位階秩序が設けられており、最上位に極少数のモンゴル人が君臨する一方で、その下にユダヤ人やイスラム教徒といった色目人が、そして最下層には南宋の漢人たちが置かれたのです。差別が制度化されていたモンゴル帝国の真実に目を向けますと、オバマ氏は、アメリカにおける黒人差別を批判できなくなりましょう。

 

あるいは、オバマ氏がネット上でも指摘されているように、世界支配を目論む闇組織の一員であるならば、モンゴル帝国の実態を知りながらそれを理想と見なしているのかもしれません。何故ならば、少人数ながら最上位にあって世界を支配するのは中国共産党幹部を含む同組織のメンバーであり、色目人に当たるのがグローバル企業のCEO等の経済産業人であり(ユダヤ系が多数…)、その他の諸民族の人々はまとめて最下層ということになるからです。そして、チンギス・ハーンが、ユダヤ商人やイスラム商人の手を借りてアフリカの黒人ではなく征服地の白人住民を奴隷として売り払ったことも、オバマ氏がチンギス・ハーンを評価する理由なのかもしれません(今日のBLM運動の目的は、オバマ政権が行った極端な黒人優遇策によって高まった白人層側の黒人側に対する抵抗・反発を抑え込むことにあるのでは?)。因みに、ロシアでは、歴史的にユダヤ人は差別されてきたものの、レーニンがモンゴル人の血を引いていたように、モンゴル人は、征服者としてロシア社会の上層部を形成してきました。

 

にもかかわらず、昨今、オバマ氏のみならず、チンギス・ハーンを世界帝国を建設した偉大なる英雄、「蒼き狼」として礼賛する向きもないわけではありません。しかしながら、この高評価は、国際法を一顧だにせず、一方的領土拡張を許すような前近代的思想の持主に限定されたものであり、今日では、チンギス・ハーンは、モンゴルや帝国礼賛者以外の人々にとりましては、世界史上最大の大虐殺を伴う征服を実行した侵略者以外の何者でもありません。今日、このような極悪・残忍なチンギス・ハーンを評価する人々が存在していること自体が驚きなのですが、どのような意味にではあれ、オバマ前大統領がチンギス・ハーンに敬意を払っているとしますと、それは、今日という時代にはそぐわないと言えましょう。そして、‘目的のためには手段を択ばず’にも通じるような同氏の危うい独善的な世界観、政治手法にこそ、中国共産党政権の侵略的体質、そして、米民主党の不正行為の根底に潜んでいるのではないかと思うのです。


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デジタル庁は中国による日本支配のツール?―平井大臣のファウェイ問題

2020年12月28日 12時30分05秒 | 国際政治

 菅政権は、発足と同時に行政のデジタル化を政権の基本方針に据え、デジタル庁の新設を打ち出しました。国民に対しては、諸外国との比較から日本国の行政における遅れを指摘し、早急にデジタル化を実現すべきと訴えたのですが、デジタル化が国民の情報収集を伴う点を考慮しますと、菅政権のデジタル化を急ぐ姿勢の背景には、国民への説明とは全く違う‘目的’が隠されているのかもしれません。

 

 この疑惑を深めたのが、昨日、12月27日に俄かにネット上において騒ぎを起こすこととなった平井卓也デジタル改革担当大臣に関するウィキペディアの情報です。同日付のウィキペディアにおいて、同大臣は「Huaweiファン、Huaweiシステムを高く評価、デジタル庁に導入したい」と語ったと記されていたからです。ファウェイと言えば、同社製品にバックドアが仕組まれているとして、アメリカをはじめ、各国がG5分野における政府調達から排除する方針にあります。政治家である平井大臣が、ファイウェイ排除の流れを知らないはずもありません。

 

おそらく、デジタル庁でもG5を導入する予定なのでしょうから、仮に、日本国政府がファウェイ製品を自国のデジタル化に際して採用するとすれば、日本国は、アメリカを中心とした自由主義・反中国連合から離脱することを意味しますし、日本国の国家・国民に関する全情報を中国に提供するようなものです。そして日本国民の圧倒的多数が反中派ですので、平井大臣は、国民ではなく、中国に向けて自らをアピールしたこととなりましょう(民主主義国家では本来あり得ない…)。正気の沙汰とも思えないのですが、仮に菅政権が、中国、あるいは、その背後に隠れている国際組織(秘密結社)によって擁立された政権であるならば、デジタル化の真の狙いは、情報の掌握による日本国支配の確立ということになりましょう。アメリカの大統領選挙を見ますと、日本国における首相選出の過程における外国からの干渉もあり得ないことではありません。

 

 もっとも、本日12月28日のウィキペディアのページを見ますと、ファウェイ関連の記述はありません。この点からしますと、上述した情報は、中国側のサイバー攻撃によるフェイクニュースの可能性もないわけではありません。ファウェイ復活のチャンスを狙う中国側には、その導火線を引くために平井大臣を親中派と見せかける動機があるからです。その一方で、ウィキペディアの記述が高等戦術であれば、ファウェイの復権、中国による世界のデジタル支配、あるいは、‘日本征服計画’を阻止するために、反中勢力が敢えて平井大臣が親中派であることをリークしたとも推測されます。国際勢力が絡んでいないとすれば、平井大臣に親中派のレッテルを貼ることで、背後には、同氏を失脚させようとする動きが潜んでいるのかもしれません。

 

最終更新日が12月27日となっており、この日付からしますとネット上での騒ぎに気が付き、既に削除されてしまったのかもしれません。何れにいたしましても、デジタル庁、否、日本国政府のデジタル分野における全ての調達において中国製品が採用されることは、国民の大多数が反対するのではないでしょうか。そして、渦中にある平井議員自身も、売国行為の疑いをかけられているのですから、国民に対して正直に真相を話し、誠実に説明責任を果たすべきではないかと思うのです。


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中国の国防法改正は国際法違反

2020年12月27日 13時03分26秒 | 国際政治

 中国は、今般、11年ぶりに国防法を改正し、2021年1月1日から施行するそうです。既に習近平国家主席による署名も全国人民代表会議における可決承認の手続きも済ませており、そのスピード感には驚かされます。そして、同法の改正において何よりも驚愕させられるのは、そのあまりにも酷過ぎる内容です。

 

 同法の改正にあって特に注目すべきは、‘発展的利益’という表現の出現です。これまで同国が人民解放軍の軍事行動の対象としてきたのは主として国家主権、並びに、領域でした。しばしば‘核心的利益’という言葉も用いられては来ましたが、その言葉が曖昧な故に、明確に侵略を意味すると断定するには至っていなかったのです。しかしながら、今般の改正案には、従来にはない‘発展的利益’という言葉の使用によって、同国の侵略性が明示されています。‘発展’という言葉には、拡張主義的な意味合いが含まれているからです。

 

 軍事的な領域において‘発展的利益’という表現が使われた場合、それは、文字通り、他国に対する侵略を意味してしまいます。習主席が掲げる‘中国の夢’が、前近代における華夷秩序の復活であり、中国を中心とした広域的な‘大中華帝国’の建設、即ち、世界支配であるならば、この目的を達成するためには軍事力の行使も厭わないと宣言しているに等しいのです。

 

一方、国連憲章第51条にあって加盟国に対して軍事力の行使を認めているのは、個別的であれ、集団的であれ、自衛権のみです。他国の攻撃から国家主権、領域、並びに、国民を護るための正当防衛権としての軍事力の発動は許されますが、‘発展的利益’という名の拡張主義的行動のために武力を行使することは、国際法上の違法行為なのです。平然と国内法に侵略容認の法文を書き込む中国の行為は、それが具体的な侵略行為を伴わない段階であるとはいえ、国際社会にあって決して看過できない蛮行とも言えましょう。すなわち、常任理事国でありながら、国連憲章に違反しているのです。

 

しかも、中国は、同法が定める‘発展的利益条項’を、軍事面のみならず、政治や経済を含むあらゆる分野に対しても適用しようとすることでしょう。例えば、中国の経済発展を阻害するような他国のあらゆる行為に対しても、国内法に依拠して軍事力が行使されることとなります。今般の改正が、対中経済制裁を科しているアメリカを牽制する狙いがあるとする説明も、こうした事態を想定してのことなのでしょう。つまり、同法の改正により、中国は、アメリカの対中制裁措置を解除するように迫っているとも解されるのです。このことは、同法の改正により、米中開戦の可能性が格段に高まったことを意味します。アメリカが、対中政策を撤回しない場合、中国が、同法に基づいて一方的に戦争を仕掛けるかもしれないのですから。少なくとも、その方向への布石が打たれたとは言えましょう。

 

日本国もまた、同法が定めた‘発展的利益’がもたらす脅威から逃れることは困難です。例えば、一帯一路構想への日本国の不参加が‘発展的利益’を害したと中国によって主観的に判断された場合、人民解放軍による軍事行動の対象ともなりかねません。あるいは、民間レベルにあっても、日本企業が中国市場からの撤退を試みようとした場合、中国の経済発展を損ねるとして、人民解放軍が日本企業の製造拠点といった現地資産を差し置さえたり、有無も言わさずに接収しようとする事態も想定されます。武力による威嚇は、国際法上の違法行為であるにもかかわらず、国際法秩序から事実上、‘脱退’した中国は、暴力によって他国を公然と支配しようとするかもしれないのです。

 

日本国の菅政権は、海外からの渡航禁止措置について、中国と韓国からのビジネス客だけは除外する方針とも報じられております。昨今、二階幹事長や公明党をバックとする菅政権の親中姿勢からしますと、日本国の行く先が案じられます。日本国を含む国際社会は、先ずもって国際法違反を構成する‘発展的利益条項’の削除を求めるべきですし、中国が振りかざしている暴力主義には断固として屈しない姿勢を示すことこそ重要です。そして、国際社会が知恵を絞り、賢明なる方法に以って中国の軍事力を削ぐべきなのではないでしょうか。むしろ、アメリカのみならず中国以外の全ての国家が協力し、中国との関係を断絶した方が、余程、人類が希求する平和的な解決となるのではないかと思うのです。


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変質するヨーロッパに注意を

2020年12月26日 11時47分06秒 | 国際政治

地球環境問題の発祥地は、ヨーロッパと言っても過言ではないかもしれません。同地こそ、最も熱心に環境問題に取り組んできた歴史があります。そして、この地が近代という時代の源流であり、かつ、先進国が集まる地であったからこそ、日本国もまた、今なお同地を見習うべきモデルとして仰ぎ見ているのかもしれません。実際に、菅首相による温暖化ガス実質ゼロ目標の公表も、ドイツやイギリスといった世界に先駆けて脱炭素化を進めてきた諸国に追随したためとされています。

 

 しかしながら、民主主義、自由、法の支配といった人類普遍とされる諸価値を原則として掲げ、かつ、制度化してきたヨーロッパ諸国の変質についても、注意深く観察すべき時期に至っているように思えます。その理由は、冷戦の終焉は、必ずしも旧社会・共産主義国の民主化、並びに、自由化を意味せず、むしろ、グローバリストとの結託により、自由主義国の社会・共産主義化をもたらしている可能性が伺えるからです。

 

EUを見ましても、冷戦崩壊後における中・東欧諸国の大量加盟により、EUの機構内にあって社会・共産主義体質を引き摺る官僚主義が蔓延るようになると共に、加盟国に対する姿勢を見ても、どこか強引さが目立つようにもなりました。イギリスのEU離脱も加盟国の国境管理権にまでEUが踏み込んだことによりますが、EUとは、そもそもその性質からして保守主義とは馴染みませんので、EUの政策権限の拡大は、‘上’から加盟国に変革し得るという点において、グローバリストと社会・共産主義にとりましては好都合であったのでしょう。

 

そして、ドイツを見ましても、保守政党であるCDUの党首ではあれ、メルケル首相が保守主義者とは到底思えません。同首相は、冷戦崩壊後にあって最初の東ドイツ出身の首相なのですが、それは、同首相が、東ドイツ側に設立されていたCDUの党員であり、東西再統一の立役者ともなったコール首相に取り立てられたからです(もっとも、後に離反…)。生い立ちなどをからしましても、社会・共産主義時代の教育を受けて育ったのですから、そのマイナス面について熟知しながらも、社会主義思想が、否が応でも政治感覚として染みついている可能性も否定はできないのです。実際に、メルケル首相の基本的な政策方針は、シリア難民に端を発した移民受け入れ政策、今般の脱炭素社会への傾斜、あるいは、中国との比較的良好な関係からしましても、リベラル派と言っても過言ではありません(デジタル化もその一環かもしれない…)。アメリカ民主党のオバマ前大統領との親交も厚く、リベラル派との間に人脈があります。保守を表看板としながら、実態がリベラルである点は、日本国の自民党とも類似しているかもしれません。菅首相も、アメリカの大統領選挙に際しては、投票結果のみに反応し、メルケル首相と共に真っ先にバイデン氏に祝意を伝えておりました。

 

今日のヨーロッパとは、近代に至って全世界的に政治的な対立構図を成してきた資本主義対共産主義の行き着く先が、結局は、両者が一体化した全体主義体制であったことを示しているように思えます(‘二頭作戦’…)。否、もとより、共産党とは、所謂‘資本家(特定の金融財閥グループ)’が支援して育てた政治勢力であって、最初から‘プロレタリアート’とは、‘資本家’によって創られたイメージ、幻影に過ぎなかったのかもしれません(現実の社会は、資本家と無産階級のみによって構成されているわけではなく、様々な職種の人々によって成り立っている)。つまり、今日、二度の世界大戦や共産革命を含め、近代の歴史を裏から操り、巧妙に演出してきた勢力の正体、並びに、その勢力が目指す‘理想的世界像’が明らかになりつつあるとも言えましょう(ジョージ・オーウェルが、『1984年』において、一般市民の全体主義化と貧困化をあますところなく描いたように、人類にとりましては、ディストピア…)。

 

この点に注目しますと、日本国が、今なおもヨーロッパ諸国を先行モデルと見なし、その政策を徒に後追いしますと、自らをも全体主義化、最貧国化させる結果を招くかもしれません。日本国は、ヨーロッパ諸国にあって失われつつある自由、民主主義、法の支配等と経済的繁栄を護り抜き、これらをより具体化し得るような独自のモデルを模索すべきではないかと思うのです。


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地球温暖化革命?―‘理想’の破壊力に注意を

2020年12月25日 12時42分29秒 | 国際政治

地球温暖化問題には、‘地球温暖化詐欺’という疑惑が、影の如くに常に付きまとっています。この芳しくない表現は、地球温暖化の原因が未だに科学的に証明されていないことに由来します。むしろ、政治的、あるいは、経済的な理由から、地球温暖化二酸化炭素説が‘定説化’されている嫌いがあるからです。その一方で、温暖化を防止して‘地球を救おう’という分かりやすいアピールは、一般の人々からは好感を持たれやすく、多くの人々が、人類は、手を取り合って地球温暖化防止に取り組まなければならないと信じるようになったのです。

 

 とりわけ先進国が密集するヨーロッパにおいては、真っ先に温暖化ガス排出量ゼロ目標が掲げられ、日本国の菅政権も、‘バスに乗り遅れるな’方式で同潮流に加わることとなりました。しかしながら、地球温暖化の領域にあって最もそれを推進してきたのがリベラル派であった点を考慮しますと、今日の全世界的な潮流には不安が過ります。何故ならば、理想とは、現実の悪しき状況を改善する方向に作用する一方で、人類史を振り返りますと、しばしば、既存の社会を壊してしまう破壊力ともなってきたからです。

 

 現代史を見ましても、共産主義革命はその事例に数えることができます。共産主義者は、‘差別や搾取なき人民による平等社会の建設’といった、大衆が理解しやすいような言葉で理想を語り、人々を暴力に駆り立てて既存の社会を問答無用で覆してきました。しかしながら、暴力革命にあって多くの罪なき人々の命が奪われると共に、革命後の共産主義国家が、人々に描いて見せた理想とは真逆であったことは誰もが認めるところです。そもそも、‘教祖’であるカール・マルクスは、国家は消滅すると予測しているぐらいですから、明確な国家ヴィジョンやそれに至る具体的な道筋を示すこともなく革命のみが遂行されたのです。

 

 そして、今日の地球温暖化問題を見ておりますと、社会・共産主義者に特有の独善や非現実性を見出すことができます。革命後のソ連邦にあって、経済は全面的に政府の統制の下に置かれ、政府が策定した「五か年計画」に従って運営されました。しかしながら、華々しく発表された「五か年計画」が定めた目標は達成されたためしはなく、大方は失敗に終わっています。それにも拘らず、当局は失敗を認めようとはせず、また、ノルマの未達成が咎められることを恐れた現場での数字の操作や誤魔化しも日常茶飯事となったのです。中国において毛沢東が主導した‘大躍進’の惨憺たる結果は、その最たる事例と言えましょう。そして、この体質は、改革開放路線に転換したとはいえ、今日の中国においても散見されますし、実のところ、地球温暖化に対する今日の各国の態度も、社会・共産主義国に類似しているのです。

 

 例えば、達成の見込みもないのに‘ゼロ’という数値目標を掲げ、政府機関のみならず民間企業に対しても、研究・技術開発やイノヴェーションという名の‘ノルマ’を課そうとする手法は、あたかも計画経済のようです。政府は、ゼロ目標の達成のために、企業や国民に無理難題を押し付けているのであり、その目標が非現実的であればあるほど、企業も国民も、多大な負担を強いられると共に疲弊してゆくことでしょう(もっとも、金融は、融資先が確保できるので、当面は、安泰…)。そして、最悪の場合には、‘ノルマ’を達成することができないばかりか、この間、ガソリン車販売禁止を始めとした様々な‘禁止令’によって、既存の経済・社会システムを壊してゆくことでしょう。気が付いた時には、人類は、描かれた理想郷としてのカーボンニュートラルなスマートな未来社会に至るどころか、冬の寒さも凌ぐことができない石器時代に戻ってしまうかもしれないのです。

 

 理想というものに内在する破壊力について思い至りますと、絶対とは言わないまでも、地球環境問題について過去の過ちを繰り返す可能性がありましょう。そして、悪しき人々が存在するとすれば、むしろ、敵、あるいは、好ましからざる相手が自らの手で自らの経済や社会を破壊させる自滅手段として、‘理想’というものを利用するかもしれないのです。

 

 化石燃料については枯渇問題もありますので、新たなエネルギー源の研究・開発や省力化は必要となりましょう。しかし、それは、人類文明との両立を確保した姿において達成されなければならないのではないかと思うのです。


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地球温暖化問題と軍事力との関係は?

2020年12月24日 13時54分40秒 | 国際政治

 地球温暖化問題と申しますと、国際協力を要する平和的な問題領域として扱われています。このため、地球環境問題と軍事力との関係が人々の関心を集めたり、メディア等にあって盛んに論じられることもないのですが、石油というものが‘戦略物資’である点を考慮しますと、この側面も無視できないように思えます。歴史を振り返りますと、日米開戦のきっかけは石油禁輸措置でしたし、今日にあっても、北朝鮮の核・ミサイル開発を阻止する制裁措置として、国際社会は国連決議を以って石油禁輸に踏み出しています。

 

 温暖化ガスを排出しない社会とは、脱炭素社会、あるいは、カーボンニュートラルとも称されています。つまり、燃焼に際して二酸化炭素を排出する石油、石炭、天然ガスといった化石燃料は、全て規制の対象となるのです。もっとも、燃焼や製造過程で二酸化炭素を排出しても、それを固形化して地中に埋蔵したり、他の用途に再利用するといったテクノロジーが確立すれば、必ずしも化石燃料の使用量をゼロにする必要はないそうです。政府は、二酸化炭素の再処理方法の開発を急いでいるとも報じられています。

 

しかしながら、大型プラントではこうした方法も可能なのでしょうが、小規模、かつ、即時的なエネルギーとして使用する場合には、この方法を採用するハードルは格段に高まります。研究・開発が先行した自動車については、ハイブリット車やEVを普及させるそうですが、大型エンジンを搭載している航空機ともなりますと、電化には強力な磁力発生方法の開発などから始める必要があるそうです。そしてこうした側面は、戦闘機といった高度で複雑なエンジンを搭載したあらゆる種類の兵器についても言えます。

 

ミサイルも含めて兵器の殆どが燃料充填型ですので、戦争に際しては莫大な量の石油が必要となりますし、平時にあっても訓練や軍事演習のために石油燃料は必要不可欠です(もっとも、潜水艦等につては原子力も使用されている…)。今日にあって、石油依存度が極めて高い分野なのですが、2050年までにこれを全て電化するとなりますと、ハイテクであれ、ローテクであれ、これまで保有してきた燃料使用型の兵器の殆どを買い替える必要が生じてきます(有事の際の電力不足によって、国家崩壊も起こり得る)。防衛力を落とさずにゼロ目標を実現しようとすれば、軍事費の予算は跳ね上がることとなりましょう。

 

 もっとも、未来型の兵器として目されているのは、レーザー兵器やレールガンなどです。これらの兵器は電力が用いられる‘電化兵器’なのですが、それらの兵器の実用化には電力供給を要します。軍船に搭載するレールガンについては、大型ガスタービンによって発電する方法が検討されているそうですが、‘電化兵器’もまた、それを脱炭素とするならば、再生エネや原子力など、何らかの方法で大量の電力を造り出さなければならないのです。因みに、中国では、先日、大型の停電が発生したそうですが、その原因として、米中対立を背景として中国が臨戦態勢を整えているとする情報もあり、新型兵器の‘電化兵器’の使用をも視野に入れた軍事部門への優先的な電力供給が実施されたからなのかもしれません(公式には、‘送電線の故障’とされているものの、オーストラリアからの石炭禁輸原因説や三峡ダム水力発電量減少説なども…)。なお、災害時と同様に有事にあっては、‘オール電化’は、電気系統に対する攻撃を受けた際に全活動の停止を意味しますので、致命的な弱点ともなりましょう。

 

  何れにしましても、地球環境問題とは、それが戦略物資と不可分にかかわるだけに、その影響は軍事部門にも及びます。菅政権が全ての影響範囲について十分に検討した上でゼロ目標を掲げたとも思えず(見方によっては自国に禁輸措置をとることに…)、防衛コストの上場等、マイナス面にも目を向けた反対論や慎重論があって然るべきなのではないかと思うのです。

 


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アメリカ大統領選挙をめぐる日本の保守批判への反論

2020年12月23日 12時21分25秒 | アメリカ

普段は多様性や多様な意見の尊重を謳いながら、マスメディアは、殊アメリカ大統領選挙に関してはバイデン陣営擁護一色です。ピーター・ナヴァロ大統領補佐官によって報告書も提出され、不正行為の存在がほぼ確実視されてはいるにも拘わらず…。そして、何故か、日本国内では、バイデン陣営側を非難してきた保守派の人々に対する批判が止まないのです。

 

 日本国内では、あたかもアメリカでのトランプ派対バイデン派の対立構図がそのまま再現されているかのようなのですが、保守派であれ、何であれ、不正を働いた側が批判を受けるのは当然のことです。他の問題領域であれば、マスメディアも政治腐敗や不正追及の急先鋒に立ったはずです。この点からすれば、疑惑が持ち上がった段階からバイデン陣営が批判に晒されるのは致し方がなく、不正行為に目を瞑ろうとする行為こそ‘不正’な態度とも言えましょう。

 

マスコミ各社のあまりにも不自然な対応からマスメディアに対する失望感が広がる一方で、ネット上でも、バイデン擁護に徹する一群の‘書き込み隊’が出現しているようです。不正選挙やトランプ陣営の動きに対して、逐次、反論が書き込まれるのです。バイデン陣営擁護の人々の主たる主張は、当初は‘根も葉もないフェイク’あるいは‘証拠がない主張’、というものでしたが、最近に至り、証拠等が明らかとなったことからやや論調が変化し、不正選挙であれ、選挙人の投票数という数字としての‘結果’が全てとする態度に変わってきています(悪しき形式主義…)。そして、これらのバイデン陣営擁護者の活発な言論活動こそ、何故、アメリカの政治問題でありながら、日本国において‘バトル’が発生するのかを説明しているように思えるのです。

 

バイデン擁護派は、日本国内におけるトランプ擁護論を内政干渉とも批判しています。内政干渉とは、特定の国の政策決定に介入する行為を意味しますので、言論空間における私的な支持や意見の表明は同行為には当たらず、言論の自由によって保障されています。否、仮に、日本国にあってアメリカ大統領選挙について意見することを内政干渉と見なすならば、バイデン擁護派も同問題について発言することを控えるべきともいえましょう。こうした一貫性の欠如に加えて、バイデン擁護派は、不正選挙を糾弾する側の真意について、それは、バイデン氏の親中姿勢に対する警戒感からとしています。

 

ここに、バイデン擁護派の主たる批判の対象が、日本国の保守派に向けられている理由を見出すことができます。言い換えますと、日本国内では、トランプ派対バイデン派の議論は、日中間の‘代理戦争’と化しているのです。アメリカのメディアと同様に、NHKをはじめ日本国のメディア界に限っては親中派が大多数のようですし、ネット空間にも‘五毛’と称される中国当局の配下にある‘書き込み隊’が暗躍しています。86%ともされる大多数の日本人が嫌中・反中なのですが、政界やマスメディア等では親中派が多く、武漢を発祥地とする新型コロナウイルス禍のみならず、尖閣諸島問題等もありながら、国民の中国に対する悪感情は巧妙に抑えられてきました。ところが、アメリカで発生した大統領選挙をめぐる対立は、トランプ大統領が中国に対して厳しい制裁を科してきただけに、国民の間で反中感情が鬱積する日本国内にも即座に飛び火してしまったとも言えましょう。

 

もっとも、日本国内の対立構図は、アメリカよりも複雑です。何故ならば、後者にあって保守派対リベラル派とも表現される対立は、前者にあっては、バイデン陣営を構成するリベラル派が保守政権である菅政権を含む政界全体に当たるからです。つまり、アメリカの不正選挙の問題は、日本国内では、一般国民VS政界・メディアの対立構図として表出ているのです。日本国内のバイデン擁護派は、トランプ擁護派をトランプ大統領に反中政策を期待する保守層の願望に過ぎないと見なしていますが、むしろ、この指摘こそ、自らが親中の立場にあり、かつ、不正の側に与していることを明かしているようなものです。

 

そして、日本国民の多くがバイデン陣営を批判する理由も、アメリカで起きている不正は日本国内でも起きていると考えるからです。メディアの偏向報道のみならず、ネット空間における‘五毛’活動こそ、外部からの世論誘導のリスクを端的に示していると言えましょう。つまり、中国、並びに、それを支えるグローバルな勢力によって不正行為が闇に葬られると共に、内部から自国の統治制度が侵食され、民主主義も自由も、そして、法の支配をも喪失する危機を、国民の多くが敏感に感じ取っているのです。直接的なリスクが存在する以上、アメリカの大統領選挙の行方は、日本国民、否、全人類にとりましても他人事ではないと思うのです。


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菅首相の民主主義論は中国の弁明?

2020年12月22日 13時02分59秒 | 国際政治

菅首相は、日経新聞が主催した「アジアの価値観と民主主義」をテーマとするシンポジウムにおいて、自らの民主主義観を語ったと報じられております。それは、アジア諸国の多様性を強調した上で、民主化の速度はゆっくりでよいとも解される見解であったそうです。中国のように民主主義を目の敵にするような発言ではなかったものの、同首相の危うい民主主義観が覗えるのです。

 

 第一に挙げられるのは、同首相は、どちらかと言えば過去の歴史において、アジア諸国に民主主義が存在し、今日に至るまでの間に連続的に発展してきたかのような認識を示している点です。その根拠として、仏教やヒンズー教の慈悲、儒教の仁、イスラム教の寛容、そして、日本国の和の精神を挙げていますが、政治の分野にあっては、儒教はむしろ位階秩序や権威主義体制を助長してきた側面もありますし、『コーラン』にあって多神教徒の殺害をも奨励するイスラム教に至っては包摂を意味する寛容とは程遠く、イランのように宗教国家を支えてきました。全てのアジアの精神性が、必ずしも民主主義と親和性が高いわけではないのです。

 

 第二に、第一で指摘したようにアジア諸国にあって精神的伝統に違いがあるとすれば、問題とすべきは、むしろ、その歴史や精神的な土壌に由来する相違点にあるはずです。例えば、4千年ともされる中国の歴史において、同国が民主主義国家であった時期は殆どありません。覇権をめぐって諸国が激しく争う戦乱の時代と絶対者として皇帝が君臨し、官僚組織がその手足となる専制国家の時代の繰り返しであり、中国の歴史劇を見ていても、何れの時代のことなのか瞬時には判別できないのも、その歴史が同じような体制を持った王朝の分裂、滅亡、統合、王朝交代の連続であったからなのでしょう。何れにしても、力が支配する世界に生きてきたのであり、国家と国民との基本的な関係も、支配者と被支配者の関係にあったと言わざるを得ないのです。そして、今日、中国にあって共産主義一党独裁体制が敷かれているのも、こうした歴史的な土壌に根差しているからなのかもしれません(共産主義革命における‘人民’は、全ての国民を意味しない…)。この点を考慮すれば、伝統的に専制国家体制であった時代が長く、かつ、儒教やイスラム教が支配的な思想・宗教であった諸国における民主化は、他の諸国よりも難しいということになりましょう(なお、菅首相が進めているトップ・ダウン型に向けた行政改革は、日本国の和の精神とも馴染まないのでは…)。

 

そして、第3の問題となるのは、菅首相は、「民主主義の定着には様々な歴史や文化的背景があり、育てるには長い時間を要する」とも述べている点です。この発言のくだりでは、同首相は、制度としての民主主義が根付いていない現状は認識しているようです。この文脈にあって、アジア諸国への選挙監視団の派遣や人材育成をも表明したそうですが、アメリカの大統領選挙で明らかにされましたように、民主主義国家における選挙制度でさえ危うい状況にあります。日本国内でも不正選挙が行われている可能性も否定はできず、日本国が、‘上から目線’でアジアの諸国に対して選挙監視の支援を言える立場にはないように思えます。また、政権発足以来、デジタル化や行政改革については暴走とも言えるぐらいのスピードを追求しながら、殊、民主化にあっては‘ゆっくりでよい’と言っているのですから、悪しきダブル・スタンダードとも映ります。国民にとりましては、政治における民意の反映と権利拡大を意味する民主化こそ急ぐべきなのにも拘わらず…。

 

結局、菅首相の民主主義論は、中国に口実を与えているようにも聞こえます。否、香港等にあって民主主義を弾圧している同国のために、その‘言い訳’を代弁しているのかもしれません。国際社会からの批判を受けた際に、いかにも中国政府が語りそうな内容であるからです。‘民主化は、自らのペースでゆっくりとしますから、’という…(今後の中国の発言に注目すべきかもしれない…)。そして、本心では、共産党が自らの富と権力を手放すことを意味する民主化などしたくはないのです。そこかしこに中国への忖度や同国との連携が伺われる故に、菅首相の言動の背景にあってはついつい中国の影を疑ってしまうのです。


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地球温暖化問題は中国の‘戦略物資作戦’の一環では?

2020年12月21日 12時32分19秒 | 国際政治

地球温暖化問題については、欧州諸国をはじめとして大胆な目標設定が続いています。日本国でも菅首相が突然に「50年実質ゼロ」目標を掲げ、各省庁とも同目標を実現すべく様々な対策を打ち出しています。二酸化炭素犯人説そのものが怪しいため、わき目も降らずに行き急ぐ様はあたかも狂信者のようにも見えてくるのですが、世界的潮流ともなっているゼロの目標設定を冷静に観察しますと、この流れ、中国の‘戦略物資作戦’の一環である可能性も否定できないように思えます。

 

 かつて、鄧小平氏は、「中東に石油があれば中国にはレアアースあり 」と述べ、レアメタルの一大産出国である同国こそ、世界において優越的な地位を占めると言い放っていました。この予言をめぐっては、中国によるレアメタルの輸出規制措置が目論見通りには成果を挙げず、一時は‘外れた’と見なされたのですが、地球温暖化対策の加速化は、この戦略の復活を意味するかもしれません。何故ならば、ゼロ目標を達成するためにはより一層の技術開発が必要となり、中核的な技術の中には中国を生産国とする鉱物資源を要するケースも見られるからです。

 

 例えば、半導体の生産には、今日、一般的にはシリコンが使用されていますが、窒化ガリウムを用いる方法を採用すれば、電力消費量を半分ほどに減らせるそうです。シリコンは、地球の地殻を構成する物質の一つですので、どの国でも入手することができます。今日、中国がシリコンの最大生産国となっている理由は、埋蔵量が多いのではなく、生産に必要となる電力の料金が安価であるからです。一方、ガリウムの窒化物である窒化ガリウムを生産するには、その原料としてガリウムを要します。そして、ガリウムは、レアメタルの一種でないにせよ、埋蔵国に偏りがあるのです。化合物半導体メーカーで発生する工程スクラップを使用した再生地金ではない、新地金の主要な生産国は、中国、ドイツ、カザフスタン、ウクライナなどなそうです。

 

 それでは、ガリウムを取り巻く日本国の状況はどうなのかと申しますと、2012年といういささか古いデータなのですが、新地金の国内生産は凡そ6%に過ぎません(131トンの供給量の内6%…)。つまり、‘ゼロ目標’を追求した結果、半導体の生産に際して用いられる金属がシリコンから窒化ガリウムへと全面的に転換されるとしますと、中国が半導体生産において優位な立場を獲得すると共に、日本国にあっては半導体分野における中国依存が高まることが予測されます。

 

日本国政府は、省エネ化の切り札として窒化ガリウム方式の開発を支援するそうですが、仮に、同技術が、中国が‘産業のコメ’とも称されてきた半導体を押さえるきっかけともなれば、それは、経済や産業のみならず、安全保障を含めた全ての分野において中国の支配力が高まることを意味します(EUでもドイツ優位体制がさらに強化…)。米中対立が深まる今日、アメリカ政府による半導体の輸出規制を受けて中国は劣勢にありますが、窒化ガリウム方式が‘グローバル・スタンダード’ともなれば、中国側が攻勢に転じる展開も否定はできなくなります。

 

以上に、‘ゼロ目標’がもたらすチャイナ・リスクについて述べてきましたが、本記事は限られた情報から作成されていますので、誤認や早合点もあるかもしれません(もし、間違いがあれば、ごめんなさい…)。しかしながら、地球環境問題が戦略物資の問題である以上、日本国政府は、‘ゼロ目標’が広範囲に亘って及ぼすマイナス影響についても十分に検討すべきであり、特定の方向に誘導され、中国依存、あるいは、中華経済圏の支配下に置かれる未来が予測されるならば、ここで一旦立ち止まる必要があるのではないでしょうか。脱炭素社会とは‘入中国社会’かもしれないのですから。なお、同問題が存在しなくとも、省エネ技術の開発は奨励されるべきことですので、未来志向の技術開発を支援するに際しては、世界の潮流に抗してでも、日本国内で入手し得る鉱物資源を用いた真にイノベーティブな新技術の開発にこそ乗り出すべきとも言えましょう。地球環境問題により世界の戦略資源地図が大きく塗り替わり、その裏側には、中国等による巧妙な戦略物資作戦が潜んでいるかもしれず、‘ゼロ目標’に隠されている将来的なリスクを見逃してはならないと思うのです。


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中国との‘覚書方式’はやめるべきでは?

2020年12月20日 11時57分32秒 | 日本政治

 日中の経済関係は、1978年8月における日中友好平和条約の締結に伴う国交樹立以来、奇妙な関係が続いています。そもそも、日米貿易協定のような二国間の通商協定が存在していないのです。中国が改革下方路線に舵を切った後、暫くの間は日本国側が中国に対してODA等を介して一方的に経済支援を行う関係にありましたが、やがて中国は急速な経済成長を遂げます。そして、同国がWTOに加盟したのを機に、同枠組みにあって最恵国待遇が自動的に与えられたまま今日に至っているのです。このため、安価な中国製品が、大量に日本国内に流入することとにもなりました。

 

 冷戦期にあって東側陣営にあり、かつ、冷戦崩壊後も共産主義体制を維持してきた中国という国家を考慮すれば、自由主義国である日本国は警戒心を以って規制強化を試みこそすれ、本来、経済関係を深めるべき相手国ではなかったはずです。そして、WTO加盟によって中国の輸出攻勢が放任される一方で、日本国政府が中国との間で‘覚書’という合意文書を作成する事例が散見されるようになりました。

 

覚書とは、条約や協定のように議会の批准手続きを要さず、法的な拘束力はありません。メモランダムに過ぎないため、双方の政府に法的な義務が生じるわけではないのですが、議会の合意を得ない、即ち、政府が独断で相手国と取り交わすことができるという点において、議論を避けたい政府にとりましては便利なツールとも言えます。一方、議会に諮ることも、国民世論の動向を調査することもなく、政府が勝手に外国政府と合意してしまうのですから、国民にとりましては民主主義の軽視とも映ることとなります。しかも、相手国が中国ともなりますと、政府による覚書の連発は、国民世論の反発を回避するための抜け道政策のようにも見えてきます。また、中国に言質を与えかねず、後日、覚書を根拠として不当な要求を受けるリスクもありましょう。

 

本日も、日経新聞の朝刊一面には、日本国の経済産業省と中国国家発展改革委員会との間で「日中省エネルギー・環境総合フォーラム」において覚書を交わす旨の記事が掲載されておりました。二酸化炭素・水素再利用での連携を謳っているのですが、そもそも、こうしたテクノロジーの開発にあって特定の国家と協力を約束する必要があるのでしょうか。米欧諸国とでさえ、この種の覚書を結ぶ事例は稀なのではないかと思います。合法的な技術流出の経路となるリスクは当然にありますし、自由主義経済にあっては、政府による競争阻害行為ともなりかねません。

 

菅政権は、発足当初より親中政権ではないかとする疑いがありましたが、2050年温暖化ガス実質ゼロ目標を掲げた時からの一連の流れを追ってみますと、その真意は、地球温暖化問題を突破口として中華経済圏への日本国を組み込むことにあったようにも思えます。中国において二酸化炭素・水素の再利用が可能となれば、中国の‘世界の工場’の地位は不動となる一方で、日本国の産業の空洞化はさらに進行することでしょう。加えて、中国にプラントを建設するのでは、日本国の排出量の削減には全く寄与しません。かくも先端技術があり、かつ、それが将来にあって産業競争力をも左右するならば、何故、日本国政府は、日本国内において同プラント建設しようとはしなかったのか、不思議でならないのです。

 

環境分野における協力とすれば、国内世論の風当たりも弱いのではないかと政府は考えたかもしれません。しかも、覚書方式は、国民に知られることなくトップ・ダウン方式で親中政策を遂行できます。中国の支配力は、アメリカと同様に、今や日本国の中枢にまで及んでいるとも推測されるのです。全世界の共産主義化が急速に進む中、日本国は、自由主義体制を護るためにも覚書方式をはじめ、対中協力を見直すべきではないかと思うのです。


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地球環境問題が民主主義を壊す?

2020年12月19日 13時18分31秒 | 国際政治

 リベラル派は、殊更に地球環境問題に対しては熱心です。否、新型コロナウイルス禍が一段落すれば、同問題を最優先の課題に据えることでしょう。アメリカ大統領選挙で勝利を宣言したバイデン氏は、早々にジョン・ケリー元国務長官を、新設を予定している気候変動問題担当特使のポストに指名しています(もっとも、実現するかどうかは不明…)。こうした異常なまでの地球環境問題への肩入れは全世界的な現象であり、日本国でも、菅首相が、就任後初の所信表明演説にあって唐突に2050年温暖化ガスゼロ目標を打ち上げています。地球環境問題は、全人類の生存に関わりますので、全ての人が異議なく支持すべき‘何か善いこと’のように聞こえます。しかしながら、同問題には、経済分野におけるマイナス影響のみなならず、政治分野にあっても民主主義を壊しかねない破壊力があるように思えます。

 

 第一の理由は、政治的な問題の重心が地球環境問題に移りますと、民主主義を支えている国家と国民との間に枠組みに不一致が生じます。地球環境問題は、国境を越えた全地球的な問題ですので、特定の国家を枠組みとして成立してきた政府と国民との権利・義務関係が無視されかねないのです。この側面は、民主主義国家にとりましては重大な民主主義の危機を意味します。政府は、国民ではなく‘地球’に対して第一義的な責任を有することとなり、参政権を有するはずの国民も、最早、自らで政策を決定することができなくなるからです。つまり、国家は、自国以外の場所で決められたこと、即ち、上部の特定のグローバル金融財閥が予め定めた温暖化ガス排出量のゼロ目標を実行する下部組織に過ぎなくなるのです。

 

 第二に、同問題の解決を政府が最優先事項に設定しますと、国家を枠組みとした通常の政策が後回しになる、あるいは、犠牲に供される可能性が高くなります。外政であれ、内政であれ、国内の政策決定過程にあっては、様々な利害関係者の意見が反映されるような仕組みが設けられています。例えば、各省庁は、管轄下にある業界の意見を聴取したり、言葉は悪いのですが、‘根回し’をすることで事前に合意形成を図っていますし、政治レベルでも、陳情などによって利害関係者の意向を聴くことができます。ところが、地球環境問題にあっては、その根拠は、二酸化炭素犯人説という科学的裏付けの欠ける一種の‘ドグマ’ですので、こうした国内の多様な意見・利害の調整が必要とされないのです。

 

実際に、政府によるガソリン車禁止の方針に対しましては、先日、日本自動車工業会の会長である豊田章男トヨタ自動車社長が、‘自動車モデルが崩壊する’として反対を表明されておられましたが、このことは、日本国政府が、全く日本国の自動車業界の意向を聞かずして、トップ・ダウン式に勝手に決めてしまったことを示しております。菅首相は、技術革新によって乗り越えられると反論しておりますが、その技術革新の現場も日本企業であるはずです。ゼロ目標を公表すに先立って、政府は、企業サイドの技術革新の見込みや開発計画も聞くべきであったと言えましょう。

 

第三に、近年、環境アクティビストの活動が活発化し、民主的な手続きや決定方法を経ずして企業の経営方針を変えさせる事例も見受けられる点を挙げることができます。本日も、フォーブス誌が、ネット上に「環境アクティビストにエクソン「屈服」、政治的投資ののろしか」という記事を掲載しておりました。アクティビストとは、‘物言う株主’のことですが、この現象は、新たな株主中心主義の出現をも示唆しているとも言えましょう。言い換えますと、特定のグローバル金融財閥、あるいは、それと利害を共にしているチャイナ・マネーが政治という経路さえ省いてしまい、‘物言う株主’として、自らの意図する方向へと経済全体を誘導してしまうかもしれません。一般の国民は、参政権は有してはいても、株式を保有しない限り、発言権も影響力も失ってしまうのです(この側面は、地球環境問題に限ったことではないかもしれない…)。

 

トランプ大統領が掲げた‘アメリカ・ファースト’は、しばしば自己中心的で利己的な立場として批判されてきました。しかしながら、‘地球環境問題ファースト’、そして、その真のスローガンである‘グローバリスト・ファースト’とは、人々にとりまして望ましい方向性なのでしょうか。目下、アメリカのニューヨーク州は記録的な大雪に見舞われているそうですが、実のところ、地球の温暖化の原因が二酸化炭素であるのかどうかも、そして、今後とも地球が温暖化してゆくのかどうかも、はっきりしたことは分かってはいません。同問題が民主主義、並びに、国家の独立性に対する重大な脅威ともなり得る点を考えますと、地球環境問題に関しては、影響を受ける業界や企業をも含めた国民的な議論に付すと共に、様々な角度から客観的な検証を加える必要があるように思うのです。


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米民主党の‘組閣’に見る勝てない理由

2020年12月18日 13時27分15秒 | アメリカ

 アメリカ大統領は、未だに正式に決定されているわけではないのも拘わらず、バイデン氏は、早くも‘組閣’に取り掛かっております。仮にトランプ政権が二期目となれば‘シャドー・キャビネット’となる顔ぶれなのでしょうが、この‘組閣’から、米民主党が勝てない理由が見えてくるように思えます。

 

 マスメディアによれば、アメリカ史上初めてとなる黒人系副大統領候補のカマラ・ハリス氏をはじめ、米民主党の‘組閣’には、多様性の実現を看板として‘史上初’の登用が並んでいます。国防長官には黒人系のロイド・オースティン氏、通商代表には中国系のキャサリン・タイ氏、厚生長官にはヒスパニック系のザビエル・ベセラ氏が、そして、運輸長官には、LGBTにして大統領候補の座をバイデン氏と競ったブティジェッジ氏の名も挙がっています。さらには、今般、内務長官への起用が報じられている女性下院議員デブラ・ハーランドも、先住民系としては初めての閣僚となるというのですから、初めて尽くし言えましょう。もちろん、‘史上初’ではないにせよ、財務長官に指名されたジャネット・イエレン氏のようにユダヤ系の閣僚の名も少なくありません(人口比からすれば過大代表…)。米民主党の統合政策における基本方針はアファーマティブ・アクションですので、組閣にもマイノリティー優遇策が色濃く投影されているのです。

 

 もっとも、今では、アファーマティブ・アクションは、社会的に差別されてきた人々に対する救済策というより、多様性の尊重が強調されることで、弱者救済的な意味合いは薄れてきています。今では、多様性の尊重は、経済の分野にまで浸透しており、本ブログの昨日の記事で扱ったように、企業統治の分野にあってもグローバル・スタンダードとなりつつあります。しかしながら、この手法、人種差別を解消し、社会統合を実現するために始まったのですが、よく考えても見ますと、今日では、全く逆の作用として働いているように思えます。

 

 差別とは、人種、民族、LBGTなど、本人の努力によっては変えることができない生来の属性によって不平等に扱うことを意味します。しかしながら、この定義に照らしますと、アファーマティブ・アクションは、マジョリティーを重要なポストから除外し、不利益な待遇を与えることを許しますので、れっきとした差別ということになります。逆差別とも称されるのですが、マジョリティーに生まれたばかりに社会・経済的なチャンスが狭まり、いわゆる「頭打ち(ガラスの天井)」という不利益を被るからです。如何なる職種であれ、あるいは、学歴等にも関係なく、マジョリティーは、常に不遇をかこつしかなくなるのです。

 

グローバリズムのマイナス影響によって弱者となったマジョリティーの苦境に、民主党の政策がさらに追い打ちをかけており、マイノリティーを殊更に優遇するとなりますと、この手法は、当初の目的とは逆に、弱者ではなく強者の救済、かつ、統合ではなく分離の方向に逆作用しているのです(マイノリティーを組織した米民主党による、マジョリティー支配)。

 

 そして、米民主党の正体がグローバリストとそれに対する‘対抗勢力’を装う過激派(社会・共産主義者…)の実行部隊であるとしますと、同党の基本方針がマイノリティー重視に転換された理由も理解されます。従来の‘労働者の政党’のままでは、製造拠点を中国等の海外に移転したり、海外から安い移民労働力を招き入れるには不都合であるからです(定住してきたマイノリティーにとりましても、新来の移民増加は失業の原因に…)。つまり、これまでの‘労働者重視’ではグローバリズムを追求することはできませんので、‘多様性重視’に切り替えたと考えられるのです(また、移民やその高い出生率によるアメリカの人口構成の将来的な変化をも期待したのかもしれない…)。

 

 そして、米民主党は、マジョリティーを含む労働者一般ではなく、マイノリティー重視に軸足を移したからこそ、大多数のアメリカ国民からの支持を失ったのではないかと思うのです。今般のアメリカ大統領選挙では、バイデン氏の史上最多とされる得票数は不正選挙によるものであったとされています。言い換えますと、不正行為を働かなければ民主党はトランプ大統領を上回る票数を得ることはできなかったことになります。ここに、米民主党にあって不正選挙の動機が認められるのであり、アメリカのみならず、全世界の人々が不正選挙を疑う理由があるとも言えましょう。しかも、今日、グローバリズムの旗振り役を務めている中国とも手を組んでいたともなりますと、米民主党の背信行為に対する批判は、今後とも強まることは避けられません。今般の米民主党による‘組閣’は、図らずも、不正選挙の動機を自ら明かしてしまったのではないかと思うのです。

 


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社外取締役はグローバリストの‘罠’では?

2020年12月17日 13時02分24秒 | 日本政治

 今日のグローバリズムは、単なる世界レベルでの市場統合以上の意味を持ちつつあるように思えます。それは、急激なリベラル方向での画一化です。しかも、アメリカ大統領選挙のみならず、日本国政府の動きとも連動しているように見えます。つまり、今日のグローバリストとは、強い政治性、あるいは、社会改造性を帯びているのです。

 

 本日の日経新聞の朝刊一面にも、金融庁や東京証券取引所が検討している企業統治に関する指針の改定に伴う課題として、社外取締役の問題を報じていました。同記事によりますと、仮に、原案通りに新たな指針が決定された場合、社外取締役には1000人ほどの不足が生じるそうです。主たる問題点として人材不足や兼任の是非等に焦点が当てられているのですが、より深刻な問題が潜んでいるように思えます。それは、同指針は、明らかに企業版アファーマティブ・アクションである点です。女性や外国人の登用が奨励されているのですから。あたかも、米民主党がアメリカで推し進めてきた社会政策が、人種差別解消ではなく‘多様性の尊重’を掛け声として、日本国内にあって企業を対象に実施されているかのようです。

 

 つい1年ほど前には、経営者団体が、株主中心主義から多様なステークホルダーを尊重する方向へと舵を切り替えたことが話題となっていました。この方針に従えば、企業は、外部者の経営参加を意味する社外取り締まり制度の拡充よりも、ステークホルダー達との対話や意見交換のチャンスが広げられるはずでした。例えば、社内にあって社員の意見やアイディアを汲み上げるように制度を整備したり、消費者、顧客、並びに、現地の住民の意向をヒアリングできるようなシステムを構築した方が、業績アップにはプラスの作用が働いたかもしれません。社内にあっては連帯感が、社外あっては親しみが醸成され、好感度の高い企業となり得るからです。ネットも発展した今日、多様な意見を経営に反映させようとすれば、他にもいくらでも方法や手段があるのです。

 

 それでは、何故、今、この時期に、社外取締役に新たな枠を設定しようとしているのでしょうか。今日のグローバリズムとは、上述したように強い改造主義の性格があり、その背景には、世界支配の構想が推測されます。つまり、共産主義組織をも配下とする金融・産業財閥は、自らの支配に都合がよいように全世界の諸国を造り変えたいのでしょう。そのためには、自らのメンバーを各国の企業内部に配置し、これらの人々を介して自らの方針に向けて誘導する必要があります。つまり、社外取締役こそ、この‘任務’に最も適していると言えなくもありません。常時、企業内部のあらゆる書類や情報にアクセスして閲覧できると共に、助言者として経営を監視し得る立場にあるのですから。この手法は、中国政府が企業に対して共産党員の受け入れを義務付ける制度に類似しているようにも思えます。

 

 生来的な社外取締役の不足を見越して派遣会社も設立されており、こうした会社は、社外取締役を置いていない企業に対するグローバリスト配置機関として機能するかもしれません。竹中平蔵氏が率いるパソナも新自由主義の定着を後押しし、終身雇用制の崩壊に導きましたが、経営の領域にあっても、派遣という手法は、従来の日本型の企業文化を破壊させる方向に作用するかもしれません。派遣会社が派遣先企業の人事権を握り、‘社外取締役支配’による日本経済のさらなる新自由主義化もあり得ないことではないのです。

 

しかも、‘外国人’の社外取締役が奨励されるとしますと、職務遂行には日本語の読み書きに不自由しない程度の高いレベルの日本語能力を要しますので、特定の国家の出身者に偏る可能性もありましょう。先に、中国における共産党員による監視システムについて触れましたが、大学等において比較的日本語履修者が多く、かつ、日本に在住している人口数が多い中国籍、あるいは、韓国籍の人々が有利となることも予測されます。両国とも、常々、産業スパイが問題視されてきておりますので、日本企業は、社外取締役を警戒しなければならなくなります。

 

昨今、ネット上では、海外企業で活動する中国共産党員のリストが流出し、各国が直面しているチャイナ・リスクの脅威が明るみに見出ることとなりましたが、今般の社外取締役の拡充につきましても、世界支配の一環として見なした方が、よほど説明がつきます。全世界の国、企業、そして、個人に対して等しく豊かになるチャンスを与えると謳ってきたグローバリズムの理想は、時間の経過とともに今や色褪せつつあります。日本国もまた、グローバリズムの影の部分にこそ注目すべきと言えましょう。

 

かつて、共産・社会諸国は、「すべての人々が豊かになれる」というスローガンのもとに、社会改造を断行しましたが、その行き着く先が、権力と富の共産党員による独占と、貧しい人々という二極化の構図に至った歴史教訓として思い起こすべきであるのかもしれません。グローバリズムとは名称を変えた現代の植民地主義であるかもしれず、国も企業も、そして個人もいつ間にか自立性を失い、冷たい支配体制に組み込まれて身動きが取れなくされてしまうのかもしれないのですから。


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