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2010年7月14日(水) 開演19:00 東京芸術劇場 中ホール
これが宮沢りえの声なのか?と思わせる程の太い声で
今までの宮沢りえとは違うイメージで始まり
地下鉄サリン事件を彷彿とさせるシーンで幕を閉じるこの舞台は
思ったより重く圧し掛かってきました。
ポスターやチラシ、パンフレットの表紙に使われている造型は
江戸時代の浮世絵師・歌川国房の「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」がモチーフであろう
無数の人体の塊で表現された一人の人物。
実際に事件当日、TVの前で固まった自分を思い出しました。
家には3歳になった長女、お腹には今回一緒に観に行った下の娘がいました。
「丸の内線!千代田線!日比谷線!!ええっ!!お父さん乗ってないよね、ないよね!」
携帯電話もありません。
かなり不安でしたが、会社から何にも言ってこないので、たぶん大丈夫だろうと…
あの日、帰ってくるまで長かったのを覚えています。
なぜ、今この題材なんだろう
“オウム真理教”関連の事件は20年以上前のもので、地下鉄サリン事件は15年前。
そしてまだ終わっていない事件です。
パンフレットを読むと
――以前から書きたいと思っていたんですよ。
あの事件が日本の新しい歪みが表面化した始まりなんじゃないかと。
日本には宗教がない上に、哲学もなくて、さらに学生運動が下火になったころから思想もない。
何もなくなった時に、おそらく安ーい精神世界が幅を利かせてくるだろうなと思っていたら、
やっぱり事件が起きた。それは出るべくして出たもので、それが現在なんだろうなと。――
(「ザ・キャラクター」パンフレットより抜粋)
そして、先日NHK『爆笑問題のニッポンの教養』で放送された
“演ずれば通ず 第一幕”の中で最後に野田秀樹が言った
「日本人の持ってる幼さがヤバイところにきている」
パンフレットの冒頭『世界に通用しないモノを創る』と題して野田秀樹が寄せてるコメントの中に
――世界で通用する文化を、日本から発信しよう…みたいなことを声高に叫ばれてから久しい。
そして、それは「日本のアニメ」に代表されるようなものだ、みたいなことになってしまった。
すなわち、文化的にシンプルに翻訳できるものばかりになった。――
野田はこうした風潮に反して簡単には翻訳できない
その土地の文化が体にしみ込んでいる者にしかわからないものを
伝える方も伝えられる方も、手間暇をかけてやっと味わえるモノを創ろうとしているようです。
“ヤバイ幼さ”たぶんオタク文化と呼ばれる一連のモノ、事象を
安易に輸出して良しとする風潮をヤバイと。
そのオタク文化を嬉々として受け入れ享受している身としてはそう来たか!というところです。
地下鉄サリン事件(1995年)、酒鬼薔薇事件(1997年)、和歌山毒物カレー事件(1998年)
母親の食事に毒を混ぜて反応を見る女子高生(2005年)、記憶に新しいのは
「誰でもよかった」の言葉で共通する多数の通り魔事件から秋葉原通り魔事件(2008年)…
列挙していると気分が悪くなるオウム以降の数々の事件。
大人も子供も同じように狂っていく現在――
舞台はオウム真理教事件を下地にギリシャ神話の変身譚を二重写しのように絡め、
野田演劇であるところの“言葉”(今回は漢字も)を乱射しながら
人が盲信(妄信)した時にみせる異常な身体性を露呈するというものでした。
事件そのものが全て終わっているわけではなく、
いつまた形を変えて同じような事件が起きるとも限らない現在、
カタルシスを得る段階ではなく、突きつけられた問題を抱えたまま、帰ってきたようなところです。