車好きオヤジのブログ

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超RockManな或る日

2014-08-24 17:30:00 | 日記

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忙しかった盆の時期を過ぎて少しばかり落ち着いた今日この頃、

久々に休みを取ろうと思った。

純然たる完全休養日は1か月ぶりくらいだろうか。

 

昼ぐらいまで惰眠を貪りつつ適当に起き出して

ついでに日中から酒でも飲みながら一日中ゴロゴロしてるのが

目下の所の理想的な休日の過ごし方なのだ。

 

しかし理想と現実、願望と実際が違うのは世の常なのである。

こういう時は日頃より先輩諸氏から聞いている教えを守るべきやないかと

小市民の俺としては考えてしまう訳やね。

 

二人いる子供も出て行った今、

よめはんと二人だけになってしまっている状況はやはりPKO並みに

世界平和に貢献するしかないだろう。

 

前夜唐突に晩飯を食いながら「明日休みが取れそうなんやけど

どっか行きたい場所とか連れて行ってほしい所なんかあるかな?」

と慎重に探りを入れてみると

 

『そんなん急に言われてもないわ。展覧会巡りはしたいと思うけど

観に行きたいのはまだ先やし、今やってる分では特にええのはないしなあ・・・。』

と言われる始末だ。

 

ここで「おうそうなんか!それなら明日俺は一日中寝てるから起こさんように。」

なんて言えれば良いのだがここで変に気を緩めると非常に危険であるのは直感で判る。

まあ碌な事がないのは経験済みなのである。

 

因みにうちのよめはんは元々デブ症、いや出不精なのである。

自分からどこそこへ連れて行けなんて言うはずもないのも織り込み済みさ。

 

一応こう言われた時の為のシュミレーションというか問答集も

想定してあるのは常日頃リスクマネジメントとしている者には常識である。

 

運転好きな俺にとってちょっぴり気になっていたのが京都縦貫自動車道だった。

北は天橋立まで延びる自動車専用道路が

昨年名神高速大山崎インターに接続開通していたものの、

いつも滋賀まで名神を通りながら横目で通り過ぎていて一度通りたいと思っていたのである。

チャンスがあればと思いつつもう1年以上も経ってしまっていた。

 

「特に要望がないなら天橋立を観に行かへんか?

新しい道路も出来たし便利で早く行けるみたいやで。」

 

滅多にそんな誘いをしない俺にあちらも何か察したかのように

翌日は仕事に行く時と同じように起床し出かけることとなった。

 

本当は我が家から現地に向かうなら既に開通済みで神戸から行く

舞鶴自動車道を使う方が早いのだ。

 

朝に出て午前中に到着して適当に現地で海の幸でも食べりゃ万々歳の予定も

全く計画性のない思いつきドライブでは案の定に少しずつ狂って来よることになる。

 

 

【計算違い其の一】

京都縦貫自動車道は全線が開通しているのではなく、

名神からは接続出来たものの一旦「丹波」で下車し地道を20~30分走り

再度「京丹波わち」インターから乗り入れ、最終「宮津天橋立」までの道程となる。

 

一般的に写真で見る天橋立の光景は手前にある山手に位置する

「傘松公園」からの眺めなのは後で知ることになる。

その為にはインター最終のひとつ手前

「与謝宮津」インターで降りなければならかった。

 

天橋立が海に面しているロケーションである思い込みと

おかしいと思いつつ宮津から海岸沿いを北に走ったのもマズカッタ。

日本三大名景も単に松林の離れ小島を横目で見るこになる。

これではどこの海岸線でもお目に掛かれる普通の風景に過ぎないのであった。

有名な又覗き用にと車に積んできた買ったばかりのデジカメの出る幕も全くない。

 

縦貫道を走ることが主たる目的だった俺にとって

行った先の情報が欠けていたのは最早致命的とも思える状態である。

 

運転しながら気づいたのも遅く走れば走る程道幅は狭くなり、

右側の風景はどう考えても魚釣りかダイビング客しか来ないような

単なる海が続くだけである。

このままでは目的もなく丹後半島を一周してしまうことになる。

時間の計算も出来ない以上、正直に告白するしかなかった。

 

「すまん。道を間違えたようやわ。Uターンしてどこかで喫茶店にでも入って考えよか。」

 

 

【計算違い其の二】

観光地付近とはいえ平日の午前中に入ろうと思えるような店は見当たらず

辛うじて(トイレ休憩の必要から)入った土産物店しかない。

海産物も保冷バックを持ってきてないのとすぐに帰る予定でもなく

何も買わずにスルーするしかない。

 

落ち着いて珈琲でも飲みながら次の予定を探る機会も得ることもなく、

とにかく何とはなく帰宅方向と国道312号線を西へ車を走らせる。

運転自体が好きな俺にとっては結構楽しめるものだが

よめはんとの会話が少なめなのが少々気になる。

 

このまま走れば日本海側の兵庫県豊岡市へと抜けるはず。

久美浜、網野と蟹の名産地を通過するのでせめて早めの昼飯は

ちょっぴり贅沢蟹三昧で汚名返上だぜ。

 

ところが名ばかりの国道沿いにはそれらしいレストラン、

ドライブインの類は全く見当たらないどころか

極々たまにコンビニがある程度なのだ。

よくよく考えれば時期本番は冬であるのに加えて凄く田舎。

行けども行けどもそれらしい店は全く見当たらない。

 

一軒あったラーメン屋を通過した際、冗談交じりで

「ラーメンでも良かったら入ろか?」と様子を伺うと

 

『こんなとこまで来てラーメンやったら家に帰ってから自分で作って食べるわ。』

ありゃりゃ、こりゃ段々洒落では済みそうにないぞ。

時刻は既に午前11時を過ぎていた。

 

弾む会話もないまま淡々とトンネルをいくつか潜ってとうとう豊岡に来てしまった。

元々行き先や目的地がない工程だけに始末が悪い。

救いは京都府と違い住宅も多くなり幹線道路沿いも賑やかになった事だろう。

時計はもう12時を廻ってしまっている。

とにかくどこでも良いから昼飯でも食わんことにはこのままでは収まりがつかん。

ようやく見つけたファミレスで食事することになるのだが、

俺の頭の中のCPUはこれからどうするかどこに行くかでもう必死。

情けないことに肝心のメモリが容量不足でマイコンピュータはいつまで経ってもフリーズし続けるだけであった。

 

 

【無理やりの強制終了、電源オフ】

既に行き当たりばったりの行動はよめはんにはお見通しだったろうが、

どこにも寄らずに帰宅するのは行かない方がまし、

何のためにわざわざ滅多にない休みを費やしたのか無駄になるやないの。

 

その時ふと前夜の会話を思い出した。

『展覧会巡りしたいねん。』

 

このまま帰宅ルートは最終的には舞鶴若狭自動車道から中国自動車道へと

乗るつもり、神戸方面なら丁度良い。

 

といって平生博物館や展覧会場なんて行かん俺に格式ある美術館なんてのは

思いつくはずもなく第一に誰の何の展示をしているのかさえ判らない。

 

かろうじて唯一思い出し縋る思いで行ったのが神戸にあるここ。

http://www.ytmoca.jp/

 

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何とかかんとか彼女の機嫌を損ねることなく(?)長くて短い一日は終わった。

ヨコオ君本当におおきに。

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結局休むより仕事をしている方が楽なのが判った一日であった。

この日の走行距離は約450キロ。

愛車の積算計は2年で60,000キロを既に突破している。

 

心の中で自分自身に「今日はお疲れ様でした。」と労いの言葉を掛けてやろう。

今更イスラエルやウクライナの紛争を喩えに出すまでもなく、

平和はとても大切なものだが同時に難しいものでもあるとつくづくそう思うのである。 

 

(了)


お盆といえば当然

2014-08-17 18:00:00 | 

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今日は8月13日、日本全国世間一般的には「お盆」である。

エンジンスタートボタンを押すと「今日は左利きの日です」とナビが教えてくれた。

 

記念日好きの日本人には毎日なにがしかの日なんだろうが、

これはイギリスで制定されたものらしい。

 

左利きはサウスポー、レフティなんて表現もあるが

一番私の性に合うのは日本語の「ぎっちょ」。

 

だが最近知人に聞いた話では「ぎっちょ」はマスコミでは使用禁止差別用語らしい。

また出よったな「あほらし話」。

 

諸説あり学者でもないので根拠については本当のところは知っちゃいないが、

個人的には「器用」説の感覚なのである。

左器用(ひだりぎっちょ)、不器用(ぶきっちょ)てな感じだな。

 

大体どこの誰がこんなことを決めよるのか知らんが、

言葉自体に責任押し付けてどうするねん。

つまらん苦情に都度応じることの無意味さが判らんのだろうか。

使う人間の気持ちの問題、使い方次第やないの。

そのうち「差別」という言葉は差別的表現により今後控えさせていただくなんて

コメントも冗談ではなくなりそうな心配をするな。

 

 

と脱線するのはいつもの事で、実は今日は車で九州に向かうところなのだ。

勿論、いや一応仕事である。

我が家では「仕事」は錦の御旗のごとく何よりも最優先の便利な言葉でもあるのだ。

子供の時の「勉強」と同義、友達の家に遊びに行くのに時々使ったものさ。

よって盆の迎え火や送り火等々の雑事は家人が担当することになるのである。

 

地元の仕事が一段落、

13日はお盆で既に帰省ラッシュも落ち着いている計算だった。

まあ予想なんてのは外れるのが普通で結局ところどころ渋滞に巻き込まれ

行きで2時間、帰りで1時間半も余計に掛かってしまうことになるのだが・・・。

 

今回久々の車での九州行きで気づいたことも少々報告しよう。

 

ビバンダム君のその後から報告するとこれがなかなか優等生である。

今で装着して約8000キロの状態だ。

 

慣れの問題も否定はしないが乗り心地が非常にマイルド。

少なくともチュラ君よりは間違いなく良い。

 

路面段差の乗継や舗装面のざらつきも不快な感覚がない。

角の取れたようだと言葉に表現したいくらいだが、

厳密にはタイヤ自体新品から一皮剥けるのに必要な距離は

100キロもあれば十分であり、あくまでも言葉のあやイメージとして解釈してもらいたい。

 

グリップ力も前回書いた通り純正に比べるとかなり優れている。

元々スポーツ性の高いと触れ込みだった物である。

レースやサーキット走行レベルでは全く不明ながら、

殆ど過激な走行をしない私にとっても満足できるものだ。

通常の街乗りでかなりのパフォーマンスタイヤだと改めて思う。

 

念願(?)のウェット走行についても丁度先日確認する機会があった。

例の台風11号が先日近畿を直撃した日に経験することが出来た。

高速で前を行く車のリアバンパーやナンバープレートが視認できない位の

集中豪雨での中、ハンドルに軽く手を添えているだけで横滑りなんて

不安は全く感じることなく走行出来ることを実感。

 

唯一の緊張した場面はところどころ窪んで冠水した上を通過する時

ステアリングを持つ手に少しだけ力が入ったことだろうか。

通過速度は70~80キロ程度だったろう。

所謂ハイドロプレーニングってヤツはこのタイヤのせいでないのは無論である。

摩耗度合いも現時点で評価できる距離でもないがまだ8分~9分ある感じ。

まあ2~3万キロは大丈夫だろう。

 

 

話を戻して今回の九州は結構渋滞や事故に巻き込まれたのもあり、

巡航も一定速度で走り続ける事も少なく純正のクルーズコントロールの使用はない。

但し日頃はあまり使っていなかった後付のスロットルコントーローラーについては

新た発見というのか気づくことがあったのである。

 

6段階あるモード中一番走行能力の高いSP4での事。

既に判ってはいた事だがこいつの応答性はやはり素晴らしいの一言。

国産大排気量車や高級外車の前後を走っていても全く問題ないどころか

ひょっとすればこちらの方の性能が高いのではと思わせる加速である。

 

例えば80キロで巡航中に前との車間距離が空いた時、

ほんの少しアクセルを踏むだけで瞬時の加速で追いつくことが出来る。

距離が詰まってきてペダルを離せばまた即座にアクセル全閉状態に戻るのである。

 

こう書くと昔のスパルタンな車みたいにピーキーでぎくしゃくした動きと

思われるだろうが電気モーターをオンオフするようにスムースなのだ。

 

今回こんなアクセルワークをしていて偶然気づいたのは燃費の件だ。

普段多少は省エネを気にしていることもあってスロコン使用を控えていた訳だけど、

少なくとも高速巡航というシチュエーションではかなり使える方法に思える。

 

それはインパネメーター左側のエコ~パワーメーターを上げない、

右側の瞬間燃費ゲージを下げない運転という意味なのだ。

 

「そんなこと今更言われんでも判りきった事やないかいっ!」

の声も聞こえてきそうではあるけどもう少し辛抱して見てやって頂戴な。

 

SP4モードで一旦流れに乗った後は出来るだけ惰性(慣性)を利用し、

アクセルは踏まないようにして先に書いたメーター表示を維持するのが基本。

 

当然そのままでは段々と速度が落ちてくるので次にアクセルを踏む時に

軽くちょこんと触れる程度で瞬時に最大パワーとなった時に再び全閉状態に

戻すのである。

結果両サイドのゲージは然程変化しないまま好位置を保持することが出来る。

 

単純にやっているのは5秒間アクセル全閉~0.5秒全開~5秒全閉~0.5秒全開を

繰り返すだけである。

これだけで平均燃費は18キロ前後をこれでキープし続けることが出来たのである。

 

省エネ走行時の常識とされているアクセル開度は一定に穏やかに操作するというのは

少なくともカムリハイブリッドには当てはまらないようだ。

クルコンのない素のままの状態で例えば大雪氏などがエコモードよりノーマルモードが良いと

言われているのも同じことだろう。

 

電気モーターの補助をどれだけ有効に使えるかがポイントなのだ。

必要速度まで一気に加速してからアクセルオフをお勧めする。

常識は何でも疑ってみると面白いかもな。

 

良いことづくめでないのも正直に報告しておかねばなるまい。

足裏名人クラスなら問題ないかも知れないがこれを繰り返していると

足がだるくなってきて疲れる(笑)のも確かだった。

今回のように片道600キロ超の走行では疲れないように運転するのも

非常に重要な条件の一つなのである。

 

とはいえ長い道中それなりに色々とトライしながら運転するのは面白いもの。

やっぱり車の運転が好きなんだろうな。

 

車ネタとしては以上である。

気が向けば九州出張記(?)は続くかも・・・。

 


和菓子の庵

2014-08-03 18:00:00 | 日記

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「先生どないですやろ?」

『いや大丈夫ですよ。』

 

三和土から一段高くなった玄関先に靴も脱がずに腰かけたままN先生はにこやかに笑う。

そしてお決まりのセリフが後に続く。

 

『この子はやったらできる子ですよ。』

 

勉強や運動など何かが特に秀でていることもなく極々平凡な子供だったろう。

敢えて褒めるとすりゃ陽気な性格くらいだろうか。

いや待てよ、逆に通知表の備考欄には落ち着きのない子と書かれていたこともあったっけな。

 

この日は家庭訪問の日。

この後にも何軒か廻る予定があるからと家に上がるのを遠慮された為、

狭い玄関先でお茶と田舎饅頭だけ出して母子、担任の3人が座って話すことになってしまった。

 

親にとっては子供の出来は常に心配の種である。

 

「センセ、来年になったら中学ですやろ?中学から習う英語は横書きで

左から書くのにこの子未だにギッチョが治らんのですわ。」

 

何をするにも左利きの私は字を書くのは勿論、草野球で打つのも投げるのも

そうだったし、たまに連れて行ってもらう当時大流行のボーリングも左、今ならゴルフも当然左なのだ。

 

字を書く事だけはかなり前から手を叩かれたりして右手に鉛筆を持たされた

気がするがどうしても治らずそのままになっていたのだ。

 

『お母さん、まず心配には及びません。

アメリカにもイギリスにも左利きの者はいますが、彼らが字を書いたり

生活に困ったなんて話は聞いたことありませんからね。』

 

N先生の話に納得、安心したのかそれ以降は母親に矯正されることはなく、

今の年齢になっても無事にギッチョのままなのは先生のお蔭かも知れない。

少なくとも先生の口添えで伸び伸びと左手を使えたのは間違いのない事実である。

 

前年大学を卒業し我がクラスの担任になったN先生。

今では見かけなくなった熱血漢の薩摩隼人さ。

ビンタ程度なら数回、授業中にチョークを投げつけられたりするのは茶飯事で、

6年生終わりの頃にはは物干し竿を教室に持ち込み教壇からコツンとやられたのも懐かしい。

 

今なら体罰教師と呼ばれて同じことをするのは全く無理だろうが、

先生に叱られるには当然それなりの理由があり生徒にかなりの落ち度が

あるのは明白で誰一人として親に告げ口する者も当然のようにいるはずはなかった。

逆に親に知れたりすれば更に家庭内でぺナルティが加わるのも間違いなかったからな。

 

教師の方も心得たもので大人が本気で子供を殴ったりする訳もなく、

大きな怪我を負わすなんてこともないよう手加減してくれてるのは大人になって判る事。

子供心には確かに怒らせると怖かったけどな。

 

たまの休日にはクラスメイト何人かと独身寮に押し掛けたり、

安月給だったろうに大勢を遊園地に連れて行ってくれたのもよく覚えている。

 

 

人間を50年以上もやってきて60の足音が聞こえてくる歳になると里心とでもいうのか、

何故か幼馴染を人さみしくなって思い起こしたり生まれ育った場所に郷愁を抱いてしまうのさ。

 

子育ては一段落し、場合によっては孫持ちもいるし、

まあ成人すれば一応は親の最低限の義務は果たしたと言えるだろう。

親の介護、看病もしたか出来たかを別にすりゃ死別という形で決着した。

 

若い時に持っていた進学や就職、恋愛、結婚なんてことへの悩みや

見栄、プライド、羨みや卑下なんてのもとっくにオサラバしている。

切実な問題とすりゃ長いこと放ったらかしの己の怠惰な生活から来る健康問題くらいだろうが、

生活が落ち着いてふと自分の人生や周囲に気が行く年代になったからではないのか。

 

そうなりゃ子供時分の友達に久々に会ってみたいと思ったとしても

極々当たり前の自然な帰結的思考なのかも知れない。

最近何故か同窓会の類が多く企画されて案内もちょくちょく来るのも頷ける話だ。

 

好き嫌いの振れ幅が小さい、良く言や人見知りのない、

広く浅くの八方美人的な私であるが参加することは非常に少ない。

土日は殆ど休みがなく仕事が忙しいからと尤もらしく理由付けしているが

本当は大勢で短時間集まるのが好きでないからである。

 

親掛かりの身で成人した頃に引っ越したといってもまだ地元近辺に

住んでいる者とすれば親しい友人達とはたまに飲みに行ったりしているし、

年賀状程度のやり取りで必要十分だ。

 

たとえ30年ぶりだろうが40年会ってなかったとして2~3時間で多くの者と会ったところで

どれだけ深い話が出来るかなんて考えてしまうしな。

といって深刻な話を聞かされるのはもっと御免被るのは書くまでのこともないだろう。

中途半端な気遣いやエエかっこだけしに行くのは面倒臭いという訳だな。

 

異性が相手なら尚更そう。

世間的にはもうええ歳のおば、いや熟年女性に色恋を期待する気は毛頭ないし、

昔は可愛かった娘の変わり果てた姿を見てもなあ・・・。

 

 

唯一の例外が小学校高学年のクラス会である。

 

通常毎年あるはずのクラス替えがなかった理由は今でも不明だが

5年、6年の昇級時になく、つまり4年からずっと3年間同じメンバーで過ごした事もあり、

何より5年の時に新卒で担任になったのがN先生だった。

N先生には2年連続で担任を受け持ってもらったことになる。

 

当時は親の教師に対する尊敬や信頼も考えられない程のものだったが、

卒業後も毎年年賀状をくれて40数年それが続いているのは実はもの凄い事なのだ。

 

特別自分だけが可愛がられたというのではなく

クラスで総員45名程いただろう教え子と30名近くは未だに音信があると聞けば、

その後の教員年月を思えば一体どのくらいの年賀状を正月に出しているのだろうか。

想像しただけで頭がおかしくなりそうになる。

 

結局この会だけは同級生ではなく皆誰もが先生に会いたいからこそ成り立っていると言えるのだ。

 

県内の小中学校を廻り教頭、校長、教育委員会と歴任して数年前に定年を迎え、

その後も嘱託扱いながら今度は幼稚園の園長を請われて就いていたのが

今春ようやく退任で遅まきながら慰労、お疲れさん会的に囲むことになった。

幹事は当時の委員長K。

 

Kは大手旅行代理店を役職定年で退職し4月からから某大学の教授に転身。

肩書き職歴は関係ないが二カ月ほど前に彼の新たな門出のお祝いと

先生の感謝、慰労の場をセットするように頼んでいたのである。

 

 

N先生については色々とエピソードがあるが、

最近、と言ってももうかれこれ15年位前に私の地元の小学校の校長をされていた時に

約20年ぶりに再会したのが印象に残っている。

 

うちの会社で市内の小学校に少しばかり寄付、

それは直接学校にお金を払うのでなく新聞社の週間だか月間だったかの

エポックな写真記事を学校に掲示するというのをやっていた。

よく中庭だとか廊下の掲示板にある○○新聞ニュースみたいな例のやつと書けば判るだろう。

 

小学校と中学校とどちらにするか選べるようになっており、

同じするならひねた中学生より純真な未来のある小学生の方が

良いだろうというのが理由だった気がする。

 

そんなある日、菓子折り持って突然うちの会社にN先生がやってきた。

「先生お久しぶりです。けど一体どないしはったんでっか」

 

『おう久しぶり。学校への寄付のお礼にと訪ねてきたらお前のとこやったとはなあ・・・!』

 

寄付は今回が初めてではないし、

また市が受け付けの窓口で学校直接に相手をするシステムでもないのに、

そこの学校長が礼に来たのは先にも後にもN先生だけである。

 

『市からはどこの企業からの寄付で賄われているのかの情報は

学校に来るから時間を見つけてお礼に行こうと思ってたんよ。』

「いや流石N先生ですなあ。」

 

 

というような経緯もあって先月N先生を囲む会が西宮市内で行われた。

集まったのは10名程度、今回はあくまで有志の会。

Kいわく同窓会と銘打てば来る来ないに関わらず

全員に連絡しなくてはならず時間的にも厳しいので、

比較的すぐに連絡の取れる者に限定で声掛けしたとの説明だった。

 

落ち着いてお洒落な雰囲気のお店は凄くええ雰囲気。

幹事のキャリアから選択されたのは間違いないだろう。

 

しがらみのない関係で好き勝手言える者同士の酒席はあっという間に終了。

ボンボンちっくだったアパレル関係のEが起業、結婚、事業閉鎖、大借金、

離婚、再婚、見事に返済完了して今はにデザイン学校の教師をやっているなんて

波乱万丈の人生話は面白かった。

着崩した服装が様になって決まっているのはは業界人として判るとしても

その飄々とした風貌は億の借金を抱えていたとは到底想像することは出来ない。

 

人生色々だとつくづくそう思う。

自分や家族が元気で暮らせているだけで幸せ、有難いとも感じるのは歳のせいだろうか。

 

気が付けば先生は芋焼酎に酔って眠ってしまっている。

鹿児島県人は誰もが酒に強い訳ではないようだ。

 

先生や委員長にも感謝しつつ近い将来の再会を期して散会となった。

 

 

卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱の問題はたまに話題になる事はあっても、

「仰げば尊し」が歌われなくなったのを論議する報道の記憶は残念ながら一切ない。

 

 

仰げば尊し 我が師の恩

教えの庭にも はや幾年

思えばいと疾し この年月

今こそ別れめ いざさらば

 

 

(了)