車好きオヤジのブログ

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で○かめ

2014-07-28 22:08:00 | 日記

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子供の頃よく行った銭湯。

ホント最近は殆ど見かけなくなった。

資本力のある企業のいわゆる「スーパー銭湯」なんぞとは

一緒にしてもらっちゃ困るぜ。

あれとは一線を引く似て非なるものだ。

内湯が当たり前になり客も減り採算が合わなくなったのだろう。

 

「外湯」「内湯」なんて家に風呂があるのが普通の今は

死語と言っても良いかも知れないな。

自宅外にある銭湯は当然「外湯」だ。

 

小さい風呂があったうちの家でも結構銭湯に行くのは特別でも何でもない

今のコンビニに行く程度の感覚だった。

 

夕方の時間帯なら近所の友達の誰かに会えるので面白かったし、

何より父親と一緒の時には風呂上がりのラムネかヨーグルトが

とても楽しみだったのさ。

ラムネは今でも縁日などで見かけるな。

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ヨーグルトは今の健康食品みたいな物と違って

どう考えても子供のおやつ。

太目の牛乳瓶の下2/3を切り取ったような寸胴なガラス容器で

瓶の周囲には確か象だとかキリンなんかの動物のイラストが入っていたような気がするな。

 

それとは違う意味で番台に金を払う一瞬だけその場に一旦停止する時はやっぱりね。

今ほどスケベではなかった子供時代でも女性の裸にはドキドキしたもんさ。

 

当時の銭湯でも入口は一応別々。

入ると男女の仕切り壁の真ん中に大人の背丈より少し高いくらいの場所に番台がある。

お金は丁度手を伸ばして払う格好になる。

 

仕切り壁の番台側は風呂屋の従業員用の扉がひとつ。

これが今では考えられない事にどちらからでも押して入れる自在蝶番型なのさ。

西部劇に出てくる酒場の入り口にある扉をイメージしてもらうと判るだろうか。

運、いやタイミングが良く従業員が出入りする時にあえば

瞬間丸見えという状態になったのも思い出すなあ。

 

家族で男湯、女湯なんて別れた際には仕切り壁越しに声掛けしたりも

日常の光景だったし風情があったよね。

 

犯罪のリスクを犯すほど大胆でも能天気でもなかった小心者の話は

今回の記事が文字数がいつもに比べて少ないのもネタ不足なのが

本当の理由なのは賢明なガズー閲覧者にはお解かりだろう。

 

ガズ友の皆さんが綺麗な写真を添付しているのもこちらはネットから拝借、

若しくはガラケーの当方にはいつも羨ましく申し訳ない気持ちだったのもあって

昨日数年ぶりにカメラを買い替えたんだ。

 

以前持っていたのは画素数が少ないのは良いとしても

引越しの時から充電器が行方不明になったまま放置されていたのだ。

要は使えなくなっていたのである。

 

ごく簡単に撮る目的だから大雪氏を初めとする本格的な一眼ではないのは勿論さ。

「長いものにまかれやすい方や、独身男性の皆様にも安心してご使用いただける」

カメラというタイプの代物である。

 

こんなまどろっこしい言い方になるのは日本カメラ製造者組合に

聞いてもらうしかないが放送禁止用語になっている程の差別的言い方だかららしい。

曲解されてそうなったのではないかと思われるが意味だけは理解している。

が、誰もが既に感づいているだろうに。

正直本音を一言だけ言えば

「ほんまあほらし」

 

心で思ってもわざわざ口に出すことはないぜ。

私は小市民なのである。

 
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ぱらぱ~!ぱぱぱぱぱぱぱパラパ~♪♪

2014-07-20 18:00:00 | 日記

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我々が日常使う関西弁、厳密には近畿圏では南部の河内や和歌山、兵庫の播州、

京都、滋賀などが微妙に言いまわしが違うという細かい話は抜きにして

一般的には大阪弁と言って良いかと思うが、

今ほど日本全国に認知されたのは1980年代の漫才ブームをきっかけに

大阪の吉本興業や松竹芸能を中心とするお笑い芸人の活躍があったからなのは

間違いのないところであろう。

 

そのストライクゾーンど真ん中に住んでいる俺に自覚があるはずないが、

ともすればそれまでは時代劇に登場する浪花の商人(あきんど)の

「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんな。」的なへらへらとした愛想のある装いながらも

小狡い強かさを内側に隠し秘めた気の許せない者が関西人と思われていたようだ。

 

PC、スマホのネット文化がまだなく限られた娯楽の一つだった当時のテレビの力は

そりゃ凄いものである。

敢えて弊害とすれば普通に会話しているだけなのに関西人は皆誰もが

漫才師みたいに面白い人間だろうと思われるくらいだろうか。

狡猾な奴と思われるよりはまだましだろうな。

 

先の漫才ブーム以降お笑いの形態も様変わりし、

一発ギャグだけの者や走り廻ったり飛んだり跳ねたり、どついたりこけたりと

まあ色々な芸風のコンビが登場してきたのだけど、

やはり漫才の本質、王道は二人の掛け合いの妙、会話による面白さだと思うのである。

 

古くは中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・こいし、横山やすし・西川きよし、

その後のB&B、紳介・竜介も面白かったし、

超売れっ子になったダウンタウン、とんえるずも当初は漫才だったよな。

 

今ちょっぴり応援しているお気に入りの一組がこいつらだ。

と言っても若手でもなくもう組んで20年近いベテラン、中堅コンビなのだ。

お笑い好き以外にはまだまだ全国区とは言えないが、

そのテンポ、やり取りはかなりのものだと思うぜ。

 彼らの代表作、3分程度の物なので是非一度ご覧あれ。

http://youtu.be/HpAWBLjZH4E

 

テンダラーって言うのさ、覚えておいてやってね。

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Bは京阪沿線の関目駅から徒歩1分のところにあるライヴスポットである。

コンクリート製の建物の階段を二階に上がると周囲の喧騒から隔絶されたそこは

もうすっかりリラックス空間に早変わりだ。

 

行き慣れたライヴハウスより遥かに広いそこはテーブル席で50人はゆったりと

座れて勿論演奏者のスペースも十分に取ってあり、

いやがうえにもオーナーの拘りを感じざるを得ない雰囲気がある。

 

一般アマチュア向けにも貸出日のある施設だがプロの演奏が

主にジャズを中心とするライヴが多いのはオーナーでもあるM氏が

日本を代表する一流のトランぺッターだからなのだろう。

若い頃からビッグバンドでの経験を積み現在はお店のオーナーであり、

外部にも演奏活動をしに行くアーティストでもあり、

当然弟子や教え子を持つ師匠、先生でもある。

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と書けば小難しい神経質な親父と思いきや日本サッカー協会のチェアマンだった川渕三郎が

泥酔してノリノリになってしまったみたいな感じの陽気な男性である。

彼に限れば関西人イコール漫才師みたいな的法則は間違いじゃないだろう。

だけど一旦ラッパを咥えた途端にプロミュージシャンに豹変するのは流石やるもんですな。

 

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持つべきは友と陳腐で使い古された言葉を出すのも恥ずかしいが、

この場、M氏を紹介してくれたのはドラマーのKなのさ。

 

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近くで演奏する際には声掛けしてくれるので仕事を忘れてストレス発散、

旨い酒と洒落た演奏にすっかり嵌ってしまったようだ。

 

今日はピアノ、ベース、サックス、ペット、おっと忘れちゃならないドラムの

シンプル構成だったけど大人の世界って感じだったね。

 

俺と変わらぬくらいの年齢だろうか別嬪のピアニストMさんはイメージ的には「センセ」。

文字にすればそりゃ先生の意味だが語感的には「センセ」なのだ。

もう35年以上前の高度経済成長~バブルまでの古き良き時代の思い出さ。

 

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北新地のクラブではまだカラオケも今ほど常設されてなく、いや寧ろ置かないで

静かにゆったりとホステスや客同士が談笑できる社交場的な所が多かったのだ。

 

勿論大きな店ではバンドを抱え生の演奏を聴かせてくれるクラブもあったが、

殆どの小さな店では片隅にピアノがポツンと置いてあるのをよく見かけたものだ。

もっと大衆的な飲み屋や居酒屋には「流し」もよく顔を出していたな・・・。

 

そんな日頃は誰にも弾かれることのないピアノは決まった曜日や時間だけ

ピアニストの女性がやって来て演奏を聴かせてくれるのだった。

店からも常連からも「センセ」と呼ばれる自分より少し年上の音大学生(?)のような

彼女達には大人の女性の魅力と美貌にちょっぴり憧れる存在だった。

今では考えられないくらいに景気の良かったあの頃、

大企業の幹部や中小零細の経営者、官僚連中も含めた

いわゆる社用族には熱烈なファンも多くて

今でいう追っかけみたいにセンセの出る店を先廻りするかのように通う親父達も多かったように思う。

ある意味下手なホステスよりも稼ぎも良かった気もするなあ。

 

何故かMさんには「センセ」の面影を見てしまうのは酔いの廻った感傷かもな。

Kに話すと笑いながらも否定しなかったのは案外的外れでもなかったのかも知れないが。

知らぬが花、直接問うような野暮はする訳ないさ。

 

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店の開演前に外で待っていた俺に声掛けしてくれて中に招き入れてくれたのは

今日のバンドのリーダー的存在のサックスO氏だった。

一見すると何処にでもいそうな隣の家の庭で植木でも触ってるのが似合うような人生の先輩。

こちらも一旦演奏が始まると流石一家言お持ちのジャズメンであった。

M氏が一目置く存在と言うのも頷けるというものだ。

 

注)下記はリハーサル中のショットである

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そんなこんなで今日も酔っぱらいオヤジの夜はジャジーに気分よく更けていく。

グッドナイ~ト♪♪

http://youtu.be/xqIgheBRhaI

(了)

 

ライヴスポット ブラウニー http://brownie.is-mine.net/

宮岡信夫 http://www18.ocn.ne.jp/~trumpet/

 


チクワっとカマボコ頂戴な♪♪

2014-07-13 17:30:00 | 日常

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ある日の夕方私は一人神戸の地に足を踏みしめていた。

折りしも沖縄や九州を直撃し甚大な被害をもたらした

台風8号が関西に最接近した日のことだった。

 

個人的な観光ならばおそらくキャンセルしただろう。

ポートアイランドでの会議、謂わば仕事の為、

わざわざこの日栃木から新幹線で来たばかりだった。

 

前日大阪の上司に会議が台風の影響で中止になる可能性もあり

問い合わせしたものの、

「あるに決まっとるやろ、ボケ、カス!絶対来なあかんで。」と言われては、

サラリーマン稼業の悲しさ、辛さ、厳しさが身に滲みるとは

まさしくこの事なのかと思ってみても仕方ない。

 

それよりも今回はアフターファイブに期待するとしようかね。

実は今日はガズ友の一人と会うことになっているのさ。

 

ポートライナーの市民広場駅前に行くと写真で見たことのある

AVV50Nが停まっていた。

 

窓の開いた運転席を見れば中年の男性がニヤニヤしながらこちらを伺っている。

KOさんだった。

初対面だけど旧知の仲みたいに思えるのはカムリコミュニティのお陰だろう。

 

車から降りたOさんと固い握手を交わしてすぐに、

「良かったら運転しません?」と言われたのは嬉しかったけど、

さっきまでの会議でもうくたくたに疲れてたのと慣れない土地勘では

流石にいきなり代わって運転する気にはなれず丁重に辞退させてもらう。

 

これからOさんの自宅に車を置きに帰ってそのまま一献傾ける段取りだ。

距離にして約50キロ、殆ど高速道なので1時間くらいで到着するだろう。

 

翌日の大阪での仕事も考慮して会社近くのビジネスホテルは予約済みだし、

神戸から大阪方面の中間地点にOさんが住んでいるのも事前に織り込んでました。

 

自分の車と同じ色のシルバーメタリックの車の助手席に乗るのは

運転席の風景に慣れた私には何だかとても妙に気分になるなあ。

目に付く違いは彼の自慢のレカロシート。

天然牛の表皮は確かに高級感があるし機能的にも良いとは思うけど結構高そう。

 

いや、その前にこの車の助手席もシートカバーひとつで

同じ室内がこれくらい感じが変わるならカバーだけでも付けたい気になるなあ。

それにはまずかみさんの許可を得るのが私の場合先決事項なのだけどね・・・。

 

気のせいか替えたばかりのタイヤのお陰なのか乗り心地もソフトな感じがする。

Oさんによればそれはタイヤじゃなくてパフォーマンスダンパーの効果らしいけど高速域は本当に快適だ。

自分の車と比べて伝わってくる音も間違いなく少なくて静粛性は優れていると思う。

 

道も空いていて100キロ弱で走行のOさんはご機嫌そう。

一応話を合わせていたけどBGMで掛かってる曲は

どう考えても最低2、30年以上は前の物ばかりなのにはちょっとビックリ。

桑名正博なんてこれシングルデビューする前の曲じゃないのかな?

 

突然Oさんが緊張した面持ちで追越から走行車線にレーンチェンジ。

直後に後ろからパトライトを点灯させて高速機動隊が・・・。

実は高速と名がつく阪神高速は都市高速なので制限時速は70キロ。

おそらくその時90キロ位で走っていたはず。

「ああ、やっちゃったか・・・。」

 

パトカーはパトライトを廻しながらそのままO号を抜き去って行くじゃない。

これはツイテル、ラッキーだったね。

 

しばらくして急に渋滞しだした先を通過した際、理由が判明。

おそらく台風の影響からだろうか事故が頻発していたのです。

事故現場に緊急で向かう為のパトカーだったようだ。

 

阪神高速から中国道に合流する30分くらいの間に3度事故が起きているのを

目撃してしまうことになる。

3度目のなんて大型トレーラーがまだレッカーで牽引処理されてる状態で

3車線中2車線を塞いでいるのを考えれば

事故直後は全車線をストップさせるくらいになっていただろうと思えた。

 

事故渋滞に巻き込まれながらも予定通り1時間ほどで

Oさんの自宅近辺の駅前に無事到着。

外は蒸し暑くてちょっと喉も乾いてきたのもビールが恋しくなってきちゃう。

近くのお店を予約してくれてるみたいなのでこれからOさんの案内で落ち着くとしよう。

 

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折角わざわざ関東から友人がやってきてくれるというのに

ホント今日は鬱陶しい日になっちまったぜ。

 

大型の台風は今朝九州に上陸したばかりだが、

いつものように日本列島に近づくと一気に速度が上がり

今晩近畿に最接近するらしいとラジオの天気予報が伝えている。

 

実はここ数日どこで一杯やろうかと色々考えていたのだが

今回の台風で最悪の暴風雨を考慮すりゃ駅から徒歩圏で傘も要らないような

場所を押さえなけりゃならないのは数少ない選択肢が更に限られてくるよな。

 

当初は神戸で仕事を終えた彼がそのまま電車で俺の自宅近辺まで来て

落ち合うつもりだったが都合よく仕事も片付いて時間もあることだ。

 

よし、このままポートアイランドまで迎えに行くとしよう。

俺のお気に入りのレカロに乗って運転してもらうのも良いだろう。

 

メールで場所変更の連絡を済ませ市民広場前で待機していると

チラチラとこちらを伺いながら階段を下りてくる男がH氏だった。

 

何となく写真のイメージしかなかった俺には意外や意外、

デューク東郷ばりの揉み上げからは想像できない穏やかな男であった。

見た目はいわばヤサ男、女性にモテそうな非常にソフトで甘いマスクなのだ。

 

話だすとそれは見た目通り、いやそれ以上に大人しく優しい性格なのはすぐに判った。

丁寧に言葉を選んでから声にするような口調なのに驚かされる。

 

流石このコミュのご意見番的Wさんが一推しするはずだ。

多分標準語なのだろうがWさんと話した時に感じた関東弁的違和感を

感じさせないのは短い期間関西にもいたことのある彼が

気づかぬうちに合わせてくれていたからだろうか?

 

アルコールの力で何とかその殻を破ってみたいなんて考えていたのだが、

ふとSさんやWさん達と同様の酒豪であるのも思い出し、

どうしたものかと思案しながら運転してると

 

「!!!?」

 

バックミラーにはいつの間にかパトカーがパトライト廻しながら

追尾しているじゃないの。

走馬灯のようにあと3年半後の免許更新時に納得できない携帯電話使用での

違反切符に物申す為の作戦も使えなくなるなんて思い巡る。

 

急ブレーキも踏めず左に車線変更して減速するも、

俺を追い抜いて車両の前方に廻りこみ停車を促されると思った刹那、

何事もなかったかのようにそのままパトカーは抜き去って行ってしまった。

 

 

「助かった~~~!」

ツキを活かす為にも慎重に運転するしかない。

 

気づけばいつのまにか風も雨もほとんどなくなっている。

去年Wさんが来た時も直前に台風がやってきて影響を受けた前線のせいで

雨だったのに会ってすぐにそれも止み、景色を見ながら食事が出来たのだった。

偶然なのか何か不思議なパワーが出ているのかも知れんな。

 

車を置きに帰って再び合流しまずは「お疲れ様~乾杯~!」

明日はお互い仕事もあるしチャッチャと飲んで食べて軽く行きましょうか。

 

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Kは駅から徒歩1分の場所にある鳥と鰻の店だ。
 
本名を店名にした店主のKさんは気さくな、いや男みたいな竹を割ったような女性である。
 
彼女の実家は和歌山で江戸時代から続く地鶏と鰻の専門店なのは後に知ったことだが、
 
俺の場合は単純にその日のお勧めを頼むのが定番になっている。
 
 
お任せの造りと焼き鳥を頼んでビールのH氏と麦焼酎で乾杯!
 
互いの仕事の話なんかから始まった話もガズ友の話題に移っていくのは自然な流れ。
 
くしゃみの出た御仁もいたかも知れないな。
 
 
感心するのはH氏、少々飲んでもその姿勢、言動も穏やかそのもの。
 
いつぞやWさんやSさんとのオフ会では弾けまくりだったのがウソのよう。
 
まあ、俺レベルの酒量では崩せる訳もないのだがな・・・。
 
鳥づくしのメニューはかなり量もありH氏もお腹が膨れたようだ。 
 
時間もまだ8時半、もう一軒行くとするか。
 
 
当初の思惑とは別に時は深更に及んでいくのであった。
 
お互い終電に乗ることになるとはこの時には思いもしなかったのである。
 
H氏の存在を忘れるくらいに隣に座った初対面の客に対してヒートアップしてしまい、
 
色々と迷惑を掛けてしまったことも正直に告白、謝罪しておこう。
 
 
それでも黙ってにこやかに微笑んでくれるH氏にはもう乾杯、いや完敗である。
 
そろそろもう遅いと促されてなければどうなっていたかも自信はない。
 
その後、結局というのか予想通りH氏は一糸の乱れもなく静かに去って行ったのだった。
 
楽しい時間が経つのはアッという間でという言い訳しかないが、
 
遅くまで付き合わせてしまったH氏には申し訳なかったなあ。
 
 
二人だけの飲み会だったが一週間後に控えた北海道での大オフ会の
 
露払い的にはなったように思うのは俺だけだろうか・・・。
 
 
へ~い、へ~い毎度、有難とさん♪♪
 
 
 
(了)