車好きオヤジのブログ

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「掟破りの超反則技」

2017-01-24 18:30:00 | インポート

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通勤に便利だからと自宅から京都に一人住まいする

娘が帰ってきたのは全国的に大雪となった日曜日の朝だった。

 

元々は週の半ばに彼女の誕生日があり帰省するのは毎年のことだが、

律儀というか実際にはご馳走にありつけるというので家族の誰の誕生日であろうと

必ず帰ってくるのは定番化しているのである。

 

前日の朝から頭が重くて近所の医者に診てもらうとインフルエンザ。

週明けから1週間勤務も停止となってしまっては一人アパートで悶々とするのと比べるまでもなく、

無料で顎足つきの完全看護の自宅では選択の余地もあるわけがない。

 

因みにその数日後今度は嫁はんも罹り、予防接種をしていない俺だけが大丈夫なのも

なんとも不安な現在なのであるが。

 

折角の誕生日を向かえて食欲もないのがスゴク悔しい娘に対して、

ここは一丁親父らしく何か考えなければなかろう。

 

熱っぽい体には冷たい物が良かろうと思う前に既にアイスクリームのリクエストがあり、

購入済みでは多少の二番煎じは否めんが六甲山牧場のプリンを買って帰ることにしよう。

 

実際には近所の百貨店や専門店でも入手出来ただろうが、

娘への土産の口実に午後から暇な仕事を抜けて六甲山ドライブとしゃれ込んだ。

 

当然多少の積雪や凍結は織り込み済みさ。

せっかく先月早々にスタッドレスに交換後に今シーズンは一度高速で経験したままで、

まだ雪の山道は通ったこともないのが実のところちょっぴり心残りだったのよね。

平日の日中はそりゃガラガラ空き空きで運転もしやすいのも予定通り。

 

ゆっくり逆瀬川から昇る六甲は昔、何度となく通ったデートコースなのである。

遠くを見つめ物思いに耽る間に段々と道端には溶けずに雪が残っていて気が抜けない。

 

慎重に運転を続けると前のマジェスタに追いついてしまった。

車高をやや下げたような若者仕様でどうやらカップルのようだ。

折角の六甲ドライブデートもノーマルタイヤでは自転車並みの速度である。

決して煽ったりせず追走していただけだが、

俺に気づいたマジェスタは路肩に車を止めパスさせてくれたので

頂上にあるレストハウスまで一気に駆け上がった。

予想通り店内は開店休業状態の客は俺ひとり。

目当てのプリンをゲットしてふと思いついたんだよね。

 

以前アルミテープやバランスエッグを購入して過去最高の燃費を記録した話を

ブログアップしたのを覚えてるガズ友もいるだろう。

あの時は裏六甲の北側を通る中国自動車道を西宮北インターから

池田インターを通るルートで記録したものだったが、

六甲山頂から裏六甲側に下りて高速を通れば更に記録がアップするのではないかって事さ。

このまま下った阪神高速からは中国道に合流するまでの道のりはほぼ下りしかないのだから。

 

てことで来た道をUターンせず、そのまま山を行き過ぎた反対方向に下り、

高速を利用して帰ることにしたという訳である。

夜なら凍結の恐れもある裏六甲への下りの道も前後どころか対向車も1、2台の

ほぼ独占状態の道路状況であった。

自宅までの40キロ弱を走行した結果がこれさ。

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まあこれ以上のシチュエーションは現実的にはないと言うべきか、

これに比べりゃ三菱やワーゲンの燃費改ざんなんて子供だましの可愛らしさ、

ユセフトルコの目を盗んで栓抜きをパンツに隠すような良心的なものでないのは間違いないな。

 

 
初投稿の動画が無事にアップ出来ました。
裏六甲を下りた時のものですが、映像で見るより結構急な下り坂なんですがね。
因みにアクセルは殆ど踏まず、使うのはカーブ手前のブレーキのみという状況。
 
 
調子に乗って先の前週の分も上げときます。
こちらはマイク入れ忘れで音声はないですけどね。

ニッコリ~、はいちー○!

2017-01-09 18:00:00 | インポート

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世間はそろそろ松の内も明けぼちぼちと平常の暮らしに戻ってきた頃かな。 

それとも成人式を含めた3連休で最後のバカンスと出かけてはるのでしょうか。

俺は先週から仕事に出てるものの加齢と共に基礎代謝が落ちたからなのか、

年末から増加した体重がどうも落ちない以外は変らん毎日です。

 

元日に行った近所の神社で引いたおみくじは「半吉」というどうにも中途半端な

俺自身にピッタリ当てはまるような内容だったが今年はどんな年になるだろう。

願掛けせずにお礼参りだけをしておいたので多少は愛いヤツと 

神さんも考えてくれると信じることにしよ~っと。

 

せやせや最初に書くのを忘れてたけど今回も車ネタ切れ中にて身内のぐだぐだ話っす。

ま、断らんでも殆どいつもそうですわな(笑)。

 

プレハネムーンだった妹からも無事に帰国したとのメールが来た。

「世間的にはかなりの晩婚やけど一番いい時期になったと思ってる。

子供には恵まれんかったのも意味があることやと思うし、

その辺りも両親はきっとお見通しやったやろけど、ほくそ笑んでるはずやわ。」と書いてあった。

 

そのメールと前後するように先日噂をすれば何とやら、

今度は姪のYからお礼のメールがあった。

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先月姉から相談があって話を聞くとハイチの復興支援ボランティアをやっているらしい。

 

ハイチってのはアメリカ大陸の北と南の丁度中間、カリブ海に面するキューバや

ジャマイカなんかの隣国の「ハイチ共和国」のことさ。

 

そのハイチが昨年10月に大型のハリケーンで200万人以上が被災し、

700人以上が死亡したのを覚えているでしょうか。

 

元々貧困な国でその後の復興状態もまだまだ進んでいないらしく、 

休日を利用しては現地を訪れ慰問や諸々活動しているらしかった。

 

日本でもはやこまさんみたいな立派な方もいるものの、

まだまだそういう慈善活動は活発とは言えないだろう。

 

いや何でもやってるもんですな、役得を利用して現地往復航空運賃は無料らしいが 

そういうのは向こうの方が積極的な気がします。

 

そのYが基金(寄付)を集めているので幾らかでも頼めないかというのが 

今回の姉からの相談事でした。 

 

たいした金額は出来ないし不要だとも言われ50ドル出したお礼のメールだった。

社交家で結構人脈もあるYらしく目標金額より上回っているのも喜ばしいこってす。

 

Yの写真を見て改めて気づいた事は少々手前味噌ながら「ニコッ」と笑うのが上手いね。

一応口角を上げるというやり方は俺も知識では判っているはずだが、 

どうも俺の場合「ニタ~」、「デレ~」、「ヘヘへ」、「ガッハッハ」的になっちゃうもの。                   (日本人だからでなく俺だけかもやけど・・・。)  

               

姉によると勤めている大手航空会社Dの社内募集で「アンバサダー」てのがあり、

任命されると日常業務とはまた別に世界各地のイベントに自社の宣伝を兼ねた

特使として参加する役割らしいが、それにいつの間にか応募し1次選考はクリアしたらしい。

 

そういうイベントには産業界、政界、スポーツ、芸能などのVIPも来ているはず。

色々な人達との出会いの機会が増えるという意味からも選ばれればいいなとは思うものの、 

とにかく一つの場所にじっとしてられない彼女だけに最終まで残ろうが落ちようが関係なく、 

放っといても次々と新たな展開に向けて進んでいくのだろうと俺は思うけどさ。


こいつぁ春から縁起がいいわい

2017-01-04 10:00:00 | インポート

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今回は単なる身内ネタで面白い話はありません。

読み進まれる場合は諸々ご了承願います。

 

 

大晦日もカウントダウンの時間にはすっかりほろ酔いで

何となく気づいた翌朝、いつの間にか元旦を迎えた2017年。

 

のそのそ起きだしトイレに行きつつふと机のスマホを見ればメールの着信が。

 

既に今の時代ではメールの「アケオメ」が一般的になっているようだが、

やっぱり俺の世代は年賀状だよな。

なんて思いながらメールを開けるとハワイにいる妹Aからだった。

 

昨年9月に帰国した際の記事を載せたのを覚えているガズ友もいるかな。

 

いやハワイではなく、確か恋人と一緒に年末年始は旅行で日本に滞在しているはずだ。

成田から直接北海道に飛び日本の北側を中心に廻るので

うちには寄れないけどヨロシクねと年末に連絡があったのだった。

多分元旦は新潟の旅館だったはずだが、こちらから連絡入れるほど俺は野暮ではない。

 

学校を卒業し無事に就職できた大手自動車会社Tの系列会社を20数年前に

「外人に日本語教える教師になりたい」という理由で突然辞めてしまった。

 

確かに当時はジャパンアズナンバーワンなんて言われて

ある意味将来性のある職業だったかも知れない。

 

だが俺は姉が既に同じように会社のスカラーシップ制度で留学し、

在学中に米国人と恋愛の末結婚したのが大きく影響を与えたからだと思っている。

 

YWCAに登録してシンガポールに派遣されて2、3年程した頃に

たまたま姉が申し込んだグリーンカードの申請が受理されたのを機に

今度はアメリカの大学に入り直してから10数年もの間ずっと学生のまま。

 

要は色々な大学を卒業しては新たに何度も移って最終的になったのが

サイコロジスト(臨床心理学士)ってやつですわ。

日本語教師は一体どうなったんやろねえ。

 

親にすりゃそりゃあ堪らんかったろう。

3人兄弟で娘が2人海外に出て行くわ、それなりの費用も当然掛かる。

20年間近く学費だけでなく生活費やアパート代などを海外に仕送りし続けてた計算だからな。

 

姉の場合は学費は会社持ちで妹の場合はほぼ親掛かり。

 

多少の嫌味や皮肉も父親の「俺の金でお前には迷惑は掛けん」と

言われりゃ黙るしかなかった訳だ。

 

その後もアメリカ、中国、日本と一ヶ所に留まらずどうなることかと

思っていた末に行き着いたのがハワイ。

 

そこで知り合った男性と仲良くなり、今回の旅行も彼と一緒。

付き合ってもう4、5年になるだろうか。

 

それまでも何度も日本に連れて帰ってきていて、

既に我が家にも紹介済みの彼Gは非常に柔和で穏やかな紳士。

 

弁護士資格を持ち、音楽プロデュースなど色んなことをしている実業家でもあり

経済的にもかなり裕福なのも好印象にプラスされることとなった。

 

妹から元日に届いたメールには1枚の写真が添付されていた。

そう彼に求婚されたのだ。

Aからは以前からとても大切に想ってくれていると聞かされていたので当然快諾である。

 

俺や姉は勿論だけど、それ以上に9年前と8年前に逝った両親も

草葉の陰で諸手を挙げて大喜びしていると思う。

ある意味プレハネムーンだった訳でツアーの申し込みや手配など

特に指輪を渡すタイミングなんかは日本人ではないシチュエーションだったろうな。

Gさん用意周到に計画したことでしょう.。

後は週末帰国の途につくだけとなりました、お疲れ様でした。

 

末永く幸せに!