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人生色々と人は言うけれど

2019-02-04 12:05:00 | インポート

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いつものように近場の居酒屋に向かう道中のこと。

携帯に着信があったのは3年前のある日の夕方。

見知らぬ番号だったが非通知でない限り出るのは問題ない。

 

「○○さんでしょうか?」

『はい、そうですが。』

「Mです、覚えてるかな、ご無沙汰。」

『おお、久しぶりやなあ。で、どうしたんやまた急に。』

「いや、実はな・・・・」

 

高校時代の同級生Mだった。

10名程度が集まったプチ同窓会で会ったのは20数年くらい前だったろうか。

共通の知人Nをつてに私の携帯番号を聞いて掛けてきたらしい。

 

1学年8学級で一度も同じクラスではなかったものの、

相手が男性に限れば広く浅く誰とでも付き合うタイプだったお陰か

Mとも結構仲良くさせてもらっていた。

 

スポーツマンで特に小学生の頃は地元の少年野球チームの主軸。

全国大会に出場し決勝戦の甲子園球場でも4番で優勝。

名門私学の推薦を蹴って地元公立の中学、高校に進学していると聞いた。

 

野球漬けにはなりたくないと高校では柔道部、当然黒帯。

出会った頃は既に武道家、格闘家を彷彿させるような筋骨隆々の体型だった。

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今のように近所に気安く手軽にスポーツジムなんて無い時代。

カンフー映画のブルースリーみたいに農家を営む旧家の庇下に

サンドバッグを吊るして殴ったり蹴ったり、腕立て伏せしたりと

日夜トレーニングを黙々と励むちょっと変わった存在だった。

 

丁度その頃劇画で流行った「空手バカ一代」に感化され、

主人公が山中に籠り修行するのを途中で挫折しないよう、

見た目が格好悪くて人里に下りていけない状況にする為に

片方の眉毛を剃り落とすのを真似たのだろう。

 

ある時、何を思ったのか衝動的に自宅で片方の眉を落としたものの、

連日通学する学生の身で外出しないで済むはずもなく、

母親に「この親不孝もん」と叱られながら毎日眉毛を書いてもらい

学校に来ていたのは仲間内では有名な話だった。

 

普段はその風貌とは逆に非常に温厚でシャイで硬派な性格で、

おそらくは本気で喧嘩をすればかなりの猛者だったろうが、

ツッパリ連中にも一目置かれたか一度も揉めるような光景を見ることは無かった。

 

私に対しては好きな同級生の異性相談や右よりの愛国精神の持ち主で、

将来の夢は「皇宮護衛官」になりたいなんて話をよく聞かされていた。

ノンポリで取りあえず大学に行ってゆっくりしようかという者が多い中で

現実的な将来を語る友達は私の周囲では彼だけしか思いつかない。

 

卒業後も彼の下宿先に遊びに行ったり友達との麻雀で卓を囲んだり、

一緒に草野球チームで市内のリーグ戦に出場したりしたものだった。

Mが軟式の球でオーバーフェンスのホームランを飛ばしたのを

目の当たりにした時は驚くだけでなく中学進学時にスカウトされたのは

やっぱり真実だったのだと納得したものだった。

そんな行き来があったのも20代前半まで。

 

互いに仕事や家庭を持つようになってからは何とはなく疎遠になっていた。

Mが地元の消防署に就職したと人づてに聞いてはいた。

 

先に書いたプチ同窓会でも他の友人を交えての会話で

その時は特に深い話をすることもなかった。

 

 

「生き方人間学探求」を謳うTという月刊誌がある。

それから抜粋した記事を毎月輪読した後で感想や意見を交わす、

愛好会が全国各地にあるのだが、

25年ほど前に仕入れ先の営業担当Sから無理やり誘われ

地元の会に参加したことをきっかけに何故か今ではそこで世話人をするはめに。

 

雑誌に毎月掲載される活動報告の投稿者名を見て私ではと思っていたようだ。

Mは熱心なTの読者で何年も前から私ではないのかと気づいていたらしいが、

同姓同名の可能性もある上に長いこと直接やり取りをすることも無かった為、

共通の知人から携帯の番号を聞いて確かめる気になったのだと言う。

 

早速Mも入会したのは書くまでも無い。

再会したMは仕事柄今でも鍛えているようで

昔より若干太めになった体型はマス大山のようだった。

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また少ない人数の会ながらも殆どが人生の先輩達の話を聞くのも

非常に為になると喜んでくれていた。

 

特に今の世話人になってからは一次勉強会より二次懇親会、

要はただの親父連中の飲み会に力を入れていたのもあり

Mと痛飲することもしばしばだった。

 

半年ほどして突然Mから「体調不良により暫く休会させてほしい」とメールが来た。

ひょっとして飲ませた酒が悪かったのかと電話を入れると

「いやそうやないねんけど、入院するので休職させてもらうことになったんよ。」

長期の病欠となればあまり良い状態でもなさそうだ。

詳しい病状は聞かずいつでも待ってるから連絡を頂戴と返答するしか言えなかった。

 

全く音沙汰の無いそれから半年後、気になってメールをすると

「まだ病欠のままなんよ。また元気になったら頼む。」との答え。

 

詳しい病状が判らず見舞いもどうしたものかと思っていた矢先、

NからMは(内臓系の)ガンに罹っていること、

それでいて抗癌治療、特に外科的なものは拒絶していていることなどを知った。

また病院も早期に退院し自宅で療養する方針なのだと報告があった。

 

心配するNだが私はどういう治療を選ぶのかは患者や家族の問題で

他人が口を挟むことは出来ないし、すべきではないだろうと思う。

 

更に二年弱が過ぎた昨年の11月、気になって自宅に見舞いに行ったNから

その後もずっと同じ状態でガリガリに痩せて食事も満足に摂取出来ていない、

あれでは年越しも難しいのではないかと言う。

 

見舞いにも行かず、いや容態を聞けば更に行けず冷たい男と思うだろうが、

外科手術だけが抗癌治療では無いし1年半もそれで生きながらえているのなら

ひょっとしてMの選択が正解だったのかも知れないじゃないかと

Nと口論になってしまう始末だ。

それは私の心の願望でもあったのだが・・・。

 

先週そのNからMが昨年の12月に亡くなっていたと聞かされた。

奇跡は起きなかった。

家族葬ならぬ密葬で親戚にも知らされずM宅だけで行われたらしい。

たまたまMの従姉が同級生にいてNだけに教えてくれたそうな。

その従姉ですら直接知らされたのではなく事後報告で49日も済ませたと

先週葉書が1枚来ただけだったのである。

 

今、思い起こしても色々なことが胸中に去来する。

悔いはないがただただ残念で悲しい。

決してその年齢が高ければ良いとは言わないが60は余りに早すぎる。

ただ離れた場所から手を合わせて拝むしかすることが思い浮かばない。

 

(了)

 

辛気臭い話で申し訳ない。

例によってそんなこともあるかも知れないフィクションだと解釈願う。