親からの小遣いしか収入のない中高時代、
その限られた資金を何に使うのかは大いにない頭を悩ます問題であった。
とにかく目に付くもの全てに興味を惹かれてしまうのさ。
中でも映画は音楽と共に好きだったなあ。
取り分けスケールの大きい洋画には全く虜になってしまった。
今となればとてもガキの考えと気恥ずかしい気もするけど、
人数やお金を掛けた大作からすれば邦画のちまちまとした人間描写なんて
けち臭くて全く良いとは思えなかったしね。
もっとも高度経済成長期の日本では大人も含めて戦後の復興から
立ち直って欧米に追いつけ追い越せの気持ちと、
だけど実際にはまだまだ差があるような舶来信仰がまかり通っているようにも
感じられたのも確かだと思う。
海外旅行土産と言えば定番ウイスキーはジョニーウォーカーだったし、
ゴルフクラブなんてシャフトの物品税の証紙が何だか誇らしげに見えたもの。
部長にはジョニ黒、課長にはジョニ赤みたいなラベルの色で
高い方か安い方みたいに判断していたのもどこの家庭でも思い当たるのじゃないかね。
自分では買わない貰い物の酒は長く応接間の棚に見せるだけの置物同然だったけど・・・。
そうそう映画の話だった。
月刊誌を「スクリーン」にするのか「ロードショー」にするのかなんてね。
これらの映画雑誌は付録に毎号俳優のポスターがついていたのが楽しみで
ボクにとっては当時世界一の美女の誉れ高かったカトリーヌ・ドヌーブより
少し前の「ローマの休日」で主演したオードリー・ヘップバーンや
「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンが好きでした。
あの頃の彼女達ときたら日本人しか見たことないボクにすれば
もうこの世のものとは思えない程に綺麗やった。
映画だけでなく「月刊明星」にするのか「月刊平凡」にするのかも
大きな選択を迫られる雑誌だったね。
明星、平凡も映画同様付録があって毎号ヒット曲を網羅した歌集が必ず
付いていてページを捲りながら天地真理や南沙織の曲なんて口ずさんだものさ。
小遣いもらう親に対してもこれらは巻頭にヌードピンナップが必ずある
「週刊平凡パンチ」や「週刊プレーボーイ」なんかと違って
何とか趣味の範疇として認知されやすかった盲点があったのも良かったのだ。
盲点と書いたのはスクリーンやロードショーには中ほどに洋物ポルノ映画の
新作案内が必ず載っていたし、
明星、平凡にも当然のごとく若者の性に関するコーナーがあったものです。
知っている年代はかなり限定されるだろうがドクトルと言えば
マンボウ先生より当然チエコとなる訳ですね。
今のネット社会の若者にすればとっても純情で可愛いものだけどね。
ちょっと変り種では相撲が好きだったボクには「相撲」と「大相撲」だったかな?
これも悩ましい選択でした。
関取のポスターや原寸大色紙や手形のコピーとかその直前場所の優勝力士の
特集とか番付や取り組み表なんてのを眺めるのが好きでしたね。
丁度柏鵬(柏戸・大鵬)時代の晩年から北玉(北の富士・玉の海)の全盛、
若手だった輪島・貴ノ花の登場と今みたいに外国人力士に席巻される前の
国技と言えるような良い時代でした。
特に当時は貴ノ花(初代)が一番の人気力士で軽量ゆえのハラハラドキドキの
取り組みが観ている誰もが応援したものだったですね。
中学校でも休み時間に土のグランドに棒で線を引いて土俵を作って
クラスの半数以上は相撲をやってました。
四股名もちゃんとあり「大森仏茶(おおもりぶっさ)」。
丸刈りをしていて日焼けして色黒だったのでプロレスの
アブドーラ・ザ・ブッチャーから付けられただけですが、
ちょいと捻って俳人の小林一茶みたいな読みにしただけなのです。
学生ズボンのベルト通しが千切れて母親に文句を言われたのを思い出すなあ。
小柄な方なボク案外強くて関脇レベルだったかな?
大きな相手には前褌を取って頭をつけてと結構作戦は本格的でしたよ。
高校生になるとそれに「ミュージックライフ」とか「スウィングジャーナル」
「モーターサイクリスト」に「オートバイ」、高学年になると
「ドライバー」当時は隔週だったけどバイクや車の雑誌までとその興味は
どこまでも広がっていくのでした。
こうなってくると頼る持つべきはやはり友人しかないのである。
車なら「カーグラフィック」は憧れの雑誌、
当時まだ白黒刷りが主流の中でディーラーカタログみたいにカラー写真で
それも国産だけでなく羨望の輸入車がバンバン出てくるなんてのは
見ているだけもいつかはこんな車に乗りたいって思わせる本だったよね。
だけど買うだけのお金がない。
車好きの友人Fによく拝借して穴が開くほど見させてもらったものです。
特に今では珍しくもなくなったベンツやBMWなんかの外車記事は
舶来信仰の強かった当時は憧れの夢の車として貴重な情報源でした。
どの分野も思い起こせば懐かしいことばかり。
段々とノスタルジックになってしまうボクですが、
書き出すと切りもなくダレるのでここらで終わるとしましょう。
最後になりましたが今回の記事の前編タイトルは私のお気に入りの一人であり
直木賞作家でもある奥田秀朗(おくだひでお)が
最近出した「田舎でロックンロール」をパクリ、もじったものである。
通常の小説とは違いほぼ彼の中高時代の青春時代を綴ったエッセイであるので、
好みは別れるでしょうが私のとっては更に親近感が増す作品でありました。
頓着はなかったものの作者と同世代(厳密には彼より少しだけ年上であるが)
というのが非常に近視感というのか同じ時代に全く同様の価値観を
共有していたのが堪らなく嬉しい内容です。
逆に言えば彼の小説と同じような内容を期待すると
肩透かしを食うはめになるでしょう。
但し当方は洋楽ロック一本ではなく歌謡曲やフォーク、はたまた懐メロ、
軍歌まで好きな節操のない人間だったのが奥田氏と大きく違う点ですね。
その当時のリアルタイムでそのアーティストを聴いた者でしか感じられない
興奮やワクワクドキドキ感は今そのCDやレコードを聴いたとしても
決して味わうことは出来るはずないですから。
見方を変えれば音楽評論家奥田氏のガイドブックとして見ても良いし、
若い世代の方には文章表現はプロの作品だしストーリー性も
素のオクダ少年の物語と考えれば案外拾い物なのかもなんて思いますね。
ロック少年だったオジジさんには特にお勧めします。