車好きオヤジのブログ

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かやく飯(完結編)

2014-11-23 20:09:00 | 日記

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親からの小遣いしか収入のない中高時代、

その限られた資金を何に使うのかは大いにない頭を悩ます問題であった。

とにかく目に付くもの全てに興味を惹かれてしまうのさ。

 

中でも映画は音楽と共に好きだったなあ。

取り分けスケールの大きい洋画には全く虜になってしまった。

今となればとてもガキの考えと気恥ずかしい気もするけど、

人数やお金を掛けた大作からすれば邦画のちまちまとした人間描写なんて

けち臭くて全く良いとは思えなかったしね。

 

もっとも高度経済成長期の日本では大人も含めて戦後の復興から

立ち直って欧米に追いつけ追い越せの気持ちと、

だけど実際にはまだまだ差があるような舶来信仰がまかり通っているようにも

感じられたのも確かだと思う。

 

海外旅行土産と言えば定番ウイスキーはジョニーウォーカーだったし、

ゴルフクラブなんてシャフトの物品税の証紙が何だか誇らしげに見えたもの。

部長にはジョニ黒、課長にはジョニ赤みたいなラベルの色で

高い方か安い方みたいに判断していたのもどこの家庭でも思い当たるのじゃないかね。

自分では買わない貰い物の酒は長く応接間の棚に見せるだけの置物同然だったけど・・・。

 

そうそう映画の話だった。

月刊誌を「スクリーン」にするのか「ロードショー」にするのかなんてね。

これらの映画雑誌は付録に毎号俳優のポスターがついていたのが楽しみで

ボクにとっては当時世界一の美女の誉れ高かったカトリーヌ・ドヌーブより

少し前の「ローマの休日」で主演したオードリー・ヘップバーンや

「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンが好きでした。

あの頃の彼女達ときたら日本人しか見たことないボクにすれば

もうこの世のものとは思えない程に綺麗やった。

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映画だけでなく「月刊明星」にするのか「月刊平凡」にするのかも

大きな選択を迫られる雑誌だったね。

明星、平凡も映画同様付録があって毎号ヒット曲を網羅した歌集が必ず

付いていてページを捲りながら天地真理や南沙織の曲なんて口ずさんだものさ。

 

小遣いもらう親に対してもこれらは巻頭にヌードピンナップが必ずある

「週刊平凡パンチ」や「週刊プレーボーイ」なんかと違って

何とか趣味の範疇として認知されやすかった盲点があったのも良かったのだ。

 

盲点と書いたのはスクリーンやロードショーには中ほどに洋物ポルノ映画の

新作案内が必ず載っていたし、

明星、平凡にも当然のごとく若者の性に関するコーナーがあったものです。

知っている年代はかなり限定されるだろうがドクトルと言えば

マンボウ先生より当然チエコとなる訳ですね。

今のネット社会の若者にすればとっても純情で可愛いものだけどね。

 

ちょっと変り種では相撲が好きだったボクには「相撲」と「大相撲」だったかな?

これも悩ましい選択でした。

関取のポスターや原寸大色紙や手形のコピーとかその直前場所の優勝力士の

特集とか番付や取り組み表なんてのを眺めるのが好きでしたね。

 

丁度柏鵬(柏戸・大鵬)時代の晩年から北玉(北の富士・玉の海)の全盛、

若手だった輪島・貴ノ花の登場と今みたいに外国人力士に席巻される前の

国技と言えるような良い時代でした。

特に当時は貴ノ花(初代)が一番の人気力士で軽量ゆえのハラハラドキドキの

取り組みが観ている誰もが応援したものだったですね。

 

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中学校でも休み時間に土のグランドに棒で線を引いて土俵を作って

クラスの半数以上は相撲をやってました。

四股名もちゃんとあり「大森仏茶(おおもりぶっさ)」。

丸刈りをしていて日焼けして色黒だったのでプロレスの

アブドーラ・ザ・ブッチャーから付けられただけですが、

ちょいと捻って俳人の小林一茶みたいな読みにしただけなのです。

学生ズボンのベルト通しが千切れて母親に文句を言われたのを思い出すなあ。

小柄な方なボク案外強くて関脇レベルだったかな?

大きな相手には前褌を取って頭をつけてと結構作戦は本格的でしたよ。

 

 

高校生になるとそれに「ミュージックライフ」とか「スウィングジャーナル」

「モーターサイクリスト」に「オートバイ」、高学年になると

「ドライバー」当時は隔週だったけどバイクや車の雑誌までとその興味は

どこまでも広がっていくのでした。

 

こうなってくると頼る持つべきはやはり友人しかないのである。

車なら「カーグラフィック」は憧れの雑誌、

当時まだ白黒刷りが主流の中でディーラーカタログみたいにカラー写真で

それも国産だけでなく羨望の輸入車がバンバン出てくるなんてのは

見ているだけもいつかはこんな車に乗りたいって思わせる本だったよね。

だけど買うだけのお金がない。

車好きの友人Fによく拝借して穴が開くほど見させてもらったものです。

特に今では珍しくもなくなったベンツやBMWなんかの外車記事は

舶来信仰の強かった当時は憧れの夢の車として貴重な情報源でした。

 

どの分野も思い起こせば懐かしいことばかり。

段々とノスタルジックになってしまうボクですが、

書き出すと切りもなくダレるのでここらで終わるとしましょう。

 

 

 

最後になりましたが今回の記事の前編タイトルは私のお気に入りの一人であり

直木賞作家でもある奥田秀朗(おくだひでお)が

最近出した「田舎でロックンロール」をパクリ、もじったものである。

 

通常の小説とは違いほぼ彼の中高時代の青春時代を綴ったエッセイであるので、

好みは別れるでしょうが私のとっては更に親近感が増す作品でありました。

頓着はなかったものの作者と同世代(厳密には彼より少しだけ年上であるが)

というのが非常に近視感というのか同じ時代に全く同様の価値観を

共有していたのが堪らなく嬉しい内容です。

逆に言えば彼の小説と同じような内容を期待すると

肩透かしを食うはめになるでしょう。

 

但し当方は洋楽ロック一本ではなく歌謡曲やフォーク、はたまた懐メロ、

軍歌まで好きな節操のない人間だったのが奥田氏と大きく違う点ですね。

 

その当時のリアルタイムでそのアーティストを聴いた者でしか感じられない

興奮やワクワクドキドキ感は今そのCDやレコードを聴いたとしても

決して味わうことは出来るはずないですから。

見方を変えれば音楽評論家奥田氏のガイドブックとして見ても良いし、

若い世代の方には文章表現はプロの作品だしストーリー性も

素のオクダ少年の物語と考えれば案外拾い物なのかもなんて思いますね。

ロック少年だったオジジさんには特にお勧めします。


新興住宅地でかやく飯

2014-11-15 08:42:00 | 日記

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http://www.youtube.com/watch?v=eJxDDxcMKRY


Well you got the hands of a man and the face of a little boy blue
And when you stand you're so grand there's a case just for looking at you.
You're so young you could have been the devil's son
You're so young but like a hang up
I'll be sad when you're old and you're gone.

Watch out,
You know the 48 crash come like a lightning flash
(48 crash, 48 crash)
And the 48 crash is a silk sash bash
(48 crash, 48 crash)
48 crash, 48 crash

 

ある時突然深夜ラジオから流れてきたこの曲にはぶっ飛んだ。

軽快な小刻みのドラムに続いてギターの今まで聴いたことのない独特のビート。

何よりその後に聞こえるヴォーカルのその声。

当初はちょっとしゃがれた感じのそのヴォーカルが

まさか女性だとはとても思わなかったからね。

スージークアトロの48(フォーティエイト クラッシュ)だった。

当時のボクは中1、いや中2だったかな?

 

白黒とカラーの両方の番組が混在したテレビっ子でもあったボクだったけど、

中学に入って親に買ってもらったラジカセ(ラジオとカセットの付いた物)、

当然モノラルのスピーカーが1個付いているだけの物だけど

何よりの宝物でした。

深夜自分の部屋で聞くラジオは親の目の届かない密やかな楽しみになっていた。

 

学校に行ってもテレビの話はほぼ誰にも通じる共通の話題だったけど、

ラジオの方がよりコアな仲間内のいわば特定の友人とだけ通じる

ある種の秘匿感めいたちょっぴり大人の仲間入りしたような背伸びした

気持ちになれたものだった。

 

スージークアトロというのが女性であるのが後日判り、

その写真を雑誌で見たボクはまた更に虜になってしまうのでした。

ブロンドヘアーの華奢な美人が革のジャンプスーツに身を包み

男勝りの札付きの悪を装った姿でシャウトするなんてのは

グループサウンズくらいしか免疫のなかった中学生にとっては

プレイボーイのヌード写真以上に魅力的に思えたものさ。

 

スージークアトロはイギリスのチャートで火がついたのがきっかけと

紹介されていたので随分後年になってからアメリカ人と知るまでは

ずっと英国人とばかり思っていたね。

 

「48クラッシュ」の後すぐに日本ではリリースされた「CAN THE CAN」も

大ヒット一躍全国的に認知されていったのでした。

 

因みにこの後高校生になったボクは1974年だったか1975年の来日公演を

大阪の厚生年金大ホールで生で観に行くほどでした。

当時のヒット曲は「WILD ONE」だったかな。

 

この頃になると色気づいたボクにはどうもスージーが付き合ってるらしい男が

バックでギターを弾いているちょっと不良っぽいデブの親父(レン・タッキー)

と知り少なからずショックを受けるのでした。

大男に可憐な少女が騙されて無理やり手籠めにされるような妄想をしていたなあ・・・。

 

案の定その数年後に結婚するのと時を同じくして彼女に対する熱も段々と冷め、

日本での人気も徐々に下火になっていったのは音楽性よりも

ボクと同じような気持ちの若者からの支持が薄れていったからだと

今でもそう思っているのだ。

 

ボクは節操のなさと変わり身の早さを身上としているので

スージーの事はいつの間にか忘れてしまっていた。

 

話を中学時代の戻すと深夜のラジオは今のインターネット以上に

好きで判るものだけが聞いて共有するある種独特な世界でもあった。

 

投稿するコメントが読まれたりするともう大変、

翌日には友人同士の中だけの有名人になったようなものさ。

 

関西ではヤンリク(ヤングリクエスト)や電リク(電話リクエスト)で

自分の掛けて欲しい曲で公共の電波で自分の名前が読まれるのも

ドキドキしながら聞いていたものだった。

 

因みにこのシステムは成人した後に喫茶店での有線リクエストでも

同じように出来るのが判ってよく電話して聴くようになっていくのでした。

今度は名前が読まれない代わりにヒット曲でないマイナーな曲を

店の公衆電話からリクエストして掛かった時の自分一人悦にいる

変質的自己満足男となっていくのでありました。

多くの者からリクエストされる流行曲は自分のリクエストで掛かったのかは判別はまず不能。

 

それならまあ掛かることのない戦前の国民歌謡や軍歌とか

一部の若者にしか知られていない洋楽なんてのはジュークボックスの

レコードを選ぶようにどこの店からでも電話したものさ。

「紀元2600年」とかクラフトワークの「アウトバーン」とかまりちゃんズなんてね。

 

まりちゃんズはボクより少し上のいわゆる団塊世代なら知っている者も

いるかもレベルの幻のバンドでまあ今なら認知度ほぼゼロだろう。

まりちゃん大好き男3人で組んだバンドだった。

歌謡曲全盛の時代、それに飽き足らない若者達の独自の音楽が雨後の竹の子

みたいに芽を吹いていた頃でした。

拓郎や陽水なんかと比べりゃはっきり言ってC級でしょうね。

でも何故かボクは好きだったのです。

曲調はその頃はまだそんな言葉もなかったけどストーカー的偏執狂で、

同性愛、はたまた女性差別的内容の歌詞が多かったため、

殆どの曲が放送禁止となり自然消滅的に消えて行ったのです。

活動期間は1974年~1976年のたった2年間である。

 

だけど今でも「まりちゃんがうんこなんてするはずな~い!」という

テーマ曲はしっかり覚えているのは三つ子の魂じゃないけど

ラジオ噛り付き世代にとっては面白いものだね。

こんな何の役にも立たないつまらんどうでも良い事を覚えてるくらいなら

当時英単語や年号の一つでも記憶させてりゃ今頃違う人間になっていたかな?

 

 

因みにまりちゃんズの3人の内2人は30年以上経って「藤岡藤巻と大橋のぞみ」

として「崖の上のポニョ」をヒットさせたのはまりちゃんズファンとしても

素直に嬉しかったものさ。

まりちゃんズのアルバムは近年リバイバルCD化されたのを購入、密かに愛蔵しているのも記しておこう。

 

(続くかも・・・?)

 

後記)

どうも最近は暇がないという理由をつけてガズーを覗いたり投稿したり

出来てないのですが単に車ネタもなく自身が倦怠気味になっていたりするのが

本当の理由かも知れません。

チラチラッと一年生さんやはげおやじさんの記事も見かけるだけでコメントもせず失礼しています。

自分勝手な話で申し訳ありませんがこんな具合で不定期で脈絡ない登場になるかと思います事

ご承知おき宜しくお願いします。