「啓蟄」
二十四節気の第3.二月節(旧暦1月後半から2月前半)。
「啓」は開く、「蟄」は虫などが土中に隠れ閉じこもる意で、
冬籠りの虫が這い出るという意を示す。春の季語でもある。(Wikipediaより)
因みに今年は3月5日となる。
一般的には昆虫類のイメージが強い「虫」という言葉。
元々は大陸から来た象形文字で蛇のことだったって知ってました?
「まむし」なんてのはその名残なんでしょうか。
色んな説があるみたいだけど生き物の総称ってのが正解のようにも思う。
人間だってそりゃ当然含まれる。
学問好きやアスリート達を「勉強の虫」とか
「スポーツの虫」なんて表現したりするじゃない。
立派な人ばかりじゃなく私みたいなええ加減な者にも
ちゃんと当てはまる虫もある。
「虫のいいヤツ」とか若い頃女性には「虫の好かん男」なんて言われていた気もする。
例外的にお付き合いいただいた奇特な方向けには「蓼食う虫」と呼んでも良かろう。
言葉の遊びだけでなく実際に体内で飼ってた人も沢山いた時代もあったね。
もう死語になったかな「虫下し」。
体内に寄生する回虫を除去する為の薬。
子供の頃は深く考えなかったのもあって「腹痛」の薬の総称だと思ってたけど、
何となく腹を下した時みたいな語感だったのかも知れない。
実感なくてもその言葉を使っていたということは両親の影響だろうね。
若隠居さんとかsettaiさん、はげおやじさん、大雪さん、もみまんさん達の
私より年長者には実効性も含めてそれなりに思い入れもあるのではないだろうか。
だけどさ、おそらくは手間や効率、生産性の結果使われるようになった農薬のせいで
農作物に虫が付かなくなったので口に入れることが無くなったからだろうが、
虫も食わない物を人間が食ってる時点で根本的に何か間違ってるんじゃないの。
でも人が自分のことを虫に喩えて言うのは何故だろうか。
難しい事は判らないけど多分自分の責任ではない、
若しくは自分の力では制御出来ない事柄なんかを
虫クンに担ってもらう為ではないかというのが私の考えなのである。
「腹の虫」とか「虫の居所」なんてのはその典型でしょ。
「虫の知らせ」は自分本来の力を超えた予知能力だしね。
(※注)自分で書くのもおかしいが信用したらあきませんで~。
そんな訳で段々と暖かくなってきた今日この頃。
今月一杯あたりでスタッドレスを夏タイヤに戻すとするかな。
私の車の虫もそろそろ地中から這い出して動き出すような気も・・・?
(続く・・・か?)