”インスタコーヒーの実力?”の中で喫茶店に群がる若い女性の事を話題にしたが。その記事に、以下の様なコメントが寄せられた。
”夫は喫茶店では読書が捗ると、よくコーヒー店を利用するが、その雰囲気を楽しんでるんでしょう。私は短大時代に喫茶店でアルバイトしましたが、殆どが学生客だったので、随分とデートに誘われました。喫茶店に女の子を置くのは、そんな効用もあるのかとその時初めて知りました”
昔ながらの怪しげな喫茶店
私は不思議と喫茶店には縁がないが、今になって思うと、喫茶店に通い詰めする人の気持ちはよ〜く理解できる。
今の喫茶店はどうか知らないが、昔の喫茶店にはそれぞれに個性があり、独特の雰囲気があり、ある種の幻想や妄想に浸れる何かがあった。
メニューと言えば、コーヒーと一寸した軽食だけ。今のファミレスのメニューみたいに、ガキがはしゃいで喜ぶ様な何でもアリの時代ではなかった。
私にとって喫茶店とは、不良が集まるイメージしか思いつかない。事実、中学生の時に一人で喫茶店に入ったら、高校生位の不良に摘み出された記憶がある。
大人の危い空間がそこにはあった。事実その数年後には、”ノーパン喫茶”なる如何わしい店が登場した。
そうでなくても、当時の喫茶店のウエイトレスには、”キワドい娘”が多かった様にも思う。
ノーパン喫茶の後には、”風俗喫茶”なるものが登場した。コーヒーを飲ませ、コーヒーを運んだ女が横に座り地下室へ誘い、性的サービスをする。喫茶店のウエイトレスが、地下ではそのまま風俗嬢に変身するのだ。
高校を卒業したばかりの私には、信じられない光景だった。しかし、永井荷風の小説に出てくる怪しげな”カッフェー”みたいで、今から思うと満更悪くはないなと感心する。
今どきの喫茶店とゲーム喫茶
そんな喫茶店の歴史を知ってる私からすれば、今の喫茶店は健全すぎて、つまらないと思う事もある。陳腐なブランドや浅薄なイメージばかりが先行し、客は形から入ってる様にも思える。
コーヒーを飲んで、いきなりスケベというのもガサツで単純ではあるが、今の無機質な喫茶店なら”風俗喫茶”の方がずっといいかもだ。
勿論、性サービスはあんまりだが、欧米みたいにせめて”酒を出せ”って言いたくもなる。
そういう私はコーヒーを飲みながら本を読む習慣はないが、酒を呑むと無性に本を読みたくなる。経験者にしか判らないだろうが、本とお酒で二重に幻想に浸れる時があるからだ。
それに昔は、TVゲームが出来る喫茶店が流行った記憶がある。インベーダーゲームが大流行し、コーヒーを飲みながら延々とやったもんだ。
私が通ってた都心の予備校のすぐ近くには、賭博系の喫茶店があった。
元々は普通のゲーム喫茶だったが、50円賭けのポーカーゲーム機をおいた所、予備校生受けし、500円賭けにした所、サラリーマン受けした。
その後、賭博機をカーテンで遮り、警察の目を逃れようとしたが、すぐに見つかった。
そういう私も補導されそうになったが、店長の計らいもあり、何とか警察行きは免れた。
でも今から思うと、いい時代だったなって思う。今では、民間人全てが政府の規制や監視の対称になる。故に、悪い事をするのは決まって中央官僚だ。
昔は大衆が平気で悪さをした。未成年が堂々と風俗喫茶で働き、未成年が客になる。そうして我々は社会を知り、現実を知り、痛みや快楽を知り、大人になっていく。
”賭け麻雀”なんて、みんなやってた。西鉄ライオンズのある選手は、賭け麻雀とDHの二刀流だった(笑)。打席が回ってくるまでは球場の隣にある雀荘でラジオを聞きながら、ジャラジャラとやってたのだ。
それでも本塁打王を獲得した。”プロとはそうでなくっちゃ”と子供心に思ったもんだ。
蔦の絡まる喫茶店
勿論、清き正しき喫茶店も多く存在した。
私が徳島で営業をやってた頃は、四国にはユニークで個性溢れる喫茶店が多い事に驚かされた。特に徳島県の”蔦の絡まる喫茶店”はとても幻想的だった。中に入るとまるで別世界にいる様な気分に浸ったもんだ。
真夏の暑い時期だったが、中はとてもひんやりとしていた。死ぬまでそこにいたいと思う程に、異次元の幻影が私を囲んでくれた。
喫茶店には殆ど縁がない私の、ベストバウトな喫茶店でもある。
しかし、個人経営のこうしたローカルな喫茶店は、次々と姿を消す傾向にあるという。
その代わり、無機質で没個性な全国チェーンのブランド喫茶が、新型コロナ同様に蔓延りつつある。
ドトール、スターバックス、コメダ珈琲などのブランドを目にすると吐き気がする。遊園地みたいな店でコーヒーを飲んでどこが楽しいのか?ファミレスみたいなメニューのどこが楽しいのか?
カフェラテなんて、単なる泡立ちコーヒーのどこが有難いのか?
こんな喫茶店なら、”怪しげな”喫茶店の方がずっと風情があり、有機質で有意義だろうか。好みのウエイトレスがいれば、地下室でエッチしてもらえるし、いなければコーヒーだけで帰ればいい。少なくともカプチーノよりもずっと魅惑的だ。イヤそうでもないか。
最後に〜男の欲望と喫茶店とノスタルジー
昭和世代の”純喫茶”を訪れる若い女性が増えている。昔ながらの”純喫茶”には、女性が喜ぶものが沢山あるという指摘もある。
勿論、この指摘は正解だ。しかし純喫茶には、若い男が悦ぶ空間も沢山実在した。
コーヒー云々というより喫茶店内の空気と雰囲気を楽しんでるに過ぎないという指摘もあるが、昔は可愛いウエイトレスをナンパするという明確な目標があった。
勿論、私みたいな気弱な若者は可愛い娘を眺めてるだけで十分だった(笑)。
ノーパン喫茶なら、スカートの中身を何とかして探りたいというゲスな欲望が明確に存在した。ゲーム喫茶なら、今日はいくら稼ぐという明確なノルマがあった筈だ。
つまり、コーヒーとか店内の雰囲気とかメニューとかは、最初からどうでも良かったのだ。
”純喫茶に群がる女たち”は、ノスタルジックとかアナログ的繋りとかそういったものに憧れるが、昭和の若い男たちはそうではなかった。
男の欲望そのものが喫茶店に充填してたようにも思えた。
この”失われた欲望”こそが、私が喫茶店に追い求める本当のノスタルジー(喪失)なのかもしれない。
それで地下に行こうとすると怪しげな男が待ち構えてる。ヤバイと思って逃げ去ったことがあります。
転んだサンが言う風俗喫茶だったんでしょうか。
でも昔は変な喫茶店がありました。
私はジャズ喫茶によく通ったんですが、変な客もいましたね。
久しぶりに昭和の貴重な時代を実感しました。
今日、この記事を読ませてもらって、ちょっと驚いています。
そんな非合法な協会があるとは知らなんざだ
休業要請で逃げ場がなくなった彼女たちは
捨て身のガイドラインを作ったらしい
マスクを着用し、接触はせず、
1卓ずつ間隔を空けて座るとよ
そんなんで客が来るわけねーがよ
客は触るためだけに来るんだべ
結局は最後はスケベ爺が自粛を破り触りまくるんだよ
店側は金額を吊り上げ過激なサービスに応じる
こんな奴らが第二波をばらまく前に
ナチスのホロコーストみたいに
クラブの一室にスケベ爺を缶詰にし
欧米型の毒性の強いコロナウイルスを封入し
店ごと死滅させるとか
そういう風にして浄化しないと
如何わしいサービス業もコロナ渦も死滅しない
それに比べたら賭け麻雀も
ノーパン喫茶もカワイイもんよ
私が経験した”風俗喫茶”はそこまで怪しくはなかったですが、それに近いものはありました。
でもその時はとても怖かったですね、まだ子供でしたから。でも若いって恐ろしいもんで、そこから一気に大人になっていくんです。性の免疫が張り付くみたいに何でもアリになってしまう。
改めて人間って怖いなと思いました。
特に四国には健全で壮観な喫茶店が多く、見てるだけで清々しい気分になりました。私の地元とは正反対でしたね。
今の久留米市もそうですが、昔はもっと酷かった。アーケード街の喫茶店なんて不良しかいないし、学校には行かないで喫茶店に屯しっぱなしなんですから。
それに性的にマセてる女子中高生がとても多かったですね。高校生が集団で売春をしたのも近くの地元のド田舎の高校でしたから。
だから都心部の予備校で同級の娘を見た時、心が洗われた気がしました。
そういう意味でもビコさんはとても恵まれた環境で育ったなと羨ましい限りです。
ホステスというのは結局、バルザックに出てくる「捨てられ女」なんですよ。またそういった夜のお仕事も”捨てられし職業”なんですね。
いつかはこういった業界は廃棄すべきなんでしょうが。人の強欲が生き延びらせてきたんですが。
賭け麻雀やノーパン喫茶がやけに懐かしく感じます。
郷里高知の喫茶店も銀行に勤めている頃はよく利用しましたが、怪しいお店は皆無でした。それだけ田舎だということでもあると思いますが・・・。
僕は子供の頃ことなんですが、今あれば行ってみたいですね。
しかし、喫茶店とノーパンが合体するとは……!
おそるべき発想ですよね。
名曲喫茶はよく行きました!
コーヒーを飲みながら大音響で聴くクラシック。
豊かな時間ですよね。
そして現在は──
ドトール、ヴェローチェ……どこも均一化されて面白くない。
街の純喫茶はどんどんなくなっていく。
街に個性のない時代になってきましたね。
まるで映画かCGに出てきそうな雰囲気です。こういった店は国家遺産に指定すべきですかね。
偶然立ち寄った喫茶店ですが、喫茶店のあり方を考えさせられるきっかけにはなりました。