象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

夜遊びの終わりの始まり(追記)〜外で呑み歩く時代は終わった?

2023年04月19日 15時44分27秒 | 独り言&愚痴

 「ロシアンパブと思いきや」以来、約2年強ぶりに駅前に出歩いた。
 土曜日というのに、私は裏庭に掻き集めておいた廃プラ群の整理をしていた。思った以上に面倒で、気がつくと日が暮れかけている。
 その時、知人が赤ワインを持ってやってきた。コロナ渦が明けてから、人と飲む事はなかったので、冷凍のアジフライとミートボールを油で揚げて肴にし、久しぶりに2人で酔いに浸る。
 ”お酒を飲む時は、いつもこんなツマミですか?”
 知人は私を誂う様に、牽制する。
 ”ああ、今は鶏肉が高いから冷凍もんで済ましてる。案外イケるでしょ?”
 
 そうこう話してる内に、駅前に飲みに行こうという事になった。
 久留米のロシアンパブ以来で、近所付き合いも必要だからと、何の抵抗もなく従う。
 が、(知人の性格から)久留米に行くものと思いきや、”久留米はまだコロナ渦の残党が残ってるらしい”という事で、柳川の駅前に向かう。


ぼったくりパブ

 少し気落ちしたが、知人が言われるままにした。
 日本人のスナックだったが、半分以上はフィリピン人だ。若いのもいたが、”タレントという事で横につけない”という。
 大してチャーミングでも魅力的でもなかったが、若い女が横につくとつかないでは雰囲気は大きく違ってくる。飲み屋とは言っても所詮は性の社交場である。
 私は知人に”ママさんに断りを入れて帰ろうか”と誘ったが、”オレが説得してみる。いつも行ってる店だから何とかなる筈だ”と居座ってしまう。

 ”悪いけど今は厳しいのよ。ステージで歌ったり踊ったりするのが彼女たちの仕事。そう決まってんだから仕方がないわ”
 知人は食い下がる。
 ”でも、一昨年あたりはタレントでも横についたじゃないか?”
 ”コロナが明けて、逆に規制が厳しくなったのよ。お陰で客の入りもコロナの時とあまり変わんないわ”
 私は半ば誂うつもりで言い放った。
 ”勿論、タレントに見合うレベルなら理解できなくもないけど、どう考えても農村出身の教育を受けてない村女ですよ”
 ”そうは言ってもね。コロナ渦でお客さんとの接触が厳しくなり、彼女たちも警戒してるの”
とママさん。
 ”昔は、飲み屋ってそういう接触を楽しみにしてたんだけど、今は変わったね”
 ”そうよね。昔は何でもアリってグレーな店もあったわ”

 結局、横についたのは年増のフィリピン女だった。彼女は長年日本にいるが、アルバイトという事で色んな事情を話してくれた。
 アホ臭と思いながら、私と知人は殆ど盛り上がりに欠ける時間を過ごした。
 1時間少しいて(2人で)6600円なり。事実上のボッタクリである。
 知人は悔やんでたらしく、”もう一軒行こう”と頑として引き下がらない。
 説得するのを諦めた私は、仕方なくついていく。 
 今度は純粋はフィリピンパブだったが、若いのはいなかった。ここでも知人と私は気落ちしたが、2人の中年女性がすぐに横についた。2人ともシングルマザーだったが(子供を産んだにしては)そこそこスタイルは良かった。が、如何せん顔はグロテスクである(笑)。
 ”ここは誰でも横につくのか?”と知人が尋ねると、”皆アルバイトだから関係ないよ。それにタレントがいると客は来ないし・・”
 シングルマザーだけあって、会話はユニークに聞こえた。機嫌を良くした知人は女を抱きかかえる様にしてステージに立ち、自慢の美声を披露する。
 私も昔を思い出し、女の肩に手を回し、太ももの間に指を滑り込ませるが、ギリギリの所でカットされる。それでも、そこそこの快楽は得られた。顔を見るとゲンナリだが、雰囲気は悪くない。
 2人の女とは不思議と気が合った。彼女らは延長をしつこくねだったが、顔が顔だけに(笑)丁重に断って店を出る。
 2人で7000円なり・・半分はボッタクリだ。


最後に

 知人は多少は機嫌が良くなったせいか、帰りにはラーメンと餃子をおごってくれた。ごく普通の(マルタイ風の)豚骨だったが、とてもご馳走に感じた。あぁ〜外でラーメンを食うのは何年ぶりだろうか?
 今回思ったのは、コロナ渦の影響が予想以上に水商売に悪影響を及ぼしてるという事である。
 外食産業はそこまではないが、夜の街は壊滅的過ぎるダメージを受けてしまった。歓楽街の最大の魅力であった”性的接触”は世界的規模のコロナ渦により、国際的にもタブーとなり、規制がキツくなる。特に、外人パブにおいて、タレントとアルバイトの領域が明確に分けられてしまった。
 昔もこういう区別はあったが、アルバイトは日本に来たばかりの若い子で、タレントは日本に長くいるベテランであった(多分)。
 手っ取り早くタレントになるには、日本人の男と結婚する事だから、性的なアピールは半端なかったし、性的接触も半ば当然の様に行われていた。
 それが今や全く逆転してしまった。若い子の性的アピールは激減し、コロナ渦が開けても店内はガラガラだ。外食産業や旅行業界がコロナ以前に客足が戻りつつあるのとは対照的でもある。
 正直、ここまで酷いとは思ってもみなかった。しかし、これも現実である。全てはいい方向に考えよう。

 つまり、夜の街がなくなれば、如何わしい商売がなくなれば、大衆の夜の消費は健全で良心的な価格の外食娯楽に向かう筈だ。夜の”汚い”街によって拡散されたコロナ渦のとばっちりを受けて大きな損失を出した外食産業だが、ここは名誉挽回と行って欲しいもんだ。
 人は身勝手な生き物である。
 若い頃はその汚い街で如何わしい店で遊んでたにも関わらず、腐敗が進むとその途端に背を向ける。
 常に大衆は新しい娯楽を追い求める。古い娯楽はその大衆により切り捨てられ、消え去っていく。夜の娯楽も同じである。


追記〜貧しい国のニッポン

 寄せられたコメントにある様に、昔の日本は裕福だったから、フィリピンの子は日本人と結婚したがっていた。
 そう、彼女たちにとって日本は(一時はだが)夢の国だった。しかし、すぐに化けの皮が剥がれ、貧しいアジアの一国に転落すると、コロナ渦も手伝ってか彼女たちも離れていく。

 経済成長と”夜の街”の繁栄は昭和の良い時代の象徴だった。それが今や、ここまで衰弱するとは、これも予想外だった。
 私達は全てをコロナのせいにするが、日本の日本人の衰洛が一番の理由でもある。そういう私も政治家を悪く言うが、彼らはもう1人の私をしっかりと映し出している。悔しいがこれも現実である。

 私がまだ高校生の頃、女(性)を武器にする女に極端な嫌悪感を抱いていた。そんな私が大人になり、性を武器にする女に惹かれる様になる。これは、かつて豊かな経済を武器にした日本と同じではないだろうか。がやがて、性的アピールも自慢の経済力もいつしか失われてしまった。
 性はカネを生む。そして、カネは性を囲い込む。昭和の夜の街はそうやって繁栄してきた。だが、貧国に成り下がった日本では性は貧しさを生み、貧しさは性を繁殖させる。
 夜の街は貧困とともに地下に潜り、やがて(死ぬ事はないが)消え去っていく。たとえコロナ渦がなくても、日本は貧しくなり、夜の街は衰退する。
 日本の本質が長く続いたその貧しさにある様に、貧乏から抜け出る事は所詮不可能なのだろう。



6 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2023-04-19 16:30:36
この記事の読み方によっては、日本が落ちぶれたから東南アジアの女性達にもサービスしてもらえなくなったようにも受け取れると思いました。
もう日本は憧れの国ではなくなったということを場末のバーでも思い知らされる悲しさ。この国の問題は少子だけではないでしょと言いたいです。
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ビコさん (象が転んだ)
2023-04-19 17:45:10
私こそウッカリしてましたが
全くその通りなんですよ。
昔の日本は裕福だったから、フィリピンの子は日本人と結婚したがってました。
そう、彼女たちにとって日本は(一時はですが)夢の国だったんです。
しかし、すぐに化けの皮が剥がれ、貧しい国に転落すると、コロナ渦も手伝ってか彼女たちも離れていく。
今となっては日本人と結婚した彼女達は哀れで、シングルマザーも少なくない。

夜の街の繁栄は昭和の良い時代の象徴でした。それが今や、ここまで衰弱するとは、これも予想外でしたね。
私達は全てをコロナのせいにしがちですが、日本の日本人の衰退が一番の理由かもですね。
貴重なコメント勉強になります。
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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2023-04-20 06:27:34
お邪魔します。

貴投稿記事とお2人のコメントやり取りにあるとおり、
かつての経済力を失った日本。
コロナウィルスが落とした影。
フィリピンパブの現状はこの2つが絡み合った一つの結果ですね。

以前、拙ブログにも
「80年代のフィリピンパブの思い出」について
投稿したことがありました。
当時のピーナ達は美しく強かな女戦士。
円を狩りに南シナ海を渡って来て、
ギラギラもキラキラもしていました。
今は昔、過ぎた話です。

日本は「アジアの田舎」になると思います。
大航海時代に世界を席巻したポルトガルやスペインが
「ヨーロッパの田舎」になったように、
ひっそり慎ましく、個性的に生きてゆく。
それもまた自然な流れかもしれません。

では、また。
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りくすけサン (象が転んだ)
2023-04-20 10:57:27
”当時のピーナ達は美しく強かな女戦士。
円を狩りに南シナ海を渡って来て、ギラギラもキラキラもしていた”
全くその通りですよね。
それが今や、カネにならないのに”アジアの田舎”である日本に来る。
同じ様に、昔の魅惑を追い求め、(私も含め)昭和の男はピーナパブに群がるという悪循環。
すでに、そういう世界はなくなってしまったのに・・・

そういえば、”80年代のピーナパブ”は全盛期でしたよね。昨今のピーナ女の様に農村出身ではなく、マニラ都心部のそれも白人との混血娘でした。皆が皆、トップモデルみたいでしたから。
確かに、彼女達は(時代に甘やかされた日本のホステスとは異なり)強かなプロの女戦士でした。そういう潔い面にも惹かれたんでしょうか。

りくすけさんは、ボーイさんをやってたんですね。うぅうらやましい。
興味深く記事を読ませて頂きました。
こちらこそ勉強になります。
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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2023-04-21 18:28:46
お邪魔します。

拙ブログ過去投稿へのコメント、
ありがとうございました。
バブル末期の80年代の夜の街は、
良くも悪くもメチャクチャでした。
バイト先の店の会計はどんぶり勘定。
今とはぼったくりのレベルが違いました。
払う方も金銭感覚が壊れてましたね。

ピーナたちもスペインやアメリカとのミックスが多く、
美しさ、エロさ、ガメつさのレベルが高かったです。
楽しい時代でした。

貴兄の「あの頃のピーナパブ武勇伝」、
または「あの頃のピーナパブ幻想」等、
ぜひ投稿を楽しみにしております。

では、また。
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りくすけサン (象が転んだ)
2023-04-22 01:34:52
いえいえ
私の方こそ大変勉強になりました。
やはり、水商売の裏事情を知ってると見方も鋭いですね。感心しきりです。

言われる通り
”美しさ・エロさ・ガメつさ”の3つはピーナ嬢の大きな特徴でしたが、魅惑的でもありました。
本当に楽しい時代でした。
りくすけサンの記事が完璧すぎて、気が引けますが、私なりのピーナ回想録が書けたならと思います。

いつもコメント有り難うです。
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