象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

幻のカツランチ〜食における無条件降伏と古き良き生協の衰退

2018年08月15日 05時34分44秒 | 独り言&愚痴

 昔、私が通ってたド田舎の大学の食堂は、当時は今は亡き懐かしき生協食堂だった。とても安くボリュームも半端なかった。
 粗雑な建物の中にあるだだっ広い無機質な倉庫で、洒落っ気も何もない。しかし、オバちゃんがとても親切で、味噌汁やお新香などはタダでお替りができた。でも何より、全く飾りの無いフレンドリーで何気ないアトホーム的な所が、大好きだったのに・・・

今は亡き、懐かしき生協食堂

 生協は組合組織なので入会は任意だが、入学時に3口程加入したか。それでもお釣りが来る程に十分に安い。10口程加入しても良かったと思えた程だ。
 しかし、生協への加入を嫌がる人種も多く、大半は加入しなかったろう。今から思うと、授業料の一部にし、半強制的にすべきと思った。日本人はこういうの殆ど理解がない。

 当然、加入用紙として入学手続きに紛れ込ませると、やはり島国の大衆は警戒する。せめて生協の仕組みのチラシくらいは挟んでほしかったか。
 故に、どうしても生協離れは加速する傾向にある。古いとか時代遅れのイメージが強すぎるのかな。多分、”COOP”というカタカナ名に変えたから安っぽく映ったのかな。農協や国鉄や郵便局と同じで、JAJRJPではやっぱり困るんですよ。
 極論を言えば、日本中の全ての食堂を生協にすれば良いとまで思う。

 そういう私は、生協の安い仕組みが本能的に理解出来たから、何の迷いもなく加入した。こういった善良な組合は、金持ちほど毛嫌いする。”弱者の弱者による弱者の為の生協”に成り下がってしまえば、潰れるのは時間の問題だった。
 事実、僕が入学して僅か半年程で潰れた。その後に建ったのは、中途に洒落たネーミング(多分、タベルナだったか)のクソ食堂だった。メニューは豊富で洒落てたが、値段が倍以上に跳ね上がり、パートタイマーも全て入れ替わった。お陰で、生意気なクソ婆ばかりになった。
 あっという間に、”ゲスのゲスによるゲスの為”の民間系食堂に成り下がった。不味い&高い&気持ち悪いの三拍子揃った食堂に様変わりした。
 大学の中央庭の景観も風貌も台無しになり、見る度に腹が立った。大袈裟だが、まるでマンハッタンのセントラルパークに、生意気な外資系のオフィスがでんと構えるようなもんだ。

 その生協の食堂がなくなり、私もそれに引き摺られる様に、フェードアウトした。今から思うと、私の人生と運命はあの生協と食堂と共にあった様な気がする。”生協と共に去りぬ”とはこの事か(悲)。


生協食堂の無条件降伏?

 YouTubeで、ロス郊外の生協の食堂を紹介していた。感激と感動で涙が出た。安い&美味い&広い&愉快のてんこ盛りだった。地球の裏側の新大陸では、こんなにも生協が大盛況してる(笑)。流石、自由の国アメリカ、食も嗜好もオープンなのだ。
 これこそ、大衆が待ち望んだ理想の食堂のあり方だと思った。どんな身分の人でも加入し、どんな人種でも利用出来るリーズナブルな食堂。食堂の至高の究極の姿がそこにはある。海原雄山も山岡士郎も太刀打ちできる筈もない。

生協の食堂は、見た目や雰囲気的には全くの無機質だが、財布を傷めずに食を満たすには、格好のシステムだ。何時から日本人は食を楽しむ様になったのか?何時から食にお金を掛け、贅沢を求める様になったのか?全く悲しい限りだ。
 喫茶店だって、大半がチェーン展開し、露骨にブランドを見せ付ける。無能な島民はコーヒーではなく、ブランドを飲んでる様なもんだ。”このバカが”と怒鳴りつけたくなる。
スターバックス、ドトール、コメダ、タリーズなんて、耳にするだけで吐き気がする。

 我らが”コーヒー牛乳”は何処へ行った?庶民の飲み物の王道はコーヒー牛乳だった筈じゃないか。それに、哀れな庶民にファンタジーを支え続けた”フルーツ牛乳”は何処へ行った?
「トルーマン」「ルメイ」と同じで(共に要クリック?)、無能とアホは貴重な財産と資源を片っ端から食い潰す。東京大空襲も悲惨だが、飲食屋のブランド化も悲惨だ。まるで、生協食堂と大衆食堂の無条件降伏を見てるみたいで、食のブランド化とポツダム宣言は全くの同義だろう。


290円の絶品カツランチ

 少し横道逸れましたが。今は亡き、大学生協食堂の一番のお気に入りが、僅か290円のカツランチだった。80年代前半だから、バブルが弾けた後の頃だし、まだまだ日本は景気が良かった。”失われた10年”の前だったし(「アメリカ何故戦争を」参照)。
 でも、バブルの残骸の影響で猫も杓子も足元を見ずに、上を見続けた。高級志向に走り、握り寿司に万札を出すのも厭わなくなったのもこの時期だ。ブランドものは飛ぶ様に売れ、貧乏でも中流意識を持つ様になった。
 この時点で、日本は日本人は終わったと思った。”現代のポツダム宣言”を受け容れたのだ。ブランドという名の”ハルノート”を突き付けられたのだ。

 しかし、終わったのは自分の方だった(悲)。オレみたいなケチ臭く堅い人種は、当時の日本ではお呼びじゃなかったのだ。
 今でこそ、”ケチ&倹約&質素”がブームで、安けりゃ良いってのが、堂々とまかり通り、市民権を得てるが。当時、貧乏はテロと同じく国家の敵だったのだ。
 マクドの創始者であるレイ•クロックの”Keep it Simple Stupid”の精神が跡形もなく消え去っていく。そして生協食堂も消滅した。失われたあの懐かしき生協は二度と戻ってこないのだ。

 話をもとに戻そう。
 この”幻のカツランチ”。値段以上に中身が凄い、豪華過ぎるのだ。
 先ず、分厚いトンカツをメインにハンバーグとカニクリームコロッケと目玉焼き。それにポテトサラダにキャベツの千切りにスパゲッティと。勿論、ライスと味噌汁も。イラストは少しおおげさですが。
 これだけ揃ってたったの290円。私が今まで食べた中では、唯一無二の豪勢で至福の、最高にリーズナブルな”亭食”であった。

 今、これだけのものを提供しようとすれば、軽く千円は超える。これを超えるランチは今の時代にはまずは出て来ない。人類が火星に到着するより、いや、リーマン予想を証明するよりずっと困難だろうか。
 横浜中華街も帝国ホテルも三ツ星レストランの料理も、勿論だが、このカツランチには足元にも及ぶ筈もない。料理とは質よりも量と価格が支配する。貴族社会が呆気なく衰退し、ジャンクフードの王者マクドナルドが世界中に蔓延った様に。

最後に

 それ以外のメニューも凄く安かった。日替りの朝定食が190円、昼定食で260円、食べ切れない程のボリューム満載の夕定食でも330円。これは週に一度のお楽しみだった。
 この頃が俺には一番幸せだったかもしれない。超の付く貧乏な私でも、この食堂では超の付く贅沢ができた。

 嗚呼、幻のカツランチ。あの時代が蘇るのはいつになる事やら。いや、蘇るはずもない。日本は食においても無条件降伏を受け入れたのだから。
福島の原発処理には8兆円かかるという。F35の瀑買いには2兆円掛かった。東京オリンピックには3兆円掛かる。
 頭がないからカネ使えってか?
 何時から日本人は、金を浪費するだけの無能な放蕩民族に成り下がったのか?

戦争に負けるとはこういう事なのか?戦後復興とはこういうものだったのか?高度成長の結果がこれか?経済大国の帰結はこれだったのか?
 290円のカツランチを思い出す度に、私は”失われた10年”を思い出す。



4 コメント

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幻のメンチカツ定食 (hitman)
2020-01-31 23:46:32
オイラのおすすめは
当時300円のメンチカツ定食だ〜な
とにかくメンチカツがデカい。
それが2つキャベツの千切り大盛りの上にデンと乗っかってる。
今は亡き幻のメニューです。
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hitmanさんへ (象が転んだ)
2020-02-01 01:39:58
コメントが消えてしまいスンマセン。

メンチカツ定食ですか、ヨダレ出そうです。
そう言えば昔の大衆食堂ってキャベツ大盛りでしたよね。
ご飯も大盛りでお茶は大きなヤカンに入ってて、幸せな日々でした。

それが今では洒落た喫茶店ですよ。思慮深い顔してコーヒー飲んで偉そうに小説読んで、自己満足の貧相な飲食風景になりました。

嗚呼昔が懐かしいですね。
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失われた生協 (tokotokoto)
2020-02-01 10:12:37
290円にしては
かなりのボリュームと豪華さですね
コーヒー☕一杯分弱の値段でこれですか?
学食が安いと言ってもこれではギネス級です
朝定食が190円というのも超魅力。

まだ日本にバブルの名残が残ってた時代。
まさに戦争に負けるとはこういう事ですかね。
何だかしんみりとしてきました(・・;
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tokoさんへ (象が転んだ)
2020-02-01 12:46:42
当時は喫茶店で今のように食事を取る事は殆どなかった様に思います。
SNS上での喫茶店自慢が多く、洒落た食風景がスマホを賑わしてます。

昔は食は安ければ安いほど楽しかったです。今は高価でも見た目が優先するみたいですね、とてもついていけません。
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