昔、私が通ってたド田舎の大学の食堂は、当時は今は亡き懐かしき生協食堂だった。とても安くボリュームも半端なかった。
粗雑な建物の中にあるだだっ広い無機質な倉庫で、洒落っ気も何もない。しかし、オバちゃんがとても親切で、味噌汁やお新香などはタダでお替りができた。でも何より、全く飾りの無いフレンドリーで何気ないアトホーム的な所が、大好きだったのに・・・
今は亡き、懐かしき生協食堂
生協は組合組織なので入会は任意だが、入学時に3口程加入したか。それでもお釣りが来る程に十分に安い。10口程加入しても良かったと思えた程だ。
しかし、生協への加入を嫌がる人種も多く、大半は加入しなかったろう。今から思うと、授業料の一部にし、半強制的にすべきと思った。日本人はこういうの殆ど理解がない。
当然、加入用紙として入学手続きに紛れ込ませると、やはり島国の大衆は警戒する。せめて生協の仕組みのチラシくらいは挟んでほしかったか。
故に、どうしても生協離れは加速する傾向にある。古いとか時代遅れのイメージが強すぎるのかな。多分、”COOP”というカタカナ名に変えたから安っぽく映ったのかな。農協や国鉄や郵便局と同じで、JAやJRやJPではやっぱり困るんですよ。
極論を言えば、日本中の全ての食堂を生協にすれば良いとまで思う。
そういう私は、生協の安い仕組みが本能的に理解出来たから、何の迷いもなく加入した。こういった善良な組合は、金持ちほど毛嫌いする。”弱者の弱者による弱者の為の生協”に成り下がってしまえば、潰れるのは時間の問題だった。
事実、僕が入学して僅か半年程で潰れた。その後に建ったのは、中途に洒落たネーミング(多分、タベルナだったか)のクソ食堂だった。メニューは豊富で洒落てたが、値段が倍以上に跳ね上がり、パートタイマーも全て入れ替わった。お陰で、生意気なクソ婆ばかりになった。
あっという間に、”ゲスのゲスによるゲスの為”の民間系食堂に成り下がった。不味い&高い&気持ち悪いの三拍子揃った食堂に様変わりした。
大学の中央庭の景観も風貌も台無しになり、見る度に腹が立った。大袈裟だが、まるでマンハッタンのセントラルパークに、生意気な外資系のオフィスがでんと構えるようなもんだ。
その生協の食堂がなくなり、私もそれに引き摺られる様に、フェードアウトした。今から思うと、私の人生と運命はあの生協と食堂と共にあった様な気がする。”生協と共に去りぬ”とはこの事か(悲)。
生協食堂の無条件降伏?
YouTubeで、ロス郊外の生協の食堂を紹介していた。感激と感動で涙が出た。安い&美味い&広い&愉快のてんこ盛りだった。地球の裏側の新大陸では、こんなにも生協が大盛況してる(笑)。流石、自由の国アメリカ、食も嗜好もオープンなのだ。
これこそ、大衆が待ち望んだ理想の食堂のあり方だと思った。どんな身分の人でも加入し、どんな人種でも利用出来るリーズナブルな食堂。食堂の至高の究極の姿がそこにはある。海原雄山も山岡士郎も太刀打ちできる筈もない。
生協の食堂は、見た目や雰囲気的には全くの無機質だが、財布を傷めずに食を満たすには、格好のシステムだ。何時から日本人は食を楽しむ様になったのか?何時から食にお金を掛け、贅沢を求める様になったのか?全く悲しい限りだ。
喫茶店だって、大半がチェーン展開し、露骨にブランドを見せ付ける。無能な島民はコーヒーではなく、ブランドを飲んでる様なもんだ。”このバカが”と怒鳴りつけたくなる。
スターバックス、ドトール、コメダ、タリーズなんて、耳にするだけで吐き気がする。
我らが”コーヒー牛乳”は何処へ行った?庶民の飲み物の王道はコーヒー牛乳だった筈じゃないか。それに、哀れな庶民にファンタジーを支え続けた”フルーツ牛乳”は何処へ行った?
「トルーマン」や「ルメイ」と同じで(共に要クリック?)、無能とアホは貴重な財産と資源を片っ端から食い潰す。東京大空襲も悲惨だが、飲食屋のブランド化も悲惨だ。まるで、生協食堂と大衆食堂の無条件降伏を見てるみたいで、食のブランド化とポツダム宣言は全くの同義だろう。
290円の絶品カツランチ
少し横道逸れましたが。今は亡き、大学生協食堂の一番のお気に入りが、僅か290円のカツランチだった。80年代前半だから、バブルが弾けた後の頃だし、まだまだ日本は景気が良かった。”失われた10年”の前だったし(「アメリカ何故戦争を」参照)。
でも、バブルの残骸の影響で猫も杓子も足元を見ずに、上を見続けた。高級志向に走り、握り寿司に万札を出すのも厭わなくなったのもこの時期だ。ブランドものは飛ぶ様に売れ、貧乏でも中流意識を持つ様になった。
この時点で、日本は日本人は終わったと思った。”現代のポツダム宣言”を受け容れたのだ。ブランドという名の”ハルノート”を突き付けられたのだ。
しかし、終わったのは自分の方だった(悲)。オレみたいなケチ臭く堅い人種は、当時の日本ではお呼びじゃなかったのだ。
今でこそ、”ケチ&倹約&質素”がブームで、安けりゃ良いってのが、堂々とまかり通り、市民権を得てるが。当時、貧乏はテロと同じく国家の敵だったのだ。
マクドの創始者であるレイ•クロックの”Keep it Simple Stupid”の精神が跡形もなく消え去っていく。そして生協食堂も消滅した。失われたあの懐かしき生協は二度と戻ってこないのだ。
話をもとに戻そう。
この”幻のカツランチ”。値段以上に中身が凄い、豪華過ぎるのだ。
先ず、分厚いトンカツをメインにハンバーグとカニクリームコロッケと目玉焼き。それにポテトサラダにキャベツの千切りにスパゲッティと。勿論、ライスと味噌汁も。イラストは少しおおげさですが。
これだけ揃ってたったの290円。私が今まで食べた中では、唯一無二の豪勢で至福の、最高にリーズナブルな”亭食”であった。
今、これだけのものを提供しようとすれば、軽く千円は超える。これを超えるランチは今の時代にはまずは出て来ない。人類が火星に到着するより、いや、リーマン予想を証明するよりずっと困難だろうか。
横浜中華街も帝国ホテルも三ツ星レストランの料理も、勿論だが、このカツランチには足元にも及ぶ筈もない。料理とは質よりも量と価格が支配する。貴族社会が呆気なく衰退し、ジャンクフードの王者マクドナルドが世界中に蔓延った様に。
最後に
それ以外のメニューも凄く安かった。日替りの朝定食が190円、昼定食で260円、食べ切れない程のボリューム満載の夕定食でも330円。これは週に一度のお楽しみだった。
この頃が俺には一番幸せだったかもしれない。超の付く貧乏な私でも、この食堂では超の付く贅沢ができた。
嗚呼、幻のカツランチ。あの時代が蘇るのはいつになる事やら。いや、蘇るはずもない。日本は食においても無条件降伏を受け入れたのだから。
福島の原発処理には8兆円かかるという。F35の瀑買いには2兆円掛かった。東京オリンピックには3兆円掛かる。
頭がないからカネ使えってか?
何時から日本人は、金を浪費するだけの無能な放蕩民族に成り下がったのか?
戦争に負けるとはこういう事なのか?戦後復興とはこういうものだったのか?高度成長の結果がこれか?経済大国の帰結はこれだったのか?
290円のカツランチを思い出す度に、私は”失われた10年”を思い出す。
当時300円のメンチカツ定食だ〜な
とにかくメンチカツがデカい。
それが2つキャベツの千切り大盛りの上にデンと乗っかってる。
今は亡き幻のメニューです。
メンチカツ定食ですか、ヨダレ出そうです。
そう言えば昔の大衆食堂ってキャベツ大盛りでしたよね。
ご飯も大盛りでお茶は大きなヤカンに入ってて、幸せな日々でした。
それが今では洒落た喫茶店ですよ。思慮深い顔してコーヒー飲んで偉そうに小説読んで、自己満足の貧相な飲食風景になりました。
嗚呼昔が懐かしいですね。
かなりのボリュームと豪華さですね
コーヒー☕一杯分弱の値段でこれですか?
学食が安いと言ってもこれではギネス級です
朝定食が190円というのも超魅力。
まだ日本にバブルの名残が残ってた時代。
まさに戦争に負けるとはこういう事ですかね。
何だかしんみりとしてきました(・・;
SNS上での喫茶店自慢が多く、洒落た食風景がスマホを賑わしてます。
昔は食は安ければ安いほど楽しかったです。今は高価でも見た目が優先するみたいですね、とてもついていけません。