閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

「漫画の日・治虫忌」&「火の鳥」

2024-02-09 05:45:27 | 手塚治虫作品より
         
今日は「漫画の日・治虫忌」と言うことで、折角なので土曜掲載予定だった手塚治虫
作品を繰り上げました。ようやく完成した2作目「火の鳥」です。氏の人気NO.2だ
そうです。羽根が燃える様子を出すのに一苦労でした。
向きと背景色を変えてみました。
       

火の鳥 (漫画) – Wikipedia

火の鳥(ひのとり)は、手塚治虫の作品。20世紀を代表する漫画家である手塚のライフワークと位置付けられているシリーズ漫画ある。時代的あるいは地質時代的に、または宇宙的に大きく隔てられた様々なキャラクターが登場し、死ぬことのない「火の鳥フェニックス / 不死鳥)」を追い求めるという一点で互いに繋がりを持ちながら、ちっぽけな一つの生命としてあるいは煩悩にまみれた人間として生きる機会を得た“舞台”で、それぞれの生涯をかけたドラマを展開してゆくというもの。

本作は、漫画を原作としたメディアミックス作品(映画アニメラジオドラマビデオゲーム)が製作されているほか、アニメーション映画演劇ではスピンオフ作品となっている。

概要

手塚治虫が漫画家として活動を始めた初期のころから晩年まで手がけられており、手塚治虫がライフワークと位置付けた漫画作品。

古代からはるか未来まで、地球宇宙を舞台に、生命の本質・人間の業が、手塚治虫自身の独特な思想を根底に壮大なスケールで描かれる物語は「火の鳥」と呼ばれる鳥が登場し火の鳥の血を飲めば永遠の命を得られるという設定の元、主人公たちはその火の鳥と関わりながら悩み、苦しみ、闘い、残酷な運命に翻弄され続ける。

作品は時系列順には執筆されず、雑誌「COM」以降の連載作品では過去・未来・過去・未来と交互に描き、手塚本人が死亡した瞬間に作品が完結するという構想で描かれていた。

この作品に多くの漫画家が影響を受け、数多くの映像化・アニメ化・ラジオドラマ化が行われた。

【公式】 火の鳥 1話『黎明編 その一』

1作目は人気一番の「ブラックジャック」でしたが、顔が難しかったです。
        
今朝は4℃、まだまだ寒い日が続きます。今日は晴れ間が多いようです。
 
きのうは確定申告で国税庁へ。一緒に行くと言って妻もついて来ました。今回から
パソコンでなく自分のスマフォを使っての入力、懇切丁寧に教えてくれました。来年は
自分で家でやれと言うことでしょうね。今回の還付金は25千円、だんだん減ってます。
 
ランチは昔風の喫茶店があり、そこで頂いたのがカレードリアです。外での楽しみが
ランチですね。
       
ちょっと疲れたとそのまま小田急とバスを乗り継ぎ帰りました。往復、4,186歩でした。
 
雲一杯の一日でしたが、夕方少しの間、右側だけ見えていました。今日はどうでしょうね。      
           
 
今日の日の超長い解説です。

漫画本専門の古書店「まんだらけ」が「漫画の日」を制定。

この日は、漫画家・アニメーション作家の手塚治虫(てづか おさむ)の1989年(平成元年)の忌日。そのため、この日は「治虫忌」とも呼ばれる。

関連する記念日として、7月17日も「漫画の日」となっている。また、国民の祝日「文化の日」と手塚治虫の誕生日に由来して11月3日は「まんがの日」、日本初の少年向け週刊誌『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』が発刊された日に由来して3月17日は「漫画週刊誌の日」となっている。

「手塚治虫」について

手塚治虫は、1928年(昭和3年)11月3日に現在の大阪府豊中市に生まれる。本名は治。明治天皇の誕生日「明治節」に生まれたことから「明治」にちなんで「治」と名付けられた。また、少年の頃から昆虫をこよなく愛し、自身のペンネームに「虫」という字を当てた。

手塚治虫

大阪帝国大学附属医学専門部在学中の1946年(昭和21年)1月1日に『少国民新聞』連載の4コマ漫画『マアチャンの日記帳』で漫画家としてデビュー。翌1947年(昭和22年)、酒井七馬原案の描き下ろし単行本『新宝島』がベストセラーとなり、大阪に赤本ブームを引き起こす。

1950年(昭和25年)より漫画雑誌に登場、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったヒット作を次々と手がけた。60歳で死去。そのほかの代表作に『火の鳥』『ブッダ』『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『アドルフに告ぐ』などがある。

手塚治虫

デビューから死去まで第一線で作品を発表し続け、存命中から「マンガの神様」と評された。また、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、横山光輝、水野英子、矢代まさこ、萩尾望都などをはじめ数多くの人間が手塚に影響を受け、接触し漫画家を志した。

リンク手塚治虫Wikipediaコトバンク

「まんだらけ」について

まんだらけは、1980年(昭和55年)、『ガロ』などに執筆していた漫画家・古川益三が、東京都中野区にある中野ブロードウェイに開店したのが始まりである。その後、中野ブロードウェイ内で店舗を増やし、中野ブロードウェイを日本屈指のおたくビルへと変貌させるきっかけを作った。

まんだらけ

100円の特価本から数百万円の稀少品まで、漫画・サブカルチャー分野をはじめとする、ありとあらゆるマニアが好みそうなグッズ類が集まり「まんだらけにない物はない」とも言われている。

リンクんだらけWikipedia

コメント (2)
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