今日は「喫茶店の日」だそうで、近所にコメダ珈琲店があって妻が喜んで
いますね。関西では、モーニングと言う安くて盛りだくさんのエニューがあるの
ですが、関東ではなかなか見つけられません(残念!)。
お天気は西から崩れてくるようです。
きのうは松山選手のマスターズ優勝が飛び込んできました。女子サッカーの
なでしこジャパン以来の快挙でした。
それで、試合後のキャディーの振る舞いが話題になっていました。欧米人は
言葉で感謝を沢山言いますが、日本人は一礼で現わすんですね。
逆に、日本人はすぐに謝りますが、欧米人は最初は絶対に非を認めませんね。
2千年間に培われた文化の差でしょうか。
きのうは歯科で左上の歯石掃除でした。ガリガリ、沢山取れました。
散歩は5,300歩で、2千歩くらいのところに手打ちうどん屋さんを見つけ
ました。普通の民家風でそのうち訪れたいです。
昔、アメリカから帰る時アンカレッジ経由でしたが、そこで妻が赤ノレンの
うどん屋を見つけて飛び込んで行きましたね。麺類の好きな方です。
以下、ネットにあった長い解説です。
今日は何の日 | 雑学ネタ帳 (zatsuneta.com)
1888年(明治21年)のこの日、東京・上野(下谷上野西黒門町)に日本初の本格的な
コーヒー喫茶店「可否茶館(かひいさかん)」が開店した。
1階がビリヤード場、2階が喫茶室の2階建ての洋館で、1階ではビリヤードの他、トランプや
囲碁、将棋などをすることができた。 珈琲(コーヒー)は、明治の文明開化に花を添える
ハイカラな飲み物として、特権階級の人々の間で人気があった。「可否茶館」での値段は、
もりそば1杯1銭の時代にコーヒーが1銭5厘、牛乳入りコーヒーが2銭だった。また、席料が
1銭5厘もした。値段が高すぎたこともあり「可否茶館」は、3年もたずに閉店してしまった。
その後、1910年代の明治時代末から大正時代にかけて「カフェー」と呼ばれる喫茶店が
全国的に普及し、日本において喫茶店ブームとなった。1950年代後半には音楽も楽しむ
ことができる「ジャズ喫茶」「歌声喫茶」「名曲喫茶」などが流行した。このような
喫茶店が登場・浸透した理由に、当時はレコードが高価で個人では購入が難しかったことが
挙げられる。
1960年代から1970年代には、酒類を扱わない、純粋な喫茶店である「純喫茶」が流行した。
「純喫茶」は、酒類を扱い、女給(ホステス)による接客を伴う「特殊喫茶」に対する
呼び名である。店主自らがコーヒーを淹れるようなこだわりがある喫茶店が増えたのは
この頃からである。
名古屋のモーニングサービスはすごいボリュームでした。
織田信長、豊臣秀吉を始め名古屋の方は派手好みです。
そう言えば、嫁入り道具も昔はすごかったと聞きましたね。