掘りたてのたけのこが積んであった。山城のような名産地ではないけれど周りに竹林が多い、切り口も白くおいしそうだ。
でもその話ではなくて、タケノコは木の芽和えにしたらおいしいだろうなぁと思うと、前の家の庭でいっぱい実をつけていた先代の山椒の木を思い出す。
新芽は摘んであえ物に、実は佃煮にする、毎年繰り返してきた。それが家を建て直した後、移植した場所が気に入らなかったのか枯れてしまった。
その後、木の芽和えは近所の山椒の木が頑張ってくれて、頃合いをみて持ってきてくれていたが、そこも庭を新しくして山椒がなくなった。
ことし思い出して小さい木を買ってきたが実がなるかどうかわからない。
ただ、ポットのまま玄関のたたきの置いてあったが、廊下までにおいがこもった。帰ってきた息子が、「おっ山椒植えるの」という。
「下の葉はむしってタケノコと食べる」というと。わずかに仰天したようすで「タケノコは炊いたのがいい」という。
「葉をむしるのは気の毒だ、小さいのに」
(むしるがすこしなまなましくて悪かったのか)「木から少し頂いて」と言い直したが、それでもだまっている。毎年の季節料理なのに。
「子供の山椒の木はせめてもう少しそだてて、揚羽の子供にも食べさせて余るくらいになったら」という。
あの枯れた木だって子供の頃があったのだ、植えた時を知らんだろうけど、木の芽和えにして食べて来たのだ、覚えてないだろうけど。
「揚羽の赤ちゃんが育ったらってそれいつのこっちゃ」
毎年揚羽がきて葉をしっかり食べて(しまって)どこかに飛んで行った、残りの新芽を負けずに収穫して食べていたが、揚羽は毎年来て、子供たちが喜んでいた。
雨も上がったので庭に植えたが、木の芽はスーパーのパックを買ってこよう。これがいつまで続くのか。
早く実がなれ柿の種(^^♪ 替え歌を歌って記念写真を一枚。
今日も変わりないないボリジ、じれったいではないですか。
見ている鍋は沸かないというけれど、ボリジくんお前もか笑
公園の桜はもうすぐ満開。
庭の匂いすみれ
HNことなみ