1月にパクられた愛車が発見されたことは、先日のコラム『愛の再生』(=7月18日付)で記した。
町田のオマワリの態度が不遜だったことも、持ち帰ることをしないで処分を頼んだことも。
しかし盗難届けを無効にするため、一度は交番に行く必要がある。
というわけで印鑑を持ち、成瀬駅前の交番に行ってきた。
電話では笑いながら「君の自転車はボロボロだ」と発していた担当のオマワリ、
この日は別人と思えるほど丁寧な態度で、場合によっては喧嘩腰でいこうと決めた自分の出鼻はくじかれた。
「―自転車、見てみますか」
「あ、はい、お願いします」
確かに、ボロボロだった。
前輪もサドルもなく、パーツはバラバラになっている。
乗るためではなく売るためにパクッたことは明らかで、その証拠に、ブレーキパッドは減っていないし、取り外しの難しい後輪はそのままで、しかもタイヤのロゴ―ミシュランなのだ―もピカピカのままだった。
「処分してほしい、とのことでしたが」
「はい、もうどうにもならないですし・・・ここから自宅まで近ければ、担いで持っていく手もあるのでしょうが」
「気持ちは分かりますけどね、処分も無料で出来るわけではないですから・・・」
「いや、それはもちろんお支払いしますよ」
「持ち帰れるなら、持ち帰りたい?」
「まぁ、そうなんですけれどね、自分、免許もなにもないんで、結局、足を使うことになりますし」
歳、、、なのかもしれない。
20代であったなら、確実に「担いで持って帰る」といったと思うから。
「いまね、うちの車両が故障して修理に出しているんだけれども、、、」
「はい」
「もし待ってもらえるのであれば、車両が戻ってきたら、お宅の駐車場まで運びますよ」
「・・・えっ、いいんですか」
「こんなに暑い日に、担いで持ち帰れとはいえんですよ」
単純に過ぎるかもしれないが、感動した。
私服保安員の時代も含めて、警官や刑事に優しくされた記憶が、ほとんどないので。
町を歩けば5割の確率で職質を受ける。
パブロフのワンちゃんみたいに、いまでは自分からバッグを開いてみせるほど職質に慣れてしまっている。
保安員時代には、1日で3人の窃盗犯を捕まえたことがあり、その度に警察に電話したところ「そんな頻度で捕まえるのだったら、あんたらでなんとかしてくれよ!」と恫喝されたこともあった。
・・・ものだから、優しくされるとグッとくるというかね、
何度口説いても振り向いてくれなかった女子が、向こうから下着になってくれた、、、みたいな。
大袈裟であると自覚していうが、町田にも刑事セルピコが居たんだね―と。
映画のキャラクターで、最も多いとされているのが警官・刑事である。
そのなかから一番を決めるのはそーとー難しいが、映画通の支持を集めそうなひとりは、アル・パチーノの熱演が光るセルピコだろう。
『セブン』(95)のブラッド・ピットも憧れていて、冒頭で「刑事セルピコだ」といっているほどだし。
汚職と腐敗にまみれた警察組織のなかで、孤立無援になっても己を貫き通すセルピコ。
彼は悩みに悩んだ末、告発する決意をするが、その直後、最も危険な場所とされているブルックリンに配属され・・・という、現代でもあり得るような物語だった。
自分が生まれる前年の73年に制作された、社会派シドニー・ルメットの代表作である。
デ・ニーロは狂人が似合うが、
パチーノには正義感が似合う。さらにいえば、哀愁も。
・・・と、70年代症候群の自分なので、このまま70年代の映画について熱く語りたいところだが、きょうのテーマはちがう。
きのう、成瀬交番のオマワリ「さん」により、愛車が自宅に戻された。
既に同じシリーズのブラックに乗っている自分、戻されたからといって「これ」に乗ることはないと思われるが、
オマワリ「さん」の好意に触れ、処分する気にもなれない。
しばらくは自室で、オブジェ? として飾っておこうと思う。
とりあえず、ありがとうオマワリ「さん」。
あなたたちのことを大好きになったわけではないが、最初から敵意むき出しにする姿勢を改めようと思いました。
単純?
ひとって意外と、そんなものでしょう。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『サッカーボールに保冷剤』
町田のオマワリの態度が不遜だったことも、持ち帰ることをしないで処分を頼んだことも。
しかし盗難届けを無効にするため、一度は交番に行く必要がある。
というわけで印鑑を持ち、成瀬駅前の交番に行ってきた。
電話では笑いながら「君の自転車はボロボロだ」と発していた担当のオマワリ、
この日は別人と思えるほど丁寧な態度で、場合によっては喧嘩腰でいこうと決めた自分の出鼻はくじかれた。
「―自転車、見てみますか」
「あ、はい、お願いします」
確かに、ボロボロだった。
前輪もサドルもなく、パーツはバラバラになっている。
乗るためではなく売るためにパクッたことは明らかで、その証拠に、ブレーキパッドは減っていないし、取り外しの難しい後輪はそのままで、しかもタイヤのロゴ―ミシュランなのだ―もピカピカのままだった。
「処分してほしい、とのことでしたが」
「はい、もうどうにもならないですし・・・ここから自宅まで近ければ、担いで持っていく手もあるのでしょうが」
「気持ちは分かりますけどね、処分も無料で出来るわけではないですから・・・」
「いや、それはもちろんお支払いしますよ」
「持ち帰れるなら、持ち帰りたい?」
「まぁ、そうなんですけれどね、自分、免許もなにもないんで、結局、足を使うことになりますし」
歳、、、なのかもしれない。
20代であったなら、確実に「担いで持って帰る」といったと思うから。
「いまね、うちの車両が故障して修理に出しているんだけれども、、、」
「はい」
「もし待ってもらえるのであれば、車両が戻ってきたら、お宅の駐車場まで運びますよ」
「・・・えっ、いいんですか」
「こんなに暑い日に、担いで持ち帰れとはいえんですよ」
単純に過ぎるかもしれないが、感動した。
私服保安員の時代も含めて、警官や刑事に優しくされた記憶が、ほとんどないので。
町を歩けば5割の確率で職質を受ける。
パブロフのワンちゃんみたいに、いまでは自分からバッグを開いてみせるほど職質に慣れてしまっている。
保安員時代には、1日で3人の窃盗犯を捕まえたことがあり、その度に警察に電話したところ「そんな頻度で捕まえるのだったら、あんたらでなんとかしてくれよ!」と恫喝されたこともあった。
・・・ものだから、優しくされるとグッとくるというかね、
何度口説いても振り向いてくれなかった女子が、向こうから下着になってくれた、、、みたいな。
大袈裟であると自覚していうが、町田にも刑事セルピコが居たんだね―と。
映画のキャラクターで、最も多いとされているのが警官・刑事である。
そのなかから一番を決めるのはそーとー難しいが、映画通の支持を集めそうなひとりは、アル・パチーノの熱演が光るセルピコだろう。
『セブン』(95)のブラッド・ピットも憧れていて、冒頭で「刑事セルピコだ」といっているほどだし。
汚職と腐敗にまみれた警察組織のなかで、孤立無援になっても己を貫き通すセルピコ。
彼は悩みに悩んだ末、告発する決意をするが、その直後、最も危険な場所とされているブルックリンに配属され・・・という、現代でもあり得るような物語だった。
自分が生まれる前年の73年に制作された、社会派シドニー・ルメットの代表作である。
デ・ニーロは狂人が似合うが、
パチーノには正義感が似合う。さらにいえば、哀愁も。
・・・と、70年代症候群の自分なので、このまま70年代の映画について熱く語りたいところだが、きょうのテーマはちがう。
きのう、成瀬交番のオマワリ「さん」により、愛車が自宅に戻された。
既に同じシリーズのブラックに乗っている自分、戻されたからといって「これ」に乗ることはないと思われるが、
オマワリ「さん」の好意に触れ、処分する気にもなれない。
しばらくは自室で、オブジェ? として飾っておこうと思う。
とりあえず、ありがとうオマワリ「さん」。
あなたたちのことを大好きになったわけではないが、最初から敵意むき出しにする姿勢を改めようと思いました。
単純?
ひとって意外と、そんなものでしょう。
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