今週は休みのひとが多いだろうから、通常連載に戻らず、もう少しだけ映画についてのあれこれを勝手気ままに。
二日連続で、スカパー! で放送されていた映画からのネタを。
支持は高いけれど、それでも「まだ」過小評価されていると思われる『キャリー』(76)が放送されていたので、最高画質で録画しておいた。
その冒頭に「R-15」指定とあって、
「あれ、76年の日本のレーティングって、そこまで厳しかった? というか、そもそも時代的に、そんな風に細分化されていなかったんじゃ?」
と思って確認してみたら、リバイバル時やビデオ発売時に「再」審査を受けた結果だった、、、と。
あぁなるほど、たぶん、クライマックスにおけるキャリーの大逆襲ではなく、キャリーの逆鱗に触れる「豚の血」の収集方法のおぞましさにチェックが入ったというわけだろう。
分かるが、76年産の二大傑作―もうひとつは、もちろん『タクシードライバー』―は、少年少女のころに「触れてこそ」、、、なのだけれどもね。
とくに『キャリー』―徹底的にいじめを受けた女子高生が、自身の才能(テレキネシス=超能力)を開花させ、復讐を遂げる物語―は、制作陣の意図を超えた自浄作用? というものがあり、
いじめを受けている子にとっては、ほとんど聖典のような輝きをもたらすのだった。
少なくとも自分にとってはそうで、これを観て無価値と思えた日々を乗り越えた。
(ところでトップ画像は、リメイク版『キャリー』の発表まもないポスターである。以前述べたように「あの」クロエ・グレース・モレッツでは可憐に過ぎて、キャリーの「どんくさ」感が出ないような気もするのだが・・・監督は久し振りのキンバリー・ピアーズであるし、狂信的な母親を演じるのは、贔屓のジュリアン・ムーアときたもんだ。やっぱり期待してしまうが、とにかくクライマックスだけは凝ったものが見たい)
一昨日まで朝日新聞紙上では(大津の問題を受けて)「いじめている君へ・いじめられている君へ・いじめを見ている君へ」と題し、著名人たちがメッセージを送るという連載が企画されていて、そのなかで「いいね!」と思えたのは・・・
漫画家サイバラこと西原理恵子、映画監督の井筒和幸、しょこたん中川翔子と、
ちょっと文章が巧過ぎると思ったが、小学6年生のタレント春名風花によるもの・・・
だが、自分だったら「ひたすら『キャリー』を観て、想像のなかで沢山殺人を犯せ」と発する。
そういう効果のある映画に「R-15」の指定をつけるのは、処方箋を取り上げるようなものなのではないか・・・と。
※日々増えていっているが・・・
現時点における、「R-15指定」を受けた映画たちのリスト。(ウィキペディアより)
「なるべくして、なった」キング・オブ・Rのような映画も含まれるが、
若手タレントを起用して「ダメ、ぜったい。」なんていうポスターを作るよりも、『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)を観せるだけでドラッグには手を出さなくなるのではないか、と思ったり、
11月公開というのに、だいぶ早い時期から指定が決まっていた『悪の教典』とか、早過ぎじゃね? 観る前に決めてんの? と思ったり。
五輪では、ビデオ判定や審判に口出し出来るジュリーなんて存在が注目を浴びたが、
それはそれでいろいろと問題があるものの、どんなやつがどんな風に議論しているのかが映し出されるという「透明性」については、いいと思った。
映画の審査には、それがない。
審査風景を公開しろっていっているわけじゃない、でも、こういう顔をした、こういうキャリアを持つ識者がやっているんですよ、、、という情報公開くらいはやってもいいんじゃね? と、思うのである。
そのほうが審査する側だって、緊張感を持つだろう。
公開前日まで映画は創り手のものだが、それ以降は観客のものでもあって。
すべての情報は共有されるのが理想で、審査もその例に漏れない。
不幸にも検閲をおこなう国家が未だ存在する、日本はまだマシだ―なんていう大人な? 意見もあるけれど、
そこで止まるんじゃなくて、では「さらにマシ」にすればいいじゃない・・・と思うのだが、どうなんだろうか。
キャリーも、そうなることを願っているよ、、、たぶん。
※悪の教典、予告編。
原作、すっげ面白かった。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『い、き、た、い。』
二日連続で、スカパー! で放送されていた映画からのネタを。
支持は高いけれど、それでも「まだ」過小評価されていると思われる『キャリー』(76)が放送されていたので、最高画質で録画しておいた。
その冒頭に「R-15」指定とあって、
「あれ、76年の日本のレーティングって、そこまで厳しかった? というか、そもそも時代的に、そんな風に細分化されていなかったんじゃ?」
と思って確認してみたら、リバイバル時やビデオ発売時に「再」審査を受けた結果だった、、、と。
あぁなるほど、たぶん、クライマックスにおけるキャリーの大逆襲ではなく、キャリーの逆鱗に触れる「豚の血」の収集方法のおぞましさにチェックが入ったというわけだろう。
分かるが、76年産の二大傑作―もうひとつは、もちろん『タクシードライバー』―は、少年少女のころに「触れてこそ」、、、なのだけれどもね。
とくに『キャリー』―徹底的にいじめを受けた女子高生が、自身の才能(テレキネシス=超能力)を開花させ、復讐を遂げる物語―は、制作陣の意図を超えた自浄作用? というものがあり、
いじめを受けている子にとっては、ほとんど聖典のような輝きをもたらすのだった。
少なくとも自分にとってはそうで、これを観て無価値と思えた日々を乗り越えた。
(ところでトップ画像は、リメイク版『キャリー』の発表まもないポスターである。以前述べたように「あの」クロエ・グレース・モレッツでは可憐に過ぎて、キャリーの「どんくさ」感が出ないような気もするのだが・・・監督は久し振りのキンバリー・ピアーズであるし、狂信的な母親を演じるのは、贔屓のジュリアン・ムーアときたもんだ。やっぱり期待してしまうが、とにかくクライマックスだけは凝ったものが見たい)
一昨日まで朝日新聞紙上では(大津の問題を受けて)「いじめている君へ・いじめられている君へ・いじめを見ている君へ」と題し、著名人たちがメッセージを送るという連載が企画されていて、そのなかで「いいね!」と思えたのは・・・
漫画家サイバラこと西原理恵子、映画監督の井筒和幸、しょこたん中川翔子と、
ちょっと文章が巧過ぎると思ったが、小学6年生のタレント春名風花によるもの・・・
だが、自分だったら「ひたすら『キャリー』を観て、想像のなかで沢山殺人を犯せ」と発する。
そういう効果のある映画に「R-15」の指定をつけるのは、処方箋を取り上げるようなものなのではないか・・・と。
※日々増えていっているが・・・
現時点における、「R-15指定」を受けた映画たちのリスト。(ウィキペディアより)
「なるべくして、なった」キング・オブ・Rのような映画も含まれるが、
若手タレントを起用して「ダメ、ぜったい。」なんていうポスターを作るよりも、『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)を観せるだけでドラッグには手を出さなくなるのではないか、と思ったり、
11月公開というのに、だいぶ早い時期から指定が決まっていた『悪の教典』とか、早過ぎじゃね? 観る前に決めてんの? と思ったり。
五輪では、ビデオ判定や審判に口出し出来るジュリーなんて存在が注目を浴びたが、
それはそれでいろいろと問題があるものの、どんなやつがどんな風に議論しているのかが映し出されるという「透明性」については、いいと思った。
映画の審査には、それがない。
審査風景を公開しろっていっているわけじゃない、でも、こういう顔をした、こういうキャリアを持つ識者がやっているんですよ、、、という情報公開くらいはやってもいいんじゃね? と、思うのである。
そのほうが審査する側だって、緊張感を持つだろう。
公開前日まで映画は創り手のものだが、それ以降は観客のものでもあって。
すべての情報は共有されるのが理想で、審査もその例に漏れない。
不幸にも検閲をおこなう国家が未だ存在する、日本はまだマシだ―なんていう大人な? 意見もあるけれど、
そこで止まるんじゃなくて、では「さらにマシ」にすればいいじゃない・・・と思うのだが、どうなんだろうか。
キャリーも、そうなることを願っているよ、、、たぶん。
※悪の教典、予告編。
原作、すっげ面白かった。
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明日のコラムは・・・
『い、き、た、い。』