フェイスブック経由で、にっかつ芸術学院の「大」同窓会が開催されるという連絡が入った。
無関係な企画でも参加したくなるくらいの同窓会好き? な自分、もちろん、すぐに「参加する」をクリック。
なぜ「大」のつく同窓会かというと、「全」卒業生を対象としているから。
来年、母校は閉校するのである。
予算的なところ「大」なのだろうが、それでも才能の卵をぽんぽん生み出していたら閉校にはならなかったはずで。
そういう意味ではライバル校とされていた日本映画学校(日本映画大学)に完敗、卒業生として面目ない。
はっきりいえば。
同級生や講師には恵まれたものの、18歳からの2年間は、学校よりも新聞奨学生としての日常に重きを置いており、また、その日常にこそ学ぶべきもの・ことが多かった。
喧嘩や、こころ温まるエピソード・・・想い出の8割は、新聞にまつわるもの。
恋心だって同級生ではなく、新聞の購読客に抱いた。
(本間亜希さん、元気ですか。もう結婚したでしょうね)
当時の自分は現在よりもイビツに尖っていて、知識と愛だけを物差しに同級生たちを「けっ、ミーハーが。スコセッシやミロシュ・フォアマンの名も知らないで映画を語るんじゃねーよ」と、馬鹿にしていたところがある。
ヘラヘラ顔だから気づかれなかっただろうが、そんな風に思っていたわけだ。
頭でっかち、、、だったのだろうね。
それはともかく。
自分の関わるところは悉く閉鎖・閉館・消滅してしまう―という「うしろ向きに過ぎる」ジンクスを抱いているのだが、
ふだんはジョークとして発していても、母校消滅はさすがに切ない。
奇しくも今年は、にっかつ(現在は日活)の創立100周年である。
一時期はアジア最大を誇った撮影所も、100年のあいだに様々な危機が訪れた。
スタジオの一部が取り壊されて敷地は徐々に減り、そこにマンションが次々と建てられていく。
自分がにっかつの生徒になったころは、すでに「こじんまり」とした印象を受けたものである。
93年、事実上の倒産。
自分が2年生だったころで、それを一面トップで報じている朝日・日経を自分で配達するという、なんとも自虐的な体験をしている。
日活といえば多くのひとにとっては裕次郎や吉永小百合になるのだろうが、
自分にとっては、やっぱりロマンポルノである。
自分が助平だから、、、という理由だけではない。
下記リンクの予告編でもいっている、ロマンポルノは自慰を発揚するピンク映画ではなかった。(そう書いたからといって、ピンクを下に見たりしているわけでもない―ことは、自分のふだんの文章を読めば分かるっしょ?)
そもそもロマンポルノも、経営不振を打破しようとする「秘策」として誕生したものだった。
エロシーンさえ忘れなければ、好き勝手な表現が許される―米国インディーズを支えたロジャー・コーマンの映画と同様、映画の世界でしか生きられないものによる、まさに「技あり」のジャンルであったのだ。
自分のセンスはいっている、それでこそ映画屋であるし、だからこそ格好いいのだと。
100周年を記念して、にっかつ―自分にとっては、漢字よりも平仮名のほうが馴染み深い―の名作がニュープリントでリバイバル公開されている。
うれしいのは、ロマンポルノ公開の劇場に女子のお客さんが多く見られること。
こういう子たちとは、すぐに友達になれそうだ・・・と思って声をかけてみたいところだが、変質者と間違われるだろうから、それはよしておこうか。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(12)』
無関係な企画でも参加したくなるくらいの同窓会好き? な自分、もちろん、すぐに「参加する」をクリック。
なぜ「大」のつく同窓会かというと、「全」卒業生を対象としているから。
来年、母校は閉校するのである。
予算的なところ「大」なのだろうが、それでも才能の卵をぽんぽん生み出していたら閉校にはならなかったはずで。
そういう意味ではライバル校とされていた日本映画学校(日本映画大学)に完敗、卒業生として面目ない。
はっきりいえば。
同級生や講師には恵まれたものの、18歳からの2年間は、学校よりも新聞奨学生としての日常に重きを置いており、また、その日常にこそ学ぶべきもの・ことが多かった。
喧嘩や、こころ温まるエピソード・・・想い出の8割は、新聞にまつわるもの。
恋心だって同級生ではなく、新聞の購読客に抱いた。
(本間亜希さん、元気ですか。もう結婚したでしょうね)
当時の自分は現在よりもイビツに尖っていて、知識と愛だけを物差しに同級生たちを「けっ、ミーハーが。スコセッシやミロシュ・フォアマンの名も知らないで映画を語るんじゃねーよ」と、馬鹿にしていたところがある。
ヘラヘラ顔だから気づかれなかっただろうが、そんな風に思っていたわけだ。
頭でっかち、、、だったのだろうね。
それはともかく。
自分の関わるところは悉く閉鎖・閉館・消滅してしまう―という「うしろ向きに過ぎる」ジンクスを抱いているのだが、
ふだんはジョークとして発していても、母校消滅はさすがに切ない。
奇しくも今年は、にっかつ(現在は日活)の創立100周年である。
一時期はアジア最大を誇った撮影所も、100年のあいだに様々な危機が訪れた。
スタジオの一部が取り壊されて敷地は徐々に減り、そこにマンションが次々と建てられていく。
自分がにっかつの生徒になったころは、すでに「こじんまり」とした印象を受けたものである。
93年、事実上の倒産。
自分が2年生だったころで、それを一面トップで報じている朝日・日経を自分で配達するという、なんとも自虐的な体験をしている。
日活といえば多くのひとにとっては裕次郎や吉永小百合になるのだろうが、
自分にとっては、やっぱりロマンポルノである。
自分が助平だから、、、という理由だけではない。
下記リンクの予告編でもいっている、ロマンポルノは自慰を発揚するピンク映画ではなかった。(そう書いたからといって、ピンクを下に見たりしているわけでもない―ことは、自分のふだんの文章を読めば分かるっしょ?)
そもそもロマンポルノも、経営不振を打破しようとする「秘策」として誕生したものだった。
エロシーンさえ忘れなければ、好き勝手な表現が許される―米国インディーズを支えたロジャー・コーマンの映画と同様、映画の世界でしか生きられないものによる、まさに「技あり」のジャンルであったのだ。
自分のセンスはいっている、それでこそ映画屋であるし、だからこそ格好いいのだと。
100周年を記念して、にっかつ―自分にとっては、漢字よりも平仮名のほうが馴染み深い―の名作がニュープリントでリバイバル公開されている。
うれしいのは、ロマンポルノ公開の劇場に女子のお客さんが多く見られること。
こういう子たちとは、すぐに友達になれそうだ・・・と思って声をかけてみたいところだが、変質者と間違われるだろうから、それはよしておこうか。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(12)』