すくりーみんぐ・まっど・じょー「じ」→「し」りあるきらー(シリアルキラー)
現実世界では「存在しないほうがいいに決まっている」が、
映画の世界とシリアルキラーは、たいへんに相性がよく、観客もまた、強烈で忘れ難いシリアルキラーの出現を心待ちにしている。
シリアル(=serial)って、なにかね。
シリアルナンバー(=通し番号)と同じで、「連続の」という意味。
つまりシリアルキラーとは、連続殺人者のこと。
コーンフレークなどの総称シリアル朝食は、Cから始まる「cereal」でまったく別のことば。
シリアルキラーの「いちおう」の定義は、
<1>複数を殺害していること、
そして、
<2>殺害行為そのものが目的であること。
「快楽殺人」であることが大事で、動機が怨恨にあったり、金銭目的であってはならない。
実在する・した犯罪者でいうと、
Мくん宮崎勤は明らかなシリアルキラーで、酒鬼薔薇少年は、シリアルキラーに「なりかけた」ということ。
彼ら―「100」ではないが、そのほとんどは「男」である―は、この世の闇の象徴。
だからこそ、映画でこの世の、人間の不可解さ・奇妙さを表現する際に多用されるキャラクター、、、なのかもしれない。
以下は自分が選出する、映画小僧を戦慄・震撼させたシリアルキラーな映画キャラクターたち。
「あいつもシリアルキラー?」と疑問を抱くキャラクターも入ってはいるが、広義の意味におけるシリアルキラー、と解釈してもらいたい。
(1)ヘンリー・リー・ルーカス……86年、『ルーカス』
実在したシリアルキラーの事件を描く快作+怪作。
ルーカス本人の告白によれば、300人以上を殺害している。
映画の特徴は「殺害のそっけなさ」で、それがかえって背筋を凍らせる。
(2)ベヴァリー……94年、『シリアル・ママ』
ブラック・コメディを信条とする、ジョン・ウォーターズの最高傑作。
たいした理由もなく殺人を犯す主婦ベヴァリーの日常を通し、現代社会を皮肉ってみせて痛快。
(3)ハンス・ベッケルト……31年、『М』
「デュッセルドルフの吸血鬼」の異名を持つ実在の殺人者、ペーター・キュルテンをモデルにしたフリッツ・ラングの大傑作。
とくに、市民裁判を描くクライマックスの展開に目を見張った。
(4)ジョン・ドゥ……95年、『セブン』
ブラッド・ピットの刑事はジョンに向かっていう、
「お前のやったことは、確かにワイドショーとかで騒がれるだろう。しかしみんな、すぐに忘れる」。
手のこんだジョン・ドゥの犯行は見事だが、刑事のいうとおり、、、のような気もする。
(5)謎のシリアルキラー……2003年、『殺人の追憶』
文末の予告編参照。
未解決というのがまた、事件を「より」不気味にさせる。
(6)ラスク……72年、『フレンジー』
優雅さとは対極にある、ヒッチコック晩年の傑作。
個人的には、ヒッチコック映画のなかでいちばん好き。
「ネクタイによる絞殺」に取り憑かれた男の物語で、随所にちりばめられたユーモアが光る。
(7)榎津厳……79年、『復讐するは我にあり』
米映画のシリアルキラーは「なんとなく」洗練されているが、日本のそれは、どこまでもいつまでもギトギトしていて、逆にそれがいい。
(8)ミスター・ブロンド……91年、『レザボア・ドッグス』
殺害場面そのものは、いっさい描かれない。
しかし。
ミスター・ホワイトの証言によると「無意味に銃をぶっ放した」ということなので、シリアルキラーに認定。
(9)バッファロー・ビル……90年、『羊たちの沈黙』
レクター博士の印象が強過ぎるが、「性転換手術を断られた末の犯行」という背景は、なかなかに考えられていて面白い。
(10)アンドレイ・ロマノヴィチ・チカチーロ……95年、『ロシア52人虐殺犯 チカチーロ』
事件の背景に性的不能があったとされる事実が、ひじょうに興味深いソ連(当時)を代表するシリアルキラー。
本作は米ドラマ用に制作されたが、日本では劇場公開された。
明日のしりとりは・・・
しりあるき「らー」→「ら」るご・えんたていんめんと。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(12)』
現実世界では「存在しないほうがいいに決まっている」が、
映画の世界とシリアルキラーは、たいへんに相性がよく、観客もまた、強烈で忘れ難いシリアルキラーの出現を心待ちにしている。
シリアル(=serial)って、なにかね。
シリアルナンバー(=通し番号)と同じで、「連続の」という意味。
つまりシリアルキラーとは、連続殺人者のこと。
コーンフレークなどの総称シリアル朝食は、Cから始まる「cereal」でまったく別のことば。
シリアルキラーの「いちおう」の定義は、
<1>複数を殺害していること、
そして、
<2>殺害行為そのものが目的であること。
「快楽殺人」であることが大事で、動機が怨恨にあったり、金銭目的であってはならない。
実在する・した犯罪者でいうと、
Мくん宮崎勤は明らかなシリアルキラーで、酒鬼薔薇少年は、シリアルキラーに「なりかけた」ということ。
彼ら―「100」ではないが、そのほとんどは「男」である―は、この世の闇の象徴。
だからこそ、映画でこの世の、人間の不可解さ・奇妙さを表現する際に多用されるキャラクター、、、なのかもしれない。
以下は自分が選出する、映画小僧を戦慄・震撼させたシリアルキラーな映画キャラクターたち。
「あいつもシリアルキラー?」と疑問を抱くキャラクターも入ってはいるが、広義の意味におけるシリアルキラー、と解釈してもらいたい。
(1)ヘンリー・リー・ルーカス……86年、『ルーカス』
実在したシリアルキラーの事件を描く快作+怪作。
ルーカス本人の告白によれば、300人以上を殺害している。
映画の特徴は「殺害のそっけなさ」で、それがかえって背筋を凍らせる。
(2)ベヴァリー……94年、『シリアル・ママ』
ブラック・コメディを信条とする、ジョン・ウォーターズの最高傑作。
たいした理由もなく殺人を犯す主婦ベヴァリーの日常を通し、現代社会を皮肉ってみせて痛快。
(3)ハンス・ベッケルト……31年、『М』
「デュッセルドルフの吸血鬼」の異名を持つ実在の殺人者、ペーター・キュルテンをモデルにしたフリッツ・ラングの大傑作。
とくに、市民裁判を描くクライマックスの展開に目を見張った。
(4)ジョン・ドゥ……95年、『セブン』
ブラッド・ピットの刑事はジョンに向かっていう、
「お前のやったことは、確かにワイドショーとかで騒がれるだろう。しかしみんな、すぐに忘れる」。
手のこんだジョン・ドゥの犯行は見事だが、刑事のいうとおり、、、のような気もする。
(5)謎のシリアルキラー……2003年、『殺人の追憶』
文末の予告編参照。
未解決というのがまた、事件を「より」不気味にさせる。
(6)ラスク……72年、『フレンジー』
優雅さとは対極にある、ヒッチコック晩年の傑作。
個人的には、ヒッチコック映画のなかでいちばん好き。
「ネクタイによる絞殺」に取り憑かれた男の物語で、随所にちりばめられたユーモアが光る。
(7)榎津厳……79年、『復讐するは我にあり』
米映画のシリアルキラーは「なんとなく」洗練されているが、日本のそれは、どこまでもいつまでもギトギトしていて、逆にそれがいい。
(8)ミスター・ブロンド……91年、『レザボア・ドッグス』
殺害場面そのものは、いっさい描かれない。
しかし。
ミスター・ホワイトの証言によると「無意味に銃をぶっ放した」ということなので、シリアルキラーに認定。
(9)バッファロー・ビル……90年、『羊たちの沈黙』
レクター博士の印象が強過ぎるが、「性転換手術を断られた末の犯行」という背景は、なかなかに考えられていて面白い。
(10)アンドレイ・ロマノヴィチ・チカチーロ……95年、『ロシア52人虐殺犯 チカチーロ』
事件の背景に性的不能があったとされる事実が、ひじょうに興味深いソ連(当時)を代表するシリアルキラー。
本作は米ドラマ用に制作されたが、日本では劇場公開された。
明日のしりとりは・・・
しりあるき「らー」→「ら」るご・えんたていんめんと。
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『シネマしりとり「薀蓄篇」(12)』