感覚としては分かるのだが、
「夏は怪談で涼しく、、、」
といわれても、怪談を聞いたり観たりして実際に涼しくなったことはない。
たぶん「ゾッとする」「背筋が凍る」などの表現から生まれたものなのだろう、
だから風鈴や金魚売り、祭りなどとともに「夏の風物詩」といわれることに違和感は抱かないけれども。
ほんとうに恐ろしいのは生身の人間のほうだ・・・ということを実感して以降、
ホラー映画を本気で怖がる―という体験はなかなか出来なくなってしまった。
本気で怖がっていた少年時代が懐かしい。
『エクソシスト』(73)は夜も眠れなくなったほどであるし、コミカルな味つけで人気を博した『フライトナイト』(85…しかしリメイクは、「くそ」のつくつまらなさだった)にいたっては、劇場から逃げ出す始末だった。
愛嬌たっぷりのB級ホラー『ムカデ人間』(2009)が面白かったので、その続編『ムカデ人間2』(2011)を観に行った。
「前作がロックなら今作はヘヴィメタ」と評したひとが居たが、まさにそのとおり。
血と汗と精液と汚物でスクリーンが埋め尽くされる、エッジの効いたスプラッター。
血しぶき(=splash)を語源とするスプラッターは、70~80年代に隆盛を極めた。
『ムカデ人間2』はそんな映画史を踏まえ、、、と記したいところだが、歴史なんか関係ない、突然変異で生まれた異形の映画といったほうが適切で、そういう意味でもヘヴィメタなのだった。
血しぶきや身体破壊の描写は、度が過ぎると笑いに転化される。
その悪趣味性を笑い飛ばすのがスプラッター映画の醍醐味のはずなのだが、どうしても現実の犯罪―日本でいえば、もちろんМこと宮崎事件―を連想させ、後味を悪いものにする。
90年代以降のスプラッターの衰退は、そういうところにも遠因がある、、、はずで。
ホラーで涼しくなるという経験はなくても、「スプラッターで笑う」という経験は沢山あった。
「あった」と記したように、残念ながら過去の話ではあるけれど。
『ムカデ人間2』は確かにスプラッターだが、尖り過ぎていてゲラゲラ笑うことは出来ない。
満足感はあるものの、さすがに笑えない。
あぁスプラッターで、笑いたい。
というわけで、笑えるスプラッター映画をセレクトしてみる。
(1)『ブレインデッド』(92…トップ画像)
のちに偉大なシリーズ『ロード・オブ・ザ・リング』(2001~2003)を手がけることになる、ピーター・ジャクソンがニュージーランド時代に放った出世作。
ぐちゃぐちゃ。
びちょびちょ。
赤ちゃんまで血だらけ。
でも、すごく笑える。
腹を抱えるほどに。
(2)『死霊のはらわた』(81)
昔はB級専門、現在は巨匠。
まるでデ・パルマのようだが、サム・ライミが「映画は、勢いだ」という信念を抱いて撮ったかのような、奇跡のスプラッター。
(3)『悪魔のいけにえ』(74)
トビー・フーパーの代表作にして、スプラッター映画の金字塔でもある。
しかし笑えるようになるには、3度くらいの鑑賞が必要かもしれない。
そして。
笑えるようになったひとだけ、このTシャツを着ることが出来る。
超かっけー!
(4)『殺戮職人芝刈男』(2002)
21世紀のスプラッターは「もはや真面目に創れない」ということを証明したかのような映画。
出来はよくないが、笑えることは笑える。
(5)『死霊のしたたり』(85)
80年代のスプラッター狂想曲は、81年の「はらわた」に始まり、85年の「したたり」で幕を閉じる。
ある意味では、夢のような数年間だった。
物語はあってないようなもの、エログロのオンパレードに大爆笑した。
原作はラヴクラフトの「はず」だが、ぜんぜん参考にしていない潔さを買いたい。
※現在は「巨匠」のサム・ライミ、しかしこの精神はまだ死んでいないと思うのだ
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『風呂場のエロス』
「夏は怪談で涼しく、、、」
といわれても、怪談を聞いたり観たりして実際に涼しくなったことはない。
たぶん「ゾッとする」「背筋が凍る」などの表現から生まれたものなのだろう、
だから風鈴や金魚売り、祭りなどとともに「夏の風物詩」といわれることに違和感は抱かないけれども。
ほんとうに恐ろしいのは生身の人間のほうだ・・・ということを実感して以降、
ホラー映画を本気で怖がる―という体験はなかなか出来なくなってしまった。
本気で怖がっていた少年時代が懐かしい。
『エクソシスト』(73)は夜も眠れなくなったほどであるし、コミカルな味つけで人気を博した『フライトナイト』(85…しかしリメイクは、「くそ」のつくつまらなさだった)にいたっては、劇場から逃げ出す始末だった。
愛嬌たっぷりのB級ホラー『ムカデ人間』(2009)が面白かったので、その続編『ムカデ人間2』(2011)を観に行った。
「前作がロックなら今作はヘヴィメタ」と評したひとが居たが、まさにそのとおり。
血と汗と精液と汚物でスクリーンが埋め尽くされる、エッジの効いたスプラッター。
血しぶき(=splash)を語源とするスプラッターは、70~80年代に隆盛を極めた。
『ムカデ人間2』はそんな映画史を踏まえ、、、と記したいところだが、歴史なんか関係ない、突然変異で生まれた異形の映画といったほうが適切で、そういう意味でもヘヴィメタなのだった。
血しぶきや身体破壊の描写は、度が過ぎると笑いに転化される。
その悪趣味性を笑い飛ばすのがスプラッター映画の醍醐味のはずなのだが、どうしても現実の犯罪―日本でいえば、もちろんМこと宮崎事件―を連想させ、後味を悪いものにする。
90年代以降のスプラッターの衰退は、そういうところにも遠因がある、、、はずで。
ホラーで涼しくなるという経験はなくても、「スプラッターで笑う」という経験は沢山あった。
「あった」と記したように、残念ながら過去の話ではあるけれど。
『ムカデ人間2』は確かにスプラッターだが、尖り過ぎていてゲラゲラ笑うことは出来ない。
満足感はあるものの、さすがに笑えない。
あぁスプラッターで、笑いたい。
というわけで、笑えるスプラッター映画をセレクトしてみる。
(1)『ブレインデッド』(92…トップ画像)
のちに偉大なシリーズ『ロード・オブ・ザ・リング』(2001~2003)を手がけることになる、ピーター・ジャクソンがニュージーランド時代に放った出世作。
ぐちゃぐちゃ。
びちょびちょ。
赤ちゃんまで血だらけ。
でも、すごく笑える。
腹を抱えるほどに。
(2)『死霊のはらわた』(81)
昔はB級専門、現在は巨匠。
まるでデ・パルマのようだが、サム・ライミが「映画は、勢いだ」という信念を抱いて撮ったかのような、奇跡のスプラッター。
(3)『悪魔のいけにえ』(74)
トビー・フーパーの代表作にして、スプラッター映画の金字塔でもある。
しかし笑えるようになるには、3度くらいの鑑賞が必要かもしれない。
そして。
笑えるようになったひとだけ、このTシャツを着ることが出来る。
超かっけー!
(4)『殺戮職人芝刈男』(2002)
21世紀のスプラッターは「もはや真面目に創れない」ということを証明したかのような映画。
出来はよくないが、笑えることは笑える。
(5)『死霊のしたたり』(85)
80年代のスプラッター狂想曲は、81年の「はらわた」に始まり、85年の「したたり」で幕を閉じる。
ある意味では、夢のような数年間だった。
物語はあってないようなもの、エログロのオンパレードに大爆笑した。
原作はラヴクラフトの「はず」だが、ぜんぜん参考にしていない潔さを買いたい。
※現在は「巨匠」のサム・ライミ、しかしこの精神はまだ死んでいないと思うのだ
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