まぁ自分もそうなのかもしれないけれど、そのことは都合よく「置いておく」ことにして・・・
愛と情熱は溢れんばかりだが、どうにも才能が追いつかない―そんな映画作家を挙げるとするならば、やはりエドワード・ウッド・ジュニア、、、ということになるのだと思う。
通称エド・ウッド、ティム・バートンがジョニー・デップを起用した伝記映画でこのひとを知ったひとも多いはずで、
この映画は観ていても、あるいはエド・ウッドの「最悪ぶり」は耳にしていても、実際にそんな「ひどい作品」にチャレンジしてみた「勇気あるもの」は少ないと思われる。
うん、日本で触れることの出来るエド印の映画は全部観たよ。
映画小僧を自称する以上、それは避けて通れない道であるし。
冒頭5分で睡魔が訪れる―というのは、絵が動き物語が進むはずの映画ではなかなか考えられないことではあるが、実際にそうなった。
代表作とされる『プラン9・フロム・アウタースペース』(56)も『グレンとグレンダ』(53)も、邦題のセンスは絶妙な『死霊の盆踊り』(65)も、とにかくひどい。ひど過ぎて感動を覚えるほどなのである。
じゃあなぜエド・ウッドが(ごく一部で)評価されているのかというと、批評家にも観客にも無視され続けながら、それでも映画にしがみついていたから。
好きなものを生業にしたのではなく、そこでしか生きられないから映画を撮り続けたという、独特な切なさが胸を打つじゃないか。
さて。
時代も味方している感のあるひとだが、エド・ウッドとは似て非なる存在―つまり愛と情熱のほかに「きちんと」才能まで持つ現代の映画作家が日本に存在する。
最新作『デッド寿司』(トップ画像/文末予告編参照)が公開中の、井口昇である。
AVから出発し、タイトルも素敵な『片腕マシンガール』(2007)や『電人ザボーガー』(2011)でカルトな人気を獲得したオタク系監督。
井口さんとは何度か会ったことがあるが、まぁ見た目はフツーか。
小太りで160cm前半の身長がそう思わせるのだろう、会ってすぐに親しみがわく。
かつて「トマト」が人格を持ち、人間を襲う―という怪作『アタック・オブ・ザ・キラートマト』(78)というのがあったが、
『デッド寿司』は「トマト」を「寿司」に変えてみました、、、という作品である。
自分は井口演出と主演の武田梨奈が目当てで鑑賞したが、充分に楽しめた。
しかし2割にも満たない「入り」に、打ち切りも近いのかな・・・なんて悲しい気持ちになった。
ただエド・ウッドとはちがい、井口さんには固定ファンがついている。きっと死ぬまで馬鹿な映画を「本気で」創ってくれることだろう。
前置きが長くなったが、自分の寿司初体験のつづき。
というか、その後の話はたいしたことないので映画で稼いだ―というのがほんとうのところだが汗。
最初は遠慮して? サーモンやタコくらいしか口にしなかった美女も、自分が「がぶがぶ」とビールを呑み、「わしわし」と中トロを喰らい続けるので、大トロやウニを注文し始めた。
こうなったらヤケクソだ、
ヤケクソついでにこの店を出たらエッチに誘ってみよう・・・などと考えながら中トロばかりを喰う自分。
確かに美味である。
しかし元々が舌の偏差値「低め」なわけで、なにを出されても「美味い、美味い~♪」といっていた可能性は高い。
「美味しい~」
「ねぇ、美味いねぇ。満足?」
「うん、しあわせ」
「よかった」
「なんでそんなにお金、持ってるの?」
「(苦笑)いや、持ってないし。単なるエーカッコシーでしょう」
「そうなの?」
「そうだよ、同性の友達だったら、たぶん、命を救ってくれたとか、そういうことがないかぎり奢らないもの」
「女子でラッキーなんだ、あたし」
「しかしあれだね、なにが緊張したかって、こういう店にハーフパンツで入れるものかっていうね」
「あはは!」
「大将、自分、間違った格好で来てます?」
「いえいえ、そんなことありませんよ。好きな格好で来てもらって、好きなものを食べてもらえれば」
いいこというじゃないか。
で、会計は4万8千円くらいだった。
前住居の家賃と同じである。
内訳は完全に忘れたが、高いか安いかもぜんぜん分からない。
分からなかったが、いいもの喰わせてもらったし、いい経験もした。
その後?
そりゃあ、エッチ出来なかったさ。
彼女、ウニを食べながら「プロポーズされたの」といったわけでね。
まぁだから、これを結婚祝いだとするならば、安いほう、、、なのかもしれない。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『サヨナラ、サヨナラ、…サヨナラ』
愛と情熱は溢れんばかりだが、どうにも才能が追いつかない―そんな映画作家を挙げるとするならば、やはりエドワード・ウッド・ジュニア、、、ということになるのだと思う。
通称エド・ウッド、ティム・バートンがジョニー・デップを起用した伝記映画でこのひとを知ったひとも多いはずで、
この映画は観ていても、あるいはエド・ウッドの「最悪ぶり」は耳にしていても、実際にそんな「ひどい作品」にチャレンジしてみた「勇気あるもの」は少ないと思われる。
うん、日本で触れることの出来るエド印の映画は全部観たよ。
映画小僧を自称する以上、それは避けて通れない道であるし。
冒頭5分で睡魔が訪れる―というのは、絵が動き物語が進むはずの映画ではなかなか考えられないことではあるが、実際にそうなった。
代表作とされる『プラン9・フロム・アウタースペース』(56)も『グレンとグレンダ』(53)も、邦題のセンスは絶妙な『死霊の盆踊り』(65)も、とにかくひどい。ひど過ぎて感動を覚えるほどなのである。
じゃあなぜエド・ウッドが(ごく一部で)評価されているのかというと、批評家にも観客にも無視され続けながら、それでも映画にしがみついていたから。
好きなものを生業にしたのではなく、そこでしか生きられないから映画を撮り続けたという、独特な切なさが胸を打つじゃないか。
さて。
時代も味方している感のあるひとだが、エド・ウッドとは似て非なる存在―つまり愛と情熱のほかに「きちんと」才能まで持つ現代の映画作家が日本に存在する。
最新作『デッド寿司』(トップ画像/文末予告編参照)が公開中の、井口昇である。
AVから出発し、タイトルも素敵な『片腕マシンガール』(2007)や『電人ザボーガー』(2011)でカルトな人気を獲得したオタク系監督。
井口さんとは何度か会ったことがあるが、まぁ見た目はフツーか。
小太りで160cm前半の身長がそう思わせるのだろう、会ってすぐに親しみがわく。
かつて「トマト」が人格を持ち、人間を襲う―という怪作『アタック・オブ・ザ・キラートマト』(78)というのがあったが、
『デッド寿司』は「トマト」を「寿司」に変えてみました、、、という作品である。
自分は井口演出と主演の武田梨奈が目当てで鑑賞したが、充分に楽しめた。
しかし2割にも満たない「入り」に、打ち切りも近いのかな・・・なんて悲しい気持ちになった。
ただエド・ウッドとはちがい、井口さんには固定ファンがついている。きっと死ぬまで馬鹿な映画を「本気で」創ってくれることだろう。
前置きが長くなったが、自分の寿司初体験のつづき。
というか、その後の話はたいしたことないので映画で稼いだ―というのがほんとうのところだが汗。
最初は遠慮して? サーモンやタコくらいしか口にしなかった美女も、自分が「がぶがぶ」とビールを呑み、「わしわし」と中トロを喰らい続けるので、大トロやウニを注文し始めた。
こうなったらヤケクソだ、
ヤケクソついでにこの店を出たらエッチに誘ってみよう・・・などと考えながら中トロばかりを喰う自分。
確かに美味である。
しかし元々が舌の偏差値「低め」なわけで、なにを出されても「美味い、美味い~♪」といっていた可能性は高い。
「美味しい~」
「ねぇ、美味いねぇ。満足?」
「うん、しあわせ」
「よかった」
「なんでそんなにお金、持ってるの?」
「(苦笑)いや、持ってないし。単なるエーカッコシーでしょう」
「そうなの?」
「そうだよ、同性の友達だったら、たぶん、命を救ってくれたとか、そういうことがないかぎり奢らないもの」
「女子でラッキーなんだ、あたし」
「しかしあれだね、なにが緊張したかって、こういう店にハーフパンツで入れるものかっていうね」
「あはは!」
「大将、自分、間違った格好で来てます?」
「いえいえ、そんなことありませんよ。好きな格好で来てもらって、好きなものを食べてもらえれば」
いいこというじゃないか。
で、会計は4万8千円くらいだった。
前住居の家賃と同じである。
内訳は完全に忘れたが、高いか安いかもぜんぜん分からない。
分からなかったが、いいもの喰わせてもらったし、いい経験もした。
その後?
そりゃあ、エッチ出来なかったさ。
彼女、ウニを食べながら「プロポーズされたの」といったわけでね。
まぁだから、これを結婚祝いだとするならば、安いほう、、、なのかもしれない。
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