~追悼、大島渚~
20歳のころ、アルバイト先で彩子という女子大生と知り合いになった。
超のつく美人で活字好き、極端にエロな話でも付き合ってくれる理想の女子。
「いまパンツ見たでしょ?」
「見たというか、見えた。けっこう長い時間」
「何色だったか、分かった?」
「(頷く)」
「何色だった?」
「サーモンピンク」
「(笑う)正解、じゃあ今晩のオカズにしていいよ」
こんな具合である。
いまから思えば自分に訪れた(最初で最後だったかもしれない)モテ期で、彼女ともうひとりの女子ふたりによる「ダブル膝枕」を提供されたことがある。
しかもバイトの休憩中に。
なんて幸福な男なんだ自分は―と感動しつつチンピク100状態で膝枕を享受していたのだが、どうやっても4本の脚を同時に愛でることは出来ず、なんとなくもうひとりの女子の脚ばかりを攻めて? いた。
すると彩子は少し不機嫌になり、「あー、そう。いいんだ、あたしは」などという。
焦った自分は咄嗟に彼女の脚をぺろりと舐め、彼女はくすぐったいと笑った。
そんな「素敵な」彩子は坂口安吾と梶井基次郎を愛していて、もうそれだけでモノを見る目は信用出来たが、自分の書くシナリオにも深い興味を示してくれて、執筆した作品を全部読んでもらっていた。
彩子の批評は手厳しかったが、指摘することのすべてが的を得ていた。
自分は感心し、新作が出来上がるとまず最初に彼女に読んでもらうことにした。
彩子は鵠沼に住んでいた。
「―近くにね、大島渚が住んでるの」
「マジで?」
「うん、でもね、映画監督って儲からないのかな・・・って思っちゃうほど、小さな家だよ」
「まぁ、、、儲かるような映画は撮ってないしね」
「いい映画監督?」
「そりゃあ、もう」
「じつは一本も観てないんだ」
「あれ珍しい、彩ちゃんとしたことが」
「そうだよねー、ちょっと食わず嫌いなところがあるのかも」
「観たほうがいいと思う。とくに『愛のコリーダ』は、彩ちゃんなら分かる世界かと」
「『戦場のメリークリスマス』じゃないんだ?」
「一般的には代表作なんだろうけど、あれは大島さんじゃなくて、坂本龍一の代表作」
「ふーん。エッチなやつなんでしょ」
「まあね。それを神話にまで高めた映画」
「とりあえず行って、会ってみたいな」
「会って、どうするの?」
「そりゃ、持ち込むんだよシナリオを」
「・・・案内してあげようか?」
その数ヵ月後、彩子を案内人にして鵠沼までやってきた。
「あたしは部外者だから、ここまででいいよね?」
「オッケー、さんきゅう。こんど、飯奢るから」
「うなぎがいい!!」
「(苦笑)分かった分かった」
ハッとするほどの美人が、玄関に立っていた。
女優、小山明子である。
「―昔は沢山の映画青年が尋ねてきたけど、いまは珍しいのよ」
「そうですか」
「ニコニコしていて、あなた、得する顔してるのね」
「(苦笑)そうでしょうか」
「ごめんね、多摩からだと、2時間くらいはかかったんじゃない?」
「・・・まぁ、そのくらいでしょうか」
「いま主人ね、ちょっと体調が優れないので・・・」
97年4月の出来事だった。
オオシマはその1年前に脳出血で倒れ、闘病中だったのである。
見舞いの花束と、完成したばかりのシナリオと。
病人にシナリオはどうなのか・・・と思ったが、戦闘的な映画監督とともに戦ってきた夫人は「きっとよくなるから、シナリオは預かっておく」と笑って応えてくれた。
99年―3年にわたるリハビリを経て、オオシマは『御法度』で復活した。
かつてのような「吠える映画」ではなかったが、同性愛の視点から新撰組を切り取ってみせるところが、いかにもオオシマだなぁと感動したことを覚えている。
結局、これが遺作となった。
先日、新聞で『監督 大島渚&女優 小山明子』展が鎌倉で企画される―というニュースを読んだばかりで、「これは行かなきゃ」と思った矢先の訃報である。
衝撃というより、「結局、会えずに死んでしまった」という寂しさのほうが強い。
ラジオでは坂本龍一による映画音楽が流れている。
テレビニュースでも、代表作は『戦場のメリークリスマス』(83)といっている。
べつに否定するつもりはないが、なんとなく「こんなもんじゃ、ないんだけれどな・・・」と思ったり。
すぐに怒鳴り、しかし、よく笑うひと。
前者の印象が一般的だろうが、テレビのバラエティ番組でパイレーツ―だっちゅ~の―の存在に喜ぶ姿を見ると、単なる助平なオッサンじゃないかと親近感を抱いた。
多くのメディアが経歴などを載せるであろうから、敢えてここには記さない。
ただ、ひとつだけ。
自分の生涯ベストテンには、オオシマによる『絞死刑』(68)が入っている。
小松川女子高校生殺しを材に取ったブラック・コメディだが、「国家がすべて悪い、俺たちはなにがあっても、ゼッタイに無罪なんだ」といい切ってしまうオオシマはどうかしている。
この「どうかしている」がポイントで、自分だけであろうか、闇雲なエネルギーだけで撮られた映画というものに、こころを動かされてしまうのである。
だが最も繰り返し観たオオシマ映画は『絞死刑』ではなく、『愛のコリーダ』(76)のほう。
若松孝二の追悼文にも書いたが、阿部定事件を神話にまで高めた・・・だけでなく、なんというか、演者を含めた全員が戦っている―そこに打たれ、そうして羨ましくなったから。
映画制作は「本気の遊び」といわれるが、もちろんどんな映画の制作者も本気で作品と対峙しているであろうし、そう思いたい。
思いたいが、その本気度がこれほど伝わってくる映画もないのではないか、、、『愛のコリーダ』を観返す度に、強くそう思う。
オオシマはスタッフやキャストを「ゲバラたち」と呼ぶ。
同胞や同志、戦友ではなく「ゲバラ」と。
戦う映画監督は沢山のゲバラたちを得て、戦う映画を沢山創ってきた―ほとんど戦友と同じ意味だが、えらく格好いい。えらく羨ましい。
だから自分はオオシマ映画を観ると、まず「その絆」に感動するのだった。
ハッとするほど美しい夫人が、ともに戦っていた。
野坂昭如と殴りあったときも、倒れたときも、彼女は常に寄り添っていた。
オオシマのことを考えると、同時にコヤマのことも頭に浮かぶ。
男子として映画小僧として、やっぱりこれほど羨ましい関係性はない。
ところで彩ちゃん、『愛のコリーダ』は観たのかな?
いい奥さん、やってますか。
大島渚、2013年1月15日死去、享年80歳。
合掌。
※愛の亡霊
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(27)』
20歳のころ、アルバイト先で彩子という女子大生と知り合いになった。
超のつく美人で活字好き、極端にエロな話でも付き合ってくれる理想の女子。
「いまパンツ見たでしょ?」
「見たというか、見えた。けっこう長い時間」
「何色だったか、分かった?」
「(頷く)」
「何色だった?」
「サーモンピンク」
「(笑う)正解、じゃあ今晩のオカズにしていいよ」
こんな具合である。
いまから思えば自分に訪れた(最初で最後だったかもしれない)モテ期で、彼女ともうひとりの女子ふたりによる「ダブル膝枕」を提供されたことがある。
しかもバイトの休憩中に。
なんて幸福な男なんだ自分は―と感動しつつチンピク100状態で膝枕を享受していたのだが、どうやっても4本の脚を同時に愛でることは出来ず、なんとなくもうひとりの女子の脚ばかりを攻めて? いた。
すると彩子は少し不機嫌になり、「あー、そう。いいんだ、あたしは」などという。
焦った自分は咄嗟に彼女の脚をぺろりと舐め、彼女はくすぐったいと笑った。
そんな「素敵な」彩子は坂口安吾と梶井基次郎を愛していて、もうそれだけでモノを見る目は信用出来たが、自分の書くシナリオにも深い興味を示してくれて、執筆した作品を全部読んでもらっていた。
彩子の批評は手厳しかったが、指摘することのすべてが的を得ていた。
自分は感心し、新作が出来上がるとまず最初に彼女に読んでもらうことにした。
彩子は鵠沼に住んでいた。
「―近くにね、大島渚が住んでるの」
「マジで?」
「うん、でもね、映画監督って儲からないのかな・・・って思っちゃうほど、小さな家だよ」
「まぁ、、、儲かるような映画は撮ってないしね」
「いい映画監督?」
「そりゃあ、もう」
「じつは一本も観てないんだ」
「あれ珍しい、彩ちゃんとしたことが」
「そうだよねー、ちょっと食わず嫌いなところがあるのかも」
「観たほうがいいと思う。とくに『愛のコリーダ』は、彩ちゃんなら分かる世界かと」
「『戦場のメリークリスマス』じゃないんだ?」
「一般的には代表作なんだろうけど、あれは大島さんじゃなくて、坂本龍一の代表作」
「ふーん。エッチなやつなんでしょ」
「まあね。それを神話にまで高めた映画」
「とりあえず行って、会ってみたいな」
「会って、どうするの?」
「そりゃ、持ち込むんだよシナリオを」
「・・・案内してあげようか?」
その数ヵ月後、彩子を案内人にして鵠沼までやってきた。
「あたしは部外者だから、ここまででいいよね?」
「オッケー、さんきゅう。こんど、飯奢るから」
「うなぎがいい!!」
「(苦笑)分かった分かった」
ハッとするほどの美人が、玄関に立っていた。
女優、小山明子である。
「―昔は沢山の映画青年が尋ねてきたけど、いまは珍しいのよ」
「そうですか」
「ニコニコしていて、あなた、得する顔してるのね」
「(苦笑)そうでしょうか」
「ごめんね、多摩からだと、2時間くらいはかかったんじゃない?」
「・・・まぁ、そのくらいでしょうか」
「いま主人ね、ちょっと体調が優れないので・・・」
97年4月の出来事だった。
オオシマはその1年前に脳出血で倒れ、闘病中だったのである。
見舞いの花束と、完成したばかりのシナリオと。
病人にシナリオはどうなのか・・・と思ったが、戦闘的な映画監督とともに戦ってきた夫人は「きっとよくなるから、シナリオは預かっておく」と笑って応えてくれた。
99年―3年にわたるリハビリを経て、オオシマは『御法度』で復活した。
かつてのような「吠える映画」ではなかったが、同性愛の視点から新撰組を切り取ってみせるところが、いかにもオオシマだなぁと感動したことを覚えている。
結局、これが遺作となった。
先日、新聞で『監督 大島渚&女優 小山明子』展が鎌倉で企画される―というニュースを読んだばかりで、「これは行かなきゃ」と思った矢先の訃報である。
衝撃というより、「結局、会えずに死んでしまった」という寂しさのほうが強い。
ラジオでは坂本龍一による映画音楽が流れている。
テレビニュースでも、代表作は『戦場のメリークリスマス』(83)といっている。
べつに否定するつもりはないが、なんとなく「こんなもんじゃ、ないんだけれどな・・・」と思ったり。
すぐに怒鳴り、しかし、よく笑うひと。
前者の印象が一般的だろうが、テレビのバラエティ番組でパイレーツ―だっちゅ~の―の存在に喜ぶ姿を見ると、単なる助平なオッサンじゃないかと親近感を抱いた。
多くのメディアが経歴などを載せるであろうから、敢えてここには記さない。
ただ、ひとつだけ。
自分の生涯ベストテンには、オオシマによる『絞死刑』(68)が入っている。
小松川女子高校生殺しを材に取ったブラック・コメディだが、「国家がすべて悪い、俺たちはなにがあっても、ゼッタイに無罪なんだ」といい切ってしまうオオシマはどうかしている。
この「どうかしている」がポイントで、自分だけであろうか、闇雲なエネルギーだけで撮られた映画というものに、こころを動かされてしまうのである。
だが最も繰り返し観たオオシマ映画は『絞死刑』ではなく、『愛のコリーダ』(76)のほう。
若松孝二の追悼文にも書いたが、阿部定事件を神話にまで高めた・・・だけでなく、なんというか、演者を含めた全員が戦っている―そこに打たれ、そうして羨ましくなったから。
映画制作は「本気の遊び」といわれるが、もちろんどんな映画の制作者も本気で作品と対峙しているであろうし、そう思いたい。
思いたいが、その本気度がこれほど伝わってくる映画もないのではないか、、、『愛のコリーダ』を観返す度に、強くそう思う。
オオシマはスタッフやキャストを「ゲバラたち」と呼ぶ。
同胞や同志、戦友ではなく「ゲバラ」と。
戦う映画監督は沢山のゲバラたちを得て、戦う映画を沢山創ってきた―ほとんど戦友と同じ意味だが、えらく格好いい。えらく羨ましい。
だから自分はオオシマ映画を観ると、まず「その絆」に感動するのだった。
ハッとするほど美しい夫人が、ともに戦っていた。
野坂昭如と殴りあったときも、倒れたときも、彼女は常に寄り添っていた。
オオシマのことを考えると、同時にコヤマのことも頭に浮かぶ。
男子として映画小僧として、やっぱりこれほど羨ましい関係性はない。
ところで彩ちゃん、『愛のコリーダ』は観たのかな?
いい奥さん、やってますか。
大島渚、2013年1月15日死去、享年80歳。
合掌。
※愛の亡霊
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