基本的に羞恥心はない。
あったのだろうが、モノスゴ小さく軽かったため、たぶんどこかに置き忘れてきたのだ、、、と思う。
土下座してエッチをお願いすることになんの抵抗感もないし、この年でザーメンザーメンと連呼するところも、その証明になっているんじゃないか。
そんな、まもなく39歳になるチューネンが、ほとんど唯一といっていい「自分を恥ずかしいと思っている」こと―それが、10割負担の「ばかでかい」国民健康保険証だった。
「ばかでかい」にもほどがある! と突っ込みたくなるが、だからこれは、フツーの保険証との差異を図るためなのだろう。
運転免許証を有さない自分にとって身分証明といえば保険証になるのだが、これを提示するのが恥ずかしくてたまらなかった。
10割?
かっこわりー! みたいな。
なぜそうなったのかというと、多重債務者時代、弁護士事務所への入金を最優先にしていたから。
放っておいたわけではないが、いつの間にか3年分くらいの保険料が未納状態となり、そうして「ばかでかい」保険証が送られてきたと。
余波、映画『グッドフェローズ』(90)で印象に残る「aftermath」というヤツだ。
この甲斐性のなさから、女子に別れ話を切り出されたことが「何度か」あった。
「まっき~って飽きないし、一緒に居て楽しいけれど、ちょっと不安になる」なんていわれたらもう、完全に二の句が継げないのである。
完済人となったのが約3年前で、そのころには未納は5年分くらいとなっていた。
だからここ数年は、ギャラの半分ちかくを保険料に充てていた。
そうして先日―じつに6年ぶりに、フツーサイズの保険証をいただいた。
担当者からの手紙には「未納額が大幅に減りましたので、通常の保険証を送付します。今後も継続的な納入をよろしくお願いします」とある。
まだ延滞金は残っているものの、やっと「フツーのひと」と認められたわけだ。
情けない話ではあるが、うれしかったなぁ。
これで欠けた歯の治療が出来る、怪我自慢みたいなところがあるから思いっきり怪我が出来る。
なにより堂々と? 身分証明として提示出来る。
借金についてはいい思い出などひとつもないが、勉強にはなった。
身の丈、身の丈でいこうぜよと。
それにしても資産家夫婦の失踪・殺人事件の展開は異常に早いな。
犯人たちに同情の余地はなさそうだが、やりくちが雑過ぎる気がする。そりゃ、すぐに捕まるだろうよ。
彼らを狂わせたのも、また金だ。
金ってやっぱり、それをうまく扱えるひとのところに集まるもの、、、なのかもしれない。
さて強引に話を変えるが。
スコセッシの映画を「主題」という点で評価するならば最高作は『タクシードライバー』(76)で決まりだが、
「技術」では『レイジング・ブル』(80)、
単なる面白さ、つまりエンタメ性で捉えれば『グッドフェローズ』を挙げる。
自分史上で最も多く観た映画である。
途中までカウントしていたが、50回を超えたところでやめてしまった。そのくらい観ている。そのくらい観ていても、まだ飽きない。
きょうはそんな名画から、自分が二番目に好きなシーンをリンク。
デ・ニーロによる「粛清」が描かれる場面で、『レイラ』(の、ピアノ部分)を流す超絶的なセンスに痺れまくった。
元々この映画は、コッポラの『ゴッドファーザー』(72)に対するアンチとして制作されたもの。
ふたりはNY派の親友同士だが、オペラのようなコッポラ演出に対し、少年時代からギャングを見てきたスコセッシは「格好つけ過ぎている、彼らはもっとケチであり、格好悪いところもあった」という感想を抱き、この映画を撮った。
『ゴッドファーザー』にも「粛清」のシーンがあり、『グッドフェローズ』におけるこの描写は「その変奏」だったんじゃないか、、、と思う。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『顔』
あったのだろうが、モノスゴ小さく軽かったため、たぶんどこかに置き忘れてきたのだ、、、と思う。
土下座してエッチをお願いすることになんの抵抗感もないし、この年でザーメンザーメンと連呼するところも、その証明になっているんじゃないか。
そんな、まもなく39歳になるチューネンが、ほとんど唯一といっていい「自分を恥ずかしいと思っている」こと―それが、10割負担の「ばかでかい」国民健康保険証だった。
「ばかでかい」にもほどがある! と突っ込みたくなるが、だからこれは、フツーの保険証との差異を図るためなのだろう。
運転免許証を有さない自分にとって身分証明といえば保険証になるのだが、これを提示するのが恥ずかしくてたまらなかった。
10割?
かっこわりー! みたいな。
なぜそうなったのかというと、多重債務者時代、弁護士事務所への入金を最優先にしていたから。
放っておいたわけではないが、いつの間にか3年分くらいの保険料が未納状態となり、そうして「ばかでかい」保険証が送られてきたと。
余波、映画『グッドフェローズ』(90)で印象に残る「aftermath」というヤツだ。
この甲斐性のなさから、女子に別れ話を切り出されたことが「何度か」あった。
「まっき~って飽きないし、一緒に居て楽しいけれど、ちょっと不安になる」なんていわれたらもう、完全に二の句が継げないのである。
完済人となったのが約3年前で、そのころには未納は5年分くらいとなっていた。
だからここ数年は、ギャラの半分ちかくを保険料に充てていた。
そうして先日―じつに6年ぶりに、フツーサイズの保険証をいただいた。
担当者からの手紙には「未納額が大幅に減りましたので、通常の保険証を送付します。今後も継続的な納入をよろしくお願いします」とある。
まだ延滞金は残っているものの、やっと「フツーのひと」と認められたわけだ。
情けない話ではあるが、うれしかったなぁ。
これで欠けた歯の治療が出来る、怪我自慢みたいなところがあるから思いっきり怪我が出来る。
なにより堂々と? 身分証明として提示出来る。
借金についてはいい思い出などひとつもないが、勉強にはなった。
身の丈、身の丈でいこうぜよと。
それにしても資産家夫婦の失踪・殺人事件の展開は異常に早いな。
犯人たちに同情の余地はなさそうだが、やりくちが雑過ぎる気がする。そりゃ、すぐに捕まるだろうよ。
彼らを狂わせたのも、また金だ。
金ってやっぱり、それをうまく扱えるひとのところに集まるもの、、、なのかもしれない。
さて強引に話を変えるが。
スコセッシの映画を「主題」という点で評価するならば最高作は『タクシードライバー』(76)で決まりだが、
「技術」では『レイジング・ブル』(80)、
単なる面白さ、つまりエンタメ性で捉えれば『グッドフェローズ』を挙げる。
自分史上で最も多く観た映画である。
途中までカウントしていたが、50回を超えたところでやめてしまった。そのくらい観ている。そのくらい観ていても、まだ飽きない。
きょうはそんな名画から、自分が二番目に好きなシーンをリンク。
デ・ニーロによる「粛清」が描かれる場面で、『レイラ』(の、ピアノ部分)を流す超絶的なセンスに痺れまくった。
元々この映画は、コッポラの『ゴッドファーザー』(72)に対するアンチとして制作されたもの。
ふたりはNY派の親友同士だが、オペラのようなコッポラ演出に対し、少年時代からギャングを見てきたスコセッシは「格好つけ過ぎている、彼らはもっとケチであり、格好悪いところもあった」という感想を抱き、この映画を撮った。
『ゴッドファーザー』にも「粛清」のシーンがあり、『グッドフェローズ』におけるこの描写は「その変奏」だったんじゃないか、、、と思う。
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明日のコラムは・・・
『顔』