にこーるきっど「まん」→「まん」じ(卍)
大きな声でハーケンクロイツとはいえないが、卍固めとはいえる。
(「凸凹」と同様)記号みたいな漢字「卍」だが、(凸凹とはちがって)見た目の格好よさがあり、これをタトゥーにしているひとが居るのも「ちょっと」だけ分かるのであった。
文豪・谷崎潤一郎の小説である。
先日―谷崎が何度もノーベル文学賞の候補にあがっていたことを、新聞の報道で知った。
最終候補に残ったこともあり、ひょっとしたら川端康成より先に取っていたかもしれない・・・そう記事は結んでいて、あぁこのヘンタイオジサンでもよかったなぁ、、、なんて。
川端康成は乾いたヘンタイ、谷崎は湿ったヘンタイだと思う。
どちらも好きだが、友達になれそうなのは後者のほう。
『卍』は、そんな谷崎が28年に発表した同性愛の物語。
刺激的な内容ゆえ映像化を狙う表現者も多く、いままでに4度も制作されている。
64年、若尾文子と岸田今日子が共演したバージョン。
監督は増村保造で、脚本は新藤兼人。
83年、樋口可南子と高瀬春奈が共演したバージョン。
監督は横山博人。
98年、坂上香織と真弓倫子が共演したバージョン。
監督は服部光則。
2006年、秋桜子と不二子が主演したバージョン。
監督は井口昇。
ナボコフ小説の映画を例にあげるまでもなく、
フツーに考えれば「より現代にちかい」作品のほうが刺激的というか過激な描写が多用されるはず・・・なのだけれども、
過激さ=いやらしく見える
にはならないところが映像表現の面白さ・難しさであって、
樋口可南子も妖艶であったし、
秋桜子も悪くはなかったのだが、
よっつの作品でいちばん淫靡な感じがしたのは、最も古い64年のバージョンなのである。
若尾文子は想像がついたが、岸田今日子のいやらしさなんて、ちょっと想像の域を超えている。
さて。
ゲイの映画は数多く発表されているが、レズビアンの映画はひじょうに少ない。
AVの世界では、「定番」とされる一ジャンルにはなっているけれど。
数少ないレズビアン映画のなかからベストを選ぶとするならば、自分はリンチの『マルホランド・ドライブ』(2001)を挙げる。
ナオミ・ワッツとローラ・ハリング、ふたりとも美人であったし。ハダカもキレイだったし。
結局は美しさ?
断言はしないが、そういうところはあるのだと思う。
男でも女でも、やっぱり美しいものを見たいわけだし。
ウォシャウスキー兄弟の『バウンド』(96)と、シャーリーズ・セロン×クリスティーナ・リッチの『モンスター』(2003)も、よかったなぁ。
話を戻して。
ではなぜ、レズビアン映画は量産されないのか。
女性監督の絶対数が低過ぎる―ということに起因するのだろう。
もちろん男が描いていいわけだし、そもそも『卍』の原作者は、どこからどう見たってキッタネー男なのだった。
いや、こんな風に書いているけれど、もちろん谷崎のこと好きだよ。
同じ脚キチガイゆえ、仲間意識からキッタネーと評したわけ。
自分がプロデューサーであったら、
新鋭のタナダユキあたりに演出を任せ、松雪泰子と真木よう子を起用する―と考えるのだが、皆さんはどうだろうか。
ゾックゾクしねぇ?
自分は想像しただけでゾックゾクし、チンピクまでしちゃうのだが。
※いちばん新しいバージョンで
次回のしりとりは・・・まん「じ」→「じ」ーざす・くらいすと・すーぱーすたー。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『ときめきに死す』
大きな声でハーケンクロイツとはいえないが、卍固めとはいえる。
(「凸凹」と同様)記号みたいな漢字「卍」だが、(凸凹とはちがって)見た目の格好よさがあり、これをタトゥーにしているひとが居るのも「ちょっと」だけ分かるのであった。
文豪・谷崎潤一郎の小説である。
先日―谷崎が何度もノーベル文学賞の候補にあがっていたことを、新聞の報道で知った。
最終候補に残ったこともあり、ひょっとしたら川端康成より先に取っていたかもしれない・・・そう記事は結んでいて、あぁこのヘンタイオジサンでもよかったなぁ、、、なんて。
川端康成は乾いたヘンタイ、谷崎は湿ったヘンタイだと思う。
どちらも好きだが、友達になれそうなのは後者のほう。
『卍』は、そんな谷崎が28年に発表した同性愛の物語。
刺激的な内容ゆえ映像化を狙う表現者も多く、いままでに4度も制作されている。
64年、若尾文子と岸田今日子が共演したバージョン。
監督は増村保造で、脚本は新藤兼人。
83年、樋口可南子と高瀬春奈が共演したバージョン。
監督は横山博人。
98年、坂上香織と真弓倫子が共演したバージョン。
監督は服部光則。
2006年、秋桜子と不二子が主演したバージョン。
監督は井口昇。
ナボコフ小説の映画を例にあげるまでもなく、
フツーに考えれば「より現代にちかい」作品のほうが刺激的というか過激な描写が多用されるはず・・・なのだけれども、
過激さ=いやらしく見える
にはならないところが映像表現の面白さ・難しさであって、
樋口可南子も妖艶であったし、
秋桜子も悪くはなかったのだが、
よっつの作品でいちばん淫靡な感じがしたのは、最も古い64年のバージョンなのである。
若尾文子は想像がついたが、岸田今日子のいやらしさなんて、ちょっと想像の域を超えている。
さて。
ゲイの映画は数多く発表されているが、レズビアンの映画はひじょうに少ない。
AVの世界では、「定番」とされる一ジャンルにはなっているけれど。
数少ないレズビアン映画のなかからベストを選ぶとするならば、自分はリンチの『マルホランド・ドライブ』(2001)を挙げる。
ナオミ・ワッツとローラ・ハリング、ふたりとも美人であったし。ハダカもキレイだったし。
結局は美しさ?
断言はしないが、そういうところはあるのだと思う。
男でも女でも、やっぱり美しいものを見たいわけだし。
ウォシャウスキー兄弟の『バウンド』(96)と、シャーリーズ・セロン×クリスティーナ・リッチの『モンスター』(2003)も、よかったなぁ。
話を戻して。
ではなぜ、レズビアン映画は量産されないのか。
女性監督の絶対数が低過ぎる―ということに起因するのだろう。
もちろん男が描いていいわけだし、そもそも『卍』の原作者は、どこからどう見たってキッタネー男なのだった。
いや、こんな風に書いているけれど、もちろん谷崎のこと好きだよ。
同じ脚キチガイゆえ、仲間意識からキッタネーと評したわけ。
自分がプロデューサーであったら、
新鋭のタナダユキあたりに演出を任せ、松雪泰子と真木よう子を起用する―と考えるのだが、皆さんはどうだろうか。
ゾックゾクしねぇ?
自分は想像しただけでゾックゾクし、チンピクまでしちゃうのだが。
※いちばん新しいバージョンで
次回のしりとりは・・・まん「じ」→「じ」ーざす・くらいすと・すーぱーすたー。
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明日のコラムは・・・
『ときめきに死す』