Cape Fear、in JAPAN

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シネマしりとり「薀蓄篇」(27)

2013-01-18 00:15:00 | コラム
にじのかなた「に」→「に」こーる・きっどまん(ニコール・キッドマン)

本年一発目のシネマしりとり、キレイどころでいってみよう。


ニコール・キッドマンは、現在45歳。

若いころより現在のほうが魅力的―というのは、ロリコン傾向にある自分のなかでは、まーーーーず、珍しいこと。

80年代後半―。
オーストラリアからやってきた若手の美形女優に触れたとき、お人形さんみたいだな、美人なのだろうけれど面白味がないな、トム・クルーズもつまらん女優に引っかかったものだ・・・なんて、高校生の映画小僧は思ったわけ。

佐々木希が「出たて」のころ、「なんか、よく出来たダッチワイフみたい」といったひとがいて「巧いこというなぁ!」と感心したが、その感覚に似ている。

演技そのものもブッキラボウというか、こころに響いてくるものがなかった。

しかし95年―お人形さんニコールは、唐突に化ける。

有名人になるためだったら、殺人だって厭わない―という『誘う女』は、そのくらいのインパクトがあった。

しかし、それでも。
べつにニコールが演技派に変身したわけではない、
この映画の成功はガス・ヴァン・サントの演出によるものであり、キャラクターにぴったりなニコールにオファーしたキャスティング・ディレクターのセンスによるものである・・・と、映画小僧はニコールの肢体に「勃起」しながら考えていた。

の、だが。

以降、ニコールの映画キャリアには、「基本的に」失敗作がなくなった。


大根ではなかったものの、上手とはいえなかった俳優が「ある日を境に」上手になったりする、、、そんなこと、あるのだろうか。

いやでも、ニコールのキャリアがそれを証明しているし。

だから、「ある」ということなのだろう。


97年―『ピースメーカー』でジョージ・クルーニーと共演、日本では「そこそこのヒット」で終わったが、個人的には好きなタイプの政治アクションだった。

99年―キューブリックの遺作となった『アイズ ワイド シャット』で、トムと共演。
賛否分かれた問題作だが、ニコールの最後の台詞「ファックしましょ」に納得した映画小僧も多かったにちがいない。

2001年―『ムーラン・ルージュ』で歌もいけることを証明する。
とにかく艶やかだった。

2002年―『めぐりあう時間たち』で、とうとうオスカーを手にする。
ヴァージニア・ウルフを演じたニコールに文句はなかったが、自分が協会員であれば共演したジュリアン・ムーアを推した・・・かもしれない。

飛躍して以降のキャリアを少しだけ書いたが、監督に恵まれていることが分かる。

もちろん本人の魅力あってこそ、、、だとは思うが、この美人女優にアンナコトコンナコトさせてみようという、野心的な監督が「持ちがちな」サディズムに火をつけるところがあるのかもしれない、ニコールというひとは。

その決定打が、ラース・フォン・トリアーによる『ドッグヴィル』(2003)だったのだと思う。

トリアーは「米国三部作」とかいっているが、なんのことはない、特殊な背景でニコールを「とことん」いじめてみる・・・そういう物語だった。
そうして、そんな物語にゾックゾクした映画小僧が沢山居た。

『オーストラリア』(2008)は「なんとなく」失敗してしまったものの、
近作『ラビット・ホール』(2010)で「きちんと」軌道修正し、哀しみにくれる主婦を好演している。


いい女優になったもんだ、ひとは変わるものだねぇと感慨を覚える映画小僧。

来日時に「一瞬だけ」見たことがあるが、「でけぇな!」と思った。
しかしスクリーンで対峙すると、それほど大きさを感じないのだよね。キャスリーン・ターナーとちがって笑

そこらへんも、日本人が好感を抱くところ、、、なのかもしれない。


※『ラビット・ホール』、音楽もえがった。





あすのしりとりは・・・
にこーる・きっど「まん」→「まん」じ。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(28)』

コメント (3)
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