56年1月10日生まれ・2009年7月26日死去、享年53歳。
富山出身。
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鋭利な刃物を忍ばせ、機関銃の言葉を放射し、
俺に、そして日本映画界に強烈な個をたたきつけてきやがる凄え俳優だった。
大っ嫌いな卑怯者がその昔、いて、俺を守ろうと、からだごと、そいつに突進して、血まみれになったほど、
奴の魂は、限りなく優しかった。
男気に満ちあふれ、笑顔がいつも、悲しく…、かわいかった。
酒をくみかわし、いつも映画の話をした。
「ねえ! 剛、やんないの? ねえ、やんねえの映画?」
「…うーん」
「やろうよ! 俺あんたとしばいすんの大好きなんだよ。ねえ、やろうぜ」
いつも飲むと俺にからんできやがった。
※長渕剛の追悼詩『―ダチ山田辰夫へおくる―』より、一部抜粋
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そう、そう。
山田辰夫(やまだ・たつお)さんは、90年代より長渕組? に入り、様々なドラマで長渕と共演しました。
また、同郷である映画監督の滝田洋二郎ともいくつかの作品で組み・・・って、いやいや、辰夫さんといったら、一にも二にも『狂い咲きサンダーロード』(80)でしょう。
極端にいってしまえば、もうそれだけで充分。
そう評したくなるほどに、この映画のインパクトは大きいのです。
たとえていうなら・・・
同意は得られ難いかもしれませんが、『イージー・ライダー』(69)のピーター・フォンダみたいな??
<経歴>
高校卒業後に上京、19歳のころに劇団「GAYA」の創立に関わる。
80年、前述した『狂い咲きサンダーロード』で鮮烈な映画俳優デビューを飾る。
・・・も、この映画のインパクトが強烈に過ぎて、しばらくは映画業界から敬遠? される。
『ヨコハマBJブルース』(81)、『凶弾』(82)、『すかんぴんウォーク』(84)、『聖女伝説』(85)、
ごく稀に『植村直己物語』(86)のように、マトモ? なキャラクターを演じることもありますが、
基本は『シャコタン☆ブギ』(87)や『リボルバー』(88)など、「いかにもなキャラクター」を数多く演じました。
役柄に幅が出来るようになったのは、90年代に入って以降。
いや訂正、幅が出来たというより、逆転現象が起きた―と評するほうが適切だと思います。
だって・・・
『ちぎれた愛の殺人』(93)では刑事、『ホワイトアウト』(2000)では警官、『KT』(2002)では警部補と、いつの間にかワルではなく、ワルを取り締まるほうを演じるようになったのですもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/8e/e716d2cecdbe6005b28d5d5346e47b79.jpg)
『壬生義士伝』(2003)、『陰陽師II』(2003)、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003)、『理由』(2004)、『天使が降りた日』(2005)、『いつか読書する日』(2005)。
2005年、胃がんのため胃を全摘出する。
『日本沈没』(2006)、『眉山―びざん―』(2007)、『魁!!男塾』(2007)、『哀憑歌 ~CHI―MANAKO~』(2008)、『おくりびと』(2008)、『その日のまえに』(2008)。
2008年、がんが腎臓に転移する。
2009年7月26日、53歳の若さで永眠。
遺作は、『沈まぬ太陽』(2009)。
親しい友人の多くは辰夫さんの病気を知らず、それが、冒頭の長渕の詩につながっていくわけですね。
ほんとうのことをいえば・・・
亡くなる前に、辰夫さんを見出した石井聰亙(現・石井岳龍)監督と、もういちどだけタッグを組んでほしかったなぁ!!
次回のにっぽん男優列伝は、ユースケ・サンタマリアさんから。
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明日のコラムは・・・
『新聞で習作』
富山出身。
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鋭利な刃物を忍ばせ、機関銃の言葉を放射し、
俺に、そして日本映画界に強烈な個をたたきつけてきやがる凄え俳優だった。
大っ嫌いな卑怯者がその昔、いて、俺を守ろうと、からだごと、そいつに突進して、血まみれになったほど、
奴の魂は、限りなく優しかった。
男気に満ちあふれ、笑顔がいつも、悲しく…、かわいかった。
酒をくみかわし、いつも映画の話をした。
「ねえ! 剛、やんないの? ねえ、やんねえの映画?」
「…うーん」
「やろうよ! 俺あんたとしばいすんの大好きなんだよ。ねえ、やろうぜ」
いつも飲むと俺にからんできやがった。
※長渕剛の追悼詩『―ダチ山田辰夫へおくる―』より、一部抜粋
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そう、そう。
山田辰夫(やまだ・たつお)さんは、90年代より長渕組? に入り、様々なドラマで長渕と共演しました。
また、同郷である映画監督の滝田洋二郎ともいくつかの作品で組み・・・って、いやいや、辰夫さんといったら、一にも二にも『狂い咲きサンダーロード』(80)でしょう。
極端にいってしまえば、もうそれだけで充分。
そう評したくなるほどに、この映画のインパクトは大きいのです。
たとえていうなら・・・
同意は得られ難いかもしれませんが、『イージー・ライダー』(69)のピーター・フォンダみたいな??
<経歴>
高校卒業後に上京、19歳のころに劇団「GAYA」の創立に関わる。
80年、前述した『狂い咲きサンダーロード』で鮮烈な映画俳優デビューを飾る。
・・・も、この映画のインパクトが強烈に過ぎて、しばらくは映画業界から敬遠? される。
『ヨコハマBJブルース』(81)、『凶弾』(82)、『すかんぴんウォーク』(84)、『聖女伝説』(85)、
ごく稀に『植村直己物語』(86)のように、マトモ? なキャラクターを演じることもありますが、
基本は『シャコタン☆ブギ』(87)や『リボルバー』(88)など、「いかにもなキャラクター」を数多く演じました。
役柄に幅が出来るようになったのは、90年代に入って以降。
いや訂正、幅が出来たというより、逆転現象が起きた―と評するほうが適切だと思います。
だって・・・
『ちぎれた愛の殺人』(93)では刑事、『ホワイトアウト』(2000)では警官、『KT』(2002)では警部補と、いつの間にかワルではなく、ワルを取り締まるほうを演じるようになったのですもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/8e/e716d2cecdbe6005b28d5d5346e47b79.jpg)
『壬生義士伝』(2003)、『陰陽師II』(2003)、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003)、『理由』(2004)、『天使が降りた日』(2005)、『いつか読書する日』(2005)。
2005年、胃がんのため胃を全摘出する。
『日本沈没』(2006)、『眉山―びざん―』(2007)、『魁!!男塾』(2007)、『哀憑歌 ~CHI―MANAKO~』(2008)、『おくりびと』(2008)、『その日のまえに』(2008)。
2008年、がんが腎臓に転移する。
2009年7月26日、53歳の若さで永眠。
遺作は、『沈まぬ太陽』(2009)。
親しい友人の多くは辰夫さんの病気を知らず、それが、冒頭の長渕の詩につながっていくわけですね。
ほんとうのことをいえば・・・
亡くなる前に、辰夫さんを見出した石井聰亙(現・石井岳龍)監督と、もういちどだけタッグを組んでほしかったなぁ!!
次回のにっぽん男優列伝は、ユースケ・サンタマリアさんから。
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明日のコラムは・・・
『新聞で習作』