交通事故を目撃することは、いくら繰り返しても慣れない。
そりゃ当然だ、鉄がひしゃげ、ひとが死ぬかもしれないのだから。
先日―。
町田街道で信号待ちをしていたら、軽自動車とママチャリのおばさんが衝突事故を起こした。
横断歩道だったので、車のほうが10-0で悪い。
流血はないが、おばさんは頭を打ちつけており、小さな声で呻いている。
散乱する買い物袋や、サンダル。
自転車を降り、「大丈夫ですか」と声をかける。
反応はあるが、自分で動くことは出来なさそう。
しかし、すぐに抱き起こすのもどうかと思ったので、まずは買い物袋やサンダルを片付けた。
倒れたママチャリも起こそうとしたが、ペダルが衝突した車の下部に引っかかっていて、うまく起こせない。
そのことを、ドライバーにジェスチャーで伝える。
ドライバーは、ゆっくり車をバックさせた。
こういうときって、大抵ドライバーはすぐに外に出てこない。
自分が事故ったときもそうであったし、何度か目撃した事故でもそうだった。
べつに逃げるつもりはない。
ないが、気が動転して、すぐに行動することが不可能っていうね。
近くにドラッグストアがあったので、あっという間に沢山の野次馬が出来た。
そのなかの有志数人が、おばさんを抱き起こしたり、警察に電話をしたりしている。
もう大丈夫だな―という確認が出来てから、自分はその場を離れた。
事故の一部始終を見ていたのは、たぶん自分だけ。
ほんとうは警察がやってくるまで居たほうがいいのだろうが、自分も急いでいたし、おばさん無事っぽかったからね。
警察を呼ぶ程度の交通事故の被害者になったのは、3回。
目撃者になったのは、その2倍どころじゃないな~、3倍はあると思う。
最も悲惨だった事故では、ママチャリに乗っていたおじさんが死んでしまった。
また、自分が上京して新聞奨学生を始める直前、奨学生の先輩がカブに乗って坂道を上がるとき、トラックと衝突して大怪我を負った。
冗談ではなく、脳味噌がちょっと出ていた(!)ので、仲間たちはもう助からないと思い込んだという。
だから自分が上京したとき、その先輩はまだ集中治療室に居て、新聞専売所の所長が「事故にだけは、事故にだけは気をつけて」と、ものすごく強調していたんだっけ。
その先輩は数ヶ月後に退院、関西出身の、漫才でいえばボケ担当みたいなひとだったので、「脳味噌が減ったぶん、ボケの強度が増した」などと自虐的な発言を繰り返した。
そんなことが出来るのも、助かったからなんだよな。。。
自分で事故ったあとや、事故を目撃して数週間は、衝撃の光景が脳裏に焼きついていて「極端なほどに」安全運転となる。
けれども、ひとって忘れるイキモノだから。
あんなに痛い思いをしたのに、怖いものを見たのに、ふと気づいたらスピード出し過ぎていたりしてね。
交通ルールは厳守しているし、ヘルメットも着用している。
ただ、スピードは、、、ねぇ。
もとはキッタネーが、死んだときの顔や身体は、まぁ、見ることが出来る程度のキレイさ? を保っておきたい。
映画を観て幸福を感じられるのも、AV観てシコれるのも、酒呑んでガハハと笑えるのも、事故で不幸な目に遭っていないから、、、なのだものね!!
※QTタランティーノの映画における交通事故は、痛みというものがきっちり伝わるような描写になっていて、素晴らしいと思う
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(183)』
そりゃ当然だ、鉄がひしゃげ、ひとが死ぬかもしれないのだから。
先日―。
町田街道で信号待ちをしていたら、軽自動車とママチャリのおばさんが衝突事故を起こした。
横断歩道だったので、車のほうが10-0で悪い。
流血はないが、おばさんは頭を打ちつけており、小さな声で呻いている。
散乱する買い物袋や、サンダル。
自転車を降り、「大丈夫ですか」と声をかける。
反応はあるが、自分で動くことは出来なさそう。
しかし、すぐに抱き起こすのもどうかと思ったので、まずは買い物袋やサンダルを片付けた。
倒れたママチャリも起こそうとしたが、ペダルが衝突した車の下部に引っかかっていて、うまく起こせない。
そのことを、ドライバーにジェスチャーで伝える。
ドライバーは、ゆっくり車をバックさせた。
こういうときって、大抵ドライバーはすぐに外に出てこない。
自分が事故ったときもそうであったし、何度か目撃した事故でもそうだった。
べつに逃げるつもりはない。
ないが、気が動転して、すぐに行動することが不可能っていうね。
近くにドラッグストアがあったので、あっという間に沢山の野次馬が出来た。
そのなかの有志数人が、おばさんを抱き起こしたり、警察に電話をしたりしている。
もう大丈夫だな―という確認が出来てから、自分はその場を離れた。
事故の一部始終を見ていたのは、たぶん自分だけ。
ほんとうは警察がやってくるまで居たほうがいいのだろうが、自分も急いでいたし、おばさん無事っぽかったからね。
警察を呼ぶ程度の交通事故の被害者になったのは、3回。
目撃者になったのは、その2倍どころじゃないな~、3倍はあると思う。
最も悲惨だった事故では、ママチャリに乗っていたおじさんが死んでしまった。
また、自分が上京して新聞奨学生を始める直前、奨学生の先輩がカブに乗って坂道を上がるとき、トラックと衝突して大怪我を負った。
冗談ではなく、脳味噌がちょっと出ていた(!)ので、仲間たちはもう助からないと思い込んだという。
だから自分が上京したとき、その先輩はまだ集中治療室に居て、新聞専売所の所長が「事故にだけは、事故にだけは気をつけて」と、ものすごく強調していたんだっけ。
その先輩は数ヶ月後に退院、関西出身の、漫才でいえばボケ担当みたいなひとだったので、「脳味噌が減ったぶん、ボケの強度が増した」などと自虐的な発言を繰り返した。
そんなことが出来るのも、助かったからなんだよな。。。
自分で事故ったあとや、事故を目撃して数週間は、衝撃の光景が脳裏に焼きついていて「極端なほどに」安全運転となる。
けれども、ひとって忘れるイキモノだから。
あんなに痛い思いをしたのに、怖いものを見たのに、ふと気づいたらスピード出し過ぎていたりしてね。
交通ルールは厳守しているし、ヘルメットも着用している。
ただ、スピードは、、、ねぇ。
もとはキッタネーが、死んだときの顔や身体は、まぁ、見ることが出来る程度のキレイさ? を保っておきたい。
映画を観て幸福を感じられるのも、AV観てシコれるのも、酒呑んでガハハと笑えるのも、事故で不幸な目に遭っていないから、、、なのだものね!!
※QTタランティーノの映画における交通事故は、痛みというものがきっちり伝わるような描写になっていて、素晴らしいと思う
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(183)』