Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(183)

2016-10-06 00:10:00 | コラム
ぷりんせ「す」→「す」こーる

雨が降っていると、億劫じゃない?

と、よくいわれるが、それはチャリを動かす前の話であり、乗ってしまえば「雨とか、カンケーない」という気持ちになる。

雪の日はさすがにチャリ乗りをあきらめるが、雪国ではないので、そこまでの実害はない。

雨より雪より、敵は風だったりする。


自分も勘違いしていた、スコール(squall)って、突然の雨、いわゆるゲリラ豪雨みたいなものではなく、豪雨や落雷を「伴う、急激な風速の増加現象」のことをいうんだってね。

そうか、メインは「風のほう」だったか。


『羅生門』(50)の「あの風」は、心地良すぎてスコールとはいえない。



黒澤映画でいえば、ゴーストタウンと化した宿場町に吹き荒れる風(=61年の『用心棒』)こそ、スコールなんだろう。
(『八月の狂詩曲』(91)も?)

自分が「スコール的」と思っていた『死んでもいい』(92)の冒頭直後は、上の解説により「スコールではない」ということになりそう。

※4分過ぎあたり…ムチャクチャ格好いい





相米監督のよいところが「全部、出た」と思われる『台風クラブ』(85)のクライマックスは、たぶんスコール。
(でも厳密には、台風)




主題がそのものずばり! だった『風立ちぬ』(2013)もそうだが、映画における風の描写って重要である。


誰だったか、ある識者が文芸誌で、黒澤映画を好きになれないのは、俳優たちが怒鳴り散らしたり、なにかといえば「天変地異が起こったり」するから、、、と書いていた。

分からんでもない。
その比較対象として識者は小津映画を持ち出し、「このちがいは、なんなのか」という。

たしかに、そう。
自分は上の文章で3つの黒澤映画を挙げたが、こんな風にスッと「いくつもの映画」を挙げられる監督って、そうは居ない。

ただ監督作を挙げたわけじゃない、「風、が印象的な映画」という限定的なものなんだから。

まぁ、そんな「天変地異、大好き」な監督が、自分は大好きっていうね。


海外映画から、ひとつ。

スコールと呼ぶには弱過ぎるかもしれない、しかし『風立ちぬ』のように、帽子を舞わせるくらいの強風ではあるので、しかも、「その風」が吹く前までは「無風状態」であったことから、ぎりぎりスコールと認定されるのではないか・・・と思うのは、

大傑作、『ミラーズ・クロッシング』のオープニング・クレジットである。




天候とは無関係に、吹く風もある。

核爆発に見られる、爆風というやつだ。

『恐怖の報酬』(53)や『トゥルーライズ』(94)で描写されているが、これらはもちろんスコールとはいわない。

スコール的ではあるが、ほとんど人工で生じたものであるし、似て非なるもの。

当然のことを書くが、こんなものは、映画のなかだけの現象であってほしいよね!!






あすのしりとりは・・・
すこー「る」→「る」す。

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(184)』
コメント (2)
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